モネの『春』という絵について調べていますが、あまり資料がありません。1888年の制作で、現在リヨン美術館が所蔵していることはわかっているのですが……。
この絵が描かれた背景や、この絵の特徴(技法や色の使い方など)、この絵が掲載されている書物(あるいはホームページ)について、知っていることがありましたら教えてください。
または、「ここへ行けば(聞けば)、資料があるかも」という施設の情報も、ありがたいです。
ちなみに、今まで探した場所は、大阪府立図書館、京都府立図書館、京都府立総合資料館、京都市立芸術大学です。

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A 回答 (2件)

モネという書名で検索すると、かなりヒットします。


大学の図書館だと、モネの研究者がいたところだと、ある程度文献がそろっているかもしれません。
また、フランスでの文献を探すには、フランス国内の大学のネットワークがあるはずです。日仏会館http://www.mfj.gr.jp/jp/bibl-j.html
などのレファレンスで会員だと検索サービスが受けられます。

参考URL:http://webcat.nii.ac.jp/

この回答への補足

制作年は1882でした。

補足日時:2001/11/29 11:49
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。2つのホームページ見させていただきました。日仏会館図書室は行ってみたいのですが、東京にあるので無理そうです。こういう施設が関西にあるといいのですが……。
Webcatの総合目録データベースWWW検索サービスは、所蔵図書館までわかって参考になります。ただ、作品にたどり着くには時間がかかりそうですね。

お礼日時:2001/11/29 11:02

「京都市美術館」に、モネの絵が有ったと思いますので、


一度、伺って見られては如何でしょうか?
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この回答へのお礼

さっそくのレスありがとうございます。今度の土日に行ってみます。

お礼日時:2001/11/29 10:46

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どなたかお答え頂けたら幸いです。

Aベストアンサー

オスカル・クロード・モネさんなのでしょうが、高知県立美術館のサイトは「ジャン・クロード・モネ」になっています。
何故かは分かりませんが。間違いなのか、意味があるのか。

参考URL:http://www.kochi-sk.co.jp/shop/selection/top02.htm

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パリのオルセー美術館所蔵の絵の画家とタイトルを教えてください。

 教会の中
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 祭壇近くの男性は教会の入り口側に向かって座っている。
 全体的には黒・茶色を使った絵でした。

凄く心にスッと入ってくるような絵だったので、しばし眺めていました。
画家名等の説明プレートが分かりにくく展示されていたので
誰の作品か分かりません。
絵の説明も下手で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。



 

Aベストアンサー

Angelo Morbelli : アンジェロ・モルベッリ
1854.07.18(アレッサンドリア) - 1919.11.07(ミラノ)
仏 : Jour de fête à l'hospice Trivulzio à Milan
英 : Feast Day at the Trivulzio Hospice at Milan
日 : ミラノ、トリヴルツィオ・ホスピスの祝日
1892年 / 油彩・カンヴァス / 78 x 122 cm
オルセー美術館 (Official website 画像未掲載)
http://www.musee-orsay.fr/fr/collections/catalogue-des-oeuvres/notice.html?no_cache=1&zsz=5&lnum=&nnumid=9270
Google [Jour de fête ・・・] 画像検索結果
http://www.google.com/images?q=%22Jour+de+f%C3%AAte+%C3%A0+l%27hospice+Trivulzio+%C3%A0+Milan%22&um=1&hl=en&tbs=isch:1&tbas=0&source=lnt&sa=X&ei=KTtRTcnRDoHKcKz5qeEG&ved=0CAYQpwUoAA&sout=1&biw=1324&bih=819

関連URL
http://it.wikipedia.org/wiki/Angelo_Morbelli
http://www.artcyclopedia.com/artists/morbelli_angelo.html
http://cgfa.acropolisinc.com/m/m-22.htm#morbelli
http://www.the-athenaeum.org/art/by_artist.php?Artist_ID=181
http://www.marinopage.jp/%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91%E3%80%8D/

※ 画家名で検索すると様々な作品が確認できます。
http://arttattler.com/Images/Europe/Switzerland/Zurich/Kunsthaus%20Zurich/Rivoluzione/Morbelli_Weihnachtsfest_der_Vergessenen.jpg
http://www.artinconnu.com/2008/06/angelo-morbelli-divisionist.html

Angelo Morbelli : アンジェロ・モルベッリ
1854.07.18(アレッサンドリア) - 1919.11.07(ミラノ)
仏 : Jour de fête à l'hospice Trivulzio à Milan
英 : Feast Day at the Trivulzio Hospice at Milan
日 : ミラノ、トリヴルツィオ・ホスピスの祝日
1892年 / 油彩・カンヴァス / 78 x 122 cm
オルセー美術館 (Official website 画像未掲載)
http://www.musee-orsay.fr/fr/collections/catalogue-des-oeuvres/notice.html?no_cache=1&zsz=5&lnum=&nnumid=9270
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Qモネについて

印象派の巨匠・モネについて知りたいのですが、
「モネは第7回印象派展への出品を最後に、印象派グループから離れた」
と聞きました。印象派をリードしてきたモネが、なぜ、印象派グループから離れたのでしょうか。ご存じの方、教えて下さい。

Aベストアンサー

初めに断っておきますと、hiiragi24さんの「モネは第7回印象派展への出品を最後に、印象派グループから離れた」という表現は少し事実とは異なります。
いわゆる「印象派」展は、全部で計8回行われており、もちろんモネはその中心人物ではありましたが、その時々の画家の都合、或いは画家同士の間の軋轢によって、出品画家の顔ぶれは展覧会毎に異なっています。

モネは、第1回展(1874年)、第2回展(1876年)、第3回展(1877年)、第4回展(1879年)、第7回展(1882年)、の計5回のみ出品しており、第5回展(1880年)と第6回展(1881年)は出品をキャンセルしています。
モネが第5回展をキャンセルした理由は、一般的に展覧会名の意見の不一致であったと言われています。この時の展覧会の名前は、ポスターには「アンデパンダンの画家グループ」と記され、カタログには「(出品画家名)による第5回絵画」展と異なった表記がなされていました。また、この展覧会には、セザンヌ、ルノワール、シスレーなどの代表的な画家もモネ同様作品を出品せず、出品者はドガ、ピサロ、ゴーギャン(初期作品です)などレアリスム的傾向の強い画家で占められており、いわゆる「印象派」展とは趣を異にしていました。
この時期は、「印象派」分裂の最大の危機であり、同時に「印象派」展もまた消滅の事態に瀕していたわけです。
第6回展は、ドガの強硬な姿勢によって開催されましたが、第5回展の名称「アンデパンダンの画家グループ」を考案したドガと、他の画家との軋轢がさらに表面化し、第5回展をキャンセルした画家たちがまたもや出品を見送っています。
「印象派」の画家たちが再び顔を揃えるのは第7回展の時ですが、第8回展(1886年)には、新印象主義を標榜するスーラとシニャックを加えるかどうかで意見が分かれ、結果的にこれが最後の「印象派」展になってしまったのです。

つまり、「印象派」は一般的に一つのグループとして捉えられていますが、実際は強固な主義主張を持った堅固な団体ではなく、非常に緩やかな個人の集まりであったわけです。
そして「印象派」展も個々の画家にとって見れば、新しい美術を発表する一つの機会であったにすぎず、悪く言ってしまえば、サロンに出品できない画家たちがお互いに資金を出し合い、作品の発表の会場を共有する場でしかなかったのです。(もちろん、個々の画家同士、例えばモネとピサロ、モネとルノワールなどは個人的に非常に仲が良かったですし、一緒にスケッチ旅行などに出かけたりもしています)

したがって、モネが第7回展以降に出品しなかったのは、上記のような「印象派」或いは「印象派」展特有の性格が背景にあったと言えると思います。さらに、印象派の画家たちには、デュラン・リュエルという画商の強力なバックアップがあったことも付け加えておかなければなりません。
事実、モネを初め多くの「印象派」の画家が、第7回展後の1883年にこの画廊で個展を開催しており、もはや「印象派」展として共同して展覧会を行う意義が薄れてきてしまったことも、モネの離脱の理由の一つとして考えられます。

こうした様々な原因が複合した結果、モネは「印象派」という集まりから離れていったのだと思います。

初めに断っておきますと、hiiragi24さんの「モネは第7回印象派展への出品を最後に、印象派グループから離れた」という表現は少し事実とは異なります。
いわゆる「印象派」展は、全部で計8回行われており、もちろんモネはその中心人物ではありましたが、その時々の画家の都合、或いは画家同士の間の軋轢によって、出品画家の顔ぶれは展覧会毎に異なっています。

モネは、第1回展(1874年)、第2回展(1876年)、第3回展(1877年)、第4回展(1879年)、第7回展(1882年)、の計5回のみ出品しており、第5回展(...続きを読む

Q国立西洋美術館のモネの睡蓮

この作品は晩年の作らしいのですが、睡蓮の葉が連作の初期のころに比べて異常に朝兄の彩りが強く、補色の限度を超えているように、素人の感覚では覚えます。晩年白内障を患ったそうですが、そのせいか、または光をより強く表現したのでしょうか、それとも象徴主義の影響が彼にも出始めていたのでしょうか。この作の名画たる所以をご教示下さい

Aベストアンサー

 私は「名画たる所以」などを論じられる通ではないので、素人のつぶやきです。

 モネは、同じモチーフを連作として創作することが多く、「睡蓮」もその一つですね。
 パリのマルモッタン美術館で、睡蓮の連作を何十点か見て圧倒されました。おそらく、季節、天候や時間で同じものが時々刻々違って見えることに対して、その瞬間をどう表現するか、できるか、ということに挑戦し続けた、ということなのだと思います。「名画」とか、高い芸術性を追い求めたというよりは、「職人」の意地・執念のようなものを感じました。単なる素人の思い込みですが。

 一連の連作を見ていると、確かに最晩年の1920年ごろ以降の「睡蓮」は、ボーっとして、「へたくそ」「手抜き」のように見えました。それが視力の低下、ほとんど見えなくなっても描き続けたせい、と知って、逆に胸を締め付けられる思いがしました。「職人」と感じたのは、そんな理由もあります。(解説書などには、「抽象画に近づいた」などと肯定的・芸術論的な書き方がされていますが、そんなものではないような気がしています)

 同じパリのオランジュリー美術館には、巨大な360°の「睡蓮」に囲まれるモネの部屋があります。最晩年の睡蓮のようです。モネは、この絵を死の年まで描き続け、死後に寄贈する条件として、自然光のもとに展示することを要求したそうです。そんなところにも「光」や「色」にこだわる「職人」を感じます。

 私は「名画たる所以」などを論じられる通ではないので、素人のつぶやきです。

 モネは、同じモチーフを連作として創作することが多く、「睡蓮」もその一つですね。
 パリのマルモッタン美術館で、睡蓮の連作を何十点か見て圧倒されました。おそらく、季節、天候や時間で同じものが時々刻々違って見えることに対して、その瞬間をどう表現するか、できるか、ということに挑戦し続けた、ということなのだと思います。「名画」とか、高い芸術性を追い求めたというよりは、「職人」の意地・執念のようなものを感じ...続きを読む

Qピカソとモネの絵を上下逆さまに見せると、なぜ、鳩はモネの絵の方を見分けられなかったのでしょうか?

ラジオで興味ある研究を聞きました。
イグノーベル賞を受賞したものだそうです。
鳩に、ピカソとモネの絵を見せ訓練すると、それらを見分けることができるようになった、そうです。
次に、それの絵を上下逆さまにして鳩に見せると、ピカソの絵は見分けることができたが、モネの絵はできなかった、そうです。
質問は、モネの絵を上下逆さまにすると、なぜ、鳩は見分けられなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
イグ・ノーベル賞を受賞してしまった有名な実験ですよこね。
理由は「ピカソの絵は上下がないけれども、モネの絵は上下があったから」ではないか、だそうです。

実験を行った渡辺教授いわく、
「絵を識別するのにハトは複数の要素から判断している。
 その認知能力はヒトに近い形なのではないか。」
だそうです。論文が読めなくても、下でご紹介する本に詳しく書かれていますので、ご興味があれば。

後年のピカソの絵は抽象的で、どっちが上でどっちが下やらわからないものが多いです。美術館さえ間違えていた例もあるぐらいです。キュビズムの時代とか。
なので、上下ひっくりかえされても特に識別に困難を来すことなく「これはピカソの絵っぽい」とわかります。
一方、モネの絵は基本的に風景など上下のある絵です。なので上下をさかさまにされるとそこに何が描かれているかすぐには認知できなくなります。そうすると、誰の絵かもわかりにくくなる。
ハトも同じようにモネの絵を見ていたらしく、そのため反応が低下したのではないか…とのことです。

画風や流派まで把握してそれぞれに分別できる、というのですからすごいですね。
私は詳しくない(詳しい人から聞いた程度)なので、書籍をご紹介します。

教授本人の本
「鳥脳力―小さな頭に秘められた驚異の能力(DOJIN選書32) 」
https://www.amazon.co.jp/%E9%B3%A5%E8%84%B3%E5%8A%9B%E2%80%95%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E9%A0%AD%E3%81%AB%E7%A7%98%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%A9%9A%E7%95%B0%E3%81%AE%E8%83%BD%E5%8A%9B-DOJIN%E9%81%B8%E6%9B%B832-%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E8%8C%82/dp/4759813322

鳥の能力についての本
「鳥の脳力を探る 道具を自作し持ち歩くカラス、シャガールとゴッホを見分けるハト (サイエンス・アイ新書) 」
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4797347260/ref=pd_cp_14_1?ie=UTF8&psc=1&refRID=9QB0SDDY7RDWGZC4E3MQ

おまけにイグ・ノーベル賞を受賞した各研究の内容を説明した本
「笑う科学 イグ・ノーベル賞 (PHPサイエンス・ワールド新書) 」
https://www.amazon.co.jp/PHP/dp/4569774407/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1475879748&sr=1-1

こんにちは。
イグ・ノーベル賞を受賞してしまった有名な実験ですよこね。
理由は「ピカソの絵は上下がないけれども、モネの絵は上下があったから」ではないか、だそうです。

実験を行った渡辺教授いわく、
「絵を識別するのにハトは複数の要素から判断している。
 その認知能力はヒトに近い形なのではないか。」
だそうです。論文が読めなくても、下でご紹介する本に詳しく書かれていますので、ご興味があれば。

後年のピカソの絵は抽象的で、どっちが上でどっちが下やらわからないものが多いです。美術館さえ...続きを読む

Q川村美術館の「睡蓮」(モネ)

現在、川村美術館にモネの「睡蓮」が展示されているようですが、何年作の「睡蓮」かご存じの方、教えてくださいませんでしょうか?
また、はなはだ失礼な質問かもしれませんが、真作でしょうか?

Aベストアンサー

http://www.dic.co.jp/museum/collection/collection.html
ついでにホームページもじっくりご覧下さい。初めていきますか?
遠方でなければドライブがてらでいくのもオススメ(特に平日)です。土日祝日ですと、来る方向によってはそばを通るR51,そこまでのアクセスではまる可能性は高いです。
あと、JR佐倉・京成佐倉駅から無料の送迎バスがでています(HP参照)
それと、土日祝だと、中で食事しようとするとレストランでハマル(キャパが小さい)はずです。では。

Q道庁の池はモネのパクリでしょうか

へんな質問ですがよろしくおねがいします。

道庁赤煉瓦庁舎の前の庭の池は夏になると睡蓮の花が見事です。よく見ると池に架かる橋のかたち、その下に咲く睡蓮の花、長い枝を垂らした柳の風情など、クロード・モネの描いた睡蓮の池にそっくりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Claude_Monet-Waterlilies.jpg

モネは睡蓮の池の絵を、ジヴェルニーの自宅の庭で描いたのだそうですが、道庁の池はモネの庭を意図的にコピーして造られたものなのでしょうか?

重要文化財の赤煉瓦庁舎完成は明治21年、モネが自宅の庭に池を造ったのが明治26年。ほぼ同時なので、もし道庁の池が庁舎と同時に完成したものだとすれば、2つの池は他人のそら似ということになるんでしょうが。

Aベストアンサー

No1です。
モネのと関係についてとは別にして、昭和初期から第2次大戦後までグランドホテルの北隣りに住んでいた母の話では、大戦中は極端な食料不足であったため、道庁の庭は一面芋やにんじんなどの野菜畑となっていたそうです。大通り公園も一面野菜畑になって市民総出で畑を耕していたとのこと、本格的な造園開始は市内中心部から真駒内へ米軍が移動した昭和20年代半ばからではないか?と言っておりました。
当時、米軍進駐開始当初はグランドホテルや三越は高級将校の宿舎として徴用されていたとのことですよ。

私の個人的な感想としては、札幌の史跡としては明治時代の洋館が多い(道庁をはじめ豊平館、知事公館、旧伊藤低、現札幌史料館、北1条教会など)のでその庭園もどちらかというと洋風になりがちなのではないかとは解釈しております。

Qモネの日傘の女性と小さな子供の絵

友人から送られてきた写真で、日傘の女性2人と小さな子供の絵が写っていたのですが、モネが描いた絵だということはわかるのですが、タイトルがわかりません。
ご存じの方がいらしたら教えていただけますでしょうか。
田園風景が広がっていて、中央寄りやや右に日傘の女性が一人。
絵の左には数本の木、その少し右後方に1本の印象的な木、その手前に小さな子どもと日傘の女性(手前の日傘の女性よりは左後方)が一人います。
皆、洋服と日傘が白で、顔ははっきり描かれていません。
ここで画像を添付できないのが残念です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もしかしたら、、
Claude Monet, "The Walk (Argenteuil)"
ではないでしょうか?

http://www.interagir.com/?entryID=59

Qモネ展を見に行く際の注意事項をください

茨城の田舎町から東京のモネ展を見に行きたいと考えています。

しかし、全くモネに関する予備知識がありません。

変な理論武装などせずに真っ直ぐな気持ちで見ることも大事かもしれませんが、やはり大事なところを見逃したくありません。

どのようなアドバイスでも注意事項でも良いので回答をください。
お願いします。

Aベストアンサー

ほんと、何の先入観無しで見てください
それが美術を見るコツですよ

Q図書館で借りた本のコピー

先日、図書館でレポート作成のために本を借りたのですが

先生が「本の絵とか、どんなものを見たかコピーして張って来てもいいですよ」

と、言っていたのを思い出し図書館で借りた本はコピーしてもいいのかな?
と疑問を持ちました。

もし、コピーしたとしてそれを見せる相手はレポートを見る先生だけなのですが
これは、著作権とかにふれるでしょうか?

あと、図書館で本を借りる際カードの更新をしなくちゃならなくて
そのときに身分証が必要らしいんですけど
保険証とかじゃなくて、学生証でもいいんでしょうか?

ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

≫これは、著作権とかにふれるでしょうか?


それを転売したり、大量にコピーするなどしなければ問題ありませんよ。

≫保険証とかじゃなくて、学生証でもいいんでしょうか?

場合によりますが、無難なのは保険証です。
学生証は、写真が貼ってあるものはだいたい使えます。


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