「勝てば官軍、負ければ賊軍」などと申しますが、
確かにそうだと思います。

しかし、そうでもなかった事例って、日本史、世界史の中でありますでしょうか?
「負けるが勝ち」とも言いますので・・・・

そんな事例をご存知でしたら教えて下さい。

A 回答 (6件)

軍事的な勝敗ではないですが、中国の春秋戦国時代の話で、斉の桓公と魯の曹沫(そうかい)の故事があります。


(史記・刺客列伝第26)。

当時、斉に圧迫され領土を削られていた魯の荘公は、遂邑(すいゆう)という町を献上することで屈辱的な講和を結ぶことになり、その儀式への出席を余儀なくされます。
このとき、曹沫は斉と三度戦って破れるという立場にあったために一身をなげうって領土の回復を図ろうと考えました。そこで、儀式を行う壇上で桓公に匕首(あいくち)を突きつけ、奪われた魯の領土の返還を迫ります。

桓公と宰相の管仲はその要求を飲まざるを得なかったのですが、解放された後に桓公は、魯の荘公と曹沫を捉え殺そうとします。しかし、管仲に止められ、脅されて結んだ約束であったにも関わらず、領土の返還を実行します。

これにより、斉の桓公は征服した土地を放棄するかわりに、「信義に厚い君主」と言う国際的な信用を得ることができ、春秋時代の最初の覇者として周から認定を受けるようになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
こんな事例をまってましたっ!という感じです。

史記って、色々なエピソードがあって面白いですね。

うまいことやる人は、勝とうが負けようが官軍になれるってことかな、強引?

お礼日時:2005/09/03 00:31

No.1の方は、勘違いされているようですね。


三国干渉は、日清戦争の後の出来事で、「ロシア憎し」ということで日露戦争につながる出来事ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
三国干渉で遼東半島返還させておきながら、
三年後にはロシアが奪っちゃうのですよね。

これは誰がどう考えても「ロシア憎し」ですね。
(あくまでも「当時」の話です)

お礼日時:2005/09/03 00:11

ドイツとソ連が戦った「スターリングラードの戦い」


ソ連が敗走を重ねスターリングラードまで逃げて
着ましたが、ロシアの冬の過酷さを認識していなかったドイツの深追いによりドイツ軍は全滅しました

http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%a5%b9%a5% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これって、ナポレオンのときもそうでしたよね。
ロシアの伝統的戦法なんでしょうか。
(敗走=戦略的な撤退?)

お礼日時:2005/09/03 00:07

「官軍」とは「天皇の軍団」という意味。



足利尊氏は後醍醐天皇と戦ったので、

勝っても賊軍という評価では?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確か、この人は戦前と戦後で大きく評価が違うのでしたっけ。

太平記、昔読みましたが内容忘れてしまいました。
読み返してみます。

お礼日時:2005/09/02 23:57

ある意味、第二次世界大戦後の日本です。


負けたのに勝ちです。

あの戦争の大義名分は東南アジアを解放し、アジア経済圏の確立でした。現在を見れば正にその通りになっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「負けるが勝ち」の事例になりますね。

しかし、それ以来ずっと日本は「賊軍」ですね。
(敵国条項ってやつ)

お礼日時:2005/09/02 23:48

戦争とは、血を流す政治である、といわれています。

話し合いで決着がつかない政治問題を実力で解決する方法、という意味です。「勝てば官軍」というのは、たとえ理屈に合わない主張でも戦争に勝てばゴリ押しできる、という意味でしょう。ご質問を言い換えれば、戦争で勝ったのに政治目的を達成できなかった(戦争で負けたのに政治目的を達成した)事例ということでしょうか。

戦争は実力勝負なので、勝者がその主張を実現できなかったケースは稀ですが、我が国の歴史上、戦争で勝ったのに政治目的を達成できなかった事例があります。日露戦争後の、有名な「三国干渉」です。ロシアには勝ったものの、他国の介入により戦勝国として得られるはずであった利権を失った事例です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
この時は、ロシア・ドイツ・フランスは、戦わずして既に官軍であったわけですね。

当時の国民の悔しさ分かるような気がしますね。
「臥薪嘗胆」でしたっけ。

お礼日時:2005/09/02 23:41

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あれから150年たちますが…

Aベストアンサー

まあ一言で言えばそうかもしれませんね。

ただ正当であったのは青森までです。
北海道に渡った幕臣たちは北海道を「蝦夷国」と名乗り独立し、アメリカ・イギリス・フランスが国家承認しています。
つまり五稜郭の戦争は近代日本が起こした最初の侵略戦争です。
諸外国は官軍に蝦夷国との戦争は止めるように勧告していました。

そののち明治に入り長州に美味しいところを持っていかれた薩摩は反乱を起こし西南戦争になりました。
征韓論云々が原因とも言われていますが。
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世界史だけですが、以下のサイトの量には驚かされます。世界史はコレだけ憶えていれば多すぎるくらいだと思います。

がんばってください!

参考URL:http://plaza.across.or.jp/~tomsouya/nengou_top_page.html

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高校2年生の文系選択者です。
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大学で日本史を専攻している者です。
世界史Bと日本史Aを学んだと言うことなので、世界史が前近代、日本史が近現代を学んだのだと思いますが、どちらを選んでも、消化不良は否めないというジレンマに陥ってしまいますね。
お話を伺うと、近代史が好きだと言うことなので、興味のある世界史の近現代を学んだほうが良い様にも思います。でも、どうしても大学で日本の近代史を学びたいのでしたら、受験の負担を考えると日本史を学んだほうが良いと思います。
ただし、これはどちらを選択してもいえることですが、選択しなかった教科についても、独学で少し学んでおいたほうが良いと思います。世界史を選び、将来近代史を学んでいくにしても、日本の近代を知るためには、その前提となっている一連の日本史の流れを知っておく必要がありますし(そのほうが近代史の理解も深まります)、逆に日本史を学んでいく上でも、世界史を知っていることは大きなプラスになります(私自身は高校時代に世界史をあまりまじめにやっていなかった分、大学に入ってから少し苦労しました)。
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ただ、大学に入ってから専攻の変更なども出来ると思いますので、あまり思い悩まずに、自分の好きな科目を学べば良いとも思います。そのほうが学習意欲もわきますし。

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Q山川出版の、日本史の図録について。 (日本史総合図録か?詳説日本史図録か?)

山川出版の教科書「詳説日本史」を学ぶうえで、参照する図録を買おうと思っています。

ところが、Amazonなどで調べてみると、

「山川 日本史総合図録」 ISBN-10: 4634020211
「山川 詳説日本史図録」 ISBN-10: 463402523X

の二冊があるみたいなんです。

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簡単に言うと、最新の検定教科書に対応するのは「詳説図録」の方です。
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それに対し、「総合図録」は内容的には古く、1986年発行です。
昔は「詳説図録」は無く、「総合図録」が山川出版の教科書に合わせた副教材でした。
図版や年表を大きく載せるためか、横開きでサイズも教科書より大きいB5なので
見やすい利点はあります。受験生でない一般の人にも親しめます。

本来なら「総合図録」は絶版になっていてもおかしくないのですが、山川出版は
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Q【歴史・日本史】日本の休日が日曜日になったのは、アメリカに負けて第二次世界大戦後のアメリカ占領下の時

【歴史・日本史】日本の休日が日曜日になったのは、アメリカに負けて第二次世界大戦後のアメリカ占領下の時にキリスト教の教えである日曜日を祝日にアメリカ指導の元に日本も導入されたのでしょうか。

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過去何度も同じ質問がされていますが、一番良さそうな回答を以下に貼ります。 江戸時代は、商家には5節句、盆以外に大坂では「もん日」といわれた6斎日、江戸では1日、15日、28日を休みとしている例もありました。また、農村でも農閑期を中心として、大小の休日があり、50日前後の記録があります。



No.2ベストアンサー

回答者: Eivis
回答日時:2002/09/30 12:16
.
1876(明治9年) 一・六の休日を廃し、日曜日を休日とする(1月6日)、

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/somu/zenkokuhy … ・・・全国教育略年表 明治・大正・昭和19年以前 

http://www.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/kokikawa/hi … ・・・日本近代史(年表)


http://nnh.to/03/12.html ・・・3月12日(記念日)

これによると次のように書いてあるので、実施されたのは(1876)、明治9年3月12日ということが分ります。

1)1876(明治9)年、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施されました。

2)それまでは、1868(明治元)年9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていました。

3)しかし、欧米との交易等で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることとしました。

参考URL:http://nnh.to/03/12.html

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No.2ベストアンサー

回答者: Eivis
回答日時:2002/09/30 12:16
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1876(明治9年) 一・六の休日を廃し、日曜日を休日とする(1月6日)、

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/so...続きを読む


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