
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
中世の軍隊というのはまず国王や代理の王子が最高指揮官で、それに次ぐ地位の指揮官は国王のもとで公爵とか伯爵とかの貴族が自分の費用で軍隊を編成して参加しました。
ということで将軍になるのはこれらの高級貴族です。そこでこれらの貴族は戦争のないときは自分の領地を経営していました。当然世襲ですが、功績を挙げて取り立てられる場合も皆無ではありませんでした。
これらは封建制の進化の義務でしたが、何日間従軍すればよいという日数がきまっていましたからそう遠くへ遠征したり、長期戦はできませんでした。
時代が下ると、これらの高級貴族ではなく、もっと低い地位の貴族がその能力を認められて将軍になる場有為も出てきましたが、そういう場合は高級貴族に取り立てられることもよくありました。
これらの封建軍だけでは足りない場合は傭兵をやといました。
スイス傭兵やドイツのランツクネヒトが有名です。
この回答へのお礼
お礼日時:2005/08/21 15:14
さっそく、丁寧な回答ありがとうございます!
高級貴族が、戦争になると将軍になるんですね。貴族と軍隊は別のものだと思っていたから勉強になりました。
それじゃあ、「将軍」っていう階級は、本当はないんですか?
よく映画なんかでは「○○将軍!!」なんて呼ばれていたりするけれど、あれは戦争中だからですか?
No.3
- 回答日時:
1.です。
中世では常設されている将軍というものはありませんでした。
今で言う大将は当然国王であり、国王が前線に出られないとか、他の戦線の指揮をしている場合は、国王代理ということで中将とか少将とか言う階級が与えられた指揮権を与えられました。
しかし、これらの将軍の階級は臨時のものであり、戦争が終わればなくなりましたが、戦場で大きな功績をあげたりした場合には元帥という称号が与えられることがあり、これは戦時・平時を問わずに称することができました。
職業としての将軍が出てくるのは絶対王政時代以降になります。
No.2
- 回答日時:
中世に限定するとまだ封建制度が色濃く残っていましたから将軍の地位は大貴族など貴族階級が独占していました。
当然領土や城を所有していました。 普段でも戦場でも優雅な生活態度でした。
従って戦闘指揮能力があるのは稀で、全く役に立たない将軍もいました。
実際の戦争が多くなると、大抵補佐の幕僚、参謀が命令を下して戦ったので、これらの人が出世して将軍に任じられるようになったのです。
これらの新将軍は当然貴族に昇進し褒美の土地などを与えられたのです。
三十年戦争に活躍したヴァレンシュタインはチェコの出身ですが無名の下級士官から能力を発揮してオーストリア帝国の最高司令官になりました。
能力主義の走りでした。 彼が募兵すると各国から傭兵志願者が殺到したといいます。
ナポレオン自身もそうですが彼が成功したのは、能力次第でどんどん抜擢を行い、下士官から一挙に連隊長に任命するなど戦功次第で昇進するので、彼の姿が見えるところでは兵士は勇戦したのです。
この為ナポレオンは戦場を駆けめぐりその姿を見せ廻る必要があったと言います。
ナポレオンの下で能力を発揮したダヴー、ランヌ、ネーなどの将軍、元帥はいずれもこうして出世した人たきです。
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