司馬遼太郎の「殉死」には乃木将軍は愚将だと書かれています。
その根拠は203高地での軍事作戦にあったようです。
ところで他の文献で乃木将軍が愚将だったというような話は見たことがありません。
実際のところどうだったのでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (15件中11~15件)

乃木は愚将ですがそれ以上に参謀長の伊知地が無能でした。


戦場にも近づかず、頑固で無為無策でした。
旅順陥落後、満州に転戦したのですが、その参謀達は、そこでもいきあたりばったりで作戦を立てていたようですね。
伊知地は薩摩出身で大山巌元帥の親戚なので誰も批判できなかったようですね。
乃木が愚かなのは、伊知地の無能さを見抜けず、いたずらに兵を消耗させた事にあります。

司令官は作戦は参謀長に任せるべきですが、それが機能しない時は人事も含めて改める努力をする必要があります。
そういう意味で乃木は軍人としても、無能でしたが、司令官としても無能でした。

その点、大山や東郷は司令官としては非常に機能したわけで、優秀という評価がされています。
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あの戦いはもともと海軍の失敗によるもので予定にはなく情報がまったくない状態で戦なくてはならず苦戦はしかたのないものだった しかも陸

軍は戦いの前に旅順の情報を集めようとしたが海軍の横槍で(俺たちが負けると思ってんのかと怒鳴り込んできた)情報収集を中断させられたともいわれている
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少なくとも名将ではなかったでしょう。

それまでの戦争では少々の流血を恐れなければ勇敢な突撃で強固な陣地も陥落可能、というのが常識だったのである意味常識人だったともいえます。当時の軍事常識にのっとっての攻撃を繰り返したところ、セメントで固めた要塞と機関銃(それまでも同種の兵器はあったがロシア軍の機関銃は性能が格段の向上)の前に兵士の屍の山を築きました。
これは10年後の第一次大戦で欧州の名将とされた軍人たちも同様の戦術をとってているので乃木一人を愚将と決め付けるのは酷かもしれません。

乃木の場合は

1)突撃失敗が一度でなく、数度同じパターンを繰り返し、結局自分ではどうしようもなくなったこと(若年期の経験を生涯抱え込む→新しい技術についていけない日本型マジメ人間が晩年失敗する典型)
2)指揮を事実上交代した児玉源太郎が天才的な武人であったため指揮官交代後は容易に旅順が陥落した(ように思われた)こと

で愚将のイメージが強まったのではないでしょうか。
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倒幕家 尊王家としては立派だったようですが


軍人としては、あまりにも戦死者を出しすぎましたね。
国内召還の話もあったほどですから
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軍事的に見れば愚将ですが、人柄は良かったというのが相場だと思います

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Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q旅順攻囲戦でどうしてロシアは負けたのですか?

旅順攻囲戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/旅順攻囲戦
日本軍が長期間にわたり、何度も攻撃し、とうとう陥落させたという印象があります。
ロシアのほうが近代的な武器を揃えていたのなら、どうして負けてしまったのでしょうか?
要塞に立てこもったままでは勝ちはありません。
積極的に打って出なかったのはどうしてでしょうか?
愚将だったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

これは細かく説明する必要があります

   兵器面
 小銃は両軍とも同レベルです、日本軍は三〇年式小銃(6.5mm5連発銃)を使用。ロシア軍はM1891モシン・ナガン(リーニアゲージ)小銃(7.62mm5連発銃)を使用しております。
 機関砲は日本軍はホチキス式機関砲(6.5mm25連発)を100挺ほど配備しました。ロシア軍はマキシム式機関砲(7.62mm500連発)及びガトリング式艦載機関砲を50挺地上に下ろして使用しています。両者の大きな違いは、日本軍の機関砲は4人で携帯できる駄載方式だったのに対してロシア軍のは馬懸架式(大砲と同じ大きさ)か、固定砲座方式だったことです。
 野戦砲は両軍とも1世代前の方式でしたが、重砲は最新型のシステムでした。日本の15cm砲はロシア軍の物よりも精度、射程が優れていました。有名な28cm砲は、実はかなり旧式な大砲でしたが、要塞攻撃及び湾内への砲撃には支障がなく、元々攻城砲であったため、要塞攻撃に威力を発揮しました。
   戦力面
 日本軍は64個歩兵大隊を要したのに対してロシア軍は27個歩兵大隊(南山の戦いで兵力は消耗している)しか戦力を持っていません。保有重砲も日本の半分以下です。
   戦術面
 日本軍は、7月末段階で要塞線正面への展開を終了し、2週間かけて要塞の構造を分析しました。それに基づいて包囲攻略戦を企画しましたが大本営より8月中の攻勢を求められました。当時の日本軍には攻城戦の教科書が翻訳されておらず、工兵大隊を全て後方に下げ再教育を行うという事態に遭遇します。これは上原大佐の失策です。そこで仕方なく歩兵による磐龍山攻略と、重砲による二龍山及び松樹山重砲陣地の破壊を試み、9月までに3ヶ所の重砲陣地は全て沈黙します。その成果により28cm砲が設置され、湾内への定点砲撃(湾内を碁盤の目のように区切り、毎日一ヶ所づつ砲撃を加えるという戦術)を開始します。その後は時間をかけて要塞を攻略しました。

 さて、質問者の『ロシア軍は積極的に打って出なかったのはどうしてでしょうか?』ですが、戦力比が64:27です。打って出ればどちらが勝つか目に見えています。だから打って出なかったのです。

司馬遼太郎やその他作家などは史実をかなり捻じ曲げていますので鵜呑みにしないでください。

これは細かく説明する必要があります

   兵器面
 小銃は両軍とも同レベルです、日本軍は三〇年式小銃(6.5mm5連発銃)を使用。ロシア軍はM1891モシン・ナガン(リーニアゲージ)小銃(7.62mm5連発銃)を使用しております。
 機関砲は日本軍はホチキス式機関砲(6.5mm25連発)を100挺ほど配備しました。ロシア軍はマキシム式機関砲(7.62mm500連発)及びガトリング式艦載機関砲を50挺地上に下ろして使用しています。両者の大きな違いは、日本軍の機関砲は4人で...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q在日韓国人などの人はなぜ祖国へ帰らないのですか?

よく在日韓国人の人は日本人と交わりたがらないくせに権利ばかり主張しているように思います、そんな彼らをみて「そんなにいやだったらさっさと国へ帰れよ!!文句いいながら日本にいすわるな!!ただ日本の経済力目当てだけにいるだけではないのか??」と正直思ってしまいます、帰化などもするようなきもないようですし。 戦後すぐには朝鮮半島が荒れていてかえれなかったという話なら十分わかるんですが最近は韓国も成長してきていっぱい職などもみつかりそうな気がするんですが・・・・。

ちなみに私は韓国や中国に対する戦前の行いはいくら建前を日本がつくろうが侵略だったことにはかわりないと思っています、が、戦後50年日本は謝り続けたにもかかわらず今現在も謝罪謝罪謝罪、日本は鬼だといいつづける彼らが正直好きではないです(中国の勝手な軍事行動や韓国の竹島の占拠などの態度もかんがみて)

荒れそうな質問ですがなるべく荒れないような真摯なご解答があると嬉しいです。

Aベストアンサー

質問:在日韓国・朝鮮人はなぜ帰化したくないの?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=996194

質問:在日朝鮮人を帰国させるように政府の方針を変えることは出来ないのでしょうか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=397244

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q「日々是好日」って?

「日々是好日」って何語でどういう意味ですか?
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

日々是好日(にちにちこれこうじつ)
というのは、禅語です。
茶席の禅語としても有名なものです。

意味は
毎日がよい日である、という意味ですが、これにはとても深い意味があり、

その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日であって、
日々の、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみなど
こういった良い悪いに対する執着がなくなり、
今日を素直に受けとめ、自然の中で生きているということを感じ、
1日を意のままに使いこなす、すごせる、というところに
真実の生き方がある、
というような意味です。

ムツカシイですよね・・・。

Q背広組と制服組

基本的なことだと思いますが、イマイチ分からないので教えてください
1)制服組とは幕僚長以下の自衛隊仕官のことをいうのでしょうか?
(下士官も制服組でしょうか)
2)背広組とは防衛庁の職員のことをいうのでしょうか?
3)文民統制の文民とは背広組の人たちをさすのでしょうか?
4)防衛大学出身者は背広組ですか制服組ですか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1)制服組とは自衛官のことを指します。幕僚長以下3士までの隊員です。自衛官は特別国家公務員です。医師や看護士もいます。もちろん普段の勤務は白衣ですが、制服を切ることもあります。
2)そうです。防衛庁職員は国家公務員です。広い意味では総理大臣や防衛庁長官も防衛庁職員ではないが背広組です。
3)そうです。
4)制服組です。現防衛庁長官は防衛大出身ですが、自衛官を退官(退職)して国会議員となっているので、背広組になります。

Q朝日新聞はなぜ韓国よりなの?

25日の朝日の社説見ました?
「日本と韓国ー二人の首脳に言いたい」って言うから,読んでみたら、案の定、
「盧大統領の談話はいきなり飛び出したのではなかろう。積もり積もった不信感が過激な言葉になったとみるべきだ」って結局小泉さんに文句をつけるわけね。
どうして、朝日新聞は韓国の肩をもつようなことばっかり書くんでしょうか。理由わかるかたおしえてください。こうゆう記事を書くと講読者数が増えるからでしょうか。
どうでもいいことですけど、北朝鮮の金日成スタジアムの広告、朝日新聞でてましたね。これも不思議ですね。

Aベストアンサー

やっぱり日本の国益を損なわせるような記事を書くのが
朝日の伝統だからじゃないでしょうか。

昔、小村寿太郎がロシアと条約を結んで
日露戦争を終わらせたことがありました。

ただ、小村は最大限の努力を尽くしたのでしょうが、
その条約の内容が戦勝国の日本に対して
決して満足できるものではなかったことから、
小村の実家は過激派によって焼かれる羽目になってしまいました。
これは高校の歴史科で勉強したと思います。

このとき過激派を扇動したのは朝日新聞(と毎日新聞)だといわれています。
調べれば分かりますが、戦中の朝日新聞は超右翼系のメディアだったことで有名です。

結局、右とか左とかは関係ないんです。
右は保守的、左は革新的と違いはありますが、
両方とも平和を望んでいることに変わりはないのですから。

愛国心最高!→愛国心持ってないやつは皆殺しだ!
これが極右。
平和最高!→平和を乱すヤツは皆殺しだ!
これが極左。
過激になると本質は何も変わりません。

つまり、朝日はもともと過激です。
戦中の右路線でも、現在の左路線でも、
頭のおかしなことを書いて突っ走ってることに変わりません。
だからだと思います。

やっぱり日本の国益を損なわせるような記事を書くのが
朝日の伝統だからじゃないでしょうか。

昔、小村寿太郎がロシアと条約を結んで
日露戦争を終わらせたことがありました。

ただ、小村は最大限の努力を尽くしたのでしょうが、
その条約の内容が戦勝国の日本に対して
決して満足できるものではなかったことから、
小村の実家は過激派によって焼かれる羽目になってしまいました。
これは高校の歴史科で勉強したと思います。

このとき過激派を扇動したのは朝日新聞(と毎日新聞)だといわれていま...続きを読む

Q帝国と王国の違いについて

帝国と王国の違いについて教えてください。

帝国の定義としては「ある特定の民族が他の民族や領土の支配をともなって統治している場合」という記述がありました。

歴史を見るとナポレオンは自らを皇帝と称しましたが、この時代のフランスは帝国ですか?

また明治維新以後敗戦までの日本は「大日本帝国」ですが、これは台湾や朝鮮などを支配していたからでしょうか?

ドイツは小王国に分かれていたのが統一されてドイツ皇帝
Kaizerを戴きましたが、ワイマール共和国が成立するまでは帝国だったと言えますか?

中国は明帝国、清帝国など、周辺の諸民族を柵封し、支配していたので帝国ですよね。

しかし、オランダ、スペイン、ポルトガルなどは植民地をもって多民族を支配していたのに、王国でした。

はっきりとした違いはあるのでしょうか。

Aベストアンサー

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取った国とその植民地をあわせて帝国と呼ぶことがあります。この場合、アメリカ合衆国やソビエト連邦のように君主国ですらない国についても帝国と呼ばれることがあります。

西アジア~南アジアではペルシャ帝国崩壊後、イスラム教のカリフ(後にスルタン)が皇帝と訳されるようになります。

ヨーロッパ圏ではローマ皇帝の後継を称する君主が名乗るものでした。エンペラーだのカイゼルだの、という称号はそれぞれ古代ローマのコンスルが有していた最高指揮権(インペリウム)、及びカエサルの名に由来します。ローマ帝国末期の東西分裂などのため皇帝位は大雑把に西系(ローマ教皇により戴冠)と東系(ビザンツ皇帝→ロシア皇帝)に分かれますから、皇帝が複数いる事態が異常とは思われていなかったようですが、相応の由緒と実質がないと他国が認めませんでした(ロシアの君主が皇帝となるのは1721年のことです)。

スペインが皇帝位を名乗らなかったのは、すでに本家オーストリアのハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を名乗っており、分家たるスペイン・ハプスブルク家が皇帝を名乗るわけにはいかなかった、という事情があります。
ポルトガルやイギリス・フランスといった他の王家が皇帝位を名乗れなかったのも同様の理由によります。

ナポレオン1世もローマ教皇から戴冠を受ける、という形式を整えた点ではこのラインに属しますが、あまりにもなりあがりぶりが露骨だったため評判はよろしくありません。また、神聖ローマ皇帝がありながら皇帝を名乗ったため、皇帝位の価値を下げた、とする見方もあります。いずれにせよ、まずありえないことですがボナパルト家の人間がフランスの君主になった場合、その人物はフランス皇帝を名乗ることになるでしょう。

オーストリアはナポレオン1世による神聖ローマ帝国解体後も皇帝位を維持しました。ただしオーストリア皇帝、ということになったため、結果的にプロイセンが統一したドイツが、我こそは神聖ローマ帝国の後継国家なり、としてドイツ皇帝を名乗る余地を与えています。

東アジアでは始皇帝が皇帝という称号を発明しました。それまで分裂していた中原諸国を統一した、という点で、王という称号に満足せず、伝説の三皇五帝からとって皇帝と名乗ったとされます。
本来は天帝から天命を受けた者が皇帝として地上を支配する、という建前なので、皇帝が乱立する分裂状態は中華文明としては異常事態と考えられていました。
中央アジアの遊牧民たちのハーン位も皇帝と訳される場合があるのは、中華皇帝が大ハーンを名乗ったことがあるためです。唐のように遊牧民への威圧から皇帝がハーンを名乗ることもあれば、元のように遊牧民が中国を占領して皇帝になる場合もあります。

日本はまあ、夜郎自大、という見方もありますが、大陸及び半島に対しては欧州の海に比べ格段に波の荒い海で隔てられた別個の文化圏と見るべきでしょう。なお、天皇の称号の由来はどうやらかの則天武后によるようです。
今となっては日本の天皇は世界唯一の皇帝になってしまいました。

大韓帝国は日清戦争により清の冊封体制から外れ独立国となったときに李朝の王が皇帝を称し、皇帝と名乗るにはいささか弱小でしたが、独立した君主国であることを明示しました。

エチオピアの君主は15世紀ころから皇帝を名乗っていましたが、1974年に社会主義クーデタにより最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されました。

中央アフリカでは1976年のクーデターでボカサが政権を掌握、77年に壮大な戴冠式を挙行して皇帝を名乗りましたが79年に失脚しました。数々の残虐行為で何かと物議を醸した人物で、大統領と名乗っておけば十分なところを皇帝と称し、戴冠式まで挙げたのは彼の虚栄心のなせる業と思われます。

以下蛇足。
 奇人変人の類ですが、アメリカ合衆国皇帝にしてメキシコの護国卿ノートン1世、なんて御仁もいました。よーするに南北戦争前後、19世紀後半のサンフランシスコにいた浮浪者なんですが、なぜかアメリカ皇帝を名乗った人物です。当時のサンフランシスコ市民も相応の敬意を払って彼の発行した国債を引き受け、税を納め(商店主に月50セント)、汽車などの交通費は請求せず、衣装や靴が傷んだら洋品店が無料で代わりの品を献上(?)したとか。1880年に死去した際、彼の葬儀には1万人以上の市民が参列したといいますから立派なものです。

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取...続きを読む


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