昭和天皇はA級戦犯の合祀後は
靖国の参拝をおやめになられましたよね。
これは陛下自身のご意志だったのでしょうか?
それともまわりからおやめくださいと制せられた
結果なのですか?
私は、日本国に忠節を尽くして刑死を遂げた臣下に対して
あの陛下が不義理や日和見をなさるはずがないと
思うのですが、そこが疑問です。
ご存じでしたらよろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

 昭和天皇が,靖国神社にA級戦犯合祀後に参拝されていないのは事実ですが,A級戦犯が合祀されたから参拝していない訳ではありません。

同じ戦犯でも,BC級戦犯が靖国神社に合祀された以降にも,昭和天皇は靖国神社に参拝しています。
 
 1975年,三木武夫首相が,戦後の首相としては初めて,終戦記念日に靖国神社を参拝しました。この時,政教分離の原則に反するのではないかとの指摘に「私的参拝である。」と言い切っています。
 私的参拝四原則と言うのを掲げたのです。
1 公用車を使用しない。(実際にタクシーで行かれた)
2 玉串料は私費から支出する。
3 記帳する際には肩書きを書かない。
4 公職者を随行しない。
 
 この1975年の11月21日に昭和天皇・香淳皇后が靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑に参拝しています。
 この両陛下の参拝に際して国会で議論になりました。両陛下の参拝は私的参拝か,公式参拝か。
 三木首相が掲げた私的参拝四原則ですと,天皇は,1と4をクリアできず,それ以後両陛下が靖国神社に参拝されなくなりました。1975年11月21日に参拝されたのが最後となりました。
 A級戦犯が合祀されたのは,その後の1978年です。
 
 首相が靖国神社に参拝するたびに「私的参拝か?公式参拝か?」などと議論されました。天皇が皇居外でなさる行事は全て公式行事であるため,私的参拝はあり得ず,天皇自ら参拝すると世の中をひっくり返したような騒ぎなることが分かっているので,参拝なさりません。
 
 なお,靖国神社の春と秋に行われる例大祭には,勅使が遣わされています。
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この回答へのお礼

深いお考えがあってのことだったのですね。
たいへん参考になりました。

お礼日時:2005/11/06 05:07

下の方々の言う事は最もですが、元々日本は神道が国教なので


アメリカがくれた憲法に「政教分離」と記載が有ったのは日本の伝統文化破壊の為、国体弱体化を狙った物です。

アメリカのくれた憲法など直して元の姿に戻して日本の本来あるべき姿にするべきでしょう。

神道は教義もなければ教祖も無い、言わば自然崇拝ですから国教としてもなんら問題無いですよ。
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この回答へのお礼

靖国をそういう神社になる時代が来ればいいですね。

お礼日時:2005/11/06 05:19

昭和天皇はそれまで行っていた靖国参拝を、1975年以来取りやめます。

この1975年という年は、戦後初めて現職総理(三木武夫)が8月15日に靖国参拝をした年です。
この首相参拝をめぐって「公人・私人論争」がおこり、三木総理は「私人として参拝」と答えます。
このことが、天皇参拝の公私論争に発展し、参拝は中止されます。(天皇の自発意思なのか、誰かアドバイスしたのか、私には詳しいことはわかりません。)
当時は自民党議院の一部から「靖国神社法案」が国会に提出され靖国神社が政治問題化しているときでもありました。したがって「政争の具」となるのを、天皇が避けた、という見方が一般的です。

「A級戦犯」の合祀は1978年ですから、「A級戦犯の合祀が原因」とうのは、正しくありません。ちなみに「A級戦犯」とされた人たちに対して、天皇は「忠実な臣僚」としてその死を悼んでいます。
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この回答へのお礼

そういう論争があったので控えられたのですね。
たいへん勉強になりました。

お礼日時:2005/11/06 05:04

『おきらく軍事研究会』HPより


http://okigunnji.com/
「靖国に天皇陛下が参拝できなくなった理由など」から一部抜粋
http://labo.okigunnji.com/archives/2005/07/post_ …
<昭和50年8月に当時の三木首相が「靖国には「私的」に参拝する」と史上はじめて言い出したことに起因する。
 日本を代表する立場にある首相が、参拝に当たって公私の区分を定義してしまった以上、参拝にあたって公私の区別をつけることができない天皇陛下は、参拝することができなくなった。最後のご参拝は昭和50年11月となった>

 よくいわれるのが、「天皇陛下が靖国神社に参拝できなくなったのはA級戦犯が祀られているから」ですが、A項戦犯(※)が合祀されたのは昭和53年なのでこれは理由にはなりませんね。しかも、毎年靖国神社に参拝されていたのならそれも理由の一つと考えられるでしょうが、戦後、昭和天皇が靖国神社に参拝されたのは昭和27年10月と44年10月の「靖国神社100年記念祭」、それと戦後30年に当たる50年10月の3回なので、戦犯合祀は無関係でしょう。

※罪状項目に過ぎないA・B・Cの区別に、階級を思わせる「級」を付けることは、罪の軽重であるとの誤解を広める一因でもあるので、引用文以外では「A(B・C)項戦犯」と記載します。
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この回答へのお礼

私の誤解だとわかりました。
そういう言い方をするマスコミには他意を感じますね。

お礼日時:2005/11/06 05:00

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こんにちは、いつもお世話になっております。

只今第二次世界大戦について、英語で論文を書いておりますが、”天皇陛下万歳”というフレーズをうまく英語で表したいと思っております。どなたか、ご助言いただけないでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

はじめまして。

1.「万歳」そのものの語には、英語でHurrahという間投詞がありますが、これは、「テストが終った、万歳」といった意味で使われます。
例:
Hurrah, we finished it!
「万歳、やっと終った!」

2.ご質問文の場合は、「~に栄えあれ」という祈祷文が適切と思います。
例:
Glory be to the Father.
「聖なる父(神)に御栄えを!」

この句は、聖書の祈祷文で一般に使われる語です。このbeは祈祷文に使われる仮定法現在で、原義は「~しますように」という意味になります。

3.天皇陛下という言い方は決まっており、ご質問文のように「呼びかける」場合は、
His Majesty the Emperor
といいます。

4.以上を踏まえて訳例は

Glory be to His Majesty the Emperor
「天皇陛下に栄えあれ!」→「天皇陛下万歳!」
となります。

以上ご参考までに。

Q天皇陛下はエリザベス女王の臣下?

今上天皇はエリザベス女王と臣下契りを過去に結び、現在も継続中とのことですが事実なんでしょうか?

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歴代の天皇陛下はイギリス女王から「ガーター勲章」を授けられ、偉勲としてはナイトですから、今上陛下も形式的にはイギリス女王を守る騎士団の一員といえなくも無いですが、逆に現イギリス女王は天皇から大勲位菊花章頸飾を授与されてますので、日本朝廷の功臣ともいえます。
イギリスの場合、女王主宰晩餐会に招かれる各国首脳は「勲章着用」が義務付けられ、お隣の金大中前大統領は聖マイケル・聖ジョージ勲章を授与されて晩餐会に出席しましたので、いわばこうした勲記の交換は国交を深めるための儀礼のようなもので、臣下といった形ではありません。
国友(こくゆう)とでも考えてよいのではないでしょうか。
なお#1さんはエリザベス女王を王と定義されていますが、英連邦諸国では「Head of the Commonwealth」と敬称を付けてエリザベス女王を称え、現在でも「大英帝国」という言葉も残っておりますから、実質的には「皇帝」としてもよいと思いますし、インド独立までは「ムガール帝国」の帝位を持っていましたから、皇帝としても間違いとはいえないと考えます。
但し、位としての序列では「天皇(皇帝)」→「法王(教皇)」→「イギリス王位」という説もありますけど。

#2さんの補足ですけど、日本が中国の臣下になった歴史はあり、南北朝時代に九州に逃れた懐良親王(南朝の征西大将軍)が「日本国王」として明の冊封を受け入れて臣下となり、次いで日本を統一した足利義満が「日本国王源道義」として中国の臣下になった歴史はあります。
この時代、中国と貿易をしたいと考える諸国は、中国皇帝から王として封じられる必要があり、形式的に臣下になりますが、実質的な臣下とは意味が違います。

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イギリスの場合、女王主宰晩餐会に招かれる各国首脳は「勲章着用」が義務付けられ、お隣の金大中前大統領は聖マイケル・聖ジョージ勲章を授与されて晩餐会に出席しましたので、いわばこうした勲記の交換は国交を深めるための儀礼のよう...続きを読む

Q天皇は Emperor だから、King より偉い!?

という論法がありますが、なぜ天皇はエンペラーなのでしょう?エンペラーというのは英語ですよね?なぜ英語でエンペラーというようになったのでしょうか?

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#4です。お礼ありがとうございます。
>詳細にありがとうございます。
という事は日本でエンペラーと決めたという事なんですね。欧州の反対はなかったんですね?

誤解を招く表現があったようで、申し訳ないです。

明治になって、日本政府が決めたのは「天皇」という呼称を使う、ということだけです。後は外国が決めています。

なぜ、外国が決めるか、というとその国の言語と文化があるからです。前回にも書きましたが、ヨーロッパやアジアでは、天皇に対応できるパディーシャーとかEmperorという称号を持っていましたので、それを当てはめればよかったのですが、文化的に「王」しかない民族や、王すら持たない民族もいます。そういう民族の言語であれば天皇と王を区別することはできませんので、その国の言語で天皇を呼ぶと王と同じ位である、とされてしまいます。


日本だって、JAPANと呼ばれるのはマルコポーロの時代からジパングとして知られていたからであって、昔は知られていなければ世界中から「NIPPON」と呼ばれていたでしょう。
もちろん、今でもその国の言語で「NIPPON」と呼ぶか「JAPAN」と呼ぶかは、その国が決めることです。ただ、JAPANはあまりにも有名である、ということです。

また、文化的に受け入れられないから、中国や韓国は日王と称したり倭国と言ったりするわけです。香港や台湾では「日皇」という呼び方もあるようです。
それもその国の都合です。

天皇が英語でEmperorになったのは、先に書いたように元々、中国皇帝=パディーシャー=Emperorだったからです。日本の天皇の語源を調べてみると「王」よりも中国皇帝と等しく、歴史的にも中国の属国ではなかった、という経緯があって、ヨーロッパの国々がEmperorのほうがふさわしいだろう、と決めたわけです。
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タイ語だと、皇帝や天皇は「プラジャカパット」、他国の国王は「プラマハガサッ」と呼称します。

ですので、日本語の天皇をうけて各国が自国語でどう呼ぶかを決めたのです。

#4です。お礼ありがとうございます。
>詳細にありがとうございます。
という事は日本でエンペラーと決めたという事なんですね。欧州の反対はなかったんですね?

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Q阿部首相の靖国参拝って良かったんですか??

阿部首相が靖国を参拝しました。
国民の8割が支持をしており、何となく正しいと思っていました。

中国や北朝鮮から痛烈な批判が来ることは分かっていました。
いまさらこいつらを相手にしても仕方がないので無視します。

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これが私にとって謎です。
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大失敗、大間違いでした。
そしてそれがもう取り返しのつかない状態になって来ました。
もっと大きな問題は、この事態の深刻さを安倍首相は理解しておらず、さらに同じく国民が解って居ないことです。

まずアメリカが何故怒っているか?ということが解っていません。
日本人は太平洋戦争でアメリカを鬼畜米英と言って憎んで戦争したことを忘れて仕舞っているようです。
そしてその戦争でコテンパに叩かれたことも忘れています。
しかしながら戦後70年のアメリカの世界支配は、この戦勝によって成り立ったもので、そのことをアメリカが一番よく知っています。
東京裁判は良く考えれば、勝者の裁判で、原爆投下などの大犯罪を考えると、むちゃくちゃ裁判でした。
しかしこのむちゃくちゃ裁判を正義と言うことによって、戦後の世界秩序は成り立っているのです。
アメリカが世界の警察官のような顔が出来ているのも、あの東京裁判を「正義」と言い張ることによって成り立っています。

その東京裁判を無視するような行動が許せるはずがありません。
それも当の日本人からそれをやられては、怒らないはずがありません。
そういうシグナルは安倍政権が出来た時から、出されていたのに、安倍首相はそれを無視して、戦犯を慰霊するという暴挙に出たのでした。
アメリカが東京裁判には内心後ろめたい気持ちを持っているからこそ、この安倍首相の裏切りは許せないのだと思われます。
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かつての戦争も日中戦争が原因で、日米戦争に発展したものであることを考えると、それと同じことがもう一度再現する兆しが見えてきて、これほそ恐ろしいことはありません。
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安倍首相の個人的失敗ならば一過性のものと出来るのですが、日本国民の世論を見れば、アメリカとしても相当深刻にとらえていると思われます。
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日米戦争の愚を繰り返さないためには、今後の日本国民の賢明な行動が必要なのですが、そういう論がどこにも見られないことも、大問題の一つです。

参考URL:http://blog.livedoor.jp/kobatetu01-memo/

大失敗、大間違いでした。
そしてそれがもう取り返しのつかない状態になって来ました。
もっと大きな問題は、この事態の深刻さを安倍首相は理解しておらず、さらに同じく国民が解って居ないことです。

まずアメリカが何故怒っているか?ということが解っていません。
日本人は太平洋戦争でアメリカを鬼畜米英と言って憎んで戦争したことを忘れて仕舞っているようです。
そしてその戦争でコテンパに叩かれたことも忘れています。
しかしながら戦後70年のアメリカの世界支配は、この戦勝によって成り立ったもので...続きを読む

Q国王(キング)・皇帝(エンペラー)…天皇陛下って外国語で何と呼ぶべき?

天皇陛下の呼び方は外国ではずいぶん違います。
香港の英語ニュースでは「エンペラー・アキヒト」と言っていました。
また、韓国のニュースでは「日本国王(イルボングクワン)」と言っていました。
「エンペラー」ってのは「皇帝」ですよね?
「国王」ってのは「キング」ですよね?
でも天皇陛下って皇帝でも国王でもないと思いませんか?
私が知ってるのは、英語と韓国語だけですが、他の国ではなんと訳しているかご存知の方、教えてください。
そして、どんな訳がふさわしいと思いますか?

Aベストアンサー

香港の雑誌を以前定期購読していましたが、「日皇」と書いてありました。現地の新聞やTV報道でも見ましたが、「天皇」でも通じるようでした。

先程、Googleの香港版,台湾版,中国版で、それぞれの域内ネット(日本のページが入らないように)で検索できる「天皇」と「日皇」の数を調べてみました。

香港(http://www.google.com.hk/)
天皇:87,400件 日皇:281,000件
日皇の方が3倍多いです。どちらかというと、「天皇」は日本歴史上の人物として、「日皇」は、昭和や平成の今上天皇を指す報道記事として使われることが多いようです。

台湾(http://www.google.com.tw/)
天皇:259,000件 日皇:263,000件
香港と違って、ほぼ同数です。

中国(http://www.google.com.cn/)
天皇:3,210,000件 日皇:513,000件
「天皇」の方が6倍多いです。香港と全く逆です。

ちなみに、google中国版で「日王」を検索しました。
ヒット数は1,070,000件ですが、「日本天皇」とは全く違う意味の記事が、ほとんどでした。
インドの仏教伝来に関わった僧や貴族で、「○日王」という漢字名の人がいて、それがヒットしたり、「○月○日、王△△氏が~した」という報道タイトルの記事が引っかかったりしました。
また、「日王」というプリンタのブランドがあり、英名は「One's Jet」と言います。「王」という姓をカタカナ読みすると「ワン」ですから、そこから連想した命名でしょう。
僅かに、国際ニュースとしての日韓関係ニュースの一部で、首脳級訪問の時だけ「日王」が出てきました。

つまり、「日王」という言葉は韓国(と北朝鮮?)でしか使いません。
「日皇」という言葉が香港では使われますが、中国では「天皇」です。

香港の雑誌を以前定期購読していましたが、「日皇」と書いてありました。現地の新聞やTV報道でも見ましたが、「天皇」でも通じるようでした。

先程、Googleの香港版,台湾版,中国版で、それぞれの域内ネット(日本のページが入らないように)で検索できる「天皇」と「日皇」の数を調べてみました。

香港(http://www.google.com.hk/)
天皇:87,400件 日皇:281,000件
日皇の方が3倍多いです。どちらかというと、「天皇」は日本歴史上の人物として、「日皇」は、昭和や平成の今上天皇を指す報道記事...続きを読む

Q新天皇「陛下」と上皇「陛下」の間のお互いへの敬称は?

日本史に詳しい方にお聞きしたいです。
天皇退位関連のニュースを見ていて、表題の件について気になりました。
今上天皇の退位後、上皇となられた際の敬称は「陛下」とのこと。
http://www.asahi.com/articles/ASK3Q76JZK3QUTFK01S.html

「陛下」という敬称は日本国内においてはこれまで天皇のみに対する敬称だったと思いますが、上皇に対しても使用するとなると、我々一般人からしたら違和感ないですが、新天皇と上皇との間でお互いに「陛下」と呼び合う、というのはどうなんでしょう。

過去、平安時代など上皇がいた時代にはどうだったのか教えていただきたいです。

Aベストアンサー

六国史に見える上皇と天皇とのやり取りは、互いに臣下の礼をとるという形になってます。
たぶん後の時代でも公式にはそういう形をとることになっていたと思います。
なので今上陛下が譲位された後は、やはり、互いに「陛下」と呼び合うことになるのだと思います。

Q皇室、天皇制について

天皇制について英語で説明のされているもの、出来れば天皇制の問題点や利点、論点等を記載しているサイトがあれば是非教えて頂きいのですが

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下記などはいかがでしょうか? ちょっと簡単過ぎるかな?

参考URL:http://histclo.usanethosting.com/royal/jap/royal-jap.htm

Q皇族より偉い臣下

皇族の身位に『王』っていうのがありますよね?
そこで質問なんですが、「正四位の王」と「正二位の臣下」ってどっちが偉いのでしょう? 皇族だから「正四位の王」のほうが偉いのでしょうか? それとも、臣下とはいえ位階の高い「正二位の臣下」のほうが偉いんですか?
できれば、情報源もお教えください。(ウェブサイト、書籍や論文、○○という専門家から聞いた、など)

Aベストアンサー

律令制の原則としてですが
「君に事(つか)へて功を積み、然る後に爵位を得て然る後に官を受ける」
と官位令集解にもあるように、まず位階を受けることから始まるんですね。
その位階を受けるために律令官人機構においての実績をつむべく公務を担い、やがて勤務評定が行われて位階が定められる(選叙令十四叙舎人史生条など)

そのような背景の中で五位以上を勅授、六位以下~八位・外七位以上を奏授、それ以下を判授とし、官人の成績考課は毎年太政官に送られます。それらは式部・兵部の二省に送られ勘考され、それに基づいて五位以上については太政官で天皇に奏し裁定を受け正式に叙任という形ですから、制度的には公平とされております。

ですから原則としては、天皇の裁定による位階は優先されますので「正四位の王」と「正二位の臣下」では「正二位の臣下」の方が上になります。

そして後には、蔭位制などを利用して高位高官が世襲されてゆきますからね、勅授とは考課令の規定とは別に恣意的に位階を授ける部分はありました。現実として天長八年(831年)嵯峨天皇皇子・源信二十二歳でいきなり参議に名を連ねますから、皇親というアドバンテージは相当のものです。

ただし選年の位階に限れば天皇の裁可でしょうからそこは尊重されていたでしょう。

そのあたりは安田政彦『平安時代の皇親の研究』吉川弘文館に詳しいですよ。

律令制の原則としてですが
「君に事(つか)へて功を積み、然る後に爵位を得て然る後に官を受ける」
と官位令集解にもあるように、まず位階を受けることから始まるんですね。
その位階を受けるために律令官人機構においての実績をつむべく公務を担い、やがて勤務評定が行われて位階が定められる(選叙令十四叙舎人史生条など)

そのような背景の中で五位以上を勅授、六位以下~八位・外七位以上を奏授、それ以下を判授とし、官人の成績考課は毎年太政官に送られます。それらは式部・兵部の二省に送られ勘考され、...続きを読む

Q皇帝(天皇)は王よりも偉いというのは、、、?

時々、教えてgoo!で天皇に関して質問があると回答の中に、『日本の天皇はエンペラー(皇帝)だから王よりも偉いんだ』とか『日本の天皇はローマ法王と同格だ』という意見が見られるのですが、これがよく解らないのです。

確かに天皇は英語ではEMPERORと表記され、さらにEMPERORはKINGの上の位に当るようですが、そもそも日本の天皇にしてもその他各国の王にしても、それよりも上の誰かからそういう位を賜ったわけではなく、単にその国で権力を握った人が『自分は王だ(又は皇帝だ)』と自分で名乗っただけではないでしょうか?

とすると、どんなに偉い王や皇帝であっても、その立場というのはその国でのみ通用する立場であって、他国にとっては王でも皇帝でも同じではないのか?と疑問に思うのです。

それとも、自分でEMPERORを名乗っている以上はKINGよりも上になる(名乗った者勝ち)、という国際的なルールなのでしょうか?

私自身は日本の天皇を支持する者ですので、海外でも日本の天皇が一目置かれる存在であって欲しいとは思いますが、“天皇は他国の王よりも偉いんだ”という裏ずけになるものがあったら教えて欲しいのです。

時々、教えてgoo!で天皇に関して質問があると回答の中に、『日本の天皇はエンペラー(皇帝)だから王よりも偉いんだ』とか『日本の天皇はローマ法王と同格だ』という意見が見られるのですが、これがよく解らないのです。

確かに天皇は英語ではEMPERORと表記され、さらにEMPERORはKINGの上の位に当るようですが、そもそも日本の天皇にしてもその他各国の王にしても、それよりも上の誰かからそういう位を賜ったわけではなく、単にその国で権力を握った人が『自分は王だ(又は皇帝だ)』と自分で名乗っただけでは...続きを読む

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『日本の天皇はエンペラー(皇帝)だから王よりも偉いんだ』とか『日本の天皇はローマ法王と同格だ』という意見の元ネタは、ここらへん↓から来ているんじゃないでしょうか。
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html
是非、次回の天皇訪米のアメリカ到着が昼間であって欲しいです。大統領が、夜の正装であるホワイトタイを着て、空港に出迎えるのだそうですから。日本人は、昼間の結婚披露宴で新郎がタキシード(夜の準正装)を着ても、別に変に思いませんが、アメリカ大統領が空港に、それも昼間に着てきますかねぇ。(笑)

さて、外交儀礼上の順位ですが、席次で言えば、もし「国際ルール」があるとすれば、それは国家元首が常に最上位、もし複数の国家元首がいた場合は、先任者が上位、というものです。↓
http://www.answers.com/topic/list-of-heads-of-state-by-diplomatic-precedence&no=3
だから、現時点では、タイのプミポン国王が、一応は最上位となります。先任者を上位とする考え方自体に、「国王や皇帝といったタイトルそのものには、軽重はない」という概念を含んでいます。

但し、↑のサイトにもあるように、現実には、それぞれの国が独自の判断で順位を決めており、通常は、式典のホスト国の判断で決まります。選挙で選ばれた国家元首よりは、国王など世襲の元首の方が上に扱われるのは珍しくなく、また、主にカトリック国に於いては、ローマ法王が最上位に位置づけられるのもよく見られる事です。(裏返せば、ローマ法王と天皇が世界の二大『偉い人』ではない、という事でもあります。)
しかし、式典における席次は、ホスト国とゲスト国の関係の深さの影響を強く受けるので、「国際ルール」や「世界の常識」のようなものの存在を求める事自体、かなり無理があります。

東アジアにおける皇帝とヨーロッパにおけるEmperorが、そもそも論としては別物で、偶々Emperorを皇帝と訳しただけ、というのは、既に他の方が回答された通りですが、「皇帝と国王とどちらが『偉いか』という事を考える際には、あまりそこに拘るのはどうかと、私は思います。例えば、カール大帝や神聖ローマ帝国は、概念としては西ヨーロッパに於けるローマ教会の庇護者であり、教会が国境を越える存在であった以上、概念としては、明らかに国王よりも「偉い」存在でした。ごく初期の神聖ローマ皇帝は、ドイツ王であり、イタリア王であり、ブルグント王であり、かつそのすべての支配者である神聖ローマ皇帝でした。こういう概念があったからこそ、例えば、カスティーユとアラゴンの両方を支配したアルフォンソ6世が、「全スペインの皇帝」などと自称した訳です。
そして、何よりも重要な事は、近代に於いては、皇帝という称号は、そういったそもそも論からは離れて、近代になって、実態があろうがなかろうが、勝手に皇帝と名乗れるようになった事でしょう。ナポレオンのフランス皇帝やイギリスのヴィクトリア女王のインド皇帝は、まぁ『皇帝』っぽい領域支配の実態があったとしても、所詮、自分がそう名乗りたいから名乗っただけだし、ブラジル皇帝、メキシコ皇帝には、ほとんどそういう要素はありません。東アジアでも、併合直前の韓国は、大韓帝国になりましたが、これは、清の影響を脱した事を強調する為の自称であって、別に領土が拡大したわけではありません。でも、日本もちゃんと、外交上、大韓帝国・大韓帝国皇帝陛下と呼んでいます。日本の天皇が、対外的に「Emperor」と呼ばれるようになったのも、こういう時代背景の中です。
長くなりますが、↓のサイトから関係する部分を引用しておきます。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/coenewsletter2.htm

同じ明治政府の成立通告であっても、西洋列強との外交関係においては、この種のトラブル・不整合は生じなかった。日本の天皇が外交文書でいくら「皇帝」(Emperor)と自称しても、それが外交ルールに違反するなどとは解釈されなかった。古代ローマあるいは中世ヨーロッパであればまた話は別だが、「主権国家の至上性」なる観念が成立し、それが国際社会を律する近代的原理として定立されて以降、西洋諸国を中心に形成された近代国際社会においては、国際社会を構成する主権国家は、それ自体至高のものとして原理的に相互対等であり、一国の君主が皇帝(Emperor)と名のろうが、国王(King)と名のろうが、それが主権国家の代表であるかぎりにおいてすべては同列であって、そこに原理的に優劣の関係はない。主権者が対外的にどのような称号を名のるかは主権国家の自由勝手であって、それだけでは何ら他の主権国家を拘束するものではない、との解釈が定着していたからである。

日本の『天皇』は、そもそも論からすれば、単なる自称で、外交関係でも、中国中心の東アジアの外交関係(皇帝は中国に一人しかいない)においては、あくまで「日本国王」でした。対外的に天皇(Emperor)を主張した時(明治時代)には、既に「皇帝を自称すれば、そう呼んでもらえる」時代になっていただけの事で、そういうのを「諸外国に認められた」と呼ぶのはどうかと思います。

というわけで、今でも「皇帝」に類する称号を使っているという点では、確かに稀有ですが、国際関係上は、それ以上でも以下でもありません。

尚、現在のイギリス王室は、伝説上は、5世紀末にイングランドに来たサクソン人の首長の血筋をひいています。伝説は別としても、7世紀前半ぐらいからは概ね記録が信頼できるようになって、その頃の王の血筋をひいているのはほぼ間違いありません。ただ、元々「王位は特定の血筋に限られなければならない」という考え方自体がそれほど強くなく、まして「男系相続」にはほとんど拘わっていません。(キリスト教の影響で、一夫多妻が公式には否定されましたから、拘る事自体困難でしたし…)でも、血筋という意味では、非常に古いです。一方、中国では、王朝の交代時は、血の繋がりよりも、実力で皇帝の地位が決まります。

王位を特定の男系に限るのは、北アジアの遊牧民族に見られる特徴で、それとの類似性が、騎馬民族による日本征服説の根拠の一つになったぐらいで、そういう価値観があったから日本の皇位継承が男系相続だったわけで、そういう価値観の無い国ではそのようにならなかったもこれまた当然でしょう。

独特の価値観に基づけば、独特の歴史を持って当然で、それを、国内の一部(多く?)の人達が価値があると思うのなら、他人がどう思おうと関係ないのでは無いでしょうか?「世界にも認められた」と主張しようとするから、無理な議論になるんだと思います。

私は、男系相続に価値があると思っている人達が、「天皇家は世界にも稀な一家である」と考える事に、積極的に反対しようとは思いません。価値観の違う人間・国に「お前も貴重だと思えよ」と強要さえしなければ、それは個人の勝手だと思っています。

『日本の天皇はエンペラー(皇帝)だから王よりも偉いんだ』とか『日本の天皇はローマ法王と同格だ』という意見の元ネタは、ここらへん↓から来ているんじゃないでしょうか。
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html
是非、次回の天皇訪米のアメリカ到着が昼間であって欲しいです。大統領が、夜の正装であるホワイトタイを着て、空港に出迎えるのだそうですから。日本人は、昼間の結婚披露宴で新郎がタキシード(夜の準正装)を着ても、別に変に思いませんが、アメリカ大統領が空港に、それも...続きを読む

Q英仏百年戦争はもともとイギリス国王がフランス国王の臣下で、フランスのノ

英仏百年戦争はもともとイギリス国王がフランス国王の臣下で、フランスのノルマンディなどに領土を持っていたことが原因といわれています。しかし1453年に百年戦争が終ったあと、英仏の国境が確定したと歴史の本で読んだことがあり、イギリスはフランスにある領土を失ったと思うのですが、その後イギリスはフランスのかつての領土奪還をあきらめたのでしょうか

Aベストアンサー

ノルマンジー周辺に領地を持っていたノルマンジー公が、イギリスに渡ってイングランドを造り、その後スコットランド・ウエールズ・アイルランドを併合して行きました。
ノルマンジー公はフランス王権についても継承順位を持っており、王権争いが英仏戦争の理由にもなりましたが、結果的にフランスでは反逆者となってしまったので、領地を没収された形になりました。

その後領地奪還を諦めた理由としては、海峡を挟んで進出したとしても陸からの攻勢に守り難い地形であり、そのリスクを負って軍事力を行使する程豊穣な土地では無く、それ以外に進出する地域が沢山あったと言う事でしょう。
欧州においても、フランスから奪取したジブラルタルについては、その地域的戦略性の高さから未だに権利を譲りませんし、マルタ島についても同様にフランスから取り上げかなり最近まで領有していました。


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