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源義経が、チンギスハンだった、や松尾芭蕉は実は
服部半蔵だとか、歴史には謎がたくさんありますが。
こういう話はほかにもあったら教えてください、
できれば文献も添えて教えてほしいです、
人物、建造物、出来事なんでもかまいません。

A 回答 (10件)

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=770055
青森県にキリストのお墓がある
戸来村にはダビデの星(六芒星)があるようで。

ネイティブアメリカンの「ジェロニモ」は日本から渡った「じろうえもん」

天皇家の祖先はわに(たぶん鮫のこと)
日本書紀だったかな...





探し出せばきりがないですね。
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 UFOや神様系が絡むと山ほどあります。


 財宝系なんかもいっぱいありますね。

 その財宝話でここ10年聞かない話を一つ。
 太平洋戦争敗北後、日本軍が隠した資金がGHQに発見されました。その名もM資金。金銀財宝で1000億円ぐらいと言われるその資金は、GHQにそのまま管理されたらしいです。で、大蔵省の地下や日銀の隠し金庫にあるらしいです。

 その後、その資金は使える人は使えるものらしく、新政党の資金に使われたり、秘密裏の国家の買い物なんかに使われたらしいです。また、それにからんでの自殺者なんかも出てるようです。

 昔はよく出元の分からない大金(明らかに賄賂や脱税の裏金)なんかが話題になると、言い訳にM資金を使っていたようですがここしばらくは聞きませんね。

 後、M資金から派生した詐欺なんかもあって、色々話題の多い歴史の謎でした。
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 No2です。


 フリーメーソンなんかの陰謀史観や秘密結社系がからむと死ぬほど出てきます。

 嫌いな分野では無いのでもう一つ。
 神代文字と言うものがあります。
 日本は漢字が伝わる前に、日本独自の文字を使っていたと言う説です。
 ほとんどが嘘らしいですが、どれか一つぐらい本物だと面白いですね。
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/sinmoji.htm

参考URL:http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/kenkyu.htm
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秀頼が島津に逃れたとかの類は推理にもならない希望的妄想です。


歴史の中に夢を持ちたいという願望なのでしょうね。
謎とは可能性だけで事が確定しない「邪馬台国はどこか」とか、資料が無くて
類推も分かれる「明智光秀の反乱理由」などのようなものだと思いますよ。
できましたら正面から歴史に接してもらえるとあり難いのですが。
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明治天皇の出どころは嘘ばかり。



岩倉具視は天皇の出目をとりつくろって、御出身の捏造、装飾を熱心におこなった

>できれば文献も添えて教えてほしいです

偽史の可能性がない文献作成なんて権力者にかかれば難しくは無いでしょ。 簡単すぎるので安易になってしまい、後世に疑われる事もあるかもしれません。
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けっこう有名な話では、「天海僧正=明智光秀説」と言うものがあります。

これは肯定派の資料がわりと説得力を持っているので、面白いですよ。

また、「徳川家康関ヶ原死亡説」。これは隆慶一郎氏の「影武者徳川家康」と言う小説で有名になっていますね。

また、マイナーな説では、「阿波国(徳島県)原倭(和)国説」があります。
大化の改新あたりまでの歴史は、阿波国内を舞台にしたものであるというものですが、これがまた説得力がかなりあります(資料は徳島の郷土史関係で出てくると思います)。

全国に阿波神社がありますが、これは阿波の国人が植民した名残であり、海路を通して全国に支配を及ぼしていた(実際に関東の安房国は、阿波の忌部氏が開拓したことから国名となっています)と言うものです。

「大和国」と言う国名も阿波(吾・和)の植民地として大なるものと言う解釈で、本家は阿波だけど、陸上の交通路が整備され日本海側の勢力との接触が増えるにつれ分家の大和に政権の重心が移動したと。

このあたりの歴史が書かれている「阿波風土記」が明治維新のおりに政府に取り上げられ封印され、今は宮中に秘蔵されているとか・・・(歴史観が変わってしまいますからね)。

その実否はともかく、案外知られていないのですが、江戸時代までの海上交通は全て阿波商人が握っていました。また「紅」とならんで当時の唯一の染色材料である「藍」を独占供給していたので、その富は莫大なものでした。

阿波の徳島の人口は江戸時代には50万人を数え、江戸・大阪・京都の次に人口の多い都市でしたし、明治の銀行設立ラッシュのときに、国立銀行の資本金がほとんど10万円であったときに、阿波商人たちが設立した民間銀行の資本金は50万円という最大のものでした。

今の徳島県からは想像できませんが、あながちあり得ない話ではないでしょう? ^-^
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ほぼ間違いないものをひとつ。



出雲大社宮司の千家は天皇家よりも古い家系図を持っている。出雲→天孫氏(天皇家)の国譲りに最後まで抵抗した出雲のタケミナカタ神は諏訪に落ち延びて諏訪氏の祖となった。その家系の最後の著名人が諏訪(武田)勝頼。
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 真田幸村(正しくは信繁)は大阪の陣で生き延びた、という説があるようです。

もちろん迷信の類でしょうが。
 それから幸村の次男大八は、大阪の陣のあと遊んでいるときに石が当たって死んだとされていましたが、実は伊達家家臣片倉重信(重綱とも)に保護され、後に伊達家の家臣となったそうです。その息子の代から真田姓を再名乗りし、その末裔が現在の仙台真田家です。
 片倉家が大八をかくまったのは、大八の姉に当たる阿梅が最初に重信に保護され(後に後妻となる)た事に依るようです。他にも幸村の遺児が何人か身を寄せています。
 実際、宮城の白石市には真田家の家紋である「六文銭」を寺紋とする寺が在ります。
 ちなみに、大八が石に当たって死んだというのは、実は伊達家が流した噂で、幸村の男子を保護したことを幕府に探られないようにするためだ、とも云われています。そのため大八(片倉守信)は、公には真田姓を名乗らなかったとされています。
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お札にもなった超有名な聖人とされる聖徳太子は


実は存在しなかったなんて言われてたりします。
架空の人物ってことですね。
誰もが知ってるあの聖徳太子がね(笑)
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平賀源内生存説と言うのがありましたね。



安永八年(1779)12月18日
殺人の罪で牢に入っていた源内は獄中で
破傷風によってこの世を去ったと言うのが一応定説ですが
この時彼と親しかった田沼意次・千賀道有・杉田玄白らによって救い出され
伝馬町の牢を出た後田沼意次の居城のある遠州相良に身を寄せたという説があります。

後に遠州相良にはある逸話ができました。
約10年後かの天明の飢饉が起こった際に遠州相良に不思議な老人が現れ
オリーブなどの栽培法を教えて地元民を救ったと言うものなのですが
その老人がひょっとしたら平賀源内だったのかも知れません…。

ってな話をみなもと太郎氏の漫画「風雲児たち」で読んだ事があります。
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