「死ぬ」ということが、なにか思想や哲学のようなものを孕んでいるか、それはわかりません。しかし、生きている人間がそこに学ぶことは多いはずです。

ヘラクレイトスは水腫症の水分を牛糞の熱で蒸発させようとして、牛糞の上に寝そべったけれど、けっきょくどうにもならず牛糞にまみれたまま死んだそうですが、他にも毒盃をあおいだソクラテス、狂気の淵に沈んだままだったニーチェなど皆さんがご存知の哲学者の死に方を教えていただけないでしょうか。

もちろん対象は狭義の哲学者に限りません。文学者、科学者、芸術家などの死に方(あるいは生き様)を、ちょっとした短い読み物を書くイメージで書いてみませんか?読んで元気が出るか、考えさせられるか、あるいはしんみりするか、笑ってしまうか、しばらく閉めずにおいておきますね。たくさんの方の回答を楽しみにお待ちしています。

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A 回答 (10件)

不完全性定理で有名な超天才数学者・論理学者クルト・ゲーデルは、食べ物に毒が入っているという強迫観念に陥って、ものが食べられなくなり、死んだそうです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB% …
(あくまでたとえ話ですが、正気の人は自分の正気を証明できない(逆に言えば、ある人が自分が正気であることを完璧に証明したとしたら、その人は狂っている)というような定理です---実際は高度で厳密な数学的定理ですけど。)
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愛読書「最期のことばー聖者から死刑囚までー」(現代教養文庫:社会思想社89年)から、印象に残ったものを。




ウィリアム・マッキンリー(第25代アメリカ大統領)(暗殺:2日後に死去:58歳)
「われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、、、ああ、なんて事だ!」

オーギュスト・ルノワール(画家、死因は書いてませんが78歳なので自然死でしょう)
「まだ上達しているぞ」

エレン・テリー(イギリスの女優・80歳)
(ベッド横のテーブルの埃の中に走り書きで)
「しあわせ。」

ニコロ・マキアヴェリ(政治学者・歴史家:58歳)
「私が行きたいのは地獄であり、天国ではない。地獄へ行けば、歴代の教皇、国王、皇太子と一緒になれるだろうが、天国には乞食と修道士と使徒しかいないのだから」

コットン・メイザー(アメリカの牧師:66歳)
「これが死ぬということですか?これだけですか?辛い死がやってこないようにと祈りを捧げているときに私が恐れていたものが、これなのですか。ああ、これは耐えられます、耐えられますよ!」

本からではなく新聞記事の記憶から:
ジョン:レノン(暗殺:40歳)
"Help! I've been shoot!"

そのままの言葉の方がいろいろ考えられるかと思いまして、資料提供でした。(入手不可能かと思いますので、、)
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ki61さんに倣って(笑)食中毒ネタ。


仏教の教祖 釈迦の話なので、知っているかも知れませんね。本にもなって有名ですし。

旅を続けていた或日のお釈迦様。途中、鍛冶屋のチェンダという男に出逢います。
チェンダは貧しい身でしたが、お釈迦様に逢えるなんて、なんて自分はラッキーなんだ、と喜びに任せ、お釈迦様を夕食に誘います。
当時のインドは身分制度が厳しく、サーキャ族の王子であったお釈迦様と、貧乏鍛冶屋のチェンダが一緒に食事をするなど、常識では考えられないことでした。が、釈迦という人は、人間に差別などあってはならない、と一心に説いた方ですから、チェンダの晩餐に喜んで招待されたのです。
しかし、チェンダの出した料理には、腐った肉が入っていました。
決して故意にではありません。ですが、それでお腹をこわしてしまったのも又事実。弟子達は、チェンダの所為で師匠が病気になられたと思っています。そこで師匠はこう言ったのです。
「私が今まで受けた布施の中で、チェンダの精一杯の御馳走程、素晴しいものはなかった」
最後まで優しい方だったのです。
しかも、各地で説法を待っている人々が沢山いらっしゃる。お釈迦様、旅を続けない訳には参りませぬ。
ようやく、クシナガラという地に辿り着いたのですが、そこでお釈迦様は入滅なされたのです。瞬間、床の周りにあった4本の沙羅双樹が、真っ白に枯れてしまったといいます。因に、80歳だったそうです。

素晴しい説法を説いて回った高僧でも、やはり人の子。一般人と同じ様に亡くなられた、という訳です。
でも何か、この話自体が命懸けの説法の様で、やはりお釈迦様は、仏教に生き、仏教に死んだのだなぁ、と感慨深くなります。
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先日回答させていただいたki61です。


不確かな情報を差し上げてしまったのに丁寧なご回答をいただいて嬉しいです。

ところでまた一人思い出しましたので、お耳汚しながらおひとつ。

石田三成です。
ご存知かもしれませんけど・・
彼は関ヶ原の合戦で東軍に敗れ捕縛されました。
結局処刑されることになり、刑場へ連れて行かれる道中、
一人の兵卒が最期に、と干柿を手渡そうとしました。

敗れた敵将へのせめてもの情けのつもりだったのでしょう。

ところが三成はそれを、
「干柿は胆の毒だ。体に良くない」
と言って断ってしまいました。

そこにいた兵卒たちは大笑いして
「もうすぐ処刑されるのに、体の心配をしてどうする」
と嘲ったのですが、彼は平然として
「お主たちはそんなに笑っていていいのか、
 今にも西軍の残党が私を救いにくるかも知れないのだぞ。
 人生は何があるかわからぬのだ、そのときのための用意はするべきだ」
と言い放ったそうです。

結局彼は処刑されてしまいましたが・・

聞いてみれば確かにもっともなのですが、
さて自分が彼と同じような状況になったらどうでしょう。
多分ばりばり干柿食べちゃうんでしょうね。
「お茶くれ」とか言っちゃったりして(^^;)

それと、私のバイト先の社長夫人の世間話に聞いた実話なのですが、
彼女が子供のころ(昭和初期)はまだ石焼芋の屋台がさかんだったそうです。

焼き芋というと、今でも若い女性が買いに行ったり、
食べてたりするとちょっとからかわれたりしますよね。
食べるとおならが出やすくなる→女性にとっては恥ずかしくもおいしい食べ物、
という感じでしょうか。

ある日一人のうら若き女性が石焼芋屋台に焼き芋を買いにいきました。
紙袋に入れてもらって帰る途中にうっかりつまづいて、
焼芋を路上に落としてしまったそうです。
路上に転がった焼き芋を他人に見られてしまったその女性は、
恥ずかしさのあまり家に帰って首を吊ってしまったそうです。

「昔の女性はね、そのぐらいのことがものすごいショックになるほど
 慎ましくて繊細だったのよ。私なんかもうヤサグレちゃって、ほほほ」

と社長夫人は言っていました。
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この回答へのお礼

ああ、石田三成!!聞いたことありますよ、その話。確か干し柿は体に悪いから、水をくれと言ったんじゃなかったかな。去年のNHKの大河ドラマで江守徹が、その場面を演ってましたよ。江守=三成は、そう言った後、兵卒たちに笑われて、つられて自分も笑ってました。そういえば、家康も食中毒か何かで死んだと聞きましたが…。真偽の程はいかに!?記憶が刺激される回答でした。ありがとうございました!!

お芋の話は、なんか寓話のようですね。もはや、リアティがない(^^; 以前、お山の分校で先生一人、児童が二人という学校の話を、その先生に直接お話を伺う機会があったのですが、そのじつに牧歌的な雰囲気がリアリティに欠けていたのと似ています。まるでブラウン管の向こうの話のような感じがしますよね。

また、何か思い出したら書き込みお願いします。

お礼日時:2001/10/30 00:25

寝る前の意識朦朧状態で書いたので、よく見たらガロアとガウスを間違えていました。

トホホ、最近、物忘れと勘違いが多い・・・
そうです。ガロア(フランス)、ガウス(ドイツ)ともに数学者です。
失礼しましたので、ちょっと検索しましたので、補足しておきます。

ガロア、エヴァリスト(Evarist Galois, 1811.10.25-1832.5.31). フランス、パリ郊外のブール・ラ・レーヌに生まれ、パリに死す。革命と数学のために生き,女のために死んだ. 16歳のときルジャンドルの『幾何学原論』で数学にめざめ,2日で読破したと言う.また数日でラグランジュの『数字方程式の解法』を読み,独自の研究に取り組んだと言う.ガロア,リセ在学中のことである.エコール・ポリテクニークの受験に2度失敗し,パリ・アカデミーに提出した論文は,コーシーやフーリエにも理解されず,原稿は失われたと言う. エコール・ノルマル・シュペリオールに入学するも,急進的共和主義者の「民衆の友」に入会,退学させられる.決闘の直前に友人のシュヴァリエに送った手紙の中で,論文の内容を簡潔に述べている.死後14年経って,リウヴィルがガロアの論文を検討し,再構築して発表するまで,業績は知られなかった. 代数方程式の解の構造を調べるために置換群を利用し,群の有用性を示した.ガロア群.群,部分群,正規部分群,体,拡大という用語を導入. 代数の業績だけが喧伝されるが,任意の代数関数の積分の性質についての論文も書いている.
 彼の伝記については、L.インフェルト『ガロアの生涯-神々の愛でし人』(市井三郎訳)日本評論社(1969)が詳しい。

ガウス、カール・フリードリヒ(Johann Carl Friedrich Gauss, 1777.4.30-1855.2.23). ブルンシュヴィク公国、ブルンシュヴィク(現在ドイツ領)に生まれ、ハノーバー、ゲッティンゲン(現在ドイツ領)に死す。 ゲッティンゲン天文台長(30才)、ゲッティンゲン大学教授(31才)。数学上の伝説は数多く、どれを省くこともできないので、すべて省略。ただし、正17角形の作図可能性の発見は、彼が数学に献身するきっかけでもあり、自分の墓に刻んで欲しいと願ったことだけ(実際には刻まれなかったが)述べておく。 パトロンのブルンシュヴィク公爵がプロシャとの戦争で死ぬまでは、家庭的にも恵まれていたが、その後ゲッティンゲンに移り(1807)、父をなくし、妻を次男のお産でなくし、その子もすぐに死んでいる。その後は家庭的には恵まれなかったと言われる。 1801年1月1日にG.ピアッツィ(1746.7.16-1826.7.22)によって発見された小惑星ケレスは6週間追跡観測されたが,太陽の位置との関係で見失われてしまった.ガウスはこの軌道を計算するため,3回の観測だけで小惑星の軌道を素早く計算する方法を開発し,発表した(1809).ガウスは自分の計算による予測をゴータ天文台のツァハに送り,1802年1月予測した位置の近くでH.W.M.オルバース(1758.10.11 -1840.3.2) によって発見された. 1831年以降W.E.ヴェーバーと共同で電気と磁気の研究をし,電磁気通信機を発明した.地球規模での地磁気の測定. 代数学(代数学の基本定理),整数論,複素関数論,楕円関数論,代数関数論,微分幾何,測地学,天文学,電磁気学など幅広い.創始した概念には,平方剰余,合同式,最小二乗法,誤差論,非ユークリッド幾何,ポテンシャル論,,正規分布.空間曲線のまつわり数を線積分で定義.正多角形の作図可能性.複素数という名前.  名前のついたものに,ガウス和,ガウスの超幾何関数,ガウスの超幾何微分方程式,ガウス曲率,ガウス方程式,ガウスの基本定理,ガウス写像,ガウス・マニン接続,ガウス・ボネの公式,ガウス核,ガウス過程,ガウス密度,ガウス測度,ガウス積分,ガウス系,ガウス平面,ガウス整数,ガウス記号,ガウスの消去法.ガウス--ザイデル法,ガウスの円の問題,数値積分のガウスの(補間)公式.またガウスは磁束密度の単位でもある. 日本語の本に『ガウス整数論』(1801)(高橋正仁訳)朝倉書店、『誤差論』(飛田武幸、石川耕春訳)紀伊国屋書店がある。また、ガウスの伝記や業績については、ダニングトン『ガウスの生涯』(銀林浩+小島穀男+田中勇訳)東京図書、G.ギンディキン『ガウスが切り開いた道』(三浦伸夫訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、高橋正仁『ガウスの遺産と継承者たち』海鳴社などがある。

ガロアの生涯-神々の愛でし人』日本評論社(1969)は、私はまだ読んでませんが、F先生(お茶大教授で数学者=大変に面白い方です)が推薦している?(直接聞いた訳ではないので)とても面白い本だそうです。恋愛問題で決闘して死んだという話しは、たぶんこの本の中に出典があるのだと思います。
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この回答へのお礼

わざわざ詳しい紹介文をありがとうございました!ガロアさん、生きているうちは全然報われない人生だったんですねぇ。自分から苦しい道を選んでしまう人もいますが、彼もそんな人間の一人だったのでしょうか。

ガウスさんの紹介、その半分が「業績」で埋め尽くされているというのが凄いですね。私は、見たことない言葉ばかりですが(^^;

お礼日時:2001/10/30 00:11

こんにちは。

おもしろそうですね。では僕も。

ドヴォルザーク・・・「新世界から」でおなじみのチェコの作曲家。プラハ音楽の院長になる時、大勢の市民の祝福の声に涙した・・・が、いつまでも声がやまないので「いい加減やめろ!」と怒鳴ったすごい人。
院長になって三年後、風邪がやっと治ってきてその日の昼食開始、すごい食欲だった・・・が、直後「頭がぐるぐる回る!」と叫んで顔面蒼白。昼過ぎに死んでしまいました。脳出血だったそうです。偉大な人です。

アリストテレス・・・万学の祖ですよね。エウリポス海峡におもむき、潮流の動きが不可解と思い「エウリポスよ私を呑み込め、私はお前を理解できない」といって投身自殺したという。(な、な、なにしてんの!)

ピタゴラス・・・「ピタゴラスの定理」でおなじみ。彼はピタゴラス教団の開祖であったそうだ。世界は輪廻であり人間はあらゆる生命をめぐって転生すると説く。これに反対した市民が彼を殺そうと追う。弟子とともに家を脱出し「そら豆の畑」にたどり着く。植物に尊敬の念を持っていた彼は決意した。「ここで死のう、このあわれなそら豆を踏みにじるよりは」・・・と、
まもなく市民に虐殺される(わ、わ、わからん!)。

ショーペンハウエル・・・彼は狭心症だったが薬を不自然であるという信条があるため飲まなかった。のち肺炎を起こして回復したようにみえた。しかししばらくした後また心臓発作。その日の午後見舞いに来た近親者が「死後解剖を受ける意志があるか?」と訊くと彼は「誰も生まれる前のことは何も知らないのだから、死んだ後についても何も知らなくていいだろう」いった。その眼には病も老いもなかったという。その後三日後に死んだ。

以上は山田風太郎「人間臨終図巻」より抜粋。天才の考えることは一般人ではわからないが、その死に方もまた理解不能のとこがあります(笑)だからこそ天才なんでしょうけどね。では。
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この回答へのお礼

アリストテレスの「エウリポスよ私を呑め」には、噴き出してしまいました。い、いや笑っちゃいかん!!「天才」とはなにか、「病跡学pathography」という学問は、「天才」の生涯と創造の過程を精神病理学的に研究する学問だそうですが、そういう学問が成立しているということは、つまり、天才と呼ばれる人々には少なからず病的な部分があるということなんでしょうね。

山田風太郎さんの「人間臨終図巻」は、この質問をする前に検索で引っ掛けていましたが、読んでませんでした。allentown2001さんの回答を読ませていただいて、俄然興味が湧きました。絶対、読みます。ありがとうございました!

お礼日時:2001/10/27 21:57

 中国の有名な詩人杜甫と李白の死に方です。


 まず杜甫から。
 彼はものすごい貧乏でした。どのくらい貧乏かというと3日3晩飲まず食わずでいたほど。
 で、ある人が3日間絶食だった杜甫にごちそうを振る舞いました。杜甫は夢中でそれを食べ、空腹だった胃に急にたくさんの食べ物を詰め込んだので、それが原因で死んでしまったそうです。

 次は李白
 彼はお酒が大好きで有名ですが、その夜も川に船を浮かべてみんなで宴会をしていました。きれいな満月の晩で川面に丸い月が移っていました。
 すると酔っぱらった李白が
「よし、私があの川の月を取ってきてやろう」
と言って、川に飛び込みそのままおぼれてしまったそうです。
 どちらも高校時代に漢文の先生に聞いた話です。うろ覚えなので間違ってるところもあるかもしれませんが。飲んべいの私としては、李白の死に方が奔放でちょっといいなぁ・・と思ってしまいます。
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この回答へのお礼

私は飲んべいではありませんが(笑)、李白の死は、なんと言ったらいいか…「風流」(?)ですよね。詩人らしいというか、暗い水の流れの中、黒い船影の向こうに揺れる月を見ながら気が遠くなっていく感じなのでしょうか。不謹慎かも知れませんが、美しいですね。もしかしたら、その瞬間、最期の詩を頭に描いていたかも知れない。ん~凄く良い!!

杜甫の「国、破れて山河あり…」は、好きな詩なのですが、食べすぎでなくなったんですか、彼。そう言えば、「国、破れて山河あり…」も戦争の話だったなぁ。そういう時代だったんですね。死は、時代も反映するようです。

それから杜甫と李白という二人の詩人の人柄も。

お礼日時:2001/10/27 21:45

中国に浄土教を弘通した善導は、一刻も早く往生せんことを願って、柳の木に首を吊って自殺を計り、死にきれずして発狂し、七日七晩もがき苦しんだ末に命終。


また、日本に真言宗を開いた空海の臨終も(諸説はあるが)、空海自身が、天長八年(831年)に上に奉った書に「悪瘡体に起って吉相根せず」とハッキリ述べていることから、晩年はライ病等の類で苦しんで一生を終えたことがわかる。空海は『秘蔵宝論』の中巻に「法を謗れば必ず阿鼻獄に堕つる」と述べているが、まことに自らの後生を言い当てているかのようである。
更に、かの平清盛は平家の武運長久を真言宗で祈祷し、自らはにわかの熱病で悶絶死、平家一門は壇の浦において海の藻屑となって滅亡している。
仏法においては、「臨終は、生と死の境、死後への第一歩であるから、臨終の姿は、その人の死後の状態を如実に顕わしている。しかして、謗法を重ね、死後、無間地獄に堕ちた人は、必ず、その臨終および遺体に悪相を現ずるのである」としております。
如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ナルホド…。宗教者の死は、その宗教の思想が顕れるんですね。そう言えば、もう何年も前の話になりますが、高校の倫理の授業で仏教の始まりを学んだ時、ブッダの一生を辿りながら、四苦というものを習いました。四苦とは「生老病死」のことで、老いや病、死と一緒に生が数えられていることに、少し興味を引かれた記憶があります。そう考えると、仏教者にとって、「楽」とは何なんでしょうね?苦ばかりのなかで、いかにして楽を掘り出すか…。善導さんなどは、まさにその挙句に狂死したという印象です。幸せとはなにか?永遠の問いです。

お礼日時:2001/10/27 21:35

ご質問を伺って、ある医者の話を思い出しました。


名前を失念してしまったので、参考までにとどめておいてくだされば幸いです。

彼は中世のヨーロッパに生きていた人で、
細菌が人体に及ぼす影響を研究していました。
その研究の方法がすさまじく、自分の体に細菌を植付け、
自分の体の状態がどのように変化するかを研究したそうです。

彼はどんな強い有害な細菌を自分に植え付けても
そのたび不死鳥のごとく回復したのですが、ある日路上で足を滑らせて
転倒した拍子に頭を打ってアッサリ死んでしまいました。

というお話です。とある本に書いてありました。
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この回答へのお礼

ん~残念、とても面白そうな話なのに、名前がわからないなんて!!私は、Ki61さんのこのお話を読ませていただいて、空ばかり見て歩いていて足元の穴に気付かなかった古代ギリシアの自然哲学者タレスを思い出しました。でも、このお医者さんの方が人間味がありますよね。かっこいいです。ありがとうございました。

PS:ほかの方でも良いですので、このお医者さんの追加情報があれば書き込みお願いいたします。

お礼日時:2001/10/27 21:24

天才中の天才数学者ガウスの死に方がまず真っ先に思い浮かびましたね。



2?歳で、決闘によって死んだとされています。

どなたか、簡潔に素描して下さればいいですが・・・
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この回答へのお礼

早速の回答,ありがとうございます!!

「ガウスってどんな人だろう!」と思いまして,「ガウス,数学者,決闘」で検索にかけたところ,「ガロア」という数学者が出てきました(^_^; ガロアは,女性関係がきっかけで決闘を申し込まれ,銃で腹を打ち抜かれたそうです。翌日,倒れているところを発見されたものの,間もなく息を引きとったとか。20歳。「ガウス→ガロア」でいいんですよね。ガウスはガウスで,他にそういう名前の偉大な数学者がいるみたいです。

ん~,それにしてもガロア,壮絶。しかも,20歳で命を落としたのに,歴史に名を残すほどの発見――「群論」というものらしいですが――をしているというのも凄い。

お礼日時:2001/10/27 04:49

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Q哲学者になる要素

皆さんこんにちは。

「良妻を得れば幸せに、悪妻を得れば哲学者になれる。」
                ソクラテス

悪妻を得ることが、哲学者になる一つの要素ならば、
哲学者になるための、その他の要素は何かありますか?
「疑問を持つ人は哲学者になれる」とか。

私はいつも暇です。
頭は悪いのですが、暇なのでいろいろな事を考えます。
今日も午前中、正義とは何か?を考えていました。
私のような暇人も、哲学者になりやすくはないのでしょうか?

Aベストアンサー

>私のような暇人も、哲学者になりやすくはないのでしょうか?

ただ「暇」で「考え事」してるくらいでは、哲学者に成れないでしょう。
「下手の考え休むに似たり」
と言う言葉も有ります。
(失礼・・・)

哲学は、認識・倫理・存在・美学など、部門が多岐に渡ります。
しかも、先人の哲学者が大勢います。
その先人たちの言葉くらい知らなくては、一角の哲学者に成れないのは明確です。
芸術に例えても、先ずは「模写から始まる」と言います。
「先人に学ぶ」訳ですネ。
その後、自分の「画風」を確立して行き、独り立ちする。

哲学の世界だって、似たようなモノだと思います。
「先人に学び、自分流を確立する」
です。
「最初から独学」タイプも、いるかもしれませんが、こちらは、
「持って生まれた才能」に、よっぽど恵まれていないと、まず不可能でしょう。

Q最近哲学者ニーチェの言葉がはやっているようですが、なぜなんでしょうか?

最近哲学者ニーチェの言葉がはやっているようですが、なぜなんでしょうか?

Aベストアンサー

ベストセラーを生むための出版社の戦略だと思います。

ベストセラーとなっている『超訳 ニーチェの言葉』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488759786X/juggernautjp-22/ref=nosim

は前後の文脈やニーチェの思想を無視し、ポジティブな言葉だけを彼の著作から抽出し、
それらの言葉を「己/喜/生/心/友/世/人/愛/知/美」に分類しただけの本であり、
ニーチェの思想の解説ですらありません。

しかし、ニーチェという有名な哲学者というネームバリューと、難解な哲学書を平易な
言葉で読むことができることから、多くの人が読んでいるのでしょう。

ニーチェの著作を読んだことがある人間であれば、このような本が彼の思想とは程遠い
ことは一目瞭然なのですが。。。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488759786X/juggernautjp-22/ref=nosim

Q哲学者について教えて下さい

哲学者は自然科学の人みたいに実験や観察はしないんですよね。
他の学問みたいに発掘や統計の分析や解剖や意識調査のアンケートとかもしませんよね。
座って考えることだけが哲学的作業なのでしょうか?それとも哲学にも他の学問みたいに研究「作業」があるのでしょうか?
宗教の人達は山林修行とか瞑想とか座禅とか実技をしますよね。
哲学者は宗教的な要素を抜きにしてそういう実技は行なわないんでしょうか?
それとも哲学者が実技を行なうと無条件に宗教家と定義されてしまうんでしょうか?

ただ考えることが哲学なのであれば、その優劣は非常に曖昧だと思うのですが…。哲学者の優劣はどうやって決まるんでしょう?文学であれば、個々人の感性で味わえば良いのでしょうが、哲学は一応真理を追究するんですよね。他の哲学者が評価するんでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ソフィーの冒険をお読みになった事はありませんか。
哲学の歴史をわかりやすく書かれています。
この哲学から、宗教、化学、自然科学、等々が枝分かれしていきます。
数量化できないものが哲学に何時までも残っているのです。
何故人間は異性を求めるのか。しかも何らかの理由を付けて選別するのか。
人間が正確(数量などで)に把握できないことを、何とか説明し理解させられかで優劣が決まるのではないでしょうか。

私が最近感じている科学?哲学?は、この世の物質はすべて光のエネルギー
で造られていると考え始めました。
原子を分解すると、電子、陽子、中性子がありこれらは素粒子から出来ている
事がわかってきました。ではこの素粒子は何から出来ているのか?
私は光エネルギーが何らかの理由で溜めこまれていると考えています。

Q日本人はけっきょく死にたいと思っているのでしょうか

 われわれは自由であることがこわいという場合 それはさらに死ねばいいがと思っていましょうか?

 もしそうだとしたら それはなぜか?

 (α) 自称二千六百七十年のあいだ万世一系――ただしひとは誰もが万世一系であるけれど――の社会的な象徴家系がその生まれによって決まっている。それは姉の家筋であり われらは弟の筋であるというけれど その《さだめ》は 何ともえも言われぬごとく人間の意志と努力の限界を指し示している。先が見えてしまうかたちになる。ここに 世をはかなむ謂われがあるのだ。

 (β) 端的に核兵器の脅威である。たとえ正当なけんかをしようにも 先が見えている。これぢゃ たましいが去勢されてしまうってえの。

 (γ) 地球環境の変化である。ひょっとすると ひとが住めない状態になる。先が見えている。

 (δ) ほかの国はともかくわが日本は もうこの借金ではどうすることも出来ない。景気をよくすればよくしたで国債の返済にあたって金利が上がり払うべき利子が増えてしまう。年金はもう崩壊しているかも知れない。先が見えている。

 (ε) 魂が去勢されたようだとはいえまだまだ元気だった。だがたとえばアジア大会の結果を見てみたまえ。その不甲斐無さは歴然としている。もう日本人の命運は尽きたのではないか。

 (ζ) そのほか。

 われわれは自由であることがこわいという場合 それはさらに死ねばいいがと思っていましょうか?

 もしそうだとしたら それはなぜか?

 (α) 自称二千六百七十年のあいだ万世一系――ただしひとは誰もが万世一系であるけれど――の社会的な象徴家系がその生まれによって決まっている。それは姉の家筋であり われらは弟の筋であるというけれど その《さだめ》は 何ともえも言われぬごとく人間の意志と努力の限界を指し示している。先が見えてしまうかたちになる。ここに 世をはかなむ謂われがあるのだ。

...続きを読む

Aベストアンサー

初めまして。私はまだ、このサイトで質問をした事がありません。自分が何を解って、自分が何を解らないのか、それが解らないからです。たとえば、美味しいご馳走を食べても、美味しいと感じるのは、その一瞬だけで、実体の無い物だったのではないか、と、思う事さえあります。ならば、毎日の生活のなかで、本当は、生きている様な気がしているだけで、生きている実体など無いのでは・・・だとすれば、まだ生きてもいない者が、死ぬ事など、できましょうか。 私は、確かに生きているのだと言える証しを見つけるまで、死など考えもおよびません。 粗雑な文章で失礼いたしました。広く回答の門を開けられた、あなた様の度量の大きさに感謝します。 それでは、お元気で。さようなら。

Q哲学者の公務

ちょっと意地悪(だけど切実な)質問をさせて下さい.

国内において税金の使途が厳しく問われる昨今ですが,
果たして哲学者(ここでは国立大の哲学科の教官)は
納税者にどのようなメリットを還元しているのでしょうか?

ここでメリットとは
「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」などの
「現時点で納税者の多くの人が期待すると思われる便益」であるとします.

私の仮説は
1)哲学者に具体的な何かを期待していると明言できる人がほとんどいないと思われる
2)過去(例えば戦後50年,あるいは,維新後130年)に哲学者がメリットをもたらした具体的実績がほとんどないと思われる(つまり,メリットを供給する能力が哲学者には備わっていない)
ゆえに,哲学者を税金でまかなう時代は過ぎた
というものです.哲学者の人件費を他分野の奨学金にまわしてはどうでしょう?

勿論,哲学自体は否定しません.色々反論があるかと思いますが,哲学の役割を「具体的に」説明できる能力を有す方のみ,ご返答おねがいします.

少々,過激かもしれませんが,お許しください.

ちょっと意地悪(だけど切実な)質問をさせて下さい.

国内において税金の使途が厳しく問われる昨今ですが,
果たして哲学者(ここでは国立大の哲学科の教官)は
納税者にどのようなメリットを還元しているのでしょうか?

ここでメリットとは
「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」などの
「現時点で納税者の多くの人が期待すると思われる便益」であるとします.

私の仮説は
1)哲学者に具体的な何かを期待していると明言できる人がほとんどいないと思われる
2)過去(例えば戦後50年,...続きを読む

Aベストアンサー

No.6,No.8の回答者です。
明日から、およそ哲学やネットとかいった文明とは無縁の世界に旅立つので最後にします。

>(1)哲学者には納税者への大きな具体的実績はない
>(2)哲学者には納税者からの具体的期待がほとんどない
>は認めるがこのとき「功利主義かつ民主主義」を前提としなければ,「哲学者の
>存在の否定」は言えないというご意見ですね.
違います。功利主義の論理を徹底されたとき(1),(2)の批判に答えにくいと言うだけです。

>しかし今現在が功利主義かつ民主主義なのですから,言い換えると「功利主義の
>否定または民主主義の否定」がちゃんと成立するときまで,哲学者は自己の存在
>を肯定できない日が続くということです.
今現在は功利主義かつ民主主義ではありません。単に主流派を形成しているだけです。功利主義批判の潮流は哲学上もありますし、一般人の生活感覚にも存在するでしょう。No.9の方も仰るように、哲学への税金は建前上は民主主義的に配分されています。つまり、功利主義の論理に上手く反論できなくても、少なくともNo1-No9の人々は、直感的に「哲学は必要だ」と感じるわけです。
そして、理論化された功利主義の直感と、未だ理論化されない功利主義批判の直感はどちらが正しいかは、直ちには決められないでしょう。

>哲学者は警鐘を鳴らすために…と仰ってますが,なんらかの具体的な破局(戦争
>や大事故や地球環境破壊)から社会を救うという目的を前提としている主張に思
>えます.これは先に仰られた個人の満足のためという主張とは明らかに異なって
>客観的な成果を目的と認めていると思うのですが.
そうです。それは何ら論理的な破綻を意味しません。ある一つの行為に、複数の目的(正確には「効果」)が混在しても問題はありません。
私が、NO.6とNO.8で論理を変えたのは「個人的な満足」はダメとしゃるのでおっしゃるので「社会的な便益」をも指摘しただけです。個人的には、小説家に公的な補助金を出したって良いと思います。小説に税金が使われないのは、歴史的な沿革と、優秀な小説家なら自力で飯が食える、という点にあるのでしょう。

>真に警鐘を鳴らしたいのならば,なぜ「哲学者は納税者のメリットの1つである戦
>争や大事故や地球環境破壊のリスク低下を目的としている」と最初から明示しな
>いのでしょうか?
研究者の主観的な「目的」と社会が期待する(期待し得る)客観的な「効果」は違います。数学者も科学者も、哲学者と同様、必ずしも社会の為に研究をしているわけではありません。単に「楽しいから」「生活の為」という人が沢山います。(もちろん、中には「人類の為」と言っている人もいます。しかし、哲学者にも同様に「功利主義批判」を高々と掲げる人もいます。)
そのような科学者・哲学者を一般国民が食わせているのは、社会的な「効果」を期待するからです。もちろん一般国民は、功利主義批判なんて考えてないでしょう。しかし、同様に科学者の社会的便益ということも、常に考えているわけではありません。突っ込まれたとき、科学者の便益はすぐ答えられるが、哲学者のそれは説明しにくいだけです。

>なぜ「納税者の具体的期待」を得ようとしないのでしょうか?
科学者だって、いつも「納税者の具体的期待」を得ようと宣伝しているわけではありません。研究者は半分変人ですから、あまり社会の目とかは意識しないのです。
ただ科学への期待は一般人にも分かり易いので勝手に目に付くだけです。哲学界では功利主義批判は非常にホットな話題です。ただ、それが国民に伝わってないだけです。新聞の学芸欄とか読んでみてください功利主義に限らず現代の思想に警鐘を発する思想家の主張はよく載っています。

>「現時点で納税者が期待していると思われる便益」∋「功利主義かつ民主主義の
>行き過ぎによる戦争や事故や地球破壊のリスク低下」 は既に成立しているように
>見えます.
ええ、ですから社会は哲学者に税金を払うのです。

>功利主義と民主主義を前提とした社会の構成員として生きるならば,これを前提
>と素直に認めた上で,「功利主義と民主主義を「行き過ぎない」ようにする」こ
>とを素直に目的として掲げればよいのに…と思うのですが.
つまり、skistrさんも「哲学者の便益」を認められたわけですか?だとしたら、問題は解決ですよね。哲学者自身の「目的」と社会が期待する「効果」は一致しないのはすでに説明しましたよね。
哲学者をはじめ研究者には、変人が多いのです(実感)。でも、社会は彼らのワガママを多少は我慢して、その社会的な「効果」を得ようとするのです。

>数学者が数学の自己進化を目的として許されているのは「具体的実績がある」か
>らでしょう.哲学者にはそれが無いのですから,警鐘を本当に鳴らしたいのなら
>ば,数学の真似など止めて「具体的期待がある」状況にもっていくしかないので
>はありませんか?
哲学に具体的実績はあります。例えば功利主義それ自体もその実績の一つです。功利主義、この当たり前の合理性さえ、誰も疑わなかった時代があるのです。民主主義、この当たり前の原理さえ、気がつかなかった人の方が多いのです。そして、これらの当たり前の民主主義や功利主義も、千年後の人々にとっては、嘲笑の対象になっているかもしれません。

ところで、私のこの哲学擁護論自体、功利主義批判のほうが便益あるという功利主義になっています。これは意識的です。功利主義のベースで功利主義批判をした方が功利主義の人には説得的だからです。私の思想自体は、もっと「非合理的」な淵源に発っします。

ところで、哲学の実績は探せば色々あります。確かに科学的な成果のみを「便益」とするなら限られるでしょうが、例えば実存主義なしに大江健三郎の小説は無かったでしょう。「パレート最適」という哲学上の概念を巡って先進国と発展途上国の外交が展開される事もあるといのもご存知ですか。

しかし、学問の権威性・研究者の独善性を掘り崩そうとするskistrさんの発想自体には共感する所があります。

No.6,No.8の回答者です。
明日から、およそ哲学やネットとかいった文明とは無縁の世界に旅立つので最後にします。

>(1)哲学者には納税者への大きな具体的実績はない
>(2)哲学者には納税者からの具体的期待がほとんどない
>は認めるがこのとき「功利主義かつ民主主義」を前提としなければ,「哲学者の
>存在の否定」は言えないというご意見ですね.
違います。功利主義の論理を徹底されたとき(1),(2)の批判に答えにくいと言うだけです。

>しかし今現在が功利主義かつ民主主義なのですから,言い...続きを読む

Qソクラテスの死

ソクラテスが毒を飲んで死んだのは事実ですが、誰が飲ませたのですか?昔ソクラテスの妻だと聞きました。確認が取れません。ご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

たぶん、クサンチッペが悪妻で有名だったので、混同されたのだと思います。

毒ニンジンは、死刑のために用意されたものです。
弟子や知人たちが脱獄の手はずを整えていたので、逃げようと思えば逃げられたものを、あえて、自ら毒ニンジンを飲んだと書かれています。

つまり、死刑でもあり自殺でもあるといえます。そのとき、たとえば妻クサンチッペが手をそえてソクラテスに飲ませたというようなこともないようです。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/mizutasekaisi/7sokrates.htm

Q哲学者の定義

どの線を越えれば、何時から哲学者となるのですか?

哲学者はどうやって生活するのですか?

Aベストアンサー

 
  哲学(philosophia)とか哲学者(philosophos)というのは「概念」です。従って、この概念が把握されている必要があります。無論、本に、哲学者「無知無学」先生などと書いてあったので、無知無学氏という人は哲学者なのか、という納得の仕方もありますが、誰かが哲学者だという表記・現表は、「誰かが判断して」行うものです。天から、「哲学者」というネームプレートが落ちてきて、哲学者に相応しいと天が認めた人の胸に張り付く訳ではありません。
 
  つまり、誰が哲学者かは、「人間の判断と評価」の問題になります。「哲学者」に関しては、哲学や哲学者の「概念」をまず判断者が持っていなければなりません。「日本根源哲学学会」とかいう組織があって、そこの会員であるので、あの人は哲学者だ、という判断でもよいのです。この場合、哲学者とは何かよく分からないが、「哲学学会」という名の組織のメンバーは、哲学者だ、という判断が行われ、哲学者をそのような概念で把握していることになります。
 
  わたしの概念把握では、「哲学」とは、世界と人間について、人間の持つすべての能力を色々に駆使して、把握し、理解し、思索し、「究極により近い答え」を求める人間の営みと考えます。もう少し具体的に言えば、世界や生命や人間は、「何を根拠」にして存在しているのか、存在とはそもそも何なのか……第一哲学、形而上学の課題を問題にする知的営み。次に、形而上学的には、答えが分からないが、あることは、どういう仕組みでそうであるのか……分科科学的な問いを発し、思索し実践する営み。そして、良いこと、善とは結局どういことなのか、人間にとっては、何をなすのが善で、何をなすのが善に反するのか、こういったこと、倫理的課題を思索し実践する「自覚的営み」……これが哲学の営みで、哲学とは、こういうものだとわたしは考えています。
 
  これが「哲学の概念」で、従って、こういう営みを為す人は、「哲学者」です。わたしは、従って、このような意味では、「哲学者」です。
 
  哲学者は、個人の判断で決まって来ます。従って、哲学の概念を把握し、哲学者の概念を把握了解した時、自分自身はどうであるのかと考えると、哲学の営みを行っている、と考えた時、他者に告げた時、そういう個人は、「自称哲学者」あるいは「自己認識での哲学者」です。
 
  また、哲学や哲学者の概念把握からして、あの人……フローラ・スターという人は、まさに哲学者と判断し、考え、あるいは他者に知らせた場合、「他称・他者認識の哲学者」です。
 
  しかし、また、単に、哲学の問題を思索する・実践するというだけでは「格」が足りない。世の多くの学者や一般の人が、「哲学者」だと判断するような人こそが、「哲学者と呼ぶに相応しい」……自称・他称の哲学者などは、本物でない、という「概念把握」もあるのです。これは、「社会的認知の哲学者」となるでしょう。
 
  社会的認知の哲学者のヴァリエーションは色々あり、有名な「哲学研究の先生」が多数、哲学者と呼んでいる人が哲学者だという認識もあります。別に哲学の研究者など関係なく、多くの人が哲学者と認識する人は哲学者だという認識もあります。「何々哲学学会」の会員が哲学者だというのも、社会的把握の一つです。
 
  わたしは、基本的に、自称・他称で「哲学者」の資格は十分だと思います。他人に話すと他人が笑うと言うなら、他人には告げなければよいだけでの話です。「わたしは平凡な人間だが、世のなかの役に立ったと思っている」「わたしは、悪いことをたくさんし、世のなかにとって、迷惑な存在だったと思う」こういう自己認識で、前者は「わたしは平凡な善人だ」、そして後者は「わたしは、やはり悪人だ」という自己認識なら、自己認識で、善人、悪人であるのでしょう。
 
  哲学者というのは、こういう感じで、自称・他称で、すでに意味があると思います。しかし、自称・他称する場合、「哲学」や「哲学者」の概念把握が前提になります。概念は分からないが、世のなかで、A氏は哲学者だと呼ばれている、多分そうなのだろう、というのは、社会的な認知の哲学者です。そして、この場合は、社会的にそう認知されている人が、****者である、という意味把握で、これでも良い訳です。
 
  また、Z氏は自称「哲学者」だが、あれはただの世迷いごとを言っている狂信者であって、哲学者など、とんでもない、という場合、他称「非哲学者」です。
 
  わたし自身の基準で、もう少し述べると、先に記した大別三つの課題を、論理的に、価値感情において、直観において、感覚において、整合させようとする努力において、「探求する者」が哲学者だということになります。論理的であらねばならないのですが、直観や感情評価も高い意味を持つのです。
 
  >哲学者はどうやって生活するのですか?
 
  哲学者というのは、職業名ではありません。人の生き方、世界と他者、自己に対する思索や判断の営みの様態です。肉体労働、知的労働などをしつつ、哲学思索する人もいるでしょう。知的労働のなかで、過去の哲学者の成果を学生に大学で教えたり、解説したりしたり、研究することで生計を得ている人もいるでしょう。あるいは、無職で、残飯をあさりながら世界や人間や善について思いをめぐらし、遂に路傍で餓死とか病死する人もいるでしょう。
 
  また、親などの残してくれた財産で、働くことなく、哲学課題の探求に時間を費やす人もいるでしょう。
 
  漫画愛好家・アマチュア作家は、どうやって生活するのですか?という問いの答えもこれと同じになるでしょう。「哲学者」には「プロとアマチュアの区別はない」のです。プロフェッショナルな「哲学研究家」とアマチュアの「哲学研究家」はいますが、「哲学者」は、生き方の問題で、生計の立て方は関係ありません。
 
  なお、以下の質問のなかのわたしの回答も参照してください:
 
  哲学者ってどんな人?
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=186765
 
  河合隼雄と村上陽一郎の文章について
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=172977
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=172977

 
  哲学(philosophia)とか哲学者(philosophos)というのは「概念」です。従って、この概念が把握されている必要があります。無論、本に、哲学者「無知無学」先生などと書いてあったので、無知無学氏という人は哲学者なのか、という納得の仕方もありますが、誰かが哲学者だという表記・現表は、「誰かが判断して」行うものです。天から、「哲学者」というネームプレートが落ちてきて、哲学者に相応しいと天が認めた人の胸に張り付く訳ではありません。
 
  つまり、誰が哲学者かは、「人間の判断と評...続きを読む

Q時と時間の違いあるいは定義、空と空間との違いあるいは定義を教えて下さい

時と時間の違いあるいは定義、空と空間との違いあるいは定義を教えて下さい。引用ではなく、独自の見解でお願いできれば本望です。

Aベストアンサー

追伸
時空を考えると慢性的難病になりますね。慢性的難病を直す薬が「亀と漁師の無限と有限の話」なんですね。
以下の提案は「亀と漁師の無限と有限の話」に似て慢性的難病を直す薬になりますね。
「無双原理・・哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!つまり、無限とは、限りというものが、本来あるのだけれど、たまたま見えない、触れないなどの事情があって、無のように観察される状態。つまり無限とは、循環の繰り返しのような現象の回数に限りのないこと」
特に、無と空がいいですね。自然現象として無も空も存在しないのだけれど人間の単純な観察では表現の言葉として便利に使える言葉ということですね。言葉が独り歩きしてあたかもそのようなことが実際にあるかのごとく考えて慢性的難病になってしまうところが怖いとこなんですね。「無とは単純にないことの、たわいないことば。哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!」そういうことですね。
(仏教)哲学的では無も空も変転の一つの姿を現している状態でしかないですからね。水は熱で水蒸気になり冷やされて又水になる、更に冷やされると氷になる。こんなことはみな知っているのに水蒸気になると見えないので「無し」というのですね。それを空とよんでも同じですね。なくなっているわけではなく変転の姿ですよね。でも見えないから「無や空」ですね。観察眼的表現で論理を立てても意味がないことですね。
その変転をアインシュタインはE=mC^2と表現し、釈尊は「色即是空・空即是色」といってますね。これは存在の永遠性の表現ですね。無限も「無や空」と非常に似てますね。あまりに多い・大きい・小さいと観察不可能ですから無限・無限大・無限小と言っているだけなのですね。単なる言葉遊びなのですが遊びが学問になると慢性的難病になりますね。
まあ私も重い慢性的難病ですから、更に付け加えると、三次元宇宙・時空というのはたくさんあるのですね。朝。木々の葉についている水滴ですね。いくつもの水滴が木の葉についてますね。あの水滴の一つが三次元宇宙・時空なんですね。次の朝になると水滴の数が違っている。そんなようなものなんですね。
膨張も収縮も変転も何でもありですね。再度、たわごとを言ってしまいました。

追伸
時空を考えると慢性的難病になりますね。慢性的難病を直す薬が「亀と漁師の無限と有限の話」なんですね。
以下の提案は「亀と漁師の無限と有限の話」に似て慢性的難病を直す薬になりますね。
「無双原理・・哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!つまり、無限とは、限りというものが、本来あるのだけれど、たまたま見えない、触れないなどの事情があって、無のように観察される状態。つまり無限とは、循環の繰り返しのような現象の回数に限りのないこと」
特に、...続きを読む

Q好きなそして嫌いな哲学者

あなたの好きな哲学者と嫌いな哲学者の両方を理由と共に教えてください。
ちなみに西洋哲学限定でお願いします(だから西田幾多郎とか孔子とか仏陀とかいうのはナシ)。
あと、理由はなるべく人となりやエピソードではなく思想の内容に関わることでお願いします(でないとわざわざ“哲学者”を問う意味がない)。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私の好きな哲学者はキルケゴールですね。
私はキリスト教徒ではないし、信心深くもないので彼の思想を完全に理解していませんが、従来の世界的真理を追究していた哲学と異なり、各々の人の本質について個別に扱っていて、どこかで人間味があるというか柔軟性のある哲学だなぁというのが私の持った印象だったからです。

嫌いな哲学者はベンサムやミルなどの功利主義者ですね。
功利主義的な物の考え方では多数派の利益が肯定できてしまうし、何より人間中心主義的に思えるからです。一方で自由に対する考え方は広く自由を認め進歩的な所が結構好きです。なので嫌いな哲学者と言っても一部は好きというのが多いです。
批判するにはその哲学に対して自分なりの見解を持つことが必要なことからも批判したい哲学ほど好きと言えるのかもしれません。(批判と非難の区別については省きましたが

Qソクラテスの幸福主義

ソクラテスは理性に伴った道徳に従って善く生きることこそが最高の幸福であると言いましたがこれは現在でも通じることでしょうか?
通じているのであれば幸福に生きるには?の答えは、理性に伴った道徳に従って善く生きることと言うことになるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんは。


「回答案の一つ」ということでいいのでは?
((抜粋)「「愛する」ということは、「誰にでも簡単に出来る」というものではない」)


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