荘子の秋水篇で、風は目をうらやむ等の部分について、ムカデなどは問答しているのですが、目と心の問答がないのはなぜなのでしょうか?
これを、聖人、至人、真人との違いを明らかにして説明する場合。

また、河伯と北海若の論述の展開とは??

以上の質問なんですが、自分で書いててもわからなくなりつつあります…
どうかお助けください!!

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A 回答 (1件)

私大学で中国文学専攻でした。

でも卒業後すでに●年もたってしまい、ほとんど忘れちゃったんです。老荘の思想ももちろん読んだことあるけど、難しかった。結局「左伝」をテーマにしてしまいました。
ところで質問者さんは「荘子」の注釈読まれましたか?私は福永光司先生のがいいと思いましたが。(朝日文庫だったと思う)そこには何と書かれてましたか?
ちなみに「マンガ老荘の思想」にはこの部分ありましたっけ?(持ってるけど忘れました)
私の勝手な推測ですが、目と心って対話のしようがないんじゃないですか?風にせよムカデにせよ、立派な生き物でしょう?(風は生き物というか、台風とかいろんな風あるし)でも目や心って人や動物の体の一部にすぎないから、これが独立した物体とは考えられないのではないでしょうか?
また、河伯と北海若の対話っていうのは、内容知りませんが、要は寓話ですよね?
この文章の主題は何かを読み取るとき、まずこの文章をよんでから、「荘子」のほかの部分も読んでみるのです。荘子は寓話をところどころで使用していますよね。(朝三暮四の話とか混沌の話とか)話の内容が変わろうと、書物から読み取れる荘子の考えは一つなのですから、そこから貴方なりの答えが見えてくると思います。
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Q荘子

授業で、荘子の忽とか混沌とかの、
七きょうの穴を空けて混沌が死んでしまう話をやったのですが忽と、シュク(だったかな?)は、
七日かけて一個ずつ混沌に穴を空けていく理由が解りません。
先生も分からないといっていました。

だれか知ってる人は居ませんか?

Aベストアンサー

>穴を空けていくのを、
>どうして一気に空けず、一日ずつに空けたのか??
>って言う事が知りたかったんです。

あー、なるほど。

それは単に、「演出効果」です。

この話が「七つの穴を開けた」となっていた時を想像し、
「七日かけて七つの穴を開けた」という文と比べてみてください。
漢字にすれば数文字ですが、それを読む間に、
サスペンスのようなものがわき上がるはずです。

荘子というのは、「無為」とか「自然」とかを言っているくせに、
天才的に華麗な文を操る男です。
読んだときの効果が最高になるように計算しているのです。

思想的には、「すべての穴が空いた」→「すべての感覚が得られた」
→「わからない感覚が無くなる」→「理性が支配し、無意識が忘れられる」
→「混沌が死ぬ」
という意味もあるかと思いますが、
第一の理由は、「七日かける」のが、荘子の文としてもっとも適切だったということになると思います。

※注意、この回答を「自信有り」にしますが、これは現在アルコールが入っているためで、
そうでなかったら「自信なし」だったと思います。根拠のない話だから。
ですが、質問の理由を根拠を持って回答できる人はいないと思います。

>穴を空けていくのを、
>どうして一気に空けず、一日ずつに空けたのか??
>って言う事が知りたかったんです。

あー、なるほど。

それは単に、「演出効果」です。

この話が「七つの穴を開けた」となっていた時を想像し、
「七日かけて七つの穴を開けた」という文と比べてみてください。
漢字にすれば数文字ですが、それを読む間に、
サスペンスのようなものがわき上がるはずです。

荘子というのは、「無為」とか「自然」とかを言っているくせに、
天才的に華麗な文を操る男です。
読んだと...続きを読む

Q荘子 道(タオ)について

今、道という文字を書に書いており、
荘子の漢詩を補填として記したいのですが、
過去に書物で読んだものの、
その書物が見つかりません。

意訳すると次のような文面でした。

道(タオ)とは無のようなものであり、
これが道(タオ)であると
言葉で表現することのできる
道(タオ)は無ではない。
本当の道(タオ)とは言葉では表現できないものだ

といった類のものでした。

この荘子の漢詩をお分かりの方、
ご教授願いたく存じます。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.1です。

「老子とは」というサイトがありました。
http://www.geocities.jp/hgcbw269/rousi.htm

道教はこちらの方が分りやすい
http://www.geocities.jp/hgcbw269/mitikyou.htm

ただ、5cdchangerさんの文章からすると、
知りたい訳詩は
僕が読んだ本と同じ『TAO・老子への道』でしょう。
バグワン・シュリ・ラジニーシが書いています。
実家にあるから見ることができない。

参考URL:http://www.geocities.jp/hgcbw269/mitikyou.htm

Q「荘子の毒にあてられた」ってどういう意味ですか?

私が調べた結果では、
魯迅が、「荘子は一切の虚飾をはぎとる。あるがままの人間の姿を示す。これを直視した結果、逃げ出すか、立ち向かうか。」
と書いてありましたが、

誰が、「荘子の毒」を使い始めたのですか?
実際、「荘子の毒」とはどういう意味ですか?
また、「荘子の毒」に当てられたらどうになりますか?

お答えいただければ幸いです。

Aベストアンサー

誰が、「荘子の毒」を使い始めたのですか?
これは知りません。
実際、「荘子の毒」とはどういう意味ですか?
老荘思想というのは「無為無策」つまり「努力」の放棄こそが悟りへの早道という思想なのですね。理由は、人間は本来、仏神のわけ御霊なのだからそれを自覚さえすればいいのであり、外に向かって努力精進して得られるものはないという考えですね。だから「荘子の毒」の意味は、「努力・精進」の放棄という意味ですね。
また、「荘子の毒」に当てられたらどうになりますか?
「努力精進」しない人間になるということですね。地位・名誉になんらの価値も認めないし、あくせく働くこともしない、創造的活動などまるでないということですから普通の人間からみれば「かわった浮浪者」に見えるでしょうね。毎日、川に釣り糸をたれてすごしていた太公望などもそれですね。現代人もたまには、「荘子の毒」に当てられたら精神的には健康になるかもしれませんね。

Q荘子 原文 訓下し文

 荘子 外篇 天運篇の、干上がった池で魚が互いにあぶくをピチャピチャ掛け合ってお互いに助け合っている姿は美しいが、そんな状態にならないで大海でお互いを知らず悠々と泳いでいる方がずっといいではないかみたいな話の原文が知りたいのです。また、訓下し文も知りたいのですがどうしても検索できなくて・・・。ご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。

Aベストアンサー

泉涸,魚相與處於陸,相呴以濕,相濡以沫,不若相忘於江湖

泉涸(か)れて、魚相与(とも)に陸に処(お)り、相吻(あいふん)
するに湿を以てし、相儒するに泡を以てするは、江湖に相忘るるに若(し)かず。

原文には日本にない文字が使われていて、コピーできません。
一つ目の参考ページの「天運 第十四」の真ん中から
少し下を見てください。

http://hk.geocities.com/chinpcp/to/o_chou.htm
http://www.wretch.cc/blog/leonforever/6178700

Q大学のテストで荘子から!

大学のテストで
「荘子」の中のどれか1篇(当日発表)から漢文と日本語訳が出てきて、
それについて1000字程度でエッセイを書くという形式の
テストがあるらしいのですが、

正直、荘子の日本語訳を見ても何が言いたい文章なのか
分からないことが多いので、時間内に1000字を埋めることができるか不安です。
ここで質問です。

*荘子を読み解くコツ(日本語訳から)
*荘子のどの場面でも使えるような語句の言い回しや、
感想の書き方など、なにかテクニックはありませんか?

あらかじめ考えておくとか、
少し卑劣な方法かもしれませんが、
単位、欲しいです。

回答お願いします,,,

Aベストアンサー

おはようございます。

荘子は難しいですよね。難しい理由の一つが寓話の多用です。その寓話がどのようなたとえや教訓なのかを知るためには、他の方も言われていますが、事前に読んでおくことが必要だと思います。たとえや教訓に対して、現代もしくは自分の周りで、そのような考えを実行するとなるとどのようになるかを考えて行けば、1000字は書けるのではないでしょうか。

個人的ですが、荘子の主題は、「人とはいかなるものか」「生きること、死ぬこととはどのようなこととか」を問うているのではと思います。そして、「人間の計らいを排除し、あるがままの状態=無為自然の心地で悠々自適すること。」「生死は一体である。」とするものでは?

個人的な考えですので参考程度に。

Q中国古典・荘子

「荘子」のなかに「窮亦楽、通亦楽」という言葉があるんですが、「窮しても楽し」は解るんですが、「通」の意味が解りません。ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「窮」、つまり行き詰まっている様の対極として「通」が使われているようです。
私は「窮」は貧乏なこと、「通」は裕福なことと習いました。
漢和辞典を引いてみても、「通」に裕福であるという意味はありませんけれども。

Q荘子は潜在意識のレベルまで到達していたのですか。

この方の語っていることは正しいと思われますか?
http://www.youtube.com/watch?v=b7ON8eBZsSQ&list=PL4800176BC57F2A6B&...より

今日から老荘思想を説明しようと思います。まずは荘子です。荘子の方が老子よりも分かりやすいのです。荘子は潜在意識のレベルまで到達していたので、前回まで説明していた朱子、王陽明、スピノザという人たちのように顕在意識レベルの道、理に到達していた人よりも内容的に深い、非論理的な文章になっています。この非論理的な文章こそ東洋思想の神髄なのです。潜在意識、無意識レベルのところまで入っていって、そこの曰わく言い難い言葉にならない部分を文章化してきている。こちらに汲み取る能力がないといけないけども、そういう部分を素直に理解できる人には荘子は分かりやすく、スラスラと読めるのです。

Aベストアンサー

>荘子は潜在意識のレベルまで到達していたのですか。

○潜在意識というと荘子にわるいですね。その程度の意識ではありません。潜在意識の先の先で遊んでいるのですね。
唯識論を参考にしてみると良いですね。唯識論では、意識は五感、表面意識、潜在意識(まなしき)、蔵意識(あらやしき)、仏生(ありやしき)の9識からなっているのですが、荘子はこのうちの8識と9識の間で遊んでいるのです。潜在意識はまだまだ人間くさい意識ですね。
普通の人は仏生を探そう一生懸命努力精進するのですが、荘子は全てのものに最初から仏生があるのだからそのまま生きれば良いという考えなのですね。むしろ努力すればするほど仏性から離れていくではないかと笑っているのですね。
まあ、仏性の前の意識でとどまっているだけといいたいのでしょうね。
例えれば、釈尊が菩提樹下で仏性の意味を悟り、その幸福感に浸っているという状態がありましたが、そのまま維持だけすれば良いというのが荘子の考えかたですね。釈尊は、梵天に請われてその状態に入る方法を教える導師の道を取り、努力精進の道を示しましたが、荘子の考え方は教えると逆に衆生は余計混乱すると考えているのかもしれません。それぐらいの差ですね。
だから、潜在意識というと荘子に悪いということなのです。荘子の理論は整然としているのですよ。ただあまりに意識が高すぎるので知性や理性程度の意識にとどまるほとんどの人には理解できないということだけですね。

>荘子は潜在意識のレベルまで到達していたのですか。

○潜在意識というと荘子にわるいですね。その程度の意識ではありません。潜在意識の先の先で遊んでいるのですね。
唯識論を参考にしてみると良いですね。唯識論では、意識は五感、表面意識、潜在意識(まなしき)、蔵意識(あらやしき)、仏生(ありやしき)の9識からなっているのですが、荘子はこのうちの8識と9識の間で遊んでいるのです。潜在意識はまだまだ人間くさい意識ですね。
普通の人は仏生を探そう一生懸命努力精進するのですが、荘子は全てのも...続きを読む

Q説話についての論述の仕方

こんばんは! 論述についての質問です。

大学一年で国文学科に所属しているのですが、授業で論述の課題がでました。
その内容は、「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」というものです。
題にする説話は決まったのですが、特徴や性格とは具体的にどういうものかがよくわかりません。
この課題は、説話を必ず一つ以上取り上げなければなりません。

ちなみに私の考えているテーマは、「十訓抄と宇治拾遺物語との比較について」です。
十訓抄は第六段三十六段、宇治拾遺は題百二十一話の藤原実資が死亡したところの場面です。
場面は一緒ですが、書かれている内容が違っていることについて考察するつもりですが・・・

もしかしたら題目から外れて、とんちんかんなことをやろうとしているのでは、と不安になっています。
できるだけ早く回答していただけると有り難いです。よろしくお願いします

Aベストアンサー

 こんばんは、かつて大学院(日本史学)で『日本霊異記』の講読を選択していた者です。その時の僅かな経験をお話ししますが、お求めの回答になっていますやら。
 日本の説話文学の流れを概観しますと、最も古いものが『日本霊異記』そして『三宝絵詞』『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『十訓抄』となります。
 なぜ奈良末期から鎌倉初頭にかけてこれほどの仏教説話集が編纂されたかなどの問題に関してはすでに先行する研究の蓄積かありますので国文学資料館のデータベースでお調べになれば研究動向を掌握することもできます。
 そして「何をテーマにするか」との問題ですが、『十訓抄』と『宇治拾遺物語』の双方に掲載されている藤原実資の物語、それも彼の「死」に関して、だけでは少し物足りない気がします。意地悪な質問ですが二種類のテクストを比較して何があるのでしょうか。そしてこの二種類のテクスト以外に同じ作品は取材されていないのでしょうかとなってしまいます。物語が収められたには何らかの意図と理由があるはずです。逆に掲載されていないならばそこにも何らかの理由があることになりませんか?。
 そしてもし他の説話集にも収められていたならば、そちらではこの藤原実資の物語を「どの様な切り口で評価しているか」が問題となります。『日本霊異記』に収められている説話は「それ、是を云ふ欺」の文言で締めくくられています。これは作品集ではあるものの、それを使って薬師寺の景戒という僧侶が仏の功徳やそれに違う者の罪業を「奈良時代の庶民に解りやすく伝えるためのツール」として布教活動に利用していたとの背景が作用しています。
 恐らくは『今昔』にも同例は収められていると推測されますので、そちらも読み合わせてみてください。物語をただストーリーとして紹介しているものもあれば、何らかの意図でその物語を紹介するにいたったものもあるはずです。その違いかなぜ生じているのかは作品集の性質にもよります。
 恐らくは前期のスケジュールも終わっている頃でしょう。となれば夏休み期間を利用しての前期試験に変わるレポートとも考えられますので、先ずは材料を集めることから始めましょう。
 (1)文献のありかを調べる…『国書総目録』『國史大辞典』『国文学資料館のデータベース』
 (2)研究論文の追跡…テクストが岩波の古典体系ならば解題や補注に研究論文が紹介されています。
 (3)問題点の整理I…同一説話が他の作品にもあるか、あるとすればテクストを一字一句比較する。
 (4)問題点の整理II…同一説話があった場合、プロットは共通であっても「物語に対する筆者の目線は同じか」。
ざっと今思いついたままに書いてみました。

 また藤原実資の遺した日記が『小右記』ですので、こちらを『十訓抄』および『宇治拾遺物語』との対比史料として二次史料的に利用することも必要でしょう。

 こんばんは、かつて大学院(日本史学)で『日本霊異記』の講読を選択していた者です。その時の僅かな経験をお話ししますが、お求めの回答になっていますやら。
 日本の説話文学の流れを概観しますと、最も古いものが『日本霊異記』そして『三宝絵詞』『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『十訓抄』となります。
 なぜ奈良末期から鎌倉初頭にかけてこれほどの仏教説話集が編纂されたかなどの問題に関してはすでに先行する研究の蓄積かありますので国文学資料館のデータベースでお調べになれば研究動向を掌握すること...続きを読む

Q荘子は無神論者なのか

荘子は無神論者なのですか?

Aベストアンサー

一言、補足です。

>キリスト教と関係させると、ちょっと難しいですね。

其の通りと言うか、根本的に基本思想に大きな隔たりがあるのですね。

老荘は「有神」も「無神」も同じ一つのモノとして扱っていますから、基督思想の思考法では理解出来ません。

基督思想では「神」を離れた思考は「異端」で、危険思想になりますから、悪魔信仰と同義になるので、この分野での思想もロジックも存在しません。


まぁ、そもそも「無神論」と言う言葉の裏には、「基督教徒」という前提があるので、他宗・他思想に対して使う言葉では無いのです。

Q論述について

こんにちは! 論述についての質問です。

大学一年で国文学科に所属しているのですが、授業で論述の課題がでました。
その内容は、「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」というものです。
題にする説話は決まったのですが、特徴や性格とは具体的にどういうものかがよくわかりません。
つまり、文章の形などを意味するのでしょうか?

ちなみに私の考えているテーマは、「十訓抄と宇治拾遺物語との比較について」です。
十訓抄は第六段三十六段、宇治拾遺は題百二十一話の藤原実資が死亡したところの場面です。
場面は一緒ですが、書かれている内容が違っていることについて考察するつもりですが・・・

もしかしたら題目から外れて、とんちんかんなことをやろうとしているのでは、と不安になっています。
できるだけ早く回答していただけると有り難いです。よろしくお願いします

Aベストアンサー

 私は文学部ではありませんので、参考程度にどうぞ、という回答しかできませんが、私的に小説を書きますし、比較的論文問題は好きでした。


> 「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」

 説話や説話集に"共通する"「特徴」や「性格」について論じなさい、ということなのじゃないですか。

 とすれば、A書とB書では同じ事件が書かれていても、あそことこことあっちで書かれているのが違う、どっちが正しいか、どっちが文学として高尚か、などを論じてもハズレだと思います。

 特徴と性格は厳密に区分しにくいですけど、私なら、扱われた素材、書かれた時代、書かれた意味(目的)、対象読者、などの共通点を捜して指摘します。

 そして、説話(文学)とはこういうものだ、と結論づけます。

 当然、説話・説話集の特徴・性格をあぶり出すために、比較の対象として、説話・説話集でない文学を取り上げます。

 例えば男の特徴や性格とは、女の特徴・性格と比較して初めて明確になるものです。

 A男とB男を比較して何かを発見してもそれが「男の特徴」かどうか、どうしてわかるのでしょう。分かりません。女を研究して、同じものを持っていないと確認して初めて「男の特徴だ」と言えるのです。

 ですから、説話・説話集の特徴や性格を論じるために引っ張り出すべきは、「説話・説話集ではないもの」であるべきだと思いますよ。例えば源氏物語とか紫式部日記とかね。まあ枕草子でもなんでもいいんですけど。

 例えば、日記文学なんて著者の体験や感想を記述したものですが、説話文学は見聞した伝奇的、教訓的な話を書いたものですよね。

 ほかに、伝奇的、教訓的な内容の本がないとすれば、それは説話・説話集の「特徴」として指摘してよいことのはずです。

 ほかのものが非常に難解なのに、説話・説話集に書かれた話が平易で理解しやすいとしたら、それは特徴でもあり性格でもあると言っていいでしょう。


 私はその先生の授業を知らないので、これが正しいのかどうか確信は持てませんが、出題文だけから判断するなら、質問者さんよりは私のほうが正解に近いはずだと思いますねぇ。
(^_^;\(^O^ )ペチッ!
 

 私は文学部ではありませんので、参考程度にどうぞ、という回答しかできませんが、私的に小説を書きますし、比較的論文問題は好きでした。


> 「説話・説話集の特徴や性格について論述せよ」

 説話や説話集に"共通する"「特徴」や「性格」について論じなさい、ということなのじゃないですか。

 とすれば、A書とB書では同じ事件が書かれていても、あそことこことあっちで書かれているのが違う、どっちが正しいか、どっちが文学として高尚か、などを論じてもハズレだと思います。

 特徴と性格は厳密に区分...続きを読む


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