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13,14世紀・15世紀・16世紀の西洋の染織史と服飾史について教えてください.特に染織工芸について詳しくおねがいします。

A 回答 (3件)

すみません、NO.2の追加補足です。


歴史のリンクサイトがありますので、そっちも見てみてください。でもけっこうすぐ英語サイトにとんでしまうあたりが泣きですが。(英語ができるか、ちゃんと翻訳サービス使えばいいのか‥‥)
うまく探すと、いいものに出会えるかもしれません。

参考URL:http://www1.kcn.ne.jp/~a7627/sei2.htm
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ご質問がたいへん広範囲にわたっているので、染め関係でわかるあたりをざっとお答えします。

と言っても私もあまりくわしくはないのですが‥‥
上流階級と下層民、また都市と農村においても大きく違い、さらに「流行」によって大きく左右されました。今の時代と異なることは、この時代の繊維・染織産業というのは国力を左右するほどのものだということ、あと衣服というのは厳格に身分の上下を表したものだったと言うことです。
山あいの方では毛織物、毛皮、そして中近東に近いほうでは絹織物、というのが大体のイメージになるでしょう。綿布はまだ後の話です。

●全体に(大ざっぱに言って)亜麻布はオランダ名産(下着などによく使われる)、毛織物はオランダ、イギリス、フランス、(特にフランドル地方)の名産、シルクは地中海に面したイタリアやスペインの名産。主に中世は、毛皮と毛織物の時代。毛織物にも上質から粗悪まで多くあり、農民などは粗悪なものを染めずに着ていたりもしていた。(染め物自体はよく発達していたので、染めたものを着ることも珍しいことではありませんでした)
●濃い色、鮮やかな色がたいへんもてはやされ、高価であった。さらに、繊維の深くまで染料がしみ込んだ色落ちしにくいものも高価であった。また、緑色は二度染になるため(黄色+青)、やはり単色に比べれば高価。色あいも暗く、不安定だった。
●中世ヨーロッパでは染物師は力を持った職人で、専門は細かく区切られ、赤の染物師と青の染物師は別である。さらに青でも大青やインド藍などではちがう、などのように非常に専門化されていた。
●媒染(色を鮮やかに出すため、また色止めの意味でも使う必要不可欠な薬剤)にはミョウバンが非常に多く用いられた。ため、ミョウバンは中世の大切な貿易品であった。(銅や鉄、錫などでも媒染できますが、一般にミョウバンがもっとも明るい色に出ます)

●十二世紀の流行:貝紫の染め(ビザンティン帝国からの輸入品)たいへん高価でしたが、後半にはほとんど見られなくなって高価な布の代名詞は赤となる。
●大青(藍を含む植物)が栽培され、青い服は安価だった(濃い青は別のレベル。これは赤と肩を並べるほど高価)
●十三世紀ごろから、スペインや南フランスでカイガラムシの赤がはやり、これで染めた毛織物がもっとも高価な布であった。(大量のカイガラムシが必要とされるため。安い赤は茜染で染めた。紅花がヨーロッパに入ったのは遅かったと思います)
●黒衣はそもそもきらわれたが、1350年ごろにイタリアで発令された「贅沢禁止令」によって黒衣が強制され、それによって美しい黒の絹織物の開発が進んだ。十五世紀には黒は流行色ともなって、黒自体の色合いのバリエーションも増えた。
●贅沢禁止令は十三世紀から十六世紀、特にフランスでくりかえし発令された。華美な服装を禁じて衣服による身分制を保持する目的のほか、たとえば敵国の布地や染織物が流行したとき、その貿易を禁じて金が流出するのをふせぐ意味もあった。(禁じることでかえってその織物の価格高騰を招くこともありましたが)
●十五世紀末まで、黄色い服は道化を除いてほとんど着られることがなかった。
●十六世紀後半以降にインドとの海洋貿易が確立されるまで、更紗などの色鮮やかな織物は少数しか入ってこなかった(藍もインドの藍染の方が色が美しく、あっというまにヨーロッパの産業を圧迫した。またインドは藍染料のみを固体にかためて輸出する技術も持っており_インド藍_、これもまたヨーロッパには大打撃でした)

染物商が染めたもののほかに、農民などは自分で野山でとった植物で染めたりもしていました。媒染には尿や灰などをつかったため色はうすくにごって、褪せやすかったようです。
個人的な考えでは、染めも織りもヨーロッパより東洋や中近東のほうがすすんでいるように思えます。同じ藍染だけとっても、日本の藍染の方が手が込んでいて技術が高い。以上、すこしでも参考になれば、さいわいです。
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こんにちは、かなり書きかたが難しいので回答しようか迷ったんですが・・的確な答えは出ないと思いますが。



13,14、15、16世紀というとゴシック時代~ルネサンスの時代ですね。

このゴシック時代の頃はキリスト教の精神を象徴した鋭角の尖塔をもつ教会建築を筆頭に織物、羊毛工業、手工業などの発展が目覚しい時期で、高度な裁断と縫製技術によって作られた衣服には現代服の原型をみることができます。
この頃に良く見られる美しい衣服は他国から輸入された、絹織物によって誕生した衣服形態で、導入されたさまざまな素材によって衣服の多様化が進展していきます。

同時に高価な服は貴族中心の美的な装いとして史上を飾っています。一方労働者が求める機能を目的とした素朴な衣服など、いずれも生活目的に合わせた行動によって様式が確立されていきます。

さらに衣服発展の1つに”時代性”が挙げられます。
一例 キリスト教を背景として発展した中世の文化は衣服と装身具に大きい影響をあたえています。
神への信仰心は、天に向かって凝結する教会建築の塔に表現され、その塔が示す鋭角は細長く円錐形に伸びた帽子のフォルムに反映し、さらに光り輝く衣服の素材と形にあらわれています。

1200年ごろ、イタリアでは贅沢禁止例がでました。
このためホワイト刺繍やこれを引き立たせるためのカットワークなどが考え出されて発展し、レースが考え出されました。

ルネサンス

キリスト今日の盲従から開放されて迎えたルネサンスは、文芸復興、人間再生運動であった。
この時代に男女衣服の性差の明確化は一段と進展します。
女性の体を形作るファウンデーション(いまでいうガードル、昔はくじらのひげなどでいやっていうほど締め付けるものでした。)が確立しました。
女性特有の体形は衣服を通して表現され、以降、これらが基盤となって造形的な衣服が作られました。
またたえまなく発展する素材とあいまって、近世から近代への衣服のデザインと技術は服飾史上にとって輝かしい1ページである。
このころの装飾素材として白いローン素材の帽子や絹やビロード製のバッグなど色んな素材がつかわれています。
現代の生活の中にこの16,17、18世紀史上で作り上げたもっとも優れた貴族服は、循環性をもってリバイバルされています。

衣服の発展は、さまざまな要因の中でうまれ、発展し、消滅し、時代の肉付けを土台にしながら再び復興するなど発展と変換を続けてきました。

以上、参考本の受け売りです。


なんとなく関係者
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