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時間(時;とき)とは一体何ですか?いつから時は流れ、どこへ向かって進んでいるのでしょうか?輪っかみたいにグルグルと廻っているだけなのでしょうか?直線的に無限の過去から無限の未来へと流れるものなのでしょうか?それとも、遠い昔に時間の流れが始まった地点でもあるのでしょうか?虚数時間なる理解し難い時間観もあるようです。そもそも、時が止まったとしても、止まったことに気づくことは不可能ですよね?全てが同時に止まって同時にまた動き始めると、止まっていたことに気づきようがないですよね?今こうしている間にも、10億年くらい時が停止していたとしてもそれを知覚できない。
時間とはいったい???

A 回答 (14件中1~10件)

私の知る範囲の知識と解説力ですが、「時間とは物質に依存しての存在」です。

今は間違っているかもしれませんが、アインシュタインはそう言ってましたよ。

物質がない空間には時間が存在しないそうです。物質が変化するので時間があるということになるようですよ。

光も物質(重力で曲がるので)、エネルギーも物質、魂も物質(生命活動がなくなると生命体は重量が若干軽くなるそうです)

重量のない物質があると思っていたら、体積がないのに重量があるニュートリノ?だったかな?物質ではないのでしょうか?けれど、現在の量子力学でも、止まっている光の粒を観測したり、波なら尚更、風を止めたところで、空気しかなくて風の研究なんて出来ないのと同じだと思ったのです。

物質がないビックバン以前の宇宙では、時間もないことになるのですが、そもそもビックバン以前の光を探すことは不可能…でも、もしかしたら無の宇宙にも何か時間の事情?があったのかもしれませんね。それは今後の科学の発展に期待しましょう。
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この回答へのお礼

時間は物質に依存して存在ですか。なるほどです。 物質⊃時間ということですね。今まで物質⊂時間だとばかり考えていました。
御回答有難うございました。

お礼日時:2005/11/06 11:32

時間とは、この世のルールの1つです。



この世の創めから時間は存在し、この世の終焉まで存在し続けます。

この世的にミれば直進的でもあり、1人の人間的感覚からミれば無限にも感じる事でしょう。

点・面・空間・時間、この接点が『今』であり、輪っかか直線的かは、1個人的人間感覚では周りはミえないので判りません。

3アウトでチェンジが野球のルール。1日24時間がこの世のルール。

アナタもワタシも今はこの世の住人、この世のルールに縛られています。

時を止めるのは、審判の裁量。知覚出来ないのも慈悲。

この世のルールで何を考え、何を行動するかが大切であり、ルールの成り立ちについての懐疑は、今は分不相応。

この世の舞台で役者してくださいな。様々なルールのもとで演じてくださいな。

この世での活動は『一時』。この世での経験は『永遠』

この世は『仮』のもの。この世は『虚』なもの。この世は『空』であります。

『仮』の1小説からも、『仮』の1映画からも、得るものはあります。『仮』の人生からも得るものは沢山ありましょう。 

この世ルール外では本来、「現在」「過去」「未来」は共存しています。
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この回答へのお礼

そう言い切れる根拠は?
丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/06 12:57

時間とは、空間の属性である。



こう言ってみたのは、実は人間の感覚に合わせてみたわけです。空間あるいは存在は、目で見、触り、といった感覚で捕らえることが出来ます。ところが時間はそのようには捉えられません。目で物を見ていて、変化があると認めるとそこに時間の存在が思念されるわけですが、その際、感覚―思念という、人間による再構成の段階を経ているわけで、それゆえ時間は存在の側にではなく人間の認識の側にある、という錯誤が生まれうるのです。

ところがすべての存在は変化する、というのは今や厳然たる事実です。ということは存在(空間)と時間とは切り離すことは出来ません。それゆえ両方を一つにした概念が必要で、それは「時空 space-timeまたはtime and space」と呼ばれます。ですから冒頭の表現を言い直すと次のようになります。

時間とは、゛存在=時空゛の形而上学的把握の一部面である。

私たちの認識の仕方もこれに合わせて変えていく必要があるかもしれません。そして時間とはあくまでも便宜的な認識方法に過ぎないことを頭の片隅にでも入れておきたいものです。

>いつから時は流れ、どこへ向かって進んでいるのでしょうか?
→時間は「存在」と同時に始まったので、宇宙開びゃくすなわちビッグバンから始まりました。そして存在の続く限り続きますので、宇宙の消滅に向って(あなたの表現を借りるなら)、または宇宙の消滅まで続きます。

>直線的に無限の過去から無限の未来へと流れるものなのでしょうか?
→上に述べたように、時空として捉えると、時間は直線でも輪でもありません。それらは人間の頭の中での習慣的な図形化でしょう。実は時間は時空の中での変化です。歴史はその変化の痕跡です。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
時間は存在と同時に始まったのですね。存在の始まり以前は存在すらなかった、つまりあらゆる要素がなかったということですね。
要素もなければ必然的に因果も存在し得ません。なのに、なぜ「存在」が始まったのでしょう?「存在」が始まるという結果の原因は何なのでしょう?「存在」が始まる前に原因が「存在」したのでは?
いずれにしても時間の哲学は奥が深いんですね。

お礼日時:2005/11/06 12:52

其は一滴の川なり


平静なれど、激甚にして、刹那の内に、物事の行く末までも決定す。

無から永遠へと 流れ出るカオス
存在と時は不可分。存在の流れが、時なのです。そして、それが、カオスを泳ぎきることは無い。カオスにおいては、存在は解体され、時も、流れない。カオスには、連続性が保たれない。それは、永遠が、均質でない、自明の謎だから。だけれどカオスには、定まった方向、永遠がある。それは、時間とは言えない、永遠なのです。
 無から永遠へと流れ出る帯(カオス)に、幾つもの川が在る。宇宙から見た地球の大気の動きのように、様々な時間の形がある。渦もあれば行き違いもあるし、流れない鏡のようなところもある。そしてそれらは、存在という一滴に、集約されるのです。
 
存在は海なる一滴
全ての時がそれに通じ、それを目指し流れる。いかなるものでも、それを押し動かすことはできない、不動の一なり。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
あなたの哲学観は複雑なのですね。深みを感じました。

お礼日時:2005/11/06 12:42

 こんばんは。



 うまく説明できるかどうかわからないのですが……。

 私としては、仏教の時間論に、いちばん感覚的に近いものを感じています。

 曰く、「時間も煩悩である」。

 「煩悩」は、本来「無常」なものに、執着すること。
 「無常」は、この世のものは、すべて実態がない、ということ。

 たとえば、青葉が、やがて茶色になる。
 それを見て、ひとは、「時が経った」と思う。

 これは、無常である世の中の一部である「葉」を、理解し、説明しようとするために、「時」という概念を持ち出してきたことにほかならない、と。

 で、無常なものを理解・説明したいと思う→煩悩です。

 人が老いるもの、町が変わるのも、本当は、常なきこの世の定めでしかなく、その変わりようは、みんなそれぞれ、千差万別です。法則などない。

 こんな「無常」なものを、ある一定の尺度(=時間)で計ろうとするのは、無理がありはしないか。

 万物は、すべて、変化しつづけます。実態はありません。その変化に、法則などありません。(=無常)

 それにある規則性(=時間)を求めれば(=煩悩)、当たり前のことですが、つねに裏切られます。

 「時間」は「煩悩」というのは、そういうことです(と、私は、解釈しています)。

 学生時代、平川彰さんという仏教の碩学の最終講義が在籍していた大学でありました。その時のテーマが、「仏教の時間論」でした。
 聴講して、非常な感銘を受けたんです。
 この回答は、そこで得たものに基づいています。

 ご参考になれば。 

 
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この回答へのお礼

仏教による時間観に興味が湧きました。
無常観ですね。
回答有難うございました。

お礼日時:2005/11/06 11:38

物理には疎い(いやそれ以外も)ですが、時間と距離の“ものさし”は“光速”ですよね?ね?



光をミクロに見ると粒であり、波だというらしいですが、これが理解出来る、想像できた人の頭の仕組みがわかりません。実際に光の粒が観測出来たのでしょうか?

よって時間も距離も、光を観察したり制御したりができる科学力を人類が可能にするなら、タイムマシンだって実現できるかもしれませんよね(あくまで私の妄想です)。

この回答への補足

そうですね。
ところで、時間とは何ですか?が質問です。
もし宜しければ、論点に忠実に回答して頂きたかったのですが、すみません私の質問にも落ち度が多々あるようで理解してもらえず。

補足日時:2005/11/05 22:21
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2005/11/06 11:33

き・お・く


この言葉を理解するためには、き~くまでの時間が必要です。
そうか、他の方への意見は、ダメですか。
興味深い話題なのですが、もう、絶対この質問に投稿しない!と言えば
議論にはならないのかな、私としては、敬愛する人ですし(笑。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。 有難うございました。

お礼日時:2005/11/05 21:00

時間とは、約140億年前に始まって、もしかしたら約600億年後にはなくなるものかもしれないですね。


時間とは、止まらないものかもしれません。もし止まることがあるとしたら、その外に止まらない時間があってそれとの比較ができなければならないということかもしれません。
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この回答へのお礼

「時間の外」ですか・・・不思議ですよね。
ありがとうございました

お礼日時:2005/11/05 20:41

「物理的な時間」と「自分の存在に関わる時間」を分けて考えた方が良いように思います。



常識的には、時間と言うと「物理的な時間」を指すのではないかと思いますが、物理的時間という
ものが本当にあるのかどうかは、実はよくわかりません。

物理的な時間については、科学の対象ですから、基本的には数学モデル上の「仮想量」だと思います。
実際、空間の3次元に対し、時間を第4次元目の量として扱う、すなわち、時空間として4次元世界
を考えることで、一般相対性理論などができていますから、そのような数学モデルを仮定すれば、自然
現象がうまく説明できるという話だと思います。ただ、これは、あくまで仮想量であり、数学モデル上
の話なので、物理的世界の時間が実際どういうものかは、確かめようがないと思います。

また、自分の存在に関わる時間については、はっきりしているのは、自分にとっては、いつでも、
「今」という一点しかないということです。過去は、既に経験されたものの印象として「記憶」の中に
蓄積されているだけですし、未来は、これから起こりうる可能性として「想像」されるだけです。
常に経験されるのは「今」だけで、この「今」という一点を生きることで、「可能性」としての「未来」
を、既成事実としての「記憶」に変換し続けているのが、自分にとっての時間のありようだと思います。
それ以外は、「時間」について確かなことが言えないような気がします。

もし、科学的な「時間」に興味があるようでしたら、「物理」の分野で質問された方が、より具体的な
回答が得られると思います。
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この回答へのお礼

カテを間違えていたようです。
大変参考になる回答で役に立ちました。
ほんとうに有難うございました。

お礼日時:2005/11/05 20:17

流れるとか、進むとか、


時間を、空間で考えています。

確かに、難しいですが、出来れば、やり直して欲しい。

私にも判りません、質問の仕方も判りません。

この回答への補足

「流れる」とか「進む」は、単なる表現上のレトリックですので。そこがこの質問の要点ではなくてですね、本質が伝わらなかったのが残念です。申し訳ありませんでした。

補足日時:2005/11/05 20:02
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2005/11/06 11:34

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