よろしくお願いします。
山崎の戦いの後の明智家についてですが、この戦いで敗れた後、光秀の家族や家臣達がどんな運命を辿ったのか知りたいのです。そういったものを取り上げた書籍・HP等があれば紹介して下さい。
目下私が知りたいのは、山崎の戦いの時に坂本城の留守を守っていたのが誰なのかですが、ご存知の方いらっしゃいますか?

A 回答 (4件)

こんにちは。


光秀の家族についてでしたら、
三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」などいかがですか?
光秀の子供で、熊本藩主の細川忠興の正室です。

山崎の戦いのときには、この政略結婚によって、
光秀は細川家の自軍への参戦を期待しましたが、
結局のところ見捨てられたようです。

ついでに、元総理の細川護煕氏はこの細川家出身なので、
光秀の子孫となるそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
玉ですね。先日、ルイスフロイスの「日本史」完訳本を読みましたが、その中で彼女の事が大きく取り上げられていました。
ところで、光秀の息子たちについては何かご存知ありませんか?

お礼日時:2005/08/05 10:47

皆さんのすばらしい回答で以下のは蛇足のトンデモ話です。



明智光秀の居城は坂本にありました。一説によると本能寺の変後、明智の血を引く「明智左馬介」という人が土佐に流れ、そこで郷士になったそうです。
近江坂本から流れてきたから「坂本」と名乗ったそうで…

「それがお前のご先祖様だ」

と坂本竜馬は教えられたらしいですが…真偽のほどはわかりません(笑)
光秀の子孫の話…になるのかなぁ…。

駄文失礼しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
根拠の一つに、家紋が明智と同じ桔梗紋だというのがありますね。
それとPENPENMAKKYさんが書かれているように、一部の人達は長宗我部を
頼って土佐に逃れているので、その中に左馬介もいたかもしれませんね。

お礼日時:2005/08/15 10:00

明智光秀の重臣・斎藤利三は磔処刑されました。

彼の娘は海北に連れられて土佐に逃げ、3年後、京都に戻ります。その後、稲葉正成の後妻に入り、3人の子供を産みました。稲葉正成は小早川秀秋の重臣で、関ヶ原での寝返り行動の中心人物です。その後、利三の娘・福は子供を連れて家を出、家光の乳母となり、春日局になります。子供はその後島原の乱で主力部隊を率いて活躍します。幕末、京都所司代や老中になった淀藩、陸軍総裁になった稲葉正巳は子孫です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
春日局の話は有名ですね。

お礼日時:2005/08/04 13:33

本能寺の変のとき、坂本城にいたのは明智光秀のいとこの秀満(光春)でしたが、光秀が山崎で苦戦していることを聞くと約千人の兵を率いて坂本城を出ましたが、大津で秀吉方の堀秀政の軍勢と交戦しましたが敗退して坂本城に戻りました。


そののち光秀が討ち取られたことを知った秀満は、坂本城に火を放って、光秀の妻子を殺して自身も切腹して果てました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

確か、秀満は光秀とともに本能寺を攻めていたと思います。あと、山崎の戦いの時は安土城にいた筈です。何でも、光秀に安土城に残るよう言われた時に「俺に金庫番をさせるのか!」と愚痴ったとか…

補足日時:2005/08/03 19:41
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この回答へのお礼

>秀満は、坂本城に火を放って、光秀の妻子を殺して…
この妻というのは煕子でしょうか、それとも側室あるいは後妻なのでしょうか?いろいろ調べていると、煕子は本能寺より前に死んでいたとしているものがありました。
他に秀満が殺したのは彼自身の妻子となっているものもありました。

お礼日時:2005/08/04 13:49

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Q【日本史・織田信長の死際の行動の謎】織田信長は本能寺に滞在中に家臣の明智光秀が攻めて来たという一報を

【日本史・織田信長の死際の行動の謎】織田信長は本能寺に滞在中に家臣の明智光秀が攻めて来たという一報を受けて、自分が普段座る鎮座に影武者の家臣を置いてその影武者に短い手槍を渡した。

織田信長本人は奥の間に移動して、明智光秀が攻め込む前に自害することを決意してすぐに自害用に家臣を連れて奥の間に行き介錯(かいしゃく)=自ら切腹した織田信長の首を跳ねる役の家臣を同行させて奥の間で自害した。

明智光秀がまだ攻め込こんでいないのになぜ明智光秀が攻め込むという一報を聞いて、明智光秀が攻め込む前に奥の間で自害したのか。

自害する必要がどこにあった?

なぜ織田信長は明智光秀と戦うという選択ではなく、最初から自害の道を選んでいたのか不思議じゃないですか?

おかしな話ですよね。

何かひっかかりませんか?

Aベストアンサー

光秀が攻めるときは、理詰めの確実な方法を取るはず。信長が前に出て戦闘状態になったら光秀の注文通り。
信長自身がしばらく生死不明という状況にするのが、あの夜の最善手だったからでしょう。
 事実、秀吉が引き返して山崎の合戦になったとき、秀吉側は、信長は脱出に成功、自分は信長の指示で指揮を取るという噂を流して、精神的動揺を誘ってます。

Q山崎の戦い、光秀の味方は何故少なかったのか?

 本能寺の変で明智光秀が信長を討ちますが、その後の山崎の戦で羽柴軍に敗れます。
 大義名分では主君の仇討ちの秀吉に理がありますが、軍勢の数にかなりの差があります。細川、筒井、高山など、光秀の頼みとしていた武将はことごとく秀吉方に付きます。光秀は謀反人ですが、当時、信長に反旗を翻していた勢力もかなりあったはずです。
 各武将はお家の行く末を案じての決断だとは思いますが、秀吉と講和した毛利は別として、その他の反信長勢力を糾合できなかったのでしょうか?
 11日天下として、上杉、長曾我部など援軍を集められなかったのでしょうか?丹羽長秀は大坂にいたそうですが、四国征伐には行ってないでしょうか?

Aベストアンサー

 一般の常識的回答からは逸脱しますが・・・

 明智光秀は、細川藤孝が自分の側につくことを確信していた様に感じられます。
 
 細川藤孝はこのとき、息子忠興共々髷を落としてしまい、中川・高山などと違い中立を守ります。また、光秀の娘で忠興の妻であった玉(ガラシャ)を離縁し幽閉ますが、結局正妻の座に戻しています。

 武士が髷を落とすのは、侘び・恭順を示す場合に行なわれる行為で、単に長年の盟友(元々二人とも足利将軍家の家来であった。)と袂を分かつとしても、髷まで落とす必要性があるとは考えにくいことです。
 細川藤孝と明智光秀の間には、他人には知りえない何らかの盟約があって、その盟約を破る侘びと考えれば、光秀の娘をほとぼりが冷めた頃に息子の正妻に戻すというのも、せめてもの罪滅ぼしで納得できる感じがします。

・細川藤孝が明智側についた場合

 細川藤孝は、関が原の合戦の時には手勢五百ほどで一万五千の軍勢を丹後田辺城で釘付けにしたほどの戦略家。そして、細川が味方していれば、洞ヶ峠を決め込んだ大和の筒井順慶は光秀側についたはず。

 更に、兵力不足と指揮官不足で二正面作戦を行なえなかったために、一度安土城を攻め取りそれから軍を戻したため時間のロスが生じ、京と大阪の間の山崎が戦場となったのが、実際の歴史の展開。

 歴史にIF(もし)はないが、細川藤孝が中国攻めの進軍体制のまま明智側についていれば、細川藤孝が東の安土城を攻略し、明智光秀と筒井順慶は、西の大阪城にいた丹羽長秀・織田信孝軍(本能寺の変を聞いた兵が逃亡し兵力が半減。軍としての機能を喪失していた。)を撃破。その時点で中川・高山軍も明智軍に合流していた可能性が高い。

 ここに羽柴秀吉軍が攻めてきたとしても、兵力は山崎の合戦とは全く逆。また地の利も大阪城を占領し摂津を押さえた明智側が有利。
(その情報を得れば、羽柴軍は摂津に進軍しなかっただろう。結局播磨で持久戦体制を取らざるを得ない。)

 織田の五軍団+徳川家康の状況
  明智軍‥‥畿内の支配・経済を確立・朝廷利用。
  羽柴軍‥‥明智・毛利に挟まれて活動不能。
  丹羽軍‥‥壊滅
  柴田軍‥‥上杉との対峙で釘付け(史実)
  滝川軍‥‥北条の攻勢で壊滅(史実)
  徳川軍‥‥信濃・甲斐を切り取る(史実)

 この後どうなるかは分からないが、明智か徳川の政権になった可能性が高いと思われる。
 
 歴史上のことですし、敗者の明智光秀についての資料が多く失われていること、勝者の側に立った細川幽斎と敗者との関係ですから、今後も確定的資料が出てくることは考えられません。
 ですが、朝廷も絡んで(近衛前久・吉田兼見は変の後、織田信孝に狙われたらしい。)細川藤孝と明智光秀の間には、何かしらあったような資料が散見されます。

 キャスティングボードを握るキーパーソンが、どちらに動くかで、結果が大幅に変わってしまう(関が原の合戦もまたしかり。)ことは、よくあるように思います。

 一般の常識的回答からは逸脱しますが・・・

 明智光秀は、細川藤孝が自分の側につくことを確信していた様に感じられます。
 
 細川藤孝はこのとき、息子忠興共々髷を落としてしまい、中川・高山などと違い中立を守ります。また、光秀の娘で忠興の妻であった玉(ガラシャ)を離縁し幽閉ますが、結局正妻の座に戻しています。

 武士が髷を落とすのは、侘び・恭順を示す場合に行なわれる行為で、単に長年の盟友(元々二人とも足利将軍家の家来であった。)と袂を分かつとしても、髷まで落とす必要性が...続きを読む

Q安土城内の明智光秀邸の位置は?

 安土城の資料には、伝秀吉邸や前田利家・徳川家康邸などの記録がありますが、明智光秀の邸宅の記載を見たことがありません。どなたか、安土城の明智光秀邸の場所をご存知の方が居られましたら、教えてください。伝承でも結構です。お願いします。

Aベストアンサー

結論を言いますと、家臣屋敷についての史料・記録、伝承などは存在しないのではないでしょうか?

>安土城の資料には、伝秀吉邸や前田利家・徳川家康邸などの記録がありますが、
そう見寺所蔵の「近江国蒲生郡安土古城図」だと思います。この古城図の郭に武将名が書かれており、彼ら家臣屋敷の存在を示すものと考えらていました。しかし、「家康公」の記載が見られ、織田家臣でもない徳川家康の屋敷が城内にあるのはおかしいということで、現在、これらの武将名については信憑性の無いものと評価されているようです。

つまり、貞享4(1687)年以降に作成された、この古城図の記載から後世の人間が各家臣屋敷跡地として考えたのです。学術的に「近江国蒲生郡安土古城図」が評価されていないとすると、現在言われている各武将の屋敷跡地は、実際の伝承ではないことになります。残念ながら、安土城の家臣屋敷については、史料や伝承が残されなかったということですね。もちろん、この古城図の武将名が屋敷地の伝承に基づいて記されているということが解明されれば、屋敷伝承地ということになりますが…

では、この古城図に記載される武将名はなんなのか?
参考URLをご参照ください。
この記述はあくまでも一説だと思ってくださいね。

それにしても、「近江国蒲生郡安土古城図」には「明智光秀」の記載もありませんし、他の絵図等でも「明智光秀屋敷」などは見たことないですね~。

参考URL:http://osaka.yomiuri.co.jp/azuchi/ca981106.htm,http://osaka.yomiuri.co.jp/azuchi/ca981113.htm

結論を言いますと、家臣屋敷についての史料・記録、伝承などは存在しないのではないでしょうか?

>安土城の資料には、伝秀吉邸や前田利家・徳川家康邸などの記録がありますが、
そう見寺所蔵の「近江国蒲生郡安土古城図」だと思います。この古城図の郭に武将名が書かれており、彼ら家臣屋敷の存在を示すものと考えらていました。しかし、「家康公」の記載が見られ、織田家臣でもない徳川家康の屋敷が城内にあるのはおかしいということで、現在、これらの武将名については信憑性の無いものと評価されているよ...続きを読む

Q明智光秀と天海

明智光秀と南光坊天海は同一人物という説
山崎合戦で秀吉に敗れ落ち武者狩りで死んだはずですが生きていたんですね?
 天海が光秀とする証拠は天海は後に徳川幕府のブレーンになりますが、二代将軍が秀忠(この場合の秀は秀吉から一字もらった)なので後継の竹千代に自分の名を一字とって家光とつけさせた という話
家光は後に なぜ自分の名は 祖父家康と父秀忠からとった家忠ではないのか?
と秀忠に尋ねた際に秀忠は 公家に家忠と言う人がいてかぶるから…と苦しい言い訳をしていましたね

Aベストアンサー

私、その話はできれば信じたいのですが、天海の没年を光秀の年齢から計算すると100歳くらい生きたことになるらしいので、さすがにそうなると信憑性は低いかなーと思っています。
信長生存説は、まあないでしょうね。なぜ二度と表舞台に登場しなくなったのか上手い説明がつかないですからね。秀頼生存説はあってもいいように思いますが、あまり聞かないですね。秀頼といえば、よく徳川埋蔵金を探す人がいますが、幕末の徳川家にはお金なんてありませんでした。大阪城が落城したときにかなりの金銀が押収されたなんて話もありますから、豊臣埋蔵金のほうがありそうな気がしますが、なぜかそれもあまり聞かないですね。

Q歴史に明智光秀 が登場できるのは

写真も証言もある南京大虐殺が存在するしないで争っているのに、どうして明智光秀は存在できるのですか?

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89

南京で虐殺があったのは事実ですが、人数に諸説あり、大虐殺か小虐殺かは不明です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
明智光秀はなぞはあるものの、様々な書物、辞世の句、娘の存在などで
生存が裏付けられています。


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