日本の国名の読み方は、古来“ひのもと”“にほん、にっぽん”とありますが、意味と、使われ方、その出典を教えてください。その、読み方の背景は、なんでしょうか?
どのような時代背景のもとに、そういった、呼ばれ方がされたのか興味があります。天皇と道教とのかかわりに、関係があるのでしょうか?

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A 回答 (2件)

『隋書』に、聖徳太子が隋に出した国書に日本のことを「日出処天子」と称したとあって、『孝徳紀』に「日本倭根子天皇」とあるように、中国から見て「東の方」すなわち「日ののぼるもと」を漢字で記して【日本】と称したようです。


古くは「大和」「倭」(やまと)と呼んでいたようですが、大化の改新の頃から正式に「日本」が国号と定められたようです。
対外的にはおおく「ニッポン」が用いられているようですが、「二ホン」「ニッポン」が厳密に使いわかられることなく併用されているようです。

「日」は漢音(漢の時代の読み音)ジツ、呉音(呉の時代の読み音)ニチ。また、「本」は漢音呉音ともに「ホン」。「日本」は呉音の字音よみとして、まず「ニッポン」と発音されたものが、次第に促音を発音せず日本的にやわらかな「二ホン」に変わっていき、両方がそのまま使われたと思われます。ちなみに、「ジッポン」という読みもあったようです。中国の歴史に影響を受けて、漢音(旧)から呉音(新)に変遷してきたのでしょうか。

この回答への補足

にほん、にっぽんとも、古代中国の各時代の音によるものということでしょうか
中国側の表現でもないのですか?
まず、中国側は、他国を侮蔑した表現で、倭とかいっていたようなので、
日本という漢字は、日本側(大和?)の表現ということですか?
だれが、最初に、日本とつけたのでしょうか?

補足日時:2001/01/15 11:42
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日本の読み方について、参考URLのHPが充実しています。


 
 次は簡潔に説明しています。
http://www.nifty.ne.jp/forum/ffortune/onmyo/niho …
http://www.trinity-ac.com/skill/199809/#sono10

参考URL:http://www.people.or.jp/~yamauchi-sr/nipponnkoku …

この回答への補足

しかし、ご紹介いただいた、ホームページ読めば読むほど
にほんか、にっぽんかなおさら、わからなくなり、
日本人のおおらかというか、いいかげんというか
国の読み方ぐらい、はっきりさせいといいたくなってしまい
ますます解かりにくくなってしまいました。(;;)

補足日時:2001/01/15 11:48
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Q日本という国名の由来

7世紀中国の文献にはじめて現れたと記憶していますが、どうしてこの国名を採用したと考えられるのでしょうか。そもそも「ひのもと」とは相対地名であり「朝の鮮やかなるところ」と同じで当時世界の中心であった中国からみて東方にあったことを示すだけの表現ではないか、とも思えます。
・どうして「日元」ではなく「日本」としたのでしょうか。
・「倭」とは中国から見た周辺民族への蔑称としての表現であるとの説から「和」が採用されたとの話は真実なんでしょうか。
・「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
・「ヤマト」はどうして「大和」の字があてられたのでしょうか。
・中国は「日本」を名乗ったことに対して激怒したそうですがそれはなぜなんでしょうか。中国の一部ではないことを表明したことになるのでしょうか。
・歴史的には「ニホン」という発音が正しいと聞いたような気がするのですが本当でしょうか。

 ひょっとしたら国内向けにはあの中国と対等になったのだと説明し、中国に対しては日が昇るような遠い東方のちっぽけな国でございます、とでも説明したのでしょうか。だとすれば外交手腕は7世紀当時と大して進歩していないような気もします。もちろんこの呼び名に何ら不満はありません。他意のない興味本位な質問です。

7世紀中国の文献にはじめて現れたと記憶していますが、どうしてこの国名を採用したと考えられるのでしょうか。そもそも「ひのもと」とは相対地名であり「朝の鮮やかなるところ」と同じで当時世界の中心であった中国からみて東方にあったことを示すだけの表現ではないか、とも思えます。
・どうして「日元」ではなく「日本」としたのでしょうか。
・「倭」とは中国から見た周辺民族への蔑称としての表現であるとの説から「和」が採用されたとの話は真実なんでしょうか。
・「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたの...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。
難しい質問ですが、
手元の辞書ではこのようなことが出ています。
もう少しお調べになったらもっとわかるかもしれません。ご参考まで。

1.「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
邪馬台国 ヤマタイコク
弥生(ヤヨイ)文化中・後期に確認される倭(ワ)の女王国。『魏志(ギシ)』倭人(ワジン)伝の刊本には邪馬壹国とみえるが、定説どおり邪馬台国とするのが妥当。邪馬台は正式には「やまと」と読むが、大和(ヤマト)王権と区別するために一般には「やまたい」と呼称している。
--以下略--
出典:小学館 日本大百科全書

2.「ヤマト」はどうして「大和」の字があてられたのでしょうか。
大和∥倭 やまと
狭義では奈良県の一地域,ついで奈良県全部,広義では日本全体を指した語。大和政権の領域拡大とともに日本全体を指すにいたったもの。狭義のヤマトは,《古事記》《日本書紀》に,奈良を過ぎヤマトを過ぎ損城(かつらぎ)へ,という歌謡があるように,奈良の南方で損城の東北方の,大和国城下(しきのしも)郡大和(おおやまと)郷,今日の天理市新泉町の大和(おおやまと)神社周辺の地とされる。このヤマトは,損城と並んで土着の勢力の中心地。やがて畿内豪族の連合政権である朝廷が奈良盆地に拠点を置くと,今日のほぼ奈良全県をヤマトと呼ぶようになった。語義は山に囲まれた処(と)の意かという。筑後国の山門(やまと)などとは,同じトでも当時のトの音が異なり,意味も別である。倭という漢字は,回り遠い,従順,矮小などの意だが,中国で古くから日本を指すのに用いられたので,5世紀の倭の五王のころには〈倭国王〉と自称するようになり,意味の上では本来関係のない倭という字とヤマトという訓とが結びつくこととなった。7世紀から8世紀にかけて,国号には倭の字を避け,〈日本〉という表記を用いるようになり,その訓もヒノモト,オホヤマト,オホヤシマなどとしてヤマトとはいちおう区別し,倭国,大倭国といえばふつうは奈良全県を指す行政区域名となった。律令体制下の1国としての大倭国は,737年(天平9)から747年まで〈大養徳国〉と表記を改め,757年(天平宝字1)ころから大和国と表記されるようになる。しかしその後も引き続き,一般には倭,和の字やヤマトという語は,日本的,日本風を意味するときに使われている。⇒倭(わ)
執筆:青木 和夫
出典:平凡社 世界大百科事典 第2版

3.国号や国の位置づけに関して
日本
【国号】
 日本では大和政権による統一以来,自国をヤマトと称していたようであるが,中国や朝鮮では古くから日本を倭(わ)と呼んできた。《前漢書》《三国志》《後漢書》《宋書》《隋書》など中国の歴史書や,石上(いそのかみ)神宮の七支刀の銘,高句麗の広開土王の碑文も,みな倭,倭国,倭人,倭王,倭賊などと記している。そこで大和政権の代表者も,中国と交渉するときには,5世紀の〈倭の五王〉のように,国書に〈倭国王〉と記するようになった。しかし中国との国交が120年ほど中絶したのち,7世紀初めに再開されたときには,《隋書》に〈日出処天子〉,《日本書紀》に〈東天皇〉とあって,倭と自称することを避けるようになっていたらしい。中国側でも《旧唐書(くとうじよ)》の東夷伝に至って初めて〈倭国〉と〈日本国〉とを併記し,〈日本国は倭国の別種なり。其の国,日の辺に在るを以ての故に,日本を以て名と為す〉とか,〈或いは曰く,倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み,改めて日本と為す〉とか,〈或いは曰く,日本は旧(もと)小国,倭国の地を併す〉とか,倭から日本に変わった理由を紹介している。
 この7世紀には,遣隋使に続いて遣唐使がしばしば派遣されているが,いつから倭に代えて日本を国号とすることにしたのかは,〈日出処〉が〈日本〉に転化していったことはまず確かだとしても,実は明らかでない。遣隋使や遣唐使のそのつどの交渉について,かなり詳しく記述している《日本書紀》も,8世紀になって日本という国号が確立したのちの書物であり,その中に使われている原資料にあったかもしれない倭の字は,国号に関するかぎりすべて根気よく日本と改められている。そこで《日本書紀》以外に文献を求めると,《海外国記》の逸文に,664年(天智3),大宰府に来た唐の使人に与えた書には〈日本鎮西筑紫大将軍牒〉とあったとある。だがこの《海外国記》も733年(天平5)に書かれているから,倭を日本と改めている可能性がある。結局確かなのは,702年(大宝2)に32年ぶりで唐を訪れた遣唐使が,唐側では〈大倭国〉の使人として扱ったのに対して,〈日本国使〉と主張したという《続日本紀》の記述であり,《旧唐書》東夷伝の記事も,この当時の日本側の説明に基づくものと思われる。
 この日本が,今日のニホン,あるいはニッポンのどちらに近い発音で読まれたか,または当時の漢音でほぼジッポンと読まれたか否かも,,まだ明らかでない。しかし日本という国号は,中国や朝鮮ではもちろん,はじめは日本の国内でも音読されていたようであり,ヒノモトという日本に対応する訓読も,《万葉集》では〈ヒノモトのヤマト〉というように,古くからの国号であるヤマトにかかる枕詞として用いらるにとどまり,これがヤマトと並ぶ日本語風の国号として独立するのは平安時代以後である。中世に中国を通じて日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの《東方見聞録》では,日本国が Zipangu,Jipangu などを書かれているが,その後ヨーロッパに広まった Japan,Japon,Jap1o などの称については,日本に対する中国の華北音の jih pen に基づくとする説と,華南音の yat pun に基づくとする説とがある。中世末の日本に渡来したヨーロッパ人たちは,ロドリゲスの《日本大文典》や《日葡辞書》に,当時の日本人が日本を Nifon,Nippon の両様に読んでいたことを記録している。近代では日本の読み方を統一しようという動きがあり,1934年の文部省臨時国語調査会では,ニッポンを正式呼称とする案が議決されたが,法律制定には至らなかった。なお正式な国号は,明治憲法では〈大日本帝国〉であったが,現行憲法では〈日本国〉である。⇒大和(倭)(やまと)∥倭(わ)
執筆:青木 和夫
出典:平凡社 世界大百科事典 第2版

こんばんは。
難しい質問ですが、
手元の辞書ではこのようなことが出ています。
もう少しお調べになったらもっとわかるかもしれません。ご参考まで。

1.「ヤマタイ」が「ヤマト」に転じたのでしょうか。
邪馬台国 ヤマタイコク
弥生(ヤヨイ)文化中・後期に確認される倭(ワ)の女王国。『魏志(ギシ)』倭人(ワジン)伝の刊本には邪馬壹国とみえるが、定説どおり邪馬台国とするのが妥当。邪馬台は正式には「やまと」と読むが、大和(ヤマト)王権と区別するために一般には「やまたい」と呼称している。
--以下...続きを読む

Qいつから日本と呼ぶようになったの?

歴史の授業中、生徒に『いつから日本と呼ぶようになったの?』と質問れたのですが、お恥ずかしいことに答えることが出来ませんでした。
720年には『日本書紀』が書かれているわけだから、聖徳太子が『日出づる処の天子・・』と隋の煬帝に書を送った辺りからなのかなぁとは思うのですが何方かご存知の方教えていただけないでしょうか。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「日本」という国号を対外的に表明したのは、702年の遣唐使です。
『旧唐書』などでは、それまで「倭」からきたといっていた使者が、国号が良くないので改めたという説、日本は倭の一種であるという説などが出ています。
この遣唐使は、701年の大宝律令制定を受けて、送られた使者と考えられています。大宝律令の公式令(公文書の書式・扱いなどに関する規定)では、「日本天皇」という表現があったようです。「日本」という国号は、「天皇」という称号と同時期に生まれたものといわれています。
「天皇」という称号は、奈良県の飛鳥池で見つかった木簡の表記などから、天武・持統天皇の頃に成立したと考えられています。ゆえに「日本」号もこの時期に成立したと考えられるのです。

なお遣隋使の国書でも「日本」と言う語を使っていますが、これを含めてでてくる「日本」号は、後世の文飾であろうといわれていますので、聖徳太子の頃に「日本」号はなかったと考えるのが、古代史の研究の世界では支持される見解です。

参考文献としては、吉田孝『日本の誕生』(岩波新書)が、最適だと思います。


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