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デュルケーム、マルクス、ウェーバーの共通点と相違点はどういうところでしょうか?できれば、文化概念や女性問題(女性の労働など)に焦点をあてて考えてみたいのですが。それともどの人か一人に絞って、考えてみてもいいですが。。。レポートを書くのですが、ポイントがわかりません。。。どなたか社会学に強い方、いらっしゃいませんか?

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A 回答 (5件)

お礼の文章読みました。

なるほど。じゃあ、ちょっとだけ、アドバイスを。
一人に絞ってもよいのならば、マルクスの『経済学・哲学草稿』を中心に書くのは
どうでしょうか?
マルクスの理論は「民族」(文化とアイデンティティ)や「ジェンダー」(文化的社会的性差)の問題に対応できないかった、という解釈が一般的ですが、私の考えるところ、これを解くカギが『経済学・哲学草稿』のなかにあるような気がするのです。「類的存在」として「人間」を見る、というマルクスの視点を読みなおすことによって、あらたなマルクスの解釈が出きるのではないか、と考えています。
一読して、考えてみてください。参考文献を挙げておきます。

上野千鶴子1986『女という快楽』剄草書房。
 この中の「6、個の解放と種の解放」を参考にしてみてください。
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この回答へのお礼

早速ありがとうございます。
上野氏は、私も大好きなので、その線で迫ってみたいですね。
ただなぜか、私はその本を購入していなかったようです。
早速、読んでみます。ありがとうございます。
(実は私は今、海外に留学中で、購入に少し時間がかかります)
それでなんですが。
マルクスの言う「類的存在」が今ひとつ、理解できないんですが、教えていただけませんか?

お礼日時:2001/12/05 23:14

こんにちは!mamuku-でございます。

デュルケムとウェーバーの共通点と相違点について、もう一度、おさらいをしておきませう。
この二人をマスターすれば、社会学の8割を終えたと言っても過言ではないので、自分自身をも含め、おさらいをば。「個人と社会」という観点から。
デュルケムは「社会が個人をつくる」という視点から様々な現象を分析しました。
M・ウェーバーは「個人が社会をつくる」という視点から、人間の様々な現象を個人の行為を分析の単位として考察しました。
ついでに、ジンメルを。ジンメルは「社会が個人をつくる」でもなく、「個人が社会をつくる」という視点からでもなく、「はじめに相互作用ありき」との視点から現象を分析していきました。これは、個人も社会も実体のある絶対的に統一的な統一体ではなく、諸部分の相互作用の結果として相対的に統一的なだけであり、諸部分間の相互作用のみが実在的であるとする立場です。これを方法論的相対主義といいます。
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございます。
mamuku-さんのおかげで、こういう古典理論に関心をもちました。
ありがとうございます。
今までいただいたアドバイスを意識しながら、冬休みは少しその分野の本を読んで見ます。
ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/06 11:55

いや~、お見逸れいたしました。

基本文献は読んでいるのですね。それも現地語で。それも韓国とな。いや~binbouさんの関心事は私の関心事とかなり近いです。それも私は韓国朝鮮にも興味がありまして。ところで、文献を読んでいるということと、その本質を理解しているかということは、違うことだと思いますので、何かのアドバイスができるかもしれません。
私は上野先生の授業を一年受けたことがありますし(もぐりで)、文献もほとんど読んでおりますので、そちらの方の話も理解できます。
さて、本題ですが、課題文献のみを使って、オリジナリティのある論文を作るという作業ですが、やはり基本文献を読みこんでおく必要があります。そこから、自分の反論、違和感、疑問を提出するということがオリジナリティです。それに必要なことは、書こうとするテーマについてのベースとなるものに対する違う意見のものを読むという作業が必要です。だから、授業でもデュルケムとウェーバーを読ませているのでしょう。なんか私の言っていることは、釈迦に説法のような気もするのですが…。
別のテーマということですが、私ならば、ウェーバーならば民族論の再読というテーマで、デュルケムならば認識論(『宗教生活の原書形態』の序論)の再読、といったところでしょうか。しかし、正直こちらは難しいかもしれません。二次資料が使えない、引用できないということなので。
『家父長制と資本制』をヒントにしようと考えているならば、「再生産」という概念についてマルクスの言っていることを検討してみるというのはいかがでしょうか?
また、具体的な考えがまとまったならば、詳しくレスをお願いいたします。私も勉強になります。
補足ですが。私は学部で社会学をやっていただけで、大学院も出ていません。今は社会学や社会人類学を趣味でやっている程度ですので、あしからず。

状況などを具体的に書いてくださり、ありがとうございます。
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マルクスの「類的存在」の意味するところは、是非とも原典にあたった上で、自分なり(自分の関心事に沿って考え、解釈するなどして)に捉えていただきたいと思います。


 ところで、研究計画はどのようにしたのでしょうか?
差し障りがなければ、教えていただけるとありがたいです。教えていただけるならば、詳しく教えていただけると幸いです。
その上で、binbouさんの研究計画が私の関心事とあうならば、力になれるかはわかりませんが、また何かアドバイスなりができるのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
mamukuさんのアドバイスにすがるようですが、前回、ヒントをいただいた線で考えています。
現在、かなり追いつめられた状況(!)にいますので、具体的に書いて、その上で、具体的なアドバイスをお願いしたいと思います。よろしくお願いしますね。

私が現在とっている授業は、「社会学理論セミナー」という授業で、これまでに、読んだもの(課題)は、以下のとおりです。
マルクス『経済学・哲学草稿』、『ドイツイデオロギー』、『資本論(2巻または3巻の自分の関心のある部分)』
ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、「国家、民族、帝国主義」、「階級、身分、正当」、『支配の諸類型』、『職業としての政治』、『プロテスタント倫理と資本主義の精神』、「インド:ブラマンとカースト」、「読書人身分」、「世界宗教の経済倫理」
デュルケーム『自殺論』、『社会分業論』、『宗教生活の原始的形態』

期末論文として、現在要求されていることは、これまで読んできた、以上の文献のみを使って、論文を書くことです。データや資料などの一次資料は使ってもいいのですが、二次資料は禁止されており、概念などの引用などもできません。
この範囲で、A4用紙15枚以上で要求されています。
担当教官は、クリスチャンで、道徳性やソリダリティ(連帯)に関心がある人で、マルクスにはやや批判的で、ウェーバーやデュルケームが好きそうです。
ちなみに他の友達たちの研究計画書を見ると、デュルケームをベースにしたものが多いようでした。
そんな中で、私は、もともと文化、民族、国家、フェミニズムに興味がありましたので、その方面から書けないものかと、悩んでいたのでした。できれば「女性の労働」に関連できればいいなぁと思っていますが、問題は上記の文献から「女性の労働」というテーマが可能かどうかということでした。一つの可能性としては、「マルクスの女性観、女性の労働と家事労働」ということを取り上げることができないか、思案中です。外国に留学にきていて、翻訳を取り寄せて日本語を読める場合もありましたが、こちらの言語で読まなくてはならないこともあり、必ずしも上記の文献を理解できているわけではありません。
あるいは、別のテーマでの可能性がありますでしょうか?
ここは韓国で、マルクスはかなり読み込まれており、私のような初心者には、マルクスは少し負担が大きい気もします。しかし上のテーマでの可能性があれば、ぜひ挑戦してみたいとも思っています。
参考文献を使ってはいけないという制約がありますが、密かにヒントにしようと思っている本は、上野千鶴子『家父長制と資本制』です(これは持ってきているので手元にあります)。
締め切りは、12月20日で、かなり迫っています。これまでの怠惰を悔いていますが、何とかラストスパートをかけたいと思っていますので、お力を貸していただけますと嬉しいです。
補足ですが。
私は現在、大学院修士課程に在学中で、学部の専攻は社会学ではなかったので、現在、格闘中です。レベルの低い院生だと呆れられるかも知れませんが、何とぞ、よろしくお願いします。

お礼日時:2001/12/07 22:03

質問者の方は社会学を学ぶ学生さんなのでしょうか?なぜジンメルが出てこないのかと、ちょっと疑問なのですが…おいておきます。



自分で本を読んで考えてもらいたいの、基本的なところを、
一応大まかに、答えます。デュルケム、ウェーバー、マルクスの共通点としては、一人の努力や怠慢では動くことの無い「社会」というものを認識した、あるいは「発見」した、ということではないかと思います。相違点は方法論(その「社会」に対するアプローチの仕方、つまりどのように「社会」を捉えるかということ)が違います。デュルケムは、「社会」を個人に還元できない独特なものとして捉えました(方法論的社会主義といいます)。ウェーバーは、対照的に「社会」を個人の「行為」に還元できると考えました(方法論的個人主義といいます)。
マルクスについては、「社会」の捉え方としては、デュルケムの方に近いですが、
マルクスは、問題意識が違っているのです。前の二人が「社会」を「学問的」に捉えようという意識があったのに対して、マルクスは「社会」を「実践的」に捉えます。つまり、「社会を変えよう」という問題意識に支えられています。マルクスは当時の疎外された人間社会を変えようとした革命家であると言えます。

以上をアタマにおいて、以下の参考文献を読んで見てください。
デュルケム『自殺論』中公文庫。
     『宗教生活の原初形態』岩波文庫。(現在売ってます、買いです。)
M・ウェーバー『プロレスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫。
マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫。
    
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ジンメルがないのは、授業で扱わなかったからです。この3人を授業で扱ったのですが、この3人だけの文献を使って、オリジナリティのある論文を書くことが課されています。私は文化や女性問題に興味があったので、そちらからせまってみようかと思ってみたのでした。mamukuさんに参考に挙げていただいた文献はまさに課題文献で、つまりそれらを読んで、自分なりに書けということになっています。やっぱり基本なんですね。
実は明日までに研究計画書を書かなければならないのですが、まだお手上げ状態です。お答えを参考に一晩考えてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/05 20:20

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Qマックス・ウェーバーについて

今、マックス・ウェーバーについて勉強をしています。
で、あらゆる方面から彼のことを見たいと思っています。
そこで私だけの意見では偏ったものになってしまうので、みなさんの意見を聞きたいと思いました。
みなさんはウェーバーをどのように思っているんでしょうか?
ウェーバーについての感想で構いません。
どんなことでも構いませんので教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

 私のイメージでは社会学的な分析としての資本主義の精神や官僚制の問題、あとは彼の宗教社会学がとても大きい業績です。あと社会科学の方法としての「客観性」論文が今の社会学に大きな方法論的基礎を与えているので大切ですね。

 日本のウェーバー学はもともとマルクスの補完的問題として考えられ、「マルクスとウェーバー」としてとらえられた経緯があります。平たくいえば資本主義ってどうやってできるの?ということです。 これはもちろん経済学の祖アダム・スミス『国富論』と、それを批判的に発展させたカール・マルクス『資本論』によって解明されました。

 いうまでもなく厖大な理論体系。でも彼らの精錬された議論に、ある疑問が出てくるわけです。それまでヨーロッパは文明を生み出し、唯一資本主義を生み出して経済的に富裕化したといっても、もともと中国などのほうが発達していたくらいではないか、インドだって独特の高度な文明をもっていたはず。ではなぜもともと未開の地でど田舎だった西ヨーロッパ(イギリス・ドイツ・フランスなど)で、資本主義が出てきたんだろう。

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 ギデンズはマルクスとウェーバーの両方の理論を批判的に発展させて、近代社会の構造と問題を明らかにしました。簡単にいうと、マルクスは資本主義をとらえ、ウェーバーは資本主義と産業主義の両方の問題を見ていました。でも一番大きいのは、マルクスは国家の問題を軽視したのに対して、ウェーバーは国家の問題を強調したことにあると思います。ギデンズはそこで国家の支配や構造を重視するわけなのですが、これはウェーバーが取り組んだ「官僚制」の問題にルーツがあります。

 資本主義は資本主義で発達しえたか?いや無理です。人々の自由な労働と経済行為だけで、実は経済発展はありえないのですね。そこで資本主義とともに発達した官僚制があるのです。国民国家の統一は重要な意味を持ちます。かつて今のドイツは数十の自治的な地域でお互いに関税をかけまくっていた歴史があり、結果的にイギリスから遅れて後進国になります。

 そこには国民国家の支配と統制のあり方が関わらざるをえない。私にとってウェーバーはそういう視点を与えてくれる気がします。

 まあ他にもいろいろですが、ここらへんで。

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

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Qマックスウェーバーについて無知な人への説明

マックスウェーバーの前提知識がない人に、ウェーバーについて説明するとしたら、どのようなことを話したらいいのでしょうか?
私自信もまだ勉強不足なため、上手く説明できません><;

1.ウェーバーの思想とは、具体的にどのようなものだったのか

2.それが現代社会に及ぼす影響とは何か

特にこの点についてお聞きしたいです。

明日までというかなり緊急な状態のため、回答できる方はぜひお願いします!!!

Aベストアンサー

 理系なので、多少偏っています。

 マックスウェーバーは、歴史学者で社会学者ですが、自分ではどちらとも言った事はないと思います。当時のドイツ(プロイセン帝国)では伝統的に、歴史的必然によって現社会になった、という立場が主流だったと思います。そう言われると当然のような気もしますが、当時の内容は、現在思い浮かべるものとかなり違います。その辺りは、ご自身でご確認下さい。キーワードは、シュモラー,ドイツ歴史学派などです。

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 よって価値は、説明可能なものでなく、信じるものになります。つまり、ある価値を信奉すれば、原理的に他の価値は認められません。価値の衝突は絶え間なく起きる事になります。何か、イラン・イラク戦争などを想起させますが、これにより、どんな社会(西欧,非西欧など)も、ある意味平等です。そして学問は、他人の価値を理解する方法にはなる、という立場を取ります(価値の根拠の説明はできないが)。ある価値を理解する事と認める事は違うという彼の立場が通じないために、歴史学派の学会の席をたったという有名(?)な話があります。

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5.心情倫理と責任倫理,近代人
 信じるもの,価値=心情倫理(キリスト経含む),結果責任(学問?)に基づく行為=責任倫理という構図です。価値は説明できなくても、結果責任により価値の衝突を回避する(理解する)事、だと思います。この結果、人は、自身と社会との間に「異様な緊張を孕む、自律的存在」となるが、それが近代人の宿命だと言います。

6.組織論
 以上の統合を経て、これも彼が先鞭を付けたと思われる組織論が出ます。その中で彼は、当時のビスマルク官僚体制を批判すると同時に、同じ視点から返す刀で、黎明期にあった社会/共産主義は、いずれ破綻すると言います。自分には、ソ連の崩壊を200年前に予見したように思えます。ウェーバーはある意味、自由主義の申し子です。

7.ウェーバーその後
 ふるいですが、1960~70年代にウェーバー・フリークと言われる学派(?)がありました。バーガーに代表される人達です。バーガーの有名な著作は、「聖なる天蓋」「故郷喪失者達」などです。ウェーバーの始めた理解社会学のその後の系譜がわかると思います。

 理系なので、多少偏っています。

 マックスウェーバーは、歴史学者で社会学者ですが、自分ではどちらとも言った事はないと思います。当時のドイツ(プロイセン帝国)では伝統的に、歴史的必然によって現社会になった、という立場が主流だったと思います。そう言われると当然のような気もしますが、当時の内容は、現在思い浮かべるものとかなり違います。その辺りは、ご自身でご確認下さい。キーワードは、シュモラー,ドイツ歴史学派などです。

 ウェーバーも先の学派の一員ですが、歴史学と社会学を分離す...続きを読む

Qデュルケームの「社会分業論」って何?

明日、デュルケームの「社会分業論」についての試験があります。語句説明や、カッコに用語をいえれないといけなかったりするそうで、試験時間は20分ほどです。さて、ポイントはなんなのか、さっぱりわかりません。どこを重点的に理解していけばいいでしょうか?

Aベストアンサー

有斐閣の『社会学小辞典』から。

社会的分業
技術的分業や経済的分業に対置される概念。これについて説いた学者は多いが、とくにデュルケムは分業が能率や経済効率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出す事実に注目して、社会的分業を体系的に明らかにした。そして、この分業の発達が社会を機械的連帯から有機的連帯へと、連帯の性質そのものの変化を伴って進むものと見た。また、とくに有機的連帯が正常な道徳的連帯を生まない場合の分業を無規制的分業、拘束的分業などの異常形態と見て、現代社会を批判した(以下略)。

キーワード:機械的連帯、有機的連帯

大学のテストはすくなくとも講義に出席していたことを前提として行なわれますので、マルクスと対置させる場合、スミスと対置させる場合もあります。その場合はご愁傷様です。
社会学史のテストなのでしょうが、講義に出ていなければ当然点数は低くて然るべきと考えましょう。点数が低くても、すべてはbinbouさんの自己責任です。

関連概念:マッキーヴァーの「コミュニティ」と「アソシエーション」など。
『社会学の基礎知識』(有斐閣)で復習しましょう。

訳書は田原音和(たわら・おとより)訳『社会分業論』(青木書店)。
井伊玄太郎訳(講談社学術文庫)はお勧めできません。

有斐閣の『社会学小辞典』から。

社会的分業
技術的分業や経済的分業に対置される概念。これについて説いた学者は多いが、とくにデュルケムは分業が能率や経済効率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出す事実に注目して、社会的分業を体系的に明らかにした。そして、この分業の発達が社会を機械的連帯から有機的連帯へと、連帯の性質そのものの変化を伴って進むものと見た。また、とくに有機的連帯が正常な道徳的連帯を生まない場合の分業を無規制的分業、拘束的分業などの...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qデュルケム『自殺論』について:その現代的意義と批判

日本における自殺者数は、4年連続で3万人を記録しました。この現象は、デュルケムの『自殺論』的な観点からどのように読み解けるでしょうか。また、それに対して、どのような処方箋をもたらしてくれるでしょうか。

デュルケムは、近代以降の社会における[個人]と[社会]の関係が危機的状態に陥っているために、"アノミー的自殺"が急増していると主張しています。つまり資本主義社会の急激な進展的変動が、かつて人々の欲求や生活指針を規制していた社会的な諸規範を根底から動揺させ、また人々に社会的諸規範を見失わせている。その結果、人々は止めどなく乾きがたい無規制な欲望に駆られ、自由と孤立、欲求の解放と挫折という不安定な状態の中におかれる。デュルケムの言う"アノミー的自殺"(および自己本位的自殺)は、現代の日本の自殺にも少なからず当てはまると思います。

そこで疑問です。だから個人を包摂するような新たな社会集団環境が必要だとし、デュルケムは結論として、[同業組合]を挙げています。しかし私は、社会的規範としての[道徳]の重要性をもっと前面に出してもよかったのではないかと感じました。じっさい、デュルケムの思想は道徳的色彩が強く、『自殺論』もそうでした。「道徳は自殺を抑止する」、くらいに明確に論じられてもよかったのではないか?自殺と道徳の明確な接点は何だったのか?

質問をまとめます。

(1)現代病としての日本の自殺は、『自殺論』的な観点からどのように読み解けるか。どのような処方箋をもたらしてくれるか。解釈や、ご意見をお聞かせください。

(2)『自殺論』における、道徳と自殺の関係について、明確な接点は何か(あるのか)。例えば「道徳が自殺を抑止する」という観点は可能か。

(3)最後にくっつけたようで申し訳ありませんが、デュルケム批判論者、および関連の著作(特に『自殺論』についての批判)をご存知でしたら、ご案内いただけませんか。

日本における自殺者数は、4年連続で3万人を記録しました。この現象は、デュルケムの『自殺論』的な観点からどのように読み解けるでしょうか。また、それに対して、どのような処方箋をもたらしてくれるでしょうか。

デュルケムは、近代以降の社会における[個人]と[社会]の関係が危機的状態に陥っているために、"アノミー的自殺"が急増していると主張しています。つまり資本主義社会の急激な進展的変動が、かつて人々の欲求や生活指針を規制していた社会的な諸規範を根底から動揺させ、また人々に社会的諸規範を...続きを読む

Aベストアンサー

1)について。
現代の日本の自殺は、デュルケームの類型でいうと「自己本位型」が多いのではないかという印象を持っています。自己本位型の自殺は、要は献身や信頼対象の喪失に動機づけられるわけですが、これは現代社会に顕著な特徴だからです。

社会の凝集性は極めて低下していますが、同時に個人の価値観が多様を極め、またそれを是とすべきというリベラルな観念も強くあって、社会の凝集力はどこに求めたら良いのか見当もつかない時代です。
本来人間はある共同幻想の中でしか生きられないものですから、共同体による意識・無意識の紐帯が失われると、それは結果的に自己像の輪郭さえ不明確にしてしまいます。デュルケームは『社会分業論』の中で「人は社会的存在となることでその自由が実現される」という意味のことを書いていますが、現在の社会は全くその逆に、個人の自由を唱導するあまりに個人の真の自由の獲得を困難にしてしまっています。

ここから生まれる「存在の軽さ」の意識は、色々な現象や制度によって強化されていきます。それは例えば、社会の高度化や制度化の反面として感じられる「何をやっても変わらない」というどんよりとした閉塞感であったり、医療が高度化するなど死が身近でなくなった社会ゆえの「生命感の希薄化」だったり、相対思考の行く果ての「本当のものなど何もありはしない」という虚無的な感覚であったりします。私には色々な諸条件が、デュルケームの言う自己本位型の自殺を後押しする方向に働いているように思えます。

同じ背景があっても、自殺に向かう「意味への渇き」のようなエネルギーがうまく解消されるようなシステムが社会に準備されていればいいのでしょうが、清潔志向と暴力排除が行き着くところまで行ったように思える現代社会ではそれも難しいのでしょう。

もう1点、アノミーと関連づけて現代社会について感じることがあります。
自殺は、それを全うする場合であれ回避する場合であれ、往々にして「責任」というものと関連を持ちます。この「責任」に関する社会の考え方が、近年寛容性を失っているように私には思えます。これが自殺を後押ししていはしないかと感じるのです。

何かが行われる背後には必ず「責任」が伴っているもので、事故や不測の事態には必ずこれが表面化するのですが、そこに暗黙に前提されているのは「制御」という観念です。本来、制御不可能なものに対しては責任の発生しようがないわけで、例えば雨が降ろうと雪が降ろうとそれは自然の営為であって「仕方がない」こととして社会的に許容されることです。

しかし現代社会は最終的に「責任」が出てこないと物事が収束しないという、一種の硬直性を見せています。これは、社会の中に暗黙のうちに「全てが制御可能であるべき」という感覚が共有されていることを意味するでしょう。この世の多くの事柄は本質的に制御できないことであって、もともと責任が発生しないはずであるにも関わらず、です。

この不寛容性を人間の支配欲の裏返しと見れば、これも欲望を煽る一種のアノミーと論じることができるのではないでしょうか。「誰かが責任を取るべきだ」という一見正論として語られる言説は、実は社会に蔓延する制御願望や支配欲そのものが「規範」の装いをまとうことで無節操な悪循環をもたらします。あたかも「規範」の如く語られるものが、実は根本的に欲望を昂進させてしまっているのです。

実際のところ、正確に言えばアノミーとは単に規範が後退した状態ではなくて「欲望の神格化」ですから、欲望を抑えることがむしろ良くないことである、という「規範」が蔓延した状態と言うことができます。だからこそ諦めることが難しいわけです。このように欲望が言わば覆面をして内面化された状態こそがデュルケームの言うアノミーの本来の意味に近いのでしょう。

「なるようになるものだ」「自然に任せよう」といった類の、この世の硬直性に対するアンチテーゼも散発的に説かれるのですが、個人の内面宗教としての処世術の域を出ず、無意識下の二重道徳は温存されています。

アノミーは普通「無限性の病」で豊かさの中でもたらされる焦燥感です。これを拡大して、逃げ場のない閉じられたシステムとしてペシミスティックに分析するとボードリヤールの消費社会論になりますが、実は「この世の制御可能性」についての幻想が増長されていく一種のアノミー状態はなかなか息苦しいものです。この生きづらさが蔓延し自殺は増加せざるを得ない状況にあると見ることができはしないか、という気がします。

2)について。
確かに『自殺論』でも道徳が重視されているのはご指摘の通りだと思いますし、やはりその重要性はあると言えると思います。実際、デュルケームが同業組合とか職業集団を重視するのは、それが個人に対して優位に立つ存在であって、そこから「それに従わなければならない」という道徳力が生まれるからに他なりません。同じ物への愛着を共有している、という社会性が各々の個人において発揮される時、自然にそれは集団の規範や道徳となって表れるのだ、という理解です。

自殺は、従って、この集合的な力が欠如してアノミーが生み出されたところにもたらされる、というのがデュルケームの主張でしょう。

ただ、100年後の現代から言えば、そのままで道徳を持ち込むことは無理なはなしだと思えます。解体されてしまったのは道徳そのものの規範的価値ではなくて、道徳を規範として成立させる場の存在だからです。それを権力といっても慣習といっても良いのですが、単に道徳が廃れたのではなくて、道徳を社会に位置づける基盤が既に解体されてしまっているのです。

『自殺論』では自己本位:集団本位という対概念が提示され、両者のバランスが意識されていたのに対して、アノミーの対概念ははっきりとしていません。
私見になりますが、宿命主義、つまり煽りたてるアノミーに対して現状を肯定し受け入れる方向に働く言説が分析されていれば、デュルケームの分析は今日的な意義が一層増していたように思えます。言わば「鎮め」の働きは、道徳のように集団に依存することなく機能するものではないか、と感じるからです。
(しかし強制される諦めとしての宿命主義は、やはり進歩主義的なデュルケームには許せなかったのかも知れません)

※以上、私見です。長さの割に内容がなければ…どうぞご容赦ください

1)について。
現代の日本の自殺は、デュルケームの類型でいうと「自己本位型」が多いのではないかという印象を持っています。自己本位型の自殺は、要は献身や信頼対象の喪失に動機づけられるわけですが、これは現代社会に顕著な特徴だからです。

社会の凝集性は極めて低下していますが、同時に個人の価値観が多様を極め、またそれを是とすべきというリベラルな観念も強くあって、社会の凝集力はどこに求めたら良いのか見当もつかない時代です。
本来人間はある共同幻想の中でしか生きられないものですから...続きを読む

QE・デュルケームについて。

デュルケームの社会学の特徴を教えてください。

Aベストアンサー

かなり抽象的なので、詳しくはお答えしません。補足を下さい。

デュルケムの特徴は「社会学主義」の一語に尽きます。社会学が社会科学の中の上位にあって、あらゆる科学を統合しているといった思想を持っています。

理念型を編み出したのは、ウェーバーと並ぶ発明でした。これは、『自殺論』の中で、その成果が発揮されています。
また、彼の博士論文『社会分業論』では、環節的連帯から有機的連帯へと社会が進化することを示唆しています。
詳しくは、『社会学小辞典 新版』(有斐閣)でお調べ下さい。
以上社会学徒から取り急ぎ。

参考文献
デュルケム『社会分業論』(上・下)(井伊玄太郎訳、講談社学術文庫)
デュルケム『社会学的方法の規準』(宮島喬訳、岩波文庫)
デュルケム『自殺論』(宮島喬訳、中公文庫)

Qヴェーバーの行為の4類型?

ヴェーバーの行為の4類型について質問したいのですが…。ヴェーバーの支配の3類型についての資料はいろいろあるのですが、行為の4類型について書かれている資料を探せ出せなくって…困っています。お願いします!

Aベストアンサー

Max Weber のことですか?
それなら、
1,人間が他の人間を物として支配する型
2,人間が他の人間を物としてではなく人間として、人格的に支配する型
3,人間に対する人格的支配を内容とせず、人間がその特定の行為の側面においてのみ関係しあう型 
4,人間に対する人格的支配を内容とせず、しかも人間が人間としての側面において関係しあう型

のことだと思いますが、ヴェーバーがWeberでないなら違いますね。
外国人の名前は綴りで書かれたほうが良いかと思います。

Qマルクス主義とは??

戦後教育の思想(?)となったマルクス主義とはなんなのでしょうか?興味をもって調べてみたんですが、弁証法的唯物論だとか、史的唯物論だとかちょっとわからなくて・・・。
すみません、少しわかりやすく(といっても高校生なのでちょっと難しくても分かると思うんですが)教えていただけないでしょうか??

Aベストアンサー

唯物論とは、簡単に言えば「モノが人の行動を規定する」という考えです。つまりマルクスに言わせれば、モノをめぐり人類は争ってきたと言っているのです。
しかも弁証法的にです。弁証法とは「二つの対立の中から新たな進歩的な物事が誕生する」という考えです。
ですから彼の唯物史観(史的唯物論)とは、こうなります。
(1)人類の歴史は常にモノをめぐる対立の繰り返しであった。つまり古代社会では地主と奴隷またはコロヌス、中世は封建領主と農奴または都市市民、近代社会は資本家と労働者という対立です。
(2)次に歴史は、被支配者が暴力によって支配者を打倒してきた。あるいはその支配力を低下させ、社会や経済は発展してきた。市民革命はその典型。
(3)結論として、19世紀は労働者が資本家を暴力で打倒し社会主義を実現する番だ。
おわかりですか?
要するに、労働者が暴力(社会主義革命)によって資本家階級を打倒するのは、歴史の流れとして当然だと主張しているのです。そして、そのために国境を越えて全世界の労働者が団結するべきだと訴えたのです。
これがマルクス主義です。
参考までに、それに対して19世紀末~20世紀初頭のドイツでは、ドイツ社会民主党が議会で多数議席を獲得したこともあり、暴力によるのではなく、議会を通じて平和的に・漸進的に社会主義を実現していこうという考え方が主流になります。これを修正主義と言います。

唯物論とは、簡単に言えば「モノが人の行動を規定する」という考えです。つまりマルクスに言わせれば、モノをめぐり人類は争ってきたと言っているのです。
しかも弁証法的にです。弁証法とは「二つの対立の中から新たな進歩的な物事が誕生する」という考えです。
ですから彼の唯物史観(史的唯物論)とは、こうなります。
(1)人類の歴史は常にモノをめぐる対立の繰り返しであった。つまり古代社会では地主と奴隷またはコロヌス、中世は封建領主と農奴または都市市民、近代社会は資本家と労働者という対立です。...続きを読む

Qウェーバーの「支配の三類型」

テストでウェーバーのことがでるという話なんです。
授業を振り返ってみるとウェーバーの話は「支配の三類型」しか覚えていません。(情けないです)それなので、
ウェーバーの支配の三類型ですが、官僚が三類型の1つだとおもうのですが、あとはわかりません。あとの2つとその説明をしていただきたいのですが。ほんとに申し訳ないことです。あと文献も与えていただけると嬉しいです。
なにとぞお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。

ウェーバーの「支配の三類型」は、以下の3つに分類されます。

【カリスマ的支配】
カリスマとは特定の人物に宿る畏怖すべき資質のことで、この支配は人々がカリスマ的人物に畏怖の念を抱くことで服従する

キリスト・ナポレオン・レーニン
この支配の問題点は、カリスマが宿る人物は、ごく限られており、その人が死んだ場合その支配体制をどうやって維持していくか(カリスマの日常化)ということである。
<日常化の手法>
(1)世襲カリスマ
カリスマ的人物の子孫もまた、カリスマを持つと考え、代々カリスマを世襲する
例:本願寺の法主・茶道の千家
(2)官職カリスマ
組織上の地位にカリスマ性を付与して、継承していく
例:ローマ法王・ダライ=ラマ

【合法的支配】
制定された規則の正当性を自明のものとして支配する
情緒的なきずなは存在しない
行政官僚制の支配・企業
近代社会における主要な支配形態

【伝統的支配 】
伝統を神聖視し被支配者が自発的に支配者に服従している
この場合の忠誠心は恭順とよばれる男性支配・封建的主従関係・君主制

文献は参考URLを参考にされてください。

参考URL:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~yano/weber/bib.htm

こんにちは。

ウェーバーの「支配の三類型」は、以下の3つに分類されます。

【カリスマ的支配】
カリスマとは特定の人物に宿る畏怖すべき資質のことで、この支配は人々がカリスマ的人物に畏怖の念を抱くことで服従する

キリスト・ナポレオン・レーニン
この支配の問題点は、カリスマが宿る人物は、ごく限られており、その人が死んだ場合その支配体制をどうやって維持していくか(カリスマの日常化)ということである。
<日常化の手法>
(1)世襲カリスマ
カリスマ的人物の子孫もまた、カリスマを持...続きを読む

Q年齢確認が甘い居酒屋チェーン店

20歳をとっくに超えているのですが同い年の友人と居酒屋に行ったりするとたまに年齢確認をされます。
まだ未成年だった時はなんにもなかったのに…。
最近は厳しいのでしょうか。
しかし私は証明する物を持っていません。
免許もなければフリーターなので社員書もなし。
パスポートもありません。
なので口頭で生年月日を言えば通してくれる居酒屋ってどこですか?
甘い店を教えて下さい!

Aベストアンサー

最近確認が厳しいですよね…
私も、よく聞かれるんですが同じく運転免許持ってないし、
パスポートや保険証持ち歩くのも怖いので病院の診察券持ち歩いてます。

生年月日書いてるので、居酒屋チェーンとかならこれでOKですよ♪

直接の回答でなくてごめんなさい。


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