僕は今大学4年生なのですが、最近は毎日「生きていたくない」とばかり考えています。そう思うのには理由があります。

まず、何をやってもうまくいかないのです。今は就職活動中なのですが、全くうまくいきません。色々とスキルアップを試みても、いっこうに効果が表れません。恋愛もうまくいかず、22年間で女性とお付き合いをしたことがありません。そして交通事故に遭ったり、悪質な業者に騙されたりと、過去を振り返れば不運なことばかりです。

また、前に楽しめたことが楽しめなくなりました。前は音楽が好きでバンドとかをやっていたのですが、今はそれほど楽しめなくなりました。ギターを毎日弾くほどだったのに、最近はギターを触るのが面倒になりました。それはいけないと思い、他に興味のあることに手を出したりしたのですが、まるで自分が自分じゃないみたいに熱中できないのです(以前僕は興味のあることにはすぐ熱中してしまっていたんです)。友人とのコミュニケーションも少なくなり、一人で過ごす時間ばかりになりました。

生きていてもちっとも楽しくありません。いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。やらなきゃいけないこと、前は普通にできていたこと、みんな億劫に感じます。そして自分にはいいところなんて何もないダメ男だと思うようになり、毎日心が絶望感みたいなもので支配されています。何をやってもうまくいく気がしません。

自殺も考えたことはあるのですが、考えていたら親の顔が浮かんで、一人泣いてしまいました。そして自分の夢のことも考えてしまいました。生きていたくないと強く思う一方で、心のどこかでは生きることを望んでいるのかもしれません。

僕はどうしたらいいのでしょうか?絶望感に満ち、何も楽しめなくなった今、なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?

A 回答 (59件中1~10件)

お返事ありがとうございます、再度の7です。



事故の件は大変辛いと想いますが、感情論を抜きにして考えないといけないところなんです。
私情をはさまないで「自然の法則」として理解して欲しいんです。物理です。

感情論で言えば、誰だって事故には遭いたくないし健康で平和に愉快にすごしたいんです。
私だってアメリカの大富豪の家に生まれて、派手に贅沢に何不自由なく暮らしたかったです。

でも、徹底的に冷酷なまでに人生を物理的な法則として、客観的に考えれば、やっぱり原因があるから結果があるんです。

蜜柑の樹からは、蜜柑しかなりません。
蜜柑から林檎が成ることは、絶対にないんです。
もし異例があるとしても、それにも、100%、原因があるんです。
自然は、この法則を、絶対!!!にミスしないんです。
≪ この世には偶然というものは無く ≫、全て必然的に相応の結果が出るように出来ているんです。
この単純明快な自然の法則で、我々の心も人生も、全部が出来ているんです。

ですから事故の件も非情に言えば、必ずその原因があったハズなんです。
しかし、それは前世においての原因だったかも知れないんです。。。。
 ・・・と、いう話になるとオカルトチックになるので引くと想います^^
 でも、我々が「生まれる」ということにも、必ず、原因があるとだけ覚えておいてください。



でも、結果が出たからといって、それは、終わりではないんです。
むしろ始まりなんです。

階段を一段上がったら、それまでと違う景色が現われた・・・・というだけなんです。
この意味、通じますか??

人生に起こる全ての出来事は、進化、成長のためのプロセスなんです。
蜜柑の種をまいたら、実がなるまでに、時間がかかりますよね?
自然は、時期=経過=プロセスを経ないと成長できないようになっているんです。


>>自分の力だけではどうにもならない「結果」もあるのではないでしょうか?

もう、階段を一段上がってしまったのですから、後戻りは出来ませんよね。
それでも「この階段じゃなきゃ嫌だ!」と頑張っても良し、別のルートに変えても良しです。

「結果」を受けてどうするか? が「人生」であり「冒険」なんです。
人生の真価は、ここにあるんです。
これをするために生まれてきたようなものです。^^

No.23さまが、
>>。「私が集めた知識が他の誰かの役にたってるんだ」「私の経験が同じ経験をしてる他の人の役に立ってる」・・・・・なんとも不思議な感覚でした

と、おっしゃっています。
これはキリスト教でいうところの「求めよ、さらば、与えられん」なんです。

私も質問者様の1000倍は「死にたい」と願って生きてきたんです。
世間も親も、私に対して虐待はするけれど、誰も助けてはくれないんです。
だから、ずっと、ものごとの本質というか、心から納得のいく真理・真実を求めて続けていたんです。
そうしたら、いつの間にか、核心にまでたどり着いてしまったんです。
そうして、自分が本質を伝える人に””成って””いたんです。
(まあ、伝わっているか解りませんがね・・)

 パンの作り方を一生懸命理解・学習した人は、パン屋に”成る”でしょ?
 一心不乱にギターの練習をした人はギタリストに”成る”んです。
 これが「求めよ、さらば、与えられん」です。

  「望むもの」が与えられるのでは無いんです。
   その人が抱えている原因に相応しいものに”成る”んです。
   つまり、我々、一人、一人が「原因(種)」であり「結果(実)」なんです。
   この意味、通じますか・・・??

心の中で、至上の曲を求め続けていれば、その人の心の中に、その人にとっての至上の曲が芽生え出すんです。
求めたから、与えられたんです。(簡単でしょ?)
”成る”といったほうが、より解りやすいと想います。



質問者さまが絶望するのは、正しいです。
絶望したということは、確実に階段を昇っている(成長している)という証拠なんです。

さあ、では、次に、何を求めるか?です。(なにに”成る”か?)です
練炭を求めれば、自殺者に”成り”ます。
アルコールに救いと癒しを求めれば、アル中患者に”成り”ます。
ギャンブルに求めれば、破産者に”成る”かも知れない。
ぐれて喧嘩に明け暮れれば、不良に”成り”ます。


言い換えると、人生に無駄なモノなど、一つもないんです。
障害さえも、人生の肥やしになるんです。(ヘレン・ケラーもそう言ってます)
上↑のほうで、≪ この世には偶然というものは無く ≫と書きました。
この人生で起こる全ての出来事が、必要なものばかりなんです。
全てに必然性があるんです。


あとは、そこから何に成るか?が、自然から問われているんです。
「あなたは、何になりたいですか???」と、自然が問いかけているんです。

「あなたに相応しいあなたに、いつだってしてあげますよ」
「あなたが成りたいのなら、私は、いつだって完璧にお手伝いしますよ」
・・・と、自然が言ってくれているんです。
 
わかりますか?

「私たちは、自分の想うとおりの人間に成っているんです」
これは、ビジネスの成功哲学の中でも言われていることです。
その秘密は「原因があって結果がある」です。
超~~単純なんです。
この簡単な理屈に「私情」をはさんでしまうから、人生が複雑になってしまうんです。



>>気づいて・・・どうすればよいのでしょうか?

気づき続けるだけでいいです。
査定も、否定も何もしないで、ただ淡々と自分の中の自然の動きを観察し続けてみてください。
心の動きも100%、自然の法則に従って働いています(因果、縁起、無常)
この自然の動きを観察し続けるだけで、自然による他律的な支配から、自律的に自然を支配する側になれるんです。

こちらの#4を読んでみてください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1800783



・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう^^;



PS
No.23さま、身に余るお言葉に感謝しています。
お互いに、自然の不思議なやり方に翻弄されつつも、これからも頑張っていきましょう!
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。しかもこんな長文で・・・

まず始めに誤っておかなければなりません。申し訳ございませんでした。
正直なところを申しますと、僕は最初に回答者様の意見を拝見したとき、「小難しいような意見言ってるな」と思いました。しかしご意見をいただくにつれ、次第に意味を理解し、素晴らしい意見であると思うようになりました。そして自分は愚かであったと実感しました。今までに述べた「ダメ男」なる愚かさでなく、何か全く別物の愚かさを感じました。うまく表現できませんが、「結果の出ない自分」ではなく、「悪い結果の原因を作っている自分」に腹が立ちました。

>この意味、通じますか・・・??
>わかりますか?

深いご意見ですので、100%ではないかもしれませんが、回答者様が僕に伝えたいことは概ね理解できたと思っております。というより理解できるように”成った”んです。僕が自分にとって必要な意見を求め、その意見の意味・本質を知ろうとしたからです。当たり前のことですが、できていませんでした。

>気づき続けるだけでいいです。

悪い結果の原因に気づいた時、その原因を消すための行動を起こす必要はないのでしょうか?あるいは、本当の意味で原因に気づいたときは、無意識に行動が起こる(起きている?)のでしょうか?気づいた後にどうすればいいのか分からない僕は、本当の意味で気づいてないのでしょうか?

URLも拝見させていただきました。
>自分以外の何かに頼る「愛」「安定」「心の平和」は、とてももろいものなんです。

最近は強い孤独感を感じておりまして、いつも何かに頼ろうとしてました。例え悪い結果ばかりで辛くても、「恋人ができれば、心の支えができさえすれば…」と、いつも考えていました。まさに「自分の心の安定を他律的に果たそうとしていた」のです、原因に気づく前に。愚かでした。愛の生産・・・、意識していきたいと思います。

>・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう

いえいえ、もっとお話を聞かせていただきたいです。回答者様のご意見は、とても勉強になります。

お礼日時:2005/11/30 04:17

floさん、tr4さん、camさん、kuronekoさん。



食材を目の前で調達して、目の前でさばいて、目の前で調理しても「これには毒が入っている!」といわれたら何もいえません。全てを目の前で明らかにしていても、ありのままに見えないんですから、私にはこの壁を取り除くことはできません。そのようにしか見えない人には、そのようにしか見えないんです。

養老孟司曰く「バカの壁」「超バカの壁」です。
私たち自身が気づくことだけでしか、この壁は取り除けません。
人を導くことが出来ても、救うことは出来ないとはこういう意味なんです。



で、最期に新しい言い方を思いついたんですが、
心の形成作用というのは、<鉄アレイ>と一緒です。

一瞬で心の中に鉄アレイが出来てしまうんです。
妄想なんて、何もしなくても、心の中に次から次へと生まれてきますよね。
こればっかりは、生存のための本能なので、どうすることも出来ません。
思い通りにならないんです。(ドゥッカ「苦」です)

で、その重さに負けたら、潰れてしまいます。
「重さ」の奴隷になってしまったら、筋力も衰弱していきます。
鉄アレイの奴隷、感情の奴隷になってしまうんです。

この「重さ」に反発することで筋肉がついてきます。
というか、それしか筋肉を鍛える方法は無いんです。
常に内省的に己に打ち克つことでしか、心の筋肉も鍛えられないんです。
これが四聖諦(苦・集・滅・道)です。(勉強してみてください)



この世の全ては各次元ごとに、性格違いの反対の性質をもっています(陰陽、プラスマイナス)
二極構造。二律背反で構成されているから「生まれる」ということが起こるんです。
「生まれる」が起きれば「滅する」も起きます。

これを完璧に安定したら、生まれるということが尽きるので、解脱です。
ようするにエネルギーとして成立しなくなるんです。
エネルギー保存則を超えてしまうんです(仏教の解釈では)

まあ、我々は、そこまでは無理にしても【心の形成作用が収まるのが安らぎである】と、お経にもあるように、不断に鉄アレイを持ち上げ続けることが、真の幸福になるんです。克己修身です。

このようにイメージしながらやると、楽しみながら、心を喜ばせながら気づけます。


本当に仏教に出会えてよかったと想います。
帰命頂礼 ....m(_ _)m

みなさんが、幸せでありますように。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

もっと色々勉強させていただきたかったので、もうSyoさんの意見をいただけなくなってしまうのは非常に残念でなりません。でも「わからないことがあったらSyoさんに聞けばいい」という想いが、自ら勉強するというのを怠らせたのは事実ですね。Syoさんがいなくなっても、今度は自分で色々勉強をしたいと思います。

>みなさんが、幸せでありますように。

少なくとも僕は幸せです。大変素晴らしいご意見を、幾度にわたっていただくことができましたから。僕のために貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。
僕はここで学んだことは一生忘れません。それくらい大事なことを学びました。なにせ「生きていたいと思えない」と感じていた僕が、今は前向きに生きていけるようになれましたからね。Syoさんに出会わなければ、僕は今生きていなかったかもわかりませんでした。大袈裟ではなく、人生が変わり始めました。これからもっと良い方向に向かっていけるように、努力を怠らずに頑張っていきたいと思ってます。

本当に、本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/02/12 17:38

そうですか・・・・・・・・・・・・・・・・・。



「愛」と「愛のようなもの」は一見すると似てるので、仕事上の事務処理の一環として回答を読まれている管理者の方々には、その見分けはつかないのかもしれませんね・・・残念なことですが。
でも、それが宗教がらみでも宣伝でもなく、「本当に助けてあげたい」という愛以外の何ものでもないことは、本当に悩み苦しみ、Syoさんの回答を受け取った方々は感じていらっしゃると思います。もちろん私もです。きっとcamさんも。・・・・数ヶ月前、「生きていたいと思えない」といっていた人が、今こんなに力強く、地に足を着け、頑張っているのですから。
それに私のほうも、教えていただいたこと、早くもいろんな場面で役に立ってるんですよ。(^-^)


・・・私はここに入会してから今まで、生活と人生でいっぱいいっぱいで、ここへ来て投稿を読むことすらできない時期も何度もありましたが、それでも・・・ここへ来ればいつも、Syoさんの回答がどこかにあり、それがたとえ私の人生とは全然関係のないような質問に対する回答であっても、その中に、私自身の迷いに対する大きなヒントを見つけることができました。
時には突然、同じ理論をもとにたっくさんの回答を付けてらっしゃることがあって、なんだかSyoさんの嬉しさと喜びと一生懸命さがそこからあふれ出てて、「あ、すごい!この人、また何か発見したんだ!」って、モニターの前で思わず笑顔になる時もありました。

でもSyoさんがここを去る前に、こうやってお話できるチャンスを与えられたこと(今日、管理者さんから注意がきましたが(^^;))・・・・本当に嬉しく思います。生き辛さや、困難、音楽、そして真理を追求しそれを実際に生きるという決意と想い・・・・・我々3人を結ぶ共通の糸が、振れあい共鳴した、貴重な時間でした。


Syoさんのお話をもう聞けないのは、ものすごく残念です。でも・・・・・・・・
池に小石をポトンと落とすとその波紋が何層にも広がるでしょ?きっとSyoさんという石は、その行く先々で幸せの波紋をたくさんつくっていかれる方だと思います。
その波紋は、遠くにいても必ず届きます。


どうか、お体を大切に。
私も頑張ります、何があっても!

本当に・・・ありがとうございました。<(_ _)>
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

>宗教がらみでも宣伝でもなく、「本当に助けてあげたい」という愛以外の何ものでもないことは、本当に悩み苦しみ、Syoさんの回答を受け取った方々は感じていらっしゃると思います。

その通りですよね。ちょっとお礼が遅れた間になんか残念なことが起きていますが…。
Syoさんの文章全体の意味を汲み取らずに、部分部分で仏教のことに触れたことだけをピックアップしてしまうから、宗教がらみだの何だのっていうことになってしまうんだと思います。もっとじっくり読んで判断していただきたいものです。
「生きていたいと思えない」という質問をした僕が、今は良い方向へ向かっていこうと頑張れるようになりました。それはSyoさんの意見(もちろんFloさんをはじめ、他の方の意見もそうですが)があったからこそなんです。その事実を管理者の方はどう受け止めるのでしょうか?Syoさんの意見が、宗教だの宣伝だのっていう意見であったら、僕はまだ死にたいと思っていたはずです(もちろん僕はどの宗教にも入会・入信していません)。

Floさんにもとてもお世話になりました。膨大な時間を僕の回答に費やしていただいて、とても感謝をしています。僕は変わっていくために、努力は怠らずに頑張っていきます。どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/02/12 17:39

motosyoこと、元SYOです。

m(_ _)m
どうやら宗教がらみと誤解されたのか?退会処分となりました(^^

以前から、正しい姿勢が大切だと訴えていたことも「繰り返しの宣伝だ」と誤解されマークされていたんですが、ついに退会処分になりましたので、ちょうど伝えたいこともある程度伝わっている良い時期でもあるので、私はこれで潔くOKWEBから撤退しようと想います。

正しい真理を伝えていても、営利目的でやっているとしか観えない人たちもいるんですね。
哀しいですが、仕方がありません。

floさん、camさん、あと此処を覗いてくれてたかも知れない後輩のtrさん。
みなさんどうかお元気で、そしてしっかりと実践して欲しいと想います。
私も頑張ります!

この道に絶対!!に間違いありません。
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急な用事が立て込んで、しばらくバタバタしてます。

100%書きたいこと書こうとすると結局何も書けないので、小出し(^-^)にすることにしました。<(_ _)>


camさんのお礼欄読んで、本当に嬉しく思いました。あなたは変わります。変われる人です。
ほんとうに変わろうとして、実際に努力をする人にはちゃんと、自然が協力してくれるようになってるんです。目先の利益にとらわれずに、本当に目指すところを向けて弛みなく歩けば、たどり着くべきところに導かれていくんです。
この数年は私にとって、それを自分で体験した、貴重な時間でした。この何年かで私は、何十年分の人生を生きたかのように感じるほどです。一秒一秒を、一生懸命生きたからだと思います。
camさんもきっとこの先、これを体験し、実感されると思います。ほかの誰でもない、努力したあなただけが享受できる感覚です。それを感じ始めたら、もう既にcamさんの人生は正しい方向に進み始めているはずです。


私自身も、やっぱり今でももちろん辛いこともあるんですよ。
だけど、そんな辛い思いをして、負けそうになり、葛藤し、それでも正しく生きようと努力する、・・というこの繰り返しが、確実に私の底力を上げているんです。少しずつ、少しずつ、正しく生きようとする力が強く働くようになり、心がぐらつかない自分に近づいていってるのが、実感できるんです。私その昔、部活で運動をしてたことがあるんですが・・トレーニングで長距離走る時とかもそうでした。最初に「ふんっ!!」って出すエネルギーが、次のエネルギーを生むんです。走れば走るほど加速し、足が勝手に前に出だすんです。
歩いててもそうでしょ、Syoさん?

・・・だから、今こそ・・頑張ってほしいです、本当に。



>また、次回に瞑想について投稿しますので是非参考にしてください。

了解しました。
立禅もやってみます。

このところの忙しさで、常に客観的で心静かでいることの重要性、同時にその難しさを、ひしひしと感じます。
けれどもやはり常にそれを意識していることで、本当にすべてがスムーズに流れることを、実感もしています。
Syoさんの投稿を読ませてもらうことでも、すーっと静かな心が戻ってくるんですよ。感謝です・・。<(_ _)>
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>生きていてもちっとも楽しくありません。

いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。
 自分もそんな性格です。以前自分も、何のために生きているのかというものをずっと考えていました。でもその答えは無いと気付いて、でもそれでも答えを求めていました。
 今の自分は「ただ生きているだけ」の状態です。でもそれでしょうがないと最近は思えてきました。抜け殻で生きることを認めはじめたら、すこしだけ気は楽になりました。
 
>自殺も考えたことはあるのですが、
 自分もそれは考えたことはあります。でも自分の場合は、「どうせ死ぬなら、せめて幸せになるまで生きよう」と思って生きてきました。「別に今すぐに死ななくてもいいか」と思えば、気持ちが楽になると思います。

 人生は悪いことが重なると落ち込みます。それに負けてしまう自分が嫌いになるのは、みんな一緒だと思います。camcamさん、時にはゆっくり生きてください。

 あまり参考にならなくてすみません。では。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
ご回答ありがとうございます。

他の方へのお礼欄を見れば分かると思いますが、僕は少しずつ前向きに生きれるようになりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/12 17:43

camさん。



>>何もせずに何かを変えるなんて不可能ですよね。

そのとおり!

私も長い間、自分以外の何かが何かを与えてくれるハズ、どこかに行けば、誰かに出会えば、きっと何かが変わるハズとずっと想ってきたんですが、floさんも仰るとおり、自分が変わること以外に我々にコントロールできることなんて無いんです。

精神的安定も、「愛(気)」も、金も、仕事も、未来も、幸福も・・・全て自分で生産するものなんです。
この「心」が安定して自由自在に生きられれば、それが幸福への一本道なんです。

仮に、オーディションに不合格だったとしても、そんなことは関係ないんです。
だって誰かが貴方をミュージシャンと決めるのではなく、貴方が自律的にミュージシャンに成ってしまえば良いんです。
もし、今も、オーディションの結果をただ待っているのだったら、それは間違った態度です。
エサを待つ犬は飢え死にするだけです。


大仁田さんは、この点が凄いんです。
一時は日雇いの道路工事までやっていたのに、彼は、そこから自力で這い上がってきたんです。
デスマッチという見世物プロレスで、全身、血だらけ、傷だらけにして、捨て身で這い上がってきたんです。
さらに国会議員になったからといっても、まだまだ前進することを止めないんです。

郵政国会では投票棄権しました。(おそらく売名行為)
長崎の知事選も立候補を匂わせました(かなり売名行為)
タイゾー議員に付きまといました。(完璧に売名行為)
武部幹事長に反抗しました(確信的な売名行為)
・・と、彼のマスコミを利用したセルフ・プロデュースは終わらないんです。
私は本で知っただけなんですが、彼は、プロレス時代からずっとこのやりかたで這い上がってきた人なんです。だから、実は、彼は、全て計算の上で、楽しみながらやっていると想います。

だから世間から何を言われても、彼は、絶対に動じないんです。
だって、世間が反応するのを分かってやっているんだから、最初から、胎が据わっているんです。

逆に、彼の言動に騒いで揺れ動くのは世間の方なんです。
彼のやること、発言に対して、枯れ葉のように揺れ動くのは我々のほうなんです。
感情的になる世間を、彼は白けて傍観しているんです。

彼の座右の銘である「邪道」とは、アウトローという意味ではなく、誰に何を言われても、自分の好きな道を生きるという意味なんだそうです。

「涙のカリスマ」とも言われてましたが、実は、彼は、ずっとクールに冷静さを保っているから、人前で、何でも出来てしまうんです。どんなに稚拙で馬鹿馬鹿しいことでも、平気でやってのけてしまう平常心・不動心を持っているんだと想います。一流のお笑い芸人が冷静に計算しながら客を笑わせるのと同じことです。


長崎の知事選の話のときも、テーマパーク構想を出しましたよね。
「俺の知り合いが5000億だす」みたいな話まで飛び出しました。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/dec/o2005122 …

とても稚拙で、馬鹿みたいな、詐欺みたいな話ですが、実は、これで良いんです。
なぜならば「目標」というのは、実現不可能なところに設定するべきなんです。
だって実現可能なことは、単なる「予定」なんです。
「予定」しか語れないビジョンの無い政治家なんて、それこそ必要ないんです。
慎重であるのはいいことですが、「おのれの保身」しか考えない人がいるのも事実だからです。


誰もが辟易とするようなくだらない話でも、夢は大きければ、大きいほど、その実現に向けて努力するので、必然的に前向きなパワーが溢れてくるんです。だから私は小泉総理の「郵政民営化」も内容はどうであれ感動したんです。ホリエモンの「世界一の企業にしたい」とか「宇宙にいきたい」というのも、実は、素晴らしいビジョンなんです(いまや過去形ですが)
実際にこのような発想で生きている人は大勢いるんです。

・・・で、ここで勘違いがあってはいけないのですが、大切なのは「欲望」ではなく「志」であるということです。
「欲望」と「志」も似非の関係なんです。同じ次元にある性質違いの関係です(対極の関係、陰陽、プラスマイナス)
(これが#48で説明したかったことなんです)

「ミュージシャンに就職できる予定が立たないから自殺します」・・・なんて大仁田さんに聞こえたら張り倒されるでしょう。
それより「俺の音楽でビートルズ以上に世界を変えてみせます」とデカイことを言わなければダメなんです。
そして、実際にそのための不断の努力、一歩でもいいから前進してみるんです。
今がどん底であろうが、どんな状態であろうが、老若男女問わず、ビジョンというのは、そういうもので良いんです。
子ども心全開な稚拙な発想で良いんです。計算高い大人の発想ではダメなんです。


でも街には私も含めて過去の栄光を語るような腰抜けばかりです。
たいしたこともない儲け話とか武勇伝を自慢げに聞かせるような小悪人な腰抜けが大勢います。
これは「愛(気)」が弱いんです。誰にも愛されなかったり、気が抜けている(現を抜かしている)と、必然的に、愚痴をいうか、過去の栄光にすがるようになってしまうんです。欲望と贅沢によって心が鈍化・衰弱している証拠です。ハングリー精神がなくなっているんです。



「無私の人」として有名だった土光敏夫という人が居ましたが、この人も毎日が苦悩の壁だったそうです。
毎日、毎日、新しいことに取り組んで、前向きに進歩(成長、変化、進化)しているからこそ、毎日が悩みの壁だったんだそうです。安穏とした日は、一日もなかったそうです。91歳で亡くなる数年前まで、働き続けたんだそうです。

でも、だからこそ鍛えられるんです。(錆ない鉄です)
「使うものは賦活する。使わないものは衰弱する」です。
土光さんも大仁田氏同様に、保身ではなく、捨て身の人生だったんです。
「めざしさえ食べていれば生きられる」と発言して「めざしの土光」として有名でした。

志が高ければ無欲の勝利。
無一物無尽蔵。
無欲は大欲に似たり。となるんです。

大仁田氏は40近くなってから高校に通い、大学にも通っていたんですよ。
レスラーとしても、タレントとしても、政治家としても二流、三流だけど、胎の据わりかたと「志」だけは超!一流なんです。
まあ、あんまり褒めすぎてもあとが怖いですが。。。


「欲望」ではなく「志」という意思エネルギーさえあれば、眼も耳も口もふさがっているヘレンケラーでも女子大にいけるんです。これ以上無いという、どん底からでも這い上がることが出来るんです。



floさんもきっとそうだと想いますけど、だから「どん底」まで落ちた人間は強いんです。
なぜならば、どん底にこそ救いが落ちているからです。
だって恵まれているところに、救いが落ちているワケがありません。
救いは、どん底にしか落ちていないです。
どん底に落ちないと、人間は救いを求めないんです。だから与えられないんです。

でも、これを逆の立場から観ると、「救いの落ちているどん底」とは、泥の中から咲き上がった蓮の華でもあるんです。
美しい蓮の華は、その対極にある汚い泥の中からしか咲けないと書きましたが、どん底に落ちて、もう行き場もなくなり「自分自身を作り変えるしかない!」という想いに達し、救い(真理)に到達したということは、実は、泥の中からちょっとだけ顔を出した蓮の華と言い換えることもできるんです。どん底だと想ったら、実は泥の上だったってやつです。明けない夜は無いんです。

だって逆に、安穏とした生活を続けて、「今のままでどうにかなるだろう」と現状に甘んじている人は成長・進化することもないんです。泥の中が居心地がよくって、いまだ、泥の中にいる蓮華なんです。

冬の時代、艱難辛苦を乗り越えてこそ成長できるとはこういう意味です。
あとは、それを伸ばすも伸ばさないも本人次第です。
やる気(志)がなければ、結局、ダメです。

全てのものが移ろい続ける諸行無常の世の中での「停滞」は「衰弱」「死」を意味するからです。


floさん。
>>そういうことが、ある時点から頻繁に起こり始めたんです。
浅見帆帆子さん本には「精神レベルがあがると、情報のほうから勝手に入ってくる」とありましたね。
確かにこういうことってありますよね。(聞こえるはずの無い声が聞こえたりね。。。)


>>じっと座ってることすらきつかったです。

一番簡単なのは立つ瞑想(立禅)です。
ただ立って「立っている」という感覚や呼吸の感覚に気づいていればいいんです。
でも、そうしていると必ず雑念が湧いてきますので、それも客観的に観察するんです。

私はしょちゅう鏡の前で立禅します。
鏡に映る自分をジッと凝視しながら、ただひたすら立って観察するんです。
とても集中できるし、調子いいんです。
(これは、子どもの頃から自然とやっているんです。)

また、次回に瞑想について投稿しますので是非参考にしてください。
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camさん、



>まさにその通りなんですよ。もっと積極的に動いたりして、自分の思い描いたものに近づけるようにしていったほうがいいんじゃないかって思ってます。どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ。今の自分に与えられたことを一生懸命にって・・・、簡単に夢は諦められませんし、就職先も決まってない自分にとって一体何が「与えられたこと」なのかもよくわかりません。で、多分「与えられたこと=やるべきこと」ということですよね?やるべきことがもう少し明確になれば、と思ってるんですけど・・・。

>どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ。


ピンと来ないの、無理もないと思います。私自身、「今、此処の自分を生きること」ってどういうことか、そしてその大切さに気付くまでには、長い長いプロセスがありましたし、ご存知のように私はまだ、Syoさんがおっしゃってる気付きの瞑想を体得してませんから、そういう私の視点でお話しするしかないのですが・・・。
私の言う「今、此処の自分を生きる」とはすなわち、家事や雑務、親の介護などのなんでもない普段の生活であり、歌うことであり、曲作りやアレンジなどの作業であり、ここでこうやってコミュニケートすることであり、・・・要するにその時その時にやってることを全力でやる、ということに他ならないんです。


音楽をやっていて感じることは、音楽とは一つの完結した世界、言ってみれば一つの宇宙、だということです。歌を歌う、ピアノを弾く、ギターを弾く、曲を作る、etc.・・・これらは、その音楽という一つの宇宙での体験なわけです。
そして、自分の人生というのが一つの完結した宇宙ならば、音楽はその人生という原版のミニチュア版のようなもので、音楽をやるということは、人生を生きるということの、模擬体験のようなもの、だと思うんです。(どっちが原版でどっちがミニチュアか、どっちが実体験でどっちが模擬か、どっちが大でどっちが小か、という問題はひとまずここでは無視します)
これと同じように、例えばダンスの世界も一つの完結した世界=宇宙ですし、スポーツも宇宙ならば、そのひとつの野球も宇宙、柔道も宇宙、会社の仕事も宇宙なら、家事も宇宙、介護も宇宙、子育ても宇宙、病気との闘いも宇宙、そしてもちろん、自分自身も宇宙・・・。

その中の何をやろうが、何を追究しようが、結局は同じ事を、単に名前の違う、別の種類の体験から学んでるだけなんだ、と感じるんです。
よく、何かの討論番組にゲストで呼ばれた(例えば)野球選手が意見を求められ、「野球で言えばxxx」とか「野球に例えるとxxx」とか言ってるでしょ?あれです。たとえ未経験の分野のことであっても、野球を通じて経験し、学んでるわけです。前に私が、「人生を生きること」と「音楽をやること」は全くの同義です。」と言ったのは、そういうことです。

でもそれが分かってても、次に来るのが「それなら、自分のやりたいこと、望むことを与えられ、そこで体験をし、学びたい」という切なる思いです。世の中には、例えば・・・・小さい頃から親に楽器と音楽教育を与えられ、親のバックアップを受けて音楽の学校に進み、何の苦労もなく音楽の道に進んで、そこで仲間を作り、楽し”そうに”一生音楽にドップリ浸かってる人(少なくとも外からそう見える人)っているでしょ?だけど、それが与えられない人間にとっては、人生とはなんとも不公平で理不尽だと感じるわけです。そう感じないまでも、「私のやりたいのは音楽だから」と、自分が今持っている仕事に対して無気力になったり、無意味な時間を過ごしてるように感じて悩むんです。
私も今でこそお金をもらって音楽ができる、なんていう立場にいますが、もともと私の家族は私が音楽をやることに猛反対でしたし(今でもそうかもしれません。(^_^; )、ずっと歌を歌いたいと思いながらも、その「歌う」っていう単純な機会さえも与えられないまま、ずっと、音楽とは一見全く関係のない世界ばかりにいたんです。音楽でお金をもらうようになってからも、仕事があるときもあれば、全然ない時だってありますから、いつもいつも好きなことしていられる、音楽にドップリ浸かっていられるって訳じゃないですしね。


でもこの悩みは、「今、此処の自分」を実際に生き始めると、消えるんです。自分が望む、望まないにかかわらず、与えられたこと、実際に自分の目の前にあることを全力でやりさえすれば、その中で「おぉぉ!!」っていうほどの何かが見つかるんです。それが私の、帰国してからの大発見だったんです。私の場合は、この与えられたこと(望まないこと)を全力でやることによって、音楽でぶち当たった困難に対する答えをも、見つけることになりました。
・・・これは私が事実、与えられたことをやるしか道がない、というところまで追い詰められたからこそ分かったことかもしれません。たとえ少しでもその与えられた(自分の望まない)状況を回避する方法があれば、私はまだこのことに気付いてなかったと思います。今もまだ、文句言って泣いてると思います、・・そういう人間ですから、私(笑)。ほんとに追い詰められてはじめて、人間腹が据わり、理論を”実践”するに至り、真理の発見ができるのかもしれません。


だからこそ確信を持って言うんです。camさんの思い通りにいかない今の状況こそが、camさんを「今此処の自分を生きる」という”実践”に導いてくれるのだと。そして、camさんにとって大切な何かを見つけることへと導いてくれるのだと。たとえこの冬の時代が、あなたに音楽をする時間を一分も与えてくれなくても、あなたがこの時代を「今此処の自分」を全力で生きようとする限り、あなたをより素晴らしいミュージシャンにしてくれると思うのです。Syoさんもおっしゃっていますが、この冬の時代こそが、camさんにとって本当に必要な時間であり、あなたの人生に本当の意味での革命をもたらすものなのだと、思うのです。


「夢」というのは、決して自分が思い描いた道筋で叶うものじゃない、というのが私の実感です。全然関係ないところをさまよってたのに、ある日気がつけば既に叶ってた、みたいなものだと感じるんです。叶ってみれば、普通のことだった、みたいな・・ね。
それは、夢が叶う、良い結果が出る、ということは、自分にその良い結果を受け入れる準備ができた、ということの証しだからだと思います。もしその準備期間を経ないでバラ色の夢の実現に至れば、今度はそのバラ色の状況を受け入れることができない自分との戦いになるのです。いずれにしろ、今抱いてる夢の実現とは、camさんの成長に伴って、嫌でも(笑)やってくるものです。

だから・・・夢を諦める必要もなければ、今叶わないからと言って、絶望する必要もないんです。(^-^)




Syoさん、

>floさんと話をしたら、永遠に終わらない気がします。

終わらないですね、きっと。私もそう感じます。(^-^)
このことも、あのことも、・・って、次から次へお話したいことが湧いてくるのですが、だからこそ、今何も言えなくなってしまう自分がいます。

・・・面白いことがあるんですよ。
私ね、ここでお話しするようになってからは、ネットにつなぐ度、お二人から新しいコメントがないかチェックするので、比較的早い段階で読むだけは読んでるんです。でも、用事が立て込んでてまとまった時間が取れなかったり、取れても書くことが全然まとまらなかったりして、いつも投稿が遅くなっちゃうんですけど・・・
不思議なもので、例えばそうしてる間に、ここに書こうと思ってメモしていたことを、Syoさんがこことか、別の質問への回答にずばりそのまま書いてたり、あるいは全然こことは関係なくても、ある日生活の中で痛感したりしたことをそのまま、Syoさんのコメントとしてモニター画面上に見たり、疑問に思って考えてることの答えが書かれていたり・・・・そういうことが、ある時点から頻繁に起こり始めたんです。

今回のは、「念」でした。
全然関係ない話で恐縮なんですけど・・この間、正夢(夢で見た情景を後日現実で見る、とか夢で起こったことが現実に起こる、とか)をみたんですよ。私小さい頃からたまに見るんですよね、この正夢を。これってどういう現象なんだろ?って考えてたんです。
この話をするといつも友人に(冗談で?)変人扱いされるんですけど・・・(笑)
例えば亡くなった人の霊を見るとか霊と交信できる、という人、いるじゃないですか。私自身はそういう経験は皆無なんですけど、・・・そういう人は、その亡くなった人の生きてた頃の念を時間を超えて見ている、と考えると、何も不可解な現象ではないなあ、といつも思うんです。それと同じで、正夢って、未来の自分の念、あるいは誰かの念を、今の自分が時間や空間を超えて見てるのかもしれないな、なんて想ったんです。その時ふと、「あれ?じゃ”念”ってなんだろう?こういうとき”念”という言葉を使っていいのかな?」って疑問に思ったんですよ。そしたらその日の晩、目にしたのが、Syoさんの「「念」というのは、「今の心」なんですよね・・・・」というコメント!(笑)

・・・・・いや・・生きてるとおもしろいことがいっぱいありますね。


ところで、瞑想についての詳しいご説明、本当にありがとうございます。
読んでて、おそらく私には瞑想についてある種の先入観があったのだろう、と感じました。なので今度は、Syoさんの言葉をそのまま言葉どおりに、実践してみようと思っています。

>でも、いきなり、この感覚で瞑想するのは、難しいんです。
だって、荒れ狂った、騒がしい心のままでは、観察どころではないからです。
だから最初に心を静めることが必要なんです。

これ、この間経験しました。
私、いままで何度かやってみたんですけど、あまり普段と感覚が変わらなかったんですよね。でもこの間夜、精神的にすごく不安定だと感じた時があったんです。なにかこう、理由もない不安みたいなものに包まれてる感じで。
その時に、「そうだ!今だ!瞑想やろう。」と思って座って始めたんですけど・・・雑念どころか、ただ頭がわんわん鳴って空回りしてる、という感じで、じっと座ってることすらきつかったです。

ま、とにかく焦らず気長に、やってみます。


>でも、これも精進していないとすぐに汚れてしまうんです。
経典にも「鉄が自身から出た錆で朽ち果てるように、心も内側から朽ち果てるので、不断に努め励みなさい」とあるんです。

おっしゃるとおりだと思います。痛感しています。
そういう意味でも、一生努力を続けていかなければならない、と覚悟をきめました。その覚悟と共に・・・何か恐怖にも似た、でも恐怖とは違う、言葉で言い表しようのない感覚に、ときに襲われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

僕、変わりますよ。成長するってどういうことか、少しずつ分かってきました。Syoさんへのお礼の欄にも書きましたけど、「自分に革命をもたらせるために冬の時代が与えられたのではないか」って感じるようになってきたんです(全く逆の想いを抱くときもありますが…)。あまりにも苦痛に感じることばかりが続くと、そう思ってしまうというか思わずにいられなくなるというか…。
僕は最近は(かなり長い間ですけど)本気で笑ってないんです。笑えないんです。それくらい苦しみに打ちのめされているんです。だから周りの人間の幸せそうな顔を見ると、「こんな苦しみを感じているのは自分だけだな」って思う反面、その分この壁を越えさえすれば、周りの幸せそうな人間には到底味わえないような喜びや幸せ、そして掛け替えのない大切なものを手に入れられるような気がするんです。floさんほどではないにしろ、追い詰められた結果そういう考えができるようになったのだと思います。

「その時その時にやってることを全力でやる」ですか…。できそうでできないことかも知れませんね。人間てどうしても、楽をしたがるというか、手を抜いて仕事をこなそうとしますからね。僕も自分の大好きな音楽のことに関しては全力でできるんですけど、それ以外のことはやはりどうしても・・・。でもこれからは全力で取り組む努力をします。日常の些細なことも手を抜かないようにします。自分を変えます。成長させます。いつまでも冬の時代を彷徨っているわけにはいきません。

お礼日時:2006/01/29 20:41

連投失礼します。



瞑想について説明したんだから、これも説明しないといけないんです。
それは「姿勢(FORM、動作、所作、動き、型・・・・)」です。

養老孟司さんによると「身体の動きというのは、実は、頭を使っているからおこる。逆に言うと脳みそから何かを引き出そうとすると、身体を動かすしかない。・・・・なぜかというと病気で筋肉の動きが完全に止まると一切の表現が出来なくなる。何を考えているのか外に現れなくなる」とあるんです。
つまり「心」は自然と姿勢(FORM、動作、所作、動き、型・・・・)に現われるんです。
これは武道でも、芸能でも、遊びでも、どんな仕事でも、なんにでも当てはまることだと想います。
心は型に現われるし、型は心の現われなんです。

これもきっと、どこかで「Form follows function」この言葉とリンクするハズです。




禅の世界でも「行住坐臥」といって掃除中も、食事中も、歯磨中も、お風呂中も、立つ時も、坐る時も、寝る時も、・・・いついかなる時でも、自分の行動に注意しなさい、目覚めていなさい、覚醒していなさい、サティ(気づき、念)を入れていなさい・・・という意味に使われるんです。油断なく覚めていなさい。「マインドフルネス」とも言います。

ですから、この姿勢への気づきも、不断に努力してほしいんです。

だって、もし、姿勢が乱れたら、それは心の乱れの信号でもあるからです。
姿勢の乱れを治すには、心の乱れを治すに尽きるんです。

「病気」も同じ理屈なんです。
「病は気から」と言いますが、病気というのも、元々は心が作っているものではないかとも言われています。
心の持つ”ポテンシャル”の現われということになると想います。

まあ、しかし、事故の話にしても、なにからなにまで心の問題だという「一因説」ということではなくて、実際にはこの世は同時多発的に変化消滅を繰り返している世界なので「多因」ということになるんですけどね。

まあ「姿勢」ということも、是非、頭において生活してみてください。
「生活態度」「心的態度」と言い換えても良いと想います。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

姿勢ですか。昔からよく「猫背だから気をつけろ」って言われてきたんですよ。最近は気をつけるようにしてますし、背筋などを鍛えているので改善されているとは思いますが。よく姿勢が悪いと、骨格が歪んでいるとそれが様々な病気を引き起こす原因になるって言いますよね。姿勢をよくするために、心の乱れを治して、もっといい自分になれるように努力したいと思います。

お礼日時:2006/01/29 20:25

camさん



>>世の中意外と良くできてますね。

これホント!(^^
ジェームズアレンの「原因と結果の法則」にも「この世は混沌ではなく、秩序で出来ている」と書かれていますが、本当にそのとおりだと想います。私も、そんなに歳食っているワケではありませんが、もっと若い頃に、この道理(真理)を知っていればな・・と悔しい想いをしていますので、貴方は頑張って勉強してほしいと想います。

「あるべき矛盾」・・そうでなんです。
我々は、どーしても一元論で考えてしまうんですが、逆も真なりで、この世の全ては陰陽、プラスマイナスで出来ているので、必然的な矛盾をはらんでいるんです。
でも、これこそが希望なんです。
我々も、不安定な心だからこそ、対極にある安定した心に成長できるんです。

今は、就職先も決まらず、生きる希望が無くなったかのように錯覚する時期だと想いますが、この時期を過ごすからこそ強くなれるんです。この冬の時代を生き抜くからこそ成長するんです。
その成長方法は、不安定な自分の心を客観的に観察する・・・ただそれだけです。
ただ、これだけのことに、恐ろしいほどの真理が隠されています。。。。





floさん。
floさんと話をしたら、永遠に終わらない気がします。
きっといろんなことがあったと想うんですが、貴女は奇跡的にも正しい方向に進んでいると想います。
女性は気を使うことが多いから、ボケも少なく、長生きするんだという説もあります。
まあ男女ともに厚顔無恥で早くボケる人もたくさんいますが、「使うものは賦活する、使わないものは衰弱する」という法則があるんです。気遣いが多いと、その分苦労も耐えませんが、逆に、感性が高まるのも確かなことなんです。
天敵の居ない安穏とした生物より、天敵の居る生物のほうが、生存のための本能が多彩に使われますので、何かと進化も早いのかも知れません。

これまでもいろいろ拝読しましたが、やっぱりfloさんは、小さいかも知れませんが悟りの境地に至っていると想います。
でも、これも精進していないとすぐに汚れてしまうんです。
経典にも「鉄が自身から出た錆で朽ち果てるように、心も内側から朽ち果てるので、不断に努め励みなさい」とあるんです。

まさにこれです。
>>この頃には、理屈の上ではすべて、達観してた(つもりだった)んですよ。達観してたくせに、です。

やっぱり、我々は弱いですから、気づかない間に他人の錆も貰うし、自分からも錆てしまうんです。
で、私のようにうつ病になるほど錆ないとも限りませんので、(うつ病も多くの人の心の中から生まれてきている時代病だと想うので)不断に心を磨く努力をしていってほしいです。




>>「声に出して読む般若心経」読みました。
>>あまりのすごさに、20分くらいで一気に読み終えてしまいました。

そうですか、お役にたってよかったです。
これはfloさんが経験者で、自分でたどり着いたからこそ理解も深いんです。

特にこの本は名著だと想います。
本当は仏教書というのは、みんなこうでなくっちゃいけないんです。
仏教の眼目は苦の消滅なんですから実用的に機能しなければ意味が無いのに、多くの仏教書は、悟りの妨げになるような小難しいものばかりなんです。私も、おかげで、えらい遠回りしました。で、書店にいくと「ブッダとシッタカブッダ」とか、いろいろありますが、みんな世俗の領域から概念を伝えているだけであって、百聞は一見にで、体験したほうが早いんです。


>>これは本当に科学ですね!

そうなんです!
現代の心理療法のエッセンスも、中国の気功法のエッセンスも、全てがここに詰まっているんです。
「今、此処の自分に生きる」・・これが机上の理屈ではなく、実感として体験することに本当の意義があるんです。

camさんも、>>どうも「今、此処の自分を生きること」っていうのがピンと来ないんですよねぇ と言っているので、この際ですから、素人ながらちょっとだけ瞑想について少し説明させてください。こんな感じなんです。


たとえば「見る」という行為は「視覚」という”感覚器官の反応”にすぎないんです。
「聴く」という行為も「聴覚」という”器官の反応”です。
「想う」「妄想する」「考える」という頭脳さえも、単なる”器官の反応”にすぎないんです。
同様の理屈で鼻も、舌も、身体感覚も・・全て、単なる”器官の反応”にすぎないんです。
般若心経にもある「眼、耳、鼻、舌、身、意」ですね。

・・・と、これらを第三者的な感覚の白けた眼で観察(洞察)し、同時に実況中継(ラベリング)するんです。

「離人感」という言葉がありますが、普段の自分とは違った新しい観点から自分を観察するんです。
普段の考えている自分、感じている自分、想っている自分、反応する自分、行動する自分、・・・生まれてから今日まで、当たり前すぎて、まったく疑うことのなかった「自分」というモノから、一歩離れて、手放して客観的に観察するんです。
これがFEELの世界の入り口です。


だって、今、此処に居る自分は、実は自分では無いんです。
たとえば、お笑い番組をみて → 笑うでしょ?
風が吹いたら → 飛ばされる枯れ葉と同じなんです。

誰かに馬鹿にされたら → 腹がたちます。
これも風が吹いたら → 飛ばされる枯れ葉と同じなんです。
我々は、常に、自分以外の何かに縁って翻弄されているだけなんです。
【無我】【不自由】

でも、その感覚が、あまりにも!! リアルすぎて気づかないだけなんです。
これこそが紛れも無い自分だ!と錯覚しているんです。
ところが、自己観察すると、実は、どこにも主体性・自律心・自由がないことに気づきます。
朝から晩まで、下手したら一生涯「心、此処に在らず」で暮らしているんです。
この自分以外の何かに翻弄され続ける感情を【煩悩】と言います。
風に吹かれてどうにでもなってしまう”枯れ葉”とでもイメージしてください。
(「声に出して読む般若心経」にも同じことが書かれてあったと想います。)


でも、我々には、そんな自分を客観的に観察する主体性、自律心、理性的な自分も居るんです。
この「心」を育てることこそが、「愛(気)」の生産でもあり、安定(幸福)への一本道です【涅槃】
不自由な自分から解放されて【自由】になるんです。
風に吹き飛ばされない不思議な枯れ葉です。

  手足の無い、達磨さんの人形ってありますよね。
  倒されても、倒されても、自分の力で起き上がってくるんです。
  あらゆる行き止まりに道をつけられる、「自由な心」なんです。
  ※ 達磨さんが、ヴィパッサナー瞑想を中国に坐禅として伝えた禅宗の開祖です。



食事中の匂いも、味も、身体の痛み、痒み、痺れも、自分の発想、思想、妄想・・心の領域さえも・・・・これら全てを”単なる器官の反応”として<意に介さない> <気を取られない> <心を止めない>ように、第三者的な視点で客観的に、淡々と観察し、実況中継(ラベリング)していくんです。

【私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。
  立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。
  このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました】という感じで。

>>でもその一つひとつに動揺する、ということがないですよね、そういえば。
>>単に事実だけを淡々と受け止めてる、って感じで・・。

まさに、こんなような感覚で、自分自身の「眼耳鼻舌身意」を第三者的な感覚で観察します。
・・・と、文字にすると難しいんですが、あまり難しく考えないで、子どもの遊び感覚でやるといいんです。
自分の全てにラベリングするラベリングゴッコだと想ってやるといいです。
「今、XXさんのことを考えた」「妄想の中で、こんな会話をした・・・」とか、「右手を動かしている」「左足が痒い」・・・とか、出来るだけ多くのことに気づくように、チェックできるようにしていきます。

これをしていると、汚れきった自分の心とは対照的な綺麗で無垢で安定したもう一つの心の存在(?)を感じるかも知れません。


で、人間の心の特徴は「三毒」といって「欲望(貪)」「怒り(瞋)」「妄想(痴)」に大別できるんです。
我々が思い浮かべることや、行動の根っこには、必ずと言っていいほど、この三毒があるんです。
ですから、今、自分が思い浮かべたことが貪りの気持ちだったのか? 怒りだったのか? 愚かさに基づく妄想だったのか?、という風に分析的に気づいていくことも智慧の開発に役立ちます。この気づきによっても頭がクールダウンされてきます。正気に戻ってきます。

まずは、こんなところから初めてみて、本格的に勉強してみてください。
(#48のリンクが不正だったみたいですが、アマゾンで「釈迦の瞑想」で検索すれば4冊ヒットすると想います、また、「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老)もお勧めです。(いずれも散財せずに図書館で借りてください))



でも、いきなり、この感覚で瞑想するのは、難しいんです。
だって、荒れ狂った、騒がしい心のままでは、観察どころではないからです。
だから最初に心を静めることが必要なんです。
現代でいえば、癒しCD、アロマ、お香・・・のリラックスタイムが必要なんです。
これに当たるのは「サマタ瞑想(止の瞑想)」と言われています。

これはなんでもいいんですが、やっぱり「慈悲の瞑想」がお勧めなんです。
「慈悲の瞑想(止の瞑想)」をして気持ちを落ち着かせてから、ヴィパッサナー瞑想(観の瞑想)をするんです。
この二つがセットになって、いわゆる「止観」というんです。
簡単でしょ?
もちろん慈悲の瞑想をしなくてもいいし、他のことをやってもいいんですよ。
間違っても、宗教的な儀式ではないからですから誤解無く。



「気づく」ことを「サティ」というんです。
「サティ」というのは「念」と漢訳されるんです。
「念」というのは、「今の心」なんですよね・・・・

インドのものを中国で漢訳したときには、本当に考え抜かれているんです。
現代の我々がおろそかにしてはいけないなと、知れば、知るほど想います。
何から何まで先達の智慧と努力は、恐るべきものだと思い知らされます。


・・・と、まあ、私も言うほど出来ていないんです。。。。><;
すぐに意に介してしまうんです。簡単に気を取られます(苦笑)
でも、だまされたと想って、気長にトライしてみてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>貴方は頑張って勉強してほしいと想います。

はい、勉強したいと思います。勉強して色々知れたら、僕と同じような悩みを持った人間に対して、今度は僕が回答者側に回れるようになりたいですね。

>冬の時代を生き抜くからこそ成長するんです

その言葉を信じて頑張りたいと思います。周りの人間が就活なり人間関係でうまくいって幸せそうなところを見て、「なぜ自分には何も与えれていないんだろう」と考えたときに、「自分に劇的変化、革命を起こさせるために冬の時代が与えられているのではないか」…と最近思うようになってきたんです。他人と比べるのはどうかと思いますが、あまりにも差がありすぎるように感じて、なんか「自然が自分を変えさせようとしてるに違いない」って思わずにいられないって言うか…。でもまぁ、僕の心はまだまだ幼くて、情緒不安定で、次から次へと悩みが生まれてきて、「自分を自殺へ追い込もうとしてるのではないか」って思ってしまうこともあるんです。この間も、何をやってもダメで人に迷惑をかけてばかりいる自分がすごく情けなく感じて、夜に一人で泣いてしまいました。

・・・やっぱり瞑想ですかね?僕って本当に「自分以外の何かに縁って翻弄されている」だけです。風に飛ばされない枯葉になりたいものです。瞑想頑張りますよ。何もせずに何かを変えるなんて不可能ですよね。壁を越えようとするのであれば、今の自分にないものを求める、又は弱い部分を鍛えなければいけませんよね。

お礼日時:2006/01/29 20:25

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Q世界で北国・南国・古都・大都会があるのは日本だけ?

こんにちは。
世界の国々で、一国内で北国・南国・古都・大都会の観光都市があるのは日本だけなんでしょうか?


日本は狭い国ですが、バラエティに富んだ街が多いと思います。
特に観光都市として、北国(北海道)・南国(沖縄)・古都(京都)・大都会(東京)すべてを網羅しているような気がします。
他の国であるかな?と考えましたが、ありませんでした。例えば、

・アメリカ
    北国(アラスカ)、南国(ハワイ)、古都(歴史が浅いので古都と言えるのは無い?)、
    大都会(ニューヨーク)
・中国
    北国(ハルビン?他と大きく差別化できるほどの観光都市でないような気が…)
    南国(海南島?他と大きく差別化できるほどの観光都市でないような気が…)
    古都(北京)
    大都会(上海)

以上の2国はすべてを満たしていない気がします。

もし他にありましたら教えていただけませんか?

Aベストアンサー

いや中国に関しては満たしているといえるでしょう。
中国東北部は日本のように多雪ではありませんが、厳寒地で氷まつりのようなものが開かれてます。北海道の都市部と同類でしょう。
緯度でわかるように中国は大陸部でさえ、十分に「南国」の要素があります。「南の島」なら海南島になるのでしょうが、東南アジアのような本物の「南国」に比べれば、沖縄よりは農産物等でむしろ南国により近いと言えるかもしれません。
古都は西安を挙げるべきです。大都会は上海で良いかなと思います。
あと中国は東西、上下にも広いので、異文化で乾燥地の西域、高地のチベットやその周辺があります。

こういう観光面での評価は、その人の知識や関心のバイアスがかかるります。客観的に見れば中国は観光資源が極めて豊富な国だと思います。(省一つでヨーロッパの「国」レベル)但し、まだ十分に開発されていませんし、日本人にとっては価値観の違いによる「何でこんなところが有名観光地なんだ」「どうしてこんな魅力的なところに人が来ないのか」ということは起こります。中国で多くの「古鎮」が評価されるようになったのは、この十数年以内のことですし。

逆に日本にあって中国に無いものは大陸から離れた小さな離島(人が住める所限定。台湾を含めるならあります。)、新潟のような豪雪地帯、リアス式海岸のような険しい海岸線、瀬戸内海のような多島海、また東京は外国人には「遊ぶのにいい街」と考えられているようです。

「ソチ」を南国と考えていい(ロシア人はそう考えている)なら、ロシアも入れていいとは思いますが...
また標高の高い寒地を「北国」としていいならインドも入るでしょう。
あとは他の方がイタリアを挙げているように、地中海岸の国は内陸部は結構雪が降るようですから、他にギリシャ、クロアチア、トルコ、フランス(本土だけでも)もあてはまるように思います。ギリシャやトルコは歴史では日本よりはるかに古いですからね。

いや中国に関しては満たしているといえるでしょう。
中国東北部は日本のように多雪ではありませんが、厳寒地で氷まつりのようなものが開かれてます。北海道の都市部と同類でしょう。
緯度でわかるように中国は大陸部でさえ、十分に「南国」の要素があります。「南の島」なら海南島になるのでしょうが、東南アジアのような本物の「南国」に比べれば、沖縄よりは農産物等でむしろ南国により近いと言えるかもしれません。
古都は西安を挙げるべきです。大都会は上海で良いかなと思います。
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Q「なにをやってもうまくいかない。生きててもいいことないから死のうかな」て考えてます。うまく生きるためのアドバイスください

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1.「青春時代をしたかった」
大学時代をひきこもりがちにすごしてしまい、人生に一度しかない青春を喪失してしまったこと。さらに学歴コンプレックスが凄まじいです。大学にもういちど行きたいっていう怨念が強すぎるんです。

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友達・彼女皆無(彼女いない歴26年=ギネス)です。映画観るのもひとり、なにをやるのもひとり。遊びっていうものをした経験なし。常に携帯は鳴らない。

・・・・
そんな毎日を過ごすフリーターなんで、毎日死んでしまったほうがラクかなとか、神様にあてつけに復讐できるとか考えてしまいます。

なんでこんなにうまくいかない人生なんでしょうか?
「青春時代は謳歌できて、大学時代の友人が大量」
「公務員試験一発合格」
「友人たくさん。彼女とラブラブ」
全部かねそろえた人間がわんさかいる世の中で、
「なんで私だけこんな・・・」
って思ってしまいます。

なにをやってもうまくいかない人生は苦しいです。
26歳フリーター男です。
他にも親との確執。アトピー。バイトでは20歳くらいのバイトにえらそうにされたり・・・。なんにもうまくいかないんです。

どうかアドバイスいただけたらうれしいです
暗めの書き込みすいません
読んで頂きありがとうございました

私は今までここで多くの方たちに多くの相談に乗っていただきました。本当に感謝しております。

しかし、なかなかポジティブになれてないんです。

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 公務員になるのは,国家・地方問わず,本当に狭き門になりますよ。
 ところで,国家公務員1種試験合格者が同じ職場にいまして,仕事柄,よく話をしますが,私の職場は公務員だけといっても,仕事の内容がちょっと毛色が違うところですので,いわゆる「専門馬鹿」がたくさんいます。自分の専門以外は世間知らずといった人,いるんです。頭がいいのは分かりますが,人の気持ちが分からない人,基本的な社会常識のない人などなど。日本を代表する大学や大学院を出た人がごろごろいますが,人として問題ありが集まっている率が高いような気が,微妙に,します。
 試験は,年齢制限ぎりぎりまでトライしてください。努力は報われますよ。

3.「孤独であること」

 私の職場の独身者の平均年齢は40を多分,軽く超えています。結婚せずに,ただ黙々と仕事をしている人が普通にいます。仕事が恋人なんでしょうね,きっと。
 友達がいないとのお悩みですが,これから先,どんな出会いがあるか分かりませんから,それを楽しみにしているくらいの気持ちでいられるといいんじゃないでしょうか。逆に,あなたは,孤独であることを受け止められる大人であるともいえるのではないでしょうか?
 私,独りで,九州以外の都道府県,全部ドライブしてまわりました。楽しかったですよ。行く先々で,「どこから来たの?」と声をかけてもらいましたし,「気をつけてうちに帰るんだよ」って手を振ってもらい。
 古くからの友人とは音信不通になってしまったり,せっかく仲良くなったかと思えば,ささいなことで,つきあいがなくなったり,そんなことの繰り返しですが,人との接点が,このような場所にもあるように,友達を作ろうと思えば,趣味のサークルに入ってみるとか,いろいろあると思います。

 うまくいかない,じゃなくて,「今日は,どんないいことがあったか,明日は,どんないいことがあるか」を思って,人生を楽しんでください。私は,病気になってから,自分なりの「幸せの敷居」を思いっきり下げました。「今日,起きられたから,よかった」そう,思っています。

 何か,あなたに趣味や特技があれば,それが自信につながると思います。人生を楽しんでください,どん欲に。

 longvacations888さん,こんばんは。たくさんの方々がご回答されていますので,私の経験談を少しだけ。

1.「青春時代をしたかった」

 私は「高校時代をもっと楽しみたかった」です。家の門限が5時半,遅くても6時まででした。学校の授業が終わり,補習がすむと,だいたい5時です。親から部活禁止されていたので,女友達と自転車で家まで帰る間が,私の外での唯一の自由時間。小遣いもほとんどなかったので,学用品は買ってもらえましたが,そのほか小説などは本屋で立ち読み,学校の昼休みに図書室...続きを読む

Qひかるげんじorひかるのげんじ?

「源氏物語」の主人公、光源氏の読み方は、「ひかるげんじ」ですか。それとも「ひかるのげんじ」ですか?
今までずっと「ひかるげんじ」だと思っていたのですが、最近、ある大学教授が「ひかるのげんじ」と言っているのを聞きました。えっ?と思っていろいろ調べてみたのですが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも、手持ちの辞典でも「ひかるげんじ」となっています。本当のところはどうなんでしょう。
ご存知の方、教えてください!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「源氏物語」大好きのオバサンです(でも短大での専門は日本史。「源氏」は高校生までにかなり読み込んでいたので、改めて専門としようとは思いませんでした。でも生涯の研究材料です)。

う~ん…。
あくまでも「光源氏」について、ですか…。
私は、この表記自体、現存する源氏物語(原文)で見かけたことはありません。
現存する「源氏物語五十四帖」の中で、「光源氏」ないしはこれに類する名称が出てくるのは、「帚木」、「若紫」、「玉鬘」の三帖に各1箇所ずつのみ。
ご存知の通り、現存する「源氏物語」自体が後世の写本しかないので、実際に作者(藤原為時の娘=紫式部か?)がどのように書いたのかすら分かりません。
ですから「光源氏」という表記ならば、「ひかるげんじ」だろうが「ひかるのげんじ」だろうが、どのように読もうが自由ということになります。
実在する「源・光」は「みなもとのひかる」と読むのが一般的ですけれどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%85%89_%28%E5%85%AC%E5%8D%BF%29

ちなみに、
「帚木」における表記は、写本によって「ひかる源氏」、「光る源し」。
「若紫」における表記は、「ひかる源氏」。
「玉鬘」における表記は、「光くゑんし」、「ひかる源氏」
となっているものを見たことがあります。
細かいことを言えば「光源氏」という表記はないんです。
現存する源氏物語の表記から考えれば、「光源氏」は「ひかるげんじ」と読んだ方がいいような気がしてしまいます。

「源氏物語」大好きのオバサンです(でも短大での専門は日本史。「源氏」は高校生までにかなり読み込んでいたので、改めて専門としようとは思いませんでした。でも生涯の研究材料です)。

う~ん…。
あくまでも「光源氏」について、ですか…。
私は、この表記自体、現存する源氏物語(原文)で見かけたことはありません。
現存する「源氏物語五十四帖」の中で、「光源氏」ないしはこれに類する名称が出てくるのは、「帚木」、「若紫」、「玉鬘」の三帖に各1箇所ずつのみ。
ご存知の通り、現存する「源氏物...続きを読む

Qいつも失敗と空回りの連続、そして否定される毎日

いつも失敗と空回りの連続、そして否定される毎日

軽いうつ病のため仕事を休んで復帰して1年。
会社を休んでいたくらいなので会社の上司や人事の人は知っているのですが、今度休職するようだと退職せざるを得ない事を遠回しに言われています。
自分では一生懸命やっているつもりですが、やる事なす事失敗の連続で、失敗を取り戻そうとしたり回避しようとすると空回りしてしまいます。
本人はそのつもりは無いのでしょうが、直属の上司には毎日の様に「君は気が弱いからだ」と精神論で一括され、同僚には迷惑ばかり掛けてしまい、気の強く世渡り上手な人には「あんたは不器用すぎる」「あんたは駄目人間ね」と言われました。
季節的のものなのか、妙にテンションが高い日と低い日があって、その差が大きくそれが失敗と空回りにつながって、自分でもわかるくらいです。
幸いゴールデンウイークで仕事が暫く休みなので、理由を付けずに休めるのですが、ゴールデンウイーク明けは人事評価が始まるので億劫な気持ちです。
「何でこうなってしまったんだろう?」と思う反面、「世渡りが上手だったら違っていたんだろうな」と思うこともしばしばです。
仕事は好きなのですが、要領が悪いのも自覚していますが、少々自暴自棄です。
どうしたらいいのでしょうか?

いつも失敗と空回りの連続、そして否定される毎日

軽いうつ病のため仕事を休んで復帰して1年。
会社を休んでいたくらいなので会社の上司や人事の人は知っているのですが、今度休職するようだと退職せざるを得ない事を遠回しに言われています。
自分では一生懸命やっているつもりですが、やる事なす事失敗の連続で、失敗を取り戻そうとしたり回避しようとすると空回りしてしまいます。
本人はそのつもりは無いのでしょうが、直属の上司には毎日の様に「君は気が弱いからだ」と精神論で一括され、同僚には迷惑ばか...続きを読む

Aベストアンサー

駄目な人間なんかじゃないですよ!!

私もどちらかというと、上がりやすい方ですのでお気持ち察します。
【うまくしよう・失敗しないようにしなければ】と思えば思うほどに
気持ちが空回りしてしまうというか、あっちもこっちも気ばっかり焦ってしまって
それが失敗に繋がってしまうんだと思うんです。

勿論、やる気はあるのは文面で充分伝わってきますよ。

ああ・・・頑張っているつもりが。
頑張れば頑張るほどに絡まってしまう・・・。
で、仕事が終わった後考えてみれば【あの時こうしていれば】とか【こう言っておけば】とか
思ったりしませんか?

例えば普通に一人だったら出来るような事でも、そういう時に限って出来なかったり。
気が張り過ぎて、プレッシャーが凄くて過度に緊張してしまうのではないでしょうか??


器用に越した事はないけれど゛不器用゛って私は嫌いじゃないですよ。
人って最初は誰でも小さいミスから大きいミスはするんですし
最初に沢山ミスしたもん勝ちだと思います。

私も仕事を始めた頃は失敗をしまくって、誰より怒られて
本当一番手がかかるし、んバカだなー・・・。
って凹みましたけど、ある時『失敗は出来るだけ沢山しておくといい』と言われた事があります。

怒鳴られたりする事だってあったり、泣きながら帰る日もあったり(笑)
本当に嫌にもなる時もあったけれど、怒ってくれる人がいるって逆に幸せな事だと思いました。

どうでもいい人に注意とか、一括入れてくれるとか普通してくれないですもん。


【駄目人間】と言ってきた人は、ちょっと人として可哀想な気がします。
私だったら、どんなにその方が仕事を完璧に出来る方でも
そんないい方で人を傷つけるような方にはなりたいとは思わないからです。
頑張っている人は駄目人間には当てはまらないですよ。

例え、今沢山失敗しても毎日仕事していればミスしたところを一つずつ直せていけます。
そしたら、確実にミスも少なくなっていくでしょう。

失敗は、これから失敗しないようにする一歩です。
失敗したら、失敗しないようにするコツを先輩に教えてもらうんでもいいんですよ。

一人で抱え込んでても分からない事って沢山あると思うし
もしかしたら、pop-qoq さんがどういう感じでミスしてしまうのか理解したいと思ってくれている人が
いるかもしれません。

私もまだ、働き始めたところでみんなとコミュニケーション不足だった時
思い切って職場の子に【忙しくなると変に緊張してしまってミスしてしまう】
と相談した事がありましたよ。
それからは、状況に応じて誰かしらが『大丈夫、落ち着いてー。』とか
『リラックスリラックス』とか声をかけてくれるようになりました。

私もそれ以来、他の仕事もしましたが
ある程度気持ちを落ち着かせるようにコントロールが出来るようになり
今は逆に『リラックスしていけば大丈夫』と言う側になっていますよ~。

むしろ、後々大きい失敗して恥かくより
失敗はいっぱいしておいた方がいいって事ですよ。
しかも、小さな事でもちょっと疑問に思ったら聞く。
そしたら失敗を逃れる事がありますから
一瞬の恥でも【まあ、いいっか】で仕事せづに、分からなかったら聞くが一番ですよ。

上司って基本素直な人が好きですし
pop-qoqさんを『気が弱いからだ』『不器用』
と言ってくると言う事は、頑張っているのは分かっていると思いますよ。
ちょっとだけでも心を開いてみてはどうでしょうか。

あと、あまり気持ちをガチガチにしないで
失敗してもそれは成功の元と自分を許してあげる事も大事ですよ。
そういう余裕を自分に持ってあげてくださいね。

応援しています。

駄目な人間なんかじゃないですよ!!

私もどちらかというと、上がりやすい方ですのでお気持ち察します。
【うまくしよう・失敗しないようにしなければ】と思えば思うほどに
気持ちが空回りしてしまうというか、あっちもこっちも気ばっかり焦ってしまって
それが失敗に繋がってしまうんだと思うんです。

勿論、やる気はあるのは文面で充分伝わってきますよ。

ああ・・・頑張っているつもりが。
頑張れば頑張るほどに絡まってしまう・・・。
で、仕事が終わった後考えてみれば【あの時こうしていれば】とか【こう...続きを読む

Q古都いついて・・

私は読書が結構好きで興味のある本を買ったり、借りたりして読むのですが、ずっと最近のミステリー小説だったり、話題の本ばかり読んでいたので、ちょっと昔の作品も読んでみようかなと思って、(修学旅行で京都に行くのもあって)川端康成さんの古都を読んでみました。それで、みなさんは古都を読んでどんなご感想をお持ちになったか知りたいなぁって思いました☆☆また、古都以外にもこの辺りの時代の作品でお勧めの本などがあったら教えていただきたいです!!お願いします☆☆

Aベストアンサー

よく、川端の作品はみずみずしいとかやわらかい文体だとかいわれていますね。
個人的には、京都人はこんなに観光地に行かないぞ! と思いました。(当時の人は、お寺が今より身近だったのかなぁ。私の京都に住む友人は金閣寺の位置さえ知らなかったくらいだから。)
祇園祭で会い、デート(?)はお寺。北山杉のあるあたりなんて今ならまだしもよく、当時の人が行ったものだと感心しました。
よく、2時間ドラマだと遺体発見から真相究明まで全てお寺で行われていますね。あれと同じ理論なのかなと思いました。
文章自体はたいして好きではないのですが、京都の観光案内のひとつだと思えば苦ではなかったです。すごいきれいなところなんだろうなと思いながら読んでました。

私は、読んでいて情景が想像できる作品がすきなんです。そういう点では、三島由紀夫はおすすめです。きれいですよ。女性をここまで美しく書けるのに、どうして男性が好きなんだろうという疑問がわいてきますが。

Q毎日を楽しく生きるために

生きている以上、悩みや悲しみや苦しみや怒りって毎日、尽きることがないですよね。押しつぶされそうになることも多々あります。
そんななか、やるせなさや悲しみや怒りを吹き飛ばし、毎日を楽しく生きるためにどんな工夫をされていますか?どんなことに心がけていらっしゃいますか?
皆様の声をぜひお聞かせください。どうかよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

そうやって自分の感情をしっかり認識して理解して大切にできるって、とても素敵だと思います。
そもそも感情なんて、自然に発生する「げっぷ」とか「屁」みたいに健康なもので(例えがへたくそでごめんなさいね)、それを押さえつけるのって不健康ですよね(笑)。
だから、できる限り、発信することだと思います。
なるべく、自分は今、怒ってるのかな、悲しいのかな、それはどうしてかな、それをどうやって処理したらいいのかな、って、常に自分の心の声に耳を傾けてほしいです。
言葉で処理するのが理想的ですが、無理なら、誰もいない部屋で叫ぶとか、三度バッグを殴るとか、茶碗を壊すとか(笑)、出さない手紙を書いてぐちゃぐちゃにして燃やすとか、歌うとか、踊るとか、食うとか・・・いろいろな方法で発散していって欲しいです。
ため込むのは不健康です。

健康に乾杯です。
さあご一緒に(笑)。

PS.「楽しい」とか「うれしい」とか「きもちいい」とか、そんな感情も、知らないうちに通り過ぎてしまわないように、よ~く自分の心の声に耳を傾けてね。

Qひかるの碁の終わり方。

ひかるの碁の終わり方。

ひかるの碁は、「さい」が消えて、
ひかるは傷心し、碁を辞めてしまいますが、
戻ってきた伊角と部屋で碁をしたときに、
自分の中に「さい」がいることを認識して、涙し、
また、碁を続けるようになります。

私はここで最終回にしたほうが良かったと思ってます。
後半、ひかるはひとり、成長していきますが、
最後のほうは・・だらだらした印象しかありません。
皆さんもそう思いませんか?

Aベストアンサー

>自分の中に「さい」がいることを認識して、涙し、
>また、碁を続けるようになります。

私もずっと思ったことがあります。
「だらだら」というニューアンスよりも、私の印象は「ぐずぐず」です。

私は、漫画は読んでいませんが、佐為がいなくなって、伊角さんとの対戦の中で、碁の中に佐為がいることを再認識したというのはいいにしても、その後の話の展開で、格段の強さを発揮したっていう印象は得られませんでした。伊角さんの対戦も、囲碁教室の白川先生との対戦も、勝負は分かりません。どちらかひとつでも話を引っ張って、話を盛り上げれば良かったのになって思います。せめて、公式戦として、塔矢アキラに勝ってというぐらいの展開にしたら良かったのに、負けてしまうわけです。それに、塔矢アキラとの前哨戦として、師弟関係の森下九段に負けるという話も、今ひとつです。それでは、佐為が自分の囲碁の中にいるといっても、盛り上がりに欠けます。

囲碁団体との現実のかかわり合いなどがあって、その関係で、話をしぼませたとか……。それが現実の囲碁の世界だと言ってしまえば、それはそれまでですが、ゴルフの石川遼君はまだ10代なのに、数々のタイトルを取っているは現実の話ですから、もう少し派手な展開はあってよいと思います。フィクションなんだから、夢を見させてもよいのではないのかなと思いました。

ドラえもんに最終回はありませんが、それでも、のび太君が、ドラえもんがいなくても一人でやっていけるという展開からジャイアンに立ち向かうというストーリーはありましたね。それと同じように、もう一人でヒカルはやっていけるというハッピーエンドで終わればよかったのに、ぐずぐず負けてしまうのでは、今ひとつになってしまいました。

>自分の中に「さい」がいることを認識して、涙し、
>また、碁を続けるようになります。

私もずっと思ったことがあります。
「だらだら」というニューアンスよりも、私の印象は「ぐずぐず」です。

私は、漫画は読んでいませんが、佐為がいなくなって、伊角さんとの対戦の中で、碁の中に佐為がいることを再認識したというのはいいにしても、その後の話の展開で、格段の強さを発揮したっていう印象は得られませんでした。伊角さんの対戦も、囲碁教室の白川先生との対戦も、勝負は分かりません。どちらかひとつでも...続きを読む

Q何もいいことがなかった日に読む本

何もいいことがなかった日、落ち込んでいるときに、前向きに考えるにはどうすればいいでしょうか。おすすめの本等あれば、教えてください。
中谷 彰宏 の同名のタイトルの本があり、読んだのですが、数時間で読み終えるような、詩のような本でした。元気づけられる部分もありましたが、もの足りない気がします。

Aベストアンサー

自分で自分の元気にするトレーニングみたいな本です。

今日1日のアファメーション―自分を愛する365日 (単行本(ソフトカバー))
西尾 和美 (著)
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19899507

彼女はカウンセラーさんなんですが、日本やアメリカでワークショップもやっていたりCDもあったりして、メンタル系では有名です。

参考URL:http://shope.goo.ne.jp/se/sv/rt/prid/61000100_01431783/txid/00286

Q男の子の名づけ(ひかる)で意見を頂きたいです。

男の子の名づけで質問させて頂きます。
今、候補の中に「陽(ひかる)」と「光(ひかる)」があります。
夫婦共この名前が気に入っているのですが、
「陽(ひかる)」とは読みにくいとか性別が分かりにくいとか、
いろいろな方の意見、もちろん良い方の意見や印象も頂けたらと思い
ご質問させて頂きました。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

男のお子さんお誕生、おめでとうございます。

以下は真面目に答えているという事を理解して読んでいただけたら幸いです。
男のお子さんで、「光」にした場合、もし、この子が将来何十年もたっての話ですが、髪の毛は男の子なら必ず少なくなってくる可能性がありますよね。
その場合に「光」はからかわれやすいかと思います・・・・。
失礼を承知の上で書いてはおりますが、気を悪くされたらごめんなさい。
私も妊娠している時に、もし、男の子が産まれてきたら「輝」、「光」、「陽」のどちらかで迷いました。その時、そのことを考えたことがあります。
私の場合は女の子を授かったのですが・・・。
「光」を使用する場合は一文字だけではなく、他の文字と組み合わせてしまえば素敵かなあと個人的に思います。

「光」・・・「輝」と同様、その子の内面の輝きや、どんな状況下にあっても自らが灯火となって人生を光照らすというイメージが思い浮かんできます。たくましさを感じます。
「陽」・・・太陽に使用されているせいか、自然の光(恩恵)を浴びて飛躍する、すくすくと育つ、他人の光を受けてその光によってまた自分自身も光を放つ人生をイメージします。

これはあくまでも私個人の勝手なイメージです(^^;)
お子様の幸せを考えてお名前を一生懸命考えていらっしゃる投稿者様の様子が目に浮かんでくるようです。
素敵なお名前が一日も早く決まるといいですね。

男のお子さんお誕生、おめでとうございます。

以下は真面目に答えているという事を理解して読んでいただけたら幸いです。
男のお子さんで、「光」にした場合、もし、この子が将来何十年もたっての話ですが、髪の毛は男の子なら必ず少なくなってくる可能性がありますよね。
その場合に「光」はからかわれやすいかと思います・・・・。
失礼を承知の上で書いてはおりますが、気を悪くされたらごめんなさい。
私も妊娠している時に、もし、男の子が産まれてきたら「輝」、「光」、「陽」のどちらかで迷いまし...続きを読む

Q好きなこと以外何もやる気が起きない

こんにちは。
中学生の女子です。
私は最近、好きなことしかやる気が起きません。
趣味のことをしている時がこの世の中で一番幸せです。
なのでこの幸せだと思える趣味をさせてくれる親のためにも、自分のためにも、勉強をしなくてはならないとは思っています。
でも、やる気が起きません。
勉強だけではなくて、椅子から立ち上がるのも、ストーブをつけるのも、トイレに行くのも、電話に出るのも、本当に全ておっくうに感じてしまいます。
私は軽度の発達障害があり、その障害のせいで無気力になっているのかな。
とも感じます。
本当に何もせずにぼーっとする時間がとても多いです。
心療内科には行ったのですが、ストレスを溜めないように。
ぐらいしか言ってもらえず、全く治りません。
塾に通っているのですが、無気力で塾の宿題もできず何もせずに塾に行き、個別指導塾だけどやる気が出ず、何もしていません。
先生に、「やってみないとやる気が出ないよ」といわれましたが無気力で「やってみる」ということができないのです。
塾の先生に分かってもらえないのに毎日絶対塾に行かなければならない。
あと、塾ではかなりのお金がかかるのに親に出してもらって行っている。
それなのに90分の授業中全く何もせずにぼーっとしてるだけの時も、最近かなり多いです。
こんな自分が嫌い。
でも治らない。
どうすればいいのでしょうか?

こんにちは。
中学生の女子です。
私は最近、好きなことしかやる気が起きません。
趣味のことをしている時がこの世の中で一番幸せです。
なのでこの幸せだと思える趣味をさせてくれる親のためにも、自分のためにも、勉強をしなくてはならないとは思っています。
でも、やる気が起きません。
勉強だけではなくて、椅子から立ち上がるのも、ストーブをつけるのも、トイレに行くのも、電話に出るのも、本当に全ておっくうに感じてしまいます。
私は軽度の発達障害があり、その障害のせいで無気力になっている...続きを読む

Aベストアンサー

自力では難しいでしょう。
同じような仲間同士で切磋琢磨する以外の治療法はありません。


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