マルクス主義の唯物史観がよくわかりません。唯物論と弁証法を足したものだと思うのですが、どう絡み合っているのかよく理解できません。また、マルクスを理解するにはどのようなイメージを抱けばよいでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

あー、こちらの問題にはどなたも答えておられませんね・・



マルクスの唯物史観の話をする前に、ヘーゲルの歴史観つまり社会の発展は世界精神の自己展開による、という話を思い出していただきたいです。この世界精神が自己展開するときの方法が「弁証法」でありました。

さて、マルクスの歴史観は、社会の発展は「生産力と生産関係の発展に差が生じてその矛盾を解決しようとして起こる」としました。生産力とは現実の世界の中で農業や工業などでものを生産する力を指し、生産関係とは社会の体制、在り方を示します。社会はその生産力にふさわしい生産関係がある、というのがマルクスの考え方で、ある社会体制のもとで生産力が発展していっても、生産関係は変化しにくくそこに生じる矛盾が革命を引き起こしてあらたな生産関係を作る、と述べこの社会の発展法則が弁証法だと言ったわけです。

つまり、ヘーゲルのように「観念」の自己展開によって歴史が発展するのではなく、あくまで生産物という「物」が弁証法的に展開して発展するとし、これを史的唯物論または唯物史観というのです。

ま、カントの時と同様、いろいろとつっこまれるところはありますが、とりあえずこの辺でおしまいにいたしましよう。
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この回答へのお礼

こんにちは、aminouchiさん。こちらでもお答えくださって恐縮です。ヘーゲルの歴史観まで御説明していてどうもありがとうございます。いままで、ヘーゲルとマルクスの関係が全然見えなかったのですが、御説明を聞いてスパッと理解することができました。とてもわかりやすかったです。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/10/26 01:11

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Qマルクスの唯物史観についてわかりやすく簡単に教えてください!

センター試験の倫理の勉強をしているのですが
参考書を何度読んでも
マルクスの唯物史観だけがイマイチわかりません
(「疎外」についてはさすがにわかりますが)

どなたかおしえてください

Aベストアンサー

生産構造が社会構造を決定して、社会構造の変化が歴史である。
よって、個別の人間の判断とかは関係なく必然的に歴史は動く。
生産構造の変化では

原始共産制 奴隷制 封建制 資本主義 と変化した。

この変化は、必然なので、どこの社会でも同じように進む。
ヨーロッパも、アジアもどこでも。
====下記はマルクスは言ってないらしい。
なので、資本主義は社会主義に必然的ににすすむはずなのである。

Qマルクス主義と世界システム論について

マルクス主義歴史学は
発展史観(人間は発展・進歩していく)という考えで
世界システム論はウォーラーステインが考えたもので
先進国の豊かさと発展地上国の貧困は表裏一体のものである
というのは分かるのですが
双方をどのようにしてまとめればいいとおもいますか?

自分としては…
歴史的・社会的にまとめて
現代社会の豊かさと貧しさの違いを
どのようにして説明しているか
を説明しようと思っています。

どのように書けばいいと思いますか?

Aベストアンサー

ヘーゲル・マルクス的史観(発展史観)に加えて、戦後に台頭したフェルナン・ブローデルのアナール学派史観(こちらは、歴史を社会学的視点等から考察する史観)を取り入れたのがイマニュエル・ウォーラーステインの世界システム史観ですね。

この変化は、やはり社会が歴史主義(あらゆるモノを歴史と結びつける思想)から経済主義(同じくあらゆるモノを経済と結びつける思想)への変化が関係していると個人的には思いますね。
18~19世紀(ヘーゲル以降)は、歴史主義が中心でした。
しかし20世紀、特に二つの世界大戦以後は経済が中心になりました。
この変化の間に居たのがマルクス、体現しているのがウォーラーステインだと思います。
私の場合は、思想史・歴史観史的な面から切り込んだ方が纏めやすいのでそちらをお薦めしますね。

(18C)ヘーゲル>(19C)マルクス+実証主義(ランケ主義)>(20C)アナール学派>ウォーラーステインと、思想史的に纏めると良いかな~と。

その課題で自分が纏めるなら~という設定で考えてみただけですので、参考程度ですが、お役に立てれば幸いです。

ヘーゲル・マルクス的史観(発展史観)に加えて、戦後に台頭したフェルナン・ブローデルのアナール学派史観(こちらは、歴史を社会学的視点等から考察する史観)を取り入れたのがイマニュエル・ウォーラーステインの世界システム史観ですね。

この変化は、やはり社会が歴史主義(あらゆるモノを歴史と結びつける思想)から経済主義(同じくあらゆるモノを経済と結びつける思想)への変化が関係していると個人的には思いますね。
18~19世紀(ヘーゲル以降)は、歴史主義が中心でした。
しかし20世紀、特...続きを読む

Qマルクス主義

マルクス主義は革命においては暴力を認めていたのでしょうか?
あと、(ドイツ)社会民主党には左派、右派があったのでしょうか?もしあるならばそれぞれの特徴を教えてください。

Aベストアンサー

> マルクス主義は革命においては暴力を認めていたのでしょうか?

認めていました。

『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen4.html
(引用開始)
共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。(引用終り)

もっとも、マルクス=レーニン主義では、国家を暴力装置と捉えているので、暴力装置を打倒するには暴力で、という理論になっています。

『国家と革命』(レーニン著)。第四インター系の機関誌「青年戦線」による解説。
http://redmole.m78.com/sosialism/kokka.html
(引用開始)
国家権力の本質が、支配階級による被支配階級にたいする暴力装置である以上、プロレタリアートの革命は、この支配階級の暴力を打ち破る、プロレタリアート自身の組織された階級的暴力の行使としてなされなければならない。(引用終り)

倒される方も倒す方も暴力かよ……実は、マルクス主義の弱点の一つが「国家論」だと言われています。「共産主義社会では国家は死滅する」と唱えているので、死滅するようなものについて、深く考える必要はないと思っていたのでしょうか。

日本共産党も暴力革命を主張していた時期がありましたが、その後、議会主義に転じました。議会で多数を占めることによって政権を獲得する、という立場です。しかし、警察庁などは、「日本共産党は暴力革命を完全には放棄していない」と勘ぐり続けています。違法な盗聴まで行なって、共産党を監視していることが知られています。

暴力革命の方針を堅持する日本共産党(警察庁)
http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_01.htm

日本共産党幹部宅盗聴事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%B9%B9%E9%83%A8%E5%AE%85%E7%9B%97%E8%81%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

> (ドイツ)社会民主党には左派、右派があったのでしょうか?

ありました。第一次大戦に際し、左派は反戦の立場をとり、右派は戦争遂行に協力しました。
右派は社会民主党に残り、左派は党を飛び出して独立社会民主党を結成しました。独立社会民主党は、さらに左派・右派に別れ、左派がドイツ共産党となりました。独立社会民主党右派は社会民主党に復帰しました。

> マルクス主義は革命においては暴力を認めていたのでしょうか?

認めていました。

『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen4.html
(引用開始)
共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。(引用終り)

もっとも、マルクス=レーニン主義では、国家を暴力装置と捉えているので、暴力装置を打倒するには暴力で、という理論になっています。

『国家と革命』(レーニン...続きを読む

Qマルクス主義とナショナリズム

よく聞くのですが、なぜマルクス主義とナショナリズムは関係あるのですか??
お願いします><

Aベストアンサー

ナショナリズムとマルクス主義は、基本的には相容れません。ナショナリズムは、国民あるいは民族(英語にするとどちらもネイション)が国家の基本たるべし、と主張する議論ですが、マルクス主義は基本的には民族を単位に考えるのではなく、労働者とか農民とか、「階級」を基本に考えます。「民族」の枠を超えて、「万国の労働者よ、連帯せよ!」と呼びかけるわけですね。
むしろ1950年代までは、アメリカが世界中で「民族自決」つまりナショナリズムを推進していました。第二次大戦まではイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国がアジア、アフリカ諸国を植民地にしていましたから、アメリカはそうしたアジア、アフリカの国々に「ヨーロッパを追い出して自分の民族の国を作れ」とナショナリズムを応援していたのです。
ソ連、つまりマルクス主義の共産主義国はむしろ、アジア、アフリカの国々の労働者や農民を応援していたのですが、どうしてもナショナリズムの勢いのほうが強い。そこで、1956年以降、ソ連の共産党は「ナショナリズムを掲げるアジア、アフリカの政権も応援していかないと、こうした国々がアメリカに取られてしまう!」と考えて、ナショナリズムを主張する国でもちょっとでも社会主義的な政策をとるなら応援する、というふうに方針を変えます。フルシチョフという当時のソ連共産党書記長が方針を変えたのです。
つまりマルクス主義とナショナリズムは本当は合わないものだったのだけど、ソ連とアメリカの覇権争いのなかでマルクス主義もナショナリズムを許容しなければならなくなったというわけです。

ナショナリズムとマルクス主義は、基本的には相容れません。ナショナリズムは、国民あるいは民族(英語にするとどちらもネイション)が国家の基本たるべし、と主張する議論ですが、マルクス主義は基本的には民族を単位に考えるのではなく、労働者とか農民とか、「階級」を基本に考えます。「民族」の枠を超えて、「万国の労働者よ、連帯せよ!」と呼びかけるわけですね。
むしろ1950年代までは、アメリカが世界中で「民族自決」つまりナショナリズムを推進していました。第二次大戦まではイギリスやフランスなどの...続きを読む

Qマルクス主義とは??

戦後教育の思想(?)となったマルクス主義とはなんなのでしょうか?興味をもって調べてみたんですが、弁証法的唯物論だとか、史的唯物論だとかちょっとわからなくて・・・。
すみません、少しわかりやすく(といっても高校生なのでちょっと難しくても分かると思うんですが)教えていただけないでしょうか??

Aベストアンサー

唯物論とは、簡単に言えば「モノが人の行動を規定する」という考えです。つまりマルクスに言わせれば、モノをめぐり人類は争ってきたと言っているのです。
しかも弁証法的にです。弁証法とは「二つの対立の中から新たな進歩的な物事が誕生する」という考えです。
ですから彼の唯物史観(史的唯物論)とは、こうなります。
(1)人類の歴史は常にモノをめぐる対立の繰り返しであった。つまり古代社会では地主と奴隷またはコロヌス、中世は封建領主と農奴または都市市民、近代社会は資本家と労働者という対立です。
(2)次に歴史は、被支配者が暴力によって支配者を打倒してきた。あるいはその支配力を低下させ、社会や経済は発展してきた。市民革命はその典型。
(3)結論として、19世紀は労働者が資本家を暴力で打倒し社会主義を実現する番だ。
おわかりですか?
要するに、労働者が暴力(社会主義革命)によって資本家階級を打倒するのは、歴史の流れとして当然だと主張しているのです。そして、そのために国境を越えて全世界の労働者が団結するべきだと訴えたのです。
これがマルクス主義です。
参考までに、それに対して19世紀末~20世紀初頭のドイツでは、ドイツ社会民主党が議会で多数議席を獲得したこともあり、暴力によるのではなく、議会を通じて平和的に・漸進的に社会主義を実現していこうという考え方が主流になります。これを修正主義と言います。

唯物論とは、簡単に言えば「モノが人の行動を規定する」という考えです。つまりマルクスに言わせれば、モノをめぐり人類は争ってきたと言っているのです。
しかも弁証法的にです。弁証法とは「二つの対立の中から新たな進歩的な物事が誕生する」という考えです。
ですから彼の唯物史観(史的唯物論)とは、こうなります。
(1)人類の歴史は常にモノをめぐる対立の繰り返しであった。つまり古代社会では地主と奴隷またはコロヌス、中世は封建領主と農奴または都市市民、近代社会は資本家と労働者という対立です。...続きを読む


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