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駆け込み寺、縁切り寺としても有名な東慶寺ですが、女性から離縁できる寺法が明治になって廃止された理由をどなたか、教えてくださいませんか?

A 回答 (2件)

 No.1の方が既に回答なさっているのでちょっとした補足ですが、寺社の治外法権的特権というのは江戸時代になってからはほとんど廃止され、公的な形で残っていたのは縁切り寺の満徳寺・東慶寺くらいです。



 東慶寺の治外法権だけが残されたのは住職だった天秀尼の力によるところが大きいです。江戸時代になると高野山のような格式の高い寺でもどんどん治外法権が弱められていくということが起こりましたが、天秀尼は非常に頑張って女性のために戦ったと言われています。東慶寺に治外法権が残ったのは、天秀尼が秀吉の孫で千姫の養女にあたる女性だったこと、格式の高い尼寺だったこと、東慶寺の治外法権を侵そうとした加藤家と徳川家の政治的関係が微妙だったことなどがあげられるようです。

参考URL:http://www.hachinoki.co.jp/kanko/jiin/toukei.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
さらに納得できました・・

お礼日時:2005/07/11 06:56

東慶寺のような古い由緒を持つ寺は、江戸時代以前は寺領なども持ち寺の境内や寺領内は、他の大名領・旗本領などと同様に自治権があり、他の権力からは独立した権力があったので、寺がそういう法を決めれば、他の権力からはとやかくいわれることはありませんでした。


しかし、明治維新で大名領が版籍奉還で朝廷に返されたように、寺社領等もなくなり、全国統一の話法が適用されるようになれば、そのような治外法権的な寺法も廃止するしかなくなりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
版籍奉還がきっかけでしたか・・納得できます

お礼日時:2005/07/10 09:18

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