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 私の親類が2人、軍隊に従軍しておりましたが、すでにその時代のことを知る人もおりません。数少ない情報ですが以下のような手がかりがあります。どのような情報でもご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

(1)陸軍上等兵
 ・東部第23部隊山内隊
 (東部第23部隊長 山崎 文一郎)
 ・昭和19年4月2日召集解除
  銃弾による傷を見せてもらった記憶がある。また病気がちだったともきいており、それらのために召集解除になったのでないかと思われます。
 ・中国方面に派遣されていたといっていた記憶があります。しかし、南方の果実の写真の絵葉書(ラバウルの果実の写真)も出てきたので、そちらにも行っていた可能性があります。
 
(2)海軍上等水兵
 ・昭和19(18?)年10月23日消印の葉書には「呉海兵団気付 小林(芳)部隊 松前隊」所属となっており、文面では「先日の江ノ島行軍の際には悪天候にも関わらず来てもらったことに感謝する旨」記されております。
 ・墓碑には「昭和20年4月27日 比島北部ルソン島陣歿」と記されております。
 ・海軍でも船で戦うのでなく、いわゆる陸戦部隊であったという話を聞いたことがあります。

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A 回答 (5件)

 (1)に関して、わかる範囲でお答えします。



 まず、東部第23部隊というのは、歩兵第16連隊補充隊の事で、山崎大佐は当時の補充隊長。新潟県新発田を衛戎地とする歩兵第16連隊が満州へ派遣されていた当時に留守と補充を担任しました。(同部隊から歩兵第116連隊を編成した事もありました)したがって、同部隊に入隊(あるいは応召)したのちにどちらかの連隊へ派遣された可能性があります。

 歩兵第16連隊は、開戦時、満州からインドネシアのジャワ島攻略に参加した後、ガダルカナル島で壊滅的な損害を出してフィリピンで再建し、ビルマ(現ミャンマー)へ転戦し、さいごはフランス領インドネシアの現カンボジアのロンタンにて終戦を迎えています。

 歩兵第116連隊は1937年(昭12)に編成されて以来、中国大陸を転戦し、昭和18年ごろからは中国中部の長沙から南部の衡陽、桂林、柳州まで進出しています。

 ただし、同連隊の一部は、サイパン派遣の先遣として1943年(昭18)10月に漢口から九州の門司に移動し、トラック島をへて同島およびグァム・テニアンなどに上陸して全滅しています。

 当時は、志願でなければ徴兵令によって20歳で現役入隊することから、その親類の方の年齢からおよその在隊時期は推測できるかと思われます。「東部OO部隊」という平時編制部隊の通称号が使われているから1939年(昭14)以降であることは間違いないでしょう。(ただし、現役を除隊した後に召集されていたならまた別ですが)

 さいごになりましたが、同部隊について詳しく知りたいのならば新潟県立図書館に、野崎武編『新発田聯隊史』(新発田聯隊史刊行会 発行)(検索番号~N396-14)という書物がありますのでお近くの公立図書館を通じて借りられてはいかがでしょうか?
 
 
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以下、確証はありませんが…。


確かに「東部23部隊」という言い方は、あまり聞いたことが無いので、分かりませんね…。23連隊は宮崎県都城の連隊で、全く違いますもんね。
さて、陸海軍とも、独立して部隊と呼ぶ単位は、いずれも大佐クラスが指揮する単位で、陸軍であれば「連隊」海軍の場合、巡洋艦以上の軍艦であれば「艦」、駆逐艦や潜水艦であれば「駆逐隊」「潜水隊」、陸戦隊であれば「呉第○特別陸戦隊」「第○警備隊」などです。よって、僕の推測では、小林氏は艦長、あるいは隊長ではないでしょうか?松前氏は恐らく分隊長だと思います(海軍の分隊は、陸軍の中隊レベル)。
海軍の場合、どの港にどの船がいるかは極秘事項ですから、所属を「軍艦大和」などとは書かず、「有賀部隊」と称していたのは事実です。従って、その時に呉に在泊していた軍艦や駆逐隊などの可能性もあり、また呉で待機していた陸戦隊、呉海兵団所属の警備隊などかもしれません。
ちなみに、江ノ島行軍は、横須賀海兵団では著名な訓練の一つです。海軍の場合は、海での戦いの他に陸戦の訓練もしっかりと行っていました。
ルソン島には、南遣艦隊の第32特別根拠地隊がいましたが、それ以外にも、基地警備隊もいましたし、沈没艦の生き残り、搭乗員たちがいなくなった後の基地要因=整備員たちなども陸戦隊に編入され、マニラ防備に当たったはずです。
回答になっていませんね。失礼しました。
1~3の皆様の回答が、とても参考になると思います。
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(1)の方について


 「東部23部隊」は旧軍の東部軍管区のいずれかの連隊であると思われます。
 東部23部隊で検索をかけると長岡にお務めだった方の手記のみがヒット。
http://www.zeirishikai-urawa.com/syoukai/cosmos4 …
また、
http://www.nagaoka-ah.ed.jp/dousoukai/kinensi.htm
で、長岡農業高校の卒業生手記に23部隊の名前があるので、新潟県内の連隊ではないかと思われます。

 新潟県内で編成された連隊は16・116(新発田)30・58(高田=現上越市)の4部隊です。

 しかし、いずれも中国→ラバウルと転戦した部隊ではありません。(16はジャワからビルマ、30はハルピンから宮古島、58は中国からインパール戦、116は中支)
http://www.h2.dion.ne.jp/~ucon/newpage48.htm
このうち30連隊の通称号(コードネームのようなモノ)が「豊五六二三」ですので、これが怪しい気がしますが、確証が持てません。

 また、山崎文一郎で検索をかけると終戦時歩兵第152連隊(19年7月、山形編成)の連隊長であったことが判りますが、時期的に無関係と思われます(ただし、23部隊が連隊であろうという傍証にはなります)。

(2)について
 海兵団というのは横須賀、 呉、 佐世保、舞鶴の各鎮守府におかれた陸上部隊です。 海軍兵になる者はまず最初に出身地が所属する海軍区の海兵団で初等教育を受け、その後艦船や各部隊に配属されます。このため、戦死された部隊と直接の関係がない可能性が高いと思われます。
 この海兵団ですが、200人規模の分隊が置かれ、その中に十数人規模の班が置かれます。ここで、「呉海兵団気付 小林(芳)部隊 松前隊」は呉の海兵団で、小林氏が分隊長、松前氏が班長の隊という意味と推測されます。
 また、フィリピン戦では4月25日にルソン島バギオに米軍が進入していますので、これに関連しているかもしれません。フィリピンに展開した海軍部隊の詳細はネット上では把握し切れませんでした。


これ以上の軍歴をお調べになるには役所に照会するのが手っとり早いようです。
以下引用。
 【質問】
 亡くなった祖父の所属していた部隊や経歴を知りたいのですが、何か方法はないでしょうか?

 【回答】
 その手のデータは、陸軍省がなくなった後は厚生省援護局調査課が引き継いでるはず。
 問合せ先等はgoogle検索してください。陸軍の場合、各県庁の福祉指導課(なければ恩給を扱っている部署)に問い合わせても良いようです。
 恩給手帳があればたぶん一発で判明するでしょう.

 部隊や経歴は「軍歴」と言うものに記録されており、入手先は
海軍:東京都千代田区霞ヶ関の厚生労働省社会・援護局業務課
陸軍:終戦時に本籍のあった都道府県庁の社会福祉課恩担当部署
になります.

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/sosiki/ …

 海軍の場合、丁寧に対応してもらって入手できたと言う話しをnetで見かけますが、陸軍の場合、軍歴を当人にしか発行しない県もありますので、まずはTELで確認をされると良いでしょう

(DRG-LOGO in FAQ BBS他)
(以上 http://mltr.e-city.tv/faq08j02.html#00221 より)
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年齢50歳の私ですが、すでに亡くなっている父が軍人であったため、「平和事業特別基金」というところから、賞状がでるとのことで、いろいろ調査していますが、参考になるかもしれないので投稿しますが、軍歴については、各県に専門の部署がありそこでわかるようです。

その際必要な情報は
 出征当時の本籍地 氏名 生年月日等
です。個人情報保護の関係もあるので、電話では回答してくれないようですが、県庁で問い合わせたらわかるのではないでしょうか。

  
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いずれもどの程度のことが分るのかは知りませんが、防衛庁に当時の記録が残っていると思います。

厚生労働省にも幾分あるとのことです。戦没者であれば靖国神社で分る場合もあります(有料)。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1592888

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1592888
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Q戦死者名簿は閲覧できるか。

祖父の兄の事について調べています。
過去帳をみると、昭和12年7月21日・45歳に亡くなったと書いてありました。

父はその人は戦死したと噂で聞いたといっていましたし、なんとなくその年代、死亡の歳からして戦死であろうと思っています。

厚労省、沖縄の平和の礎、靖国神社のどれかで戦死者の閲覧ができますでしょうか。

ちなみに、その祖父が亡くなった後、弟である祖父が当家を相続しております。
戸籍謄本を提示すれば閲覧も可能かと思います。

Aベストアンサー

地域によっては戦死された方の名簿は出版されたものがあります。
これは市町村または県単位で遺族会とか戦友会といった団体が作成したもので、戦死した場所や日付が簡単に記載されています。この程度の内容でよいなら捜してみる価値はあるでしょう。
一般に明治10年の西南戦争以降の戦死者が掲載されています。戦死された当時の住所地(市町村)から出版されているので、そこの図書館に尋ねてみるとよいでしょう。「忠魂録」「英名録」など色々な名前になっていますし、市史や町史に掲載されていることもあります。通常、普通の図書と同じ扱いなので閲覧に制限はないはずですし、貸し出しも可能かもしれません。


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