出産前後の痔にはご注意!

北条政子は源頼朝の妻となったのに、「源政子」と言われずに、「北条政子」と呼ばれるのはなぜなのか。

疑問1
この時代に妻となっても、夫の姓を名乗らないのが習慣であったのか。

疑問2
政子の手紙などには、署名を「源政子」としたものはないのか。また、「北条政子」としたものはあるのか。

疑問3
通称で言えば、細川ガラシャは夫の姓で呼ばれるが、これは、戦国時代へと時代が下り、習慣が変わったからなのか。あるいは、キリスト教徒という特殊な理由でなのか。

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A 回答 (7件)

1・明治の戸籍創設以前では女性が自ら姓や苗字を


 名乗ることは極めて稀であったと思います。
 女性は公式な地位を持ちませんから文書の署名も
 遺っていません(例外はあります)。

2・源政子の署名は目にしたことがありません。
 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には
 「平政子」もありますが、より多いのは「二品禅  尼」という敬称で記載され
 ています。
 「源頼朝卿妻」などでなく「平政子」という記載は 女性としてはたいへん珍し
 く、政子の特別な地位 が考慮されているものと思 われます。
 また『吾妻鏡』の時代になると政子は婚家(源氏) から実家(北条=平氏)
 への帰属を強めたのではないでしょうか。

3・細川ガラシャの呼び名の来歴は知りませんが、
 もしかするとイエズス会の僧によるカトリックの
 慣習からきているかもしれませんね。
 日野富子についてはよく知りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
『吾妻鏡』の中には、「平政子」の記載があるのですか。
機会があったら、あたってみようと思います。

お礼日時:2005/07/10 16:51

No.5の者です。

補足しますと、英米でも「女性が夫の姓を名乗る」ようになったのは最近のことです。(英米以外のことは知りませんので)

例えば、ヒラリー・ロダムさんがウィリアム・H・クリントン氏の妻になりました。その場合、ヒラリーさんは正式には
「Mrs. William H. Clinton」
と呼ばれます。日本流に言えば「ウィリアム・H・クリントン様令夫人」です。その上で、「クリントン夫人のファーストネームはヒラリー」ということになりますが、家族以外が呼びかける際は「Mrs. Clinton」としか呼びません。最近のアメリカでは、家族以外に対しても気軽にファーストネームを使いますが、これも古い習慣ではありません。

現在では、ヒラリーさんは、我々が良く知っている
Hillary Rodham Clinton
という名前で呼ばれることが多いですが、
Mrs.(Ms.) Hillary Rodham Clintonという表記より、Mrs. William H. Clintonの方が、現在でも正式であるとされています。

このように考えますと、既婚女性の呼び方については、明治以前の日本と19世紀までの英米は概ね同じ「細川忠興のうち」「Mrs. William Clinton」であったと言えます。その後「細川玉子」「Hillary Clinton」に変化したのも軌を一にしているのが興味深いです。
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江戸時代以前の著名な武家の女性が公的文書に署名した例として、武田勝頼の妻(北条氏康の娘)が神社の願文に署名した文書を知っています。

そこでの署名は「源勝頼 うち」(武田勝頼の妻)となっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1% …
の人です。

江戸時代以前、武家の女性は「**の娘」「**の妻」と言った形で把握されていました。

北条政子と通称される女性は、

「平遠江守北条時政の娘。源右近衛大将頼朝の妻。名は政子」

と呼ぶのが、当時の実情に最も近かったと思われます。

細川ガラシヤと通称される女性も、当時そのような名前で呼ばれていたわけではありません。

「明智光秀の娘。細川忠興の妻。名は玉子。洗礼名はガラシヤ」

となります。

女性が自ら姓を称することはないが、「父の姓、夫の姓」で識別されるということですね。平安時代の女傑が、「清原少納言の娘」、略して「清少納言」と呼ばれるのと同じです。
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この回答へのお礼

ありがとうとうございました。

>平遠江守北条時政の娘。源右近衛大将頼朝の妻。名は政子

このよううな承知のされ方だったのですね。とても参考になりました。

お礼日時:2005/07/10 16:45

姓と苗字は違います。

姓は天皇家によって与えられたものですので基本的に変わりません(勝手に変えられない)。
なので北条政子は皆さんの仰る平政子(たいらのまさこ)のままです。

ただし。苗字は変わることもあるし、また未亡人として家を受け継ぐ場合は変わります。これは「家」を継いだからです。

また俗称、通称というものもあります。例えば日野富子。この人は姓は藤原で、ふじわらのとみこ。その旦那は足利義政ですが。このひとは姓は源。みなもとのよしまさ。なのですが、通常足利、日野と呼び習わされているわけです。ガラシャ夫人の場合もそういうものでしょうし、そもそもこれは細川氏の夫人である、ということで、他の意味はないのです。
なぜなら細川氏も少なくとも自称は清和源氏なので、姓は細川ではなく源です。

以上くり返しになりますが、姓はかえられません。(源平藤橘、とか、豊臣なんてのもそうです)
かえる、というのも天皇だけの権限だからで、逆に天皇が変えろといえば変わります。

苗字は他の同姓だけど遠い親戚や遠すぎて単に同姓というだけ、とか、さらに**源氏や**平氏のようにそもそも初代から別(まあ天皇の子孫には違いないのでとお~~~~~い親戚ではありますが)と区別するため、またそういうのに関連して主に地名や職掌などから(とは限りませんが)つけます。さらにそういうのに習って他でも苗字が作られますが、もちろん天皇家がつけたわけではないので姓ではないわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。姓と苗字違うものなんですね。姓はカバネと読むのでしょうか。苗字はミョウジでいいんだろうな。
氏姓の氏は、苗字のことでいいんでしょうか。
なかなか奥が深いものですね。

源政子と呼ばれずに、北条政子と呼ばれる理由がだいぶわかりました。

お礼日時:2005/07/09 11:45

アジアの殆どの国が夫婦別姓を名乗るのは儒教の影響で、わが国が同姓になったのは明治時代に、西欧文明が入ってからになります。


細川ガラシア夫人も本名は「明智玉」、洗礼名がガラシアで、この時点で西欧(キリスト教)の伝統に従い、夫と同じ姓を名乗ったのではないかな。(想像です)
西欧では姓を「ファミリーネーム」といって、家族は同じ姓を名乗るのが普通なので、ガラシアもそれに従ったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

細川ガラシャはやはりキリスト教徒ということで、特殊なんでしょうね。
疑問3も解決しました。

お礼日時:2005/07/08 22:44

補足ですが、中国や韓国では今でも妻が婚家の姓を名乗ることはなく一生実家の姓で通します。


妻が婚家の姓を名乗るようになったのは明治維新のときに西洋の風習をまねてそういうようにしただけで、江戸時代以前は妻は一生実家の苗字・姓で通しました。
系図などにも妻はなんとか氏というように実名はかかれなくても実家の苗字は書かれるのがふつうでした。
また、署名ですが、正式文書などに書く場合は姓名を書きましたが、この場合の姓とは源平藤橘で北条は苗字ですからその場合は平政子と書いたと思われます。
ただ、略式の文書や文書の種類によっては名前だけをかくということもありました。
もし北条政子だの源政子などと署名した文書があれば素人の作った偽文書です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

疑問1と疑問2は解決いたしました。
日野富子なんかも、足利ではなく、日野ですものね。

>もし北条政子だの源政子などと署名した文書があれば素人の作った偽文書です。
偽文書を作るときは、平政子でいきたいと思います。

お礼日時:2005/07/08 22:41

明治になるまで妻は実家の苗字を名乗りました。

婚家の苗字を名乗ることはありませんでした。ですから北条政子です。
北条は苗字で姓は平です。ですからあるとしても平政子だと思います。
細川ガラシャは明智光秀の娘なので明智ガラシャではまずいのでそういわれたのでしょう。
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それとも「北条政子」という、私の質問のタイトルが、そもそも間違っているのでしょうか?鎌倉時代というのは、どうも「源」よりも「北条」の印象が強いですよね。

Aベストアンサー

中国や韓国では今でも妻が婚家の姓を名乗ることはなく一生実家の姓で通します。
妻が婚家の姓を名乗るようになったのは明治維新のときに西洋の風習をまねてそういうようにしただけで、江戸時代以前は妻は一生実家の苗字・姓で通しました。
系図などにも妻はなんとか氏というように実名はかかれなくても実家の苗字は書かれるのがふつうでした。
※署名のときは、
正式文書などに書く場合は姓名を書きましたが、この場合の姓とは北条家は平氏で、
源平藤橘の平で北条は苗字ですからその場合は平政子と書いたと思われます。

Q源義経、頼朝などの苗字って?

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       苗字  氏   諱
北条時政  北条  平   時政
安達泰盛  安達  藤原  泰盛
源 義経  ?    源   義経
平 清盛  ?    平   清盛

Aベストアンサー

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Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

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教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
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とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

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ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
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Q歴史上の女性の苗字について

質問が三つあります。
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更に、何故、戦国時代からの武家の娘は苗字付きではなくなるのでしょうか?
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Aベストアンサー

 
  一応、No.2, No.3 の方の回答でよいと思いますが、少し違った視点から、補足的に述べてみたく思います。
 
  「武家の女性」ということで、鎌倉幕府なり室町幕府なり江戸幕府から正式に武家と承認された家の女性の名前という前提を確認します(庶民の場合、「苗字」というのは、かなり曖昧なものでした。あると言えばあるし、ないと言えばないというようなものです。武家や公家のような、明確な苗字はないが、それに代わるものはあったということです。……ということは本筋と関係ありません)。
 
  まず、「苗字」というのは、歴史的に「姓」「氏」などがあり、これらは、少し違います。例えば、公家は、多く、姓と氏の二つを持っていました。近衛家という摂関家がありますが、この「近衛」は氏で、正式な姓は「藤原」です。一条藤原とか、九条藤原という風にも呼びます。公家に準じてというか、武家でも、姓と氏がある場合があります。TVで、いま「北条時宗」をやっていますが、あのなかで、北条氏は、元々平氏の家系という言葉が出てきたので、そうなのかと思いました(つまり、姓は、平だということです。北条は氏です)。
 
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  >それとも当時は単に政子とか富子というだけで、後の
  >人々によって苗字がつけられただけでしょうか?
 
  歴とした武家の女性なら、氏は当然ありました。問題は、どういう場合に、その氏や姓を使ったかということです。皇族から、臣籍におろす時、皇族には、姓がないので、天皇が姓を与えます。これを、賜姓と言い、このような臣籍に降りた元皇族は、賜姓皇族とも呼びますが、普通、源と平が有名ですが、その他の姓もあります。また、男性皇族だけが、賜姓を受けたのではなく、女性も賜姓を受けて臣籍に降りました。この場合、その女性は、明確に姓がありますし、その姓で呼ばれます。
 
  北条政子は、少し例として不適切なので、北条時宗の妻祝子を例にすると、「北条時宗室政子」というのがかなり正式な呼び方です。これは「正室」の意味で、「妻祝子」と呼んでいます。北条祝子と呼ぶことがあったのかというと、これは分かりませんが、なかった可能性があります。何かが付加しているでしょう。例えば、北条祝子は実際は違いますが、女官であって位があった場合、「従四位内侍北条祝子」などと宮中の公文書には残るでしょう。(貴族の日記などだと、北条の内侍」とか「四位の内侍」などと省略呼称になりますが)。
 
  北条祝子というような呼び方あるいは表記は、現代(及び近代)のもので、「北条の家の祝子」という意味になっていれば、それは、現代の「北条祝子」に当たるものですから、苗字はあったことになります。ただ、呼び方が、北条祝子のようなストレートなものではなかったということです。現代の戸籍謄本を見られると分かりますが、戸主の名前として、例えば「徳川秀吉」とかあり、戸籍欄には、夫:秀吉、妻:佳子などとなっています。
 
  しかし、現代の場合、女性が男性と共に、パブリックな文書に、独立で自分の名を記す場合は、北条祝子と記します。明治以前の時代には(そして、明治・大正時代や昭和初期も)、女性が、パブリックな場面で、独立で自分の名を記し、どこの誰かを明らかにするというようなことがなかったので、北条祝子というような表記がなかったのです。しかし、「北条の家の祝子様」なら、現代で言うなら「北条祝子様」でしょう。
 
  後二つの質問にもまとめて答えますと、貴族も武家の娘も、無論、苗字はあったし、苗字を付けて記す場面や、呼ぶ場面もあったのですが、いまと違い、北条祝子というような呼び方はしなかったというだけです。
 
  貴族の娘や武家の娘だと、苗字がなくなるというより、「名前」の方が、歴史記録から消えることが多いです。例えば、清少納言は、姓は「清原」と、はっきり分かっていますが、名前が分かりません。名前は、当時の人は知っていたし、名前で呼んでもいたのでしょうが、彼女は、中宮定子付きの女房であったので、女房名の「清少納言」で一般に呼ばれていたし、記録でもそうなっていて、清原家の女(むすめ)で、橘則光と結婚しましたから、「橘則光室*子」だったはずですが、名前が伝わっていません。しかし、名前がなかった訳ではありません。姓や氏が分かっていて、名前の分かっていない女性が、歴史上多数います。
 
  このことから分かるように、藤原定子とか、北条祝子と呼ぶ言い方は、現代的な言い方で、そういう言い方ではないが、武家の娘と公家の娘も、姓や氏を持っていたし、場面により、それで呼ばれていたことは間違いありません。そして、記録には、姓や氏つまり、所属していた家の名が残り、本人の本名の名前が消える場合が多いということです。
 

 
  一応、No.2, No.3 の方の回答でよいと思いますが、少し違った視点から、補足的に述べてみたく思います。
 
  「武家の女性」ということで、鎌倉幕府なり室町幕府なり江戸幕府から正式に武家と承認された家の女性の名前という前提を確認します(庶民の場合、「苗字」というのは、かなり曖昧なものでした。あると言えばあるし、ないと言えばないというようなものです。武家や公家のような、明確な苗字はないが、それに代わるものはあったということです。……ということは本筋と関係ありません)。
 
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Q戦国時代の北条早雲って鎌倉幕府の北条氏の子孫ですか?

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どなたか教えてください。

Aベストアンサー

戦国時代の幕開けに関東の覇者となった戦国大名の北条早雲が初めて歴史に登場するのは、文明10年(1478)、駿河の守護大名である今川家の内紛の調停役としてでした。
彼の姉か妹かが今川家の側室の一人であったということらしいです。
この頃、早雲は四十六歳、まだ伊勢新九郎長氏(ながうじ)と称していました。出自については諸説いろいろあります。
その後、伊豆の韮山に北条氏の末裔がおり、そこの主が亡くなって未亡人が1人となったところに婿養子として入り、北条の名を継ぐようになりました。もっとも早雲自身は最後まで伊勢氏を名乗り、北条姓に変わるのは2代の北条氏綱からですが。
この改姓は非常に重要な意味を持ちます。つまり鎌倉幕府の実質上の主であったあの名門、北条氏の流れを汲む者であると名乗れることは、大きなハクがつくことになるからです。このような権威付けは当時では非常に重要なことと思われます。由緒ある家柄だということは、支配者としての「資格」のあることを意味するからです。もちろん資格があっても実力がなければすぐに亡ぼされてしまいますが、実力があっても資格がないと、人々は支配者としてなかなか認めたくはない。室町幕府の権威が低下し、実力の世となっても、人心の変化は、まだまだそういった古くからの権威をあがめ、由緒を尊ぶ気風は十分に残っていました。戦国時代、下克上の三羽烏とも言われる北条早雲、斎藤道三、松永久秀のうち、道三と久秀はまもなく滅んでしまったのも、このあたりに原因の一つがあるのではないでしょうか。

戦国時代の幕開けに関東の覇者となった戦国大名の北条早雲が初めて歴史に登場するのは、文明10年(1478)、駿河の守護大名である今川家の内紛の調停役としてでした。
彼の姉か妹かが今川家の側室の一人であったということらしいです。
この頃、早雲は四十六歳、まだ伊勢新九郎長氏(ながうじ)と称していました。出自については諸説いろいろあります。
その後、伊豆の韮山に北条氏の末裔がおり、そこの主が亡くなって未亡人が1人となったところに婿養子として入り、北条の名を継ぐようになりました。もっとも早雲...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

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 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

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Q真相報道バンキシャを観てますが、武貞秀士って何者なんですか!北朝鮮から金でも貰っているんですか?

今、日テレ系のTV番組「真相報道バンキシャ」を観ています、北朝鮮の労働党大会の報道をしています、コメンテーターの武貞秀士という拓殖大教授が解説しています、このオッサンのコメントに引っ掛かるモノを感じます、普通に聞き流していたら解らないと思います、けどチョットでもマジに聞いたら違和感を覚えると思います、なかなかの巧み度を直感しました、このオッサン、北朝鮮か朝鮮総連かに通じているんですか?裏の裏で金でも貰っているんですか?
何者なんですか?教えてくださいませんか、このオッサンの実体を…。

Aベストアンサー

かつては、日本でまともに北朝鮮研究やってる5人のうちの一人に入ってて(安全保障研究所(当時)の伊豆見氏(現静岡県立大教授)、慶応大の鈴木氏、ラジオプレスの鈴木氏、もう一人忘れた)、まともだったんですけどねぇ。残念ながらお変わりになりました。
 防研(防衛研究所)の主任研究員だった頃には、シンポジウムで「北朝鮮が赤化統一を捨てたことは今まで一度もない。今日こうやっている間にも北朝鮮ではプルトニウムの抽出が行われているのです。」と、日本の一般ピープルが思わず忘れている大事な点を指摘したりしてらしたのですが。
 たまにテレビにお出になっても、日本の立場からの発言でした。

 それが防研辞めて、韓国の延世大学の国際大学院(英語で授業)に1年行かれ、そのあと北朝鮮政府の招待で2回、北へ行って来られたら、変わってらっしゃいました。
 北朝鮮の代弁人かと思うほど、「北朝鮮の立場としては、・・・」「北朝鮮の考えとしては、・・・」「北朝鮮の思いとしては、・・・」「北朝鮮の気持ちとしては、・・・」という発言が圧倒的にに多くなりました。「北朝鮮に寄り添う」人になっちゃいました。
 韓国で親北勢力の人間に取り込まれたか、そのあとの北朝鮮で取り込まれたか、わかりませんが、変わるだけの強烈な何かがあったのでしょう。

かつては、日本でまともに北朝鮮研究やってる5人のうちの一人に入ってて(安全保障研究所(当時)の伊豆見氏(現静岡県立大教授)、慶応大の鈴木氏、ラジオプレスの鈴木氏、もう一人忘れた)、まともだったんですけどねぇ。残念ながらお変わりになりました。
 防研(防衛研究所)の主任研究員だった頃には、シンポジウムで「北朝鮮が赤化統一を捨てたことは今まで一度もない。今日こうやっている間にも北朝鮮ではプルトニウムの抽出が行われているのです。」と、日本の一般ピープルが思わず忘れている大事な点を...続きを読む

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ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む


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