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勝者が敗者を裁いた東京裁判の法的根拠は何だったのですか? その当時国際裁判を法的に裏付けるものはあったのでしょうか?

(同時にドイツのニュルンベルグ裁判の法的根拠も含みます)

A 回答 (6件)

日本政府の見解では



ポツダム宣言 第10項
極東国際軍事裁判所条例

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/shiry …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/28 17:28

#5には感心しましたが、少し補足を。



まず、日独の戦争が国際法上で、違法だということを連合国は前提してますが、これは1928年締結の不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)で、国際紛争解決の手段としての戦争が禁止されていて、日本もこれに参加・批准していたことに求められます。

また、罪刑法定主義に反する、ということについては、「法的確信」という法源を用いたことになっています。「法的確信」とは、ほとんどの人がそうすべきだと確信しているときには、それは法として適用できる、という考え方です。
罪刑について、「法的確信」というあいまいなものに頼る、というのは法理論上では重大な欠陥を有している、というのは否めないでしょう。しかし、アジア太平洋の人々が、「ああいうひどいことをしたのだから刑罰を与えるのは当然」と考えていたのであれば、それは一概に遺法とか不当とかは言えないと思います。

法理のレベルでないところでは、東京裁判は必要だったと思います。国際連盟規約→不戦条約→国際連合憲章という、戦争の違法化の流れを国際法に定着させるためにはA級戦犯を裁くことは有効に機能しました。公然たる国連憲章違反を繰り返すアメリカも、「戦争は遺法」という原則自体は認め、自らの行為を自衛権から説明しようとしています。それが詭弁であったとしても、アメリカが「戦争一般の合法化」を主張し得ないのには、それなりの歴史的背景があり、その中にニュルンベルク裁判と東京裁判も位置づけられると考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/28 17:54

東京裁判の法的根拠は、次の3つだと思います。


(1)ポツダム宣言第10条――特別法は一般法を破る
(2極東国際軍事裁判所条例――軍律裁判は事後法で裁くことがある
(3)国際慣習法、学説――国際法の法源


【解説】
(1)ポツダム宣言第10条――特別法は一般法を破る

http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html
> 十 われらは、(中略)われらの俘虜を虐待した者を含む
> 一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。(後略)

「勝者が敗者を裁くのは不当だ」と悲憤慷慨してやまない人もいるようですが、日本がポツダム宣言を受諾して降伏したという事実を、忘れてはなりません。そのポツダム宣言に、「われら(連合国)は、……一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」と書いてある以上、日本の一切の戦争犯罪人が連合国から厳罰を受けることは、避けられなくなりました。「一切の」という文言から、連合国が戦犯の範囲を最大限広く取る決意であることも、読み取れます。
昔は、敗軍の将は斬首・晒し首になったりするのも当たり前でした。しかし近代以降になると、それが国際的な慣習ではなくなりました。一方、既に第二次大戦前から狭義の戦争犯罪が、国際法や各国の軍事法規で規定され、処罰されていました。
つまり、第二次大戦当時、狭義の戦争犯罪の違法性は確立していたが、広義の戦争犯罪を罰する明文の規定やはっきりした慣習はありませんでした。しかし、ポツダム宣言は日本に対し、戦争犯罪人をことごとく処罰すると宣言しています。

さて、kiyotti さんは、「特別法は一般法を破る」という法理をご存知だと思います。法学の教科書の最初の方に書いてあります。
国際法でいうと、特別法に当たるのは、数カ国の間で結ばれた条約などです(受諾させられた宣言も含む)。日本敗戦の後始末については、ポツダム宣言が特別法の一つに相当し、1945年当時の国際一般法を、同宣言の規定の限りにおいて破る権限が、連合国に与えられました。同宣言を受諾することにより、日本もそれを認めたのです。

要するにこの項で何を言いたいかというと、「戦争犯罪については、当時の国際法の一般法に従い、狭義の戦争犯罪しか処罰できないはず」という主張は、誤りだということです。
だからと言って、連合国が日本の戦争犯罪人の範囲をどこまででも広く取っていいということにはなりません。つまり問題は、「一切の」戦争犯罪人とはどこまでか、という判断です。


(2極東国際軍事裁判所条例――軍律裁判は事後法で裁くことがある

連合国は、日本にポツダム宣言を受諾させたことにより、日本の一切の戦争犯罪人を処罰する権限を手に入れました。それでは、具体的にどう裁くか。それを定めたのが、マッカーサーの権限で発布した極東国際軍事裁判所条例です。マッカーサーは、連合国からその権限を付与されていました。
さて、kiyotti さんは「軍律裁判」をご存知でしょうか? もし初耳だったら、『軍律法廷―戦時下の知られざる「裁判」』(北博昭 著、朝日新聞社の朝日選書)がよくまとまっているので、おすすめです。ただし、同書は「ドーリットル空襲裁判」や「名古屋空襲裁判」を解説したもので、東京裁判を中心に論じたものではありませんが、東京裁判も一種の軍律裁判であろうと私は思います(連合国は公式にはそう言っていないようです)。この場合、「極東国際軍事裁判所条例」は軍律の一種ということになります。

軍律裁判は、いわゆる軍法会議とは異なります(軍法会議も軍律裁判も、軍事裁判ではある)。手短に言うと、占領軍は、軍が定めた軍律を占領地で発布し、被占領民(敵国の軍人・文民)を裁く権限があるということです。さて、軍律裁判というものが存在することに納得できた場合は、ここから「(ここまで飛ばす)」まで読み飛ばしてくださって結構です。

陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約附属書 陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則
(いわゆる1907年ハーグ陸戦規則。以下、「ハーグ」と略す)
http://homepage1.nifty.com/arai_kyo/intlaw/docs/ …
第四三条[占領地の法律の尊重]
国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。
The authority of the legitimate power having in fact passed into the hands of the occupant, the latter shall take all the measures in his power to restore, and ensure, as far as possible, public order and safety, while respecting, unless absolutely prevented, the laws in force in the country.
(引用終わり)

このように、ハーグ四二条~五六条は、占領とは一時的敵地支配の事実状態であって、占領国がその領域の主権者となるのではないとし、占領統治や住民の保護などについて定めています。
しかし、それらの制限規則も、占領軍にかなり広い裁量の余地を残すものでした。四二条は、「軍律」の法的根拠を示唆しているとされています。その権限を乱用しないよう制限しているのが、四三条の「占領地の現行法律を尊重せよ」ですが、逆に言うと、占領軍が「占領地の秩序を確保するために絶対的な支障がある」と主張すれば、独自に軍律を発布できる余地が残っています。
また、ハーグに言う「占領」は、「軍事占領」(休戦が成立する前の、交戦軍隊による事実上の占拠・権力確立。四二条を参照)をさすと解されることが多く、それに対して1945年以後の日本の占領は、「戦後占領」と呼ばれます(休戦協定は成立しているが、講和条約はまだの状態)。東京裁判当時の占領はこの「戦後占領」なので、ハーグ四二条~五六条よりも、ポツダム宣言・降伏文書という休戦協定の取り決めが優先するというのが、学界の通説です(『憲法1 第3版』野中俊彦他著、有斐閣、65頁。これも「特別法は一般法を破る」の適用)。
これらハーグ四二条~五六条の欠点は、1949年ジュネーブ第4(文民)条約で、ようやく補われました。しかし、東京裁判は同条約より前なので、適用されません。
(ここまで飛ばす)

さて、軍律裁判では、占領軍が後から定めた事後法で裁くことがあるのです。これは、占領統治を行うための権限と考えられます。
他でもない我が日本も、(戦時中に)米軍人の戦犯を裁く時、事後法で裁きたいが為に、わざわざ軍律法廷を開廷しました。すなわち、ドーリットル空襲の搭乗員たち(不時着や撃墜により日本軍の手に落ちた)を死刑に処した裁判です。日本は彼らに厳罰を科したかったが、当時適用できる法律がありませんでした(ドーリットルらは国際法違反の疑いがあったが、処罰する法律がなかった)。また、後から法律を制定しても、遡っては適用できません。そこで、「事後に軍律を制定して、その軍律で裁く」という奇手を用いたのです。
軍律裁判は、当時すでに国際慣習化されており、占領地などで開廷するのは奇手ではありません(例えば1945年~52年の日本など)。しかし、ドーリットル空襲(1942年4月18日)の時の東京は占領地ではないし、戒厳令下でもなかったので、常法が生きていました(戒厳令下ならば常法が停止されるが)。それなのに軍律裁判を開いたのは異例であり、罪刑法定主義を回避するための奇策でした。

なお、ドーリットル空襲裁判や名古屋空襲裁判は、戦後、連合国に逆に裁き返されて、ややこしい話になりました。詳しくは、前出の『軍律法廷―戦時下の知られざる「裁判」』をご覧ください。また、「ドーリットル裁判を反転して巨大化したのが東京裁判だというなら、連合国がドーリットル裁判を裁き返したように、日本も東京裁判を裁き返せる」という議論もあるかと思います。しかしそれは、日本がもう一度世界を相手に戦い、今度は勝てば、という場合の話でしょう。私は真っ平ごめんです。


(3)国際慣習法、学説――国際法の法源

難儀なことに、連合国は、「東京裁判は事後法で裁いたのではない。軍律裁判ではない。公平な裁判だった」と言っています。その欺瞞を指摘するのは、たやすいでしょう。私はすでに(1)で、「第二次大戦当時、狭義の戦争犯罪の違法性は確立していたが、広義の戦争犯罪を罰する明文の規定やはっきりした慣習はありませんでした」と述べています。しかし、東京裁判を全否定する余り、空理空論に陥っている人もいるようです。
例えば、「裁判官は連合国から派遣されていたから、公平ではない。中立国から選ぶべきだ」と主張する人がいます。しかし、ほぼ全世界を巻き込んだ大戦争の後始末を、中立国が引き受けるとでも思っているのでしょうか? そんなことに巻き込まれたくないからこそ、中立を保ったのではありませんか? 「中立国の判事団で裁判を」というような主張は、第二次大戦に関する限り、空理空論というしかありません。
次に、「戦勝国の戦争犯罪人は処罰されず、敗戦国だけが処罰された」と不平を鳴らす人がいます。しかし、戦勝国に敗戦国の戦犯を処罰する権限はあっても、敗戦国に戦勝国の戦犯を処罰する権限はなかったのだから、仕方ない話です。今日でも、法的に権限のない者が、法的な権限を行使することはできないではありませんか。
また、戦勝国が敗戦国に報復するのは、当たり前です。完全に子分になってしまうなら話は別ですが、敗戦国を制裁しない方が変でしょう。東京裁判は、敗戦国日本に対する制裁を、裁判の形式で行ったものです。分かりきった話であり、「勝者による裁きに過ぎない!」と飽きもせず恨み節を唸るのは、何を甘っちょろいことを言っているか、という感じがします。

つまり、東京裁判は「偽装された形式」であり、問題は、その偽装がどの程度巧妙であったか、また偽装であるにもかかわらず、実質的にどのような効果を揚げたか、といったようなことでしょう。「実質的にどのような効果を揚げたか」は重要な論点ですが、ここでは論じません。ここでは、「事後法ではなく、当時すでに、連合国が依拠したような国際法があった」という主張が成り立ち得るか、を論じます。……しかし、すでに私の文章は長く、誰にも最後まで読んでもらえない恐れさえあるので、結論だけ述べます。
以下のような論理をつなぎ合わせれば、「事後法ではなく、当時すでに、連合国が依拠したような国際法があった」という主張も成り立つでしょう。しかし、甚だ苦しい理屈です。
・当時の(そして今でも)国際法は非常に不完全なものであり、成文法の割合が少なかった。
・国際慣習法の成立根拠は、「諸国の慣習」と「法的確信」の両方とされているが、片方だけでも成立するという説がある。
・国際法では、成文法、慣習法だけでなく、判例、さらには学説までもが法源とされることがある。
・国際法にはアドホック性があるという説がある。


【付言】
私は、東京裁判を「合法・不当・必要」だったと考えています。「合法」とは、アクロバットみたいな理屈によって、東京裁判が合法的に成立したということであり、「不当」とは、裁判の形式を偽装したが不完全だったこと、天皇を免責したことであり、「必要」とは、東京裁判のお陰で軍国主義の大掃除ができて、戦後日本の繁栄の基礎が固まった、ということです。
侵略戦争の指導者として、誰かが罪を引き受けなければ、昭和天皇裕仁に累が及ぶところでした。

第一次大戦後、敗戦国ドイツの皇帝ウィルヘルム2世は、「国際道義に反し条約の神聖を冒した」という良く分からない理由で、米英仏伊日の5カ国(戦勝国)の裁判官による裁判にかけられることに決まりました。日本も、この裁判に賛成したのです。しかし、皇帝は中立国オランダに亡命し、オランダが引渡しを拒否したので、裁判は不発に終わりました。
なお、昭和天皇は亡命せずに済みました。


【参照・引用した本】
『軍律法廷―戦時下の知られざる「裁判」』(北博昭 著、朝日新聞社の朝日選書)、『世界大百科事典』(平凡社)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

詳しく説明していただき恐縮です。

お礼日時:2005/08/28 17:50

>その当時国際裁判を法的に裏付けるものはあったのでしょうか?




ありませんでした。

『極東国際軍事裁判所条例』は「法」ではありません。

アメリカ統合参謀本部の「行政命令」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/28 17:30

法的根拠はないですよ。


だって、事後法により裁かれた訳ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/28 17:29

あるわけないでしょ?


勝てば官軍。それだけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>勝てば官軍。それだけです。

それはそうなんですがどこかに根拠を求めたかったんです。

お礼日時:2005/08/28 17:14

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