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私は、現在21歳なのでどちらもリアルタイムで見たことはありません。

「8時だよ!全員集合」と「オレたちひょうきん族」はとても人気があった事は知っています。
親に聞くと「あの時代は兄弟でどっちを見るか毎週ケンカしてた。ビデオなんてない時代だったしね。」と言っていました。

ドリフとひょうきん族を比べるとどちの方が人気あったのでしょうか?
また視聴率はどちらが上だったのでしょうか?
その時代の事をよく知りたいので、どんな事でもいいので何か回答頂けるとうれしいです。

A 回答 (10件)

わたくしも小中学のころ「全員集合」でした。

ですが,ワンパターンなこともあり,だんだん見なくなりました。
小学校のころの「クリスマス会」などのクラス行事では,カトちゃんの「ちょっとだけよ」を披露して,大いに沸かせたものでした。いい思い出です。
いまでも,宴会などでもし突然あの曲が流れてきたら,「チョットだけよ」をやっちゃうかもしれません。
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40代後半です。


「全員集合」は子供(小中)の頃見ていた番組です。途中で見なくなりました。

その後出てきたのが「ひょうきん族」です。
出演者と同世代なので、見たり見なかったり。
さんまさん、紳助さんなど、大阪の番組ででていた人が東京進出って感じでした。

「全員集合」(後半はわかりませんが)は一家にテレビが1台の頃、「ひょうきん族」は子供部屋にもう1台(または一人1台?)が増えてきていた頃、と分かれるように思います。

関西の番組でさんまさんの師匠の「笑福亭松之助」さんがブラックデビルの格好ででていた事を思い出しました。
「親の七光りならぬ、弟子の七光りですわ」といってました。
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NO.4です。



No.7さんのご指摘通り、初代は高田純次さんでした。

病気の代役でさんまさんになったのでした・・・。

まちがった情報を教えてしまい、申し訳ございません。
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全員集合より暫く経って、胸を借りるつもりで始まったのがひょうきん族です。


それが時代のニーズとともに視聴率が逆転し、全員集合が打ち切りになりました。
外人が見て笑えるのは全員集合だそうです。
おそらく、ひょうきん族は、ハリウッド映画で言うと
エディー・マーフィーのように、自国の人以外にはわかりにくいのでしょうね。
因みに私は、ドリフを見てましたが、ひょうきん族が始まってからは、
そっちに移行して見てました。

蛇足ですが、#4さんが仰ってる、
「タケチャンマン」に出てくる、明石家さんま扮する
ブラックデビルは、第1回目は「島田紳助」が
やっていたの知ってる人少ないと思います・・・というのは違うと思います。
ブラックデビルの初代は高田純次です。
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ひょうきん族が始まってからは、人気、視聴率とも急速にひょうきん族に傾きましたね


当時もう家庭用ビデオはありましたけど
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 わたしの小学生の頃はまさにその時代でして、もちろんビデオはなかったのでいろいろ試行錯誤してました。



1.
 今週はドリフ、次の週はひょうきん族、その次はまたドリフ、のように一週間ごとに交互に視聴。一応CMの時にチャンネルを変える。
2.
 ドリフは長寿番組なので、ある程度面白いコントとつまらないコントがわかるようになってた。とりあえず最初はドリフに回し、最初の5分くらいで判断をつけてひょうきん族に回す。面白い(好きなタイプの)話のときはそのままドリフ。
3.
 ドリフの番組構成は最初の15~20分が長尺コント、次は歌を5~10分、後半に5分くらいのショートコントを2本という成り立ちなので、最初の長尺コントを見た後にひょうきん族を見る。歌が終わってショートコントに入る頃にドリフに戻し、ひょうきん族で懺悔室をやる頃にまたチャンネルを回す。

 などなど。
 とまあ、当時は小学生なりにいろいろ工夫して、両番組を楽しんでました。
 兄弟は妹が一人いましたが、年が離れてて当時赤ん坊ですから、チャンネル争いになったことはありません。

 ところで当時のイメージとして小学校中学年以下はドリフ、高学年~中学生以上はひょうきん族、といった感じで人気が分かれてた印象があります。
 ひょうきん族は新人歌手やタレントを華やかに紹介したり、ちょっと小学校低学年以下にはわかりづらいギャグをやったりって感じで。
 それと親にドリフを禁止されてた家は実際にあったので、それは完全にひょうきん族に流れていきました。
 そんな感じで一時は視聴率40%の怪物番組だったドリフも、少しづつ沈んでいきます。
 わたしもさすがに同じようなギャグが多くなってつまらないと感じるようになり、やがて最初から最後までひょうきん族を見るようになっていきました。
 それでも愛着はあったから、ドリフの最終回は感慨深く最初から最後まで見ましたけどね。
 実は新井注(特別出演した)を知らなくて、志村けんがドリフに途中から入った人だというのは、そのとき初めて知りました。
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30代主婦です。



ドリフは、地方の会館など観客を動員しての生放送。
ひょうきん族はスタジオで録画収録。

ドリフも面白かったのですが、笑いがパターン化されて
いたので、
ひょうきん族は「新しい笑い」という印象でした。
http://www.hyoukin.tv/

いろんなコーナーがあって、「ベストテン」のパクリの
「ひょうきんベストテン」好きでしたね~。

ひょうきん族が始まってすぐは、どっちを見てる?と
学校でも話題になり、だんだんドリフ離れをしていった
ような気がします。

そして、ドリフの視聴率が下がってきて、
1985年9月28日(←今、調べました)
最終回となりました。

笑いの世代交代の時期だったのではないでしょうか。

「タケチャンマン」に出てくる、明石家さんま扮する
ブラックデビルは、第1回目は「島田紳助」が
やっていたの知ってる人少ないと思います・・・。

山田邦子がひょうきんベストテンで、
島倉千代子の物まねをし「人生いろいろ」を
歌っていました。
まねが大げさで面白かったのですが、
あの曲がヒットしたのは、「山田邦子」のおかげと
言っても過言ではないと思います。

片岡鶴太郎は、今でこそ絵を描く芸術家みたいになっていますが、
当時は近藤真彦のモノマネをして、なぜか物凄い熱い
「おでん」を食べさせれて「アチチチチ」というので
笑いを取る、リアクション芸人でもありましたね。

ひょうきん族は下品な番組だというレッテルもあり、
親には評判悪かったですね。

懐かしいわ~
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うわ、懐かしい。

当方30代前半ですが、土曜は必ず観ていました。
20歳でもうリアルタイムではないのですね、ちょっとショックです。

全員集合は、はじめの30分が長めのコント、残りが短いコントや歌芸等でした。
なので、最初の30分はドリフ、それが終わったらひょうきん族にチャンネルを変えていました。

どっちを観てるか、学校で話題になってましたが、
両親、祖父祖母は大嫌いでした。基本的にあほな番組だったと思います。
面白くて大好きでした。
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「8時だよ!全員集合」の方が歴史は古いです。

一時は無敵でした。しかしフジテレビが同じ時間帯に「オレたちひょうきん族」をぶつけたことで、ドリフの視聴率が落ちたらしいです。
それが原因で番組が打ち切りになったとか、らしいです。
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私の感覚では、この2番組は笑いの種類が違うというか、どちらも楽しいのですが、ドリフ派とひょうきん派で棲み分けを出来ていると思います。



小さい子供ほど受けるのはドリフで、大きくなるに従ってひょうきん族かなあ。ちょうど私の成長と同じくらいに番組がそれぞれ盛り上がっていたので、たのしく視聴してました。

ドリフターズの笑いは基本の「バカ」から派生して、ひょうきん族の笑いは個人の芸をアレンジと言ったところでしょうか。
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