司馬遼太郎の「殉死」には乃木将軍は愚将だと書かれています。
その根拠は203高地での軍事作戦にあったようです。
ところで他の文献で乃木将軍が愚将だったというような話は見たことがありません。
実際のところどうだったのでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (15件中11~15件)

乃木は愚将ですがそれ以上に参謀長の伊知地が無能でした。


戦場にも近づかず、頑固で無為無策でした。
旅順陥落後、満州に転戦したのですが、その参謀達は、そこでもいきあたりばったりで作戦を立てていたようですね。
伊知地は薩摩出身で大山巌元帥の親戚なので誰も批判できなかったようですね。
乃木が愚かなのは、伊知地の無能さを見抜けず、いたずらに兵を消耗させた事にあります。

司令官は作戦は参謀長に任せるべきですが、それが機能しない時は人事も含めて改める努力をする必要があります。
そういう意味で乃木は軍人としても、無能でしたが、司令官としても無能でした。

その点、大山や東郷は司令官としては非常に機能したわけで、優秀という評価がされています。
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あの戦いはもともと海軍の失敗によるもので予定にはなく情報がまったくない状態で戦なくてはならず苦戦はしかたのないものだった しかも陸

軍は戦いの前に旅順の情報を集めようとしたが海軍の横槍で(俺たちが負けると思ってんのかと怒鳴り込んできた)情報収集を中断させられたともいわれている
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少なくとも名将ではなかったでしょう。

それまでの戦争では少々の流血を恐れなければ勇敢な突撃で強固な陣地も陥落可能、というのが常識だったのである意味常識人だったともいえます。当時の軍事常識にのっとっての攻撃を繰り返したところ、セメントで固めた要塞と機関銃(それまでも同種の兵器はあったがロシア軍の機関銃は性能が格段の向上)の前に兵士の屍の山を築きました。
これは10年後の第一次大戦で欧州の名将とされた軍人たちも同様の戦術をとってているので乃木一人を愚将と決め付けるのは酷かもしれません。

乃木の場合は

1)突撃失敗が一度でなく、数度同じパターンを繰り返し、結局自分ではどうしようもなくなったこと(若年期の経験を生涯抱え込む→新しい技術についていけない日本型マジメ人間が晩年失敗する典型)
2)指揮を事実上交代した児玉源太郎が天才的な武人であったため指揮官交代後は容易に旅順が陥落した(ように思われた)こと

で愚将のイメージが強まったのではないでしょうか。
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倒幕家 尊王家としては立派だったようですが


軍人としては、あまりにも戦死者を出しすぎましたね。
国内召還の話もあったほどですから
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軍事的に見れば愚将ですが、人柄は良かったというのが相場だと思います

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 (ネットでサラッと大学・学外活動・申請を検索すると出るわ出るわ…。)

 最近は、あまり聞きませんけど一昔前なら、学校に内緒で芸能活動をやって処罰された芸能人なんて珍しくなかったですし…。

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乃木将軍が二百三高地にあれだけ苦しまされたのは、彼の地に機関銃陣地があったことはつとに有名ですね。
日露戦争は、プレ第一次大戦ともいうべき戦いでした。日本軍に帯同した駐在武官の中には「機関銃はとてつもない兵器だ。これは次の戦争で中心になる兵器となるだろう」と予言した人もいたのですが、なにぶん極東の戦争だったので欧州各国の注目は集めませんでした。

その後、第一次大戦はご存知の通り塹壕と機関銃が猛威を振るう戦いとなりました。それに対抗するために、事前に大砲で砲撃をしたのですが、どれだけ大砲を集めて気が狂うほどの量の砲弾を使っても、あまり意味がありませんでした。ソンムの戦いでは、なんとたった1日で57000人も戦死しました。

ちなみに二百三高地でも日本軍としては空前絶後に近いほど大口径の大砲を大量に揃えて支援射撃をしたのですが、効果をあげることはできませんでした。攻略にあたって効果的だったのは、攻略用の塹壕を少しずつ掘り進めることでした。

だから彼の置かれた立場を考えると、どのような名将であったとしても苦戦したでしょうから誰がやったとしてもたいして変わらなかっただろうなあと、そういう意味では私は乃木将軍には同情的です。
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 また、乃木将軍の有名な逸話などもありましたら、あわせて教えてください。

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私も「坂の上の雲」を読んでの感想なので新しい知見ではないかもしれませんが..

・明治天皇のお気に入りだった
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 1.漢詩の規則を覚えてください。
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「自分一人が耐えるだけで済むならそれでいい――」

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また、座右の銘になりそうな漢詩や、漢詩の見つけ方、
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Aベストアンサー

学びやすいどころか笑っちゃう!

桃白歩美「関西弁で愉しむ漢詩」
  子どもの未来社刊 寺子屋新書 

Q203高地から

203高地陥落は児玉源太郎のおかげですか?
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また映画や小説「坂の上の雲」のように
28センチ砲の援護射撃を命令する児玉に
「陛下の赤子を撃つことはできない」と
盾突く参謀長に
「貴様らの無為無策は多くの赤子を殺したではないか!」
と大喝して作戦を認めさせたのは本当ですか?

Aベストアンサー

>203高地陥落は児玉源太郎のおかげですか?
その通りです。

当時、すでにロシア艦隊は本国を出港し、ウラジオストックを目指し航行中であった。戦争遂行上、旅順港に逃げ込んだ「ロシア太平洋艦隊」を何が何でも壊滅させる必要があった。これは乃木大将の指揮する第三軍以外の、大本営、日本海軍、満州軍総司令部の共通の認識であった。

明治天皇も旅順艦隊攻撃の成否が、来航するロシア艦隊と決戦を挑む日本海軍の勝敗を左右する重要な要素になる事を知っていた。
そのため、明治天皇は旅順艦隊を砲撃できる高地、203高地を確保すべきだと判断し、御前会議で満州軍総司令官の大山巌元帥にその旨を至急伝えるよう指示した。

ところが、乃木司令官はあくまでも旅順要塞の正面攻撃に固執し、203高地確保に耳を貸さなかった。

やむを得ず、大山総司令官は訓令を発し「二〇三高地に関する戦況が不明な原因は、第三軍司令部の指揮の統一がとれていないと断定せざるを得ない(中略)なお総司令官の名をもって、児玉参謀長を第三軍の作戦指導に派遣した」
つまり、乃木大将の指揮権を取り上げ、児玉参謀長が直接指揮をとったと言う事です。


>28センチ砲の援護射撃を命令する児玉に「陛下の赤子を撃つことはできない」と盾突く参謀長に・・・・云々

この、28センチ砲攻撃に対して、「味方を砲撃する恐れがある」として、強硬に反対したのは伊地知参謀長ではなく重砲隊副官です。
もちろん、児玉は即座にその意見を退けました。

茨城大学名誉教授の大江志乃夫氏は、その著書「日露戦争と日本軍隊」の中で、「海を越えて戦った日本軍にとって補給路を確保すること、すなわち制海権を握ることが勝利、少なくとも負けないための絶対条件になります。それにはバルチック艦隊が合流する前に極東のロシア艦隊を無力化する必要がありました。ロシア艦隊が旅順から出てこない以上、旅順港攻略以外に道はなかったのです」と述べ、
「堅固な要塞に無意味な強攻を繰り返した乃木司令部の無能と無策は、厳しい批判に値します。第三軍の伊地知参謀長らは敵情すら正確に把握していなかった。伊地知をはじめとする乃木の部下、いわば高級指揮官の官僚的体質も大勢の兵士を死に追いやる原因でした」と述べています。

「勇将の下に弱卒なし」という言葉は乃木大将に対して使うものではありません。
ただ、乃木将軍は心優しい人であったのは間違いないと思います。その部分を明治天皇は愛したのだと思います。
軍人でなければ、人間・乃木希典として立派な一生を過ごされた人だと思います。

>203高地陥落は児玉源太郎のおかげですか?
その通りです。

当時、すでにロシア艦隊は本国を出港し、ウラジオストックを目指し航行中であった。戦争遂行上、旅順港に逃げ込んだ「ロシア太平洋艦隊」を何が何でも壊滅させる必要があった。これは乃木大将の指揮する第三軍以外の、大本営、日本海軍、満州軍総司令部の共通の認識であった。

明治天皇も旅順艦隊攻撃の成否が、来航するロシア艦隊と決戦を挑む日本海軍の勝敗を左右する重要な要素になる事を知っていた。
そのため、明治天皇は旅順艦隊を砲...続きを読む

Q素敵な漢詩を教えてください!!!

 こんにちは。
 私は高校生なのですが、授業で習った漢詩の孟浩然の『春暁』が大好きになりました!白文でも字の並びがきれいで、読んだときのリズムが好きです。それで素敵な漢詩をもっと読みたいです!!私は漢詩とか漢文とかは初心者なので、文法とかも高校レベルなのですが、これからどんどん知っていきたいと思ってます!!こんな私に素敵な漢詩やおすすめの漢詩を教えてください!!!お願いしますっ!

Aベストアンサー

おおお、いいですねえ。高校生で漢詩を愛するとは。
わたしがその年齢だった当時は、どーも漢文が苦手で、漢詩もあまり面白いとは思えませんでした。今から思うと教科書に載っているのがあまり好きじゃない系統のものだったから、ということもあるようです。
授業でお気に入りの詩に出会えた質問者さまは幸せですね(^o^)。

よーやく最近漢詩にも食指が動くようになってきて、ちょこちょこ読んでます。とはいっても初心者(^o^)なので、質問者さまに決定版をおすすめ!というわけにはいかないのですが、わたしが気に入っている本は

講談社学術文庫「唐詩歳時記」「唐詩の風景」(どちらも植木久行)

です。
これは詩がメインというより、詩に出てくる地名や語句、行事を説明した本なのですが、関連する詩も豊富に載っています。わたしにとってはこういうスタイルが面白く読めるようです。口語訳もうるさくなくさらっと書いてありますし。

華やかな詩が好きですね。字面を眺めているだけで唐の都のにぎわいが目に浮かぶようで。ぱっと思い浮かぶのは李白の「少年行」でしょうか。
ああ、あと詩ではないのですが、同じく講談社学術文庫の「長安の春」(石田幹之助)の表題作にもお目通し下さい。(ちょこっと詩も載っています)
都のきらぎらしさが描かれていて、憧れます~(*^。^*)。

授業で習って好きだったのは「涼州詞」ですねえ。
特に一行目の「葡萄の美酒 夜光の杯」は、呟くだけできらきらした魔法がかかるような気がしました。(全体の内容はカナシイものですが(^_^;)。)
あとは誰でも知っていますが、白楽天の「長恨歌」……途中まで暗記したほど好きでした。これもきらきらなんですよね。特に前半は。

漢詩も数多くあると思いますので、手当り次第に読んでみましょう。時代や詩人で「これが好き!」というのがわかってくると思います。
図書館に行くと、漢詩のコーナーは充実していることが多いので、気が合いそうな本に出会えると思いますよ。

では失礼します~(^^)/~~~。

おおお、いいですねえ。高校生で漢詩を愛するとは。
わたしがその年齢だった当時は、どーも漢文が苦手で、漢詩もあまり面白いとは思えませんでした。今から思うと教科書に載っているのがあまり好きじゃない系統のものだったから、ということもあるようです。
授業でお気に入りの詩に出会えた質問者さまは幸せですね(^o^)。

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Q203高地は低くなったか?

戦闘前に203高地と称していたと思いますが、戦闘後にも203高地でよかったのでしょうか?実際の標高は変わってたのではないでしょうか(203耕地的に)

Aベストアンサー

「203高地の203は標高ではなく,中国語で「ニーレイサン」と呼ばれていた山を,日本が「203」と当て字をしたものです。」

遼東半島の先端部、旅順要塞の近辺というのは、山が連なって水が全くないところですので「不毛の荒野」です。旅順を北洋水師が根拠地とし、ロシアが大規模な要塞を作るまで、中国人の住民などはほとんどゼロで、山は皆「無名山」だったはずです。

203高地の「203」とは三角測量による測量値(若干の誤差は出る)です。戦後に、漢詩人であった乃木司令官が語呂を合わせて「爾霊山」と表現したのが一般に広がりました。旅順在住の中国人もその名前を使うようになったとしてもおかしくないですが、順序が逆です。

ご質問の
「実際の標高は変わってたのではないでしょうか(203耕地的に)」

大量の砲弾が落下、炸裂しましたが、それによって巻き上げられた土砂は大部分が引力で下に落ちます。また、砲弾は鉄で出来ていますが、その破片は落下した周辺に一定の範囲で落下して散らばり、土に戻ります。203高地を主に砲撃した28センチ榴弾砲は「臼砲」ですから、弾道は空中に高く上がって真上から落ちてくるような感じになります。ですので、標高を変える(土砂を水平方向に吹き飛ばす)ことはあまりなかったと思われます。

日本海軍のエピソードで
「瀬戸内海の小さな無人島を目標に射撃訓練を行った。弾丸は水平に近い弾道で目標に命中するので、土砂が水平方向に吹き飛ばされて島が消えてしまった」
という話が、阿川弘之の「軍鑑長門の生涯」に収録されていたと思います。こちらならありえる話です。

また、旅順要塞攻撃時に、攻撃側が敵の攻撃範囲外から三角測量して測定した山の標高の数字はそんなに精度が高いものではありません。ロシア軍の砲弾が降ってくるかもしれない、ロシア軍の騎兵が現れるかもしれない危険な状況下で、測量班が念入りに何度も測定して平均値を出したりする余裕などないですから。

「203高地の203は標高ではなく,中国語で「ニーレイサン」と呼ばれていた山を,日本が「203」と当て字をしたものです。」

遼東半島の先端部、旅順要塞の近辺というのは、山が連なって水が全くないところですので「不毛の荒野」です。旅順を北洋水師が根拠地とし、ロシアが大規模な要塞を作るまで、中国人の住民などはほとんどゼロで、山は皆「無名山」だったはずです。

203高地の「203」とは三角測量による測量値(若干の誤差は出る)です。戦後に、漢詩人であった乃木司令官が語呂を合わせて「爾霊...続きを読む


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