痔になりやすい生活習慣とは?

先日、思うところがあり霊視に行って来ました。
その際蛇に憑かれていると言われたので、近々祓ってもらおうと思っています。
で、祓うための準備としていくつか申し渡されたことがあるのですが、その中に般若心経を書き写すという作業がありました。
般若心経って、よく法事のときなどに読まされたりするお経ですよね?
軽く調べてみたら般若心経は”悟りをひらくための知恵を説いた教え、その核心”が書いてあるもので、内容としては”何事にもこだわりの無い心、空の境地”を説いたものだとのこと。
ここで疑問。
悟るための方法を説いた文章が何故お祓いや先祖供養に役立つのでしょう?
(私が行ってきた霊視の真偽・是非ではなく)お経とは何か、お経の意義、お経の使い道???みたいなものを簡単にわかりやすく教えてください。

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A 回答 (14件中1~10件)

人は祈ることによって対象の神仏に同化し、仏に成るからです。


仏は自分の心の奥に元々存在するものであり、
般若心経の書写読誦によってそれが表面に引き出されるわけです。

また、外部に存在する魔というのは憑依される人間の邪念によって引き寄せられるのです。
先祖の迷いも、また人間の迷いも、この邪念によるものです。

お経の書写読誦によって自分の心の中の仏が顔を出し、邪念が追い払われて清められるわけです。
この清められた心を神も仏も先祖もお喜びになります。

しかし、邪念というのは、一度追い払っても繰り返し私たちに纏わりついてきます。
従って私たちは、心の清めというものをその都度繰り返し行わなければいけないということです。

そうしているうちにその人の心境というのが少しずつ高まってくるのです。
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弘法大師の「般若心経秘鍵」について書かれた本を読んでください。


お経はその内容を理解することも大事ですが、読誦(読み唱えること)が大事です。
なお般若心経は仏教の精髄を説いたお経であると言われています。
以上、参考までに。
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実は私も知り合いの霊能者の方に「般若心経」をあげるように言われました。

私の場合こうです。
まず、冒頭の「仏説」をはずして、「摩訶」からはじめてくださいということと、「○○家のご先祖様、どうかご無礼をお許しください。この場を借りて般若心経をあげさせていただきます。」と言ってから読経して下さい。一回でいいですと言われました。私はそれと同時に神棚を家に設置し、先に神棚にお供えと合掌してから(これも手順があります)、上記のような手順で読経していました。何ヶ月か経ってその霊能者の方に「もう成仏されてますよ。」と言われました。それ以降は「あなたが読経したいなと思ったときにしてください。」と言われました。その方曰く、「お経は霊界の方にとって食事です。」とのこと。また、別の霊能者の方に食事というのは?と尋ねたところ、「贈られたもの(この場合お経)はやっぱりありがたくいただいちゃいますよ。そういうことじゃないですかねー。」とおっしゃってました。ぴんとくるようなこないようなという感じですが、ある文献には、地上で最初に生まれた言葉はサンスクリット語らしいと。般若心経はサンスクリット語(梵語)で表現されています。漢字は当て字らしいです。つまり霊界と地上の人間との共通語が実はサンスクリット語であるといことらしいです。生きているときに知らなかった生命とはなんぞやみたいなことを、成仏できていない霊に般若心経で話しかけると共通語だから理解が早く「あーなるほど!」と気づき、こんなとこ(地上)で幽霊やってる場合じゃないよと目覚めさせてしまう効力があるということでしょうか?
ちなみにサンスクリット語で自動書記(霊界からのメッセージをその人の意志に関係なく手が自動的に動いて書き綴っていくこと)をしている海外の方もいらっしゃるそうです。お役に立てば幸いです。
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No.10さんの書かれているのは、空海が著述した「般若心経秘鍵」という著書による考え方です。

日本では「空」が解釈の主流になり、あまり重要視されませんでしたが、ボクもこの考え方のほうが近いように思っていますし、個人的に好きです(笑)。
ちなみに、参考URLをクリックした先に書かれているのでしょうが、「般若心経には仏教の全てのエッセンスが含まれている」と空海は説きます。確かに、その解釈に基づけば、「ひとこと宗派別エッセンス集」的に読むことが出来、大変面白いです。不謹慎ですが(笑)

さて、経典の意味的なことは出尽くしているところだろうと思うので、別アングルから(笑)

・読誦(読むこと)の功徳について

もちろん「(経典の編纂者にとって)自分の思想はこれだけ功徳満載なんだ」というPRとして(笑)「この経典を読むとこれだけ良いことがあるんだよ」という文句(「流通(るづう)分」といいます)がかかれてある場合が多く、般若心経においても、日本で一般的な翻訳とは別バージョン(つまり中国で何人かの人間が翻訳しているということです)にはその「流通分」があるものも存在します。
PRの部分は除くとして(笑)、「くりかえし読む」事で今まで理解できなかった本質をひとつずつ理解できるかもしれない、というメリットはありますね。
一度読んだだけでは上っ面しかわからない。それを「くりかえし読む」事で少しずつ理解していく…そういう意味でのメリットは確かに存在します。

・「声に出して読む」必要性

黙読ではなく、「音読」であるほうが、より効果的に脳に吸収される…という実用的な効果はもちろん期待できます。
しかし、それ以上に、「音」は宗教的世界をイメージ的に形成するツールとしての役割を担わされた、という考え方は成立します。
日本ではこの考え方が若干希薄になってしまいました。それでも「声明(しょうみょう)」という学問としてちゃんと仏教の中に「仏教音楽」の科目が成立しています。真言宗や天台宗では特に盛んです。ちゃんと音楽になっています(笑)。シンバルやドラに近い楽器、ハンドベルのような鈴(りん)もあるんですよ。
もちろん、本国インドや中国では重要視されていますし、末期仏教をほぼ忠実に移植したとされるチベットでは、かなりの数の楽器も登場します。

これには二つの側面が存在します。
ひとつは、民衆へのPRのため。
経典そのものを音楽に載せ、更にそのメロディーを「癒し」のベクトルに持っていくことで、信者(あるいは信者になろうとする人)に安心感を与える、あるいは荘厳なイメージを与える…そういう目的は少なからずあったと思います。
もうひとつは、修行者自身の身体的変容をもくろむ「道具」として。
これは最近になって科学的にも実証されています。ある特定の音を聞くことで、あるいは体内から響かせることで、アルファ波を導き出す…的なアレです。
グレゴリオ聖歌にも、日本の読経にも同じように脳波を変化させる要素があるといわれています。

釈迦の仏教がどのようなものであったのかについてはいまでは諸説ありますが、少なくとも釈迦がたどり着いた「境地」が、あるいはそこにたどり着くまでのプロセスが難しすぎることが仏教を縮小させていき、ついにインドでは滅びてしまった間接的な要因であったといわれています。
数ある宗派やその思想が生まれた背景には、「そこにたどり着く」ための実践的かつ「少なくとも釈迦より合理的」な方法が数多く編み出されました。
その中で「音」の要素は欠かせなかったのでしょう。

・なぜ「読むと徳がある」という記述がされるのか?

上記のことを全部在家の人間(つまり仏教についてくわしく知らない人間に)に説明しようとするのは、無理です(笑)。
少なくとも膨大な時間を必要とするでしょう。

それでは、仏教を信じる人間はほとんどいなくなってしまいます。
そこで「糸口」として「ほら、このお経にはこんなにメリットがあるんだよ」と書くことにしたんです。
で、「読む」とか「聞く」という習慣が出来れば、次第に意味について興味を持ち始める。そうすることで「理解」するきっかけを作った…そういうことだと思います。

・経典の読誦が「供養に使われる」理由

これは平たく言うと「代読」です。
つまり、「読むことによって功徳がある」のなら、故人に代わって読み、「故人の功徳を増す」という理由付けによります。
お払いも一緒。「憑きもの」があるのだとすれば、それは「成仏できずに迷っている」のであり、少なくとも「成仏できるだけの徳」を持っていないが故に迷っている…という考え方が成立するので、「聞かせてあげる」事で、少なくとも「憑きもの」が成仏できるような環境を作ってあげよう…という事です。

ご要望なので霊視の真偽・是非は問いません(笑)。

ちなみに経典には「読む」「書く」「聞く」の3つの供養の方法があります。基本的には「自分のため」ですが「他人の為」に行うことが可能。これが「布施」です。
普通「法を施す」は僧侶の仕事とされていますが、一般人がやってはいけないという法はない(笑)。
朝夕のおつとめ、というのはこの「在家の人間が故人の徳を増すために行う布施」であると考えることが出来ます。

・お経って、何?

宗教学的には「釈迦の言葉」、歴史学的には「釈迦の弟子たちが編纂した釈迦の語録」ということになります。

が、きっとそういう話ではないでしょう(笑)

釈迦自身は、何も書き残していません。
しかも「対機説法」といって、人により、その教え方をアレンジしていたと言います。
つまり、弟子10人が、ヘタをするとみんな異なる「教え」を聞いていた。
(おそらくその根底にあるものは一緒だったのでしょうが(笑))

残念ながら釈迦は「自分と同じ悟りにいたる方法」はその人に合わせて説いていたのですが、「同じように悟りに至る方法を他人に説明できる人」…つまり次世代のリーダーの育成をすることなくこの世を去っています。
なので、釈迦の死後混乱が起こりました。
釈迦の弟子たちが集まって、釈迦の教えを整理した…これが「第一次結集」とよばれ、このときに原始仏教経典が成立したといわれています。更に後、各自独自の解釈を加え始めたので二度目の経典整理が行われます。これが「第二次結集」です。ここまでを「小乗仏教」と呼びます。
ただし、ここまでの過程では「弟子」は自分たちの修行の指針としてのみ経典を利用し、それが一般に説かれることがなかったと言われています。
そこで、現実的な問題が発生してしまいます。

インドでは(世界的に宗教というものはほぼ同じシステムで成り立っていますが)修行者のその考え方や実践のポリシーに賛同した一般人(信者)が、その修行者が滞りなく修行を行うために必要なもの(食、衣服、場所)を提供し、さらにその教えを聞くことで自分たちの知識としていく、という仕組みがすでに成立していました。
「一般人に仏教の教えが説かれない」ということは賛同者が集められないということであり、修行をするための衣・食・住を確保できないということになってしまいます。
それらは、数少ないその「仏教の修行者を保護するグループ」(「大衆部」といわれます)にのしかかり、そのグループも限界を感じ始め、既存の修行者グループに反発するように、仏教の民衆化運動を始めます。
これが「大乗仏教」の始まり。日本に来ているものの大半はこのムーブメントの中で作り出されていったものです。

「釈迦の形式を取るのではなく、釈迦の精神を取る」という動きだった…といわれています。
であるが故に、「釈迦の精神」は、受け止め手によって数々の解釈を生み出します。それが更に地域的に広がり、おのおのの地域で独自の発展をしていった…そういう経緯があります。

したがって、現在の仏教が釈迦本人によるものだということは考えにくく、かつその思想的にも、釈迦本人のものとは枝葉で異なる…宗派対立の根拠になったりします(笑)

話を元に戻しますが、お経を「釈迦本人の云々」という意味合いではなく、釈迦の価値観に誘発されて作り出された哲学であったり、実践であったり…そのように考えると、お経には絶大な意義が存在します。
恐らく釈迦の思想のエッセンスはどの経典にもちゃんと残っていて、そこに実践的な肉付けが(個々の発想の元に)されているのだから、(もちろん選択方法によりますが)その内容を理解し、実践することにはちゃんと価値があるでしょう。
人生のプラスになる、何かが。
それが「生きている人間」に価値を提供するだけではない…という拡大解釈が、「霊視」の処方としての般若心経読誦だったりする…と考えるとわかりやすいかもしれません。

長くなってごめんなさいm(__)m
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 般若心経は空が主題ではなく、般若(智慧)が主題です。

そして般若心経におけるその般若とは、「ギャテイの咒」、つまり真言です。
 普通「般若心経」と呼び習わしていますが、インドの原本には「般若波羅蜜多心(プラジュニャージャパーラミータフリダヤ)」で結ばれ、「経」を意味するスートラムという言葉は記されません。元々、般若心経はフリダヤ(心)であって、経ではないのです。フリダヤはインドでは観念的な“ココロ”でなく、肉体的なるココロ。つまり心臓を意味する言葉です。心臓はまさに開こうとする蓮花の形を表すことより、仏性の象徴とされ、生命のシンボルです。そこより転じて、“瞑想の際に唱える聖なる詞”つまりマントラと同じ意味で用いられます。このマントラとは真言・咒と訳されますが、「般若心」つまり般若波羅蜜多の咒とは、「ギャテイ ギャテイ…ボウジソワカ」の部分であり、これが主題であり、この以外の部分はその修行実践によって得られた境地を述べているのです。そして、この真言を唱えるという瞑想修行の実践により、「一切の苦厄を度する」からこそ、唱え続けられたのです。
 つまり、般若心経は古代インドのおける「般若波羅多の咒」に対する信仰が基礎となっており、この真言を繰り返し唱え続けるという瞑想修行の実践者が「観自在菩薩」です。観自在とは観法(瞑想のこと)が自在なる修行者であり、この観法によって最終的には「空」の境地に入られたのです。そしてこの咒を唱える自身こそ「観自在菩薩」でもあるのです。
 ちまたの般若心経解説本には心経成立の前提を無視し、「こだわりの心を捨てるお経だ」などという珍説や、仏教語を用いたエッセー集にすぎない物がほとんどです。心経は決して文字面だけで意味内容を学ぶ物でなく、修行実践によって体得する物です。それにより最終的には一切の平等性を認め、愚かな考えに惑わされない境地に立つのですね。であれば、亡くなった人に経を唱えることも、その実践によって死者の真の姿を「仏」と観る。であれば生きているすべての人を、生命を、宇宙を「仏」と観る。まさに成仏が立証されますね。

密教21フォーラムHP「『般若心経』のほんとの意味」
http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_ …

参考文献
『般若心経秘鍵入門』(大覚寺出版部・村岡 空)
http://www.sagagoryu.gr.jp/jpn/shop/hiken01.html

『真釈 般若心経』(宮坂宥洪:角川ソフィア文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043760 …

『密教瞑想から読む般若心経―空海・般若心経秘鍵と成就法の世界』(越智惇仁<高野山大学教授>:大法輪閣)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804612 …
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補足すると



インド人も中国人も、自国の言語でお経ができているわけです。
インドからお経を持ち帰って、翻訳するのが中国人なのです。
日本人は中国語を妙な日本語読みをするのがほとんどです。
例えば、ラテン語で書かれた聖書を無理矢理ローマ字読みしてありがたがっているようなものですね。

日本の神道や、それ以前の古代宗教は、ご神体は「空」というか、実態が無いのです。娑婆的ではないというか。
お経も意味ではなく、誰が読んでも同じ意味として受け取られるような実態のある文章よりも、謎めいた漢文?調のお経のスタイルがありがたいのでしょう。

本来は、日本語の現代文に翻訳してもいいのです。それを誰も求めていないだけなのです。

法律の文章も同じです。最近はひらがなになってきていますが、やはり娑婆っぽくないカタカナ調は長く愛されてきました。

お経=自らを聖なる精神に近づけるための漢字&サウンドというものです。
大勢の人が長い時間愛し続けてきたということも、その効用を保証しています。
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 ご質問にあるとおり、般若の智慧は大乗仏教の空の思想を説いています。

が、一般民衆には難しすぎてよくわからない。「何が書いているのかは知らんが、とてつもなくありがたいことが書いてある。何でも悪魔(本来の意味の悪魔は煩悩だと思いますが)に侵されないということらしい」ということで、日々の読誦経典として、ご祈祷の経典として、また身につけるお守りとして民衆にも親しまれてきました。大乗仏教のエッセンスであるゆえに字に書くだけで、声にするだけで、また字を見るだけ、身につけるだけでも不思議な力を持っていると信じられてきたわけです。般若心経や金剛般若経、また真言宗などで読む理趣経(般若理趣経)等の般若経典は日頃読む経典とされています。また大般若経600巻は転読法要でパラパラとめくられているのはテレビか何かで見られたことがあると思います。あれも般若経典ゆえに行われていることと思います。先祖供養でも仏教のエッセンスですから亡者に説いて聞かせるて速やかに六道を離れ、悟りを得る、また極楽に往生できるとされたのではないかと思います。
 法華経にも一字を書き写すだけ、持っているだけでも功徳があると書かれています。日蓮上人は南無妙法蓮華経とお題目を唱えることだけで妙法蓮華経=法華経に守られると説かれたわけです。
 
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 みなさんお詳しいこと、たしかに親しくして頂いていたある高僧からそんなことを聞かされたことがありました。



 色即是空、空即是色はともかく、般若心経は比較的分かりやすく覚えやすく、馴染みやすいお経、これを唱えたり写経をすると、とても気持が落ち着いたり、澄み渡った気分に浸ることもできるものです。

 そうした人の内面を浄化し、ある意味で精神を強化するといった面で、こうしたことは効果がありそうだし、除霊などといった目的の曖昧さを理由に無下に否定することもないと、わたしは考えます。
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般若心経は、般若経という経典グループの中から抽出したお経です。

仏教の教えとしては、魅力的な抽出文ですが、退魔の効果などあろうはずがありません。般若心経自身の意味を考えれば、自称霊能者が、般若心経を使い、霊の存在を認め、祓う?事自体が、矛盾しています。

文章で書くと、般若心経の大意が伝わりにくいですが、観世音菩薩が弟子のシャーリプトラに「森羅万象、永遠不滅に存在するものはなく、固定的な実体はない」事を教えています。

先祖供養で詠唱されるのは、儀式的な意味合いが強くなっていますが、好意的に考えれば、先祖の死生を通して、生人が諸行無常な世界の真理を思い巡らす側面もあるとも言えますね。それが意義とも言えるかも知れませんが、無感動に無自覚に唱える事に何の意義もないと思います。

あなたに憑いているという蛇ちゃんが、サンスクリットの漢文訳の羅列である般若心経を聞いて、世界の真理を感得してくれるのなら、写経する意味も大いにあると思いますが。
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あと、仏教について捕捉しておきたいと思います。



仏教には、釈迦の教えの根幹を現していると言われる3つの教えがあり、その3つの教えを「三宝印(さんぽういん)」と言います。
釈迦の教えは多くありますが、全ての教えには、その三宝印のどれか1つは含まれていると言われます。
三宝印は、釈迦が直々に説いたものではなく、中国の学者らがまとめて命名したものではあるのですが、実に良く仏教の根幹を示しており、仏教を語るには避けては通れない重要な教えです。
つまり、三宝印とは何であるのか?そして、それぞれの教えの意味するところを説明出来ないならば、その団体は「仏教ではない!」と言い切っても良いのです。(良く言って「異端」、悪く言えば「邪宗・邪教」のたぐいです)
マトモな団体では、出家者だけではなく、熱心な檀家(信者)であれば知っていますし、ちゃんと説明も出来るものです。

さて、先方は「蛇に憑かれている」とか、「お祓いをする」とか、「般若心経を書き写せ」とか言っておられる様ですが、一度、この三宝印について質問されてみてはいかがかと思います。
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この回答へのお礼

霊視をしてくれた人は、お経のことはよくわからないのだけれど、でもよく効くのだと言ってました~。単なる道具として使ってる感じに聞こえました。だから効力あるのかなぁ?っておもったんですが・・・。内容を理解できないお経に効力は無いっていうのは、確かに当たり前のことですよね~。
波長同通ですか。。。うぅ(>_<)
ありがとうございました!

お礼日時:2005/08/01 23:37

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Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

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 左肩と右肩には、どちらに先祖霊がついて・・・などあったと思いますが、左肩は何がつくのでしょうか?

 3日ほど前から、貧血のように目が回ると言うより額を中心に回っていて、とても具合が悪い状態が続いています。
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Aベストアンサー

個人的な経験ですが、幼少期から霊感などが強く、人の未来なども見えます。

経験的には、左肩が痛い時は、余り良い場所にいない時が多いです。
横になっていて悪い霊が入ってくるのは、大体足元から入ってきます。
自分を助けてくれたりする、良い霊の場合は頭から入ってきます。
両方とも無重力状態になり、入ってきた場所から痺れてきます。
子供の頃はなすすべが分かりませんでしたが、今では生きている自分の方が強いと言う気持ちで、追い払えます。

因みに、先日ですが、叔母と話をしていて、南東に三つの光を見ました。金と銀を合わせた様な光です。
その光が、叔母の娘たちである事は解ったのですが、方位と、順番と光具合が分かりませんでした。
でも、叔母と話をしていて、三つの光の順番や揺らめき方などを解く事が出来、その後叔母に次々と娘たちから福が舞い込みました。
その時の、私の感覚は息を飲む幸せ、としか表現出来ず、光の強さとその幸福感に、精神的に躁鬱を繰り返しました。
私自身は振り回されて大変でしたが、叔母達には沢山の福が舞い込んだので良かったです。

余談になりましたが、黄色っぽい光なら、悪いものではない気がします。独断になってしまいますが。
自分が酷い目に会う時は、尋常じゃない恐怖感や、現実と夢の堺で襲われたりします。
因みに、先日叔母の後ろから煙が上がりました。昔から何度か見ている、ひいおじいさんの現れ方は、煙が多いです。その時は、右肩から煙が上がりました。

先祖の霊がどちらにつくとか、そう言う事は明確に分かりませんが、自分に着いた時は左肩を、右手で払う事をしたりします。
後は、悪いと感じた者には「負けない」と言う、思いですね。
ただ、幼少期、良く霊が着く時、くるくると視界が回ったのを覚えています。今も、眠っていて金縛りに会う時は、頭の中がくるくる回ります。
状況は違うかも知れませんが、生きている私の方が強い負けいないって思いで、いつもはねのけます。気合いですね。
悪いものなら、負けない!って言う思いが大切ですが、黄色い光って言うのが、少し気になりますね。
良い事が起きる前兆で綺麗な光を見る事がありますので。
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Qお寺で住職に注意されたのですが

4年ほど前、京都の紅葉で有名なお寺に行った時の事。
お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。
(おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか)
で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」
という話をしました。
また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。

すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて
「そういう言葉をみだりに発してはいけない」
という話を15分ほどされました。

そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。

それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。

Aベストアンサー

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民の不幸を」なんて間違えてしまったら、その通りになってしまう という感じ?



表は観光地化していても、仕事上みんなの幸せを願う呪文を毎日お仕事として唱えてはいるんじゃないかと。



日本人は映画を観て「サノ〇ビッチとか」「アス〇ール」「ファ〇クユー」とかみだりに言いますが、それをもしアメリカ人に言ったら、ただじゃすまされない事態になってしまいます。
そういった禁句を、日本人がみだりに唱えているのを見て、アメリカ人は複雑な気持ちなんじゃないかと。
知らないからみだりに言えるわけで、時があっていたら、床に叩きのめされてしまうでしょう。

これが言葉の力の恐ろしいところ。


良い呪文であっても、厳かな言葉をみだりに使うってのは、価値を認めていないってことになり、、、、
例えば古代バビロニアあたりでは、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エルとかエールって神を代名詞で呼んでいたんですね。
意味は「我が主」。

ユダヤ人もそれにならって、エルと表記していたのですが、大贖罪をするときは大祭司は神を呼び出すために、神の真名を唱えていたらしいです。
7年に一度後継者に神の本当の名前を教えていたのだそうです。

一般人や他の聖職者にどうして教えなかったのかというと、その言葉をみだりに使われないためと、敵に名前を知られると、神が呪術で呪われてしまうから。



日本も昔<諱>というものがあったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

<これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。>

遠山の金さんは、遠山金四郎景元が本名で、景元が諱。つまり景元が本人の本質を表した文字なので、親とか上司しか知らなかったってわけです。
敵に知られると、呪術で支配されてしまうと信じられていた。


ってことで、この文化の人たちが信じていることを部外者の人がみだりに使うって、よくないんじゃないかと。
例えば、日本人は子供をみて「かわいいなぁ」と左手でなでたりしても問題ないですが、インドでそれやったら、親は烈火のごとく起こる。
文化の違いで、あっちではとんでもないことになるわけです。

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民...続きを読む

Q般若心経と法華経と先祖供養について

主人の実家が立正佼成会を信仰しております関係でお寺
さんと縁が切れてしまいました。
両家を祀るので私の親の位牌も入れてますが、全部自分達でお経から法事もするのですが、別居ですし信仰宗教自体に抵抗のあった私は一切活動をしてない状態です。
細木数子さんによると、嫁の実家の位牌も仏壇も持ち込んではいけないとありますが本当でしょうか?
般若心経がいいと聞きましたので、そのつもりでおりましたが
法華経の如来寿量品 第十六 
が、最大の功徳の品とされているそうで、唱題の
  南無妙法蓮華経   81画
厄を払い吉を積むと考えられているそうですが、実際の所
どちらがいいのか迷っております。
こじつけてしまえば般若心経はご先祖のために、法華経は
自身のためにいいような気が致します。
今の所どの宗派も関係ない自分だけの信仰ですので、いっそ両方唱えてもいいでしょうか?
今の所立正佼成会の総戒名が入っているだけでご本尊様が
ありません。
細木さんによると、仏壇には宗派は関係ないらしく、観音
様がいいという事ですが本当でしょうか?
私としましては、全宗派のご本尊さまがいらっっしゃる
曼荼羅がいいのではと思ったりしております。

市販のお経を吹き込んだテ-プ等がありますが、それを
流して練習しながらでも効果がありますでしょうか?

全くの無知で笑われるかもしれませんが、何とか自分なりに先祖供養がしたいと思っております。
仏さまに作法上失礼になりますでしょうか?
教えてください。宜しくお願いいたします。

主人の実家が立正佼成会を信仰しております関係でお寺
さんと縁が切れてしまいました。
両家を祀るので私の親の位牌も入れてますが、全部自分達でお経から法事もするのですが、別居ですし信仰宗教自体に抵抗のあった私は一切活動をしてない状態です。
細木数子さんによると、嫁の実家の位牌も仏壇も持ち込んではいけないとありますが本当でしょうか?
般若心経がいいと聞きましたので、そのつもりでおりましたが
法華経の如来寿量品 第十六 
が、最大の功徳の品とされているそうで、唱題の
  南無妙法...続きを読む

Aベストアンサー

曹洞宗の僧侶です。
基本的にお経は”まじない”でも祝詞でもありませんから、先祖供養用のお経ないしは先祖供養向けのお経というものはありません。お経を読むこと自体に功徳があるのですが、それは最初から「何々向けの」と決まっているわけではありません。お経を読んだ者が、先祖の菩提が円満であるようにと「回向」(振り向ける)ことによって、お経の功徳が先祖供養に向けられることになります。
ですから、般若心経でも法華経でもどちらでもかまいません。両方読んでもかまいません。

細木数子さんは、ある仏壇店とタイアップして相談者に仏壇を売る商売をされているので、その商売に都合の良いことを話されているようです。
細木さんが言うところのお墓や仏壇、位牌などに関するタブーには、なんらの根拠もありませんし、実際にそのようなことはありません。

ご本尊様さまについては、momochan0407さんがもう少しご自身の信仰を深められてから、その信仰に即したご本尊さまをお迎えされることをお勧めします。
曼荼羅には確かに数多くの仏様が描かれていますが、それが即「全宗派のご本尊さまがいらっしゃる」ということにはなりませんので、注意が必要かと思います。

お経を読むことは、それ自体がすでに功徳ですので、効果がある・ないという事とは無関係です。

曹洞宗の僧侶です。
基本的にお経は”まじない”でも祝詞でもありませんから、先祖供養用のお経ないしは先祖供養向けのお経というものはありません。お経を読むこと自体に功徳があるのですが、それは最初から「何々向けの」と決まっているわけではありません。お経を読んだ者が、先祖の菩提が円満であるようにと「回向」(振り向ける)ことによって、お経の功徳が先祖供養に向けられることになります。
ですから、般若心経でも法華経でもどちらでもかまいません。両方読んでもかまいません。

細木数子さんは、...続きを読む

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q般若心経の意味が、よく理解できません

こんにちは。よろしくお願いいたします。
般若心経を一日3回ほど唱えております。簡単な意味は理解し唱えておりますが、、よく理解できていません。ネットで調べるのですが、、、。
「色は空であり、空は色であり」、、、実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。などと、、、。

全体的にはイメージは出来来ているのですが、、、。この世のすべてのものは何もない空であるという意味なのでしょうか?苦しみをなくす修行法もありません。。。というのは、「考えて悩むこともない」といういみでしょうか?

最初は、仕事や人生で悩んだときに唱え始めて、2年ほどなります。
もっと理解したいので、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私は、仏教、日蓮宗系の宗派、日蓮正宗の者です。
経は、法華経、日蓮大聖人様の書文、帰依を三大秘法の久遠元初の仏。
根を三大秘法とし、それなくして、僧侶(お坊)も経も書文も無意味とされる宗派です。

私なりの「回答させて」いただきますが、絶対に正しいということ自信は持てません。

私が少ない期間ですが、修行して感じた「空」というのは、かなり深いものと感じます。感じることは、容易ではなく、体験を通し、感じるものだと思います。だから、感じることなくして、「空」という説明を聞いても決して悟ることは不可能ではないかと思います。
傲慢になっていますね。あくまで私が感じた空というものです。

空の説明に入る前に、余計と思われることを書かせてください。

仏教とは、成仏、つまり、仏様に成るということです。
法華経を初め、諸経では、釈尊が、普通の人からすぐに仏に成ったという訳ではなく、数多くの修行やその生まれた人物や人生において修行をし、数々の悟りや、上級の教えや修行に巡り成仏されたとされています。

成仏するということは、私が解釈する限りと実感を通す限りでは、内在する仏性を開花、強めるということだと感じています。

知識や技術等を身につけ、成仏に至るのではなく、自分に秘められた仏性を開き成仏する。
しかし、その開きも徐々にしか開かないものとだと感じています。

ここから、空についての説明です。
人は、感覚を持っています。その感覚には、3つがあると私は感じています。
1つが攻、2つ目が恐怖、3つ目が、禅定なる幸です。

人は、傷つけら時、怒ったり、、憎むことがあります。これが、攻撃なる感覚です。
また、傷つけたれた時に、絶望や、深い悲しみ、苦しみ、恐怖となることがあります。これが恐怖です。

この攻と恐怖では、決しては、救われることはないと私は感じます。
攻の行動をすれば、誰かが傷つき、攻か恐怖を感じます。
恐怖では、自分がどんどん生気を失い、苦しみ喘ぎます。

この攻と恐怖というのは、要は、傷つけたれたこと(感じたこと)に対する反応です。
この感じたことに反応するということは、簡単に変えることは無理かと思います。ただ、それに基づいて行動はしないという「制御・我慢」という行動はできると思いますが。

この傷つけらたこと、上記で()で感じたこと、いろいろな感覚器官を通して感じて、攻・恐怖は発する訳です。


冷静に考えると、感じて、自分の感性が通し、攻・恐怖、哀れみ、哀しみ、救いの念が生じるものです。

空の第一として、攻・恐怖といういった決して救われることの無い感覚を消滅させ、哀れみ、哀しみ、救いといった仏の感性を生じることです。

ここで言う、空とは中道です。つまり、攻でも、恐怖でもない。冷静であり落ち着きがあること「禅定」です。クールとかそういったものではありません。感情はあっても、激情ではない感覚といいましょうか。
感じたことが無い人には理解認識し難いものかと思います。

そうやって物事を禅定になり、見ていくと、なんとなく、色と空というのが分けられてきます。
色とは、目に見えることです。私は、色よりも、「仮(け)」と言う方がしっくりします。
色、つまり、目に見えるものは、因縁によって生じます。
仏性を開いていけば、仏性が徐々が現れるように、
愚行をすれば、どんどん心が荒れ果てていくように
行動(因縁)によって、色が生じきます。

とは、言え、人間が条件に応じて結果生じることを、絶対的な法則として捉えるには限界があります。すべてが法則として存在し、その法則を把握し、その法則に基づいて何でもこうなると言える人はいないでしょう。

なんで、日本に生まれ、貧しい国に生まれる人が存在するのか、それは「運」というしか答えを出せないのが人間です。「運」と答えを出す以外にできないのが人間で、それが上記に書いたすべてのことにおいて法則に基づいてこうなると言えないと書いたことの説明です。

物事を禅定を持って追求し、攻・恐怖、快・不快というものに囚われず、終わることの感情・感覚を逸脱し、捨て、生きる活気に生ずる捉え方をしていくと、この肉体さえも、色であると感じてきます。たぶん、私は、死んでも、空としての存在は残り続けると。

>実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません

と言われるのは、かなりの功徳があり、禅定を持って悟る境地対して言われたことと存じます。
高い功徳を持った人は、仏教の話を聞いて、実感悟り得ることができると思います。私は、対して功徳を持っていなかったので、苦労を重ね、実感悟り得たことが多々あります。

このことについて日蓮正宗の宗派の解釈によりますと、釈尊時代は、正法と言い、今の時代は末法といいます。何が違えば言えば、仏教を聞く者の功徳の高さ・低さです。正法は、功徳が高く、末法は、功徳が低いとされています。功徳が高い=仏様に近いということを意味します。また、機根も同様にして、機根が低い=仏様に遠いということを意味します。

正法の者たちは、その前世及び過去世において功徳を得た者です。ですのえ、仏教にめぐり合えばこそ、その教えが知識ではなく、実感や道理として存在するという実感の元に悟り得ることができるものと思われす。

末法の者は、修行をせずに、功徳が低いく、禅定なる心がなく、攻・恐怖、快・不快、自尊心、卑下、得が好であって、嫌が排除となる感覚が強く、禅定なる心を持って、静かに考え、道理上に実感することは不可能とされています。

さらに、正法の時代に生まれ、(華厳)阿含、方等、般若というように、衆生の功徳に応じて得を積むように説かれています。
般若の教えを悟り得る衆生に対しては、
「実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません」のが解ったのだと思います。

以後、蛇足です。
私の読んだ宗派の教書では、
小乗の空を、肉体は色、魂は空というもの。これによって輪廻を解脱できるとされるという考え
大乗の空、般若の空は、物事の攻・恐怖ということの拘り、執着を捨て、禅定を持って、落ち着きを持って、真実・実相を悟るというもの
法華経の空?というか、法華経では、三諦円融(さんたいえんゆう)と考えがあります。「一念三千」、「十界互具」という考えとかなり関係があります。

簡単に言うと、一人の人間(あるいは存在)の中に、仏性、菩薩、縁覚、声聞、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄という10の世界があるとあれています。世界という言い方が適切とは思いませんが、界では、伝わりにくいと思うのでそういった表現にしました。

上記に書いたように、仏性を開く修行をしていけば、仏様に近づき、餓鬼、畜生、地獄に落ちるようなことをしていけば、そうのようになるということです。

法華経では、提婆達多という者が出ており、過去において、釈尊(お釈迦様)に法華経を教えた者とされています。それが、釈尊が成仏して、長い時を得て、「事実であれば」今から3000年前に釈尊が仏教を説いた時でも、まだ、成仏しておらず、釈尊の邪魔をしたとされる者です。

話が逸れました。
空を悟り、因縁・徳と業によって色(仮)という目に見える世界、感じる世界が生じる。これは大乗の空と同じです。
法華経では、空も色(仮)としています。
法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)とは、空、仮、中という3つ別れ、
中を成仏、
空は成仏によって悟り得る故に色(仮)として感じる者、
仮とは、空であり、中です。
つまり、
成仏することに、
空を感じ、
空を感じることは仮であり、
仮というのは、成仏の境地
それが、法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)という私なりの解釈です。ここは実感してないところなので、解釈に過ぎません。

最後にもう2つ
人生は、悩み考えるものだと思います。悩み考え、それの本当の苦悩から救われる悟りを得た時に、1つ、人間性(仏性)が高まると感じます。
いくら、修行をしても、悩み考え、苦の因を見つけ、それを解消、救われたいと思わない人に、智慧というものは得られないものだと感じます。

仏性を開花、仏様に近づくことよって、
物事の実相、真理を悟り得る智慧
物事を正しく捉え、考える精神的落ち着きの禅定
物事の苦・救の繋がることを踏まえ、苦に繋がることをしない戒
が身につくとされています。

そして、最後の1つ。
私の宗派の教え上に書いているので、もしかしたら、私の宗派や法華経に興味を持たれるかもしれません。
私は、質問者さんの人生に肩代わりは決してできません。あくまで参考意見として述べただけであって、その正誤、幸・不幸、価値、無価値は質問さんが判断することです。誰かを信じることは裏切られる、騙される可能性があるからこそ、「信じる」という言葉を使うものだと私は思います。
自分の人生の責任を持って人の参考にしてください。
私は仏様ではなく、質問者さんを救える人間かも解りませんから。


長い回答で、誤字、脱字もあるかもしれませんが、
質問者の人生やそれ以上の広域において、何か参考や、ためになれば幸いです。
もし、最後までお読み頂いたのなら、ありがとうございます

私は、仏教、日蓮宗系の宗派、日蓮正宗の者です。
経は、法華経、日蓮大聖人様の書文、帰依を三大秘法の久遠元初の仏。
根を三大秘法とし、それなくして、僧侶(お坊)も経も書文も無意味とされる宗派です。

私なりの「回答させて」いただきますが、絶対に正しいということ自信は持てません。

私が少ない期間ですが、修行して感じた「空」というのは、かなり深いものと感じます。感じることは、容易ではなく、体験を通し、感じるものだと思います。だから、感じることなくして、「空」という説明を聞いて...続きを読む

Q般若心経 と 魂の浄化

最近は"アセンション"が話題になっておりますが、2012年に実際に起こるかどうかは別にして、魂の浄化、霊的向上に興味を持ちました。
いろいろ調べたところ、

1。肉食を避けて菜食にする。オーガニックな物を食べる。
2。たばこ、アルコールなど血液を汚すものは避ける。
3。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。心がワクワクすることをする。
4。エゴを捨てて他者を愛する。
5。先祖、両親に感謝、神様に感謝する。

などがありました。これ以外に、毎日できる個人的な修行として、"般若心経"を唱えたいと思っておりますが、そこで質問があります。

1。般若心経は魂の浄化に効果がありますか? 他のお教、たとえば、
日蓮系の宗教団体が毎日唱えているお教なんかとはどう違いますか?
2。読経と写経はどちらが効果がありますか?
3。真言(たとえば"光明真言")や神道系の祝詞と般若心経などのお教とではどちらがいいでしょうか?(あまりあれもこれもやりたくないというか、ひとつに集中したいので。)

ほかに 霊的向上に役立つ方法がありましたら教えてください。
あくまでも宗教の偏見なく、個人的にできる方法を探しています。

よろしくお願いいたします。

最近は"アセンション"が話題になっておりますが、2012年に実際に起こるかどうかは別にして、魂の浄化、霊的向上に興味を持ちました。
いろいろ調べたところ、

1。肉食を避けて菜食にする。オーガニックな物を食べる。
2。たばこ、アルコールなど血液を汚すものは避ける。
3。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。心がワクワクすることをする。
4。エゴを捨てて他者を愛する。
5。先祖、両親に感謝、神様に感謝する。

などがありました。これ以外に、毎日できる個人的な修行として、"般若...続きを読む

Aベストアンサー

質問者さん、こんにちは。
わたくし、38歳、男性です。

毎日できる個人的な修行、いいですね、ポジティブで。
読経の醍醐味はいろいろ有ると思います。
よく呼吸法は肉体、精神に良いと言われますが、これは内蔵のリズム的な運動が交感神経や副交感神経に作用する(科学的な詳細は詳しくないです)とあります。ちゃんと声を出してお経を読むのも、これと同じ理由で精神的、肉体的に良く作用すると思います。

お経を味わうのには、(1)意味の理解に努め教養を深める、(2)肉体的な行動を通じて仏教を実感する、の2つがあると思います。

般若心境は、簡単に言えば、「世の中おんなじだよ!」ってこを説いていますので、これは現代生活に応用しますと、あまり欲張るな、嫉妬するな、みたいな考えを持つのに役立ちますね。

日蓮宗の法華三部経は、詳細は知りませんが「宇宙の法は一つ、成佛の遅速」ということですので、親和性や包容力のある考えを説いているのかもしれません。浄土宗のお経などは、お釈迦様や菩薩さんに対する感謝の気持ちや、極楽往生した望みを唱えた内容です。真言宗はお経の唱え方がサンスクリット語に近いので、我々初心者が内容を体得するのは難しいのかもしれません。

質問者さんが内容を吟味してみて、一番いいな、と思うお経でやられたらどうでしょうか?仏教の基本として、「排他的でない」といういい点があります。
あとは、楽しんでお経に向き合えるか。

参考になりましたでしょうか?

質問者さん、こんにちは。
わたくし、38歳、男性です。

毎日できる個人的な修行、いいですね、ポジティブで。
読経の醍醐味はいろいろ有ると思います。
よく呼吸法は肉体、精神に良いと言われますが、これは内蔵のリズム的な運動が交感神経や副交感神経に作用する(科学的な詳細は詳しくないです)とあります。ちゃんと声を出してお経を読むのも、これと同じ理由で精神的、肉体的に良く作用すると思います。

お経を味わうのには、(1)意味の理解に努め教養を深める、(2)肉体的な行動を通じて仏教...続きを読む

Q浄土真宗では、般若心経を唱えていけない理由

母方の宗旨が浄土真宗なのですが、般若心経は唱えてはいけないと聞いています。なぜダメなのでしょうか。

Aベストアンサー

jun95さん、今日は。

私が調べてみた所では、智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の
教えは、一切の計らいを捨てて、阿弥陀如来の力に任せて、其れに因って救われる、という物だそうです。

従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/

Q般若心経はすべての宗派でもよいと思っていたのですが…

日蓮宗だけはちがうのでしょうか?
写経を納経したいのですが…

そして~
法華経を写経したいのですが、日蓮様が祭られている、〈例えば池上本門寺など〉でお経を購入できるのでしょうか?

Aベストアンサー

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典を称えます。また日蓮宗は法華経を根本に据えるはずですね、
それらのお経の据え方の違いの大きくは、その時々の時代背景によるものとだけ申し上げておきます。
ただ、浄土真宗開祖の親鸞上人も日蓮宗開祖の日蓮上人も修行時代はどちらも比叡山(天台密教)に教えを請い、その遍歴の中から衆人の救済のために自らの解釈をお説きになったものと考えます。
お経とはそもそも、釈迦の言葉をお弟子さんたちが書き残したものです。
般若心経は数ある経典のなかでも、人々が生きるための知恵を纏めた大般若経600巻といわれる大経典のエッセンスといわれ、最も短く、もっともありがたいお経といわれています。
もちろん、上記の二大上人も勉強しているはずですし、称えているのは仏教に限らず神道の在家の方々も称えるそうです。
古くは、後奈良天皇の時代、世に疫病がはやったため同天皇が自ら般若心経を書写して諸国の神社に奉納したという話もあるくらいです。
生きるための心理を説いているので何物にも妨げられないということでしょうか・・・
日蓮宗の解釈を理解もせず軽軽には申せませんし、日蓮宗のお寺に納経するのはどうかと思いますが、日頃、般若心経を写経することは構わないのではと私は思います。
また、それぞれの宗派のお経のポピュラーなものはどこでも売っていますが、法華経や阿弥陀経などは大変な量となりますので、功徳を積むには達成感もあろうかと思いますが、よくお考えになってはどうでしょうか。
以上、私の解釈として自信ありでご回答させていただきます。

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典...続きを読む

Q自殺した弟の霊

七年前弟が自宅で自殺しました。
理由や当時の様子などの説明は本題を語る上で必要ないので省略させていただきます。

本題ですが・・・
先日、母が以下のような話をしました。

霊が見える、話が出来るという人のところに行って来た。自殺したことを言うと、
「どのように?」と聞かれ、「首吊りだ」と答えた・・・

「足はつくくらいの高さだったか?」・・・「はい」

「それは、本当は死ぬつもりじゃなかったね、今すご く後悔してる。『お母さん、ごめんね、本当は死ぬ つもりじゃなかった』と泣いている。『お母さん、 大好き』とも言っている。
  自縛霊として、まだ部屋にいる。部屋の、花瓶の 後ろに立っている。成仏できずにいるから、毎日声 をかけてあげて。」

以上がその霊能力者の言った内容だそうです。
私自身、不思議な体験というのはしたことがありますが、基本的に霊を信じていません。でもそのような話を聞くと、やはりもっともらしく聞こえ、本当なんだろうか、やはり後悔しているんだ、と思うとすごくつらいんです。

本当に弟は自縛霊になって、今でも悲しい気持ちを抱えて部屋の中に立っているのでしょうか。本当に霊っているんでしょうか?
私は、弟のために何ができるのでしょうか。
助けてください。

からかいや、冗談半分の回答はご遠慮願います。
  
 

七年前弟が自宅で自殺しました。
理由や当時の様子などの説明は本題を語る上で必要ないので省略させていただきます。

本題ですが・・・
先日、母が以下のような話をしました。

霊が見える、話が出来るという人のところに行って来た。自殺したことを言うと、
「どのように?」と聞かれ、「首吊りだ」と答えた・・・

「足はつくくらいの高さだったか?」・・・「はい」

「それは、本当は死ぬつもりじゃなかったね、今すご く後悔してる。『お母さん、ごめんね、本当は死ぬ つもりじゃなかった』と...続きを読む

Aベストアンサー

 私は、霊や魂の存在を否定はしません。
 (多くの閲覧者や回答者の皆様に対し、最初に言わせていただきますが、霊や魂の存在を信用するかしないかは、その人の勝手ですからここで、議論するつもりはありません。)

 私自身、中学生の頃に原因不明の病気で臨死体験をして、それ以降暫くの間、霊障(?)と言われているものに苦しみましたし、幼少から現在でも気を抜けば、霊や魂、残留思念の様なものを度々見たり感じたりします。
 ただその力が強いわけでも修行をしたわけでもないので、常時見えるわけでも感じるわけでもなく、もちろんその方々を成仏させることなど出来ません。(済みませんが、質問者や他の霊障に悩む方々のお役に立てるほどのものではないのですが。)
 これが私が、霊や魂の存在を信じている理由です。

 話は変わりますが、他の回答者が言われている
   貴方自身が安心したいだけ
とか
   貴方自身が幸せになりたいだけ
という言葉に対して、少し反論というか、言わせていただきたいことがありましたので、加筆させていただきます。
 貴方の弟さんは自殺されたけど、家族の方を恨んでいません。
 特に優しかった貴方に対し感謝していますし、幸せになって欲しいと思っていると感じられます。
 確かに、ヒステリックだったお母様や学校の先生に対しては、恨みや憎しみに似た感情を頂いていたようですが、それが、成仏できないほどのものではないような感じがします。
 ただ弟さんは、自分のことを忘れて欲しくないようですから、結婚されて実家を出られているのであれば、弟さんの写真を飾り、それに毎日水をコップ一杯供えて、近況報告をしてください。それが弟さんにとっては一番の供養になるのですから。
 長々と書かせていただきましたが、弟さんの一日でも早い成仏を願っています。

 私は、霊や魂の存在を否定はしません。
 (多くの閲覧者や回答者の皆様に対し、最初に言わせていただきますが、霊や魂の存在を信用するかしないかは、その人の勝手ですからここで、議論するつもりはありません。)

 私自身、中学生の頃に原因不明の病気で臨死体験をして、それ以降暫くの間、霊障(?)と言われているものに苦しみましたし、幼少から現在でも気を抜けば、霊や魂、残留思念の様なものを度々見たり感じたりします。
 ただその力が強いわけでも修行をしたわけでもないので、常時見えるわけ...続きを読む


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