宝くじは、人間の非合理性の証拠と考えていましたが、最近べつの見方が気になり、質問させていただきます。

日本の宝くじは、当選払戻率が、約50%。一等が1億円だとすれば、1億円と2億円を交換している事になります(詳細に見れば少し違います)。

この事から、1億円と言う大金の希少性が結果的に2億円と言う価格をつけていると考えられます。価値と価格が同じだとした場合、大金の希少価値が1億円の(日本には規制があるため正確ではないし他の要素もあるかも知れませんが)価格を上乗せしているのでしょうか?
あるいは、価値と価格が同じではないと言う事の証明に役立つ事例でしょうか?
それとも、単純に夢の値段と処理する事柄でしょうか?

念のため、宝くじや「ばくち」の是非については、全く関係の無い質問です。

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A 回答 (6件)

この問題の立て方には、いささか無理があるように思われます。


つまり、宝くじに内在する射幸心のことが捨象されているためです。それと、総額を価格とするのも、他の経済現象との整合性が取れません。
どういうことかというと、バブル期の土地の売買を考えてみるといいでしょう。バブル後、1億円に値下がりしてしまった土地を、全く正常な取引として、2億円で買っていた人がいるのです。このことを、非合理的行動とは考えないように、個々人の購買行動を考えれば、200円で1億円が得られるかもしれないという「夢」をそれぞれの購入者が分散して買っていると考えた方が合理的だと思われます。もし2億円もっていて自由に使えるとしても、それですべての宝くじをすべて買い取ることができ、その当選金が1億円なら、例外を除くすべての人は買わないだろうと推測されます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃる通り、当選金1億の宝くじを2億円で買い取る人はまずいないと思います。しかし、自分が特別の人間だと信じない限り、自分が平均以上に宝くじに当たることは信じられないのではないでしょうか。それでも宝くじに人気があるのは、大金に付着する価格以上の価値があるのではないかと言うことに関心があるのです。

お礼日時:2001/11/17 20:00

お礼を拝見いたしました。


実は、「価値」とは何かという問題がありますが、No.4で述べられているように、近代経済学では効用を問題にします。
もっとも、初歩的なところへ戻れば、なぜ、ひとは、100円だして、一枚の宝くじを買うかといいますと、宝くじを手にした満足感が、100円以上であることを示します。どんな商品でも、その取引が行われるには、その人の効用がどうであるかによって価格が異なってきます。
のどが渇いているときは、定価100円の水が、200円であっても買ってもいいと思える場合もあれば、逆の場合もあります。
人間の個々人の行動を考えるのに、その個々の金額でなく、その発行元での総額で考えるということは、どうも腑に落ちないのです。
価値と価格と言うことでいえば、最初から一致すると考える人はいません。一致しないから、価格はどう決まるかという経済学のテーマがでてきたのだと思われます。
ただ、賞金が大金であるというのが、宝くじを買う動機だとしたら、それで満足できると言うことに尽きます。
わたしが理解できていないのかもしれませんが、考える上で価値というものを固定するから、疑問が生じるような気がします。
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この回答へのお礼

つまらない質問に何度もお付き合いいただき大変有難うございます。

価値と効用は言葉を変えているだけのような気がしますがこの件はまた調べてみたいと思います。
価値について、私は、物質的な絶対的価値・容器とか水とか形式に付着する形式的価値・すでに容器を沢山持っているとか、のどが渇いているとか主体の状況による主観的価値に分類できるような気がしています。価格はこのうち形式的価値を市場を通じて客観的な価格に何とか置き換えていると考えています。
難しく言えば、個別主観的価値を市場を通じて客観的価値=価格に平準化しているのではと考えています。
しかし平準化は、学校教育を例にとれば決して平均ではなく平均以下に下げられるのが常だと思います。
長々と自分の言いたいことだけ書いてすいませんでした。
価値から価格の変換の中で何が切り捨てられたのか、小さな鉢の中をぐるぐる回る金魚です。

お礼日時:2001/11/18 07:38

価値と価格は同じとま全く考えません。

経済学的な質問とすればとてもお答え出来ませんから、ほかの例まで言及しませんが。
宝くじの例で、仮に1枚10万とすれば1等が1千億でも買う人は少ないと思います。1~300円という捨てるような小額で夢を買っているのでしょう。
全く同一の価値でも価格の正当性はここで破綻します。

ちなみに宝くじは、寄付金付と考える以外に買いません、根拠の無い50%のピンハネは詐欺と考えるのが私の価値感です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

価値と価格は同じとは全く考えません。
現在の経済学は、価値とか効用を価格と同じと考え、経済全体の効率を考えているのではと考えていました。
価値と価格が同じでないと、政府が国債を発行し、日銀が流通貨幣を増やせば、国内の生産物(価値とか効用)が増加しなくても、GNPやGDPは成長することになるのではないのでしょうか?
10万円の宝くじを買わず、100円の宝くじに多くの人が貨幣を支出することは、両者の価値が、貨幣使用者から見て同じ価値ではないと言う証拠だと私は考えますが、なかなかすっきりと理解できずに困っています。
宝くじは約40%が税金だそうですPhmsさんのゆとりがうらやましいです。

お礼日時:2001/11/18 06:58

○経済学の「期待効用仮説」として研究されている分野です。


結論としては、fishbowlさんと同じ問題意識を多くの人が持っているのですが、誰もそれを上手く説明できていません。
前提知識が長いのですが、お付き合いください。

>あるいは、価値と価格が同じではないと言う事の証明に役立つ事例でしょうか?

まず、このことが「効用」という概念で説明されます。「効用」とは物に対する主観的価値(嬉しさ)で価格とは一致しません。
例えば、1万円の効用をU(10000)とすると、U(10000)×10>U(10000×10)となる事が知られています(聖ぺテルブルクのパラドクス)。

>日本の宝くじは、当選払戻率が、約50%。一等が1億円だとすれば、1億円と2億円を交換している事になります。

ここでは期待値を求めています。しかし、「効用」という概念がある以上、期待値も効用について求めるべきでしょう。
この「期待効用」を最大化するように行動するのが合理的な行動だという仮説が、期待効用仮説です。

そして、この「期待効用」と「期待値」の差を説明するのが、「リスク選好型」ないし「リスク回避型」と呼ばれる人間の性向なのです。

>それとも、単純に夢の値段と処理する事柄でしょうか?

すなわち、期待値について、E(宝くじを買う)<E(宝くじを買わない)なのに、期待効用について、U(宝くじを買う)>U(宝くじを買わない)となるのであれば、それは人が「リスク選好的だからだ」ということになります。

○ところで、これは期待効用関数(U)というものが確実に存在することで成り立つ理論です。
しかし、以下の事例で、期待効用関数が成り立たないことが知られています(アレの反例)。

イ、25本が30,000ドルのあたりで,のこりの75本はハズレ
ロ、20本が40,000ドルのあたりで,のこりの80本はハズレ
ハ、100本すべて30,000ドルのあたりくじ
二、80本が40,000ドルのあたりで,のこりの20本はハズレ

U(イ)<U(ロ)、U(ハ)>U(ニ)を前例にすると、
 U(イ)<U(ロ) ⇔ 0.25U(30,000)<0.2U(40,000) ⇔ U(30,000)<0.8U(40,000)が成立する。
 U(ハ)>U(ニ) ⇔ U(30,000)>0.8U(40,000)
二つの式は矛盾します。すなわち、ここでは、期待効用関数というものは存在しないのです。

このあとの議論は経済学でも最先端の議論となって、私の手には負えないのでご自分で勉強なさってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

質問の仕方が良くなかったようでご迷惑をかけました。
他の回答者のお礼と重複してしまいますのでココでは省きます。
ところで、聖ぺテルブルクのパラドクスは私の疑問に思った大金が価格以上の価値をもつのではという疑問に真っ向から対立しているようで、一度調べてみます。
アレの反例の部分ですが
「U(イ)<U(ロ)、U(ハ)>U(ニ)を前例にすると、」とありますが、この数式が矛盾無く成立するためには、別の条件が必要な気がしますが、この点は質問の目的とずれていますのでひまなときにでも調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/18 06:27

経済学には素人ですので、fishbowlさんのご質問の意味がきちんとつかめませんし、的はずれの答えになることは覚悟の上で答えさせていただきます。



>日本の宝くじは、当選払戻率が、約50%。一等が1億円だとすれば、
>1億円と2億円を交換している事になります。
と書かれておられますが、これは宝くじの購入者が1人としての計算ではありませんか。その場合であれば、確かに非合理的行動であると思います。しかし、宝くじは多数の購入者が自分が損をしても良いという範囲で、「1億円の可能性」を購入しているものと思われます。

同じことは、生命保険の購入などについても言えるのではないでしょうか。
掛け捨ての保険で考えますが、自分の生死に対して、保険購入者は(自分が死ぬ方に)毎月何千円かを賭け、保険会社は(保険対象者が生き延びる方に)何千万円かを賭けているわけです。これも保険料率や保険の加入者の数など考えれば、保険会社に有利な賭けであり、経済合理性を考えると保険には加入しない方が得となります。

今度は立場を逆にして考えてみます。
宝くじの発行元が賞金1億円の宝くじを発売したら1枚しか売れずしかもそれが当選してしまった。あるいは、ある生命保険の加入者が1人しかおらず、数千円の保険料が払い込まれただけで不慮の事故で死んでしまった。とまあ、確率は非常に低いですが、こういうこともあり得るわけです。とすると、宝くじの場合は1億円を数百円で販売したことになりませんか。保険の場合も同様です。

以上のことから、宝くじや保険という商品が成立するためには、多数の人が購入するという前提が必要であると思われます。非常に単純化して考えれば、ある購入者にとって、その宝くじの価値は「1億円か0円」であり、価格は「購入する枚数の価格」であると思われます。そして、この場合には当然に価値と価格は一致しないものと思われますし、価格は価値が0円となってもあきらめられる範囲の価格のはずです。その不一致の部分は「夢の値段」なのでしょうが、一般的な普通の商品のように価値と価格が一致するものとは思えません。

宝くじを購入することが数百円~数万円を発行会社と自分以外の誰かに与えるだけという意味で確かにそれは「人間の非合理性の証拠」とも見られますが、経済合理性のみで人は生きているのでしょうか。

私の答えは、おそらく、fishbowlさんの問題意識とはかけ離れた答えであるとは思いますが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

保険に関しては、別の機会に考えたいと思います。
私の考えていることは、貨幣には言語的性格があり、購買するということは、ただ単純に全く客観的にYESといっていることだと思っています。宝くじお買うことは、確かに個々には小額の金額で1億円の夢が買えるわけですが、
全体として2億円で1億円を買うシステムに多くの人が、YESと言っている訳で、この理由としての1億円と言う大金の価格と価値の関係を宝くじの中から推測できないだろうか考えている変人です。

お礼日時:2001/11/17 20:27

宝くじって当然のことながら抽選の前後でクジ自体の価値が全く変わるではないですか。

ということは、価格を決めていたのは抽選によって無くなるものな訳ですから、やはり『夢』の価格なんでしょうね。
払い戻しが、税金と勧銀の取り分と印刷代で目減りしているのは考えなくってもわかりますからね。やはり、みんな『夢』を買っているのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なくなってもいい金額と、当選したときの金額を天秤にかけて、その範囲以内で宝くじを楽しんでいるのでしょうね
私の場合、自分が他人より運が良いとは信じていないので
もし可能なら2億円以上宝くじを買っても当たらないと思っているんです。
競馬は推理する楽しみが加味されているにもかかわらず、返還率は70%以上で、これと比べると夢の価格としては高すぎるように思えるのですが。

夢に高い価値がある事は事実だと思います。

お礼日時:2001/11/17 19:34

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>マルクスは資本主義の崩壊を予言し、計画経済を提唱しました

と一般によくいわれるのですが、あまり正確な表現ではありません。そのあたりも含めておおざっぱに書いてみます。

 マルクスは、資本主義というシステムを基礎にして経済が発展しつくすことによって、生産力と生産様式(いま風に社会システムといってもよいでしょう)に矛盾が生じ、必然的に社会システムが次の段階に進まざるを得なくなると考えました(なぜ現在そうなっていないのかについてはマルクスの見解を支持する人のあいだにもいろいろな意見がありますが、基本的には、資本主義という社会システムはマルクスが考えていたよりも強靭で、矛盾をはらみながらもなおそれを調整しながら発展していると考えられるようです)。

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 しかし、これでは「利益」が説明できません。個々の商品の価値がこのように形成され、商品相互が等価で交換されるのであれば、利益はうまれないはずです。そこでマルクスは、その利益の源泉が剰余価値であると考えました。これまた非常にかんたんにいえば次のようになります。労働の価値が商品の生産に投入されるためには、労働者が自分の労働を生産のための資金(資本)を持つものに売る必要があります。つまり、労働と賃金を交換するわけですが、マルクスはこの交換プロセスだけは等価で交換されておらず、労働はいわば安く買い叩かれているとみました。これは別に資本をもつ者(資本家)が悪辣だからではなく、詳しくは省略しますが、労働という商品のもつ本質的な性格に由来するとマルクスは考えました。こうした不等価交換によって資本家が手にする利益の源泉が剰余価値です。この利益が労働者に還元されればよいのですが、そうならないので「搾取」といわれるわけです。

 しかし、このように考えるとやはり剰余価値の部分を一方的に持っていかれている労働者には、この仕組みはあまりおいしいものではありません。他方で、剰余価値の部分は株主など現実にはただお金をだしただけの人たちがもっていってしまいます。社会全体の生産力が向上し世の中が豊かになっても、労働者のほうには相対的にその豊かさがあまりまわってきません。それがいろいろなところでひずみを生み出すので、いずれ資本主義という、剰余価値に利益の源泉を求め、その利益をお金のある人が分配してしまうシステムは、いずれ限界が来るだろう、とマルクスは考えたわけです。もちろん、彼が考えた資本主義のひずみというのはこれだけではありませんが、ご質問に即するとこうした説明になるかと思います。

 注意が必要なのは、マルクスは決して剰余価値の存在が倫理的に悪いと思っていたわけではないということです。また、有名な「資本論」のまえがきで、個々の資本家を道徳的に糾弾しようと思ってこの本を書いたわけではないという趣旨のことを述べています。少なくとも彼自身は、資本主義というシステム自体の発生も必然であり、それゆえその消滅もまた必然であると考えていました。

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