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教えるものは何でも良いのですが「教え方」そのもので、最良と思える方法を教えて下さい。逆に、こういう方法は絶対宜しくないという方法でも良いです。
あなたの方法を是非教えて下さい!

また、次の質問にお答頂いても嬉しいです。
ヘレン・ケラーのような人を教えるとしたら、あなたはどのようにしますか?

A 回答 (7件)

私の場合ですが...。



「教える」と言う事では無く、「伝える」と考えて居ります。

そう考えると、相手に伝える方法を考えなくてはなりません。
つまり、相手を知ろうとし、そお人毎に伝える方法や、伝える内容を考えるしか無いのです。

上記の例えの場合ですと、ヘレン・ケラーさんに御会いして、その人を見てから考えます。

逆に、単純に「教える」と考えた場合、相手を知らずに何を教えれるのだ?
と、私は捕らえて居ります。

ここの場合も同様に、
質問された方の内容を見て、この様に回答すれば「伝わる」かな?
と考えて回答して居ります。
伝わりきらなかった場合は、再度捕捉を行う。
これの繰り返しで、伝えて行けると思って居ります。

参考になりますかどうか解かりませんが、一考下されば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。昔、読んだプラトンの著作の中に、ソクラテスが教師とは産婆役だと言っていた旨記されていたようですが……、現在、私はヴォランティアとして schizophrenic(精神分裂病患者)の人たちのお役に立ちたいと思い関連の講座を受講したばかりです。で、例えば、反応が有る人、自己表現のメディアを持っている人とは、先に行って濃密なコミュニケーションがとれる可能性を十分に感じますが、こちらの存在を認知してくれないのは仕方がないとしても、ただ呆然としているというか、何に反応するのか、その反応を感じ取れないクランケへの適切な対処法がわからないのです。それで、質問させて頂きました。
脳の前頭葉関連部位に障害がある、ということでアルツハイマー性痴呆に似たような状況なんですね。あなたのように、事も無げに、重度の障害者への対応を考えることが可能な知性と感性と情熱が私に有れば良いのですけれど…… 

お礼日時:2001/11/18 01:57

教えられる立場(相手)になって、教える立場(自分)を観察する事です。



ヘレン・ケラーの場合も、あなたがへレンケラーになれば自ずと最良の方法が分かります。

理屈は必要ありません。

スキンシップです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。
皆さん、自信がお有りなのですね。先の人の、お礼に状況を書いたのですが、私は残念ながら三重苦(目が見えない・耳が聞こえない・喋れない)のヘレンさんのような重度の障害者ではなく、schizophrenic(精神分裂病患者)でもないし、アルツハイマー性痴呆にもなったことがない健常者なので、相手の立場に立つといっても、皆目見当がつきません。
あなたが、呆然としていて全く反応を見せないschizophrenic(精神分裂病患者)とのスキンシップの結果を、例えば、現代絵画の巨匠になるように、お導きになられて、お手本としてを見せて下さると助かるのですが……
あるいは、第二のヘレン・ケラー女史を作って魅せて下さいませんか。

お礼日時:2001/11/18 02:49

私の 好き嫌いで言いますと、


「教える」という考え方そのものがキライです。
「いっしょに学ぼう」のほうが好きです。
たとえセンセイが「教える」立場で生徒が「教わる」立場だとしても。
「授ける」側と「授かる」側のお互いの礼儀はもちろん必要ですが。

ヘレン・ケラーのような人に何を「教える」のでしょうか。
「相手が何を知りたいと求めているか」によって、対応を考えると思います。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。
重度の障害者に身に着けていただきたいのは、希望を失わず、勇気をもって生き、人を愛して、更に人を救う力を持つことではないでしょうか。極、常識的に。

お礼日時:2001/11/18 03:19

人それぞれですから、Aさんに相性のよい教え方が、Bさんにとっては良くなかったというケースもあります。


一概には言えないんですよ。

ケラーの場合は、ご両親がどのように接してきているかによって教え方も変わってくるんです。その場での適切な対処が必要です。

かなり漠然としたご質問でしたので、回答も漠然とならざるを得ません。
方法論は十人十色。申し上げられるのはこれだけです。
質問の誤読があれば、補足を下さい。答えられれば追加回答をします。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。当然です。
では、例えば、IQ75以下の、知的障害者の人を倍以上の150にするには、どうすれば良いか?という質問ではどうでしょうか。教育期間は早い方が良いでしょう。
私が、現在、途方にくれているのは、アルツハイマー性痴呆と似たような重度の schizophrenic(精神分裂病患者)への対応です。何らかの反応があり、自己の表現メディアをもっているクランケとは、コミュニケーションが難しくないでしょうけれど、知的障害者でないにも関わらず反応がないというのは、ヴォランティアとしてコミュニケーション関連で辛いものがあります。ドクターでも難しいでしょう……

お礼日時:2001/11/18 03:07

 教えることについてスペシャリストではありません。


 最良であるかもわかりませんが、良いと思うのは要求水準のレベルを適性に導くこと、内発的動機付けへ学習動機を持っていくこと、目標を結果ではなく過程を目標とする学習目標へ導くこと、ではないでしょうか。少なくともこの逆は悪効果であることと教育心理では教えています。
 
 以上のことはさておき、質問文を拝見しmagelanさんの補足を拝見して状況とご質問の意図をつかめず混乱しております。
 精神分裂病患者か知的障害者を相手に何か教えるボランティアをされている、あるいはしようとお考えになっている。そして先日、実際に臨床的な活動に参加されたけれど、どうコミュニケーションをとればよいのかわからず、こちらに質問された・・・と捉えてよいのでしょうか?
 外界からの働きかけに反応があるように見える、見えないに関わらず、そういった患者・障害者に対してボランティアの方が参加されるようなプログラムだと、おそらくその何か教えてらっしゃることを学習することだけが目的ではないと思います。その点はコーディネーターか、あるいはそれに相当する方から説明があるのではと思うのですが・・・。なかったから質問されてるのでしょうか?(^^)
 また、他の方の回答に一つ一つ障害者への接し方を聞き返してらっしゃいますよね。私も皆様から回答を頂いてお礼を考えるうちに自分の中で何が疑問がはっきり捉えられたことが何度かあります。多分、悩んでらっしゃるのでしょうね。
 何を教えてらっしゃるのかわかりませんが、そういった患者・障害者がある日突然全快してすばらしい健常者に生まれ変わるといった映画か御伽噺のような奇跡はありません。何年、何十年かかって前進があるのかないのかということもあるそうです。気長に接するしかないものらしいですよ。回答になっていませんけれど。
 私としては、知的障害者と精神分裂病患者への接し方というのは違いがあるように感じますので、どちらか一方へのボランティア活動に絞ったほうがmagelanさんが切り替えに混乱せずにすむのではと思うぐらいですが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。
短時日で成果ををだして、喜び合おうと考える余り、できることと願望との乖離に、自分の才能の無さに、絶望を感じておりました。反応のある人と接することに決めてしまえば、そして、それに自分が納得できれば良いのですけれど……

お礼日時:2001/11/19 00:30

ずいぶんと、固く考えられているようですね。


このサイトで、最も固い回答を常としている私に言われるのですから、大したものだと思います。
非難しているのではないですよ。良く考えているからこそ固い考え方になるのだと思います。

生まれたばかりの、赤ちゃんを考えてください。
本能がさせること意外に、何にも反応しません。
でも両親をはじめ、回りの方たちは赤ちゃんの「将来性」に希望を託して楽しげに接することができます。
しかし、「障害者」と呼ばれたしまった方々は「将来性」に期待をもたれなくなってしまいます。
誤解を招きかねない表現ですが「仕方なく付き合う」という状況になりやすいと思います。
また、実際に赤ちゃんのように学習して発達することは稀でしょう。
私もボランティアで、重度の精神、身体、知能、の障害を持つ方々と接することがあります。もちろん精神分裂症の方もおります。
それも施設の中ではなく、廃村となった古民家集落に、食材だけをもって三泊自活するのです。総勢で100名ほどです。半数は障害者です。
このような状況下では、理解できるできないの世界ではなく、個性をいかに活かすかに重点をおきます。
障害者の方の現在の状態を個性として尊重します。無理に理解しようとしません、またしている余裕もありません。
20kmの山道をともに車椅子を押して歩いている間に生まれたコミュニケーションだけが頼りです。
中にはヘレンケラー並の方がいますよ。さらに体まで不自由な方も。
でもね。彼(彼女)らも人格を持っています。人格の質が自分と違うだけです。
自分と違いがあることが特別だと思わないことから始めましょう。
彼らが当たり前で、自分だけが異質な存在だと思っても良いでしょう。
理解するのではなく、『理解させていただく』謙虚な気持ちを持ってください。
だから、「教える」事も私たちはしません。
『知っていただく』ように状況を用意する。タダそれだけに専念しています。言葉だけではなく、態度が問題です。
難しい理屈は、専門家の方にお任せしています。
私たちボランティアは『仲間』としてお互いを尊重しあい、個々の能力をいかにお互いの利益のために生かすか。
個性が生かされたものは、障害の有無に関係なく喜びを感じます。これは知的満足とは異なるでしょうが、自分の生きる力を再認識する機会となっているようです。

それと、善意の回答者の意見は素直に聞くようにしたほうが良いと思います。
見ず知らずのあなたへの無償の善意なのですから。
あなたのお礼は、そのまま障害者への『態度の表れ』として拝見させていただきます。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。あなたのおっしゃる通りです。
短時日で成果を出して、みんなで喜び合いたいと考え、自分の、できることと願望とが余りにも乖離しているために、情けなく口惜しく思っていました。いつのまにか、私自身、陥穽にはまり込んでしまったようです。

お礼日時:2001/11/19 00:09

>「教え方」そのもので、最良と思える方法を教えて下さい。


最良ですか…。申し分けありませんが、私は存じません。
私自身、日々模索している状態です。私も知りたいです…。

>こういう方法は絶対宜しくないという方法でも良いです。
相手次第で色々変る事ですので、何とも言えないですね。

>ヘレン・ケラーのような人を教えるとしたら、あなたはどのようにしますか?
「何を」教える場合でしょうか? 生活全般? 読み書き?
またヘレン・ケラーさんが幼少の頃ですか? それとも成人後?

…続け様に質問してしまって、ごめんなさい(悪気は無いですよ!)
でも、私の場合「生徒の情報」が、まず欲しいのです。
それを基にして、方法を考える様にしているので…。
「生徒が見えない状態」でアドバイスを書くのは、
私にとって、とても難しい事なのです。

少し話は逸れますが、
このサイトの教育関係の質問に回答する時、
私は「専門家」「経験者」の使用を、出来るだけ避ける事にしました。

理由は、「一般人」で語りかけた方が、質問者さんに
気を使われなくて済みますし、お互いに、カジュアルな流れで
話がしやすいからなのです。
「愚痴になるけど実は…」といった事を自然と話せる雰囲気を
こちら側から作り、気兼ねなく語って頂く事で、
問題の「解決への糸口」が見つかる事が、結構あるのです。


とある生徒(児童)が居たとします。その生徒は身体の都合で、
話を聞く事や喋る事、物体を目で見て認識するのが大変である…という
情報を、私が事前に頂いているとします。

私ならどうするか…。まず、生徒の状況を思い遣ります。
多分「よくわからない、自分以外のもの」に対して、
すごく意識が高くなっているだろうな…と推測します。
特に「自分以外のもの」に恐怖を感じている可能性は、かなり高いかと…。
ですので、まずは「私が安全な存在」であるのを理解させようと、試みます。
(方法は既に、他の方が書かれていますね)
どんなに時間がかかっても、物を教えるのはそれが出来てから…に、します。
「信じられる自分以外の存在」として認知が頂けなければ、
(信頼関係を作る…とも言い換えられるかな?)
何をアプローチしても、全く通じないと思いますから。

相手の反応の無さに囚われず、自ら働きかけるのを、忘れずに…。
magelanさんの参考になれば、幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございました。
大変、ご立派なお考えであり、ありがたいことです。

お礼日時:2001/11/21 00:45

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