プロが教えるわが家の防犯対策術!

霊験あらたか(効果が明らか)で東京都内にある、キリスト教の教会に通いたいと考えている者です。(ただし「エホバの商人」や「統一教会」のような異端の団体を除いて)

観念的部分だけでなく、その教会に通って、実際に精神的にでも物質的にでも救われた経験のあるかた、是非ご連絡下さい。

また、霊的なエネルギーの強い教会をご存知の方もご連絡下さい。

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

akimono3様。



>物質的にでも救われた経験のあるかた
このような質問は、とても危険だと思いますし、心配です。
「信じれば、物質的にも救われる」
このように言う宗教や教会があるとしたら、あまり信用なさらない方がよいのではないでしょうか…。
「物質的な救い」とはすなわち、「お金持ちになる」「貧乏から脱する」という意味でしょうか?それならば、宗教が救うことはできないように思います。
ファイナンシャル・プランナーに相談したり、またキャリアを身に付けて仕事で稼ぎ、貯蓄に励んだりした方がよいでしょう。
宗教が果たせる役割は、物質的に貧しく苦しい時、それをどう乗り越えるかを教えることです。
●どんなに素晴らしい信者でも、貧しく、悲惨に死んでいった人はたくさんいます。たとえばローマ・ヴァチカンの教皇によって1981年、「聖人」に列せられた、マキシミリアン・コルベ神父という人がいます。彼は、すさまじい貧乏生活を送っています。そして第二次世界大戦中、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所で、一人の男性の身代わりとなり、「餓死」という処刑によって、その激烈な生涯を閉じました。コルベ神父は、もしキリスト教徒でなければ、こんな苦しみの死を迎えることはなかったかもしれません。しかしキリスト教は、
「この世の財産よりも、天国での財産(善行)を築きなさい」と教えています。キリスト教徒になることによって、試練を受けることもあるかもしれません。ただ誤解なさらないでいただきたいのですが、「キリスト教徒になると不幸になる」と言っているのではありません。コルベ神父は、たくさんの試練を受けましたが、決して不幸ではなかったと思います。
●ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、「この世で一番大きな苦しみは、だれからも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです」と言いました。彼女は、そんな人たちのために、自らのすべてを投げ打ち、インド・カルカッタのスラム街で人々に尽くしました。このようにキリスト教とは、「求める」のではなく、「与える」ことがテーマなのです。
●また、キリスト教の大きなテーマに
「人はみな罪人である」というものがあります。
多くの人は、自分が犯している小さな罪に気付くことができませんが、
キリスト教を勉強していると、
「自分はなんと罪深い人間だったのだろうか」ということを知らされ、
苦しむことがあります。
●宗教への対し方は、人によって様々です。以上のことは、私という個人の一つの意見に過ぎません。
教会を探す前に、もう少しキリスト教について勉強なさってみてはいかがでしょうか。そして、時が来れば自然と、良い教会と出会えると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ところで、あなたはクリスチャンの方でしょうか?

お礼日時:2002/02/02 14:11

 実際に、私と同じ信仰をしている或る信者の話ですが、


 「私は、5年前にこの信心につきましたが、信心を始める以前の私は、邪宗謗法の害毒により、分裂感情症という精神病を患っておりました。
 分裂感情症とは、いわゆる精神分裂症と、躁鬱病の、両方の症状をもつ精神病であります。
 この病気は、そもそも、私が十代の頃、キリスト教の洗礼を受けてしまった時から兆候が現われ始めました。まず
、性格的な悪い面が増長していき、享楽的、刹那的な生き方になり、法律に触れるようなことも、ずいぶんといたしました。
 やがて、対人関係でも異常をきたし、ついに、ひどい発作に見舞われました。微熱と不眠症が続いた後、突然、身体が硬直し、呼吸が停止してしまったのです。この時は、自力で心臓マッサージをして、救急車で病院に運ばれて事なきを得ました。
 それ以来、悩みと苦しみの中に沈む日々となった私は、救いを求めて、あろうことか、神慈秀明会という邪宗に入信してしまいました。
 ところが、その直後から、今度はひどい妄想と幻聴に襲われ、あたかも自分が異相空間を飛び交っているかのような錯覚に陥って、精神病棟に入院することとなってしまったのです。
 しかし、頭破七分という業病は医者では完治するハズがなく、やがて、退院はしたものの、私は、ひとつの仕事を続けることもできず、職を移り変わっていきました。
 その後は、同じことを繰り返しながら、事態はどんどん悪化するばかりでした。
 たとえば、邪宗・統一教会に関与し、数ヶ月に及ぶ洗脳教育と詰め込みの合宿に参加した結果、重度の分裂状態になってしまい、二度三度と入退院を繰り返すに至りました。毎晩、寝る前に、強い幻覚や幻聴に襲われ、自分の手でハサミを腹に突き立てたり、この場で申し上げるのもはばかられるような行動にも及びました。薬を飲んで、一時は小康状態を取り戻しても、完治しないばかりか、今度は強い薬の副作用で苦しんだりと、本当に今、思い返しても、苦しく恐ろしい日々でした。
 そんな状態にあった平成元年十一月、私は、御本尊様のお導きとしか思えぬ不思議な縁で、入信することができました。
 それ以来、初信の功徳によって感激し、折伏もするようになっていったところ、あれほどひどかった病状が、徐々に良くなり始めました。
 ところが、私は、いつしか信仰の目的を違え、道を踏み外していってしまい、先輩から御指導や注意を受け、また講頭より指導をいただいても、それを改められなくなってしまいました。
 やがて、信心することすら苦しくなり、朝の勤行を途中で投げ出してしまったその日、病状が悪化して、再び入院することとなってしまったのです。奇しくも、入信一年目にあたる平成二年十一月のことでありました。
 今から思えば、あれは煩悩魔によって信心を踏み違えたものであり、本当に信心の目的を違えてはいけない、また仏法の道理に基づいて示される指導には身を随えていかなければいけないと、深く反省をしております。(中略)
 病状においては、二歩前進しては一歩退がるということを重ねながら、発作や幻覚も次第になくなり、勤行の時に手が震えて止まらない、などという事もなくなりました。
 そして、これまで手離せなかった、精神安定剤、幻覚・幻聴を消す薬、睡眠薬等も、現在においては、まったく必要としなくなるまでに至りました。
 仕事面では、当初、短時間のアルバイトでさえ続けられなかったものが、昨年八月、現在の会社に入社することによって社会復帰を果たし、最近では、他社から引き抜きの声が掛かったり、大きな成果に結びつくような状況が開けてまいりました。
 こうして、重度の精神病を完治するという大功徳をいただく中、私の折伏に臨む姿勢も自ずから変わることができました。
 今、あらためて思うのは、謗法の果報が恐ろしい、ということと、いかなる重い不幸であっても、この御本尊様の御力によって、時間は掛かっても必ず治していただける、ということであり、また、本当にこの御本尊様によってしか幸せになる道はないんだ、ということであります。(以下略)」
 
 邪宗謗法の恐ろしさを痛感致します。簡単に信心することの恐ろしさをご存じないようですね。
 如何ですか? 
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えっと、キリスト教に霊験とか、効果を求めるのはどうかと思うんですよ。


イエスがこんなことを聖書に言っているわけで。
「今の時代の人は、しるしを求めるが、ヨナのしるし以外にはしるしは与えられない」
そんなこともありまして、利き目や霊験があるからキリスト教を信じるというのはちょっと違うのです。
むしろ逆で、信じるから魂が救済されるのではないでしょうか。
最初に効果があるかないかで判断してしまうというのは、現世利益と同じですから、キリスト教のように、死後の救済を考える宗教にはそぐわない考え方であると思います。
現世利益というのは、生きている間にいいことがあればいい、というやつで、そういう価値観を持った日本人は結構多いです。ですから、無宗教の人も多いですし、宗教に入っていても勘違いしてしまう人も多いのです。

霊的なエネルギーは、自分が信仰することによって生じるのですから、教会ではなく、むしろ自分自身の中にあるのではないでしょうか。

もちろん、他人の体験を問うのも、しるしを求めることになりますから、何かおかしいですよね。こういうことは、自分で体験してみないとわからないものです。

しかし、とりあえず、伝統を重んじれば、カトリックでしょうか。それがakimono3さんに合うかどうかは話が別ですが。
少しきついことを言ってしまったかもしれませんが、大体こういうことです。
ご理解いただければ幸いです。
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この回答へのお礼

すでに2つの教会に行ってみたのですが、気のせいでしょうか?いずれの教会でも霊的な良いかんじのするエネルギーをもらえたような気がするのです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/26 23:23

 私はキリストの罪の赦しを信じて救われたものです。

それでも東京に住んでいないので、私の通っている教会ではありませんが、「主の十字架クリスチャンセンター」の教会を推薦します。インターネットでは「tlccc」か「kumoniji」で検索し、そこで教会の案内を調べてください。この教会の群れはここ数年日本で一番教会数が伸びている教会で、いろいろな奇跡(当時キリストが行った霊的現象)の起こっている教会です。それでもキリストの行った奇跡は、お金や修行等では買えないということは肝に銘じていてください。すべて神様のあわれみからくるものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ところで、差し支えなければあなたのお証しを教えてください。

お礼日時:2002/02/02 14:23

まず、かなり厳しいことをお話することをお断りしておきます。


まず、何でキリスト教が「霊験あらたか」と判断し、「エホバ」「統一教会」を「異端」と呼ぶのか、よく分かりません。
キリスト教には色々な宗派がありますが、私が所属している「カトリック」のことをお話し致します。
カトリックは歴史が古く、(日本に最初に伝わったのもカトリックです)その為、教会には日本も含め旧式のものが多く、一般の人が見たイメージでは「荘厳」な感じがすると思います。しかしそれはただ、建物が古くて大きいだけで、そこに通うだけで「霊的なエネルギー」(何の事かわかりませんが)がもらえるわけではありません。あなたが行った2つの教会がどんなところか分かりませんが、「霊的な良いかんじのするエネルギーをもらえたような気がするのです」というのは、ただ雰囲気に飲まれただけだと思います。
少なくともカトリックにおいては、「物質的に救われる」ために神を信じろとは教えていません。(他の多くのまともな宗教も同様だと思います)むしろ神の為、人の為に自分を犠牲にしろと教えています。その結果がアウシュビッツで身代わりになって自らガス室に入っていったコルベ神父等を産んでいるのです。
また、10数年前ある教会の神父が物取りと思われる人物に殺されました。その追悼のミサ(キリスト教の儀式)で挨拶した人は「我々は犯人を許さなければなりません。それがキリストの教えだからです」と言いました。
貴方がキリスト教会に興味を持って下さるのはありがたいのですが、信じて通っている人たちはそのような気持ちでいる事を忘れないでください。
かなりきつい言い方でしたが、ご参考にして頂けたら幸いに思います。
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ninniさんが日本で一番伸びている教会といってますが、傲慢ではないでしょうか。

一番と言い切れるんですか?
霊的なエネルギーってなんやねんです
そういうものに価値を置くのでしょうか。霊的体験を求めているのでしょうか。キリストを求めるのでなくて霊的な体験を求めるのでしょうか。大変危険な考えだと思います。救いを求めるのは良いとも思いますけど、とりあえず、異端と思われるものには関わらないほうが良いでしょう ていうか放置ですか?
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霊験あらたか なんていう教会はありません。


なぜならすべての人は罪びとにありますから

信じるものだけが救われるのです

あなたが信じるならどこの教会に行こうとも神様はあなたを祝福しますよ。
あなたの感じるのは教会がではなく、あなたの信仰がそのように感じるのだと思います。
よいと思われるなら その教会で勉強されることを薦めます。
平安がありますように
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東京都江東区大島にあるアーバンチャーチ教会を紹介します。



http://www.kyoukai.org

賛美で霊験ある教会だと思います。
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団です。

参考URL:http://www.kyoukai.org
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信仰など無意味です、正直に生き真面目に働き、程ほどに遊び生きていれば信仰心や帰依の心がなくとも自ずと心穏やかに死を迎え入れることが出来ます、神がいたとしても永遠は約束されるでしょう。

祈る時間があれば祖先を祭り今、貴方がそこにいることを感謝しお父様、お母様と笑顔で語らい子供を抱きしめてあげて下さい、貴方がそこに生きるのは貴方をお生み育てられた方々と祖先、血を分けた血族と共に歩んだ日本(日本民族であればですが)の同胞です、神に捧げるお金があれば、それらの方々と楽しく過ごしてください、奇跡や加護が欲しいと言うならば手をつねって下さい、神はそんな事も止められません、信じられるのは、貴方と貴方を愛し育てた人です。正月くらいは皇祖に感謝し地元の土地神様に自然な気持ちで祈ればいいのです。救いは貴方の生き方なのです、死が訪れる時に神を信じ祈ればいいのです。不安ならばなお更です。
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教会の聖書的な意味は救われた人々の集まりです。

すなわち、教会というのは建物ではなく、救われて無い人々の集まりでも無いということです。私が知っている限り、イエスキリストについて、一番よく書かれてある字は<聖書から人生を考えよう「信仰と救いについて」>という題目で書かれてある字です。OCNのウェブから探すことが出来ます。
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