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「生きる」ことへの深刻な相談に答えるのは難しいです。僕は言葉がなかなか見つかりません。知人の意見、過去レス、他のページなどを頼りにいろいろ考えてみたのですが難しいです。

『否定派』
1.自殺は逃避である
2.自分の命は自分だけのものではない
3.自分の人生を否定する行為
4.人生の物語りは自分でつくるもの
5.愛は消えてもまた現れる
6.死にたいは生きたいの裏返し
7.生き甲斐がないから死を考える
8.人生がつらいのはみな同じ
9.死は人間の義務である、ならば生も人間の義務である

『肯定派』
1.自殺は選択である
2.他者のために生きるは自己犠牲である
3.自殺は自己の表現である
4.人生の物語りを完結するために死ぬ
5.ひとつの愛のために死ぬ
6.自分が死んだように生きるのが問題
7.みんな死を忘れようとして生きている
8.苦労話は自慢話に他ならない
9.生きる自由があるならば、死の自由もある

売り言葉に買い言葉だとは思わないでくださいね。生と死は一体なので、ある意味仕方ないです。みなさんはどちらの立場でどう思われてるでしょうか?他の意見もあればお聞かせください。お返事必ず致します。
(なお、あくまでこの質問はこの場でみなさんの意見を聞きておきたいという主旨です。審判をしていると誤解しないでくださいね。)

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A 回答 (12件中1~10件)

#5の者です。

回答読ませていただきました。
“次の世代へ身を託す準備ができている”・・・・
一言で言うとそうかもしれません。最後は自分で死ぬか殺されるかは分かりませんけどね。
いくら何時死んでも心残りは無い、みたいに偉そうに言ってみても実際殺されそうになったら泣き叫んで逃れようとするかもしれませんし無様な姿を晒すかもしれません。
案外そんなものかもしれませんね。

“経験が無ければ実感、理解は無い”・・・・
あくまで極論ですけど全ての物事を実際体験し理解しろ、という事自体無理な話です。
当たり前ですけど誰にでもそんな余裕や時間、気力はありません。
ですから実際はその時点での自らの環境で聴いた事、見た事、考えた事で判断し自分なりの考え方を持つものだと思います。
ですからそこからある種の偏見や差別が生まれるのも当然かもしれません。
けれど自分なりに判断し、一旦自分なりの考え方を持ってしまえばそれを覆すのは大変なことだと思います。

“自殺”というある意味成功してしまった人達からは当然なんの体験談、経験談も聞けない事だからこそそれに対する見方も人それぞれなんだと思います。
けれど真に理解できないからといって諦めることは一つの選択肢だと思います。
その人にとってはそれだけの価値しかなかったと判断したのですから。
“自殺”という選択肢を選んでしまった人々のそれに対する原因は多分一つではないと思います。色々な要素が重なり、集まっていつしか“生きる”より“死ぬ”事を選んだのですから。

“生きる”ことと“自殺する”ことへの深刻な相談への自分なりの答え、考え方は多分両極端なことなのでしょう。
もしも“自殺”に興味があったりするのであれば、リストカッターやある種の精神病を患った方が開いているHPを尋ねてみるのもいいかもしれません。
彼(女)達にとって自殺は身近な存在なのかもしれませんから・・・・
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 こんばんは.


 私なりに考えてきたことを踏まえて回答していきたいと思います.

『否定派』
1.自殺は逃避である
 すべて向き合って闘えば解決するというものでもありません.ときには逃避も必要です.
2.自分の命は自分だけのものではない
 自分自身だけのものです.例え,血が繋がっていようと,戸籍が変わろうと,自身以外の何者にも属することはないのです.誰にも迷惑を掛けずに(残された人が悲しむのはただの自己愛表現に他ならないので,迷惑を掛けたことにはならない)死を選ぶことが重要です.

3.自分の人生を否定する行為
 生きる意思も無いのに,生かされることが自分の人生を否定する行為だと思います.

4.人生の物語りは自分でつくるもの
 それならその物語の終わりを自分で決定することもできるはずです.

5.愛は消えてもまた現れる
 そうとは限りません.一生巡り合えない人もいるでしょうし.

6.死にたいは生きたいの裏返し
 それは,善意の偽善者が自分勝手な正義を肯定するためのいい訳・謳い文句にすぎません.

7.生き甲斐がないから死を考える
 すべてではないにしてもそういう人もいるでしょうね.

8.人生がつらいのはみな同じ
 楽しんでいる方もいるはずです.また,「人生がつらい」かどうかは絶対的な価値ではなく,相対的であるので,「他にもっと酷い状況の人がいる」とかということは考慮すべきではないように思えます.

9.死は人間の義務である、ならば生も人間の義務である
 生と死の関係は,一方について,ある命題が成り立つと,他方も成り立つというような簡単なものではないと思います.生は権利として持っていても義務とは言えないのではないでしょうか.

『肯定派』
1.自殺は選択である
 その通りだと思います.大切な自己決定のひとつだと思います.

2.他者のために生きるは自己犠牲である
 これを否定すべく「悲しむ人がいる」などと説かれ,生を強要されるのは,勝手な正義を押しつける偽善者の自己満足を満たすだけの無意味な犠牲に他なりません.

3.自殺は自己の表現である
 1と同じような趣旨でしょうか?
 
4.人生の物語りを完結するために死ぬ
 そういう方もいると思います.また,元々「物語」が始まっていない,もしくはストーリーのない,何もない無意味な世界がだらだらと続いている人は,完結というより,それを振りきるために死を選ぶことあるのでしょうね.

5.ひとつの愛のために死ぬ
 生かされるよりずっと幸せでしょうね.愛のために死ぬことができるなら本望です.
6.自分が死んだように生きるのが問題
 まさにその通りです.生きる意思もないのに生かされるというのは非常に苦痛です.意思のある一瞬一瞬が苦痛であり,「生きていればいいことがある」などと無責任極まりない言葉で生を強要されるのは侮辱に他なりません.

7.みんな死を忘れようとして生きている
 そうかもしれませんね.逆に死を選びたくても選ぶこともできず,生かされている人間は,必ずおとずれる,おとずれてくれる死のことを思い出しながら生きているのかもしれません.

8.苦労話は自慢話に他ならない
 「こんなに辛かったのに耐えて生きた」と切々と語るのは,励ましの根拠にもならないただの自己満足,自慰であるという意味でしょうか?そういう趣旨ならその通りだとは思いますが.

9.生きる自由があるならば、死の自由もある
 死の自由というのは「生きることを放棄する自由」ということでしょうか?そう理解するなら,死の自由はあるとは思いますが,生きる自由があるからだとは思いません.生きる自由と死ぬ自由は一体ではなくそれぞれ別の次元の問題だと思います.

 以上,生かされている一人間からの意見でした.
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『否定派』


1.自殺は逃避である
2.自分の命は自分だけのものではない
3.自分の人生を否定する行為
4.人生の物語りは自分でつくるもの
5.愛は消えてもまた現れる
6.死にたいは生きたいの裏返し
7.生き甲斐がないから死を考える
8.人生がつらいのはみな同じ
9.死は人間の義務である、ならば生も人間の義務である

『肯定派』
1.自殺は選択である
2.他者のために生きるは自己犠牲である
3.自殺は自己の表現である
4.人生の物語りを完結するために死ぬ
5.ひとつの愛のために死ぬ
6.自分が死んだように生きるのが問題
7.みんな死を忘れようとして生きている
8.苦労話は自慢話に他ならない
9.生きる自由があるならば、死の自由もある

 “「自殺」を考えるは難しい”わたしもそうおもいます。

上記で書いてるもの否定派or肯定派どちらか一方からの考えでは答えにくいです。答えにくいというのは、両方のおもいを人はこころに内包しているのではないでしょうか?このように考えているわたしがいます。それゆえ、答えにくいと書きました。「死」と「生」を考えるとき、そのとき、その都度、何か意味があるように感がえづにはいられなくなるときがあります。考えれば、考えるほどに、出口のない迷路にでも迷い込んだかのように、光閉ざされ暗く深い孤独の闇につつまれます。そのとき人は、自分で作り上げた意味=観念に縛られます。「死」と「生」に意味付けを欲した自己、己の欲望によって招き寄せた孤独の闇に惑わされていることに気付かず、それでもなお意味を求めようとする。愚かです。愚かかもしれないけれど、もしかしたら、何処かにその答えがあるのかもしれないという思いも捨てられずにいます。「死」と「生」の意味?の真の答えを誰も知り得てはいないのではないでしょうか?その答えを欲する為に生きているのかもしれません。

なんか答えになってませんね、。ごめんなさい。ご容赦の程・・・
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こんにちは。


私は、「自分はまだ生きていたい」という状態ですが、
個人個人の中で、「死んだほうがよい」という判断がついたときには、
自殺というのもありだと思います。
安楽死の場合などはそうかも知れないと思っています。

ただその「死んだほうがいい」判断の根拠が間違っている場合も多々
ありそう(「私は駄目な人間だ」「誰にも愛されてない」「嫌われ者だ」
「世間に顔向けできない」など)なので、
引き止めて説得することができる場合もあるとも思います。

「死んだほうがいい」人はもうすぐに死んでしまいますし、
「生きてるほうがいい」人は自然に死ぬまで生きている。
「死にたい」と言って死なない人は、「生きてるほうがいい」とわかってて
なにか別のことを言う方策として死ということばを使ってるので、
そういう人には別の対処が必要だし、自殺についての論議に入れると
ややこしくなるように思います。
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こんにちは(*^-^*)



 難しい・・・。聞かれるまで考えたことなかったですね。自殺肯定派か否定派か・・。
おそらく私はどちらでもないような気がします。

 私自身、突然命を失ってしまってもいいと思うけれど、
もし誰かが、『自殺したいんです』といえば、自分のある限りの力を尽くして止めようと思うと思うのです。

 理由がなんであれ、その人の人生がどんなにその人につらかったとしても、そして、その人の未来が明るいものであるかどうかわからなかったとしても、止めると思うのです。なんででしょうね? 『そんなにつらいなら死んでもいいよね』とは思わないですね。他者に対しては。
もしかしたら利己的な考えをもっているのかもしれませんね。

 allentown2001さんだったら、どうしますか?
 
 死にたいと思う気持ちを認めることが出来たとしても、実際に知り合いが自殺してしまったら100%『彼は(彼女は)これで幸せになったんだ。苦しみが終わってよかった。』と思えるでしょうか?私はきっとそうは思えないと思うのです。『かもしれない』くらいには思えるかもしれません。

 私自身、きっと自分がすごくつらくても、なるべく自殺はさけようと思うでしょう。どんなに『死にたい』と思っても、とりあえず頑張ってしまうと思うのです。 
 でも、その頑張れるエネルギーがなくなってしまった時、人は絶望してしまった時に『死』選ぶのではないでしょうか?
 誰しも、出来たら生きていたほうがいいと思います。
人生はつらいことが多いと思うのになぜそう思うのか・・・。それは私自身にもわかりません。たぶん、私の命は私だけのものであるけれど、実際はそうではないからでしょう。たとえ孤独であったとしても、私の命は私だけのものではないと思います。なぜかは今はわからないけど・・・。
 生きることが出来るなら、できるだけ生きていたほうがいいと思います。でも出来ないから『自殺』してしまうのだと思うのです。それは、いいとか悪いとかの問題でもなく、どこか深い奥底から湧き出してくるようなもので、どうにも抗えないものだと思うのです。

 誰がなんと言おうとその力、生きる力を失ってしまっていたら、生きていくことはできないでしょう。

 私、わからないのです。allentown2001さんは、何が知りたいのでしょう?みなさんが肯定派か否定派かということが主に知りたいことですか?
それとも主に知りたいのは皆さんのいろいろな考え方?

 allentown2001さん自身は自殺肯定派ですか?

 『生きる』または『自殺』ということについて考えたいのなら、肯定派、否定派というのはあまり関係ないような気がします。

 肯定、否定で語れるような問題ではないと思うのです。
この表現が不適切だったら申し訳ありません。
でも、肯定、否定といった問題でなく、肯定であったとしても単に肯定というのではなく、否定であったとしても単に否定というわけでもないし、(多分これはご自身もよくわかってらっしゃると推測していますが・・。)
 でも、あえて、どっち?を聞くのはなぜなんでしょう?これは本当に素朴な疑問なので、気分を害さないでいただきたいと思います。

 もし、allentown2001さんが、質問部分で箇条書きにしていることに対しての回答を求められているのでしたら、私の回答は的外れになってしまいました。
申し訳ありません。
 
 『生きる意味』や『死なない理由』それは、誰にも知ることができない真理だと思います。ある意味、それを考えるために人は生きているのかもしれませんね。

 本当に脱線しすぎていると申し訳なく思いつつ・・・。
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 えっと……わたしは「自殺」が増える時って「他殺」が少ない時かなって思うことがあります。


 平和で、死に至るような流行病もなく、死亡事故も事件も少ない……そういう時って偶発的に死に直面することがめったにないですよね。
 そういう時は「生きている」事態があたりまえに思えてしまい、稀少価値がなくなりますし。
 人間、放っておいてもいつかは死ぬものなんでしょうに、待てないで死に急ぐってことはあるでしょうね。
 なんだか欲張りなようにも思えますけど。。。

 わたしとしては、生き延びるチャンスにめぐまれているうちは、せっかくの幸運なのだから思いきりできることをやって楽しんでしまえ!て思いますがいかがなものでしょう?
 なお、失恋に苦しむ時も失敗に苦しむ時も、自虐的な快楽って解釈をしてみるのもアリです、この「楽しんで」の場合には。
「わたしって、なんってかわいそうなの!」と思いきり恍惚状態になるぐらいに浸ってみるのも、ある意味「楽しみ」のうちだとわたしは考えていますので。(^^;
 こういう感覚もまた欲張りだなぁとも思いますけど。。。

 人体ひとつ生かすためにどれだけの生命を注ぎ込んでいるかと思うと、わたしとしてはそれが許された状態=究極の贅沢を有効利用しないともったいないかな~?とか貧乏性なことも思うのですが……
 ということで、結論は……生と死、どちらにせよ選択できる状況自体が究極の贅沢、ということかなぁ。

 こんな考え方がご参考になれば幸いです。
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一意見として参加させていただきます。


私は否定派です。
『否定派』
1.その通りだと思います。逃げも必要だとは思いますがそれはあくまでも、もう一度戻って来て再度挑戦できなければ意味のない逃げだと思っています。
2.これも同じく、世の中自分一人で生きてるなんて思うこと自体がおかしいのではないでしょうか。良くも悪くも必ず他人がいるわけですし、その束縛からは逃れられない、それは死を選んでも変らないと思います。自己都合で残された人や他人のことを考えていないだけなのではないでしょうか。
3.否定ということは間違ったと思うならやり直せばいいと思いますが。
4.他人に決めてもらっても仕方ないですから。
5.次の出会いがもっといいかもしれないと思って、やってみなければわかりません。
6.私は思ったことがないのでわかりません。
7.宝くじと一緒で買わなきゃあたらない、探さなきゃ見つからない、見つからないなら探すことを生き甲斐にすればいい。
8.楽な人生って言う物があるなら少しだけ歩いてみたいです。人生山も谷もあるからあの時はよかった、それに比べて今は…なんて考えが出るのでは?感じ方の違いでしょう。苦労ととるか、試練とととるかでずいぶん違うと考えますが。
9.誰にも必ず来るもんですからねぇ。

『肯定派』
1.選ぶのは勝手だけど、選んだ後始末は自分じゃできないのに無責任なのでは。
2.それが嫌ならその他者を自分から離脱すればいいのでは?それができないのならそこまでしてしまった自分の責任で自己犠牲でも仕方なしでは。
3.1と同じで自己の表現なのは構いませんが後始末ができないでしょう。
4.人生の物語の作者は自分なのかもしれませんが夢オチや、死んで終わるじゃ二.三流の作者でしょう。もっと壮大なドラマを書きましょうよ。
5.ではあなたを必要とする愛はないの?
6.考え方一つでプラスでもマイナスでも生き方を変える力を与えられてはいないのですか?なければ今から作ればいい。
7.忘れようが何しようが必ず来るものなのだから、準備は進めておかないと。
8.話し手と聞き手の問題でしょう。参考になる話も聞けることがあるのだから。聞く話全部がためになる話だったら、その聞き手の人生は何もなかったの?話し手は話す価値なしと感じてしまうのでは。
9.1.3と同様。後に残る人たちや無関係なのに後始末をしなければならない人たちのことを考えてない。

オランダでしたっけ安楽死が選べるのは?あのように後始末まで全て考えた上で死を選ぶのは自由だと思います。ただつらいとか嫌だとかだけではねぇ。自分だけ逃げて、残された人のには挽回の余地は与えないなんて、卑怯ものじゃないですか。
自殺するだけの勇気をもっているのにそれをなぜ生きる方向に向けられないのかが不思議ですね。死を選ぶってかなり勇気がいるとは思います。
よく言いますよね、死ぬ気になれば何でもできるって。

相談に答えるって言ってもそれぞれタイプが違うので難しいと思いますが、力になってあげて下さい。

キツイ事、ズレていることもかななりあると思いますが、こんな意見です。
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未遂に終わってもう6~7年たつんですが、一応経験者、ということで・・・



『肯定派』です。今現在も。
死にたい、とはもう思いませんが、死にたくない、とも思っていません。
理解していただけるでしょうか?ちょっとしたニュアンスの違いですが・・・。
言葉遊びだ、と思われるかもしれませんが本当にそうなんです。
自殺を決意するまでにそれぞれ理由があると思います。
いじめ、精神病(あえてこう書かせていただきます。本当にいろいろな症状があるので)、親からの虐待などなど。
 親からの虐待ですが、体への力の暴力はここ最近話題になり、広く知られるようになりましたが、言葉による心への暴力が存在するのはご存知でしょうか?
私の場合後者でした。
幼少の頃より、自信を持つようになる「お前ならやれる」「大丈夫」などといった励ましや褒めの言葉を聴いた記憶がなく、頭に残っている言葉といえば、「○○(兄弟)はできるのになんでお前はできないんだ!」「勉強すらできないお前はクズだ!」と言った貶し、否定、拒絶の言葉ばかり。
当時、言葉の裏を読めるような年齢ではなく、じっと耐えていたようなきがします。ですから、自信はつきにくく、逆にコンプレックスは大きくなりました。

自殺を否定する人達、又は心を病んだ人達に偏見を持った人達は逆の人達(心を病んだ人達)のことが分からないと思います。
経験したことない事を、実感でわかれ、理解しろ、と言うほうが無理なんです。

話がそれましたが、私は自殺肯定です。
ちなみに躁鬱病、自殺未遂経験者でございます。
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この回答へのお礼

お辛い御体験を話していただき本当にありがとうございます。言葉遊びだとは全く思っておりません。次の世界へ身を託す準備ができておられる、生も冒険なら次の世界も冒険なのであると解釈しています(間違いであれば申し訳ありません)。言葉の暴力は存じています。死へ追いやる行為です。
言葉の質と威力を知らないで使うと取り返しのつかない事態になります。
何も知らないことが数多くの凶器を持ちだすことになります。「経験がなければ実感、理解はない」というお言葉は身にしみます。僕は悲痛な経験がありません。だから昔は死を無視していたし気にも止めなかったです。でも死を考えることでこの世の見方が変わる、生きるが変わる、他者への理解が変わることを知りました。無論、経験者の気持ちがわかるとは決して言いません。ただ人間はみんな一度は死とじっくり向き合う必要があると思っています。すいません、妙なことを言っていますよね。

お礼日時:2001/11/02 20:53

1.自殺は逃避である


確かに。しかし、どうにも逃避したくなるようなつらい局面もあるかもしれません。これは、他者が判断できるものではないでしょう。

2.自分の命は自分だけのものではない
悲しむ人がいるとしても、迷惑がかかる人がいるとしても、つきつめれば自分だけのものでしょう。

3.自分の人生を否定する行為
否定に値すると思うのなら、否定するのも本人の意思でしょう。

4.人生の物語りは自分でつくるもの
なかなか自分で作れるものではないと思います。エンディングを自分で作りたいのなら自殺はいい方法かもしれません。

5.愛は消えてもまた現れる
そんな保証はまったくありません。

6.死にたいは生きたいの裏返し
詭弁、または、ほんとうに死にたい人の思いではないでしょう。

7.生き甲斐がないから死を考える
その通りでしょう。

8.人生がつらいのはみな同じ
そんなことはありません。人生を楽しんでいる人もいます。

9.死は人間の義務である、ならば生も人間の義務である
死は、人間の必然ではありますが、義務ではありません。文脈上、生もまたしかりです。

『肯定派』
1.自殺は選択である
確かに。
2.他者のために生きるは自己犠牲である
確かに。
3.自殺は自己の表現である
確かに。(最良の表現かどうかは、別にして)。
4.人生の物語りを完結するために死ぬ
完結しますね。
5.ひとつの愛のために死ぬ
愛する人のためになるのならば・・。
6.自分が死んだように生きるのが問題
問題であると思うのなら・・。
7.みんな死を忘れようとして生きている
そうとも限らないと思うが、ま、そういうこともあるでしょう。
8.苦労話は自慢話に他ならない
これは、意味不明・・。
9.生きる自由があるならば、死の自由もある
これも意味不明。(前半の意味が当然後半も含むと思われる・・)。

と、いうわけで、自殺も悪いということもないでしょう。

しかし、誰にも愛されず、憎まれ、なんの楽しみのない、苦痛に満ちた人生を送る人にも、生きていれば明日の朝はやってきます。〔絶対とはいえないにしてもです〕晴れていれば、雲の高い秋の空が広がって、夏よりも心なしか澄んだ空気を呼吸できるでしょう。秋雨が降っていれば、ほっぺたに冷たい雨を感じることができます。

それがどうしたといわれても、それ以上でもそれ以下でもありません。
そのうちいいこともあるさって・・ないかもしれません。でも、明日はたいていやってきます。生きていれば・・。ぼくはそんな明日を楽しみにしています。だから、死にたくない。

とりあえず、死にたいと思うのなら、あさってまでのばしてみるのも悪くないのでは・・。案外人生なんて、そんなもんかもしれませんし。
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この回答へのお礼

御意見ありがとうございます。すいません、言葉足らずでした。否定と肯定の各番号項目はそれぞれ一応ではありますが関連しております。
「それ以上でもそれ以下でもありません」というお言葉は理解しております。世界が素晴らしいと感じるのに理由なんてありませんよね。喋った事もない人を好きになるのにも理由はないですよね。「理由がない」が素晴らしいです。この素晴らしさが一転絶望に変わるひとつが失恋なんでしょうね。
僕は昔失恋で死ぬ人を馬鹿だと思っていましたが今は考えを改めています。
死ぬ程の恋愛をしてそれが消えた時、その人はそこで自分の話を完結しておきたかったのかもしれません。無意識に。

お礼日時:2001/11/02 17:57

私は基本的に、死にたい人は死なせてあげなさいと考えています。


死を考える人というのは、何かに切羽詰っているわけです。生きているのが地獄なわけです。それは他人にはわからない苦しみだと思います。
そういう人に、「考え直せ」とか「生きていればいいことがあるさ」などと言うのは偽善だと思うのです。
一時的に説得できたとしても、その人はまた地獄を生きなければならないのですから。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。おっしゃる通りだと僕も思います。例えば自分が寝たきりになって迷惑をかけるぐらいなら、そこで生と死を選べるのなら死を選ばせてほしいです。しかしこれが自分とあかの他人に対する考えであることも分かっています。愛する人が自殺未遂をしたならば止めるしかありません。それまでに分かってやれていればと悔いてしまいます。悔いた時点でもうかなり遅れているところが怖いです。

お礼日時:2001/11/02 16:51

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