秀吉が清洲会議で信長の子・三法師を立てて実権を握りましたが、その後三法師
はどうなったのでしょう。

A 回答 (3件)

 


  以下のURLに簡単なその後があります。
  なお、三法師は信長の子ではなく、孫です。
 
  秀吉は自己が実権を握ろうと、三法師を信長の後継者として傀儡に立て、三法師は後に元服して、織田秀信となり、岐阜城主、従三位権中納言(別の資料では、正三位)となりますが、これは戦国武将の官位としてはかなり破格です。やはり、信長の後継者であるので、高位を与えられたのでしょう。江戸時代でも、大名でも、普通従五位の国主ですし、家康も天下を取るまでは、従五位でした(もっとも秀吉晩年になると、内大臣までなり、最後には太政大臣となりますが)。関ヶ原の戦いで、西軍に与しましたが破れ、岐阜城は陥落し、自死しようとしましたが留められ、剃髪して出家しました。その後、1605年、26歳で没しました。秀信の死により、織田家宗家は消滅しました。
 

参考URL:http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/Rekishi/D …
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下のサイトをスクロールして行くと出てきます。



参考URL:http://www.m-network.com/sengoku/busyo/busyo-o.h …
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織田秀信 岐阜城主・中納言、関が原の戦いで西軍につき、のち高野山で死去、1605年。

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