【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれていたそうです。
現在でも経済発達している国家少ないです。
これはどうしてなんでしょうか?

古代エジプトの時代には既にあれだけの文明が発達していたのに、その後西洋諸国に遅れをとってしまったのは何故でしょうか?
ヨーロッパの近くで人や文化などは流入していたはずです。
現代になっても部族対立が激しく、農業や工業が発達しないのはどうしてでしょうか?
経済大国がその気になって本格的に援助したら発達するものなのでしょうか?
資源などはあるはずです。
それとも部族問題が解決しない限りムダなのでしょうか。

よろしくお願いします。

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A 回答 (14件中1~10件)

暗黒大陸というのはヨーロッパ人が自分たちの価値観からそう呼んだだけで、特に根拠のある言説ではありません。



古代エジプトは位置的には北アフリカですが、文化/文明/人種の点で「アフリカ」とは言えないと思います。文化ではメソポタミアと並ぶ古代東方文化ですし、アフリカ大陸の他の文化よりもこちらとの関係が一貫して深いです。人種もネグロイドではありません。
また、アフリカというのはローマ人がつけた名前で、大体いまのチュニジアあたりのことです。そこから南は特に認識されていません。南方ではまた独自の文化/文明が発展していました。
これについては
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061493 …
が大変よい参考書になると思います。
西ローマ崩壊後も北アフリカについてはイスラムによる征服後もむしろヨーロッパに対する先進文化地域でした。ヨーロッパから文化の流入?とんでもない。たしかにローマやギリシアの影響はうけていますが、むしろ中世ヨーロッパこそイスラム文化の影響をうけていました。
この関係がひっくり返ったのは近代になってからです。近世ヨーロッパがひたすら武力に偏った発展を遂げ、その武力によってまずは「新大陸」を、ついでその富を背景にアフリカ(とりわけ中部/南部)や、アジアを征服し始めるまで、ヨーロッパは世界の後進地域でした。しかし、これらの征服後、その富と資源を以て近代の技術文明が発展するにつれ、経済力などが逆転し、現在に至ります。
先進諸国というものは、これらのアフリカ/アジアに対する既得権(そんなものを勝手に主張するのがヨーロッパ)を守るため各種の征服戦争、反乱鎮圧、さらには裏工作を行い、また行い続けているわけです。現在はこれらのやりくちを新植民地主義と呼んでいますが、たとえば「イラク戦争」もこういった観点を抜きに考えることはできません。

アフリカ諸国の側に問題がないわけではありませんが、こういう問題を解決させない努力をしている国がある、という琴も忘れてはならないと思います。
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#6です。

歴史的には、前述の通り植民地的・新植民地的状況というものが根本的です。部族問題についても、(部族といういいかたは、実はかなり差別的なんで、つまり民族問題なんですが)アフリカの国々の多くは民族国家ではなく、自然発生したものでもない。国境線がまっすぐなのは定規で引いたから。自然に出来た境界ではなく、ヨーロッパ諸国が分割支配の都合上引いた線です。だから民族は国境と無関係に分布しています。
また近代的な政治の経験が少ない。まあヨーロッパの3分の1ぐらいは近代民主国家(実のところ女性/民族差別を含んでいたのが出発点だが)の経験が100年単位であります。それに対し、アフリカの年といわれた1960年の独立からかんがえても半世紀に満たない、統一国家としての経験も、民主主義の経験もなお未熟、その上旧宗主国やヨーロッパ諸国の都合から歪んだ政治形態が誘導ないし強制される。経済的にも傾斜産業といって、たとえばコーヒー豆ばかり作らされる。これで安定した国家がつくれたらそれこそ奇跡でしょう。
それから、今後の発展において「農業、工業の発達」と安易に言っていいかどうかは考察の必要があります。ヨーロッパと同じようになるイコール発展とは限りません。
今後の方策は大変難しいのですが、比較的民族問題の少ない国家が率先して成功例を作り出すのが一番かと思います。だれもやったことがない仕事なので、成功例は励みにも参考にも大いになります。そのためにも「先進国」の不当な干渉と経済的帝国主義は排除されねばなりません。
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12の続きです。


いま国連を含め大国がアフリカに大量の
資金援助をしていますが内戦が続いてる今
ほとんど意味がありません。
まず内戦をやめさせることが肝要です。
そして強力な政府とそれをバックアップする
大国が求められます。
その上で資金援助を行い、インフラや教育機関、
社会保障制度を作っていかなければなりません。
農業問題ですが、アフリカは砂漠が多く
肥沃な土地が限られています。
このため農業依存度の高い国ほど苦しいです。
農業というのは経済的に不安定なもので
その理由は収穫高が気候などに大変影響
されやすいからです。
はっきり言って農業の発展は科学の進歩が
ないかぎり望めません。
暗黒大陸といわれたのはもしかしたら
これが原因かもしれません。
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経済の発展にはまず高いレベルの教育が


必要となります。
安定した経済力には不可欠となる産業を
作るには優秀な人材が必要となるからです。
しかしアフリカはどこも内戦をしており
教育を受けられる状態ではありません。
だからいつまでも経済が発展せず
インフラも整っていないので伝染病が起こり
社会保障制度もないので貧困にあえぐ人が
多いのです。
内戦が起こる理由は民族対立が主な理由として
多いですが、これはかつて帝国主義をとる欧米列強が
民族間で境界を引かず、経線や緯線、川などを
目安に引いたことにあります。
そうした土地争いもあるんですが、
植民地を支配しやすくするため欧米列強が
少数民族を利用して多数民族を支配させた
ことからも内戦の火種になっています。
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マリ王国はアフリカの13-15世紀の華と言える広域のイスラーム国家でした。

首都であるトンブクトゥは「黄金の都」「学問の都」として有名でした。その後のソンガイ王国でも、同じくトブクトゥを首都とし、大学が設立されています。
また、インド洋沿岸ではインド洋貿易で繁栄した海港都市があり、現在のジンバブエにおいては、モノモタパ王国が15世紀において壮大な文明国家を建設しています。

アフリカの悲劇はヨーロッパに近すぎたことでしょう。

帝国主義以前には、コンゴなどで大量の奴隷が輸出されましたが、ヨーロッパ人が奴隷狩りを行ったのではなく、アフリカ人が異なる部族のアフリカ人を禽獣を狩るようにして奴隷狩りしていました。

帝国主義の時代には、原料の供給と市場として期待され、イギリス・フランスをはじめとする列強の分割を受けます。これに抗して独立を維持できたのは、イタリア軍を撃退したエチオピア王国と、アメリカの解放奴隷が入植し支配層を形成したリベリアのみでした。

こうして、アフリカの諸王国は、イスラームとしての価値観・歴史を全部否定され、キリスト教と武力による支配を強制され、文化的・社会的に壊滅的打撃を受けます。

これはアメリカで、ネイティブインディアンが土地を詐欺的な手段で取り上げられ、文化や社会を壊滅的に破壊された上に、害獣のような扱いで虐殺されていった経緯と似ています。

現在で「も」経済発達している国家が少ない、のではなく、実質的には19世紀以降のヨーロッパの帝国主義諸国の侵略が原因で、かつて豊かな交易国家が栄えたアフリカ大陸が失われ、疲弊したアフリカ大陸が作り出されたのです。

解決策は、基本的な教育を全国民に行き渡るようにすることと、教育を通してアフリカの歴史と文化を取り戻すこと、部族同士のここ200年の対立の原因が、ヨーロッパ帝国主義から生じたことを共通の歴史観として持ち、自主自立自尊の道を進むことだと思います。
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アフリカやアメリカの先住民と、


ユーラシア(アジア、ヨーロッパ)人の
決定的な差は「馬の運用」です。

(アメリカには馬がいなかったけど)

中世以前の世界では、
馬という家畜を利用し、騎馬戦術を身に付けた
民族が常に勝利、繁栄してきました。
(蒙古族とか)

近代史において、鉄道がその役割を果たしたように、
馬があれば、交通網が発達し、経済も発展し、
国家基盤も磐石となったでしょう。

人間が活用する動力は、
家畜→蒸気→石油や電気
という推移を経てきましたが、アフリカはそもそも
最初の時点で、コケてしまったような気がします。
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アフリカ諸国の大多数の国で、経済的に植民地状況にある事が、根本的な原因だと思っています。



サハラ以南のアフリカ諸国は、政治的に独立していても、肝心の経済力が伴っていませんでした。
そのため、わずかな富の収奪がっせんから、内戦や独裁、部族抗争になっています。

また、自分たちの資本の集積ができなかったため、資本のほとんどを、旧宗主国にゆだねたため、経済的に自立できていません。

旧宗主国との関係を切ったところは、たちまち経済的苦境に陥り、西欧の資産摂取などを行ったため、国際的に投資対象国からはずれ、資金の流入がなくなってしまいました。

それに対し、東南アジアなどでは、自らの手で独立を成し遂げたため、旧宗主国との関係が切れ経済的に自立する一方、日本、アメリカといった先進国からの支援を受けられる一方、華僑を中心とした商業資本も根付いており、一時的な経済停滞は有っても、着実に復興しました。

アフリカ諸国で、特に悲惨なのは、旧宗主国が、勝手に撤退してしまった国々です。
西サハラ、アンゴラ、モザンビーク、コンゴ(旧ザイール)

西欧撤退の後の権力の空白に乗じた自分の事しか考えない政治的に未熟な指導者が支配した国
中央アフリカ、ジンバブエ、ソマリア、ルワンダ、ウガンダなど。

イスラム原理主義の席巻した地域
スーダン、アルジョリアなど。

アパルトヘイトに翻弄された地域
南アフリカ、ジンバブエ、ナミビア、ボツワナ、レソト、スワジランド

アメリカなどの勝手な政策に振り回された国
リベリア、シエラレオネ

常に隣国の紛争の影響を受け続けた国
エチオピア、ザンビアなど。

本来独立する力が無いのに無理やり独立した国
エリトリア、コモロなど。

東西冷戦の対立に利用された国
アンゴラ、モザンビークなど。

フランスが相変わらず実質経済的植民地としている国
チャド、ニジェール、マリ、など。

問題は山積みです。

中南米カリブ諸国も、アフリカより多少マシなだけで、アメリカ産業資本の支配下に入っている国は沢山あります。
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1)黒人貿易で多数の人口を他国に強制連行された。


  その為アフリカ社会そのものが崩壊した。
2)諸外国の勝手な考えで国境設定された為、人種・部族間の融和が難しい。

>経済大国がその気になって本格的に援助したら発達するものなのでしょうか?

まず、国境線の引き直しから始める事でしょう。
部族範囲と国境が全然合っていません。
又、援助の際「ひも付き」を止められるかですね。
従ってアフリカの将来は暗いと僕は思っています。
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独立は50年早すぎたというのが答えでしょうか…



 英国のモントゴメリー元帥がアフリカの独立問題の時に「アフリカの独立はあと50年は必要」と述べました。

 アフリカの国境のほとんどが、欧米の植民地獲得競争の際に引かれたものです。つまり地理的事情で引かれたものではありません。また、部族的に支配層向きと労働者向きの民族がいるのですが、米国式民主主義を強引に押し付けた結果、ルワンダのように多数派であるフツ族が政権を握り(フツ族は体が小さい、それに対してツチ族は体が大きく力も強い)、ツチ族の叛乱を恐れて虐殺を行ったりしました。結果は内戦となり、少数派のツチ族が勝利しました。
 民衆の民度が低く、資源が豊かで、国境が人工的なため、覇権を目指す輩が現れます。

 アフリカは独立が早すぎたため、未来が無くなったと言えるのではないでしょうか。
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予想ですが、



(1) 遙か昔から気候が暑い
(2) その地域で得られる穀物(食べ物)は生きるのに最低限の量だ
(3) 余計なエネルギーがないから研究・開発に投資できない

(4) 文明がアフリカ大陸より少し発達した欧米人達が、ルックスが自分たちと異なるアフリカの人々を奴隷として平気で扱うなどあり、アフリカにはかなりのダメージがあった。
(他には、金・ダイヤモンド・ウラン等鉱山目当てに外国人が介入とか?)
(5) (4)の間、文明の開きはますます大きくなり、差を埋められなくなった。

(6) 最近になってようやく井戸などを掘り食料を増産できるようになったが、(4)の後遺症が続いている。
(Nスペでは、水を吸い上げすぎて自然破壊がどうとか言っていたような気がします。→ ウォータークライシス)
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Qアフリカの文明

なぜ、アフリカでは西欧ほどの文明が発達しなかったのでしょうか?
エジプト文明は実は黒人の文明だった、という説もあるらしいですが
結局は残らず衰退してしまいましたので明らかではありません。
他にも遺跡などがあってある程度の文化が発達していたことは認めます。
コロンブスがアメリカ大陸を見つける以前に
アフリカ人が舟(船じゃなくて)で南アメリカに辿りつき、
そこで新たな文明を起こした説もあるらしいです。
しかし、16世紀にヨーロッパ人が攻め込んできたときには成す術もなく、
奴隷にされてしまいました。
一部の差別的な人達はSATやGREの結果などを見て「黒人は知能が劣っている」と言います。
それは明らかに間違いなのでしょうが、
ヨーロッパでは薬とか機械とかどんどん新しい発明が生み出されていたのに
その一方でアフリカでは比較的立派な文明が存在せず、今でも開発途上の国が多いと聞きます。
これはどう考えればよいのでしょうか?

以前、ある人類学者と話す機会があったのですが、その方が言うには
「寒い気候の地域では物事を工夫しないと生きていけない。
温かい気候の地域では資源はたくさんあるし、
工夫しなくても生きていけるから文明が発達しにくいんじゃないか」ということでした。
半分納得したのですが、温かい地域でも工夫は必要でしょう、やっぱり。
未だに採集狩猟生活を続けている地域では毎日の食料確保も難しいと聞きますし。
本当に気候と学習能力との間に深い関係があるのでしょうか?
疑問だらけです。
(アフリカの)文明・歴史について詳しい方、いらっしゃいませんか?

なぜ、アフリカでは西欧ほどの文明が発達しなかったのでしょうか?
エジプト文明は実は黒人の文明だった、という説もあるらしいですが
結局は残らず衰退してしまいましたので明らかではありません。
他にも遺跡などがあってある程度の文化が発達していたことは認めます。
コロンブスがアメリカ大陸を見つける以前に
アフリカ人が舟(船じゃなくて)で南アメリカに辿りつき、
そこで新たな文明を起こした説もあるらしいです。
しかし、16世紀にヨーロッパ人が攻め込んできたときには成す術もなく、
奴隷にされ...続きを読む

Aベストアンサー

「アフリカの文明」と限定されてしまうとよく分かりませんが、
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」はかなり説得力のある本です。
参考URL参照

おおざっぱに論旨を書くと
ユーラシア大陸は世界最大の、しかも
東西に長い大陸だった。

世界最大ということは人間にとって利用しやすい
動植物が見つかりやすい。
(ex.シマウマなどを飼ってみると気性が荒くてとても飼えないらしい。)
しかも、東西に長いので同じような気候が続き
どこかの原産の動植物を別のところへ持っていける。

農耕・牧畜の誕生

鉄器の利用
病原菌の誕生(家畜由来)

鉄器もそうですが、病原菌は強力な武器となった。
新大陸・アフリカ・オーストラリアの人たちは
そんな病原体には出会った事が無く、免疫が無かったので。

著者に言わせると基本的に人間は動植物を飼うのは好きなようで
あらゆる時代・土地で挑戦者たちがいたみたいですが
「神の祝福」があったのはユーラシア大陸だけだったようで
それが後の時代を決定付けたというのが結論です。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794210051/ref=sr_aps_b_/250-8091532-0700218

「アフリカの文明」と限定されてしまうとよく分かりませんが、
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」はかなり説得力のある本です。
参考URL参照

おおざっぱに論旨を書くと
ユーラシア大陸は世界最大の、しかも
東西に長い大陸だった。

世界最大ということは人間にとって利用しやすい
動植物が見つかりやすい。
(ex.シマウマなどを飼ってみると気性が荒くてとても飼えないらしい。)
しかも、東西に長いので同じような気候が続き
どこかの原産の動植物を別のところへ持っていける。

農耕...続きを読む

Qアフリカは、なぜ、貧困なのか・・・

アフリカでは、今も病気で死ぬ人や食べられない人が大勢います。そもそも何でアフリカの地域は、貧困が多いのでしょうか?ダイヤなどの資源がとれるので、貧困にならないような気がするのですが・・・民族に対する差別的な意見(なまけものだから・・・)などじゃくて。。。ちゃんとした理由がわかる人がいればご指導ください。また、どうすれば、経済というのは発展するのでしょうか?解決策も教えてください。

Aベストアンサー

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住民も同じです。
そして白人が来ます。時は大航海時代です。アフリカ人は捕らえられ、船積みされ世界中に奴隷として売り飛ばされました。南米・北米・オーストラリアの人は虐殺され土地を奪われました。北米のインディアンなどがそうですね。「最後のタスマニア人のトルガニーニ」のように絶滅した民族もあります。

もともと原住民には土地の所有と言う概念はなく、みんなのものと言う意識でした。しかし白人の持ち込んだ価値観により、土地は一部の白人の所有となります。アフリカは植民地となり、白人は農園を開き、現地の人間を労働力として安く使い、生産された利益はすべて白人、つまり欧米諸国に吸い取られました。ここで社会の構造が現地の人を安い労働力としてのみ固定してしまいます。
アフリカと言うとサバンナのイメージがあると思いますが、農業生産も盛んで地下資源の輸出が増えた現代でも、アフリカの輸出品の55%は農産物です。
~~~余談になりますが、地球の人口爆発の原因の最も大きいのはアフリカです。この原因は一人あたまの収入が少なく、また収入の大きな職につけない事で、子供を増やす事が収入を増やす事につながるからです。つまり子供イコール労働力です。一人あたまの収入は少なくても、人数で補おうとする考えです。また貧困の為に乳幼児の生存率が低く、その為また人数を生もうとします。生存率が低いのに一人っ子では、その子が死んでしまえばそれまでだからです。悪い循環になっています。
逆に先進国では一人頭の収入は多いが、子供がいる事で支出が増える為に少子化になっています。
アフリカの人口爆発の原因を教育が遅れているせいだとする人がいますが、それは違います。なぜなら白人が来る前の原住民のあいだでは、人口爆発はなかったからです。白人が作った経済格差と社会構造が人口爆発の原因です。~~~

20世紀に入り植民地支配の時代は終わります。数々の国が独立します。しかし今度は植民地ではないが、欧米諸国の経済支配となります。相変わらず農産物は欧米の多国籍企業がその利益を吸い取ります。
そしてつい最近、ここ数十年で豊富な地下資源が発見されます。独立したアフリカの国は「何とか自国での採掘をしたい」と思います。しかし悲しい事にその為の「資金」も「技術」もありません。欧米にその為の援助・協力を要請しても、絶対にそんな事の為には援助はしません。またすでに欧米に多額の借金もあります。結局はわずかなお金と引き換えに、欧米の多国籍企業にその採掘権を売り渡します。そのせいで、アフリカからどんなに資源が出ても、その利益は欧米に吸い取られ、アフリカは借金が減るどころか増えているのが現状です。事実、アフリカの石油はほとんどがアメリカの企業が持っています。
そして国内に問題も多く、政治的にも不安定で汚職や犯罪・貧困などもはびこっています。それを何とかしたくても、どうにも出来ない・なかなか改革は進展しないというのが現状です。またアメリカにとっても、その状態が都合がいいという事もあります。常に経済的優位に立て、利益を確保できるからです。これはアフリカに限らず、中東のゴタゴタにも多分にアメリカの石油戦略が絡んでいます。イラクの問題もそうですね。イラン・イラク戦争の時、フセインに武器援助をし軍事専門家を派遣し、あそこまで軍事国家に育てたのはアメリカですし、今のアメリカ政府のトップはブッシュ大統領を含めほとんどが石油企業を持っています。ブッシュ大統領の親族企業はビンラディンの兄との共同出資で作った石油企業を持っているのは有名な話ですw。
これが政治というものです。

21世紀でアフリカの貧困はもっとも大きな問題の一つです。これを解決して行くには、欧米・アフリカなどの当事者ではなく、アジアの、特に発展している日本の役割は非常に大きいです。しかしご存知のように、日本はアメリカ追従の姿勢で、アフリカどころかアジアの中でまだゴタゴタをしている国です。「経済は一流、外交は三流」などと揶揄される所以です。最近は経済も二流ですがw。アジアの中で未だに近隣諸国の感情も理解できず、逆なでしているのみの情けない外交です。これはアメリカにとってもそのほうが都合がいいので、なかなかアジアとしてまとまる事ができません。アメリカは中国と日本が接近するのは非常に都合が悪いですし、アジアに共同経済圏・巨大連合体が出来るのは自らの利益を損なう事になります。政治的には反目しあってくれてるくらいがちょうどいいです。

ネットの中でもここを見ていても、中国・韓国の話題がでると非常に感情的な誹謗・中傷や、不毛な議論を始める人が多々います。情けない事です。
もっと歴史を知り、欧米や日本が何をしてきたかを知り、変な思想には惑わされずに事実は事実として受け止め、その上で世界に対して日本が何を出来るかを真剣に考えられる政治家が出てくる事を望みます。
21世紀、日本が中心になってアフリカの問題を良い方向に進められれば、これはすばらしい事ですね。

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住...続きを読む

Qアフリカの発展が遅れている理由

アフリカ諸国の発展が遅れている理由とは何なのでしょうか?

Aベストアンサー

第1に、未だ部族社会のままで所謂「国」という形のまとまりが脆弱/未発達なことがあります。例えれば日本の飛鳥時代(あるいは室町末期の戦国時代?)、中国の春秋戦国時代、現在のアフガニスタン見たいな状態ということ。
第2に、部族社会を超えるまとまりが形成される前に西洋諸国の植民地とされ(アフリカの植民地化はコロンブス以前にポルトガルにより始められている)、資源・経済的富を奪取されたのみでなく、奴隷として人材たり得る人々が奪われ、さらに植民地統治のために部族対立を利用/助長されたこと。(奴隷貿易は15世紀にポルトガルにより始められ、やがて英仏等が大規模に展開した)。
第3に、英仏等の宗主国は植民地の社会資本整備や文化・教育対策等、アジアの植民地ではソコソコ行なっていたことをアフリカではまったく行なわなかったこと(ただ略奪・搾取するのみ)。これは、アジア諸国では古くから部族社会を超えた「国」が確立されていたことに加え、その植民地化が産業革命後の18世紀末~19世紀にかけて、近代工業の資源・原材料供給地、製品の販路確保策として行なわれたためである。(アフリカは資源供給地ではあっても製品の販路たり得なかった。)
第4に、20世紀後半になり相次ぎ独立したとはいえ、いかんせん部族を超える国としてのまとまりが完全に欠如しているため、植民地時代に宗主国の手先となっていた連中が独立後に宗主国になり代わってあたかも「宗主」として甘い汁を吸っていること。これは偏に旧宗主国がきちんと植民地経営をしてこなかった結果であり、そもそも「国」としてのまとまりのない所を、機械的に地図上に直線を引き「○○国」として、「ハイさようなら」としたことによるものである。

それにしても、これだけ(植民地にとって)悪いことをしてきた旧宗主国がその責任を追求されず(=追及されないように策を講じ)、その尻を金持ち日本が拭え(「応分の負担をせよ」)といわれているとは…。日本の外交力・戦略の欠如をいかんせん。

第1に、未だ部族社会のままで所謂「国」という形のまとまりが脆弱/未発達なことがあります。例えれば日本の飛鳥時代(あるいは室町末期の戦国時代?)、中国の春秋戦国時代、現在のアフガニスタン見たいな状態ということ。
第2に、部族社会を超えるまとまりが形成される前に西洋諸国の植民地とされ(アフリカの植民地化はコロンブス以前にポルトガルにより始められている)、資源・経済的富を奪取されたのみでなく、奴隷として人材たり得る人々が奪われ、さらに植民地統治のために部族対立を利用/助長されたこと。(奴...続きを読む

Q白人はどうして黒人を差別するのでしょうか?

アメリカで黒人が白人に差別されたと
デモや暴動が起きているそうです。

どうして白人は黒人を差別するのでしょうか?

日本では、ボビーオロゴンやビリー隊長とか
大人気だし。野球でも黒人が大人気なのに
どうして差別されちゃうのでしょうか?

私にはどうしても分からないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む

Qアメリカは何故超大国になれたのか

 アメリカは何故今世界一の国になったのか、その原因が知りたいです。

・私の推測では、建国してからまだ歴史が浅く、古い体制にとらわれず、政策がとれる点。

・様々な人種が存在するので、それぞれが納得できる合理的で、効率的な制度が整っている。

・色んな資源が豊富にあるから。例えば移民などの人的資源や広大な土地資源、石油など。

・19世紀の世界ナンバーワンの国であったイギリスと、言語が同種のため、容易に色々な事を学ぶことができたから。

などが理由として挙げられるのではないかと思っています。


この他にも何か、理由が分かる人が居たら教えていただけないでしょうか。

また、今後の世界経済がどう進展していくのか、予想できる方がいたら、その意見も聞いてみたいです。

因みに私は21世紀はアメリカの一人勝ちとは行かないと思います。

かと言って中国もなんだか危うい。

一体、どこの国が覇権をにぎるのでしょうね。

Aベストアンサー

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほど多くなかったわけです。ですから、南米では金銀の採掘と砂糖などの生産だけを行いアメリカで食べる食糧は欧州から輸入していたほどです。欧州でも出来る事はアメリカでやる余裕はなかったわけです。

英仏が北米に進出したのはもう少し後です。
だいたい、徳川家光が徳川幕府の足場を固めた辺りです。
この頃欧州はアメリカからの富でかなり力をつけてきました。さらに、100年以上も海を行き来していたので航海技術もかなり上達しています。大量の物資を安全に欧州に運ぶ事が出来るようになったわけです。つまり、海を横断するコストが下がったわけです。
またアメリカ大陸が発見されて100年以上経っていたので、アメリカ大陸で生まれアメリカ大陸で育った人も増え始め、見知らぬ大陸が身近になり大陸へ進出する事への抵抗感が和らいだというのもあると思います。当初は出稼ぎの場だった新大陸が第二の故郷になり始めていたわけです。
そうすると、今まで見向きもされていなかった北米でも儲けられるようになったわけですし、アメリカ大陸でも食糧が生産されるようになったのです。

初期の北米の植民地もヨーロッパの為の植民地だったことには変わり有りません。しかし、スペインが中南米でやった事は、略奪に近かったのに対して、英国が北米でやった事は普通の産業に近かったわけです。
普通の産業に近い事をやれば、その植民地が普通の国に近くなるのも当然でしょう。かくして北米は普通の国に近づき、普通の国のように他国の支配を受け入れる事に反発して、独立したわけです。


>給料が良かったから欧州から様々な人がやってきたとは、まるで高度成長期の日本のようですね。
>東京に職を求めて地方から集団就職するみたいな感じですね。

正しくその通り、基本的には全く同じです。
経済では、ヒトでもモノでもカネでも、余っているところから足りないところへ流れるのが基本です。
何故なら、ヒトが余っているならば給料が安くなり、ヒトが足りなければ給料が高くなるからです。同じようにモノならば価格が、カネならば金利が、上下に動きます。
今で言えば中国はヒトが余っているので、人件費が安く。日本はカネ(貯蓄)が余っているので、金利が低いのです。

>産業革命が生まれたのはイギリスだが、それを育てたのはアメリカ…まさにそうですね。自動車や電気・電話など画期的なものばかりですよね。

その通りです。
ぶっちゃけ1860~1950年くらいまでのアメリカは、本当に『神』です。アメリカは、良くも悪くも20世紀のありとあらゆる事に大幅に関わっています。

電気が一般化したのはエジソンが電球の商品化に成功し、普及させたからです。
石油を大々的に利用し始めたのもアメリカが最初です。元々は灯油を光源として用いられていましたが、灯油ランプが電球に駆逐された後は、内燃機関(エンジン)が開発されコレが後のガソリン車に繋がりました。
また、WW1を契機に石油科学が発展し、天然ゴムに変わる石油ゴムが開発され、その後石油繊維も開発されました。WW2ではプラスチックが開発されました。
電話も、ベルがアメリカで開発しました。
コンピューターも殆どアメリカが発展させたようなものです。戦後、電話ネットワークの維持に真空管大量に必要になり、真空管より長持ちして高性能なトランジスタが開発され、これがコンピューター産業発展の起爆剤になりました。

科学技術だけでは有りません。
前述のフォードがはじめた大量生産方式もアメリカ発ですし、何万人という従業員を管理する為の『大企業』という組織形態もアメリカが開発した物です。松下幸之助が考案しその後の日本企業のモデルになった事業部制も、GMのアルフレッド・スローンが考えた組織形態を日本流にアレンジしただけです。
日本の品質管理方法もアメリカのエドワーズ・デミングが研究した物を日本が発展させたものですし、テイラーの科学的管理法がなければ日本の労働者の技能がここまで急速に進歩する事はなかったでしょう。

日本の戦後復興の要因一つは、アメリカで開発された最新の技術をパクリまくったからというのもあります(トヨタの自動車も、ソニーのトランジスタも、シャープの液晶など、戦後の日本の技術の大部分は元を辿ればアメリカ由来のものです)。

当時の日本の技術者たちはアメリカの学会に参加しまくって、発表内容を写真で取り捲ったそうです。当時は『ジャップがなんかやってるぞ』とか笑われていたようですが、必死に研究しまくって一時は追い抜いちゃったわけです。
(当然現実では、このようなやり方よりも本などで勉強したり、特許契約をした事の方が多かったです)

昔の人がアメリカを特別視するのも当然の事だと思います。

・オマケ日本の果たした役割
ただし、新技術開発が得意なアメリカに対し日本が得意だったのは『既存のモノを安く作る』ことでした。良い例が電卓で、当初十万→数千円にしてしまいました。安い→普及という事ですので、日本の果たした役割は小さくないです。
つまり、コンピューターを開発したのはアメリカですが、それを安くして電卓を作ったり、炊飯器や掃除機に搭載させたのは日本で、これが世界のコンピューター市場を飛躍的に拡大させたわけです。

>アメリカは生産基地だった、とありますが、要するにアメリカは独立前、南米で取れた作物などを輸出するための基地だったということでしょうか。

いえいえ。
アメリカ大陸がモロに生産基地だったのは、スペインが南米に進出した頃です。
日本で言えば、戦国時代の頃ですね(ポルトガル人が種子島に漂着した時期)。
この頃欧州はアジアの強国と比べてさほど大差ないレベルでした。
新大陸に人を送り込む力がそれほど強くなかったのです。航海技術も不完全でしたし、身も知らぬ新大陸に行きたがる人がそれほ...続きを読む

Q韓国人が一発で黙る歴史の真実

東アジアでは昔から「王」は「皇帝」の家来です。
従って朝鮮王と名のることは中国皇帝の家来ですと宣言することです。(日本は天皇がいた。)
このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

Aベストアンサー

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、李氏朝鮮は明や清に朝貢、冊封していた事は認めています。
もし、そう言う認識が韓国に無いのならばこのドラマを作った監督は韓国マスコミや民衆に袋叩きになっていると思います。

中国に対しても韓国5000年の歴史と大統領が発言したりして中国より歴史があると言ったりしています。歴史観でほんの少しでも日本寄りの発言をすると韓国メディアや国民から袋叩きにあって社会的に抹殺されます。
それがソウル大学の教授でもですよ!
まだ、社会的な抹殺で殺人でないだけ良いですが…
(添付YouTubeを見てください)

韓国の有識者は日本併合(植民地)時代の本当の歴史等を知っているとは思いますが全体としては臨時政府などと言い方を変えたり、テロリストを反日であれば英雄にしてしまうように都合のいい歴史観にしています。
考古学的に何の検証もしていない神話レベルの話で韓国5000年の歴史と大統領が発言してもはばからない国です。
現在は日本は、歴史は歴史で神話とは別というのが日本人の共通認識のはずですが韓国人がどこまで区別しているのか、全く分かりません。

何せ、韓国では日本は悪でなくてはならない国であり、韓国は常に正義であり善であると教えている国です。
今の韓国には日本人が何を言っても逆なでする事はあっても肯定する人はなく無駄な気がします。
多少の隠れ親日派は作れるかもしれませんが公に口にする人はいないと思います。
韓国で権威のある歴史学者、大学の教授の発言でも親日でなくとも日本を少しでも擁護する内容であれば叩かれます。

李氏朝鮮末期の記録は欧米の記録や写真などが多少なりとも存在しています。
そう言った物、資料を直視する韓国人は少ないのです。
今の韓国と日本で歴史観を埋めようとしても一方的に韓国の歴史観を押し付けられるだけです。
今のうちに、そう言った客観的な資料を集めておくとか、日本、中国の文献を集めておくとか準備しておくくらいしかないと思います。
あまり人の事を言える立場では無いですが慰安婦問題なら「韓国軍のベトナム人大虐殺」「米軍慰安婦」とかで対応するしかない。

添付YouTubeでも言っているように
韓国とは暫く距離を置いて付き合うのが無難だと思います。

【日韓問題】 韓国人から見ても異常な…韓国人ブロガー・シンシアリー氏 .
↓↓(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=cluHbI5i7gU

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Qなぜ中国は人口が多いのですか?

数千年前に急激に増えたのでしょうか?
SEXの好きな民族だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇させました。そのため、古代、二千年とか辺りからすでに人口問題があり、周期的な大戦争や天災で、死んだり、餓死したりで、人口調整がなされていたとも云えます。つまり、昔から、中国は人口が多かったのです。人口密度も高かったのです。
 
  2)上の周期的な人口減少があるということは、それを回復するための努力や、また自然に回復する理由があったとも云えます。その理由の一つは、中国の社会が、農業文明であって、農業文明では、人口調整は自分たちでは行わないのです。つまり、生まれる数だけの子どもを育成しようという文化慣習があります。この結果、戦争・天災などで、減った人口はすぐに回復するということが繰り返され、また、このような経験を蓄積した文化として、「子どもはできるだけ多数造る」というのが、歴史を越えて、文化の基底習慣にもなってしまいました。
 
  3)もう一つの理由として、中国の社会の構造があります。中国は、大家族制社会で、もう一つ大結社的社会でもあるのですが、中国の歴史上の争い、戦争や政争などは、大家族・大結社の規模や、どれだけ、それらを糾合できるかで決まりました。従って、大家族は、人数が多いほどよいというので、農業文化の基本である、子どもは造れるだけ造るという原理以外にも、社会的競争の結果、大家族集団では、育てることのできない子どもは、力ある、大家族の別の家族が引き取り養うという形で、単に、農民家族が多くの子どもを育てるというだけではなく(これだと、個人家族の限界が出てきます)、大家族共同体が、そのなかで、多数の子どもを再生産するという、大共同体レベルで、多産多育成を可能とする社会機構があったので、そういう機構がない農業社会に較べ、多数の子どもが、成長し得たということで、人口増大がすぐ起こったのです。
 
  4)あまり説明が長くなるのも困りますから、もう少し簡単にしますが、次に、社会の「近代化」という問題があります。農業生産を基盤とする社会は、可能な上限まで人口を増やします。国連が食料を援助すると、その援助分だけ、人口が増えて行ったりします。しかし、先進近代国家は、人口減少へと現実的に向かっています。この理由は、高度文化社会となると、餓死の心配などはなくなり、国家の国民支援も、制度的に保証され、子どもをたくさん造って、家族や自分たちの「保険=保証」にしようという必要がなくなることがあります。また、高度文化においえ、義務教育他高等教育も普通となり、生活費用も高くなり、一人の子ども成人させるのにかかる費用が大きくなって行き、多くの子ども育てるということが、合理的でなくなってきます。不可能になるとも云えます。国民全体が、餓死などない、相応に豊かな生活水準になり、義務教育の普及が90%を越えて来ると、こういうことになり、人口増加は逆転して人口減少になります。これが先進国の実状です。
 
  5)現在の先進国も、1世紀前には、実は、人口増大していました。先進国はどこもかも、産業化の時点から較べて、数倍から十倍ぐらいの人口に増え、その後、増加は停止し、減少へと転じます。このパターンからすると、現在世界の後発国は、産業化をすすめ、教育の普及などを進めていますが、この結果としての人口増大があります。衛生思想や技術の普及で乳児死亡率が低下し、人口増大へと転化した国も多数あります。中国もそうであり、1世紀前に較べ、第二次世界大戦などを経過したにも拘わらず、産業化・先進化の歩みの途上の人口増加を経験していると云えます。
 
  インドやバングラデシュや、アフリカなどの人口増加はどうなるのかは、主に第五の理由が共通しています。その他には、インドには、また固有の事情があります。とまれ、中国は、先進国化してしまえば、人口増加は停止するはずですが、「先進国化」というのは、文明の展開で、最初に突破した少数の国々・地域だけに可能で、後発諸国は、そういう可能性はないのではないかという可能性もあります。つまり、中国が近代化・先進化する見込みはないという可能性が高いです。先進化への開始から、実現までのあいだに、日本・欧米で、数倍から十倍ぐらいの人口増加と言いましたが、その数字からすると、中国が近代化を進めて行く過程で、いまから、農業国であった理由での人口増大とは別の要因の人口増大が加わって、まだまだ、増えて行くと考えられます。
 

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇さ...続きを読む


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