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高校の世界史で宗教改革を勉強するとき、ドイツ農民戦争が出てきますよね?

ところが、せいぜいこの戦争でルターが「うそつき博士」というあだ名をもらって保守化したことが分かるくらいで、わざわざ教科書に載せる事項でもないような気がしてきました。

教科書に出てくるということは、ドイツ農民戦争がアウグスブルクの宗教和議にいたる宗教改革史、またはドイツ史になんらかの影響を与えているのだと思うのですが、ではどんな影響を与えたのか、農民戦争の意義をどなたか教えてください。

A 回答 (3件)

ドイツ農民戦争(大農民戦争)は中世の終わりを象徴づける


決定的な出来事であって、
実はルターの宗教改革よりも重要な出来事なのです。
だから宗教改革とは同じ時間軸で進展して
ともに関連して影響しあってはいますが
これは宗教改革が起こらなくても起こったであろう
ヨーロッパ最初の農民の革命であって
宗教改革が起こったことでより残忍になり
血なまぐさい歴史の惨事として記憶されますが
別に理解する必要があるのです。

貨幣経済と発展による農民の地位向上と
逆にその貨幣経済によって
支配の基盤であった荘園制が揺らいた領主が
農民に重税を課そうとしたときに、
ちょうどルターの教会改革、聖書への回帰を求める運動がおきて
福音主義のもとづくキリスト教原理主義の考えが
農民の間に浸透したことから
キリスト者の自由という平等を求める社会革命に発展しました。

ミュンツァーらは革命の神学をうちだして
ドイツに農民の理想郷を築こうと農民団を集結しますが
宗教改革をただの教会内の教義闘争としか考えてなかった
ルターはこれに恐れをなして悪魔の手先だと糾弾しはじめ
諸侯との同盟をつよめて
「(反乱農民は)何者でも刺し殺し、打ち殺し、絞め殺せ」という
過激な主張をルターがし始めるのはこのためです。

ドイツ農民戦争はほとんど新教側の諸侯によって弾圧されていて
農民戦争の後で新旧両派の宗教戦争が始まるわけで
この期間は事実上の停戦に近い感じですから
これが宗教改革を停止してでも潰す必要がある
重大問題だったということがわかるでしょう。
宗教改革も要するに宗教の名を借りた
諸侯や皇帝、教皇間の勢力争いにすぎません。
三十年戦争は最初の欧州大戦ではありますが
信仰とはあまり関係ありません。(実際、新旧どちらにも多くの転向がある)

だから社会の根底を揺るがした出来事として
大農民戦争は決して省けない重大事で、
封建制度の打倒と、平等を目指した革命運動として
その後の市民革命のさきがけであるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
目から鱗が落ちました。
一連の宗教改革を、思想史的な見方でなく、政治経済史から見ると、このように見えるものなのですね。
そうすると、農民戦争の位置づけもはっきりします。

また、ご回答おねがいします。

お礼日時:2005/11/07 07:28

1番の方とは、異なる視点からです。



ドイツ農民戦争は、実質的には大規模な農民反乱です。
ただこれだけを見るのではなく、時代は多少異なりますが、フランスのジャックリーの乱、イギリスのワットタイラーの乱、チェコのフス派の乱、ロシアのプガチョフの乱などと、基本的には同じものです。

中世から近世への移行期においての、社会矛盾が、噴出したものです。

ルターの宗教改革も、その一環でした。

ルターの場合、領主層の支持を得たため、領邦君主の保護を得られましたが、フスの場合は、火刑に処せられた事をきっかけに、乱が起こります。
ルターが、領主層の支持をえられなければ、ドイツ農民戦争は、ルターをかついだ、ルター派の乱といわれたかもしれません。

フス派は、過激分子の主張に、一般の人達が付いてゆけず崩壊しますが、ドイツ農民戦争も、ルターの主張を取り入れてはいますが、それが先鋭化し、ルターの思惑以上に進んでしまいます。
宗教改革だけではなく、社会改革、実質的な共産主義体制を目指す方向に進んでしまいます。

そのため、一時は大勢力を誇った農民軍が、分裂し、崩壊してしまいます。

ドイツ農民戦争、やワットタイラーの乱などにより、小規模領主層は、領地を荒らされ、没落してゆきます。
かわって没落領主土地を、国王や領邦君主が併合し、王権の強化がはかられ、絶対王政への布石となります。

また、これらの乱により、教会の権威や財力が失われ、中世的慣習も、しだいに姿を消す事になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ドイツ農民戦争を、宗教改革の一環ではなく、宗教の名を借りた対封建的特権運動とみなすわけですね。
それなら、そう教科書が書いてくれればいいのに…。

またご回答、お願いします。

お礼日時:2005/11/07 07:24

なかなか鋭い質問ですね。



ルターは、純粋に神学上のことを原因として宗教改革を始めていくわけですが、結果的にはこれが政治的問題にまで発展したわけです。
ルター自身もザクセン公という、いわば政治的権力者の保護を受けながら聖書のドイツ語訳に励みました。
逆にザクセン公を初めとする新教派諸侯から見れば、宗教改革でルターを利用して、ローマ教皇によるドイツに対する諸介入を排除したいわけです。
このような関係から、質問者の言うとおり、ルターは保守化しました。
私は、このルターの保守化を鮮明にするために、ドイツ農民戦争に触れる必要があるのだと思います。
そして、ドイツ農民戦争が鎮圧されたために、アウグスブルクの宗教和議では、個人の信仰の自由は認められず、政治的な観点から領邦教会制がとられることになっている…とつながってくるのだと思います。

盲点をつかれました。また、このような素晴らしい質問をお待ちしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
アウグスブルクの宗教和議で、領邦教会制がとられたうらに、農民戦争でのルターの保守化があったのですね。

またご回答、お願いします。

お礼日時:2005/11/07 07:15

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