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 報道を通じておかしな事件を見聞きしますが、家族に暴力をふるったり浮気を繰り返している男に限って、なぜストーカー行為や子供の連れ去りなどの事件を起こすのでしょうか。私は結婚はもちろんDVも飲酒も経験ないので全く理解できませんが、これだけ同種の事件が多いなら、ひょっとしたら同じ立場に立ったとき、このような犯罪者と同じ気持ちになるかもしれないという可能性が心底恐ろしくて質問してみることにしました。

 普通はイヤだと言われたらおとなしく素直にあきらめるのが常識だとおもうのですが。

A 回答 (4件)

完結にいえば、


自分一人で満足して生きていけないから。

一人で生きていくことに満足できれば他人に干渉する必要がありません。
そうすることでしか自分が「存在」している実感が無い。
自分が生きてるのか死んでるのかが理解出来ない人間なのです。
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この回答へのお礼

おそらくそういうことなのでしょうね。家事や育児はいっさいせず、頻繁に浮気騒ぎを引き起こし酒を飲んでは家族に暴力をふるう、しかし表づらは会社員として普通に振る舞っていて職場での評価は高い、そういう輩がなんだか増えたような気がします。私の周りにもあまりにもそういう型にはまった事例が増えていると感じるのですが、なにか社会的な病巣がどこかにあるのかもしれません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/08 08:28

エーリッヒ・フロムという有名心理学者の有名古典「自由からの逃走」をご参考。



以下、私の解釈:
人間は(程度の差あれど)、サド型とマゾ型にわけることができる。
サド:自分が威張って支配していないと、相手は生きていけないと思いたがる心理
マゾ:自分が我慢して支配されていないと、相手は生きていけないと思いたがる心理

どちらも、相手がいないとなりたたず、その傾向が強いと、「依存」「依存症」といいます。アルコール依存、ニコチン依存と同じく、あまりいい意味ではない、「依存」です。
強いサドと強いマゾが結婚してしまい、離れられないことを「共依存」と言った気がする。

自分がいることで相手が生きているという思いに、社会性動物としての人間の、深層心理の快感があるのかもしれません。

妻をいじめるサド型夫にとって、妻が家出をしては、意味がないのです。相手を管理したい欲求から、ストーカにもなりうるのでしょう。
いっぽう、心身ボロボロになりながらも、「私がいないとあの人はどうなってしまうことか」と、離婚しないマゾ型妻。

繰り返しますが程度の差で、ペットを飼う、親に甘える、人に親切にする、責任ある仕事をする、など、誰もがする普通の欲求の奥にある心理だと思います。

個人的には、事件を起こすほど程度が激しい人というのは、生まれつきのものだと思います。
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この回答へのお礼

エーリヒフロム先生の御本は「愛すると言うこと」以後拝読しております。まるで病気のような暴力への依存は人間を今の日本の社会で原理的にむしばむものなのでしょう。ではそれにどうやって対抗するのか、凡人の私には知るすべはありませんがいろいろな社会の病巣とどこか一番底の部分でつながっていると感じます。ああいったおかしな事件を減らすにはどうすればいいのか、といった問題意識を社会全体が持ってこそはじめて発展的解決へ事態は動くものと思いますが、現状では悲観的です。

 そういえばフロム先生は最期はレッドパージのとばっちりを受けメキシコで客死しているようですが、相手の立場に立ってものを考え人の痛みがわかる人間になれという考え方がパージされる世の中にならないことを祈るばかりです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/07 21:01

マスコミの影響を受けすぎです



昔と比べてどれだけそのような事件が増えたか具体的に調べたことがありますか?
「男はなぜ」とありますが、私は喧嘩したことなんてありませんよ。
私の父はよく暴力を振ったり酒を飲んでいましたが外ではまじめに働いていましたし、私が大人になった後両親は離婚しましたが妹(当時中学生)や母に対してストーカーなんてしませんでしたよ。
「家族に暴力を振るったり浮気を繰り返している男に限って」とありますがどう「限って」なのか根拠は何ですか?
犯罪者はこうであるという決め付けが見受けられます
だってストーカー行為をする女性や浮気をする女性
子供に暴力をする女性に暴飲する女性もいますよね
其れが男性より少ないと言う根拠はどこにあるんですか?

警視庁のデータベースを調べてみてください

テレビが言っているから新聞雑誌がそうだからといっても現実もそうだと思い込むのは危険です
マスコミは「犯しな事件」が大好きです
常に刺激的な報道をしないと視聴率が下がりますから
それが何処にでも起こっているかのような報道だってします。例え事実と違っても
これに限らずマスコミは嘘ばかりです。

難しく考えなくても暴力を振るったり浮気をする人はそれだけでまともな人ではないのですから非常識な行為(ストーカー、子供の連れ去り)をする可能性は高いのは当然でしょう。
それでも私の父がそうならなかったように絶対であると決め付けるのはただの偏見です

自分の体験していないことで腹を立てるのは無意味なことだと思います。
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この回答へのお礼

さて。桶川のストーカー殺人などストーカー殺人といった語句でネット上を検索すると、男の側が加害者であることがほとんどで、特に統計を当たる必要はないと思います。もちろん女性にも加害者となる者も確かにいますが、今回は質問の範囲には入れていません。

 それから、やはりそういうおとこに「限って」とはやはり言えることでしょう。また犯罪者は他にもたくさんいますが決めつけも何も他の犯罪者に質問の中で言及したつもりはありません。
「家族に暴力を振るったり浮気を繰り返している男に限って」と
「家族に暴力を振るったり浮気を繰り返している男だけが」
とは十分必要な意味の差があると思いますがどうでしょうか。全部がそうだと述べているわけではありません。暴力や浮気が原因でない離婚だって世の中にたくさんあります。そういうものまでまるで非難の対象にするかのような言い方はしたつもりはありませんが、そのようにとられたのならお詫びします。ただ誰であれ暴力を擁護するつもりはありませんが。

 マスコミは確かにウソや虚構は多いですが、社会の特徴的な現象を捉えるには参考になる調査報道も中にはあります。芸能人がはしゃいでいるだけの番組とウソの報道だけなら、テレビも新聞もすべて必要ないということになりますが、どうなのでしょう。私の考えはそれに近いですが、全部ウソと言い切るわけにもいかないと思います。

 確かにそういう輩はもともとまともではないのは確かでしょう。しかし中には弁護士や大学教授といった敬意をもたれるべき職業に就く者ですらそのようなことをしでかす大馬鹿者もいます。なにか社会的文化的な背景があるのかといぶかしく思います。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/07 20:50

poorさんと観点が違うと思いますが、私もこの種の事件を目にすると、


気が重くなります。

浮気と暴力は異質のものながら、これは明治・江戸と時代を遡っても
数多く存在してきた筈です。

現代の事件が過去とずれているのは
>ストーカー行為や子供の連れ去り…に加えて子供の虐待でしょうか。

私は、「男らしさ」を男性に求めることをしてこなかったからだと、
理解しています。「男らしさ」・「女らしさ」がタブーなんですから、
男性が未練たらしくなるのは当然ですよ。うじうじしてスパッと諦める
など出来ないんですから。

おっしゃる通り、>素直に諦めるのが常識…なのですよね。
しかし、社会が差別と性別とを混同して・履き違えて教育してきた
結果ですからどうしようもありません。この種の事件を起こす男性も、
ある意味では被害者かも知れませんね。
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この回答へのお礼

 私は「男らしさ」をはき違えている輩が多すぎてむしろ「男らしさ」という言葉すら危険なものになっていると感じます。げに「男らしさ」を要求すればするほど世の中が危険なところになっていくとも思います。私は思うのですが「男らしさ」とは徹底的に相手の立場に立って家族を守っていく強さであり、とても内面的で理知的な性質なのだろうと思います。結婚するときは土下座せんばかりに頭を下げ、いったん婚姻届をだすとまるで自分の所有物のように奥さんを考え浮気やDVを繰り返す、そういうことを男らしさだと勘違いしている哀れな奴が多すぎると思います。

 そういう環境の中で「男らしさ」を強調するのはやはりタブーでかまわないとも思います。英雄色を好むとか、いやよいやよも好きのうちとか、そんなことを無邪気に信じている幼い輩に「男らしさ」を吹き込むとろくな事にはならないでしょうし。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/07 20:30

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