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宮元啓一『ブッダが考えたこと』を読みました。
それによると、・・

仏陀の時代、仏陀教団は、周りのバラモン達と対立関係にあった。
そのため仏陀は、彼ら敵対者を「悪魔」と呼び、親和的な人を「神」と呼んだ。
敵対者からの迫害に耐えるのが、慈悲であり、本来は難行苦行であった・・、

とのことです。なお、悪魔の概念としては、この他、自然環境(災害)など修行を邪魔するものも含むとしています。

残念ながら根拠についてはほとんど触れられていません。
著書に於いて、そのことについて触れた部分の最初では、「後ほど細かく根拠を言う」としつつ、後の部分では「先ほども言ったように」と書かれていて、結局触れないままで、現在の仏教学を否定されております。これでは分かりません。そこで私なりに、どのあたりを根拠とされているのか、一応の目安を付けてみたのですが、綺麗に割り切れるとも思えず、どうなっているのか、詳しい方の意見も聞きたいです。
前提になる問いが2つと、本題の問いです。

1,まずは、前提。釈尊時代、教団は、伝統的教団からさげすまれ、攻撃される立場でしたか? 確かに或る経典などには、異教に対して手厳しい釈尊ですが、そうでもない要素もありますし、攻撃性が釈尊時代のものであったか、というのをどの経典のどういう部分から根拠とするかが大きな問題となり(同氏の本は、成立論と根拠に一切触れないので結論だけが唐突に出ているのだと思います)、色々難しいと思うのですが、基本ラインのお考えで結構です。

2,神とか悪魔は、人のことと言い切れる根拠をご存じですか?

3,本題。慈悲の概念は、伝統的宗教家からさげすまれた自由思想家が、迫害者へ向けた克服法で、苦行だったのですか? そういう伝統が仏教のみならず、沙門にあったかのような書き方でしたが、何か根拠をご存じでしょうか?

長文失礼しました。お願いします。 

A 回答 (4件)

私は問題の著作を読んでいませんので、回答の資格がないかもしれませんが、質問を拝見した限りで感じる疑問をいくつか書かせて頂きます。




まず、「慈悲」という言葉の問題。
いま現在、「慈悲」は一般に「いつくしみ」「あわれみ」の意味で用いられていますが、「慈悲」として定式化される以前は、よく知られるようにマイトリー(maitri)という言葉が先行的に使われていたわけです。この言葉は、中村元先生らによると「友人」や「親しいもの」を意味するミトラ(mitra)から派生したとされますから、そのニュアンスもやはり、「親しいものへの友愛」というものが主であったと思われます。

また、マイトリーだけが使われたわけではなくて、古い経典には他にも似た言葉が使用されています。例えば、anukampa(同情)であったり、daya(憐憫)などの言葉も多く出てきます。また、しばしばahimsa(不傷害)までもがその意味内容を共有しています。「慈悲」としてひと括りに表現される心情や行為は、実際にはそのような広がりを持ったものとしてあったと考えられます。

これを踏まえると、ご質問にある「迫害に耐える」というニュアンスは「慈悲」からはやはり遠いものです。むしろ、後代に六波羅蜜としてまとめられる菩薩行のなかの「忍辱」(ksanti)に非常に接近しています。クシャンティは単に我慢というだけでなく、“相手を許容する”というニュアンスも持ちますから、この場合にはとても適切な言葉です。
宮元氏の主張する通りならば、「なぜ忍耐を表す適語があるにもかかわらずそれを採らずに、わざわざ意味内容の異なる言葉群が用いられたのか」、そして「後代になってからその意味のねじれが修正されたのはなぜか」という、素朴な疑問をまず解決する必要があると思います。


加えて、「慈悲」という観念は、必ずしも仏教だけのオリジナルというわけではありません。例えばバラモンの遍歴修行者らによっても「一切の生きとし生けるものにあわれみ(daya)をもたらすことで清められる」といったことは比較的早くから主張されていたわけです。
つまり(これも中村先生が強調された点ですが)、言葉はともかくとして、また程度の差はあるにせよ、宗教的に価値のある行為としての「慈悲」の観念については当時の宗教界で一定の共通認識があったと見ることができます。だとすれば、仏教だけがその概念を変質させることは、単に観念の呼び替え以上に困難なことであったはずです。

また、慈悲と苦行といえば、ジャイナ教との関連がどうしても想起されます。面白いことに、ジャイナ教が苦行を重視するのに対して、仏教はそれに替わって「慈悲」を強調した節もあります。
例えば仏教では、「あらゆることがらに関して平静であり、心を落ち着け、何ものをも害することなく、濁りなく情欲の昂まりを増すことのない人、彼は柔和な人である」(Sn515、一部省略)などという言葉からも読み取れるように、「不殺生、自制、慈悲(柔和)」に価値をおいています。一方、ジャイナ教では「不殺生、自制、苦行がダンマ(つとめ)である」といいますから、実践面においての仏教とジャイナ教の相違は、苦行と慈悲のいずれにより重点を置くか、という点にも求められるとも言えるでしょう。となると、「慈悲の中身は苦行であった」という理解は、一層首肯しがたいものとなります。


さらに、忘れられやすいことですが、慈悲の実践の中身として「法を説くこと」が重要であったことにも留意すべきだと思います。説法によって人に真理を説くことはそのまま他者への慈悲の表れであるという理解があったわけです。たとえば、「慈悲を垂れて憐みにより真理を説いてください」(Sn1065)といった説法を懇願する表現が、原始経典から大乗経典に至るまで多く残されていることには、仏教の慈悲の考えの一面がよく表れています。
このことは「迫害を耐え忍ぶ」という理解とは、少なくとも一義的には相容れません。この点についても十分な説明が欲しいところです。


順序が前後しますが、バラモンによって仏教教団がサマナの中で特にさげすまれた、ということも単純に受け入れられる主張ではありません。またまたスッタニパータですが、ご承知のとおり、バラモンが純粋に真理をブッダに尋ねようとするシーンが描かれているところが沢山存在します(455~;スンダリカ・バーラドヴァージャ、548~;セーラ・バラモン、594~;ヴァーセッタなど)。特にヴァーセッタの例は、バラモン間での真理についての論争の調停がブッダにゆだねられているのですから、少なくともこの部分からはブッダが蔑みの対象であったことを読み取るのは困難です。他にも阿含部に似た話は多くありますね。

また実際のところ、サンガに流入したバラモンが相当数いたことは明らかです。
阿含やニカーヤを研究された赤沼智善氏の研究によると、サンガの四衆のうち出身カーストが判明するものは532名、そのうち実に219名がバラモンであったとされますから、バラモンはむしろ比丘の最大の供給母体でもあったわけです。これだけを見ても、「蔑み」という決めつけには慎重を要するはずです。単純にサマナ一般を考えても、現実的には、ある程度の理論的な概念操作のできる層にアピールしたと考えるのが常識的でしょう。


いろいろ書きだすときりがありませんので、若干の疑問のみ書かせて頂きました。回答にはなっていないと思いますが、ご容赦ください。補足がありましたら追加回答(?)はさせてもらうつもりです。

この回答への補足

(続きです)しかし、氏は狭義の意味の仏教学者ではありませんから、おそらく今後、専門書で細かな点について触れることもないと思います(一般向けな割りには、専門家への批判がすごいのですが・・)。ですから、たぶん他に調べようはないのがちょっと残念です。

著作の末尾には、自説の主な根拠として、中村元訳等の原始仏典と、自分の理性をのみ頼ってきたと書かれています。あまり従来の研究を踏まえてというのではないようです。

悪魔=人という根拠には、歴史的事実や経緯から導かれたのではなくて、悪魔の発言内容にあるようです。ご存じのように仏典の悪魔は、なかなか常識的な、もっともなことを言います。結婚して子どもを作るのが親孝行ではないか、とか疲れたのだからもう涅槃に入ってもいいんじゃないでしょうか、とか、その辺のおじさんやおばさんと言うことが重なったりもします。いわゆる悪霊とはイメージが違います。「霊界の悪霊」というのは、幸福の科学の大川隆法さんなどが唱える説ですが、ちょっと仏典を読めば、いわゆるサタンとはかなり違う面があることがわかります。一言で言うと、常識的な面がかなりあります。そこを宮元氏は、仏教への無理解者からの批判と解釈しているのです。

ただし、あくまでも論の順序は、「迫害された仏教教団→迫害者を悪魔と呼ぶブッダ(一体どこにそんな例が?)」とあって、悪魔とされるもの達の発言内容が、世間一般的であることから、悪魔を仏教への敵対者や無理解な一般人のこととする、という論理展開とはなっていません。これではあくまでも推測でしかなく、常識的なことを言う悪魔であるのはそうかもしれませんが、悪魔とは人のことであるとは帰結として導けません。しかし、氏は「釈尊は敵対者を悪魔と呼んだ」という事実として書かれています。対極にある?神については、発言内容の検討もほとんどありません。

補足日時:2005/07/30 03:17
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

著作は読まれていないということですが、インド思想史一般の知識として、示唆されるところが多くありました。ここに書いてあるのは、私の読んだ理解になりますし、文では伝え切れていないことも当然多くあります。個別的な部分についての行き違いはご容赦ください。文責は私にあります。

>また、慈悲と苦行といえば、ジャイナ教との関連がどうしても想起されます

氏の慈悲についての理解は、回答者様と違っていますが、私も古代インドにおける慈悲の概念について論じる氏の根拠には、ジャイナ教との比較が、どこかに介在してるような気はしておりました。ただそのことについては一切?触れていないのでどこで結論を出したのかは分かりません。もともとジャイナ教の苦行と仏教の慈悲とは同じような概念の修行であったと、どこかで結論を出したのかもしれません。

氏も慈悲の概念は、古代インド一般に行われていて、それが仏教に取り入れられたとしてはいるのですが、その慈悲の内容は、これまで書いてきたように、一般的に考えられている友愛的な内容とはかなり違います。ちょっと言葉が足りなかったのですが、耐えるだけというよりは、耐えて迫害してくる相手を許容するという意味で書かれています。それを仏教に取り入れて修行方法とした、というようなことだそうです。おっしゃるように忍辱などの菩薩行を連想させるものですが、原始仏教や自由思想家たちは、常不軽菩薩のように、石を投げつけられ、つばをもって迎えられていたのであろうか、そんな事実がどこから読み取れるのであろうと思っていました(仏教教団のみがとくに迫害されたということではなくて、沙門というのは迫害されたということだったかもしれません)。ちょっと手元にないのですが、バラモン社会から外れる自由思想家という位置づけについては、一応触れられていたと思います。

ただ、生きとし生けるものへの慈悲という側面など他の面は、これでは理解できません。後で変容を遂げたと考えられているのでしょうが、どうお考えなのかは分かりません。こういった本は、研究書ではないし、一般向けなので、その点について書かれていないのは仕方のないことかもしれません。

お礼日時:2005/07/30 03:17

全く根拠無しですね。

本人の与太話でしょうね。
釈尊は、バラモンからもクシャトリアからも一番身分の低い民からもわけ隔てなく弟子にしていることはいろいろなものに残されていますし、事実ですね。バラモンの弟子で大量に人をころしたアングリーマーラさえも弟子にしてますね。あまりに人気があるので他宗の嫉妬から多少のいやみは受けたようですけど、それも一時期のものと気にしてませんね。疫病がはやった時には呪文で多くを救っていますね。慈悲そのものですね。それから、釈尊は、他宗教は外道(本道から外れたもの)といっていますね。悪魔は、マーラにしか使っていませんね。これは霊界の悪魔ですね。まともな渡辺照宏さんの本でも読むと良いですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でも・・・
根拠無しと断じるのは読んでからにしませんか?
言いたい放題の与太話をしてしまうのは、本意ではありません。
そのために、質問を限定的にしているのです。

お礼日時:2005/07/27 11:03

申し訳ありません。

多少勉強して舞い戻ってきました。

>学説を述べるからには残された史料の何に基づいたかを言う必要があります。史料がないのであれば、推測であることを書くべきことで、どうしてそういう推測をしたのかを言う必要があるのです。それがないんです。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book …
(質問者様はすでに読まれたかもしれませんが、)これによれば、宮元啓一氏の解釈の仕方は自らの体験に起因するとの事。
自殺願望があったころに神の声(らしきもの)を聞いたようです。

専門的な知識を持った上での疑問のようですので、私にはこれ以上はわかりません。
浅はかな知識で回答したことをお詫び申し上げます。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。
そうなんです。その体験談を書いてしまったばかりに、彼の論は分かりにくいものとなってしまった恨みがあります。でも、一応、論の流を追っておくと、あくまでもそうした体験は神秘的意味とは別にありえること(否定する材料がないという意味で体験としてあるということ)、そして、「神(仏教世界では、「天」といいますが)」と我々が呼んでいるものには、原語から二種に分けられて、お示し下さった梵天という神は、釈尊に親和的であった人達のことを指した神とは違っていると彼は主張していて、直接的には、自分の体験でもって判別し、神=人間としているわけではないのです。

そちらのURLの読み主は、少し私とは違う読み方をしているようですし、確かに筆者の論は、変なところで体験主義と直観主義を出すのですが、一応分けて考えていて、二つの神(梵天とその他の神)を、別個のものとして捉えてるらしいです。

とはいえ、この人はとても口が悪く、仏教学者を代表する知能の持ち主かもしれませんが、出てくる人出てくる人、みんなバカ呼ばわりされてますが、最後にそのバカの真似をしてしまったような歯切れの悪さがあるのは残念です。ただ、読んでみるとわかりますが、学者として書いておられますが、この人はある意味熱烈な仏教信者だということが分かります。

お礼日時:2005/07/27 10:57

こんにちは。



根拠があまり述べられていないと言うのは当時の仏教の文献が少ないからではないでしょうか。仏陀は弟子に口伝でのみ伝えていますから、たぶん文字としては残っていないでしょう。(他宗教からの視点でなら残されているかもしれないですが…)

>釈尊時代、教団は、伝統的教団からさげすまれ、攻撃される立場でしたか?
当時の宗教はバラモン教でしたから、カースト制を否定したという点で、攻撃の対象となったと思います。
http://members.at.infoseek.co.jp/StudiaPatristic …

>神とか悪魔は、人のことと言い切れる根拠をご存じですか?
悪魔は仏陀の修行を妨げる、「欲望」を象徴とした存在として登場したと記憶していますが…。修行を妨げるという点では、人(や仏教を敵視する他宗教)も悪魔の一部になりえたかもしれません。
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Mara.html

>慈悲の概念は、伝統的宗教家からさげすまれた自由思想家が、迫害者へ向けた克服法で、苦行だったのですか?
『慈悲 
 マイトリー(慈)とカルナー(悲)。・慈悲喜捨 ムディター(喜)と捨(ウペークシャー)。慈は楽を与えること。悲は苦を除くこと。喜は他人が楽を得るのを見て喜ぶこと。捨は心の平安。慈悲喜捨は心の静寂を得る方法である。』
http://yoga.kayac.com/dictionary/japan.html
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%BB%FC%C8%E …
「心の静寂を得る方法」とあるので違うと思います。が、私の「違う」という言葉に根拠はありません。

学者さんというのは、人とは違う論を説くために(そうじゃないと論文として成り立たない)いくつかの部分のみをつなぎ合わせて極論を言う方が多いですから、全てを鵜呑みにしない方がいいです。「そういう考え方もあるかもしれないな~」ぐらいにとどめておいた方がいいと思います。
たぶんこの方の話しはその「極論」でしょう。

参考になれば幸いです。

この回答への補足

>悪魔は仏陀の修行を妨げる、「欲望」を象徴とした存在として登場したと記憶していますが…。

これについては、成仏後の詩が根拠とされているのですが、この点については著者はこの詩は新しい詩であるとして、従来の学者の愚かな見解として否定し去っています。確かに、悪魔=煩悩というのが、どこにでもいつでも通用するかというと、そんなことはなく、その部分だけを取り上げるのであれば、かなり解釈的読み方が入っていることも著者の言うように事実なんです。しかし、著者の言う悪魔=人というのが立証されるわけでもありません。私には妥当性は分からないのですが、簡単にでも説明は欲しいところです。

慈悲喜捨についての意味は存じています。仏教外でどう扱われているのか見れば、この研究者の意図がもう少し見えると思うんです。
各所の書評は極めてよろしいので、一般受けは良い本です。ただ、私は鵜呑みにしているのではありません。極論の背後にも、著者なりの根拠があるはずだとは思っています。

補足日時:2005/07/27 05:24
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>根拠があまり述べられていないと言うのは当時の仏教の文献が少ないからではないでしょうか

いえ、そういう問題ではなくて、学説を述べるからには残された史料の何に基づいたかを言う必要があります。史料がないのであれば、推測であることを書くべきことで、どうしてそういう推測をしたのかを言う必要があるのです。それがないんです。

>当時の宗教はバラモン教でしたから、カースト制を否定したという点で、攻撃の対象となったと思います

ありがとうございます。そうですね。少し言葉が足りなかったので、補足させてください。敵対関係が、どの程度あったかということが知りたいわけです。それによって、味方を神と呼び、敵対者を悪魔と呼ぶ必然性が導かれるか、ということが正しいかどうか、参考にしたかったので。

たしかに身分制を否定したというのは、一般論としては言われてるんですが、それをどこまで釈尊が持ち出したかと捉えるかで、バラモン社会との衝突の度合いが変わってきますね。部族宗教の域をでなかったとか、伝統の中で言っていたけで、身分制度を否定したわけではない、という見解もあるのです。そしてそれは別に的はずれではなく、そう読めないこともないように思います。大まかにいうと、教団内部の宗教上の素質に対して身分を持ち出していないだというわけです。別に社会変革の意味を持っていないというのです。

お礼日時:2005/07/27 05:24

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