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古代ヨーロッパ等でよく見られますが、
彫刻(人物像)の鼻が欠けている場合が多いです。
これは壊れているのではなく、
何か人為的に壊す理由があったという事を聞いたことがああるような気がします・・・が分かりません。
何か理由があったのでしょうか?

A 回答 (1件)

仏像や人物像の顔面や鼻を破壊されたものは多くみられますが、これはそれらの対象が表すものを否定、抹殺する行為の象徴として行われる行為です。



古代エジプト時代に既に太陽神を信仰しようとしたファラオはその存在すら抹殺され多くのレリーフを削られましたし、顔面像を傷つけられています。
バーミヤンの石仏摩涯仏は信仰の変化により顔面を削られていましたが近年タリバーンにより像そのものを爆破されています。

これは偶像崇拝の否定にもつながる行為なのです。
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Qエジプトの王の遺跡等は鼻が欠けているのはなぜでしょうか?

スフィンクスや古代エジプト、近隣諸国の人型の遺跡(ミイラの棺や像など)の顔を見ると鼻が欠けているものが非常に多いのはなぜなのでしょうか?
もう1点知りたいのですが、
先日N.Y のメトロポリタン美術館のエジプトコーナーの一角で、片手の人差し指?をたててアゴに当て、中腰で立っている人間の像が、大小100個以上展示されているのを見かけたのですが、この像のポーズには何か意味があるのでしょうか?気になって頭から離れません。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけますでしょうか。どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

エジプトのスフィンクスの鼻が欠けている理由ははっきりしていません。ナポレオンが大砲の標的にしたという話は後世に面白おかしく作られた話です。そもそもスフィンクスはごく最近まで首まで砂にうずもれた状態でしたので、誰でも容易に手に届く位置に鼻がありました。わざわざ大砲の標的にするまでもなく、誰でも簡単にいたずらできる状態だったわけです。実際、過去何千年にもわたって多くの人がいたずらし、同時に自然に風化しつづけたためにスフィンクスの傷みは激しいですし、鼻などの特に目だった突起部分は破損しやすかったというわけです。そのほかの鼻が欠けているのもおおむね同じような理由だと思います。
ポーズについてはわかりません。ごめんなさい。

Q美術品における「欠損」の とらえかた

私は、ルーブル美術館所蔵の「サモトラケの二ケー」像が、子どもの頃から大好きです。
頭部と腕がないことが、かえって、なんとも言えない動的魅力を醸し出しているように思えてなりません。
(ヴィーナス像なども、むしろ、腕が欠けていることの魅力を説かれているようです)
事実、欠損しているわけですから、完全なる美、とは言えないはずなんですが、私には、その「欠損」こそが、むしろ、「完璧な美」へと導いているかのように感ぜられてなりません。これは、どういうことでしょうか。
鑑賞するそれぞれの人が、作品の欠けている部分を、それぞれ自分の思うままに埋め合わせることの可能性に、カギがあるのかなと思っています。

このような、美術品の場合の欠損は、実際の美術界においては、どのように評価されているものなのでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。
美術業界の末端に携わる者の一私見です。

欠損の修復とは言え、事後的に作品に手を入れる以上、いかなる復元すらも「改変」はまぬがれません。
昨今では修復は最低限かつ慎重に行い、復元図をCGで表現する事例が多いのではないでしょうか。

勝利の女神ニケですか。
私も真っ先にあの階段を目指すほどで、半日見ていても飽きません。
そして、noname002様と同様に、彫像などの「欠損」がもたらすものとは一体何だろうと常々思うところがありました。
私のほうこそ、ご意見を頂戴できたら幸いです。

>「欠損」こそが、むしろ、「完璧な美」へと導いているかのように感ぜられてなりません。

はい、仰る通りです。
ウンベルト・エーコは『美の歴史』にて「18世紀後半に発展した廃墟の美学も、新古典主義の美の両義性をあらわしている。」と記しています。
完全なる美、伝統的な美の想定と対比により、欠損、廃墟の美というものが成り立つのでしょうね。

殊に出土品の「欠損」には、「失われたもの、取り返しのつかないもの」として、時の蹂躙やはかなさといった郷愁を、
少なからず私達に呼び起こすものかもしれませんね。
ニケにしても、欠損状態ながら、彫像が孕むあまりの躍動感ゆえに、写真撮影がドラマチックになりすぎたりして。
意外とね、ありのままの自分の眼のようにはいかずに、難しい。

また、昨年「海のエジプト展」で求めたカタログには、エメラルドブルーの海底に、半ば埋もれ欠損したままの女神像が載っています。
でも、幻想的な海中の彫像には、もはや「欠損」以上の「何か新たな意味付与」がなされているように強く感じます。
陳腐な表現では「天変地異により失われた古代都市の悲劇」「海のロマン」が相応しいようで、
だからでしょうか、海洋堂のフィギュア(スノードームに注目!)にもなるのでしょうけども。
http://www.asahi.com/egypt/goods.html

翻って、日本の「欠損」ですぐ浮かぶとすれば、やはり「織部」でしょうか。
「重要文化財 古伊賀水指 銘 破袋」(五島美術館蔵)に添付の書状には、”水を入れる器にとって致命的な大きな欠けがあってもなお、これほどのものは他にあり得ない”という旨の賛辞が記されています。
「欠け」「歪み」を愛でる心とは、いったい…。
http://www.gotoh-museum.or.jp/collection/water-jars.html

そうそう、日本人は、隣国と比較して、ややアンバランスな顔立ちを好む傾向があると聞いたことがあります。
自然な感じが愛嬌があって好ましいとのこと。
対する韓国では、整形施術が日本以上に進んでいる面もあるような…?

古代より先進的な大陸文化、ストイックな中華思想の影響を受け、また常にそれを意識せざるを得なかった日本の文化のほんの一例ですが、
周縁の土地ならではの、中心文化(大陸文化、伝統的なるもの)に対抗する「破格(破調)」の精神のあらわれなのか、
それとも、神代の頃から受け継がれてきたアニミズムの名残なのか。
(むろん織部は戦国武将の気骨もありましょう)

さらには、興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)正面の合掌印につき、
明治期の廃仏毀釈による損壊後に、従来あまり例をみない阿修羅像の「合掌印」が「復元された」という仮説があります。
「古写真ギャラリー」をご覧下さい。
手の感じが、ちょっと微妙な感じがしなくもないです。
いかがでしょうか。 合掌印を結んでいたと思われますか。
http://www.kohfukuji.com/property/index.html

で、仮に「改変された」仮説通りに話を進めますと、
この場合は「欠損」状態を留めるよりも、「復元」するべきだったのかどうか。
──でも、合掌印を復元するという事後的な「改変」より、従来にもまして「完璧な美」に近付いてしまったとしたら──昨今の阿修羅像ブームと照らし合わせて、いったいどうなのだろう──

なんて、ふと思ってしまいました。

こんにちは。
美術業界の末端に携わる者の一私見です。

欠損の修復とは言え、事後的に作品に手を入れる以上、いかなる復元すらも「改変」はまぬがれません。
昨今では修復は最低限かつ慎重に行い、復元図をCGで表現する事例が多いのではないでしょうか。

勝利の女神ニケですか。
私も真っ先にあの階段を目指すほどで、半日見ていても飽きません。
そして、noname002様と同様に、彫像などの「欠損」がもたらすものとは一体何だろうと常々思うところがありました。
私のほうこそ、ご意見を頂戴できたら...続きを読む


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