人間の営む経済行為とは、物質的(サービスを含む)欲望を満たそうという人間の行為である。人間の欲望に対して、それを満たすものは相対的に少ない。そこで、様々な欲望を満たすため、どうすれば、効率的に目的に達することが出来るかというのを考えるのが経済学である。しかし、その欲望の中身は問われないのだろうか?現在の合理性を重視するやり方は、正しいのだろうか?経済主体のモデル設定は必要なのであろうか?・・・そんなことを考えたことが今までなかったので、とても困っています。経済とは何のために存在しているのでしょうか。

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経済学 とは」に関するQ&A: 経済学部とは

A 回答 (5件)

個人や組織の意思決定やその帰結を効用(満足度)を軸に、予測、分析、検証するのが経済「学」。


経済は、存在するものではなく、下の方々の仰るように「人間の営みの状態」のことです。
効用の具体的な要素は、お金、名誉、ゆとりなどなど。当然、個々人によって、その割合も違えば、絶対量も違います。
ただ、世の中、個人や会社、国家がお互いに影響し合い共存しているのですから、何か事を行うにあたっては、平均(一般)的な個人であるとか、性格や能力の違ういろいろな人の集まりである組織(この場合には、個々人の凸凹がある程度均されるが、それが1組織としてどういうものになるのか)を想定することが必要な場合、逆に過去の失敗を反省するために過去を検証することが必要な場合ははいくらでもあります。
その場合に、何を第一の切り口(道具)とするか?
規則の点から行えば「法学」になるでしょうし、人間の心に点を当てれば「心理学」になるでしょう。経済学は平たく言えば「お金」というところでしょうか?
実際の経済学(他の学問も同様でしょうが)では、そんな単純な切り口だけでものごとを考えているわけではありませんが・・・。
個々人によって、考え方やその価値が大きく異なるものを切り口とするよりも、貨幣価値に換算できるものを道具にしたほうが、通常の社会生活においては、より多くの人の関心に対して、より多くの人を納得させる説明をすることが可能なことがらが多いのです(人間が生を繋ぐためには、経済行為は不可欠ですから、あたりまえですね)。
数学や物理学ほどではないにしても、「社会科学系の方法論としては、平均的には説明力が高い」から、経済学の切り口でものごとを見る傾向が強くなるのでしょう。
ただし、お金に換算できないことがらがあることも学者さんたちは理解されておりますし、分析対称が極端な場合(裕福や貧困)には、単純な分析方法では説明力が落ちることも十分に理解されております。
失礼ですが、「現在の合理性を重視するやり方」というのも、何か先入観のようなものをお持ちなのではないでしょうか?
よろしければ、「誰にとって、何が合理性を重視してなされており、それが合理的であることの、何がいけない」とお考えなのかお聞かせください。

おそらくご主旨は「経済学」自体の問題ではなく、例えば「行政政策における公正感の欠如に対する憤り」であったり、「特定の経済行為に対する評価の問題(上が命令した通りに働いてきたのに、会社の業績が悪くなったからと下からリストラして、自分たちは責任をとっていないんじゃないの)」であったりするのではないでしょうか?
長々失礼!私にはとても世の中が合理的だとは思えなかったものですから・・・
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この回答へのお礼

早速のお答え、ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって・・・すみません。
確かに、世の中は合理的だとは言いにくいところが多いですね。
欲望に答える形で商品などが提供されているはずなのですが、本当にそうかなあ・・・と思うこともあります。

お礼日時:2002/02/01 19:31

>人間の欲望が尽きることはない・・・。

その欲望を満たすためだけに、経済モデル>を設定していく。そんな事が続くとどうなるのでしょうね。人間は、欲望が満たさ>れるたびに、また新たな欲望が生まれる。その繰り返しで、「足るを知る」という>ことがない。考えさせられてしまします。

経済学とはそもそも欲望を追求することから生まれたものです。新たな欲望が生まれて新たな経済モデルが作られていくのは、当然のことです。欲望を追求することは悪い事ではありません。どうもよれを良くない事のように考える風潮があり、それが経済とは何かをわかりにくくしているようです。もっと単純に考えてください。
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この回答へのお礼

早速のお答え、ありがとうございます。
お礼が大変遅くなってしまってすみません。
そうですね・・・、もう少し頭をすっきりさせてからもう一度考えてみたいと思います。

お礼日時:2002/02/01 19:27

一応、経済学を勉強しているものですが。


どれくらい答えら得るかわかりませんが、
がんばります。

まず、経済学とは何かを知りたいのでしょうか。
それとも経済学を知りたいのでしょうか。
多分、経済学だと思いますが、
経済学と経済の違いは、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=168148にも書かれています。
参考にしてみてください。

さて、たぶん、rahuransuさんの質問は今の経済学のアプローチは本当に正しいのだろうか。という質問だと思います。
まず、
>そこで、様々な欲望を満たすため、どうすれば、効率的に目的に達することが出来>るかというのを考えるのが経済学である。しかし、その欲望の中身は問われない>のだろうか?現在の合理性を重視するやり方は、正しいのだろうか?経済主体の>モデル設定は必要なのであろうか?・・・
1.ということですが、
まず。プラクティカルな理由から。
学問として扱うときに、モデルを設定するのは、より細かく分析するためです。もちろん、このモデルが現実のすべてを表せるわけではありません。モデルを作るときに、一番焦点を当てたいことは何なのであろうか。あるいは現実に一番大きな位置を占めている要因はなんだろうかということを考えます。それに基づいてモデルを組みます。むろん、すべての要素を組み入れることができるモデルがあれば、理想的ですが、現実にはハンドルできません。
たとえば、合理性の仮定などもそうです。現実にこれがもっともらしいという理由で選ばれているわけです。しかも、この場合、合理的であるということはどういうことなのかということを考えます。

もし、他人のことを思いやることを合理的だとするのならばそれも可能ですし、実際にそういうモデルもあります。
2.つまり合理的という言葉に惑わされてはいけません。経済学で扱っている合理的というのは何でもいいのです。仮定として何を合理的とおくのがもっとも現実に近いと自分が考えるかです。自分で設定できます。そしてモデルを組みます。その仮定が多くの人を納得させることができればさらにいいでしょうけれど。

3.欲望の中身を問うようなモデルも組めます。
ほんとうにフレクシブルな学問なんです。
自分が立てた仮説を証明することができる学問です。

また質問してください。
言いたかったことは、欲望や合理的という言葉に惑わされないで欲しかったということです。なにを 欲望や合理的と考えるかです。
それは経済学で扱うときは自分で好きなように設定できるのです。

確かに、効用や利益を最大化するということを合理的と呼ぶという仮定が今のところもっとも説得性の高い仮定だという傾向はありますが。
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この回答へのお礼

早速のお答え、ありがとうございます。
お礼がずいぶん遅くなってしまってすみません。
自分なりにまだまだ模索中ですが、頑張ってみようと思います。

お礼日時:2002/02/01 19:25

rahuransuさんと同じ様に困っている一人です。


100年程前、M,ウェーバーとシューモラーとの間で、価値判断論争があり、「価値判断は市民の実践的な人格的選択によるもので、学問はそのためにこそ価値判断を排除して事象と実態と選択可能性をとその結果を示すべきであるとした。」(経済学辞典 有斐閣より)ウエーバーの考えが主流となり、現在の経済学にいたっているようです。
時間が出来たら、この論争について調べるつもりです。
回答にはなりませんし、rahuransuさんの期待する回答は出てこないと思います。一緒に考えましょう。
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この回答へのお礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。
はあ、経済って難しいなって、つくづく思います。人間の欲望は、満たされても満たされても、またわいてくる・・・。経済は人の欲望を満たすための道具としてあるのかも知れません。でも、どんな欲望を満たすためであってもよいのですかね?人の欲望がなければ、経済は発展し得なかったでしょう。ですが、このままこれが繰り返されていったさきには、何があるのでしょうか。疑問ばかりです。私もまだまだ考えさせられることが多々あります。私以外にも、考えている人がいるというのは、とても心強いです。これから、私も調べていきたいと思います。

お礼日時:2001/11/29 09:30

欲望を充たすためには、経済性を追求しなければなりません。

しかし、経済性の追求にはいくつかの制約も存在します。社会的な貢献だの環境の保護だの経済性を阻害するような制約がいくつもあります。このような制約の中で経済性を追求する事が経済ではないでしょうか。そのためには制約条件を盛り込んだ経済モデルを設定する必要がります。この意味では経済モデルはダイナミックに変更を加えつつ利用するものといえるでしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答、ありがとうございます。
人間の欲望が尽きることはない・・・。その欲望を満たすためだけに、経済モデルを設定していく。そんな事が続くとどうなるのでしょうね。人間は、欲望が満たされるたびに、また新たな欲望が生まれる。その繰り返しで、「足るを知る」ということがない。考えさせられてしまします。

お礼日時:2001/11/29 09:22

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2, 消費者余剰の大きさが三角形①へと変化する
3,生産者余剰の大きさだけが三角形②へと変化する
4,経済全体の余剰に三角形⑤、⑥の損失が発生する


課題なんですが分かりません

Aベストアンサー

>問題は間違ってないです……訳分からないですよね……笑

一つ考えられるのは、需要曲線と供給曲線とで描かれる完全競争市場があったとする。いま、これらの競争している企業が結託して一つの独占企業として行動したとする。このときの、余剰(生産者余剰、消費者余剰、総余剰)はどうなるか?あるいはこの市場には独占企業が存在する。この企業が独占的に行動する(つまり限界収入=限界費用によって行動する)場合と競争的に(つまりプライステイカーとして)行動する場合を比較し、余剰がどうなるかを考えよ、ということかもしれない。どちらも同じ結果を導く。そういう意味だとしてこの問題を解いてみよう。
Aは独占価格、独占生産量は価格線が需要曲線と交わる点から垂線を下し、それの横軸との交点の横座標で示される。競争的に行動したときの価格は需要曲線と供給曲線の交点(均衡点)の縦座標で示され、生産量(取引量)は均衡点の横座標で示される。競争状態のときの消費者余剰=①+③+⑤であり、生産者余剰=②+④+⑥、よって総余剰=①+②+③+④+⑤+⑥であらわされる。一方独占状態のときの消費者余剰=①、生産者余剰=②+③+④、総余剰=①+②+③+④となる。したがって、独占のときの総余剰は⑤+⑥だけ、競争状態のときの総余剰より小さくなる、つまり、答えは選択肢4となる。

>問題は間違ってないです……訳分からないですよね……笑

一つ考えられるのは、需要曲線と供給曲線とで描かれる完全競争市場があったとする。いま、これらの競争している企業が結託して一つの独占企業として行動したとする。このときの、余剰(生産者余剰、消費者余剰、総余剰)はどうなるか?あるいはこの市場には独占企業が存在する。この企業が独占的に行動する(つまり限界収入=限界費用によって行動する)場合と競争的に(つまりプライステイカーとして)行動する場合を比較し、余剰がどうなるかを考えよ、とい...続きを読む

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[1]
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[2]
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4 有価証券の取引を証券取引所に限定することで、企業の資金調達コストが下がる

[3]
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[4]
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[5]
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以上の5つの質問です

いくつか分からない問題があるので分かるものだけでいいので解説をお願いします

[1]
「企業も金融機関も、いわば取引のプロフェッショナルであって、ビジネスをする上での能力や、情報などを得る能力・機会などの点では対等であり、どちらか一方だけに偏って法的に保護する必要がない」

この考え方と整合性がないものを1つ選べ

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Aベストアンサー

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横軸に環境利用水準を、縦軸に円/環境利用をそれぞれとり、これに環境利用に関する限界便益曲線と限界費用曲線を示した図があるのですが(例えば、 http://sakura.hpc.ese.yamanashi.ac.jp/~yosihiko/kankyoukachihyouka.pdf の6/12ページ)、この図では一般に「受益者は、規制がない限り、限界便益曲が0になるまで環境利用を進めようとする」とされます(例えば、上記ページの下から12行目に「受益者は、規制がない限り、A点まで環境利用を進めようとする」とあります)。

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横軸に環境利用水準を、縦軸に円/環境利用をそれぞれとり、これに環境利用に関する限界便益曲線と限界費用曲線を示した図があるのですが(例えば、 http://sakura.hpc.ese.yamanashi.ac.jp/~yosihiko/kankyoukachihyouka.pdf の6/12ページ)、この図では一般に「受益者は、規制がない限り、限界便益曲が0になるまで環境利用を進めようとする」とされます(例えば、上記ページの下から12行目に「受益者は、規制がない限り、A点まで環境利用を進めようとする」とあります)。

これに関して、次の(1)~(3)につい...続きを読む

Aベストアンサー

これは外部効果の問題です。つまり費用(コスト)は受益者以外が負担するわけです。
それを踏まえて説明します。

(1)
これは消費者でも生産者でもどちらでもいいです。
欲望を満たす為に消費しようが、利潤を生み出すために生産をしようがどちらでも事例に当てはまります。
車を飛ばすことに快楽を感じる人間は地球温暖化の事を考えないでしょう。ガソリン代は払うにしてもCO2の事までは考えないわけです。(便益曲線からはガソリン代は既に引いてあります)つまりA点とはドライブ好きの人間が『疲れたし飽きたこれ以上はガソリン代が勿体無い』と思う地点です。しかしガソリン代は『原油を掘り精製するコスト+原油の希少性分』しか価格に反映されておらず、実際にはそれ+『環境への負担』があるわけです。それが本人の負担と結びついていない為、消費者は支払っている対価(ガソリン代)以上の負担を社会にかけている事になります。これは望ましい事では有りません。ですからガソリンに炭素税をかければ、環境に負担をかけた分だけ消費者は税金を払うわけですから、消費者も税を通して環境の事を考えざるを得ないわけですし、それでも車を運転する人は負担分の費用を税という形で支払えば、あとは国がその税で環境の保全に勤めれば良いわけです。
生産者の場合もC02や工場設立における環境破壊などを考えればよいかと。


(2)
おそらく6Pグラフは0地点は対応しておりません。

(3)
1で説明したとおりです。あの費用曲線は廻りへの負担ですので、本人はそんなことを気にしないわけです。
例え地球温暖化でニューオリンズが沈もうとも中国人は気にしないでしょうし、アメリカ人自身も気にしていない人が多数派のようです。
それが最終的に自分に降りかかってくるとしても、目の前の欲望とその費用だけを気にするのは人間として当たり前の事だと思います。

外部効果は今回は、マイナス(環境問題)に作用しましたが、実はプラス(鉄道開通による地価上昇等)に作用する事もあります。そういうのは税とは逆に補助金などで促進してあげると社会の総余剰は大きくなります。

これは外部効果の問題です。つまり費用(コスト)は受益者以外が負担するわけです。
それを踏まえて説明します。

(1)
これは消費者でも生産者でもどちらでもいいです。
欲望を満たす為に消費しようが、利潤を生み出すために生産をしようがどちらでも事例に当てはまります。
車を飛ばすことに快楽を感じる人間は地球温暖化の事を考えないでしょう。ガソリン代は払うにしてもCO2の事までは考えないわけです。(便益曲線からはガソリン代は既に引いてあります)つまりA点とはドライブ好きの人間が『疲れたし飽き...続きを読む

Q合理的な判断をしたのは・・・

どこかの問題で見たのですが、答えが分からなかったので教えてください。
純一郎、一郎、直人の三人は釣り仲間である。ある日、沖釣りに出かけるも釣果はさっぱりで、仕方がないので帰りに鮮魚店に寄った。鮮魚店には新鮮なカレイとサワラが入荷していた。カレイは200円/匹、サワラは500円/匹だった。三人の所持金は、それぞれ1万円ずつで同額である。カレイとサラワを、純一郎は40匹と4匹、一郎は30匹と5匹、直人は20匹と12匹をそれぞれ買い込んだ。思わぬ売れ行きに気を良くした店の主人は、3人それぞれに、カレイとサワラ、どちらか一方の魚を1匹、サービスすると申し出た。すると純一郎と一郎はサワラを、直人はカレイを選んだ。このとき、初めのカレイとサワラの選択について、合理的な判断をした可能性が高いのは、三人のうちの誰であろうか。
という問題でした。削除されるかと思うのですが、教えてください。お願いします。たぶん限界代替率と、予算制約線等が関係してくると思うんですけど。

Aベストアンサー

一郎さんは所持金を全て使わなかったのですね?
もちろん、全員がすっからかんになるまでお魚を買うこともありませんが..


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