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江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

A 回答 (7件)

地方の貧乏侍ってことで、「たそがれ清兵衛」おすすめです。


夜は、かごを作ったりと内職していますよ。
お城では事務をしてるようです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007WA …
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この回答へのお礼

百聞は一見にしかずですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/26 09:22

 侍は確かに今で言う公務員ですね。


 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

一部の職務では忙しいところもあったけれど、総じてかなりヒマということでしょうか。仕事なし、お金なしでは、精神生活は、かなり暗澹たるものだったのかな。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/26 09:21

侍と言っても、かなりの幅(加賀前田藩で1万石以上の禄を取っていた殿様級からそれこそ3両1人扶持まで)がありますから一概には言えません。

また、江戸時代と言っても260年以上続いているわけですから、これまた時代によって違います。(たかが64年間の昭和時代と言っても戦前と戦後は全然違うでしょう? その4倍の時間ですから)
それで、一応たぶんこんなイメージだろうなぁ、と思われる「侍」で言うと・・・。
良い本があります。「元禄御畳奉行の日記」(中公新書)です。元禄時代(5代将軍)の尾張藩中級家臣の日記です。日常の細々とした生活がよく分かりますし、当時の「公務員」の雰囲気も判ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私の頭の中では、自衛隊と事務系公務員をどうやって統一すればよいか混乱してます。ご紹介の本を読んで考えてみたいと思います。

お礼日時:2005/09/26 09:14
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

戒石銘を見て、ふと、思いましたが、この当時の公文書は、皆中国語だったんでしょうかね。

お礼日時:2005/09/26 09:11

No2です。



役人の仕事は今も昔もあまり変わってないような気がします。
直接の答えではありませんが、福島県二本松市にある二本松城址(霞ヶ城址)の前に、「戒石銘」と呼ばれる大きな石碑があります。
二本松の5代藩主丹羽高寛(たかひろ)公が藩の儒学者の岩井田昨非の進言により、藩士の戒めとするため、命じて刻ませたものです。
石碑の文面は参考URLをご覧下さい。
今こそ、霞ヶ関あたりに置いておきたい石碑だとは思いませんか?
今も昔も役人(公務員)のやってることに違いがない一番の証拠です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/26 09:05

禄をもらっていた侍は今の公務員だと思ってください。


禄はもらわず、親の家に居候(部屋住みといいました)している侍(跡取り以外)は、他家の跡取りに婿に入るか、他藩に仕官できなければ生涯ニート。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

江戸時代の公務員は何をしていたのでしょうか?

補足日時:2005/09/25 14:08
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日中は行政の仕事以外では学問・兵法などの勉強、馬や弓・剣術の稽古…だったかな。

で、風呂に入りご飯を食べたあとは囲碁や将棋などを楽しんだ…そうです。

ずいぶん昔に読んだ本からの記憶なので頼りないですが…だいたいこんなもんだったと思います(^-^;)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/25 14:10

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