杜甫は厳武の推薦で広徳二年(764年)に尚書省に属する六品の上に任ぜられたそうですが、『六品の上』は何と読むのですか?
厳武についてなのですが、厳武の字は『季鷹』と言うそうですが何と読むのですか?『太原府参軍』から『殿中侍御史』に進み、安禄山の乱の時には『諫議大夫』に昇進したそうですね。その後は『給事中』・『京兆少尹』・『剣南節度使』を歴任。『』の役職内容と読みが知りたいです。わかる方は教えてください。お願いします。

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読み方 中国語」に関するQ&A: 中国語の読み方

A 回答 (1件)

 回答なしの質問を見ていたらたまたま見かけたので、わかる範囲で回答させていただきます。



 読み方についてですが、中国語の読み方であればすべて回答して差し上げられますが、日本語読みであれば日本の音訓読みに古文の表現を加えて解釈するしかありません。

 「六品の上」は「リクヒンノジョウ」、「季鷹」は「キヨウ」、以下の官職名となるとさらに曖昧ですが、「太原府参軍」は「タイゲンフサングン」、「殿中侍御史」は「デンチュウジゴシ」、「諫議大夫」は「カンギタイフ」、「給事中」は「キュウジチュウ」、「京兆少伊」は「ケイチョウショウイ」、「剣南節度使」は「ケンナンセツドシ」といったところだと思います。

 職務内容についてですが、「太原府参軍」は「太原府(地方機関名)において軍事戦略を担当する(軍師のようなもの)」。「殿中侍御史」は「皇居内の取り締りを行う(警察のようなもの)」。「諫議大夫」は「天子に対して諫言をする役職」。「給事中」は「皇帝の下問に答えたり、担当する部門を官名に付加したりする役職」。「剣南節度使」は「剣南地方の防備のために置かれた軍団の司令官」。

 「京兆少伊」の職務内容については分かりませんでした。申し訳ないです。
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Q『役』『事変』『動乱』が、なぜ『戦争』に?

 西南戦争、日中戦争、朝鮮戦争について、以前は『西南の役』、『シナ事変(シナの漢字が出ない、欠陥ソフトだ!)』、『朝鮮動乱』と呼んでいました。
 その当時『私は宣戦布告のないものや国内のものは、戦争と呼ばないのだな』と理解していました。
 そこで教えていただきたいのですが、『いつ頃から、どういう理由で、誰の主導で』みんな『戦争』という呼び方になったのでしょうか。

Aベストアンサー

ま、基本的には古い呼び方という一言で片付く問題なのですが、
事変に関しては、宣戦布告無き戦争という定義があります。
しかし現在は、事変ではなく紛争という呼び方が多いです。
それと事変は、正規の戦争ではないのでハーグ陸戦協定の規定外だという
屁理屈にも利用されたので、現在ではダイレクトな国際法違反という
認識があるのは一般的です。
だから印象がとても悪い。
ちなみにハーグ陸戦協定には捕虜の人道的取り扱いなどが定められているのですが
戦争じゃなくて事変なら捕虜の虐待も拷問、処刑も合法・・ということなんです。
ま、戦争を裁く法はないというのが実情なんで、この協定も
論理自体が空論に近いのですが。

役とか変とかは、もはや歴史的な用法でしかありません。
そもそも日本に関してだけで、日本だけで使われた言葉なので、
普遍性がないので廃れたというが実のところでしょう。
我々も、もはや古語は使わないわけで、古語辞典にのっているような
言葉でしゃべるのも変というもの。
一般に、日本の前近代までは、役などは使えると思うので
西南の役までは有効だと思います。ま、ここらへんの境界は
言い手、書き手の裁量でどうとでも。

朝鮮動乱については、その表現は新聞の見出しなどですよね。
当時、リアルタイムでは開戦動機とか、経緯が一般には不明だったので
そういう曖昧な表現になっただけでしょう。
コンゴ動乱とか、動乱はまだ使いますが、朝鮮の場合は朝鮮戦争が一般的。
ま、呼び方というのは、徐々に共通認識ができてきまってくるところがありますから、
それはしょうがないでしょう。

ま、基本的には古い呼び方という一言で片付く問題なのですが、
事変に関しては、宣戦布告無き戦争という定義があります。
しかし現在は、事変ではなく紛争という呼び方が多いです。
それと事変は、正規の戦争ではないのでハーグ陸戦協定の規定外だという
屁理屈にも利用されたので、現在ではダイレクトな国際法違反という
認識があるのは一般的です。
だから印象がとても悪い。
ちなみにハーグ陸戦協定には捕虜の人道的取り扱いなどが定められているのですが
戦争じゃなくて事変なら捕虜の虐待も拷問、処...続きを読む

Q『荘園』『名田』『治田』の違いは?

今年、高校を受験する中3です。

今、歴史の勉強をしているのですが、
『荘園』『名田』『治田』の違いがわかりません。
どれも新しく開墾した土地(墾田?)ですよね?

本格的に歴史の勉強をはじめたところなので、あまり難しい言葉は使わないで
教えてもらえると幸いです。

それでは、わかる方いましたらお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
>早速、参考URLを見てみたのですが、それぞれのはっきりした”違い”が解りません・・・。
ではもう少し整理を試みてみましょう。
「荘園」というのは貴族や有力寺社がその財力を用いて開墾した「自分達の田圃」です。
「公地公民」ということで土地は全部基本的に国のものだったのですが、それがどんどん緩くなって「国の用水」を使う場合には「公田」といって国の田圃だけれども、そうじゃない場合は私有の田圃として認められるようなことになりました。
ですが用水を自前で作るにはとてもお金が必要なので「荘園」の開発は貴族や有力寺社のみが行うことが出来た訳です。
さて、その後九世紀くらいになってくると更に国の統制力は衰えてしまって、本当は「口分田」という「国から借りている田圃」を「代々自分達が耕してきた」ことを理由に勝手に自分のものにしてしまう農民が出てきました(勝手をされても取り締まれないくらい国としての統制力が衰えていた訳です)。
これに加えて勝手に土地を開墾するものもあり、そうした人達が「ここは自分のものだ」という具合に名前をつけて呼んだりしたもので「名田」と呼ばれる訳です。
「荘園」はお金持ちしか持てなかったけれど、「名田」はそれほどでなくても「自分のもの」と宣言してしまえば良い訳ですから、力をつけた農民でも持つことが出来たということです。
その後中央で藤原氏などが大きな勢いを持つことになると、その圧迫を受けて自分の荘園を維持出来なくなる貴族や寺社が増えてきました。
そうした「元荘園」の土地を名田の時と同じように自分達の力で再開発して「自分の田圃」とする農民も現れ、こうして開墾された農地を「治田」と呼ぶ訳です。
同じように国の力の衰えなどを背景に農民達が自分達で開発して自分達のものとしていった訳ですが、元「口分田」であると「名田」、元「荘園」であると「治田」などと呼ばれたということです。
基本はすべて「元々国のものであった土地を私有化した」ということなのですが、当事者や対象が異なる為に違った呼び方をしているという訳ですね。
大雑把ですが多少はおわかり頂けたでしょうか。

こんにちは。
>早速、参考URLを見てみたのですが、それぞれのはっきりした”違い”が解りません・・・。
ではもう少し整理を試みてみましょう。
「荘園」というのは貴族や有力寺社がその財力を用いて開墾した「自分達の田圃」です。
「公地公民」ということで土地は全部基本的に国のものだったのですが、それがどんどん緩くなって「国の用水」を使う場合には「公田」といって国の田圃だけれども、そうじゃない場合は私有の田圃として認められるようなことになりました。
ですが用水を自前で作るにはとてもお...続きを読む

Q石田さんは 『三成』? 『光成』? 

つい最近このOKWaveを知ったので、歴史カテゴリー(特に日本史戦国期もの)の皆様の質問や回答を興味深く読ませていただいていたのですが、あの関ヶ原の石田さんの名前が『光成』との表記がいくつも目に付きました。
私は石田『三成』と習ったと思うのですが、今は石田さんて『三成』ではなく『光成』と書くようになったのでしょうか?
それとも、このサイトでのお約束ごとなのでしょうか?
初歩的なことで申し訳ありませんが、気になったものですから…。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

みなさんのおっしゃる通り、正しくは「三成」ですが、
浮世絵や歌舞伎などで「光成」「岸田淀少光成」「石田光成」
とされていることがあります。
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=10&haiyakukensaku=%B8%F7%C0%AE

これは、ここ
http://www.dict-keyword.com/38/18141.html
などに書かれているように(以下抜粋)
『三成死後すぐには三成の評価はそれなりに高く、
徳川光圀 などが敵ながら天晴れと言う評価を残している。
しかし江戸時代 中期以降になると小人・奸臣・小才子
などと言われた。また、三成の名前をそのまま出すことも憚られ、
絵本や絵巻物では「岸田光成」などと書かれることとなった。』
という経緯で、呼称としての「光成」はあったということです。
それで、ちょっと混乱する事もあるのかなと思います。

Q殿中差しについて

殿様が殿中で脇差を差してるのは普段してる大小の内の小を差して用を足してるのですか?それとも大小セットものでなく独立して用意してある脇差を差してるのですか。

Aベストアンサー

通常刀の分類は、刀身三尺以上が太刀、二尺以上が刀、二尺未満一尺以上が脇差し、一尺未満が短刀です。
殿中差しは分類としては短刀のようです。元々礼装の長袴(動き難い)とセットで、殿中で戦意の無い事を表す為のものなので、普段腰に差す大小とは別物でしょう。

Q俸と禄の違い

「俸」と「禄」の違いがわかりません…。
他、「知行」「扶持」「切米」など、詳しい方、お教え願います。

Aベストアンサー

【俸】・・職務に対して官から受ける手当。扶持米。俸給。
【禄】・・仕官する者に下付される給与。古代においては律令制に規定された、官人に対する支給で、四、五位の者に与える位禄と、在京の文武官人、大宰府・壱岐(いき)・対馬の官人に春夏・秋冬の2回給される季禄とがあった。施禄の品にはあしぎぬ、布、綿、鍬、糸など手工芸品が主であった。
近世では一般に俸禄とよび、将軍・大名から家臣に与えられる蔵米のことをさした。知行地を支給して年貢を収納する地方知行制は、高位の家臣のみを対象として少なくなったためである。所領の年貢徴収権は領主が一手に収めて、家臣には知行高に応じて俸禄を支給する蔵米知行制が発達、このため家臣団の財政は、領主の財政に対する依存度が大きくなったが、一方では武士が知行地の支配を気にせず、吏僚として行政の職務に専念できるようになった。
【知行】・・平安時代から室町末・戦国時代にかけて行われた土地・財産の直接支配をいう。知行とは本来知り行うの意、職務を執行することを意味したが、平安時代の中期から末期にかけて官職の収益権化が進み、職務に付随する一般的な土地用益権を意味する職(しき)の観念が成立するに及んで、この職(しき)の行使、すなわち土地・財産の直接支配をさして知行というようになった。
【扶持】・・ 助けること。扶助することを云ううが、転じて、主君から家臣に給与した俸禄。江戸時代には、一人1日玄米5合を標準とし、この1年分を米または金で給与した 。
【切米】・・中世、分納された年貢米のこと。 江戸時代、幕府・藩が軽輩の士に与えた俸禄米または金銭。春・夏・冬の3期に分けて支給された。

以上は、文献より

【俸】・・職務に対して官から受ける手当。扶持米。俸給。
【禄】・・仕官する者に下付される給与。古代においては律令制に規定された、官人に対する支給で、四、五位の者に与える位禄と、在京の文武官人、大宰府・壱岐(いき)・対馬の官人に春夏・秋冬の2回給される季禄とがあった。施禄の品にはあしぎぬ、布、綿、鍬、糸など手工芸品が主であった。
近世では一般に俸禄とよび、将軍・大名から家臣に与えられる蔵米のことをさした。知行地を支給して年貢を収納する地方知行制は、高位の家臣のみを対象として少な...続きを読む


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