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昔聞いた覚えがあるのですが、今のパソコンの技術というか構造を考え出したのはIBMでその技術を誰でも使えるように公開したと聞きました。
IBMはどんな目的で公開したのでしょうか?IBMにどんなメリットがあったんでしょうか?
ご存知の方教えてくださいお願いします。

A 回答 (9件)

今のPCというのは、いわゆるIBM PC/AT互換機 と呼ばれています。


略してAT互換機です。DOS/Vはその上で動くOSだけで、これに関してIBMはその技術を「誰でも使えるように公開」はしていません。仕様は一定まで公開しているけど。おそらく、あなたの言っている事は、誰でもハードウェア的な互換機を作成できるようにした事ではないかと思います。

実は、IBMは、誰でもハードウェア的な互換機を作らせたい、などとは思っていませんでした。

ここから下は爺のくだらん繰言と思って聞いておくれ。
むかしむかしのお話じゃ。

 遥かなる昔(コンピュータ時間において・コンピュータ時間は通常の時間の流れ方の感覚的に10倍の速度と考えて良いでしょう)、IBMは神であった。IBM神は、IBM-PCを作り出し、世にそれを知らしめた。

IBM神は、世にIBM-PCを広めるために、その技術仕様を公開した。何故なら、技術仕様を公開する事で、そのPCに対応するソフトもハードも、皆が作ってくれる事をしっていたからだ。もしかしたら仕様を公開することで誰かがクローンを作ってしまうかもしれないとはIBM神も思ったが、しかしそれは割に合わないものになるだろう、とIBM神は考えた。

何故なら。IBM-PCの核は「BIOS」である。BIOSこそIBM-PCの全てだから。そして、IBM-PCのクローンを作るためにはBIOSが必要だった。BIOSも公開はされていたが、著作権に守られていたので、BIOSを利用するためにはIBM神に莫大な使用料を支払う必要があったし、さらにIBM-PCを構成する部品それぞれをとってもIBM神より安く仕入れられる事はありえないと考えていたからだ。つまり、クローンは作れるけれど、それはIBM神が作るPCより高いものにならざるを得ないと考えていた。

しかし一人の勇者が現れた。その勇者は、BIOSを、BIOS自体のソースコードを見ることなく、クローンを作る方法を考えた。それが「リバースエンジニアリング」だ。それによってIBM神に著作権使用料を支払う必要のないIBM-PCクローンのBIOSが作成された。さらに、彼らはIBM神よりもより洗練されたマシンを作り出し、部品点数を減らす事に成功した。それによってIBM神よりも安く供給されるIBM-PCの互換機が世に満ち、IBM神はPCに対しての影響力を失ったとさ。どっとはらい。
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この回答へのお礼

大変分かりやすく説明してくださり有難うございました。

お礼日時:2005/11/03 02:03

IBM PCの規格が公開された理由は、歴史を辿ると


最初に普及したパソコンであるApple ][が、回路図まで公開されていたこと
そして、それによってソフトウェアと周辺機器の充実という
成功を納めていたことによるところが大きい(はず)

IBMがパソコンに参入したことだけでなく
MacintoshではApple][と同じことができなかったことが
Apple社がApple][時代のシェアを維持できなかった一因。
(憶測:単にパソコンとして売ったApple][に対して
自社の専用OSと結び付いたMacintoshでは
同じことができなかったということだろう)

IBMはそのオープンな政策の中、IBM PC/XTに次いでIBM PC/ATをリリースし
自作を含む多くのIBM PC互換機と、それらで動作する
大量の機器と大量のソフトが生まれていった。

なお、現代用語としてはPC互換機=PC/AT互換機=AT互換機≠DOS/Vである。

1980年代半ば、IBM PCの繁栄と裏腹に、収益としては
IBMよりCOMPAQ等のほうが高かった。
また、i8085/i8086とMS-DOSの原始的なシステムを
新しいCPUを活かすべく、大幅に改良する時期も来た。

その時に作られたのがPS/2シリーズという
i80286かi386を搭載し、LEGACYバスとして知られるISA(AT)バスを
MCAバスへと切り替えた、新しいリファレンスPCだった。
(日本IBMにはほぼ同機体のPS/55シリーズが用意された)

ただ、既出のように、ロイヤリティ問題から支持されず
ISAを拡張したEISAやi486と直結されたVLバスなどと競った果てに
MCAバスはPCIバスに移り変わり、PS/2はキーボード端子形状だけを残して消え去った。
その頃登場したのが、純正のAT互換機と呼ばれたPS/VやAptiva。

旧来のIBM ATを大改良したのがPS/2であれば
PC-DOS(MS-DOS)に変わる、次世代のOSとして生まれたのが
このPS/2でしか動かなかったOS/2だった。
PS/2の(MCAの)不支持は、当初OS/2の不支持を招き
主導権がMicrosoftに移るきっかけの一つともなった。

OS/2がPS/2以外で動くようになった頃には
Windowsは普及済み、Win16アプリケーションも多かった。

Windows普及の大きな力となったのが
MicrosoftがWindowsのすべてを公開するかわりに用意した
強力なプログラミング言語(開発環境)製品群だった。

そして、あまりに高いIBM PCのシェアの高さは
(PC-9801のシェアの高さもね)
OSによる支配がしやすい素地となったとも言える。

実際、OSにのみ依存するアプリケーションによって
PC-9801は立ち行かなくなり現在に至る。

その収斂の反動が、よりオープンなLinuxやFreeBSDへの流れを生んだのもしれない。
また、MacOSXのように、オープンな力を採り入れた商用製品も生まれた。
政府などに対しての、Windowsソースの公開施策も実現した。

つまり…基本的には、オープンな選択肢があれば
(ロイヤリティなどの初期投資が少なく済むならば)
多くの人が注目し…また気に入れば、それを支えて行く。
結果、関連する(機器やソフトの)選択肢はひろがり、品質も高まる。

オープンであること、それが合理的で
ごく当り前な、すぐれたカタチだってことでしょう。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/IBM-PC
こっちの方が体系的に書いてありますよ。
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アメリカという国は、ロイヤリティで儲けるという気質があるのだと思います。

自社で開発したものがデファクトスタンダードとなる事を目指し、誰が製造販売してもいいですよとするわけです。

実際にPC/ATまでは順調でしたが、その次のPS/2で開発したMCAというアーキテクチャはロイヤリティが高すぎて、他の多くのベンダーはMCAを採用せずにPC/AT+独自路線を進みました。
それ以降IBMは逆に孤立してしまい、その後はPC/AT互換の単なる1ベンダーとなっていきます。
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いま普及しているのはAT(PC/AT)互換機で、DOS/VというのはOS(PC-DOS/V=PC-DOSの日本語版)の名前。

同じものをマイクロソフトはMS-DOS/Vといいましたし(IBM以外の各社に売った)、コンパックは独自のCOMPAQ DOS/V(MS製のOS)売っていました。
AT互換機の起源は3社あって、IBMPC/AT(CPU80286、BIOS設定はFD保存、ROM-BASIC)、COMPAQ(CPUは初の80386、BIOSはCMOSメモリに保存)、ACER(初の80486、BIOSはROM-BASIC領域に保存、BASICなし)の混在物です。
キーボードやマウスのPS/2というのは絶滅したIBMのMCA機種(ATバスではない)の採用したキーボードとマウスです。

80286CPUはIBMが作っていて、Intel納入と同数は自社で確保できる契約でした。で、実際低性能な80286を山のように押さえて(^^)市場支配できると考えました。PCの高性能化を妨害しただけだったのですが(おいおい)。
COMPAQが高価な80386採用でも商売になったのはIBMのおかげです(^^)
ACERはいわずとしれた台湾企業の雄で、AOPENやBENQの親会社です。積極的に分社推奨しているので日本的な親分子分の関係(親会社)ではありませんけど。各社にノートPCやX-BOX供給する子会社もあります。
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DOS/Vが出るまでは、基本的に英語しか扱えず、海外の製品は殆ど日本では普及してなかったのです。


そして、日本語を表示させるには、日本語フォント(漢字ROM)をハード的に組み込んだNEC等の国内メーカーの独自仕様のPCが国内では主流でした。

所が、ソフト上でフォントを持つことで日本語が扱えるDOS/Vが発表されたことで、一気に海外製の安いPCが使用できるようになりました。
その時にIBMが作っていたのが”IBM PC/AT”というPCです。

そしてOADG(Open Architecture Developer's Group)を組織して、各メーカーにPC/AT機の仕様を公開することで、互換品を広めてスケールメリットを生かして大量生産、高機能化等により、市場全体の拡大を狙ったと言われています。
実際、現在の一般PCはMAC等の一部を除いて、このAT互換機の延長に当たる製品です。

逆の路線を選択したのがアップルのMACシリーズで、こちらは基本的には自社のみでの販売しかしてない為に、周辺機器等の汎用部分を除いては、独自路線を歩んできました。
ただしその分、ハード的な互換性高いので、AT互換機のように、部品同士の相性等は起きにくいのですけどね。

尚、AT互換機とDOS/V機という呼び名は必ずしも同じものではない。
AT互換機でも、DOS/V以外のOSを実行することが可能だからである。(リナックス等)
AT互換機やOADG機と言うのは、ハード的な意味での表現であり、DOS/V機とはDOS/VのOSを搭載したAT互換機って意味なので、ソフト的な話が含まれる。
最近では”WINDOWS-PC”等の呼び名もあるが、これも同じことである。

参考
http://yougo.ascii24.com/gh/20/002049.html

http://www.pc-view.net/Help/manual/0011.html

http://www.pc-view.net/Help/manual/0003.html
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No.2訂正



IBM開発した → IBMが開発した

秘本市場 → 日本市場
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当時のパソコン界は、米ではアップル、日本ではNECや富士通、シャープなど、独自規格の製品が乱立していました。


そうした中、IBMは技術を公開することで、自社のアーキテクチャを全世界へ普及させ、自らも関連製品の売り上げで利益を上げようとしたのだと思います。
結果は大成功を収めました。
IBM開発したPC/AT及びAT互換機のアーキテクチャは、現在のWindowsパソコンの土台となっています。
尚、DOS/Vというのは、AT互換機に、日本語表示を可能にするためのOSを搭載して、秘本市場向けに販売されたパソコン及びOSの事を指しています。
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http://e-words.jp/w/DOS2FV.html
>それまでパソコンで日本語を利用するにはハードウェアに日本語機能を内蔵したNECのPC-9800シリーズ(及びその互換機)を使うしかなかった・・・

「日本語を使うPCも世界標準したい」などの理由からではないでしょうか。
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