こんにちは
最近戦争の話題が多いのですが
日本の戦前の戦争の原因となったといわれる
ブロック経済やABCD包囲や禁輸・資産凍結などなど
その当時のことなどわかる所だけでもええです
教えてください
よろしくお願いします

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

ただの中学生なので一般的なことしか書けませんが、回答します。


稚文御容赦下さい。
ブロック経済・・1929年の世界恐慌の対策としてフランスやイギリスなどが行ったもの。具体的には当時の植民地との貿易を増やし、外国商品に対する関税を強めた。イギリスはインドやカナダ、オーストラリアなど、フランスはアフリカ大陸の国々。これが戦争に結びつくかはわかりません。しかし、世界恐慌に対する対策としてイタリアではファシスト党のムッソリーニが政権を握り1935年にエチオピアを侵略して翌年併合している。ドイツでもヒトラーが軍需産業によって経済を活性化させ、反民主主義を掲げたファシズムを行っていった。この2国と日本が第2次世界大戦の反連合軍側となった。
ABCD包囲網・・America(アメリカ合衆国)
         Britain(イギリス)
         China(中国)
         Dutch(オランダ)
上の4国が中心となって日本にたいして資産凍結、石油禁輸、通商航海条約の破棄通告をおこなった。1940年前後。これは戦争の原因というより、日本の大陸進出に対する対策だと思います。
戦争の主な原因としては
(1)1914年の21か条の要求から始まる大陸進出。満州事変など。
(2)1933年の日本の国際連盟からの脱退
(3)ヨーロッパのイギリスやイタリアとの日独伊三国同盟
だと思います。世界のことを書きましたが、日本国内でもいろんなことが起こっています。歴史は複数の事柄がかみ合っているので詳しい解説は、ネット上の歴史サイトで見たほうがいいと思います。
検索語句例 ファシズム 真珠湾 太平洋 満州事変・・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます
詳しいですねー
また教えてくださいね

お礼日時:2001/11/11 05:46

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q1941年キエフ包囲戦前のグデーリアン

これまでキエフ包囲戦開始前の時点では、グデーリアンはモスクワへの直進を望んでいて、南へ転進させるというヒトラーの意見とは衝突していたと思っていました。
ところがネットのあるサイトでは、それは嘘でグデーリアンの方こそ南下の許可を求めていたという人の話がありました。
初めてそういう話を聞いたのですが、そういう説が書かれている本というか、何か出典はあるのでしょうか?
知っている方がいらしたらどうかお教え下さい。お願いします。

Aベストアンサー

グデーリアン南下要望説?

残念ながら始めて聞きました。
寧ろモスクワ攻略を目指していたので、そんな説が出る方が不思議です。
中央軍の目標はモスクワなのです。

Q太平洋戦争末期にマニラのサント・トマスで民間人を人質にとって米軍の包囲を脱出した日本兵士は偉かった?

1945年2月に始まるフィリピンのマニラ防衛戦で、米軍に包囲された日本軍がサント・トマスにある連合軍側・民間人収容者、約200人を人質にとって立てこもり、米軍と交渉して、日本軍兵士47人が人質解放とひきかえにマニラ郊外に脱出したという話を読みました。
最初は、なんと卑怯なことをして、と思ったのです。

しかし、こうも考えたのです。
日本軍兵士は国家公務員だと思います。 
つまり税金で行動しているわけです。
ということは、米軍に包囲されたからといって、すぐさま降伏したんじゃ税金ドロボーになってしまうと思うんです。 
もっと粘り強く戦ってほしい。
さらに、サント・トマスにいた収容者は連合軍側の民間人であり、いわば敵。
それを人質にとるのは、全く無関係な人を人質にするのとは訳がちがう。
そしてマニラ郊外に脱出して、再度、戦いを続行したのであれば、納税者の日本人からすれば、あっぱれである、と解釈できると思うのです。

とはいうものの広島・長崎みたく積極的に語るには、はばかる気もします。
こういう事態って、どう考えればいいのでしょうか?

まぁ、ないでしょうが、サント・トマスの件を外国人に突っ込まれたときに、日本人として、どう反論すればいいのでしょうか?

1945年2月に始まるフィリピンのマニラ防衛戦で、米軍に包囲された日本軍がサント・トマスにある連合軍側・民間人収容者、約200人を人質にとって立てこもり、米軍と交渉して、日本軍兵士47人が人質解放とひきかえにマニラ郊外に脱出したという話を読みました。
最初は、なんと卑怯なことをして、と思ったのです。

しかし、こうも考えたのです。
日本軍兵士は国家公務員だと思います。 
つまり税金で行動しているわけです。
ということは、米軍に包囲されたからといって、すぐさま降伏したんじゃ税金ドロ...続きを読む

Aベストアンサー

質問は↓の件のことでしょうか。
(考察の結果としての回答を求めるなら、質問の根拠となる資料は出していただきたいものですね)

セント・トーマス・ドミニカ大学に米英民間人三千五百二十一人が抑留されていた。
日本軍の林中佐は、その中の二百二十一人を人質とした形で、「所長以下の全員(六十五名)を武装のまま完全に振武主陣地に送り届ける条件下の捕虜移譲」を折衝して了解され、五日朝米軍の護衛の下に出発して小林兵団右地区に入った。

質問文では
【日本軍がサント・トマスにある連合軍側・民間人収容者、約200人を人質にとって立てこもり】
と仰っていますが、これはマニラにある「聖トマス大学」であり、「サント・トマス」という土地はないと思います。(それから人に対して「~にある」という表現はしません)



質問の主旨は↓でしょうか。(「サント・トマスの件への評価」ではない。)

>サント・トマスの件を外国人に突っ込まれたときに、日本人として、どう反論すればいいのでしょうか?

どう突っ込まれたのかが不明なので回答不能ですが、
【「数万人のフィリピン人」を巻き添えにするのは何とも思わないくせに、白人は200人程度で騒ぐんだな】
とか言うかもしれません。

【だって、降伏して国際法通りの待遇してくれるとは限らねーじゃん。そもそも↓の状況下で抑留者を解放すれば逃がしてくれるとでも?】とかも言うかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo

とかも言うかもしれません。

マニラでの戦闘についても、市民への被害を無視した連合国の無差別な攻撃を、日本軍の行為にすり替えています。

【ひとめでわかるGHQの日本人洗脳計画の真実】
https://books.google.co.jp/books?id=LbA3CgAAQBAJ&pg=RA1-PA55&lpg=RA1-PA55&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D&source=bl&ots=KMkoHwuhNW&sig=xe_jSCRkw6xcuiF6u__mtrWVLLc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjot-rGsvDLAhVF6KYKHei0ABkQ6AEIPzAG#v=onepage&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D&f=false


↑で 「サント・トマス 日本軍」 で検索

(日本軍の罪にすり替える
「朝日新聞」の記者は、日本軍が市街戦でマニラを破壊し尽くしたと「悪い夢」を見ているようですが、それは朝日新聞が台本作成に加担した「眞相箱」で次のように放送した以降の影響力が大きいからなのです。)

質問は↓の件のことでしょうか。
(考察の結果としての回答を求めるなら、質問の根拠となる資料は出していただきたいものですね)

セント・トーマス・ドミニカ大学に米英民間人三千五百二十一人が抑留されていた。
日本軍の林中佐は、その中の二百二十一人を人質とした形で、「所長以下の全員(六十五名)を武装のまま完全に振武主陣地に送り届ける条件下の捕虜移譲」を折衝して了解され、五日朝米軍の護衛の下に出発して小林兵団右地区に入った。

質問文では
【日本軍がサント・トマスにある連合軍側・民間人収...続きを読む

Q太平洋戦争下の日本(台湾と朝鮮も含む)では戦前の時に輸入していた米国製

太平洋戦争下の日本(台湾と朝鮮も含む)では戦前の時に輸入していた米国製や英国製などの敵国製の物(米国車、英国車や、日用品等)はどうなったのですか?政府から接収されたのですか?それとも、大目にみていたのですか?実際、戦時中に普通に敵国車は走っていたのですか?

Aベストアンサー

 これは一概には言えないんじゃないでしょうかね。

 僕の母は、シンガー(だからアメリカ製ですかね)の足踏みのミシンを持っていましたが、誰からも咎められないで普通に使っていました。

 自家用の自動車は、今に比べて非常に少なかったし、第一ガソリンが手に入らないので、バスやトラックは、木炭で一酸化炭素ガスを発生させて、動いていましたから、見ませんでした。

 バスなどは、後部にガス発生装置があり、発車前の車掌の仕事は送風機を手で回してガスを発生させることでしたから、ガソリンで走る車は車庫で眠っていたのではないでしょうかね。

Q太平洋戦争当時の日本軍

太平洋戦争の本を読んでいるのですが、当時の日本軍の仕組みが複雑でよくわかりません。そこで質問なのですが、
(1)軍務大臣(陸・海軍大臣)・軍令部総長・参謀総長・教育総監の役割(仕事内容)を教えてください。
(2)軍令部総長・参謀総長・教育総監というのは、陸海軍それぞれ別々にある役職なのですか? つまり、陸軍軍令部総長と海軍軍令部総長という2つの役職があるのでしょうか。(多分教育総監は陸軍だけのような気がするのですが)
(3)小学生みたいな質問で恐縮なのですが、結局のところどの役職が一番偉いのですか?
(4)他にも重要な役職があれば教えてください
どれか1つの質問に対する回答でも良いので、お願いします。

Aベストアンサー

 軍は全体を統轄するのに軍政と軍令が必要です。

 軍政というのは役所としての軍を見るところ。予算を立てたり、人事を決めたりという機能は軍隊と言えども必須です。現在の日本では防衛庁の官僚が担っていますが、当時は軍人が行政も行っていました。このトップが陸海軍大臣です。

 軍令というのは実際の戦闘指揮と考えて下さい。このトップが陸軍なら参謀総長、海軍は軍令部総長です。それぞれ陸/海軍固有の名称です。参謀総長は陸軍、軍令部総長は海軍です(端折って言うと、日本では陸軍の力が強かったため、分かりやすい参謀総長の名前は陸軍が取ってしまったのです。海軍は明治初期などは完全に陸軍の風下に置かれていました)。
 現在では自衛隊の陸自/海自の幕僚長に相当でしょうか(自衛隊にはこの上にもう一階級陸海空を統合する統合幕僚会議議長がおり、彼が制服組のトップです)

 教育総監は陸軍独自のポストで軍事教育の総てを統轄します(陸軍大学校が参謀本部管轄だったり、航空系が航空総監の管轄だったりなど、例外が有ります)。

 で、陸軍の場合、大臣・参謀総長・教育総監を「陸軍三長官」とよびます。彼らのボスは天皇陛下。明治憲法下では天皇は独自の意志を発揮する余地がないので、実質ボス無しで同位の人間が三人も並んでいたわけです(逆に言うと誰が一番えらいとは言えない)。同じ軍人ですから調整は出来るんでしょうが、弊害は大きかったとされています。

 海軍では政治的なことは大臣、軍事的なことは軍令部長と割りきっていたので(海軍内部の空気の問題なのでしょうが)そういったことはないとされていますが、それでもこの2ポストも天皇に直隷していました。
 なお、海軍三長官もありまして、こちらは大臣、軍令部総長と作戦を実施する機関の長である聯合艦隊司令長官の3人です(直し、聯合艦隊司令長官は前2者の指示を受けるので、格という面では一歩下です。数合わせに入れた雰囲気が強いです)。

 上は陸軍三長官に関する記述、下は海軍の重要ポストについて記述があります。
http://www.wdic.org/?word=%B3%A4%B7%B3%BB%B0%C4%B9%B4%B1+%3AMILI

http://mltr.e-city.tv/faq08e.html

 軍は全体を統轄するのに軍政と軍令が必要です。

 軍政というのは役所としての軍を見るところ。予算を立てたり、人事を決めたりという機能は軍隊と言えども必須です。現在の日本では防衛庁の官僚が担っていますが、当時は軍人が行政も行っていました。このトップが陸海軍大臣です。

 軍令というのは実際の戦闘指揮と考えて下さい。このトップが陸軍なら参謀総長、海軍は軍令部総長です。それぞれ陸/海軍固有の名称です。参謀総長は陸軍、軍令部総長は海軍です(端折って言うと、日本では陸軍の力が強か...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報