【無料配信♪】Renta !全タテコミ作品第1話

宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。でも、今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか?しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
また、宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。宗教って一体 何のためにあるんですか?信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

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A 回答 (22件中1~10件)

こんにちは。


私も前の方と同様に思います。

神さまも仏様もキリスト様も結局は人の心の中に存在するのだと思います。

イエスキリストやゴータマシッタルダ(仏陀)も実在の人であったようですが、その後進達によって、実在の姿からかけ離れた姿で言い伝えられています。

教祖は人間でも死去すれば、弟子達によって神格化されてしまうのは、洋の東西によらないでしょう。

結局、宗教で信じているのは、教祖(始祖)ではなくて、神格化された教祖の姿なわけです。

その言葉なり戒めを信じて疑わずにやっていけば、迷う部分が大幅に減り、ストレスなども相当減らせます。
そういう意味で宗教は有益だと思います。

ただ、近頃はやけにお金を貢がないといけない宗教が多いですね。
私はそういうのは宗教だと思ってません。
人の悩みや弱みに付け込んだ詐欺だと思ってます。
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私たちは、形あるものだけを信じて生きているのではないのです。


そして、もし仮に形あるものだけを信じたとしても、あなたの望むような犯罪のない世界が出現するわけでもありません。それどころか、形あるものだけを信じれば、我々はもっと様々なものを疑わざるを得なくなる。
例えば、「酸素」は目に見えませんが、あなたは地上に「酸素」がないと思っていますか。では、何故「酸素」はあるとされているのでしょう。「酸素」がないとしたならば、我々が宇宙に行って死ぬのは何故でしょう。地上で火がつくのは何故なのでしょうか。「酸素」がないとしたら、それら以外の気体は存在するのでしょうか。
「愛」とはなんですか。「愛」は目に見えますか。行動によって、それを「愛」のある行動だということは言えますが、それ自体が「愛」ではありません。「愛」も大きく捉えて、宗教です。「道徳」これも宗教なんですよ。悪いことが起きないように、厄年になったら神社に行く。行ったからといって悪いことが起こらないとも限らないのに、我々は厄払いに行く。これも宗教です。人間は、形あるものだけを信じて生きているのではない。そして、形あるものだけを信じて生きていくのは不可能です。「愛」を信じないとしたら、「友情」を信じないとしたら、人間は人間関係を維持していけますか。形のないものを信じているからこそ、我々は生きていけるのです。そして、もっとも作為的に、そして主体的に人が形のないものを信じたもの、それが「宗教」です。人間は、自分たちが視認できることだけでは不満足で、自分たちが背負いきれないものを「宗教」に託しました。つまり、罪悪感や死生観など、坤輿で確認できないようなことは「宗教」に託したのです。ですから、ある一部の人々には、信心深くいることで保たれることもあるのです。「宗教」は人間に様々なものをもたらしました。我々に安らぎを与え、希望を持たせ、人間の力ではいかんともすることが出来ないことに解決の糸口を見出してくれた。その反面、利権や紛争、暴力、猜疑心なども我々にもたらしました。科学が発達して、物理主義・個人主義になった今、目に見えることだけを純粋に信じる無神論者(私もそうです)も増えつつあるのは、時代の趨勢です。ですが、「宗教」だけが悪だということは絶対にない。「宗教」を信じることが悪いことだとか、いいことだとか、そんな議論は全く的をはずれている。今現実社会に起こっていることは、「宗教」の功罪なのです。「宗教」だけが悪いわけでも良いわけでもない。

我々日本人は基本的に、汎神論者です。木や石や山、それぞれの自然物や概念、そんなものに八百万の神がいるといった考え方です。それに儒教的な考え、最近ではキリスト教的な考えもありますが、もっと雑然としており、宗教観念の低い国民性です。それはいいこともありますが、他国の宗教文化を理解するには、すごく苦労することもある。そして、無神論者というのも、世界には多くいるでしょう。例えあなたが何論者であったとしても、どの「宗教」が間違っているわけでもないし、人間が形のないものを信じることは悪いことでもなんでもない、テロや戦争が悲しい事実であったとしても、それをどこかに還元するのは、ましてや「宗教」に還元するのは早計だということです。「宗教は人をまやかして、不利益を生む、いかがわしいものだ」その考えが、戦争や差別、お互いの理解不全、衝突を生み出している原因でもあるのです。
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なぜ宗教を信じるのかは育った環境によると思います。

キリスト教のカトリックの国で生まれたらその瞬間からクリスチャンの運命ですし、イスラムの国でも子供のころからコーランでアラビア語を習うそうです。幼い頃から宗教に染まり他の世界との接触を遮断すれば、どんな宗教でもその世界がその人にとってすべてになるのだと思います。
宗教は強制的に信仰を押し付けてる面があるので信者が増えるものだと思います。もちろん勉強してその宗教に入る人もいます。
 
イスラム教徒のテロや、宗教関連の人殺し・戦争は宗教が原因であることは確かです。

同じ民族でも殺してしまう過激派の自爆テロは、昔モンゴルと戦った時にイスラム教徒が人質にされた際、イスラム教徒ごとモンゴル人殺してもしょうがないという考えがありましたが、過激派の言い分はこれだそうです。もちろん他のイスラム教徒はこの言い分を認めてません。

ほとんどの宗教関連の戦争・テロなどにおいて宗教はただの大義名分にしか過ぎません。根本的な原因はべつにあります。十字軍の遠征でも宗教戦争でもお金儲け、領土を広げる、その国・人と過去の戦争などで対立関係にあるなどが理由のほとんどでした。でもむなしいことに、ほとんどの人は大義名分を信じて戦争・テロに参加してきたのが現状です。
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私も同じ疑問を抱いております。


以前読んだ五木寛之氏の本に、宗教を求める人の気持ちは、『夜間の山中を
歩くようなもの。真っ暗闇を進むのは不安であるけど、遠くに町の灯を
見つけると安心できるもの。』というような事が書かれていて、一番ピンと
来ました。信じて安心できる人は幸せだなぁと思いました^^;
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国家がなぜ存在するのかとか政治はいったい何のためにあるのかという質問に似ています。


自然発生的に出現し、それが今も続いているだけのことです。
それを本当に疑問として問うているのならば愚問だし、むしろ「宗教なんか必要ない」「神なんか存在しない」という反語的な意味合いをより強く感じてしまいます。
宗教哲学はもともと科学と紙一重のもの、つまり物事の仕組みや道理を説明するためのもので、現代科学が発達する以前の時代には、はきと区別はつきませんでした。
実存する実体としての神の存在が段々と疑わしくなってきてからは、それを実体としてではなく概念的に考え、それを肯定付ける試みがなされるようになりました。例えば、物理学的な考察をする際にぶち当たってしまう「見えない力」とか、あるいは宇宙誕生以来連綿と続く物理現象一般にはたらいてきた力と考えるとか。
逆に神を実存と考え、その他この世の一切のものを様態と考えるとか。
まぁとにかく、神学にもいろんな考え方があるわけです。


>しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
ひとつ断っておきたいのは、必ずしも宗教が原因であるわけでもないし、逆に紛争や殺人などを防止する働きもあるのだということ(e.g.ローマカトリック教会はキリスト教原理主義勢力や戦争に反対した。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、どの宗教でも殺人は禁じられている。たとえ宗教が存在しなくても殺す人は殺すし、争いを好む人は好む)。政治や司法、教育の場に介入してきたりするのも一部の宗教だけであって、それが宗教の全てではないこと(e.g.西欧のカトリック、トルコのイスラム穏健派のように、逆に頑固に政教分離にこだわる人もいる)。また、宗教的な戒律自体を生活の規範とする人たちもいて、その人たちにとっては社会的規範としても重要になる場合があるのだということ(e.g.国のレベルではイスラエルやイラン、そのほか地域のコミュニティーで)。

>宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います
やはりそれもそういう人たちばかりでは無いことを頭に入れておいて欲しいです。たいていの宗教では人を騙すことや盗むことを禁じているでしょう。逆に教理に背く人たちがそういうことをするんじゃない?
また宗教的な動機で慈善事業を行うなど社会のためになっていることもあります。

日本ではおそらく比較的新興宗教の勢力が強く、相対的に伝統宗教の力が他の国と比べて弱いのでみょうちきりんなカルトがはやったりして宗教のイメージ自体が悪くなってしまうのでしょうね。

宗教は西欧社会では現代科学や民主主義と共存してきており、偉大な科学者は殆ど漏れなく何らかの信仰を持っています(例えば一時期は魔女狩りや宗教裁判のようなこともあったが、それは協会側が間違っていたのだということ)。

神を信じている信じていないにかかわらず、キチガイはキチガイ、マヌケはマヌケ、鬼畜は鬼畜です。
仮に宗教がなくなったところで、いったい人間の本質の何が変わるのでしょうか?むしろ倫理としての宗教がなくなることによって退廃がよりいっそう進行するのでは?
神を信じているか信じていないかなんてそんな表面的なことではなく、その信じ方(対象が神でなくとも)が問題なのです。
例えば宗教でなくともインチキ健康食品とか民族差別とか、性犯罪とかいろいろあるでしょうに。

うんやはり宗教はその一部の害悪よりも社会的な規範や、戒め、救済手段としての働きのほうが強いと思いますよ。犯罪者の更生に使われるのは宗教だし、教会の神父様がカウンセラー代わりになったりしています。

なんか「数学はめんどいだけだしできなくても生きていけるから役に立たない」って言うのに似てますね。
たとえその人が数学を使わなくても世の中に役に立てている人が必ずどこかにいるわけだで。その人が数学が今も昔も社会にとって欠く事のできないものであり続けた事やその使い道を理解できないだけの話で実際に役に立たないわけではない。

肝臓の働きを頭で理解していなくても間違いなく肝臓はその人の中で働いている

なんかまとまらない回答ですみません。

でも言いたいことは大体言ったと思うので。
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心の平安のため、そして自分が変わっていく(人生に対して)


死んだ後、どこに行くのか?知りたいと思いませんか?

後詐欺や儲けている人たちは宗教を利用しているだけ
信仰と言う物差しと物欲という物差しがあり、上手に分けて都合よくしているのでしょう
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宗教は「死への回答」だと思います。

それが出発点でしたが、世の中のあらゆる質問に回答するうちに「教え」の内容が増えていったのだと思います。仏教は死ねばあの世にかえる。3大宗教は最後の日がきたときに信仰があれば神様or復活した預言者が天国に連れていってくれる。神道は死ねば土地神様になる。自分への利益といえば心への回答ですし、他人の利益でいえばお金もあるでしょう。
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>宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。



直接現因になっている事は少ない。宗教を利用している場合が多い。
宗教の理解不足により間違った判断をしている、という事は個人の責任によるところが多い。
>今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか

神がいないことを証明した人はいない。いないと信じているだけである。
あなたは愛を信じるか?形もないし、手にも取れない。目にも見えない。
長い人生、唯物的価値観だけでは行き詰る時が必ず来るので、あなたもいろいろ考える時がいつか来る、という事は指摘しておきます。
>個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています

無神論、唯物論の人のほうが圧倒的に犯罪を犯す確立が多い。
無神論、唯物論は人に知られる事がなければ、なんでもやる。
死後の世界、永遠の魂、自己責任、を信じたものは自制することができる。
よって、欧米では無宗教は野獣と同じであると、認識される場合が多い。

確かに宗教が乱れ、怪しい者たちが跋扈しています。宗教が偏見の目で見られる事はあるでしょう。ただ、宗教の乱れは真実の宗教が今、浄化しているところであります。巨大な太陽が闇夜を照らしている、まさにそのような
状況であります。

>信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

世界の半分近い人からすると(キリスト教徒)あなたはなぜ信じないのか?
なぜ?幸せになりたくないのか?  あなたが全く逆に感じるのです。
仏教国においても然り。
日本の半ば常識とされている事は、世界の非常識となる場合もあるという事
も知っていただきたい。
現代のマスコミのいう事を鵜呑みにしていると大変な事になるという事。
世界の偉人、賢人と言われる方を研究すればいろんなものが見える。
宗教が無ければ、こんなものでは済まなかった事が腑に落ちるはず。
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No.4です。



>宗教って何のためにあるんですか?

たとえば下に書きました様に、
「個々人それぞれが見えている範囲が異なりますので、それぞれが自分の見解が正しいと主張してばかりで、相手の見解を理解しようとしないなら喧嘩になりますよ」と、警鐘を鳴らすのが宗教の大きな役目の一つです。

誰も警鐘を鳴らさないならば、質問者さんの懸念されている、世界中で戦争や人殺しやテロが勃発したりという、無法地帯となるでしょう。
世の中が、そうした無法地帯となり、人々に苦しみが生じる危険性があるから、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入して警告するのです。

介入する前提として、宗教者は、上記に挙げました様に、相手の見解を理解することを心がけなければならないでしょう。
つまり、相手を理解出来るだけの知識や知恵を習得している必要性があるのです。
ですが、相手を理解するに十分な知識や知恵の習得は、並大抵のことではありません。
ですので、自分には理解力不足の可能性があることを、いつも念頭に置いていて、理解力不足を感じた時には、謙虚に相手から教えを請う態度が必要となるでしょう。
現在の宗教界は、相手を理解しようとするために、知識の習得をしたり、教えを請うたりすることを、おろそかにしている感じがします。

>宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。

そういう団体(所属している人も含めて)って、自分の利益だけを優先的に考えて行動してないですか?
そうした団体に対しては、ズバリ、「アナタのところは宗教などではない!」と言って批判して良いと思います。
ちゃんと批判するためには、相手を理解出来るだけの知識や知恵を習得している必要性がありますね。
そうでなければ、どこからも誰からも「正当な批判」だとは認めてもらえないでしょう。

私としては、質問者さんには、もう少し本物の宗教に触れて頂けることを願っています。
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アメリカ人の友達のお母さんの話。


「無宗教=無神教=マルクス主義」
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神様は「ザ・クリエーター」。この神様を信じない人は悪魔で、無神教の共産国は悪の帝国(オールドブッシュ)、悪の枢軸(ブッシュ)と呼び、絶対許さないと言ってます。
だから、無神教(無宗教)ではなく「仏教徒と言いなさい」と言ってました。ちなみにお盆になっても墓参りさえ行きませんが・・。
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Q創価学会って実際、なんですか?(長文です)

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。

私自身、学会には色々矛盾を感じています。
でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。

私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね?
それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか
さっぱりわかりません。
学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが…
しかも仏教の教えについて批判さえしています。

それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう?

そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう?

学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです…

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
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私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

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困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いください。

創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体(各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり)だったものが、異様に大きく膨れたものです。本来の教義についてはNo.5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です(と、彼らは言っています)。
歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗(大石寺)」は「日蓮宗(身延山)」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山(大石寺)のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています(学会の仕切る葬儀には僧侶がいません)。
つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。

私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。

逆に、日常生活レベルではいいこともあります。
毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。まぁこれは冗談です。
学会では地域の会員達の集まり(各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります)が頻繁に行われます。
組織も年齢、性別や職業(学生・主婦含む)で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。
昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。

学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。

これを、「だまされている」というのは簡単です。でも、これが宗教なのです。
創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。
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偶然2本の定規の線がそろう所もあります。そこが一般社会との窓口です。
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一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。
これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏(これにより大きな組織になった)が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。

試しにインチの世界に入って見れば(1~2ヶ月一緒に活動して見れば)ひょっとすると何か分かるかもしれません。
ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・
いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。

今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。

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現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
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長くなりそうですが、お付き合いくだ...続きを読む

Q宗教にはまる人とはまらない人の違いは?

オウム、創価、統一教会といった宗教(団体)や、
江原や細木といった恫喝霊媒師等に脳みそ全部預けてしまう人と、
そういったものには近づかず自分なりの宗教観を持って生活する人
の違いって何でしょうか?
その人の生い立ち環境や教育、性格にどういった特徴があるのでしょう

おそらく正解というようなものは無いとは思うのですが、参考になる
ようなご意見を聞かせていただければと思っております。
確証はないですが、「引きこもり」になるならない、「自殺」する
しないタイプの人の違いにも通じてるような気もします。

Aベストアンサー

私見ですが。

宗教には基本的に誰でもはまります。
どんなに強固な信念を持っていたって、科学が発展したって、死んだ後はどうなるのかとかココロとは何かとか運命とは何かといったことは納得できるように説明できませんし、もちろん自由に操作することもできません。人間は「わからない」ということを忌避する生物でありいろんなことに考えが及ぶ生物なので、世界とか人生とかいったことについて何らかの物語を求めます。科学の発展や未開地の探検がほぼ終わったことなどによって、大地が巨大な象の上に乗っているわけではないとかキリスト教の神様がみんな白人というのはおかしいとか、いろいろな宗教世界が描いてきた世界像の間違いが暴かれていきましたが、だからといって運命とか生死とか善悪とかいう宗教や哲学が扱っている様々な問題に対しては科学は回答を示せません。そして繰り返しますがわからないことをわからないとして放置できないのが人間の性質です。

日本は国教として神道を持っていたんですが、それを戦争の国威発揚に利用して負けたために現人神の役を担っていた天皇が人間宣言をするはめになって、神様の権威がかなり落ちてしまった。それで人は生まれる前何であって死んだらどうなるのかとかいった世界観について社会的なコンセンサスを持ち合わせていないのです。だからいろんな宗教が普及する余地がある。

実際に宗教にはまるかどうかは個々人の置かれている状況などに大きく依存します。生活の中で恋人にふられて絶望するとか不治の病に侵された場合は科学なんて屁のツッパリにもなりませんから、宗教に傾倒しやすいです。ぼくを含めて多くの人が宗教を無視していられるのは、死とか絶望とかいったことに直面していないからですが、半年後に絶対に世界が滅亡するなんてことになったら宗教が大ブームになるでしょう。

そういった環境要因を除外して個人の気質だけを問題にするなら、何事にも自分の信念を持つような思い込みの強い人の方が実は宗教にはまりやすいです。好き嫌いがはっきりしている人でしょうか。芸術家なんかがそういう特性で宗教に傾倒しやすいです。

しかし特に新興宗教団体なんかは、ぐずぐずしていて決断力が無い人を取り込むためのサークルのような構造を作っていますから、決断力が無い人が一度そこに取り込まれると、抜け出す決断ができないためにそこに居続けます。摂理の問題でこないだテレビでやってましたけど、宗教ですがどうですかというのではなくて、サークルだとか勉強会だとかいって勧誘します。オウムだってヨガの研究会でしたし。こういうグループに生活の多くの部分を依存すると、決断力が弱いタイプの人はおかしいかもしれないと思っても抜け出せません。そういう意味で意思の弱い人も宗教に取り込まれやすい。
考え方が中庸でバランスが取れている人は、極端な思想の宗教にははまりにくいと思います。
そんな感じでしょうか。

オウムだの摂理だの統一教会だの創価学会だのエホバの商人だの慧光塾だのといった周りに迷惑をかける宗教にはまったり、細木数子だの江原啓之といったデタラメを言う連中に惑わされたくなかったら、とりあえず適当に神道なり仏教なりキリスト教なりイスラム教なりを選んでちょっと勉強して信心しとくのがいいと思います。まあ日本だったら神道か仏教でいいんじゃないでしょうか。

私見ですが。

宗教には基本的に誰でもはまります。
どんなに強固な信念を持っていたって、科学が発展したって、死んだ後はどうなるのかとかココロとは何かとか運命とは何かといったことは納得できるように説明できませんし、もちろん自由に操作することもできません。人間は「わからない」ということを忌避する生物でありいろんなことに考えが及ぶ生物なので、世界とか人生とかいったことについて何らかの物語を求めます。科学の発展や未開地の探検がほぼ終わったことなどによって、大地が巨大な象の上に乗っ...続きを読む

Q創価学会の人かどうかの見分け方を教えてください。

事情で、創価学会の人とできるだけ関わりたくありません。
(詳しくは書きませんが、かなり迷惑を被っています。)
これからいろいろな人と知り合いになると思いますが、
創価学会の人かどうか見分け方がありましたら、
知っておきたいです。

ちなみに自分なりに考えたのが、
・どこの新聞をとっているか聞く
・どんなスタイルの結婚式を挙げたかを聞く
(神式、キリスト教式だと大丈夫かも)  です。
最近知り合った人には、さりげなく聞いてみて一安心でした。

たまたま私の知り合った人が熱心すぎる人だっただけで、
学会の人全てを否定しているわけではありませんが、
この事にかなりナーバスになっていますので、
学会の方はお気を悪くされないで下さいませ。
あと、学会の批判ではなくて、見分け方のみご回答願います。

Aベストアンサー

学会会員です。比較的簡単な見分け方は.

1.死者がいないのに(紙製の)仏壇を持っている
2.木製の仏壇の場合は.つくりが派手(他の宗派の場合には.分家したときに作った仏壇をいつまでも使いつづけるので.結構古い物が転がっています)。
3.お守り.破魔矢.熊手.達磨等の縁起物を持たない・買わない(私のような例外もいますが)
4.命日など家族で遠距離の墓参りに行く。(近所の宗派の方は.命日の近くの都合のよい日に出かけます。)
5.若い人のばあいには.「宗教の話をする」。今の若い方々は.宗教関係に興味を持たないのが大多数ですから。
6.夕方特定の遊びまわるわけでもないのに集まる(勉強買いです)。若い方の場合には.酒飲んでカラオケで騒ぐのが普通ですが.これをしない場合です。
7.宗教(日蓮)関係のわけのわからない本がある。

Qなぜ神様を誰も見たことないのに信じるのでしょうか?

なぜ神様を誰も見たことないのに
信じるのでしょうか?

私は神様を信じでいません。
ですが神は要ると言う人はいますね。

誰も見たことなくて神が居ることを証明できない=「いない」
なのに
なぜそれが「いる」と決めつけられるのか不思議です。

度言う言う心理なのかわかる方
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私論ですが、いなくても居ると思えばきっといるんです。
存在しなくても心に想像すればとりあえずは心の中には存在しているということになりますよね。

そうやってどうしようもなく救われない物事を
実際は存在せずとも理解してくれるよりどころになってくれる
そういった自分に必要な『支え』を求めているから信じている人がいるのではないでしょうか。

私は別に宗教などをしているわけではないですが
もしも神様が目の見えないところに居てくれたなら
自分が誰にも気付かれず苦しんでいたとしても
神様は何もしてくれないけどただ、その苦しみは理解して見てくれてるんじゃないかな
など想像します。

Q宗教を何故、信じる人間がいるのか?

宗教を何故、信じる人間がいるのか?

国じたいが宗教国家であるなどをのぞいた。
洗脳する施設などで、長時間情報を遮断されたりするたぐいのガチの洗脳をされてしまった人ものぞくとして、

宗教的ではない家庭にうまれ、科学をそこそこかじり、言語をしゃべる事ができる人間が、
なぜ新興宗教などにはまってしまうのかに疑問があります。

彼らは、自ら宗教に近づき、自ら進んで自分や他人の生活を破壊します。
普通の論理的思考を持った人からするととてつもない疑問を感じます。

私の結論からいいますと、人は生まれながらにして論理的思考ができる人、出来ない人とが
いるように思えます。それは、人類の遺伝子をつなぐサイクルの結果、論理的思考を欠く人間が必要だったの
かもしれないと言うことです。生まれてくる全員が論理的思考を持ってしまうと、そこにはなんらかの問題が
発生するのでしょうか?それとも単純にあまり考えないからこそ出生率が高かったということなのでしょうか。
とても好奇心がわきます。詳しい方や、あるいはこういう意見がある等、聞かせていただけるとうれしいです。

Aベストアンサー

こんばんわ。
直接的な解答になりませんが、意見を一つ。

「宗教を信じること」と「論理的であること」は別に相反しないと思います。

偶発的であれ「不思議体験」のようなものを何度か体験することで、
宗教を信じる「根拠」の様なものが芽生え、
そこから「宗教を信じる心」が論理的に構築されてゆくこともあるんじゃないでしょうか。

あくまで、私説に過ぎませんけど。

Q宗教の発生・起源について教えてください

宗教・哲学について素人です

ユダヤ教や仏教が発生する以前にも、当然人間社会には原始宗教や自然崇拝、霊魂崇拝のようなものが存在したと思うのですが、そもそも人間社会において、宗教的概念のようなものはどのように発生したと考えられているのでしょうか?

宗教の起源とはどのようなものと考えられているのでしょうか?

出来ましたら、回答者諸氏の個人的考えではなく哲学や宗教学などの学界で一般的にどのような考え(諸説)が存在するのかお教えください。

もちろん加えて回答者様の個人的なお考えをお話いただいても差し支えはございませんが、出来ましたら一般的な知識としての諸説紹介・解説という形でのご示唆をお願いいたします

Aベストアンサー

#2です。
宗教の発生と起源について私見を述べさせてもらいます。

>ところでそもそも、そのような観念が人間の中に発生した由縁はなんなのでしょうか。
>霊や自然に対するい畏怖心でしょうか。それともご利益を追求するような欲得でしょうか。
>私自身は人間が、物事が思い通り運ばない時の欲求不満や、例えば同じ狩猟行為をしていても自分だけがエサを獲れないのに隣人だけが獲れた場合などに生じる嫉妬や、次こそは獲物を獲れるようにと願う気持ちも強い気がするのですが。

これには、私もほぼ同意ですね。
時に自然は動物にとって脅威となるほど強い力を発揮します。
雨や風、地震や噴火などの天変地異に対して畏怖の念を覚えた。
そして、きっと人知の及ばない何かがあると思うようになる。
それが「霊」や「精霊」、そして「神」と呼ばれるようになったのでしょう。
そして、それほどすさまじい力ならきっと自分たちを守ってくれるはずだと考えるようになった。
そして、恐れおののきながらも敬い、祀り、祈るようになった。

これと同時に起こったのが「クニ」の発生です。
「クニ」というのは支配者と被支配者に分けられるわけですが、支配者が被支配者をまとめるのに「神」や「精霊」を利用した。
やがて、文化が成熟しだすと、神話や民間伝承に纏められるようになる。
そして、徐々に体系付けられていき、一つの宗教圏ができあがる。
もちろん、明確に分かれているわけではなくて、お互いに影響しながら。

これを根拠付けるのに、ユダヤ教は元々多神教だったと思われることから推測できると思います。
ユダヤ教は多神教のウチの一つの神「ヤハウェ」を選び、敬うようになった。
そこからキリスト・イスラムが生まれていきます。
仏教も元々はバラモン教から発生していますし。

面白いのは、人は宗教に隷属する場合としない場合があるということです。
言い換えれば、生活規範を宗教に求めるか求めないかです。
ユダヤ教やキリスト教などは、生活の規範(殺し、盗み、姦淫などの禁止etc...)を宗教に求めています。(あるいは、宗教が命令している)
しかし、古代ギリシア・ローマや日本の八百万の神は必ずしも命令はしません。
私たちが思ったときに守護を求めるだけです。
この違いは、おそらく宗教の政治利用における、一神教と多神教の差だと思います。
政治利用するには一神教の方が都合が良いですし、「この法は神様が与えた」といわれては、その神を信じてる人は逆らえませんから。
また、政治利用するためには高度に組織化されていた方が有利です。
故に、教会や教団が発達していったのでしょう。
仏教は少し一神教とは違う発展をしましたが、政治と深く関わっていたのは確かだと思います。

纏めると、自然への畏怖の気持ちと日々の不幸からの守護を求めて宗教が発生した。
そして、政治と絡みながら体系化され組織化されていった。
私はそう考えています。

#2です。
宗教の発生と起源について私見を述べさせてもらいます。

>ところでそもそも、そのような観念が人間の中に発生した由縁はなんなのでしょうか。
>霊や自然に対するい畏怖心でしょうか。それともご利益を追求するような欲得でしょうか。
>私自身は人間が、物事が思い通り運ばない時の欲求不満や、例えば同じ狩猟行為をしていても自分だけがエサを獲れないのに隣人だけが獲れた場合などに生じる嫉妬や、次こそは獲物を獲れるようにと願う気持ちも強い気がするのですが。

これには、私もほぼ同...続きを読む

Q宗教を信じるものの心理

ここでは特にイスラム教信者について書きます。
彼らの信じているコーランはムハンマドが書きましたが、最初は聖書は完全無欠でコーランはそれと矛盾しないと言っていたのに実際は矛盾がたくさんあり、明らかに人間の手によって書かれたもので間違った教えといえます。

しかしイスラム教信者はたくさんいますし、非常に熱心です。
多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?

ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。

Aベストアンサー

 私は浄土真宗の俗にボーさんと呼ばれているものです。副次的な専門ですが、宗教心理学を長いこと勉強させていただいております。

>>宗教を信じるものの心理
 この「宗教を信じる」ということについて、進化論生物学者リチャード・ドーキンス氏は「人間はそもそも信じやすい生き物だ」と述べておられます。これは宗教に限ったことではありませんが、人間はたとえ根拠が乏しくとも疑うことより信じることを重視する傾向にあるといえます。

 例えば、数字をランダムにコンピューターが選び出すタイプのロトくじを1ドル買ったとします。買った直後に、2ドルはらうからそのくじを売ってくれないかと、頼むとほとんどの人が躊躇して、手放さないと言います。20ドルまで行かないと手放さないケースも多いといいます。

 また、サイコロを振って6が出たら、一万円くれる賭け事をするときに、「サイコロは何度振ってもかまいません。しかし、賭ける時はサイコロを振る前に千円をかけてください。」と言われたとします。すると、6が出る確立はサイコロですから何度投げても6分の1の確立で、最初だろうと2回目だろうと、37回目だろうと、確率が変化するなんてことはありえないのに、人間は「今だ!」と賭ける。

 これ等の事例を見ても、人は根拠があるから信じ、根拠がないから疑うと言うような単純な生き物でないことが分かります。

 ずいぶんと前の話ですが、ジョン・ブロックマンと言う方がウェブサイトで「何の根拠や証明もなく信じているものってありますか??」って質問したら、宗教を信じている人に限らず無神論者、科学者、合理主義者といわれるような人も、そういったものがあると答えられたそうです。つまり、信じると言うことに根拠がないのは宗教に限ったことではなく、人間そのものが持っている特性であることがいえます。

 このような「信じやすい」という能力については、進化心理学の方面からよくアプローチされています。手短に説明すると、私達人類の進化は、顎の筋肉の弱体化とは切っても切れない間柄です。我々現生人類の先祖は何かの拍子に強靭な顎の筋肉を失います。それは、噛み付くというような強力な武器を失うことになりました。しかし、人類は失った武器以上に強力な武器を手に入れたことになります。それが「より正確で、より複雑な情報」です。なぜかというと、顎の筋肉が弱体化したことによって、頭蓋骨を締め付けがなくなり脳が大きくなる余裕を生みだし、顎はより複雑な動きが可能になり、より高度な情報交換が可能になりました。つまり、我々のような顎の弱い進化を遂げた人類にとって情報は武器なのです。「どこに獲物がいる」「どこに敵となるような凶暴な猛獣がいる」「動物を狩るときは、尖った石で心臓を貫くといい」等々の情報を共有することで、生き残ってきたのが私達人類なわけです。ですから、我々はその情報を信じやすいように進化しているという事が言えるわけです。
 
 ここでは宗教についてという事ですが、「信じる」ということは宗教に限ったものではなく、そもそも人間が持っている固有の能力であり、宗教が人間を信じさせるのではなく、人間が信じやすいから宗教があるというのが現在の心理学的なアプローチですかね。

>>多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?

 これについては社会心理学者レオン・フェスティンガー氏の共著『予言がはずれるとき』の中でおもしろい事例を挙げています。これは1950年代アメリカであった事例ですが、マリアン・キーチ夫人(仮名)があるとき宇宙人から大洪水が起きて世界は沈没するという予言を受け取ります。この予言を受けた後、夫人は懸命にこのことを人々に話して聞かせます。ほとんど人は受け入れませんでしたが、何人かは仕事や学校を休み、財産も処分しお金と食料を調達し、夫人とともに高い山に登って洪水に備えました。
 しかしその当日、もちろん何も起こりませんでした。こうなるとみんなが夫人責め、こういった活動をやめたのではないかと思うでしょ?それがそうはなりません。そこに逃げていた多くの人は「私達が懸命に活動したから、洪水は避けられたに違いない」といい始め、「この活動を今やめてはいけない」といって、一つの宗教になっちゃったって話です。

 これは、心理学的にいえばあの有名なフロイトの娘、アンナ・フロイトが提唱した防衛機制の中の、「合理化」というものです。例えば、こんな会話を聞いたことありませんか?
学生A「君は○○大学を落ちてこの大学に来たらしいね?」
学生B「確かにそうだけど、○○大学は記念受験しただけで、校風自体もあまり僕にはあってないと思うんだよね」
なんていう会話。これは合理化の典型的な例です。心理学でいう合理化というのは、満たされなかった欲求を、自分にとって都合の良い解釈をして自分を正当化しようとする、自己防衛の一種です。

>>するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?

 たぶんこういう心理がひとつには働いているんでしょうね。 


>>ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。

 ここは私にはなんとも言えませんが、まずは自分を知ることでしょうね。これは、リチャード・ニスベット氏のおこなった認知科学の実験です。どうぞ、質問者さんも想像してみてください。


風船が宙をふわふわ浮いています。その風船があるところまで行くと、移動する速度が速くなった。さて、これはなぜでしょう??


なぜだと思いますか??
「風が吹いた(上昇気流に乗った。気圧が変わった。等も含まれる)」と考えませんでしたか??(もちろん違っていてもいいのですが)この答えは、東洋人(ここでは、中国・韓国・日本人が中心)に多く見られる答えだそうです。しかし、西洋人(ここではイギリス・カナダ・アメリカ人が中心)は「風船の空気が抜けてスピードを上げた」と答える方のほうが比率として多くなるそうです。

 このような違いは一体何なのか??
 東洋人は関係性を重んじる民族です。家族、友人、会社。若い世代のしばらく前に流行った「ky」と言う言葉でさえ関係性が読めてないと言う意味です。こういった国で信仰される宗教を見ると、儒教では孝や忠、仏教では縁起や空、神道では一人のカミではなく八百万の神が存在し、「関係性」を重視する宗教が信仰されている。

 対して西洋人は「個人主義」という言葉があるように、有る意味関係性より個を重視する傾向にあります。そんな国で信仰されている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、一人の神の「個性」を重視する宗教が中心と言えます。

 それ以外にも、私達の目線の動きも違いがあるそうです。虎のかかれた絵を見せると、東洋人は虎とは池を目線が多く行ったり来たりするそうで、やはり関係性を無意識のうちに見ています。対して西洋人は虎のフォルムや模様など、虎自体からほとんど目を離さないそうです。

  このような実験からも私達は、常識と思っている判断や無意識のうちの目の動きまで宗教の影響を受けていないとは言い切れません。

 また、オックスフォードの人類学者ジャスティン・バレット氏三年間プロジェクトチームを組んで「人間は生まれながらに神(宗教的概念)をもっているのか」という研究を続けてきました。去年の夏ごろアメリカのサイエンス・ニュースで、この研究が一段落着いたことを報告しています。その中の結論として、「人間の心はもともと神や来世のようなものを信仰する要素を持ち合わせている」とのべています。(詳しい著作はまだ執筆中とのことで、日本語訳されるのを待っているところです。)

 心理学の研究からいえば、私達はそもそも宗教を信仰する生き物だってことが言われます。まずその辺を自分自身で見直していくところから始めてみてはいかがですか?

 長々駄文を連ねましたが、急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛

 私は浄土真宗の俗にボーさんと呼ばれているものです。副次的な専門ですが、宗教心理学を長いこと勉強させていただいております。

>>宗教を信じるものの心理
 この「宗教を信じる」ということについて、進化論生物学者リチャード・ドーキンス氏は「人間はそもそも信じやすい生き物だ」と述べておられます。これは宗教に限ったことではありませんが、人間はたとえ根拠が乏しくとも疑うことより信じることを重視する傾向にあるといえます。

 例えば、数字をランダムにコンピューターが選び出すタイプのロトく...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q人間の3大欲とはなに?

この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
あれは 食欲と 後はなんでしたでしょう?

また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Q宗教が生まれるメカニズムについて

宗教の講義を取っているのですが宗教が生まれたメカニズムが
良く理解できず質問しました。

まずキリスト教が誕生したのは人間の本質である「愛」を
具現化するために愛の象徴である神を作り出したと考えれば
良いのでしょうか?

あるいはニーチェが言う様に人間の不安な気持ちを解消し心の
拠り所を作るために神を作り出したという説のが正しいのでしょうか?

キリスト教に限らず一神教の宗教は、この様な形から生まれたのでは
ないかと思うのですが、どうなのでしょうか?

Aベストアンサー

 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で 持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間で こういうことが起こったそうです。

  一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
  巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た
 してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

   ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし
    の体を重ねてみる。
     そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに
    あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。

 おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。
 神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらに身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよびます。

 これをいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。
 何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。
 何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。

 さらに時を飛びます。
 やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも 新たな心性を 人は獲得したと思われます。単純に それは 時間の獲得によるものでしょう。
 農耕をとおして つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして つまりその種まきから取り入れまでの時間の経過をとおして 自己も 時間的な存在であることを知ります。
 要するに 自分たちは 老いると ただ倒れるのではなく 死ぬのだという認識がからんでいるはづです。時間的存在であることは 心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得したと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。
 ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。
 
 -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム
 0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り
 +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 
     社会力学上(政治的に) 寄せる。

 ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。ここでは これは 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが 宗教の始まりです。

 言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスム自然本性のほうを備えているでしょうから(むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な心性として いわゆる信仰をも持っています。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。
 さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。
 単純に言えば ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食を持ちます。つまり 食物の収穫に感謝し供え物をして 共に味わうわけです。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。
 ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうの歴史知性を超えたところの精神において) マツリゴトとして 制度化したというものです。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。
 古事記には こうあります。

   その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミ
  コトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。
  
 四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には 九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。
 これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに 人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。

 つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ 人びとと同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。
 嫌ったので 強引に 社会のいわば第二階に みづから上がって行ったのか それとも 人びとが その新型シャーマンに辟易して これを敬遠し 人びとの合意で これを社会の神棚に据えてまつろうということにしたか いづれとも推し測られます。(国譲り説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。
 要するに ここに 神の代理が 出現しました。見えない神との共食(供え物をしてのまつり)が 見える神との共食(貢税を伴なうまつりごと)になったという話です。これが 宗教の始まりを説き明かす一つの歴史事例(そのたとえ話)だと考えます。
 
 ・ニーチェは 話になりません。神の代理とその権威の下に作られた宗教 つまり 宗教の教義の神(つまり これは 観念です)に対して 必要のないけんかをふっかけているだけです。

 ・愛とは 社会における人びとのあいだの ふつうの共生であるでしょう。神との共生も 個人にあっては 信教・良心の自由において 伴なわれることでしょう。神の代理との共食は やがて歴史的に しかるべく揚棄されていくことでしょう。わたしたちは 永く 働き蜂に甘んじていたわけです。イリ歴史知性の回復 万葉集いや億葉集のルネサンスということではないでしょうか。

 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で 持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間で こういうことが起こったそうです。

  一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
  巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た
 してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

   ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし
    の体を重ねて...続きを読む


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