
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
朝鮮総督府は、韓国の王宮である景福宮(キョンボク)と、その前に延びる世宗路の間にありました。
世宗路からみると、王宮の前に立ちはだかるように聳えていたそうです。また、最終的には避けられたものの、建設に際しては王宮の光化門を取り壊してしまうという計画もあったみたいです。韓国人から見れば、王宮のまえに立ちはだかり、威圧的に聳える総督府は、日本による支配と抑圧の象徴であった、そうです。
No.5
- 回答日時:
朝鮮総督府は、最初、ソウル南山北麓の、倭城台に建てられました。
その後慶福宮内に移設する事になり、1916年に着工、1925年に竣工しました。鉄筋5階建て、表面石張りの豪華なもので、ドームと、列柱を有し、ネオルネッサンス様式と賞賛されました。移転の意図は、政治的であり、朝鮮人民の敬愛する、李王朝の権威失墜と、日本政府のの権威高揚にありました。この建物の罪悪として、後日指摘されているものとして、慶福宮の軸本線とのずれ、および、市内を睥睨する、その、異様な外観が挙げられました。
慶福宮の軸本線とのずれに関しては、朝鮮総督府の建築技師、岩井長三郎が、正面大通りと、慶福宮の軸本線とのずれによる、技術的問題であったと述べています。
朝鮮総督府は、光復(日本の降伏による朝鮮の独立)後も、市内を睥睨し続けてきましたが、その、処置には、諸論がありました。結局、1995年、金泳三大統領が撤去を決断、尖塔部を残して、廃棄しまた。
尖塔部は、現在、忠清南道天安市の韓国独立記念館に移設され、橋の下に置かれ、見学に訪れる人々の足下に踏まれる屈辱に耐えています。
No.4
- 回答日時:
他の方の仰るように、わざわざ王宮のまん前に威圧的な物を建てた、
というほかに風水的な観点からも反感をかったと聞いたことがあります。
ソウルは朝鮮半島の北の白頭山から南の智異山に流れる龍脈というもののちょうど中間に位置しているため、風水的に優れた土地だそうです。
総督府は王宮の中心軸からややずらして建ててあったのですが、それはその龍脈を絶つためであったといわれているそうです。
他にも各地に鉄杭を埋めて龍脈を絶とうとしたといわれているそうですが、これは測量のためのものが誤解されたとも言われています。
当時の日本側の意図はよく知りませんが、韓国では以上のような「日本による風水悪用」説があるそうです。
参考URL:http://www6.plala.or.jp/Djehuti/222.htm
No.3
- 回答日時:
京都に例えると、御所の真ん前に建てたような物です。
東京では皇居の真ん前ですね。
ソウルは風水に非常に気を遣ってつくった町ですから、特に不満が大きかったとおもいます。
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