先日、NHKにて記念番組で 聖徳太子のドラマを放送してました。
私も家内もちょっと興味があったので 他の番組を見るより少し真剣に見入ってましたが、親・兄弟の関係が分からすあれは聖徳太子からだれにあたるのか?蘇我馬子のだれなのか?お互い聞きあいしながらもよく分からないまま見終わりました。蘇我馬子が影で操ってるのは分かりましたが・・・^^;
聖徳太子の頃から大化の改新の頃までの系図が分かるURL等ご存じの方いらっしゃいませんか?
単に自己満足の為の質問で大変恐縮ですが よろしくお願いいたします。

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A 回答 (1件)

iiyanka さん、こんばんは~☆♪



ドラマの中の「系図・人物相関図」なら、

公式サイトに記載されておりますが。。。

下記のURLをご参照くださいませ。


http://www.nhk.or.jp/osaka/shotokutaishi/shotoku …

http://www.nhk.or.jp/osaka/kinen/menu_01.html#c

少しでもご参考になれば、幸いです。


ではでは☆~☆~☆        - by パピヨン -

参考URL:http://www.nhk.or.jp/osaka/shotokutaishi/shotoku …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これを見てドラマを見れば良かったです。

お礼日時:2001/11/14 09:46

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聖徳太子が存在しなかったら17条の憲法も存在しないはずなのに存在してるし、中国の方も聖徳太子を認識してたわけで中国の方も聖徳太子に仏教の書を送ったのに聖徳太子がいなかったら受け取れてないし聖徳太子がいなかったというのはさすがに無理があるのでは?

Aベストアンサー

歴史は、事実が明らかになることで
常に進化しています。


厩戸王(うまやとおう)が
聖徳太子の本当の名前です。


「伝説の学習参考書」と呼ばれた『大学への日本史』では
人物名は「聖徳太子」とせず、本来の名である

「厩戸王(聖徳太子)」

としています。

次第に「聖徳太子」の名前が消えて行くので
「存在しなかった」となるんでしょうかね。


そして

・冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
・憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
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・・など新事実も明らかになってきています。

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ローマ帝国の皇帝位は系図的に代々つながっていますか?
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はじめから「断絶」しっぱなしだけどね.

例えば初代皇帝アウグストゥスから調べていっても 5代皇帝ネロで切れる. その後いわゆる「四皇帝の年」を経て皇帝となったヴェスパシアヌスの系統も 3皇帝 (ヴェスパシアヌスとその子 2人) しかつながらないし, さらにその後の「五賢帝」においても「家系」としては (ネルヴァとトライアヌスの間に血縁関係はないので) 計 6人 (ただし姻族関係を通じてその後のセウェルス朝につながる). その後は「家系」もなにもない時代に突入し, 一族による皇帝独占もときどきあったものの長続きせず西ローマは崩壊へとつながる.

Q聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

●国民期待の聖徳太子(当時国民という意識はあったのか?公地・公民だから大丈夫?)
●聖徳太子はコックさん(料理が得意だったり、そういう役目だったの?)
●ご苦労さんです聖徳太子(ご苦労さんて上から目線かな?596年と間違いやすい。)
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●国産大好き聖徳太子(遣隋使も送ってたから国産大好きとは言いがたいか?)
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ネットで調べたり自分で考えたりして上記のような語呂合わせが集まりました。
括弧の中はちょっとした疑問点です。
更に良い語呂合わせはあるでしょうか?もしくは上記の中でこれが一番だというのがありましたら理由を教えてください。時代背景までわかるような語呂合わせなら最高です。

Aベストアンサー

敢えて、この中から選ぶとすれば、

●極彩色な聖徳太子

が時代背景にも反映されますし、一石二鳥かと。

何故に極彩色かと言えば、聖徳太子は「冠位十二階」を制定しています。603年に定められた位階制度です。推古天皇の摂政となった、丁度10年後ですね。位は冠の色で区別されています。

1.大徳 (だいとく)(濃紫)
2.小徳 (しょうとく)(薄紫
3.大仁 (だいにん)(濃青)
4.小仁 (しょうにん)(薄青)
5.大礼 (だいらい)(濃赤)
6.小礼 (しょうらい)(薄赤)
7.大信 (だいしん)(濃黄)
8.小信 (しょうしん)(薄黄)
9.大義 (だいぎ)(濃白)
10.小義 (しょうぎ)(薄白)
11.大智 (だいち)(濃黒)
12.小智 (しょうち)(薄黒)

どうです。極彩色でしょ?最初の語呂合わせから10年後に冠位十二階は非常に覚えやすいですし、時代背景も映し出してますし、最適な語呂合わせと思われます。更に翌年604年には「十七条憲法」がやはり聖徳太子により制定されています。連動してて覚えやすいですよね?試験なんかでは、よく間違えやすいところです。

次の文章の間違いを指摘せよ
「推古天皇の摂政となった聖徳太子は604年に冠位十二階制度という位階精度を定め、冠の色で役職を区別した」

もう間違えやすい紛らわしい問題ですが、もうお分かりですよね?冠位十二階は「極彩色な聖徳太子」が10年後に定めた制度ですから、604年では無く、603年が正解です。

この語呂合わせで覚えればオールOKです。

敢えて、この中から選ぶとすれば、

●極彩色な聖徳太子

が時代背景にも反映されますし、一石二鳥かと。

何故に極彩色かと言えば、聖徳太子は「冠位十二階」を制定しています。603年に定められた位階制度です。推古天皇の摂政となった、丁度10年後ですね。位は冠の色で区別されています。

1.大徳 (だいとく)(濃紫)
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3.大仁 (だいにん)(濃青)
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5.大礼 (だいらい)(濃赤)
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本名厩皇子といい推古女帝の甥で政治・経済・軍事・外交などすべてを担当していたのは、当時の中国で女性は相手にされないからです。
ただこれほど偉大な人物が天皇になる前に死んだので多大の同情を招き怨霊信仰の対象になったと思われる。

聖徳太子の聖徳は、謚で死後付けられた名前です。
徳の付く謚を持つ天皇・皇族は、仁徳、安徳、顕徳、順徳、崇徳、文徳といますが、不幸な死に方をした人達ばかりで怨霊になる恐れがあります。  「徳」の字は、それを鎮める意味があると思います。
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Aベストアンサー

聖徳太子が十人の訴えを同時に聞き答えたという、いわゆる豊耳皇子の逸話は、平安初期(つまり聖徳太子の没後300年も後)に書かれた「聖徳太子伝暦」に最初に見えます。これは日本書紀中の太子の紀伝をベースにして、太子にまつわる説話、奇談を加えて編まれたもので、史実的信憑性は薄いです。むしろ、聖徳太子の奇瑞を面白く書くことで当時の関心を誘ったものでしょう。太子が馬厩で生まれたこと、生まれてすぐにしゃべったことなど、彼の超人的イメージはこの作品から流布したものです。

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Q浄土真宗のお寺になぜ聖徳太子?

浄土真宗のお寺はどこでも聖徳太子を阿弥陀様の横にお祭りしていますがどうしてですか?親鸞聖人が聖徳太子を大変敬われたからだと聞きましたが
それはなぜでしょう?聖徳太子は在家の方で親鸞聖人も同じ在家だからだと聞いた事はあるのですが。聖徳太子はあらゆる宗派、一部の神道にまで崇拝され、未来預言やオカルトまがいの話まであります。専修念仏とか阿弥陀一仏礼拝ということに結びつきにくいのですが。

Aベストアンサー

坊さん@浄土真宗です。聖徳太子は通常は阿弥陀さまの横には安置しません。内陣ではなく余間です。お祭りでもありません。
信仰上の礼拝の対象ではありません。あくまで敬う意味合いで安置しているのです。
聖徳太子さまは、親鸞聖人が「和国の教主」とまでおっしゃっていて、たいへん尊敬なさったお方です。
親鸞聖人が二十年の比叡山での修行に決別して、師である法然上人とお出遇いになるきっかけが六角堂での百日間参龍における聖徳太子さまの夢告であったといわれています。つまり、親鸞聖人にとっては、聖徳太子さまはとても大切なお方だったのです。親鸞聖人は自らの和讃(正像末和讃)で聖徳太子さまのことを
「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 
 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」
と「和国の教主」として、仏教を日本でもさかんにしようとして594年に仏教興隆の詔(みことのり)を出し、四天王寺や法隆寺を建て、また、経典を研究し「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書をあらわした(その太子の仏教奨励策の結果で飛鳥地方を中心に仏教文化がさかえた。)聖徳太子さまを常々お敬いだったのです。そのお心を受け継いでいるのが真宗寺院なのです。
したがって私たちも、聖徳太子さまをお敬いするのです。

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いきなり考え込んでしまったのです。
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Aベストアンサー

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聖徳太子のお話です。
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 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族がいたことは間違いないと思います。

 そこで、聖徳太子をもしもう少し調べてみてもいいようなら、実在していることを前提にしっかり書かれていながら、信仰としての聖徳太子についてもしっかり書かれている、岩波新書の「聖徳太子」(吉村 武彦著)がおすすめです。
 マンガでは私は、「日出処の天子」(山岸涼子)(白泉社)をおすすめします。日本の古代研究の第一人者梅原猛先生のお墨付きももらっているマンガです。聖徳太子が超能力者的に描かれていてウソの話が多すぎると言う意見もあるが、彼の伝説にそういう話は結構あって、その他当然つくられた話の部分もありますが、その当時の時代の雰囲気がつかめるおもしろい作品です。池田理代子さんの作品もいいですよ。
話がそれてしまいました。聖徳太子ってとてもおもしろい存在です。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/umayado/who/book/books.htm

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昔、テレビで夢を操れる民族についてやっていたのですが、何処のなんていう民族なのかわかる方いらっしゃいますでしょうか??

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--というような事を言っていました。
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Aベストアンサー

手持ちの講談社文庫にあるこれではないでしょうか。この本はマレー半島(マレーシア)のセノイ族の話です。

参考URL:http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2633868


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