シュールレアリズムの精神分析とフロイドのそれとの違いを教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

 


  ジークムント・フロイトの精神分析は、ドイツ語で、Psychoanalyse(プシュヒョアナリューゼ)と言います、他方、シュールレアリスムはフランス語式の読み方ですが、ドイツ語では、Surrealismus(ジュルレアリスムス)と呼びます。別にこの表現はどうでもよいことです(また、シュールレアリズムは、英語では、Surrealism で、この読み方は、サーリーアリズムに近く、シュールレアリズムは、フランス語では、シュルレアリスムです。また、Freud は、フランス語では、フルユドまたは、フロユドのような音で、どうでもよいのですが、「フロイド」「シュールレアリズム」は日本語であって、原語に忠実にというと、おかしなことになります)。
 
  それはともかく、「シュールレアリズムの精神分析」とは普通言いません。シュールレアリズムは、「芸術運動」であり、この運動の系譜にある「芸術」また「芸術思想」のことです。日本語では、「超現実主義」と普通呼びます。
 
  精神分析は、フロイトの創始した「心の障害・病の治療技法と、その技法を根拠付ける人間の精神の構造に関する理論」のことで、精神分析学とも呼び、フロイト派は、「科学理論」だと主張していますが、ポパーなどは、科学の規準から見て、フロイトの理論やその後継者の理論も、「科学ではない」と主張します。
 
  それはとまれ、フロイトの精神分析とはどういうものかと言えば、フロイトは最初、ヒステリー症状の患者の治療を試みていたのですが、治療方法を模索しているなかで、患者自身は自覚していない・記憶していないように見える、何かの「経験の記憶」があり、それが、ヒステリーの症状と密接な関係を持っているように思えることを見いだしました。フロイトは最初、この「意識されていない経験の記憶」を、意識化し、患者に自覚させることで、ヒステリーの治療は成功すると考えました。しかし、研究を続けて行くと、もっと難しい問題が、この理論仮説には存在することを見いだします。
 
  フロイトは、治療の経験と、自分が直面した難しい問題(例えば、「忘れられていた記憶」というのが、実は、患者が捏造した記憶であることがあるということをフロイトは見いだしました。また患者と治療者のあいだの「転移」という問題も見いだしました)を総合的に説明する理論仮説として、人間の無意識と自我の動力学的構造モデルを造り、このモデルに従って、治療実践の実際的技法を説明し、また技法を理論的に導き、これを実際に試してみることで、更に理論に修正を加えました。
 
  従って、精神分析とは、フロイトが築いた、自我と無意識に関する、動力学的モデルと、この理論に基づく治療技法、その技法の理論的妥当性等の説明の集大成のことです。
 
  無意識をフロイトが発見したとされていますが、実際には、カール・ユングは、フロイトとは独立に無意識の概念を論文で示しており、またユングの師事したフランスの精神医学者は、フロイトよりも早く、無意識の概念を定義しています。
 
  精神分析とは、このように、自我と無意識の構造理論と、その治療への応用技法のシステムのことです。
 
  それに対し、芸術の運動としてのシュールレアリスムは、芸術運動としては、西欧の芸術の展開において、連続的な位置を持っており、先行するフォービスムとかキュビズムなどは、奇妙で、非日常的な作品を残しましたが、シュールレアリスムはそれに続いて、人間が「意識」で捕らえている、世界や人間についての了解やイメージは、不十分なものではないのかという問題意識から、「美」や「芸術」や「社会と個人の関係」などについて、従来の芸術理論での常識とは異なるものごとの見方・表現の仕方を求めた運動です。
 
  それまで、芸術作品は、創作者が、自己の意志で、テーマを決め、あるいは見いだし、その時代の様式に応じて、これを作品としたのですが、シュールレアリスムでは、人間が把握している「現実」というものは、実は、一面的な現実であるのだと考えます。ここでフロイトの無意識の理論を参照して、芸術的創造性とは、実は無意識のなかに宿っているのではないかと考えます。また、無意識の存在を前提として、人間や美や芸術や社会の問題は考えねばならないとします。
 
  そこで、「美」は、意識して造られるものではない、美は無意識が生み出すもので、人が芸術の美に感動するのは、実は、無意識が美を感受し、意味を了解するのだという理論が芸術運動として立てられます。アンドレ・ブルトンは、思いがけないものの結合・組み合わせが「美」を生み出すということを発見し、これは意識では分からない、無意識の領域での感銘であると考え、意識の造形能力、美の構成能力を超えて、無意識による美の造形を考えます。自動筆記というような技法は、意識で考えずに、無意識の連想のままに言葉を紡いで行くと、意識では思いつかなかった美が無意識によって生み出されるということより、技法として考えられ、実践されたものです。
 
  マックス・エルンストは、意識では何のことか分からない模様が、無意識では、意味を持って読みとられているらしいということより、解釈が多様というか、意識的には無意味であるが、しかし、「美」を感じられる絵を造るため、デカルコマニーの技法を使いました。ルネ・マグリットは、騙し絵において、意識ではなく、無意識がどう絵を見るのかということが重要だと考え、意識・無意識両者に働きかけて感銘または驚きを齎すものが、世界の「真理」だと考え、騙し絵のような絵で、無意識を喚起する技法を駆使しました。
 
  このようにシュールレアリスムの芸術家たちは、意識だけではなく、無意識に感銘を与え、無意識が意味を了解するような美と、世界や現実の総合的理解・解釈を求め、色々な現実的というより、非現実的、超現実的な作品を作り出しました。彼等は、無意識を通じて、新しい美、真なる現実了解が得られると考えたのであり、それは芸術的な次元での新たな美、現実の真理の位相の開示であり、芸術表現のムーヴメント(運動)としてあったのです。
 
  フロイトの精神分析は、自我と無意識を含む、動力学的理論を造り、この理論に応じて、治療のために精神を分析したのです。シュールレアリストたちは、対して、フロイトの理論が主張する「無意識」が、より新しい美や、人間や社会、現実についての「真理」を表現するのに有用であると考え、無意識を利用した芸術運動を展開したのであり、彼等は、「無意識」の概念には適用性の点で大いに価値を見いだしましたが、フロイトの精神分析の理論は、それほど意味あるものではなかったのです。精神分析における無意識を探る技法は、取り入れたかのも知れませんが、フロイトの理論に従って芸術活動をしたわけではありません。
 
  夢について言えば、精神分析の医師は、患者の見た夢を、理論に基づいて分析するのです。しかし、シュールレアリストは、夢を作品で表現し、その夢の解釈は、作品の鑑賞者に委ねます。
 
  精神分析とシュールレアリスムは、「無意識」を重視するというところで接点がありますが、両者は独立しており、シュールレアリスムは芸術の運動であり、自我と無意識、世界の関係はどうなっているかは、個々の芸術家が自分なりの考えを持っていたでしょうが、それはフロイトの理論とは別個のものです。
 
    • good
    • 0

すみません、補足です。



例えば私が、大勢の前で、自分の首に、
ニワトリの頭がはえてしまった夢を見たとします。

1.私は精神分析医のところへ行き、
寝椅子に横たわって、自分の夢について話します。
先生は、それを聞いて、
「君は今、自分に自信を無くしていて、
大勢の前に出るのが怖いんだよ」(たとえばね。)
などと、「夢判断」をしてくれます。
私は不安の原因がわかって、すっきりします。
(フロイトによると、不安は原因がわかると、
解消することになっています。)
そして翌日、元気に会社へ行くでしょう(ホント?)。

2.私は医者に行かず、アトリエに行き、
自分の見た夢を色彩豊かな絵に描きます。
(いや、実際にそんな夢を見てなくてもいいのです。)
人間の首に人間の頭が乗った平凡な絵ではなく、
奇抜なその絵に、みんな感嘆してくれるでしょう(ウソ)。
そして私を、シュールレアリストと呼ぶでしょう(ムリ)。

つまり前者では、夢の意味を解釈することによって、
患者を治療することが大事なのに対し、
後者では、夢の力を借りて、
日常にない芸術表現を創り出すことが大事なわけです。

…こんな説明でどうでしょうか?
もっとすごく専門的なことを知りたかったのなら、
まとはずれでごめんなさいね。
    • good
    • 0

専攻したわけではないので、あくまで概論ですが。



フロイトはヒステリー患者を「治療」するために精神分析を発明しました。ですから彼のそれは医学です。
精神分析はあくまで手段で、目的は患者の治癒です。

一方、シュールレアリスムは、フロイトの発見した「無意識」を芸術(詩、小説、絵画など)に応用したのですね。
たとえば自動筆記など。
この場合、生み出された作品自体の価値が問題になります。

フロイトが、マーラーを診察して、彼の作曲の源泉が精神分裂的傾向にあると見抜き、あえて治療しなかった…というのは有名な話です。
このエピソードでなんとなくわかっていただけたでしょうか。

これ以上くわしいことは、百科事典などで調べてみてくださいね。
そもそも、シュールレアリスムは時代も国(文化圏)も多岐にわたっているので、具体的に誰のどの作品を指すのかによってずいぶん違うと思います。

あと、よけいなことですが、個人的には「シュールレアリズム」「フロイド」という<英語読み>は好きではありません。(笑)
「フロイト」(独語)「シュールレアリスム」(仏語)のほうが正確な感じがしますが、いかがでしょう?
(どのみち英語読みでは「シュールリアリズム」です。)

もちろん、プトレマイオスを「トレミー」と呼ぶほど犯罪的でないとは思います。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q自己分析と精神分析の違いって?

自己分析と精神分析って何が違うのでしょうか?
どなたか教えてください。
最近自分はどんな人間?性格?そんなことを思うのです。自分を分かってるようで分からないのです。
また自分が分かる本などお勧めがあれば教えてください。

Aベストアンサー

大学で心理学を学んでいるものです。
少しでもお役に立てれば幸いです。

大きく言って、「自己分析」とは精神分析のなかの1つの用語です。
分析家によって分析されることを「精神分析」と言い、自分で自分の分析を行うことを「自己分析」というのです。
分析を行った結果、無意識の洞察、「コンプレックス」の解消を目指すことが目標です。
フロイトは分析家になるために受ける、精神分析の訓練を特に「教育分析」と読んでいます。

フロイトも言っているのですが、自己を分析する、分析し続けることによって、自分とは何かという「洞察」を得られる内観法がこの精神分析というものの大きな特徴の一つです。
フロイト理論を読むと確かに理解できたように思うのですが、難しい本ですし、かなり読みづらいと思います。
本も確かに大事ですが、意識を左右されやすいので、自分については自分で考えるのが一番ではないでしょうか?
厳しいようですが、自分はなんだろうという問題に本当にせっぱ詰まっていない限り、専門書ではなくとも、影響を受ける本は沢山あります。そこでなぜ自分は影響を受けたのか、どんなところに影響を受けたのかなども考えるのは、自分を理解する大きな手がかりなのではないでしょうか。あとは、日記と付けるなど(笑
ながながとすみません、一意見としてお聞き下さい。

大学で心理学を学んでいるものです。
少しでもお役に立てれば幸いです。

大きく言って、「自己分析」とは精神分析のなかの1つの用語です。
分析家によって分析されることを「精神分析」と言い、自分で自分の分析を行うことを「自己分析」というのです。
分析を行った結果、無意識の洞察、「コンプレックス」の解消を目指すことが目標です。
フロイトは分析家になるために受ける、精神分析の訓練を特に「教育分析」と読んでいます。

フロイトも言っているのですが、自己を分析する、分析し続けることに...続きを読む

Q心理分析、精神分析について

私の知人ですが、家庭でも職場でも自分の机の上はチリひとつ内容な状態にしなければおさまらない人がいますが、こういう性格というか精神性を、心理学系または神経科系ではどのように分析しているのですか?
本人または周囲はどのように理解すればよいのか、こういうことに詳しい専門家のご教授をお願いします。

Aベストアンサー

その人が神経質になるのが自分の机だけならほっとくべきです。
神経質な綺麗好き、潔癖症だなぁと思う程度で、無理やり病名をつける必要はありません。

Q行動分析と応用行動分析、両者の違いは?

行動分析と応用行動分析、両者の違いは?

最近心理学に興味を持ち始めていろいろ本を読んでいます。
行動分析について勉強してみたいのですが、書籍を見てみると
行動分析の本と、応用行動分析の本があります。
両者にはどのような違いがあるのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

回答者は行動分析の専門家ではありませんが,
「行動分析(学)」は総称であって,
基礎部門を「実験的行動分析(experimental analysis of behavior; TEAB)」,
応用部門を「応用行動分析(applied behavior analyis; ABA)」
と呼ぶものを理解しています。

歴史的には
スキナーの手でまず実験的行動分析という分野が確立され,
1960年代ぐらいから,その知見を現実問題の解決,
とくに不適応行動の改善や障害児の療育に応用する研究が進展し,
応用行動分析と呼ばれるようになったようです。

もっとも
「行動分析」の語は文脈によって多様な使われ方をしています。
スキナーの徹底的行動主義に基づく行動研究を受け継ぐ
心理学の一学派を指すこともあれば,
行動療法においてクライエントの問題行動を観察して
背景にある強化随伴性を明らかにする手続きを指すこともあります。
さらには,人が意識せぬまま示す行動から
その人の深層心理なるものを読み解くというような
誤用というか,通俗的用法もあるようです。

Q心理学者、精神分析学者と神

心理学者、精神分析学者なら、なぜ人が知性を身に付ける中で
神を信じるようになったかが論理的に説明できると思います。

知性のない者は(つまり人間以外の動物は)神を信じることはありません。
人だけが神を信じます。ゴキブリには神はいません。

神を否定するつもりはありません。信じるのは自由です。
でも「なぜ人は神を信じるのか」を論理的に説明できるはずの
当の科学者はどうなのでしょう。

一般の人が神を信じるのはいいんです。
科学者が信じるのも(個人的にはどうかと思いますが)いいでしょう。
でも心理学者や精神分析学者は神を信じているのでしょうか。

私は神の存在についてはわかりません。
でも心理学者は神を信じてはいけないだろうとも思います。

当事者のご意見を伺えるとありがたいのですが。

Aベストアンサー

宗教とは、生きる上での苦しみをやわらげるための装置です。
紀元前の世界で、なぜ仏教やキリスト教のような宗教が生まれたか。飢餓や疫病に戦争、カタワ者に生まれついたり、肉親や子供を不条理に亡くしたり、でも法律も未整備なため訴える先もないといったといった、生きる上での苦しみが、現代よりもはるかに多かったからです。
現代でもそれはあります。若いうちはないでしょうが、40,50をすぎて人生がだいたい決まってしまい、残りの余生をどうやって生きようかって段階になると、神でも信じる以外にやることがなくなります。つまり宗教にでもすがらないと辛くて生きられなくなってしまう。
ではなぜ辛くなるのか。知性があるからです。自分を客観的にみたり、10年後の自分を想像できたりする。ゴキブリはこれがないから神も必要としない。つまり知性を身につけることと、神を求めることは、不可分のセットになっているのです。
え? 自分は知性はあるけど神を信じてない? たとえばあす交通事故にあって一生寝たきりの生活になったら? 神でも信じないと頭がおかしくなるはずです。
つまり貴方はまだ若くて健康なので、神を必要としてないだけなのです。 

>心理学者や精神分析学者は神を信じているのでしょうか。
現役バリバリなら信じてないでしょう。でもいずれ年をとり、癌で余命半年とか宣告されたら、聖書の一冊くらい開くはず。そうしないと頭がおかしくなるからです。
ゴキブリが神を必要としないのは、そういった知性がないから。
要するに、バカだからです。

宗教とは、生きる上での苦しみをやわらげるための装置です。
紀元前の世界で、なぜ仏教やキリスト教のような宗教が生まれたか。飢餓や疫病に戦争、カタワ者に生まれついたり、肉親や子供を不条理に亡くしたり、でも法律も未整備なため訴える先もないといったといった、生きる上での苦しみが、現代よりもはるかに多かったからです。
現代でもそれはあります。若いうちはないでしょうが、40,50をすぎて人生がだいたい決まってしまい、残りの余生をどうやって生きようかって段階になると、神でも信じる以外にや...続きを読む

Q精神患者の職業支援の施設のなかで臨床心理士とそこで働く精神患者とが、両思いになったとします。 その

精神患者の職業支援の施設のなかで臨床心理士とそこで働く精神患者とが、両思いになったとします。

その精神患者がそこを卒業して見事、一般就職できたなら、その臨床心理士との結婚は許されるのでしょうか?

Aベストアンサー

現在の精神疾患がわからないと、お答えに困ります。
情報が少ないので安易に答えられません。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報