『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

 先日、武道館の大会に行ってまいりましてNOAHに酔いしれてきました。最近は、K-1やプライドにちょっと気持ちが揺れ動いていましたがこのような戦いをしていたらプロレスは大丈夫と再認識をしてきました。さて、本題にはいりたいのですが、そもそもNOAHは、どのよにしてできたのでしょうか?いろいろな確執があってノアの方舟のようにしてできたことは存じ上げておりますが細かいこところまでは、存じ上げておりません。詳しい方がいらしたら事細かに教えていただけるとうれしいです。川田選手、渕選手はなぜ残ったのでしょうか?なぜ、武藤選手が社長なのでしょうか?なぜ、レフリーからなにから全日本から出て行ってしまったのでしょうか?

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A 回答 (2件)

こんばんは。



こちらに詳しく書いてあるので参考になればと思いますが。
http://www.isnn.net/3348/read.cgi?010002
ジャイアント馬場がなくなった後、夫人の元子氏との
確執があり、三沢選手は事実上の解任となり、
NOAHの立ち上げとなったようです。

武藤は馬場元子夫人からの指名を受け
社長を引き受けた形だと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4% …

川田選手がなぜ残ったのかは、こちらを見ていただきたいのですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%94%B0% …
1選手として現役を続けたかったことや、
故障中に全日本プロレスに借金があったことなどが
残留しないといけない原因となったようです。
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この回答へのお礼

 たいへ読み応えがありました。
気がついたら何時間も読んでいました。
たいへん参考になりました。
また、何か教えていただけることが
ありましたらよろしくお願いします。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/13 23:06

 初めての回答になりますので、わかりづらい点もあるかと思います。



 三沢選手は、馬場さんご存命のときから、マッチメークを担当するなど(自身で希望したらしい)、全日時代から、団体改革に向けた取り組みをしていたようです。そして、馬場さんが逝去した後は、社長となり、武道館5大シングル(ファン投票による試合順決定)など、これまでにない斬新な企画を打ち出しました。

 しかし、これまでの全日本らしさ(余計な演出なんていらない、プロレスを観てもらえばいいじゃないか。という考え方)を守ろうとする人たちとの確執を埋めることができなかったようです。そうして、三沢選手は新団体で、自分が思うプロレスを表現しようとしたんだと思います。

 川田選手、渕選手については、やはり全日本、馬場さんへの恩義が厚かったのではないかと思います。また、武藤選手が社長になった経緯については、いろいろな雑誌(専門誌以外も含めて)いろいろと書かれていました。僕も、個人的な意見を持っていないので、書くことはできません。

 レフリーからなにから全日本から出た理由。馬場さん逝去の混乱の中、三沢選手が契約の更新をしていなかった時期があったそうです。そのとき、小橋選手をはじめ、ほとんどの選手が契約書にサインをせず、三沢選手のサインを待っていたという話を読んだことがあります。この話が、その答えになるものだと僕は考えています。

 全然要領を得ない長い文章になってしまいすいません。
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この回答へのお礼

 いえいえたいへん参考になりました。
契約の問題がいろいろあったりしたんですねー。
でも、三沢選手の契約を待っていたって
いうのもいい話ですよね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/13 23:08

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