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なぜ三島由紀夫は割腹自殺したのでしょうか?

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A 回答 (5件)

三島の自殺の原因・理由を説明しようとする人は、ややもすると三島自身の説いた死の美学に迎合した解釈に陥りがちです。



それに惑わされることなく彼の軌跡をたどってみますと、彼はもともと生きたくなかった、ずっと生きるのが辛いと思い続けてきた人です。
プライドの高い三島だけに、そうとは明言していませんが、どの作品にも露呈しているのは、彼が他人との人間関係を円滑に結ぶのが苦手な人だったということです。

でも、そういう自分が生きていくためには、孤高や反俗のポーズを取るしかなかったのでしょうね。
幸か不幸か、それが一応功を奏して、周囲からは天才作家のように称えられ、本人も何度となくその気になったはずです。
しかしながら、彼自身はいずれも意識裡に潜んでいる対人恐怖的なコンプレックスの裏返し、単なる虚勢でしかないことを自覚していたはずです。

ういう自覚をした人間にとって、自他を欺きつつ現実社会を生き続けることほど苦しいことはなかったと思います。
自分を騙し続けることに疲れ切ったとき、あるいはそれに限界を感じたとき、彼は自ら命を絶ったのだと言うことができます。

この回答への補足

なるほど、十人十色の解釈があるということですね。

補足日時:2005/08/21 18:46
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はじめまして。

私は学生時代、卒業論文のテーマとして「三島の滅びの美学」を調べていました。私なりの解釈としては、遺作となった「豊饒の海」四部作や「憂国」などを読まれるとなんとなくわかると思うのですが、三島自身、老いや醜さを非常に恐れていました。幼少の頃のコンプレックス(ひ弱な色白の少年ということ)から筋骨逞しい肉体の憧れが強く、剣道やボディビルに励み肉体を手に入れますが、失うことを恐れると同時に、美しさの絶頂で全てを滅ぼしてしまうことを究極の美と考えてもいました。
 それゆえに、三島由紀夫自身、肉体も才能も絶頂の時に自滅させることで自らの美学を完成させたのではないかと考えています。豊饒の海の最終章「天人五衰」は衰えへの
恐れや虚しさが書かれており、とても切ない物語です。

この回答への補足

三島由紀夫のふんどし姿で棒を持っている写真がよく出されるのはそういうわけなのですね。

補足日時:2005/08/17 20:44
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こんにちは。



彼は「死」にとても高い価値を置いていた方だと思うんです。

普通の感覚では「生きること」に価値を置きますよね。

三島由紀夫は「死」に価値を置くことによって、その人の「生」も光り輝くという考えをもっていたように思います。

その事を自ら大衆に示したのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

すごい人ですなぁ。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/16 19:37

三島の自決については、はっきりとした理由は不明です。

よって様々な論考や解釈がありますが、有力な説(と私は思っています)として、

○もともと自殺願望があった(一度試みて失敗したことがあるという)

 ・意識の中に太宰治のこともあったのでしょうか

○「右翼」三島の心情を徴発するような社会状況や事件の頻発
 
 (天皇パチンコ事件、東大安田講堂事件、よど号事件etc.)

○三島の行動に共感する同志(楯の会)の存在

よって、三島の死は「政治的」外形をとった自殺であり、本来政治的な意味は無く、自分の美学のために死んだ。
だが一方、三島と共に自決した楯の会メンバーの森田必勝にとっては、その死は政治的な目的があり、それぞれが利用しあったのではないか、という説です。
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この回答へのお礼

ふむふむなるほど。かなり説得力がありますなぁ。

お礼日時:2005/08/16 19:36

憂国の士といわれた彼の作品を読まれて、自分で考えましょう


人の心の中は他人には簡単に語れません。

彼を尊敬する浅田次郎のエッセイとかのなかにも彼のことを語る部分が結構あります。
三島が割腹した部屋の後始末を当時自衛隊にいた彼が血の後始末をしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。自分であとはがんばります。

お礼日時:2005/08/16 19:35

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Q三島由紀夫の割腹自殺の理由は?

彼が自衛隊に乗り込んで演説をして、そのあと割腹して自殺をした、
ということは知っているのですが、(学校でちょっと習った)
彼は、何故そういう行動にでたのでしょうか。
なぜ、自殺しなければならなかったのか。割腹することにどんな意味がかくされているのか。とかその理由が知りたいです。
右翼・左翼者だったのでしょうか。

そして、その行動を当時の人はどう捉えていたのか。
(例えばあきれていた、とか、尊敬した、とか。)

三島の割腹で世間にどんな影響をあたえたのか、

など、ふと気になって、三島について学校の先生に聞いたら、思いっきりひいて変人扱いされてしまいました・・。(で、聞きそびれてしまって。)
知っていたら、教えて欲しいです。

Aベストアンサー

 
  あまり三島については、詳しくないのですが、わたしの知っているというか、考えられることを述べます。
 
  >彼は、何故そういう行動にでたのでしょうか。
 
  三島由紀夫という人は、非常にナルシシズムの強い人でした。また、自己の性的同一性に不安感を抱いていました。非常に明晰な思考力があり、優れた感性の持ち主でしたが、論理的に思考すると言う点では、問題がありました。あるいは、もしかすれば、三島は敢えて、論理的に考えることを避けたのかも知れませんが、やはり、美的感性判断が優先していたのでしょう。
 
  三島は女性が優越する家庭で育ち、男らしさにコンプレックス(複合感情)を抱いていました。また自己の肉体が貧弱で、男らしくないとも感じていました。彼は優等生で秀才で、上級職公務員になりますが、学習院時代から小説を書くことを得意とし、東大に進学してからも、やはり小説を書いていました。彼の小説は、一種の人工の美の小説で、彼のコンプレックスの補償の一面があります。
 
  三島は、自己の美的志向と、自己の男性性の確認のため、「男性の美学」というものに憧れ、「おとこ」たる者、生まれ来てなすべきことは、最善には何かという問いで、それは国家のために自己の命を犠牲にすることだと考えました。国家あるいは、祖国、日本の伝統に殉じることこそ、男の本懐だと考えました。そのようにして国に殉じることで、自己の「男性性」がまっとうされると考えました。
 
  男性の優位性を法的にも承認したのは、明治天皇制国体でした。また、伝統の武士のエートスは、男性の「いさおし」を讃美するものとして、三島は、武士の理想の姿を自己に重ねようとしました。こうして、彼は、古い武士のいさおしの理想を語ると共に、国に殉じることこそ、男子の本懐で、その場合の「国、祖国」とは、彼の美意識からして、大衆が跋扈する近代・現代社会ではなく、身分制があり、優れた者が人々を指導する貴族制社会、モデルとすれば、明治の天皇制国体だと考えました。また「日本の古来よりの伝統」は、天皇制にあるとも考えました。
 
  これが、三島が「右翼思想家」と見做される理由ですが、三島は、理論的右翼というより、美的右翼ともいうべきで、西欧の美術や文学でも、男のいさおしを称え、生死の美学を語るものは、これを評価しました。例えば、古典ギリシアなどです。
 
  三島はまた、「老醜」というものを嫌いました。若い絶頂の美のなかで、国に殉じて死んで行くのが望ましく、美しく、べんべんとして年を取り、老醜の姿、人生を晒したくないとも願っていました。「神々に愛された者は若く死ぬ」ということは、三島には、理想でもあったのです。
 
  三島は非常に几帳面で、例えば、割腹自殺の前にも、依頼された原稿の最終原稿を、時間通りに仕上げ、これを、編集者に渡しています。
 
  三島は、自分の人生を自分で、美的に演出したかったのです。思想的に見れば、また価値があるかも知れませんが、三島自身にとって、右翼とか天皇制は、自分の美学を支えるための要素で、いさぎよく、美しい「死の機会と意味を与えてくれる」装置であったと言えます。三島は自分の手で、自分の意志で、自己の人生を美的に完成したかったのです。また、その死が、日本の伝統のなかで、意味を持つようにしたかったのでしょう。こういう訳で、色々複雑な動機があり、しかし、やはり、自己の死を自分で選び、夭折し、美的な人生を実現したかったというのが基本的な動機だと思います。
 
  >そして、その行動を当時の人はどう捉えていたのか。
 
  次の質問の答えと重なりますが、三島の思想や著書をよく冷静に読んでいた人や、世間一般の人は、驚くと共に、自己の美学に陶酔して、ぎりぎりの決断で死んだのだと捉えたでしょう。非常識あるいはアナクロニズムで驚いた人、理解できないと感じた人もいましたし、外国では、日本人はいまでも「ハラキリ」するのか、と驚いたとも言われています。
 
  他方、右翼の運動者たちには、三島の(美学的)国粋主義や憂国の考えに共鳴して、高く評価した人もいましたし、三島は時代が必要とする行為を、命を投げ出して、身をもって示した英雄だという捉え方もあったでしょうし、三島の自決を、うまく利用しようとする、右翼や国粋主義者もいたでしょう。
 
   >三島の割腹で世間にどんな影響をあたえたのか
 
  以上に述べた通りで、世間は驚いたのですが、三島の思想が大衆に浸透することはありえませんでした。三島は、自己の美学に殉じたので、アナクロニズムなところのある、一つの国粋の理想に殉じようとする者の見本とも取られましたが、広く共感を社会には得ることができず、大きな影響とはならなかったでしょう。(右翼思想の象徴としての役割は果たしましたが、いまは、その影響も小さくなったことでしょう)。
 

 
  あまり三島については、詳しくないのですが、わたしの知っているというか、考えられることを述べます。
 
  >彼は、何故そういう行動にでたのでしょうか。
 
  三島由紀夫という人は、非常にナルシシズムの強い人でした。また、自己の性的同一性に不安感を抱いていました。非常に明晰な思考力があり、優れた感性の持ち主でしたが、論理的に思考すると言う点では、問題がありました。あるいは、もしかすれば、三島は敢えて、論理的に考えることを避けたのかも知れませんが、やはり、美的感性判...続きを読む

Q三島由紀夫の切腹について

父によると切腹、介錯のシーンが生放送されたそうですが、誰も信じてくれません。他に見ていた方はいませんか?

Aベストアンサー

当時(昭和45年でしたか)、すでに大人(?)をしていました。

市ヶ谷自衛隊のバルコニーに立ち、自衛隊員の決起を促す演説のシーンは確かにテレビで放映されました。
しかし、三島自身の意に反して、自衛隊員の罵声、野次を受け、決起の意思がないものとあきらめ、今から自決することを告げ、建物の中へ消え(テレビ放映はここまで)、総監室(?)で割腹自殺をし、介錯させました。

まえの方もおっしゃっているように、自決場所は奥まった部屋であり、自決、介錯のシーンそのものの放映はありませんでした。事件後に、生々しい自決の部屋、三島本人の頭部などが写真入りで各社とも競うように出していました。
 
当時、若かったわたしにとっては、すごくショッキングな出来事でした・・・。

Q三島由紀夫の死に方はその当時どういった報道だったの?

有名人がとんでもない犯罪を犯して、割腹自殺なんて前代未聞で、平成でいうと誰がどんな事をしてどうなった状態と同じくらいですか?
実感がわかないのでこのくらいのインパクトがあるという意味でおしえてください。

Aベストアンサー

当時私は22歳。新婚ほやほやでした。
確か、日曜の朝だったと思います。朝刊の第一面にでっかく「三島割腹」の文字。三島?三島って、誰だ?
記事を読んで仰天しました。朝寝をしていた夫を叩き起こしました。
「あなた、三島由紀夫が!」
夫はがばっと起きて、新聞をひったくりました。
第一面の記事の左下に、写真が載っていました。なんと、三島由紀夫の生首でした。ちょっと不鮮明でしたが、矢印があり、「三島の首」と書かれていました。
犯罪者扱いでした。

当時、貧乏暮らしで、テレビを持っていませんでした。
新聞を繰り返し、繰り返し読みました。
あの三島由紀夫が、呼び捨てで、犯罪者として扱われていました。ショックでした。

三島由紀夫は高名な作家で、文学青年でなくても、誰でも2,3冊は読んでいました。私の本棚にも、10冊ほどの三島作品がありました。
文学青年にとっては、神様のような存在だったと思います。

その日は一日、ぼーっとして過ごしました。三十数年経った今でも、あの日のことは、鮮明に思い出せます。

Q三島由紀夫 『白鳥』の最後の一文

三島由紀夫の短編『白鳥』の最後の一文にこう書かれています。

恋人同士というものはいつでも栗毛の馬の存在を忘れてしまうものなのである。

これは作者がどのような意味を込めたのでしょうか?

Aベストアンサー

新潮文庫版でも7ページほどのきわめて短い小説ですから、
いま一度読み返してみましょう。

きゅんと身がひきしまる雪の降りしきる朝、若い男女が純白な出会いをします。
お互いが好感を持ちあい、わずかのあいだに親密になるさまが
おもに女性の目を通し心理を通して、しかも余分なところをいっさい省いて簡潔に描かれていますね。

どれほど親密になったかは、いあわせた会員たちが一つ馬に相乗りしていたのかといぶかるほどだったことからうかがえます。
そしてその心の弾みは、この朝恋人となったお互いにとっては、白い馬が二頭いたような心持ちであったと。

恋愛というものはきっと、相手を自分の理想に近づけることからはじまるのでしょうか。
そうしたことに不都合なことや似つかわしくないことは、
はじめからなかったか、あってもなかったこととして忘れ去られる。

ふたりの出会いにとって「白鳥」という白い馬は、
「その白い背からは大きな白い翼がみるみる生え」(本文からの引用)
天を駆けるペガサスのように象徴的にもなりうる。
けれどもそのほかのこと、たとえば「栗毛の馬」は代替可能であり、
なかった、いなかったとしてもかまわない。

そうしたいささか身勝手な恋人たちらしい心境にふたりがなったことをはっきり印象づけ、一つの小説が終る。
短編小説にふさわしい、そしていかにも三島らしさにあふれた、粋で洒落た締めくくりではないかと私は思います。

以上を回答とします。
以下は贅言です。

「若い女性というものは誰かに見られていると知ってから窮屈になるのではない。ふいに体が固くなるので、誰かに見詰められていることがわかるのだが。」(本文から)
ここ、エスプリのきいた言いまわしですね。フランス心理小説の系譜を思わせます。

この女性。きびきびしていて、おきゃんで、物怖じしなくて、切り口上でものを言う、ちょいと高慢な女性はきっとすこぶる三島好みです。

三島はまた、雪が大好き。『仮面の告白』に出てくる雪景色の朝、『春の雪』の降りしきる雪、
など印象的なシーンが思い出されます。

それにしても、白一色の雪の日に、白い馬に乗るのを思いつかせるのはまあいいとしても、
白づくめの衣装とまでなると、かえっていささかダサいのではないか、とも思うのですが、いかがですか?
個人的には、どちらかというと三島は嫌いな作家なんで、それで点数がカラくなるのかな。
でも、戯曲や短編はさすが、やっぱりいいものが多いですね。

新潮文庫版でも7ページほどのきわめて短い小説ですから、
いま一度読み返してみましょう。

きゅんと身がひきしまる雪の降りしきる朝、若い男女が純白な出会いをします。
お互いが好感を持ちあい、わずかのあいだに親密になるさまが
おもに女性の目を通し心理を通して、しかも余分なところをいっさい省いて簡潔に描かれていますね。

どれほど親密になったかは、いあわせた会員たちが一つ馬に相乗りしていたのかといぶかるほどだったことからうかがえます。
そしてその心の弾みは、この朝恋人となったお互...続きを読む


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