中国の清の時代の結婚について知りたいのです。
やっぱりチャイナドレスを着たんでしょうかね?男女とも?
でも「チャイナドレス」って英語ですよね・・・
中国でチャイナドレスってなんて言うんでしょうか?

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A 回答 (3件)

こんにちわ!


中国の歴史って 本当に興味津々ですよね!
私も 清朝のあたりの歴史が大好きです。
こんなページはいかがですか?
http://www.touekiki.com/tkrekishi.htm

参考URL:http://www.touekiki.com/tkrekishi.htm
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  どうもはっきり分からないのです。チャイナドレスとは何かというのを、大分昔に調べたことがあり、どこかに文章として記録したのですが、いま、それが出てきません。
 
  日本人が現在、普通に考える「チャイナドレス」というのは、女性用のドレスで、襟があり、長い裾があり、裾にスリットが入った、女性用の衣服です(身体のラインにぴったりし、腰を細く、胸を強調したドレス)。これは、確か、長衫(チョンサム・チョンサン)と言ったはずです。女性が着るチャイナドレス=長衫が答えになります。
 
  長衫というのは、「長い上着」という意味で、かなり古来から中国では着ていた衣服のようで、この場合、男女の別は特に問題にしていなかったようです。男性用も女性用も長衫だったのです。
 
  他方、満州族が建てた帝国、清朝中国では、男性も女性も、寒い気候のなかで遊牧生活をしていたので、独特の衣装があったとされます。「袍(パオ・ほう)」というのは、上着という意味で、この言葉が指す衣服は、古来から中国にあったものです。
 
  そこで、旗袍(チーパオ)というのは何かというと、文字の通りで、「旗人の袍」です。「旗人」というのは、日本でいうと、「旗本」に当たります。日本の旗本の起源があやふやになって来るのですが、少なくとも「旗本」は武家のなかの特権階級です。上級武士だとも言えるでしょうし、徳川宗家の親衛の軍人司令官の立場にあるような階級の武士です。満州族の「旗人」は、旗の色で八旗の旗人がいて、これは、満州族の武人のなかの特権階級で、丁度日本の「旗本」のように、満州の清朝皇帝に直属する親衛隊の司令官のような階級の武人を言います。
 
  旗袍(チーパオ)は、この満州族の旗人が着た袍なので、そう呼ばれており、少なくとも、清朝帝国時代には、この衣服を着ることができたのは、旗人に限られていたはずです。旗袍(チーパオ)は、男性の衣服なのか、女性の衣服なのかというと、どうも、男女共に、使ったようですが、主に、女性の衣服としての用例があるようです(ただ、この旗袍は、実用的で、チャイナドレスのように、身体のラインにぴったり合っている訳ではなく、ウェストが細く、胸を強調するというようなものでもなかったようです。かなり厚く、ゆったりした衣服のようです)。
 
  満州族は、また確か弁髪の習慣ももたらしました。また、旗袍(チーパオ)は、清朝帝国時代は、上に述べたように、特権階級だけが着ることのできた衣服ですが、他に満州族起源の衣服として、男性の着る馬掛(マーグァ)というものがあり、これは、馬に乗る時着るのですが、一般的にも着ていました。清朝時代の一応、あるていど地位のあった人(男性)の回顧録のなかで、子供時代、馬掛(マーグァ)を着て、弁髪をしていたが、革命が始まったので、弁髪を切ったという記述があります。馬掛は、他の子供も大人も着ていたと言いますから、これが、清朝時代の男性の衣服だったのでしょう。ただし、旗袍にしても、馬掛にしても、仕立てから言って、寒いところで着る衣服です。馬掛(マーグァ)も旗袍(チーパオ)も、長い上着で、スリットがあり、清朝時代は、かなり厚ぼったく立派な実用的な衣服でした。少なくとも、チャイナドレスで想像する、軽快な感じの衣服ではないようです。
 
  清朝中国での結婚式は、男も女も、旗人は、かなり豪華な旗袍(チーパオ)を着たように考えられます。花嫁は、更に、何か顔全体を隠す箱のようなものを被っていたようですが、それは角隠しのようなものなのかも知れません。旗人以外の一般の中国人は、結婚式で、どんな衣服を着ていたのか、はっきりわたしには分かりません。例外的に、晴れ着で、旗袍(チーパオ)を着たのかも知れません。男女ともにそうであると考えられます。
 
  旗袍(チーパオ)も馬掛(マーグァ)も、革命と共に否定され、男は中山服を着て、女も着ていたのか、または実用的なので、庶民型の旗袍(チーパオ)を着ていたのかよく分かりませんが、はっきりしているのは、旗袍(チーパオ)は、革命と共に、中国人の標準の衣服ではなくなったということです。元々、弁髪も、馬掛(マーグァ)も、満州族の風習で、清朝が崩壊すると、中国人つまり漢民族は、満州族の習慣は棄てたということです。
 
  しかし、旗袍(チーパオ)は、ファッションとして優れていたので、外国・西欧に移入され、流行し、この時、元々長い上着の意味だった、長衫(チョンサム)が、旗袍の名称として使われ、英語の cheongsam という言葉が造られます。この時の長衫(チョンサム)は、女性用の裾にスリットの入った軽快なドレスで、これを日本では和製英語で、「チャイナドレス」と名付けます。従って、チャイナドレスというのは、女性用の衣服のことです。
 
  最近の中国では、国民が豊かになったのか、また旗袍(チーパオ)を着るようになったというか、高級衣装として、揃えておくようになったと言います。
 
  そこで、清朝の結婚式では、男女とも、旗袍(チーパオ)を着たのであろう。この場合の旗袍は、チョンサン=チャイナドレスの原型ではあるが、かなり異なった衣服であった。(また、男性は、ただの長い上着という意味の長衫を着ていたのかも知れない)。
 
  現代、日本でチャイナドレスと呼んでいるものは、女性用長衫(チョンサム)のことで、これは、西欧に流入し、ファッションとして洗練されたものだと言えるでしょう。最初に述べたように、裾にスリットが入り、身体のラインにぴったり合い、ウェストやバストを強調するスタイルのファッショナブルな女性用ドレスです。
 
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女性用の中国服は【旗袍:チーパオ(北京語)/ケイポウ(廣東語)】と言い、



男性用は【長衫:チャンシャン(北)/チョンサム(廣東)】と言いいます。
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分かりにくい文章で恐縮ですが、暇な時にでも回答くださればうれしいです。よろしくおねがいします!

Aベストアンサー

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しかし、実際言われても、貯金も無かったら、「お、お金はどうなさるの?」と言ってしまうかも。。。もし親への挨拶とか進んだ時に「資金は?」という話題になって「一銭も・・・」となったら、女性側の両親は「本気か?」とか考えるかもしれませんし。(とにもかくにもそういうお相手ができた!と喜ぶご両親もいるけれど)
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ご存じ「ムー」によると、かつて人類は古代核戦争があったということですよ。トルコのカッパドキア遺跡やパキスタンのモヘンジョダロ遺跡にその痕跡が見られるとかなんとかかんとか。
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Q結婚したくてもできない男≒女友達がいない男?

結婚したくてもできない男≒女友達がいない男?

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結婚相談所とかお見合いとか以外でも、女友達がいないことと結婚できないことは関連がありそうなのでしょうか?

身近な人の意見をできれば教えてください。

Aベストアンサー

>結婚したくてもできない男≒女友達がいない男?

う~ん・・・、そうなのかなあ・・・f(^^;
身近にいますねえ、確かに。

結局・・・、「女友達がいない」って事は、「女性と上手くコミュニケーション取れない男」って事だと思うのです。
似たような条件に成るから、「結婚したくても出来ない男」と「≒」となるのでは?。

その身近な人間は、自分の後輩になりますけど、40代半ばにして「未婚」。
本人曰く、
「この歳ですから、決して高望みも選り好みもしてません・・・。
でも、結婚相談所で紹介されて、こちらがOKでも、100%向こうから断って来るんですよね・・・」
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年齢:「40代半ば」。
身長:160センチくらい。体重:70キロくらい。
頭髪:かなり薄い。
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家族構成:両親は健在、一人っ子。
趣味:ゴルフを少し。
特技:浪曲・詩吟。・・・(((^^;

私が、余計な一言を書き加えるなら、★「かなりの会話下手」です。
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何かなあ・・・。
(^^;ヾ
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どうでしょうか?。
上記のような男は?。

>結婚したくてもできない男≒女友達がいない男?

う~ん・・・、そうなのかなあ・・・f(^^;
身近にいますねえ、確かに。

結局・・・、「女友達がいない」って事は、「女性と上手くコミュニケーション取れない男」って事だと思うのです。
似たような条件に成るから、「結婚したくても出来ない男」と「≒」となるのでは?。

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Q清の時代の情景

陳舜臣の孫文という本についての質問します、彼の本というか彼の本を呼んでいても時代背景があまり分からないのでその背景を教えていただきたいです。
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Aベストアンサー

>このような流れを理解するためには高校生の教科書を使って覚えたほうが良いのでしょうか?

私自身は、別に専門家でもありませんし、特別中国史に詳しいわけでもありません。ただの素人オヤジです。ですから、その程度(オヤヂの戯言)に聞いてください。
この清朝末期の政治情勢を理解するためには、たぶん
1.最低限高校世界史程度の基本知識
2.同時代の欧米、日本などの政治・経済・文化の状況
3.アヘン戦争、太平天国あたりからの、ある程度詳しい清の政治・経済情勢の変化
4.清朝の歴史的な推移と官制、文化などについての知識

例えば袁世凱を語るためには、日清戦争を抜きにはできません。そうなると、当時の朝鮮情勢についての知識も必要ですし、日本との関係も理解しなければ分からない。
なぜ彼が軍人になったのか、なぜ当初戊戌改革を支持したのか、なぜ西太后死亡直後に失脚したのか、等々は科挙という中国の制度、清朝の官制を知らないと理解できません。

義和団の乱と西太后の関係を理解しようとすれば、アヘン戦争に遡る必要があるし、その中で清朝の宗教史や文化史についても基本的な知識が無いと、義和団という団体の性格やスローガンの意味すら分からないでしょう。

つまり、高校の世界史程度の知識が、立体的・構造的に相互関連しながら頭に入っていることが最低ラインだろうという気がします。で、それは最低ラインですから、その上で様々な知識を積み重ねていくと自然と分かるようになるのではないでしょうかね?

>このような流れを理解するためには高校生の教科書を使って覚えたほうが良いのでしょうか?

私自身は、別に専門家でもありませんし、特別中国史に詳しいわけでもありません。ただの素人オヤジです。ですから、その程度(オヤヂの戯言)に聞いてください。
この清朝末期の政治情勢を理解するためには、たぶん
1.最低限高校世界史程度の基本知識
2.同時代の欧米、日本などの政治・経済・文化の状況
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Q両家顔合わせと身内だけの結婚式について

もう、とにかく早く結婚生活を始めたいです。理想は来年4月には結婚生活を始めてたいです。



けれど今の時点で親に会わせていません。
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そして両家顔合わせと身内だけの結婚式を踏めば、結婚生活スタート出来ると思うのですが。



ところで初対面を果たしてから両家顔合わせまでどれくらい期間をあけるのがマナーですか?
また、両家顔合わせっていうのは身内だけの結婚式の変わりにはならないですよね??



両家顔合わせは身内のどこまでの関係の人が出席するんですか??また身内だけの結婚式って具体的に何をするんですか??



よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。

来年4月の結婚は可能だと思いますけどね…

私の場合も、うちの親に彼を合わせてから半年ちょっとで結婚しています。初対面が結婚の承諾をもらうことでした。
その前から私のほうは彼の親に会ってましたが…それは(結婚も視野に入っているけど)結婚するとは決めていない状態で遊びに行っていただけです。

私の場合を書くと、
4月 彼のおうちに初めて遊びに行く
   その後、月に1度くらいの割合で遊びに行く
8月半ば 私がうちの親に、「彼がご挨拶に行きたいって言っているんだけど…」と話す
9月20日すぎ 彼が私の実家(車で3時間半くらい)に挨拶に来る (彼は自分の親に「結婚することにしたから挨拶に行ってきます」と告げて)
11月半ば 両家顔合わせ(結納はなし)
~    式場さがし
12月半ば 式場決定(もちろん日どりも)
1月~ 衣装選びなど
4月下旬 挙式、食事会(親族のみ)
5月頭 入籍、引っ越し

という感じでした。
うちの親の希望で結納はなし、でも結婚式と親戚へのお披露目は最低限必要、とのことで(私自身も別に結婚式とかしなくてもいいかと思っていましたが)親族(家族と祖母、叔父叔母、一番仲のいい従兄弟…で総勢20人ちょっと)のみで挙式披露宴(食事会)をしました。
私は晩婚で仕事柄たくさんの結婚式を見てきたこともあり、すっかり目が肥えてしまっているので、どうせやるならしょぼいのはイヤなので、小規模ながら格式あるホテルでの結婚式にしました。
結婚式は、やらなくてもいいと思っていたし親のため…って感じでしたが、やってよかったですよ。

ご参考になれば幸いです。

どうぞお幸せに!

こんにちは。

来年4月の結婚は可能だと思いますけどね…

私の場合も、うちの親に彼を合わせてから半年ちょっとで結婚しています。初対面が結婚の承諾をもらうことでした。
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Qチャイナドレスの発祥

横にスリットの入ったチャイナドレスは、いつ頃に生まれたものなんでしょうか?

Aベストアンサー

もともとはウィキペディアにあるように、結婚用とかそういった礼服であったのですが・・
スリットは、騎乗が本来の目的ですが、動きやすいという理由に移り、現在では脚線美のためになっていますね。

もともと中国には、旗袍という満州族の女性服がありました。
で、清王朝が倒れる辛亥革命のころになると、そのデザインを洋服に適応したものがあらわれます。それがチャイナドレスの原点です。

中華民国の世になると、女性の社会進出も進み、女性公務員もでてきました。
そのころからだんだんチャイナドレスは、現在の代物に近くなっていきます。
で、蒋介石が1929年に女性公務員について、制服、礼服を定めました。それがチャイナドレスです。
チャイナドレスが選ばれた理由としては、セクシーかつ経済性、機能性にすぐれている・・・ということです。

で、チャイナドレスは2流あるとも見れますね。
いわゆる、普通の平服系のチャイナドレス(現在に続く、「普通の」おしゃれ着の系列。旗袍の子孫)と、礼服系のチャイナドレス(深いスリットがある、日本で「チャイナドレス」といわれている代物。こちらは、モデル着とでもいいましょうかね。旗袍と洋服の折衷)の2つです。
もちろん一般的に広まっているのは前者の流れ。
後者は、現状はどちらかというと、公の場などでしか見られない代物になってはいますね。さすがにあそこまでスリットが深く、扇情的な代物は、たとえ中国でも街中では滅多に見られないと思います。

参考URL:http://www.touekiki.com/tkrekishi.htm

もともとはウィキペディアにあるように、結婚用とかそういった礼服であったのですが・・
スリットは、騎乗が本来の目的ですが、動きやすいという理由に移り、現在では脚線美のためになっていますね。

もともと中国には、旗袍という満州族の女性服がありました。
で、清王朝が倒れる辛亥革命のころになると、そのデザインを洋服に適応したものがあらわれます。それがチャイナドレスの原点です。

中華民国の世になると、女性の社会進出も進み、女性公務員もでてきました。
そのころからだんだんチャイナド...続きを読む

Q結婚式にはやっぱり『電報』? 他はダメ?

3週間後にいとこが結婚します。
近畿圏から四国へ嫁ぐのですが、私は出席しません。(招待されていない)
式は四国で行われます。

一般的にお祝いメッセージに『電報』を会場におくりますが、電報ではなく文具店にあるようなウエディングカードを会場に送るのはあまりない事なのでしょうか?
また、電報やカード以外におくれる物といえば何がありますか?

Aベストアンサー

結婚式の会場しだいだと思います。

電報ではないカードを郵送して当日まで保管して
当日本人たちに渡してくれるかどうか問い合わせてみたらどうでしょうか?

Q中国南北朝時代と五代十国時代について

中国南北朝(五胡十六国)時代と五代十国時代について

両時代とも戦国時代とも呼べるような血で血を洗う戦乱の時代でした。

世界史の資料集を見ていた時に

南北朝時代は貴族文化が花開いた
五代十国時代は貴族は絶滅した


両者とも同じような時代の様相だったのになぜ?

と思いました。


確かに南北朝時代は南朝の安定政権のもと花開いた貴族文化だとも言えますが、混乱していた北朝の方も貴族は生き残っていたような記述を見てはて?と思いました

何故前者では貴族は生き残り、後者では壊滅してしまったのですか?

Aベストアンサー

南朝で貴族文化が華開いたのは東晋時代です

東晋が滅び宋が建国されると貴族社会は衰退し始めるのです
南朝でも権力を掌握するのは教養はないが、実力で下からのし上がってきた武人達です
軍もやくざや匪賊のような連中の傭兵ですから
それらを統率していく腕力がものを言う時代になったのです

貴族は中央政府の要職などに残りますが
軍の実権などはたたき上げの武人が掌握します
こういう権力移行が進行しつつあるにも関わらず、貴族社会では豪奢化が逆に進みます
貴族自身は財産を増やす商行為を卑しいものとしていた為、財産管理を商人に委ねますが
悪徳商人に財産を騙し取られるなどして衰退していきます

梁の時代になると侯景の乱など内乱や西魏の侵入などで国内は荒れ
自分で自身や自己の財産を守れない腕力のない貴族は完全に没落するのです


北朝の北魏は鮮卑族の拓跋部がうち建てた国で太武帝が次々四周の五胡国家群を撃ち破り中原を統一しました
太武帝など北魏の皇帝は漢人官僚を重用します
その一方で北魏の軍の中核を支えていた鮮卑族の長孫氏など大人(族長)達がいました
漢人官僚と鮮卑族武人の潜在的対立はくすぶっていながらも貴族社会が繁栄しました

しかしながら代々の北魏皇帝は漢人との婚姻や
遊牧民特有のレヴィレート婚(父帝が没するとその子が実母以外の父帝の妻妾を自分の妻妾とする婚姻制度
為にローティーンで子供の父親になる例も少なくない)で
次第に鮮卑族の血が薄れ、漢人の血が濃くなり
遂に孝文帝が鮮卑の居住地域にあった首都平城から漢人が大多数を占める洛陽に強引に遷都を強行
さらに胡族の風習風俗を禁じ鮮卑族の不満が蓄積


やがてそれは鮮卑族の多かった禁軍(近衛部隊)の乱に始まり、北部辺境で守備していた鮮卑族の鎮(軍事拠点)での反乱を引き起こし
中央の漢人や漢化された鮮卑族貴族社会を崩壊させていくのです


長文失礼致しました

南朝で貴族文化が華開いたのは東晋時代です

東晋が滅び宋が建国されると貴族社会は衰退し始めるのです
南朝でも権力を掌握するのは教養はないが、実力で下からのし上がってきた武人達です
軍もやくざや匪賊のような連中の傭兵ですから
それらを統率していく腕力がものを言う時代になったのです

貴族は中央政府の要職などに残りますが
軍の実権などはたたき上げの武人が掌握します
こういう権力移行が進行しつつあるにも関わらず、貴族社会では豪奢化が逆に進みます
貴族自身は財産を増やす商行為を卑...続きを読む

Q結婚25年いきなりバイブ使うと喜びますか 殴られますか どう思いますか?

結婚25年いきなりバイブ使うと喜びますか 殴られますか どう思いますか?

Aベストアンサー

25年連れ添った奥様がどのような反応をするかは、
ご主人であるあなたが一番知っていることです。

これが、ご主人以外なら「イヤヨ イヤヨ」と言って受け入れる事は

あると思います!

Q原始時代から平安時代までと 奈良時代から室町時代までの 間にそれぞれ何がありますか?

原始時代から平安時代までと
奈良時代から室町時代までの
間にそれぞれ何がありますか?

Aベストアンサー

原始時代から平安時代までには「(古墳時代と飛鳥時代と)奈良時代」
奈良時代から室町時代までには「平安時代(と鎌倉時代)」がありますけど、試験範囲でしょう?
多分「そう言う話じゃない」はずで、事象は多岐に及ぶので、教科書や年表・資料をもう一度読み返しましょう。
としか言い様がないです。


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