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日本史専門なので、世界史は少ししか知識しかありません(^_^;)

「スペイン」と「ポルトガル」について質問です。

1、スペインとポルトガルは日本と韓国のように仲が悪いのでしょうか?それとも中国と朝鮮のように属国関係なのでしょうか?

2、スペインとポルトガルは昔、1つの国だった時期があったのでしょうか?

3、スペインとポルトガルの建国経緯を教えて下さい。

4、スペインとポルトガルの違いに関するトリビアがあれば教えて下さい。


誰か世界史の理解が深い方がいれば、ぜひご教授下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

超浅い回答です。


ちゃんとした答えは他の方々のをお読みください・・・・。
この大雑把なのを読んでから詳しい回答を読むと分かりやすい、かも!?


>1、スペインとポルトガルは日本と韓国のように仲が悪いのでしょうか?それとも中国と朝鮮のように属国関係なのでしょうか?

そういうんでもないと思います。
No.1の方がおっしゃるように、あのへんはくっついたり分裂したり、君主がどこかからやって来たり、国を作ったり、日本感覚ではよく解りません(というか私が解らないんですけど。なんかちょっと不思議)

仲が悪いと言う人もいるけれど、それほど頻繁に聞く話でもない気がします・・・。
自分でポルトガルに行ったことがないので雰囲気を知らないんですけれども。


>2、スペインとポルトガルは昔、1つの国だった時期があったのでしょうか?

ありました。
なんかカスティーリャ支配下に入って、独立したり、
スペイン支配下に入ったり、また独立したり、何度かやってるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB% …


>3、スペインとポルトガルの建国経緯を教えて下さい。

スペイン王国になったのは、15世紀、レコンキスタを完了させたイサベルとフェルナンドのカトリック両王のとき。
カスティーリャ王国+アラゴン王国=スペイン王国。

下に出ているお二人の回答とウィキペディアを読んだらいいのかな、とりあえず・・・・(^^;


>4、スペインとポルトガルの違いに関するトリビアがあれば教えて下さい。

言葉は8割がた似ている、らしい。
文章で見ると特に似ています。アルファベットが若干違いますが、共通する語が多い。

発音はけっこう違う。
スペイン語ネイティヴとポルトガル語ネイティヴ同士ならそのままでわりと通じるようですが、我々外人が「スペイン語を覚えて、ポルトガル語を聞いて」をやると、ネイティヴ同士の場合と同じようにはいかない。
文字で見たらけっこう分かるけど。

スペイン語には、日本語で言うところの「ザ行」の音が無い。
ポルトガル語にはある。

スペインからポルトガルへ流れ、海へと続いているTajo川という長い川があります。
同じ綴りでスペインでは「タホ川」と読み、ポルトガルへ入ると「テージョ川」になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2005/11/14 03:35

スペインとポルトガルとの関係ですが、兄弟のような関係にあります。


仲良くしたり、戦争をしたりしますが、相互に相手を追い詰めるような事はしません。
戦争でも、自分の主張が通れば、すぐに和解となります。
しばしば戦争を行うため、相互の王家は、相手国の王家から、妻を求める事が多々ありました。

ポルトガルは、現在のスペインの前身であるレオン・カスティジャ王国の一部、ポルトガル伯領として建国されています。
その後王号を認められ、ポルトガル王国となります。
その後1580年ポルトガルの王家の直系が絶えたため、スペイン王フェリペ2世が、母がポルトガル王家出身を理由に、ポルトガル王位を兼ねます。
フェリペ4世の時代に、ポルトガルで、反スペインの反乱が起こり、1640年外交的手回しにより、スペインからの独立に成功します。

スペインの元となるのは、西ゴート王国がイスラム軍に滅ぼされた時に、西ゴートの貴族ペラージョの亡命政権が、718年アストリアス王国を建国したのが始まりです。
子の他にも、バスク地方には、バスク人のナバラ王国、カタルーニャには、スペイン辺境伯領があり、イスラム軍と対峙していました。
アストリアス王国は、現在のレオン周辺を手に入れ、914年レオン・アストリアス王国となります。
その後ナバラ王国が強大化し、レオン王国との国境地帯を奪い、そこに1035年カスティジャ王国を設立します。
この当時、スペイン辺境伯は、カタルーニャ伯となっています。
1037年カスティジャとレオンは、同君連合の形で統一されます。(実質的にカスティジャによるレオン王国の併合)
1469年カスティジャ王女イサベルとナバラから分離し、カタルーニャを併合したアラゴン王国王子フェルナンドとの結婚により、1479年ヒスパニア王国(スペイン王国)が成立します。
1492年イスセム最後の拠点グラナダを併合し、1512年ナバラを併合し、現在に至っています。

ポルトガルは、ナバラ王国のサンチョ大王が、997年ポルトをイスラム軍から奪回した事に端を発します。
1139年ポルトガル伯アルフォンソが王位を認められて、ポルトガル王国が設立されます。
その後ポルトガルは、1147年リスボンを占領しそこに首都を移して現在に至っています。

スペインで有名なワインは、辛口のヘレス(シェリー酒)ですが、ポルトガルでの有名ワインは、ポルト(ポート)ワインです。
スペイン人とポルトガル人は、通訳不要で、自由に意志交換ができるくらい似ていることばです。
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この回答へのお礼

非常に参考になりました。
NO.1の方は言葉が違うと回答していますが、スペイン人とポルトガル人は、通訳不要で自由に意志交換ができるくらい似ている言葉なのですね。

非常に詳しい回答をありがとうございました。

お礼日時:2005/11/10 20:36

(質問1)


スペインとポルトガルの関係は
バルセロナとマドリードぐらいのライバル関係です。
もともとスペインは地方毎に分裂傾向にあって
郷土心がつよいお国柄です。
独立運動が現在も激しいカタルーニャやバスクはもちろん、
カスティーリャやガリシア、アンダルシア、
すべて昔は独立した国家だったので、
ポルトガルもその一つだったわけです。
スペインでは今でも地方ごとに仲がよくなく、
気候や自然、風土も全く異なります。
特にフランコ独裁-内戦の影響がまだ少しあります。

だから中国、朝鮮、日本のような関係とは全然違います。
似てるのはドイツ、イタリアのように
長いこと小邦が乱立していた地域でしょう。
ま、アジアとは異なる、ヨーロッパ独特の歴史と風土といえます。


(質問2)
スペインとポルトガルは、1580~1640年の間、同君連合でした。


(質問3)
1095年、カスティリア王アルフォンソ6世が
十字軍の
アンリ・ド・ブルゴーニュにポルトゥガレ伯爵領を与えたのが
ポルトガルの名前の由来ですが
イスラム教徒に支配されていたイベリア半島では
キリスト教徒の封建諸国が乱立していていて、
その一つアストゥリアス王のアルフォンソ・エンリケが
ドーロ川の平原地帯を平定し
1143年にポルトガル王国を建国したのが
ポルトガルの始まり。

13世紀になると、カスティリアとアラゴンという
国が現在のスペインの一帯で有力になって
地域を分割していましたが
1469年、カスティリアの王女イザベルと
アラゴンの王子フェルナンドが結婚して
できた国がスペインです。

1580年にポルトガルのアヴィス王家が断絶したことから
スペイン王の支配下にはいりましたが
1640年にスペインの内乱に乗じて独立して、
以後はそのままです。


(質問4)
まず言葉が違うし、ワインが違うし、料理も違う。
ま、これは自分で調べてね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
アジアとは異なる、ヨーロッパ独特の歴史と風土ということですね。
実際に住んでみないと、独特の雰囲気は理解できないのでしょうね。
参考になりました。

お礼日時:2005/11/10 20:32

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