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はじめまして。
私は、最近、仏陀の教えについて勉強しはじめたところです。

仏陀の教えを勉強していくにつれて、「なるほど、こう考えれば苦悩がなくなるのか!」など、感銘を受ける教えが多かったのですが、
「五戒が全部守れそうもない」ことが、仏陀の教えを守れそうもないネックになっています。

まず、「不偸盗」と「不飲酒」は守れると思います。

問題は、「不殺生」と「不妄語」と「不邪淫」です。


「不殺生」はどこまでが範囲なのでしょうか?
生き物を殺すな、と言われても、例えば、ノミ・ダニやゴキブリは、殺さなくては家が清潔に保てません。
また、もっと範囲を広げて考えれば、我々の食べてるものはすべて生き物なので、直接、殺しはしなくても、誰かが殺したものを食べていることになりますよね?
「不殺生」の範囲・境界はどこなのでしょうか?


それと、「不妄語」ですが、私は性格は平均的人間より正直な方ですが、時には、どうしても嘘をつか
なければならない場面というのが出てきます。人をかばったり、相手を傷つけないために、嘘をつくこともあります。
これも、現実的には守れそうもないです。


それと、「不邪淫」ですが、私は今は20代独身ですが、性欲はかなり強く、アダルトビデオはよく見てしまいますし、今までに、性風俗にも行ったことも何度かありました。
不邪淫を守れる自信はありません。
「世の中に、性風俗が無くなれば、性犯罪が増える」とよく言われますが、田代○さしさんの盗撮事件や、官僚・裁判官・新聞記者・警察の性犯罪事件の記事を見ると、その人達が、女遊びをもっとしていれば、事件を起こさずに済んだのになぁ・・・とも思います。

このあたり、仏教の見解はどうなのでしょうか?

お願いします。

A 回答 (5件)

こんにちは。


宗教って難しいですね。

まず、「不殺生」ですがこれは、むやみやたらに殺さないことです。食事のとき「みんなの生命を分けてもらう」という考え方ですね。
例えば「お米の命を戴いて自分の命を繋ぐ」という考え方なのではないでしょうか。
そういった考え方をしていくと「感謝」の気持ちが出てきますよね。「おかげさま」の精神だと思います。

そして「不妄語」ですが、世の中で必要な嘘はあります。他人が傷つくような、迷惑のかかるような嘘をついてはいけないということです。
もちろん自分自身に対しても。

最後に「不邪淫」ですが、敬虔な方なら守るのでしょう。一般的には人様に迷惑のかからないようにしなさいと自分は解釈しています。
実際お寺の住職さんも奥様がいたりお子様をお持ちですよね。

仏教的観点から行くと自分の見解はかなり甘く、五戒と見えないかもしれませんが、一般の方が行うには少し不便な部分もあるかと思います。
ideaismさんの中でideaismさんなりの線引きをしておくことがいいのでは?
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この回答へのお礼

>むやみやたらに殺さないこと
>「お米の命を戴いて自分の命を繋ぐ」

「むやみやたらに」ですから、ある程度は(生活していくためには)仕方ないことなんですよね。

>世の中で必要な嘘はあります。他人が傷つくような、迷惑のかかるような嘘をついてはいけないということです。

そういう解釈で、いいんですね。わかりました。

>人様に迷惑のかからないようにしなさい

官僚・裁判官・警察官などの性犯罪は、性欲を押さえ込みすぎて、いつか爆発して犯罪を犯してしまう、と考えます。だから、人様に迷惑のかからないように、たまに女遊びをするのはよし、と考えると納得いきます。

ふぅ・・・
やっぱり、宗教って難しいですね。
お釈迦様が今も生きておられ、全部、質問できたら、最高なんですが、後々の坊さんが考えた解釈がいろいろありますからね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/27 15:11

仏教の最終目的は六道からの解脱です。

仏陀はそのために一切経を説きましたが、この一切経は大きく分けで、難行道(自力道、聖道門ともいう)と易行道(他力道、浄土門ともいう)があります。難行道は質問者さんがおっしゃる五戒を含めたすべての煩悩を消し去り、五十二段の悟りの道をひとつひとつあがっていくやり方です。ただ、この道を通って仏の悟りまでたどり着いた人間は地球上では釈迦一人といわれています。易行道はいわゆる「自力が廃る(どんなにがんばっても自分のなかからは煩悩が消えることがなかったと心の底から思い知ったとき……頭で理解しても駄目ですが)」ときに、阿弥陀仏が五十一段目(菩薩の位で死後阿弥陀仏の浄土に生まれ変わることが確定する。はっきりと自覚できると言われています。蓮如が救われた瞬間を文章にしていますし、東条英機の辞世の句では救われてなければ詠めない安心感が見えます。「明日よりは誰にはばかることもなく弥陀のみもとでのびのびと寝ん」など)にまで引き上げてくださります。どちらにしても、仏教は死後成仏ではなく生前成仏で、生前に救われなければ、死後に救われることもないというのが基本です。
五戒に関する見解としては、一所懸命やってみなさい。いつかは限界がくることがわかるでしょう。といったところでしょうか。
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この回答へのお礼

>五戒に関する見解としては、一所懸命やってみなさい。いつかは限界がくることがわかるでしょう。といったところでしょうか。

限界がくることがわかっているのに、一生懸命やろうとする気にはなれません。

やはり、私の場合は厳密に五戒を守るのではなく、少し易しくした解釈で守っていくしかないなぁ、と他の回答者の意見を聞いて感じました。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/27 15:46

元々仏教の五戒は在家のために存在するものです。


一般人がこれらを遵守するのは非常に難しいと思いますよ。

堤謂経では五戒を犯すと病になるという教え(政治的に五行説とくっつけた方が一般人に理解しやすいという理由で無理矢理こじつけられた経緯があります)を説いているのですが、これは現世によるものよりも前世以前の罪が病の元であるという教えです。
例えば肝の病になれば前世以前に殺生をしていたはずだからこれを懺悔しなさいと説き、悟らせるわけです。

道教では不邪淫(つまり不倫)を最も忌み嫌いますが、これも政治的な理由が関連しています。
道教の流れを汲んだ儒教国家である韓国で不倫が重い罪とされるのは、このような教えが一般人にも脈々と受け継がれているからです。
前述の通り仏教では在家以外には遵守を強いていなかったわけですから、現世での出来事はあまり重罪とは考えられず、現世の罪は来世に響くし前世の罪は現世に返ってくると考えられました。

とりあえず守れる事を一生懸命守り、無理だったものは来世に懺悔してください(笑)。

五行と中国思想について勉強していた鍼灸師でした。
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この回答へのお礼

>元々仏教の五戒は在家のために存在するものです。
>一般人がこれらを遵守するのは非常に難しいと思いますよ。

これを聞いて安心しました。
一般人が五戒を守るのは、難しいというより、無理です。

前世・来世に関してですが、お釈迦様の教えでは、死後の世界には触れておらず、後々の人達がつくったという理解をしていますが、あってますかね?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/27 14:50

「5戒」とは仏陀に帰依したものが守らなければならない修道法で原始仏教では一般の在家信者に「5戒」を課した、これとは別に仏陀は修行者に悟りへの道筋を4つにまとめた、


「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」があります
これらの教えを「四諦八正道」といい仏教の根幹の教義とされている重要な概念です、この中の「滅諦」は人の欲望と執着をすべて捨て去ることで一番難しい(性欲もこの中に含まれる)これら「四諦」を悟った修行者は「仏陀」になったのです、
貴方が修行して仏陀になることを目指すならこれら
を取得しなければなりませんが、一般人として社会
で生きていくのなら、こうゆう教えがあるという程度
に考えてください、(性欲をなくしたら、社会に子供
がいなくなり成り立たなくなります)
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この回答へのお礼

五戒は在家信者に課したものだったんですね。
私は、修行して仏陀になるつもりはありません。
ただ、私の人生が病気などで平均的日本人よりも苦悩が多いため、お釈迦様の教えを学び、できるだけ、苦悩を軽減させたいと考えています。

非常にわかりやすく、納得しました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/27 15:20

私は無宗教ですが、宗教とは利用するものであって利用されるものではない、というのが信念です。



五戒といっても守れるものは守り、守れないものがあればその時は悔い改める、でいいのだと思います。
不殺生戒はおっしゃるとおりなかなか守れないですよね。ですから食する場合は感謝する、手を合わせて供養する、の気持ちがあればいいのだと思います。

不妄語戒はおっしゃるとおり必要悪的な使い方は仕方ないのではないでしょうか?
私のことをバカだと思いますか?と聞かれて「ハイ」という必要はないでしょう。たとえ本当のバカだとしても。

不邪淫戒もそうですね。
これを守れば全ての人類は死滅してしまいます。
これは女色にふけるな、程度のものだと思いますよ。
色恋の泥沼にはまるようなことはするな、でいいのではないでしょうか。

まぁ、教えは教えとして、解釈するのは人それぞれです。枝葉末節ができないからといって根幹を捨てるのは無意味ですよ。

仏教でも神道でも、キリスト教でも自分にとっていい考え方は取り入れようと自分では思っています。

自分を磨くには「適当に」って言葉が合うと思いますよ。
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この回答へのお礼

>食する場合は感謝する、手を合わせて供養する

それだったら、不殺生は守れます。

>色恋の泥沼にはまるようなことはするな
>これを守れば全ての人類は死滅してしまいます。

その程度でしたら、不邪淫も守れるでしょう。

教えといっても、五戒を厳密に守るのは、不可能なので、いろんな解釈をつけてくれるのですね。

お釈迦様の教えに関しては、全般的には共感する部分が多いんですが、五戒は、なぜこんな不可能に近いものを入れたんだろう?と、思ってしまいます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/27 15:38

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