江戸時代の綿の生産についてなるべく詳しく早く、
そして美しく丁寧に教えて下さい。

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A 回答 (1件)

綿は室町時代、戦国時代に朝鮮や中国から綿が輸入されていたという記録があります。

まだ衣料としては庶民の手には届きませんでした。しかし、戦国大名の武士たちの衣料、船の帆布、火縄銃の火縄などの軍需品としてなくてはならないものとなりました。日本で綿の栽培に成功したのは戦国時代末期と言われ急速に普及しました。
近畿、瀬戸内を中心に我が国の綿作、綿業は目ざましい発展をとげて、江戸時代の経済発展の重要な役割をはたしました。衣料としてこれまで用いられていた麻から木綿へのこの転換は、「繊維革命」といっても良いほどの大きな出来ごとでした。
江戸時代から明治の初めの頃までは、国産綿花による手紡ぎ、手織りの木綿が国民の主要な衣料となっていた。現在の愛知県、大阪府近辺は日本での有数の綿産地として知られ、その流れで綿布工業がおこり、今日まで続いています。

参考URL:http://www.fan.hi-ho.ne.jp/class-pet/futon2000/- …
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Q江戸の三大改革失敗の理由

「貨幣経済の発展に伴い、米中心の経済制度が崩れてきたからどの改革も失敗に終わった。」という内容を目にしたのですが、どうして米中心の経済制度が崩れると改革が失敗に終わるのかそのメカニズムが解りません。どなたかご存知の方いらっしゃいますか?

Aベストアンサー

>「貨幣経済の発展に伴い、米中心の経済制度が崩れてきたからどの改革も失敗に終わった。」

 「へー そうですかねぇ」って感じなので、その言葉を発した人の考えを十分に理解しているとは言えない私ですが、

 たぶん、その意見はこういうことなんじゃないかと思います。

 昔は米が中心で、どれくらいの米と交換できるかという価値観で物の価格が判定されたから、米を増産し、節約し、ため込めば、それだけ財産を殖やしたことになったわけですわ。

 ところが貨幣経済になると、米は一つの商品でしかなくて、米を増やしたって財産を殖やしたことにならないんですわ。

 まあ、、例えば米1俵が2両だったときより、米を2倍増産して2倍ため込めれば、米の価値は半分の1両になるわけです(実際はそんな単純に計算できる話ではないのですが、まあ価格が下がるという話)。

 となると、いままで100俵(200両)あった蔵に2倍の200俵の米をためこんでも前と同じ財産(200両分)でしかないわけですね。

 すると、財産家になったはずなのに、武士の生活はよくならない。よくならないのに、米は貯まったからよくなったはずだと思って2倍の贅沢をするヤツが出てくる。でてくる、というより、全員そうだったというほうが正解かな。

 すると、その贅沢者に着物や家具、刀などの商品を売り込んだ商人が儲かる。米を売れば、取り扱った商人が口銭をとって儲かる。「おかしい。幕閣のやらせていることはおかしい」「改革、失敗だよね」という話になるわけです。

 上記の意見も、そんなことを言っているのではないでしょうか。

 しかしね、これは武士の観点、武士の救済という点で眺めるから失敗なんで、日本国全体からいうと、さほど悪影響はないような感じがする・・・ って話は、今回の質問とは関係ないので省略。

 それに、けっこう商人は運上金や店舗税(間口の幅を基準にしてかけられたので、昔の店舗は『うなぎの寝床』と言われる、縦に細長い造りになっている)などを取られているんで、米中心の改革だった、という見方もどうかという気はするんですけどね。

>「貨幣経済の発展に伴い、米中心の経済制度が崩れてきたからどの改革も失敗に終わった。」

 「へー そうですかねぇ」って感じなので、その言葉を発した人の考えを十分に理解しているとは言えない私ですが、

 たぶん、その意見はこういうことなんじゃないかと思います。

 昔は米が中心で、どれくらいの米と交換できるかという価値観で物の価格が判定されたから、米を増産し、節約し、ため込めば、それだけ財産を殖やしたことになったわけですわ。

 ところが貨幣経済になると、米は一つの商品で...続きを読む

Q江戸時代に各地の特産物が生まれた背景

はじめまして。
江戸初期には田畑勝手作の禁で農民は穀物以外の栽培を禁じられましたよね。
しかし江戸中期には商品作物が栽培されるようになりました、そして各地の特産品へと変貌していきます。
しかしこの頃はまだ田畑勝手作の禁は廃止されていなかったはずです。

どのような背景から、法令を破ってまで特産品が生まれるようになったのでしょう?

Aベストアンサー

江戸時代に各地の特産物が生まれた背景

平和が続いたために農業生産・商品生産の技術が向上した。また、都市を中心に生活が向上し、ようような商品の需要が高まった。
米の生産力が向上し、商品作物を生産し、販売する余裕が生まれた。
より収益を上げるために農民の零細な農村家内工業の発達。
農業技術の発達により風土に適した特産物の生産。
大名財政の行き詰まりから商業作物・特産品栽培の奨励、保護、専売化。
当然のことですが、もともと畑作地はあり、年貢も現物と金納の両方であったこと。
年貢の金納化が進んだことにより、商品作物を作りやすくなった。
大坂を中心とする商品の全国流通網の整備により全国市場が成立し、商品化が進んだ。
米作より商品作物を作った方が収益が大きい例が多かったこと。綿などは金肥を使っても米の3倍以上の収益があがったといわれています。
農村の有力農民が土地を兼併し、商品作物の生産・流通及び金融の中心となり資本を蓄積し、豪農に成長する。
都市の問屋が豪農と提携し、商品作物の生産・流通を主導。また産地の農民に資金を出して、農村家内工業から問屋制家内工業に組織化し、特産化。

以上、分かる範囲で。

江戸時代に各地の特産物が生まれた背景

平和が続いたために農業生産・商品生産の技術が向上した。また、都市を中心に生活が向上し、ようような商品の需要が高まった。
米の生産力が向上し、商品作物を生産し、販売する余裕が生まれた。
より収益を上げるために農民の零細な農村家内工業の発達。
農業技術の発達により風土に適した特産物の生産。
大名財政の行き詰まりから商業作物・特産品栽培の奨励、保護、専売化。
当然のことですが、もともと畑作地はあり、年貢も現物と金納の両方であったこと。
年貢の金納...続きを読む

Q江戸時代の税金について

江戸時代では庶民からどのような方法、名目で税を徴収していたのでしょうか?

農民から収穫した米を年貢として納めさせるシーンは時代劇などで馴染みがありますが、江戸に住む普通の町民や商人からはどのように徴収していたのか、あまりイメージが湧きません。

江戸時代でも所得税や住民税などが存在していたのでしょうか?

ご回答よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

江戸時代の町(チョウ)の税金について最初に上げられるのが地子です。これは、町屋敷地にかかる税で、農村の年貢に相当しますが、城下町を形成するときに商工業者を集めるためや、為政者の加恩として地子を免除することが多く(城下町の多くや・京・大坂など)、江戸も地子免除(地子免許)でした。
さて、それ以外には小物成りに類する税。御用金。人夫役に類する税。現在の住民税に近い町入用などがあります。
小物成りは高外地に課税される税の総称で、農業以外の産業にかかる税でした。農村・都市を問わずに、土地収益に関する山手・川手、産物に関する漆年貢・茶畑運上、商工業者に関する問屋運上など、名称・種類が多くあり、町にも関係する小物成りもありました。その中には分一と呼ばれ売上や収穫の何分の一かの形で税率が決まっていたものが多くあります。市場の売り上げの1/20もしくは1/30を納めた市売分一のように多くの売上や収穫に薄く、広くかけました。売家の場合にも分一がかかりました。
小物成りに含まれるものとして、冥加・運上がありました。後代になると両者は一定の税率(対象により税率が違う)になるなど同じようになります。
冥加は、村の年貢にあたる地子を免除された御恩(冥加)に対して、そのお礼の意味でも冥加の言葉は使われ、最初は自主的な献金の形式をとりますが、その後定率納税の形になります。町では商工業者の営業免許税の性格が強く、個人上納だけでなく、株仲間上納がありました。金納なので冥加金と呼ぶこともあります。
運上は農業以外の商工業や林業・漁業などの従事者に、一定の税率をかけた一種の営業税で、金納なので運上金とも呼ばれました。
御用金は、幕府・諸藩などが財政不足を補うために窮民救済などの名目を立てて臨時に御用商人などに臨時の賦課です。本来は借用の形式ですが、返済されなかったり、利子分は献金に切り替えさせるなど、臨時の課税の性格が強かったものです。
次に労役(夫役)がありました。近代以前の納税には米などの物納と、労働力提供の形式があり、労役も納税の一種でした(小物成の一種としても考えられていた)。江戸では町人足役と呼ばれ、町人に課された夫役で、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防火などの都市機能を維持発展させるためや、幕府のために働く人足を出すものがありました。代銀納されることも多くありました。夫役の中心的なものは公役(クエキ)で、上記の目的で町人に付加されたものです。代銀納の場合賦課の基準が定められていました。土地20坪を一小間とし、日本橋などの中心部では5小間、芝などでは7小間で銀30匁とされ、借家人の分も含め地主が支払いをしました(店賃の中に含まれると考えられた)。
また、夫役の中には国役と呼ばれ、職人が江戸城の建築などに年の数日無償で従事する夫役がありました。これは戦国時代に大名が必要物資を確保するために職人を集めて大名に奉仕させたことに直接には由来します。江戸幕府も職人を集め、一定の町(職人町と呼ばれる)に住まわせ、地子を免除するかわりに普請や武具の納入などをさせる夫役です。後に代銀化し、棟梁などの頭役がまとめて納入するようになります。
最後に、現代の地方税、住民税にあたるとされる町入用があります。町は商工業者でもある地主・家持の本町人で構成された自治的な組織で、町役人である町名主などの役職や、寄合所・事務所である町会所、町の独自の掟である町法を持つのが普通でした。この町の町名主などの町役人、木戸番・火消等の人件費。町内の道路普請費用。その他町を運営するための運営費、事務費などの使われる費用でした。これは町名主に納めました。
以上ですが、江戸(他の都市も同じ)では、地借・借家・店借は、地主の町人に地代や店賃を支払うだけで他の負担はなかったが、長の運営には参加できませんでした。

地子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%AD%90
地子免許
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%AD%90%E5%85%8D%E8%A8%B1
小物成
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A9%E6%88%90
分一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E4%B8%80
冥加
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A5%E5%8A%A0
運上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E4%B8%8A
御用金
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E9%87%91
夫役
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%BD%B9


以上、長くなりました。参考まで。

江戸時代の町(チョウ)の税金について最初に上げられるのが地子です。これは、町屋敷地にかかる税で、農村の年貢に相当しますが、城下町を形成するときに商工業者を集めるためや、為政者の加恩として地子を免除することが多く(城下町の多くや・京・大坂など)、江戸も地子免除(地子免許)でした。
さて、それ以外には小物成りに類する税。御用金。人夫役に類する税。現在の住民税に近い町入用などがあります。
小物成りは高外地に課税される税の総称で、農業以外の産業にかかる税でした。農村・都市を問わずに...続きを読む

Q日本の金、銀は枯れたの?

黄金の国ジパングとか言われた時代もあったくらいに昔は採掘されたてのですか?

それらは今はほぼ枯れたのですか?

今からはイメージ出来ません

Aベストアンサー

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。
当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて
しまいました。あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。

現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索
技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。
一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、
大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が
発見されています。
下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。
http://www.iforum.jp/okuchika/t5713.html

菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない
と言われています。

さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか
は次の理由からです。
掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には
投資に合うメリットは無いのだそうです。それで現在の菱刈が枯れたら
次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。
金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも
ありません。

例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から
増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を
行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」
に成るかもしれません。
現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代...続きを読む


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