集合論における選択公理は,現行の表現のままでは,
循環論法的主張になってしまっているのではないでしょうか?

つまり,それぞれの集合族について選択関数が選べると言っても,
選択関数は沢山あるから,1つ1つの集合族についてどの選択関数を選んだらよいか,
選択しなければいけないのではなでしょうか?
すると,選択関数を選択するのに,
また選択公理を使って選択しなけばいけないが,
それを選択するのにまた選択公理を使って・・・??!
これでは,いつまで経っても選べない!

だから,選択公理は,
すべての集合から成る領域において定義された選択関数の存在
を主張しないといけないのではなでしょうか?

従って,公理の表現を次のように改めないといけないと思うのですが・・・
∃f:V-{φ} → V ,∀a∈V ,∀x∈a ,x≠φ ⇒ f(x)∈x
(f:選択関数,V:すべての集合(族)からなる領域,φ:空集合,a:集合族,x:集合)

「強い選択公理」とか「弱い選択公理?」とかもあるようですが、
上記の点はどうなのでしょうか?

A 回答 (12件中11~12件)

> ∀a∈V ,∀x∈a ,x≠φ ⇒ ∃f:{x}→ x,f(x)∈x



これ、限量子(∀や∃)のスコープが分かりにくいのですけど
∀a∈V(∀x∈a (x≠φ ⇒ ∃f:{x}→ x(f(x)∈x)))
の積りだったら間違ってますよ。

正しくは
∀a(∀x∈a(x≠φ)⇒ ∃f:a → ∪a(∀x∈a(f(x)∈x)))
即ち、全ての元が空集合でない集合族aに対してaの各元xに対してxの要素を対応させる関数fが存在する。
このfが選択関数になるわけですね。

ちなみにこの選択公理は弱い形ではありません。他の公理の内容によるかもしれませんけど。
弱い選択公理というとaが可算集合に限定される可算選択公理など幾つかのものがあったと思いますけど、そういうのとは違うのかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答をありがとうございます!
論理式での表現は分かりにくいので、普通の文章で述べてみます。

私の示した「最も弱い?」選択公理は、
「すべての集合族aの、それに属する空でないすべての集合x(の1つ1つ)について、
ある選択関数fが存在して、代表元f(x)を選ぶことができる。」 … A
という内容のものです。

それに対して、No.2さんの示した選択公理は、
「すべての集合族a(の1つ1つ)について、ある選択関数fが存在して、
それに属する空でないすべての集合xについて、その代表元f(x)を選ぶことができる。」 … B
という内容のものです。

そして、私が最初の質問の中で示した「最強の?」選択公理は、
「ある選択関数fが(ただ1つ)存在して、すべての集合族aに属する空でないすべての集合xに対して、
代表元f(x)を選ぶことができる。」 … C
という内容のものです。

この3つの「公理」について、本来の「選択公理」は
ご指摘の通り2番目の「公理B」を指している、ということだと思われますが、
もし、「公理A」では代表元f(x)を選ぶには不十分なので「公理B」を採用する、
というのであれば、全く同じ理由により、
「公理B」では代表元f(x)を選ぶには不十分なので「公理C」を採用する、
ということにはならないのでしょうか?

つまり、
「空でない集合xの1つ1つについて、常に選択関数fが存在する」
という「公理A」には問題があるので「公理B」を採択したのであれば、同じように
「空集合を元として持たない集合族aの1つ1つについて、常に選択関数fが存在する」
という「公理B」にも問題があるのではないでしょうか?
だから「公理C」を採択する必要がある、という事なのですが・・・

どうなのでしょうか?

お礼日時:2005/09/29 05:46

あなたが循環論法的と考えている選択公理を形式記述してみてください。

ついでに他の集合論の公理も。
選択公理を正しく理解して記述すれば全く循環論法的とは思わないはずです。

ちなみに質問の最後に記述してある形式記述はfが集合にならないので集合論的に無理があります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速にご回答をありがとうございました。
私は集合論の専門家ではありませんので、不適当な記述や表現についてはどうぞご指摘ください。

他の「外延性の公理」や「正則性の公理」などは今書き出しませんが、
私が知っている(1番弱い?)選択公理を「集合論の記号?」で書くと、
∀a∈V ,∀x∈a ,x≠φ ⇒ ∃f:{x}→ x,f(x)∈x
(V:すべての集合(族)からなる領域(クラス),a:集合族,x:集合,φ:空集合,f:選択関数)
ですが、どうなのでしょうか・・・?

なお、
「質問の最後に記述してある形式記述では、選択関数fが集合にならないので・・・」
とありますが、「これでは無理がある」ということであれば、
「選択関数f」の代わりに「直積の部分集合f」
としても構いませんが・・・

どうでしょうか?

お礼日時:2005/09/28 00:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q大学数学の勉強のしかた

大学で学ぶ数学の勉強の仕方に迷っています。

(1)高校までは、公式を覚える→問題演習 という流れで勉強をしていました。高校数学は、大学入試の問題が解けることがゴールだと思っていました。しかし、大学の数学は、何ができればゴールなのでしょうか?

(2)高校では、公式を覚え、問題を解いてました。大学の数学では定理、定義、命題、補題など、公式らしきものの量が多いですよね?全て覚えようとしたら相当な暗記量を強いられます。これらは全て暗記、または自力で導き出せるようにする必要があるのでしょうか?

(3)定理などは全て証明がついていますが、これらの証明を全て自力でできるようにならなければならないのでしょうか??

今、微積分、線形代数、集合論、ルベーグ積分などを勉強しています。今僕がやっている方法は、教科書の定理、定義などを暗記し、証明はわかるところだけ読んでいます。問題演習は、やったりやらなかったりです。
しかし、この方法だと、定理などの証明が理解できないことが多く、なかなか先に進みません…

以上が、勉強していく上での疑問です。どなたかアドバイスいただければ幸いです。

大学で学ぶ数学の勉強の仕方に迷っています。

(1)高校までは、公式を覚える→問題演習 という流れで勉強をしていました。高校数学は、大学入試の問題が解けることがゴールだと思っていました。しかし、大学の数学は、何ができればゴールなのでしょうか?

(2)高校では、公式を覚え、問題を解いてました。大学の数学では定理、定義、命題、補題など、公式らしきものの量が多いですよね?全て覚えようとしたら相当な暗記量を強いられます。これらは全て暗記、または自力で導き出せるようにする必要があるのでし...続きを読む

Aベストアンサー

大学での学び方に関する本は何冊も出版されていますから、図書館で探されてはいかがでしょう。
 本格的な数学の学び方に関する本であれば、

伊原 康隆 (著)志学数学―研究の諸段階・発表の工夫 シュプリンガー数学クラブ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4431711406/

数学セミナー編集部 (編集)数学ガイダンスhyper
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535784272/

ブックガイド <数学>を読む 岩波科学ライブラリー 113
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000074539/

などは薄いし、大学図書館にも入っているでしょうし、一読する価値はあると思います。

 また、日本評論社の『数学セミナー』、サイエンス社の『数理科学』、現代数学社の『理系への数学』といった理系の大学生向けの数学雑誌が大学図書館に入っていないわけはないと思いますし、時期的に勉強の仕方を扱った記事も載っていると思いますから、少し時間を作って、バックナンバー含め眺められてはいかがでしょうか。

大学での学び方に関する本は何冊も出版されていますから、図書館で探されてはいかがでしょう。
 本格的な数学の学び方に関する本であれば、

伊原 康隆 (著)志学数学―研究の諸段階・発表の工夫 シュプリンガー数学クラブ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4431711406/

数学セミナー編集部 (編集)数学ガイダンスhyper
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535784272/

ブックガイド <数学>を読む 岩波科学ライブラリー 113
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000074539/

...続きを読む

Qラッセルのパラドックスと公理的集合論

当方、数学についてはシロウトですが、お許しください。
集合論関係の本を読んでいてどうしてもわからないことがありまして。

ラッセルのパラドックスというのがありますよね。
このパラドックス自体は飲み込めたつもりですし、そういった類のパラドックスを避けるために公理系を整備するという発想も、まあ判る気がします。

が、例えばZF公理系ならば、どうしてラッセルのパラドックスが回避可能なのかがよくわからないのです。外延性公理から正則性公理まで眺めてみても、なぜこの公理系を採用すればパラドックスが起きないのかピンときません。

どなたかお詳しい方、解説をお願いできませんでしょうか。

Aベストアンサー

(1) 内包・外延の概念
モノの範疇を性質で指定するのが内包、要素の集まりとして指定するのが外延ちうこってす。よく用いられる例として
『「明けの明星」と「宵の明星」は内包としては異なるが、外延としては(どっちも金星のことだから)同じ』
『「4面体」と「三角錐」は内包としては異なるが、外延としては同じ』
などがありますね。

(2) {x | φ(x)} と書けても、それが集合かどうかは別問題。
∀x(x∈y ⇔ φ(x)) となるyのことを{x | φ(x)} と書くのは構わんのですが、でも、こう書いた物を無条件に集合だと認めてしまうとラッセルのパラドックスが出ます。ですから、{x | φ(x)} と書いてあっても、これが集合とは限らない、という立場を取る。ところで、それがもしも集合であるなら、(外延の公理により)それは一意的です。
 つまり、勝手なもの{x | φ(x)}を持って来て「これは集合か否か」と尋ねてみても、ZF公理系は単に「もしそれが集合なら、それは一意的です。」とだけ述べていて、集合かどうかの判定法など提供してくれやしません。(丁度、屏風の虎を追い出してくれたら捕まえてやる、と言ってるようなもんです。)これじゃ手も足も出ないような気がしますが、実はそうでもない。
 
(3) 数学で使う集合は、素性が分かっている。
 確かに集合になってると分かっているものを素材にして組み立てた集合は、こりゃ確かに集合だと言えます。では、最も基本的な素材となる「集合になってることが確かなもの」って何か。ひとつしか思い当たりません。それは空集合です。
 空集合{}を素材にして、対の集合(例えば{{},{{}}})、既に存在する集合の部分集合と合併集合、べき集合という手段で組み立てて行けば、有限集合が作り出せます。さらに無限公理を入れてようやく自然数の集合が作れる。こうして作られる素性の分かったモノ(対象)だけを、数学では扱う。

(4) となると、「あらゆる集合は空集合を素材にして作れるのか(そんなはずないよ!)」、すなわち「空集合を素材にしたのでは作ることのできない集合があるかどうか(あるに違いない!)」ということが気になるかもしれません。
 ところが、空集合を素材にして作ることのできないモノは、(それが集合であるか否かに関わらず)数学の中に顔を出す機会がない。数学に出て来ない『屏風の虎』があるかないかなんて、数学にとってはどうでも良い事です。だから、ZF公理系はそんなものについては(あるともないとも言わずに)単に放置プレイしてあるんです。
 
 かくて、ラッセルの{x| not(x∈x)}というモノも(素材から作れるモノではないから)数学の中に入り込めないまま放置プレイされる。

という仕組みです。

 以上をまとめて別の言い方をすると:
 公理論的数学は「集合」の概念を、『現実に存在するものを要素と考えたときの「集合」の概念(素朴な「集合」の概念)』よりもずっと狭い別の概念として定義する(つまり空集合から作り出されるものだけを「集合」とする)ことによって、ラッセルのパラドックスをハジキ出した。
 また、このことは、『現実の存在(実存)を指して言う「存在」と、数学でいう「存在」は、全く異なる意味を持つ』ということをあからさまに示しているとも言えましょう。

(1) 内包・外延の概念
モノの範疇を性質で指定するのが内包、要素の集まりとして指定するのが外延ちうこってす。よく用いられる例として
『「明けの明星」と「宵の明星」は内包としては異なるが、外延としては(どっちも金星のことだから)同じ』
『「4面体」と「三角錐」は内包としては異なるが、外延としては同じ』
などがありますね。

(2) {x | φ(x)} と書けても、それが集合かどうかは別問題。
∀x(x∈y ⇔ φ(x)) となるyのことを{x | φ(x)} と書くのは構わんのですが、でも、こう書いた物を無条件に...続きを読む

Q最大元と極大元の定義の違いが分かりません

数学の基礎「齋藤正彦著」p22からの抜粋です。

定義
(X,≦)を順序集合,AをXの部分集合とする。
「1) aがAの元でAの全ての元xに対してx≦aが成り立つ時,aをAの最大元といい,maxAと書く,Aの全ての元xに対してa≦xが成り立つ時,aをAの最小元といい,minAと書く。最大元や最小元は存在するとは限らない,あるとすれば一つしかない。
2) aがAの元で,Aのいかなる元xに対してもa<xとならない時,aを極大元という。x<aなるAの元が存在しない時,aを極小元という。極大元や極小元は存在しない事も有るし,沢山存在する事もある」

と定義が紹介されてるのですが最大元と極大元についてのこの文意
"aがAの元でAの全ての元xに対してx≦aが成り立つ"と"aがAの元で,Aのいかなる元xに対してもa<xとならない"
とは同値だと思います。
違いが分かりません。

一体,どのように違うのでしょうか?

Aベストアンサー

>最大元と極大元の定義の違いが分かりません
最大元と極大元は抽象的に考えても違いが分からなくて当然だと思います。ここは具体例で理解するのがよいと思います。

例はいろいろ考えられますが、たとえば、(x,y)∈R^2について、
(x1,y1)≦(x2,y2)をx1≦x2かつy1≦y2と定義します。
A={(0,0),(0,1),(0,2),(1,0),(1,1),(2,0)}
のとき、Aの最大元は存在しませんが、極大元は3個あります。ちなみに最小限は(0,0)の1個ですね。

ところで、最大元が存在する場合は、全順序集合、半順序集合に関係なく、それは極大元でもあります。しかし、その逆は成り立ちません。
その意味で、「同値」ではありませんね。

QZornの補題の意味は何?

Zornの補題の意味についての質問ですが、Zornの補題:順序集合Aの任意の全順序部分集合が有界ならぼ、Aは極大元を持つ、というのが、数学の教科書に載ってますが、意味がさっぱり分かりません。その理由を言えば、例えば、実数の区間Aとして、実数体Rの部分集合である、全順序集合{x|x is a real number, 0<x<2}をとれば、Aの任意の全順序部分集合は有界なので、Zornの補題より、Aには極大元(よって、この場合、最大値)が有る事になりますが、あきらかに、Aには極大元(最大値)はありません。私の考えではこのような矛盾が出てきてしまうので、Zornの補題の意味がわかりません。何か、その意味を勘違いしてるのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

http://okwave.jp/qa2205290.html
下記のリンク先が参考になりませんか。
また松村英之朝倉書店  集合論をみればいいかとも思います。

参考URL:http://okwave.jp/qa2205290.html

Q上極限、下極限が理解できません

大学で習っているのですが、limsupやliminfなどが定義を見ても、どういう意味なのか理解できません。

上界、下界、上限、下限については例があったので、なんとか理解することができました。


X={1,2,3}⊆Zのとき、下界の1つとして0がとれる。

こんな感じで、簡単な例つきで説明して下さると、理解できると思うのですが・・・。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

上極限

sin(n)で考えましょう。nは自然数です。
sin(n)は振動しているので極限はないけど、
「nが大きい時(というか初めからだけど)1を超えることはない」
「1付近の値を何回も(無限回)とる」
から1が上極限です。
ことばでいえば、
「ずっと先のほうでは、上極限の値より大きくならない」
(極限の意味でです。∀ε>0に対し上極限+εより大きくならないってことです)



この例では下極限はー1ですね。

(sin(n)-1)*n の場合だと、
上極限は0で、下極限は「なし」(-∞)となりますね。

Q選択公理を使った証明。

以下の証明を詳しく教えてください。

fをAからBの写像とする。
fが全射であるとき、またそのときに限りf○s=I_Bとなるような写像s:B→Aが存在する。

fが全射であると仮定する。
すると、Bのどの元bに大してもその原像f-1(b)は空でない
したがって、f-1(b)=A_b(bはBの要素)とおけば、A_bは空でない集合からなる集合族となる。ゆえに選択公理より、Bで定義された写像sですべてのBの要素bに対してs(b)=A_bとなるものが存在する。s(b)⊂ A_b ⊂ Aであるから、このsに対してf○s=I_bが成り立つ。

これは、Aを集合系だと仮定してますよね。

この証明を詳しく解説してくださるとうれしいです。

Aベストアンサー

● ANo.3 の [ お礼 ]欄 において、statistics_road さん は次のとおりに記述なさいました。「 f^{- 1}(b)というのは f における b の原像ですよね。これは写像ですから個々の b に対して 1つずつ 設定されているわけですよね 」

  ここでつまづいているようですね。一般に、f^{- 1} は写像である場合もありますし、そうでない場合もあります。

  確実に言えることは、この f^{- 1} は「 f の逆対応 」あるということです。この逆対応については、「 集合・位相入門 」26ページ で説明されています。
  この f の 逆対応f^{- 1} が写像となるための必要十分条件については、34ページ の 定理4 で説明されています。

  定理4
  写像f: A→B の 逆対応f^{- 1}: B→A が写像となるための必要十分条件は、f が A から B への全単射であることである。またそのとき、f^{- 1} は B から A への全単射となる。

  34ページ には、次の記述も見られます。

  f: A→B が全単射である場合、定理4 によってその 逆対応f^{- 1}: B→A も写像となるが、それを f の逆写像という。

● 以上のことをふまえて、再び 48ページ の 定理7 (a) における ⇒ の証明について考えてみましょう。

  仮定では、f は全射となっています。全単射とは明記されていません。ですから、この場合の f の 逆対応f^{- 1} は写像である場合もありますし、そうでない (= "単なる" 対応である ) 場合もあると、考える必要があります。
  仮定では、f は全射となっていますから、集合B から任意に取り出した要素を b と表わすことにするとき、f による b の 原像f^{- 1}(b) = A_b は空集合ではありません。ですから、A_b が含む要素の数は 1個 以上であるということです。もちろん、A_b は 集合A の部分集合です。
  そして、B から任意に取り出した 2つ の要素を b, b' と表わすことにするとき、b ≠ b' ならば A_b∩A_b' = φ です ( もし A_b∩A_b' ≠ φ ならば f は写像ではなくなってしまいます )。よって、すべての b ∈ B の f による原像をかき集めた和集合は、直和という形になります ( 直和の説明については、16ページ をごらんください )。もちろん、直和という形になっているその和集合は、集合A と等しくなります。

● ANo.3 の [ お礼 ]欄 において、statistics_road さん は次のとおりに記述なさいました。「 f^{- 1}(b)というのは f における b の原像ですよね。これは写像ですから個々の b に対して 1つずつ 設定されているわけですよね 」

  ここでつまづいているようですね。一般に、f^{- 1} は写像である場合もありますし、そうでない場合もあります。

  確実に言えることは、この f^{- 1} は「 f の逆対応 」あるということです。この逆対応については、「 集合・位相入門 」26ページ で説明されています。
  この f...続きを読む

Q環の準同型定理

今、環の準同型定理で詰まっています。
これはどういうことを表しているのですか?
また証明も知りたいです

Aベストアンサー

以下は私の考えを私のことばで書いたものである。きちんと本で確認し、自分で考えを深めてね。


【環の準同型定理とは何ぞや】

R/ker f と f(R) が、自然な対応で加法群として同型になっている。環同型でも見えてるものは同じである。

なのでまず、R/ker f に乗法が入ることを示す。f(R) の方は自明である。
R/ker f の乗法は R から引き継がれる。
剰余類どうしの乗法は、ひとつの類の任意の元にもうひとつの類の任意の元をかけると、そのどれもがただ一つの類に収まることで決まる。
そのことを示すには、a+ker f=a'+ker f 、b+ker f=b'+ker f ならば ab+ker f=a'b'+ker f を示せばよい。
言い換えると、a-a' , b-b'∈ker f ならば ab-a'b'∈ker f を示せばよい。
これは ab-a'b'=a(b-b')+(a-a')b' と変形すれば示せる。
この乗法は R から自然に入るので、結合則も分配法則も従う。
また、1+ker f は R/ker f の単位元であることも容易に示せる。

次に、写像 F : a+ker f → f(a) が同型写像であることをいう。
これはすでに加法群の同型写像なので、F((a+ker f)(b+ker f))=F(a+ker f)F(b+ker f) 、F(1+ker f)=1' を示せばよい。これは容易だ。


要するに環の準同型定理とは、R/ker f には R から引き継いだ環の代数構造が自然に入って環になり、f(R) もまた R から、折り畳まれながら押し付けられてできた新しい環の構造が R' の中にもともとあった部分環として実現されていて、それらの環の構造はぴったり同じであるということである。
その対応は準同型写像 f から引き起こされる。


【環を加法群と見たときの剰余群に、自然に乗法が入るかどうかについて】

実数体 K 上の多項式環 K[x] において、x で生成される部分環は Z[x]x である。一方、x で生成されるイデアルは K[x]x である。イデアルとは、もとの環の元をその元にかけると自身に吸収してしまう部分環のことである。
加法群の剰余群は加法群であるが、それに乗法が入るかどうかを確かめてみる。
K[x]/Z[x]x においては、1.7x-0.7x , 10x-x∈Z[x]x に対して 1.7x・10x-0.7x・x∈Z[x]x でないので、自然な乗法が入らない。
一方、K[x]/K[x]x においては、p-q , r-s∈K[x]x ならば pr-qs=(p-q)r+q(r-s)∈K[x]x なので K[x] から乗法を引き継ぐ。

これが、ただの部分環とイデアルの違いである。


【数学地方の方言「つぶす」】

数学を勉強していると、「つぶす」という表現に出会うことがある。同値関係で「割る」とか、代数系をそのイデアルで「割る」とかのことである。
同値類や剰余類は集合族であるが、「つぶす」とは、それらの集合を点のように扱うばかりでなく、構造のあるものにはその構造が衝突することなく折り畳まれて構造を再構築するようにうまくやることである。(私たちはこれを、{偶数、奇数} の演算で感覚的に知っている。偶数や奇数を集合のように扱ったり、そうでなかったり)
特に環準同型 f の ker f など、f によって 0 という1点につぶれ、他の剰余類も1点につぶれるので、まさに点と見なせてわかり易い。さらに、環の構造も、形は変われども引き継がれる。
ker f の話が分かりやすければ、イデアルで割る場合も同様である。
なぜなら、R のイデアルを I とするとき、自然な準同型 f : R → R/I に準同型定理を当てはめれば ker f = I となるからである。
イデアルで割ることも、イデアルにまつわるものを 0 につぶすことなのである。

つぶしてやると、ときにはオリジナルにはなかった構造が再構築されることがある。
可換にしたり、0 以外の零因子を生み出したり消したり、閉じてないものを閉じたりなどである。


===
伝えたいことを言葉を替えて何度か書いて冗長になった。
さりげなくだじゃれを差し込めて満足だ。

以下は私の考えを私のことばで書いたものである。きちんと本で確認し、自分で考えを深めてね。


【環の準同型定理とは何ぞや】

R/ker f と f(R) が、自然な対応で加法群として同型になっている。環同型でも見えてるものは同じである。

なのでまず、R/ker f に乗法が入ることを示す。f(R) の方は自明である。
R/ker f の乗法は R から引き継がれる。
剰余類どうしの乗法は、ひとつの類の任意の元にもうひとつの類の任意の元をかけると、そのどれもがただ一つの類に収まることで決まる。
そのことを示すには、a+k...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報