音楽歴35年・FLAKE RECORDSの店主DAWAの選ぶセンス光る注目曲ご紹介!

「私」にとって「この世界が見える」ための条件は何でしょうか?

単純に考えると、「私の肉体」があればこそ、「私」は「この世界が見える」わけですから、条件は「私の肉体がこの世界に(生きて)存在していること」だと思います。

しかし、「私の肉体」とは、何でしょうか? それは、純粋に物質である原子・分子の構成体ということでしょうか? もし、そう考えられるのなら、「私」が死んだ後、未来の科学が、私の肉体を再生することができたら、その時、「私」は再び「この世界が見える」のでしょうか?

もし、そうだとすると、それは、私のクローンを作るのと同じことにならないでしょうか? でも、私のクローンは、「私」とどんなに似ていても、結局、他人に過ぎず、「私」は「この世界を見る」ことはできないのではないでしょうか?

クローンとオリジナルはDNAが同じであるだけであり、厳密な意味ではオリジナルと異なるはずだから、他人になるのであって、もし、厳密な意味で同じクローンができたら、「この世界が見える」も再現できるでしょうか? でも、それは、明らかに不合理です。何故なら、「私」は2人の自分のどちらかの肉体からしか「この世界が見える」を体験することができないはずだからです(両方の肉体から見えるとすると、世界が2重に見えることになります)。

一方、「私」にとって「この世界が見える」ための条件として、「私の肉体の完全なるコピー」を必要としていないことは、明らかです。それは、子供のころの自分と大人になってからの自分は、肉体的、精神的、また、記憶の上でも、全く異なる存在です。それにもかかわらず、「私」にとってこの世界が見える」ということは一貫して可能だったわけです。

「私」にとって「この世界が見える」ための条件が、「私の肉体の完全なる再生」ではないとしたら、一体何なんでしょうか?

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A 回答 (107件中1~10件)

ご返事ありがとうございます。



>質問1:「海底火山」は原因と考えれば?
・あくまで「火種」と思います。
海草を浮かび上がらせようとして噴火したわけではない、というニュアンスを伝えたいのです。

>質問2:わだかまりを抱えるのは何故?
・比喩を使うことを許していただきたいのですが、「横目で見る」ぐらいはしているからだと考えます。

>質問3:話の内容は、無意識が用意するのでは?
・そう言われると否定する根拠はありません。確かに無意識が用意すると思います。
ただ、その言葉の内容に関して意識が「わしゃ、全く知らん。ただ、言葉にしているだけだもんね。」と言うとしたら、「そりゃないんじゃないですか。少しは気付いているんでしょ。」と言いたいように思うわけです。
ですから「言い間違えた」のは、「つまらないものしか持ってこないはずだ」と意識している(はっきり認識している)からこそ、無意識が用意した言葉を選択したのだと思います。

>質問4:感情や思いの原因は無意識の中にあるのでは?
・非常にわかりやすくまとめていただきありがとうございます。
(3)が抑止力となって(2)の意識を無意識下に抑圧しているのでしょうね。
ただ、(2)が意識化されていないことはないような気がします。

100回記念にもう少しいいことを言おうと意識していたのですが、無意識の表面に浮んでいるのが「いいことを言おう」という記憶しか無かったようで、価値ありそうなものを選択することはできなかったようです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

月もだいぶ丸みを帯びて来て、夜見ると、まぶし過ぎて、月の模様がよく見えません。ところが、今日の大発見で、午後4時頃だと、月の模様がよく見えるのです。周りは、まだ十分明るく、空も青さがむしろ濃いくらいで、月は、白から、ほんのわずかに黄色くなるところでした。まだ、まぶしくないので、模様がくっきり見えるのです。hakobuluさんが、兎の餅つきの話をしていたことを思い出し、よく見てみました。すると、兎の耳らしきいものは二本はっきり見えました。しかし、どう見ても、餅つきには見えません。二本の耳も、どちらかというと、ムシキングのクワガタか、じゃんけんのチョキに似てると思いました。

質問1:単純な事実関係についての考えを教えてください。
「火種」という新しい譬えを使っても、事実関係に変化はないと思うのですが。すなわち、単純な事実関係としては、以下の(1)、(2)が言えると思うのですが、OKですか?

(1)「海底火山が原因で、結果として海藻が浮かんだ。」
(2)「意識が原因で、結果として、意識に思いが浮かんだ。」

なお、「海草を浮かび上がらせようとして噴火したわけではない」については、前回(#99補足、質問1)、既に、hakobuluさんの意図に沿うように表現を変更しました。

質問2:意識が「横目で見る」とき、意識はどのように感じているのですか?
意識が「横目で見る」ときの、具体的な心理描写はどうなりますか? 以下の(2)は、私の想像ですが、これでOKですか? また、OKだとすると、譬え”ぼんやり”であっても、既に意識に上ってしまったわけですから、今更、意識がその内容をチェックして拒否することはできないと思いますが、いかがでしょうか?

(1)朝目覚めて、「出勤しなくては」と思って、眠かったが起きた。
(2)朝目覚めて、「出勤しなくては」とぼんやり思ったが、ひどく眠かったので、そのまま眠った。

質問3:話の内容は、無意識が用意するのでは? 
>「そりゃないんじゃないですか。少しは気付いているんでしょ。」と言いたいように思うわけです。
意識は、話された内容については、100%気付いていると思います。ただ、その内容を用意したのは、無意識だと思いますが、いかがでしょうか?

質問4:感情や思いの原因は無意識の中にあるのでは?
>ただ、(2)が意識化されていないことはないような気がします。
これは、hakobuluさんが、#99質問3の2で以下のように言われている内容の意味次第です。私には、「これを意識したとは思いたくないので」という表現が微妙すぎて判断できません。ただ、いずれにしても、「感情や思いの原因は無意識の中にある」ということに変わりはないのではないでしょうか?

>「こんな父親は早く引退すればいい」という意識が芽生えた。
>しかし、これを意識したとは思いたくないので、


早くも100回になったんですね! 私の勝手な妄想に、毎回、丁寧な回答を考えていただき、本当にありがとうございます。お陰さまで、日々、良い刺激を受け、色々考えたり、何冊かの本にも目を通したり、大変良い勉強になっています。ただ、ほとんど一方的に私のほうから質問ばかりさせていただいておりますので、申し訳けなく思っております。

補足日時:2006/01/11 19:45
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ご返事ありがとうございます。




2時間ほど奮闘の結果、雪は何とか滑り落ちてくれました。
小規模の全層なだれといった風情でなかなか迫力ありました。
幼い子供などが軒下に入り込む可能性も無きにしもあらずだったので、ひと心地ついています。


ホリエモン騒動などを見ていると、つくづく検察やマスコミはスケープゴートを作るのが好きだなと感じます。
彼に感情的に絡みを持つ人間の裏工作というか、一種のチクリが発端に決まってるのでしょうが、取り上げるべきこととそうでないことの区別がついておらず、とにかく多数に迎合することしか考えていません。
政治家も似たようなものですが、このような他者の感情への迎合によって理解や連帯感を得ようとするところが彼らの卑しさであるという点では、何か通底するものがあるのでしょうね。


【>無意識は独創性の源泉であり、遊びは独創性の育ての親】
【>人間の「自由」とは、無意識の中の真の自己の「納得感」に従うこと】
良い言葉を土産にいただきました。

他者と比較するためではない絶対的な独創性とは、無意識を源泉として現われる意識のありようを自らが納得できるということなのかもしれませんね。

長い間、気まぐれな回答に丁寧にお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
機会がありましたら、またどこかでお目にかかりましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。


昨日は、初雪が一日中降り、電車が遅れて、寒いホームに30分も待たされました。今朝は、一転して快晴で、6時半頃、白い半月が南の空に見えました。下界に何が起きようが月の世界は何億年(何万年かな?)も淡々と変わることなく同じ運行を続けているというのは、不思議です。


ホリエモンも、厳しい試練の中にあるようですが、宇宙旅行の夢を捨てずにこれからもがんばってもらいたいものです。


昨日は、「博士の愛した数式」の映画を見て来ました。考えてみると数学の世界は不思議です。人間が得る知識の中で、唯一数学だけが、永遠の真理のようにも思えます。ピタゴラスの定理は、永遠に成り立つような気がします。

hakobuluさん、長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。また、機会がありましたら、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2006/01/22 14:50

ご返事ありがとうございます。



屋根にコーティングをするというのはいい考えですね、電気代もかからないし。
私は屋根に車のワイパーみたいなものがあればいいのに、とか考えたことはありましたが。


kobareroさんのおっしゃる「遊び」の意味を曲解していたかもしれませんね。
『意識する、意志すると言っても、人間の言動は、それを左右する本来の動機が無意識において既に決定されているのであり、所詮個人の力の及ばない何かの掌の上であがいているだけであるという意味で、独創性などはかけらほども持たない遊びのようなものである。』
という意味に解釈したわけです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

昨日、今日と雲っていて月が見えませんでしたが、今朝は、代わりに、ホリエモン騒動で、小嶋社長の影も薄くなっていました。新聞のどの面を開いてもホリエモンだらけですが、今年の真のお騒がせ男は、本当は、アハマディネジャドではないかと思っています。今年の豪雪で老人の死者が多いとのことでしたが、今度は子供が屋根からの落雪で死亡したと聞きました。hakobuluさんも雪下ろしに大変なご様子ですが、十分お気をつけください。

無意識は独創性の源泉であり、遊びは独創性の育ての親と考えています。また、人間の「自由」とは、無意識の中の真の自己の「納得感」に従うことにこそあるのだと思います。無意識が原因か意識が原因かの議論を続けると、まだまだ、月が何周もしないと結論が出そうもないので、ここで一旦クローズさせていただき、hakobuluさんから頂いた貴重な宿題をしばらく考えてみたいと思います。また、改めて、質問を提出させていただくこともあるかと思いますので、その際は、是非、また、よろしくお願いいたいます。

長いこと、本当にありがとうございました。

補足日時:2006/01/17 09:11
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ご返事ありがとうございます。



いわゆるミステリー小説は時々読みますし、それ系の映画も好きです。
小説に限って言えば、海外物のほうが質量ともに圧倒的な優位を保っているという印象があります。
「想像の羽ばたく精神領域」に決定的な差があるような気がしていますが、偏見でしょうか。
「大きな片目」と言えば思い出すのは鬼太郎の親父ですね。
確か足も付いていたような気がしますが。
橙色の雲はさぞ眠たそうなマブタに見えたことでしょう。

昨日は久々に気温が上ったので、屋根の雪(下半分は氷化していましたが)を下から突いて落とそうとしてみました。
氷化している部分は屋根にへばりついていてビクともしません。
最近ニュースで落雪に当たっての死亡事故が報じられているので、自戒して中途半端なままにしてあります。
紐を張って人が近づけないようにはしているのですが、落ち着きません。
今日気がむいたらもう一度挑戦してみるつもりです。


【>意識は無意識に対して「鏡」の役割を持つ】
【>意識はあくまで受身で、意志が主体的に選択する】
というお考えはどちらも魅力的でした。
しかし、これを敷衍していくとやはり、
『>人間存在の意味は、結局「遊び」?』といったよう結論に結びついてしまうようですね。
つまりは「客観性」などというものは所詮まやかしでしかない、ということになるのでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

素人考えですが、あらかじめ屋根に特殊な化学物質をコーティングしておくとかの方法で、屋根に氷がこびりつかないようにすることはできないのでしょうか? 2年くらい前に札幌に行ったときは、勾配のゆるやかな屋根や、完全にまっ平らな屋根を多く見かけたので尋ねると、最近は電気で溶かす家が多いと聞きました。真冬にもかかわらず、何故か主要道路はアスファルトが出ていて、不思議な感じがしました。便利になると同時に、自然と人間の葛藤が織り成す生活感が薄まっていくようで、多少寂しい感じもしました。

「遊び」の話が、<「客観性」などというものは所詮まやかしでしかない>という考えと、どう関連してくるのか、その道筋が見えませんでした。「客観性」というと、「物そのもの」など実際に存在するのかという哲学問題を思い出すのですが、それが、「人間存在の意味」の議論がどう関係するのでしょうか?

補足日時:2006/01/16 09:04
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ご返事ありがとうございます。



道路が段々高くなるので路肩を車が斜めになって走っています。
早くも雪解けが待ち遠しいです。

波動と粒子のご説明ありがとうございました。しかし「閉じた表面」の意味がわからず、これはある程度基礎知識が無いと難しそうですね。

1、>物理原理も有機的に構造化されることにより、物理的原理とは別次元の人間心理としての独自の性質が生まれるのではないか。
:人間心理が、物理原理や数学原理の有機的に構造化されたもの、というのはわかるような気がします。
その有機性こそが問題なのでしょうね。
つまり「>新しい特質を獲得」(前回の【人間はその安定性を崩すことで】という部分と同義と解釈しましたが)したために「自らの組成の本質」を忘れてしまった、あるいはバランスを取り損ねている、といった感じなのでしょうか。

2、>「意識」がなければ、全てが、自然であるがままということで、変化があっても、それは、なるべくしてなった安定した変化と考えられます。
:全くそのとおりと思います。しかし、その場合はもはや人間という存在ではないでしょうね。
なぜ意識が必要とされたのか疑問に思うということです。
それが人間の人間たる所以だと言ってしまえばそれまでなのですが・・・。

3、>「人間の存在理由がある」とは、具体的にどのようなことなのかがよくわかりません。
:私もよくわかりませんが、「宇宙を含めたあらゆるものが存在するための必須項目として人間というものが存在する意味」とでも言ったらよいでしょうか。
ただ、「生命を全うし、子孫を残し、社会的貢献をなすこと」が理由だとは思いません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

今日は「ギミー・ヘブン」という日本映画を見ました。共感覚を扱ったサスペンスということで、期待していたのですが、演技があまりにも臭くて、これでは韓国映画に負けてしまうのではないかと心配になってきました。今朝も、全天雲で初め月は見えず、その代わり、雲の一部が、まぶたのような形に橙色の鈍い光を発していました。ところが、そのほんの1-2分後にもう一度見ると、今度は、そのまぶたがパカっと開いて、オレンジの月が見えていました。橙色の雲が目の輪郭のように見え、その丁度中心に満月の月が見えたので、まるで大きな片目が空に浮かんでいるようでおもしろかったです。

ところで、意識と無意識の話ですが、hakobulu理論は、私には、なかなか難解で、いくら質問しても追いつかないので、これ以上、しつこく質問するのも申し訳なく、この辺で一旦クローズして、自分でもう一度よく考えてみようかと思っていました。ところが、今日、共感覚の映画で刺激を受けたせいか、ちょっと別の角度から聞いてみたいことが出てきました。それで、最後のあがきで、2つほど質問をさせていただこうかと思います。これでも、わからなければ、私の頭では無理だということで諦めようと思いますので、最後のお付き合いをよろしくお願いします。

質問1:意識は無意識に対して「鏡」の役割を持つと考えたらどうでしょうか?
hakobuluさんは、無意識が選択した結果を意識が最終承認するというお考えだと思いますが、以下のような考えはどうでしょうか?

意識は無意識が選択した結果を一方的に受け止めると同時に、その内容をそのまま、無意識に「鏡」のように反射して返す。その結果、無意識は、意識がどのように感じたかを知ることができる。そして、無意識は、意識が感じた結果に応じて、次の連想を起動し、再び、無意識の選択結果を意識に送る。この繰り返しだと考えることはできませんか? この場合だと、意識はあくまで受身であり、主体的行動はしませんが、無意識が、意識の感じたことをフィードバックとして受け取るので、軌道修正をすることができます。

質問2:意識はあくまで受身で、意志が主体的に選択するという考えはどうですか?
質問1とは、また別の、もう一つの考え方です。

無意識が選択した結果を「意識」は一方的に受け止めるだけですが、問題があれば、「意志」が主体的に軌道修正するという考えはどうでしょうか? <意識=受身>、<意志=主体的選択>という考えです。

以下は、hakobuluさんのコメントへのコメントです。

1.>つまり「>新しい特質を獲得」(前回の【人間はその安定性を崩すことで】という部分と同義と解釈しましたが)したために「自らの組成の本質」を忘れてしまった、あるいはバランスを取り損ねている、といった感じなのでしょうか。

私は、人間の本性は、無意識の底で常に安定性(私は、これを自然の本性と考えますが)を保っていると思いますが、「意識」として感じ取られる自我の表層がバランスを崩して道に迷うことがあるのだと考えています。

2.>なぜ意識が必要とされたのか疑問に思うということです。

共感覚の映画を見たせいで、飛んだ発想が浮かんで来ました。意識は無意識が作り出した「遊び」ではないかということです。意識がなくても、外面的には意識があるのと全く同じように行動できると思うのですが、それでは、つまらないので、無意識の「遊び心」により「意識」が生み出されたのではないかと考えました。

3.>、「宇宙を含めたあらゆるものが存在するための必須項目として人間というものが存在する意味」とでも言ったらよいでしょうか。

非常に不思議なことですが、これもやはり、宇宙の「遊び心」と考えたらどうでしょうか? サル山のサルの社会生活やリーダ争いを見ていると、複雑さのレベルでは、大きな差がありますが、構造的には人間社会とあまり変わらない気がします。違うのは、人間は遊んだり笑ったりしますが、サルやその他の動物は、その程度が極端に低いように思います。人間存在の意味は、結局「遊び」にあるのではないでしょうか?

補足日時:2006/01/14 19:56
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ご返事ありがとうございます。



月というのも気まぐれなもののようですね。いつも陽気で明るい太陽よりは人間的、ということでしょうか。

物理学には興味があります(言葉どおり興味だけです)。
「>物質の基である素粒子は、波動の性質と粒子の性質を合わせ持つと言われています」という件を単純に面白いと思って拝見しました。
ただ、「>波動と粒子は互い矛盾した概念であり両立し得ない」とはどういう意味ですか。
絡めて説明していただけると有り難いと思います。

物理の原理は、人間の心理にそのまま当てはまる部分が案外多いような予感もしています。
非常に単純な例で言えば、よく「損得勘定」は下賎なことのように思われていますが、これは物理的にごく自然な原理であって、心理的にもこの「損得のバランス」が非常に大事ではないかと思うのです。
いわゆる「意識」を持たない(と思っていますが)動物たちは、心理的には実に健全ではないのかと考えます。
ここで言う「健全」とは「安定」しているという意味です。
そして、人間はその安定性を崩すことで人間足りえているのかもしれません。
何か理由があるように思うのですが、何なんでしょうね。

kobareroさんの疑問から色々考えさせられます。
人間の存在理由など無い、という考え方もありますが、物理学的視点からすれば「目的もなく理由もないものは存在しない」ように思うのですがどうなんでしょうね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

今日は、曇りで、朝は月が見えませんでした。「寒い冬」と言われる割には、この2-3日比較的暖かくて過ごしやすいです。


波動と粒子の違いは、粒子は閉じた表面によって存在が限定される静的な存在ですが、波動は閉じた表面により限定されない動的な存在ということで、互いに両立不能の性質を持っていると思います。


物理原理と人間心理の関係は、直接的アナロジーで見るより、階層構造的関係を見た方がわかりやすいように思います。階層構造的関係というのは、原子と豚肉の関係です。豚肉は、原子レベルまでバラしてみると、水素、酸素、炭素、窒素、硫黄などから構成されているわけですが、だからと言って、豚肉が、水素、酸素、炭素などの味や舌触りを持つとは言えないと思います。ものは有機的に構造化されることにより、その構成要素が持っている性質とは異なった新しい性質を獲得します。同様に、物理原理も有機的に構造化されることにより、物理的原理とは別次元の人間心理としての独自の性質が生まれるのではないかと思います。


「損得勘定」は数学原理、それを良いとか悪いとか評価するのが、人間心理と考えたらどうでしょうか? 何故、良いとか悪いとか評価するかというと、人間が、生物的存在欲望、社会的存在欲望など、数学原理や物理原理には存在しない新しい特質を獲得したためではないかと思います。


安定か不安定かの直接的原因は、「意識」ではないでしょうか? 「意識」がなければ、全てが、自然であるがままということで、変化があっても、それは、なるべくしてなった安定した変化と考えられます。


「人間の存在理由」があるかないかの前に、「人間の存在理由がある」とは、具体的にどのようなことなのかがよくわかりません。例えば、人間の存在理由は、「生命を全うし、子孫を残し、社会的貢献をなすことだ」というようなことでも良いのでしょうか?

補足日時:2006/01/13 09:47
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ご返事ありがとうございます。



【丸々と太ったオレンジ色に輝く月】
これは実にうまそうな天体です。
フォークが[ズッ]と挿し込まれ、そこから青銀色の雫が滴り落ちてくるイメージまで喚起する、手応えある表現ですね。

語義が自分の中で確立していないまま言葉を使用する悪い癖が抜けずに、色々ご迷惑をおかけしております。


花は咲かせられたのではなく「花は咲いた」とのご回答をいただき、ありがとうございました。
ところで、花が咲く(開く)のは雄蕊と雌蕊が受粉するためだと思いますが、遺伝子の継続という面からだけ考えると花が咲く必要は無いようです。
閉鎖花といって開放花に対応する花があり(URLご参照下さい)、これは開放花に比べて結実の割合が高く、量も確保しやすいのだそうです。

しかし、殆んどの花は咲きます。
咲く目的は、他の個体との遺伝子の交流を行ない遺伝的多様性を維持するため、らしいです。
花が咲かなくても遺伝子を継続することが可能であるとするならば、「花が咲く」という作用は、「遺伝子の継続」という無意識を実現するために必ずしも必要ではないことになります。
それでも「咲く」ということは、花が「咲くことを意識している」と言っていいように思うのです。
確かにこれも現象だけを見ると、遺伝子維持という無意識の原因があった結果として咲いた、と言えないこともないわけですが、花自身が「私が開く」という衝動を認識しているのではないかと考えることも全く不可能ではないように感じます。
また外した比喩を提示しているのでしょうか。
いつの間にか妄想になってしまっていますか?


遡って見ていたら、kobareroさんの次の言葉が目につきました。(#39)
【私(私だけでなく誰でも.....と私は思っているのですが)は、物心付いたころから、否応なく「世界を形作るもの」に強制的にさせられてしまって、そこからは、死ぬまで脱出できない。決して「世界をみるもの」ではなく、「(意に反して?)世界に巻き込まれてしまったもの」と感じています。】
ここが原点と言っていいのでしょうね。

つまり、「意識する」といっても、無意識的に行なわれている体内(あるいは脳内)化学作用を傍観者的に認識しているだけであって、そこにあるのは【独創的な創造を行なう「私の意識」】などではなく、単なる「物理的反応」にすぎないのではないか。
というご主旨のようにも受け取れます。

それに対して私は、いやいや意識も捨てたものではないですよ、と根拠も無いのにしたり顔で懸命なこじつけ作業を行なってきたという気がしないでもありません。


ところで、「事実が真実(あるいは真実と見えるもの)を覆す」あるいは「外見が内面を変える」ということはあると思いますが、こういった側面から再考された時、「意識が無意識を変える」ということはあると思いますか。
あるとすれば、「無意識=真実」「意識=事実」として、「意識が無意識を覆して真実となる」こともまた可能ではないかと考えたので。
今までの内容に絡めれば、意識によって無意識が影響を受けることは大いにありそうだ、ということなのですが。

参考URL:http://www.oyo.co.jp/hana/2004-03.html

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

今朝の大きくておいしそうなオレンジ月のイメージがしっかり心に焼きついていたところで、午後になってから、天空の月を見ると、とても同じ月とは思えないほど小さくて青白いのでびっくりです。大きさが三分の一くらいになってしまいました。やはり、月は客観的な存在ではなく、わが心の中に住んでいたのかと思ってしまいます。


花が咲くことを意識しているというのはおもしろい考えですね。実際、愛情を持って花に接触すると花の成長が速いとか、美しい音楽を聞かせるときれいに咲くとかいう実験結果もあるそうですよ。私は昔、人通りのほとんどない名古屋の公園を夜歩いていたら、公園の木々に話しかけられたことがあります。恐らく意識があるんでしょうね。


意識も無意識も物理的反応に過ぎないというのも一つの見方だと思います。そして、この物理的反応というのが、また、興味の尽きない分野なんですよね。物質の基である素粒子は、波動の性質と粒子の性質を合わせ持つと言われています。しかし、波動と粒子は互い矛盾した概念であり両立し得ないものとと思います。にもかかわらず、子供でもわかる、明らかに矛盾した概念を科学は大真面目に支持しているわけですから、この物質界は「矛盾」に満ちているのだと思います。もしかすると、意識の無目的性こそ、意識の存在価値かなぁと思ったりします。


ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」というロング・ベスト・セラーがありますが、それによると、自分の夢をできるだけ具体的に心の中に描き、毎日繰り返し、自分がその夢を今既に実現している姿をありありと思い浮かべる訓練をすれば、夢は必ず実現するという考えです。これは、意識が無意識を動かし、さらには物質化(身体化)するという考えです。私はこの考え方が好きですし、当たっていると思います。

補足日時:2006/01/12 19:03
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ご返事ありがとうございます。



そうですか。うさぎ見えましたか。じゃんけんのチョキ型の耳。なかなか暖かそうです。
餅つきの様子が見えなかったのは残念です。正月に搗きすぎてくたびれたので、多分月の裏側にしまってあるのでしょう。

>質問1:「>単純な事実関係」としては、
(1)「海底火山が原因で、結果として海藻が浮かんだ。」
(2)「無意識が原因で、結果として、意識に思いが浮かんだ。」
とおっしゃるとおりだと思います。
しかし、「このように見える」という意味で「単純な事実関係」という言葉が使われていると解釈した場合に限った上での同意です。

>質問2:意識が「横目で見る」時
確かに、”ぼんやり”でも思ったのであれば、意識が小指の先に引っ掛けたぐらいであっても選択したことになります。
ただ、「横目で見る」のはあくまでも選択前の作用であって、「意識化されるまでの状況描写」です。
この辺は、河口付近で意識と無意識の境目を探しているようなものですから「大目に見て」ください。

>質問3:話の内容は、無意識が用意するのでは? 
・そう思います。
ここでひとつ、kobareroさんに思いつきの質問をさせて欲しいと思います。
「花が咲く」までには、葉による光合成や根からの水分・栄養分の吸収、風や生き物による受粉など様々な過程を経ると思います。
さて、「花は咲いた」のでしょうか、それとも「咲かせられたのでしょうか」、どちらの解釈をなさいますか?(質問1)

>質問4:感情や思いの原因は無意識の中にあるのでは?
・【これを意識したとは思いたくないので】前に少し出てきた言葉で言えば「超自我の抑制を受けたので」と言ってもいいかもしれません。
また誤解を恐れずに言えば、先生の目を気にして嘘を言う子供のようなイメージでしょうか。
【いずれにしても、「感情や思いの原因は無意識の中にある」ということに変わりはないのではないでしょうか?】というご意見には、元から同意しているつもりでいます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

「餅つき」の「つき」は「搗き」だったんですね。初めて知りました。昨夜12時頃、月が天空にあったので、今朝は月没が見れるかも知れないと期待して、5時前に起きました。すると、丸々と太ったオレンジ色に輝く月が地平線の少し上に見えました。月没には、時間がありそうだったので、一旦家に入って、15分くらいして、5:10に再度見ると、なんと、月はもう消えてなくなっていました。惜しいところで、取り逃してしまいました。思い返すと、昨年の12月14日(#53補足)には、6時過ぎに月が沈んでいますので、ほぼ一巡したといった感じです。

さて、hakobuluさんへの質問も、何度もしつこくさせていただきましたが、どうやらこちらも一巡した感があります。今回は、私からの質問はありませんので、hakobuluさんからの質問に回答させていただきます。

>さて、「花は咲いた」のでしょうか、それとも「咲かせられたのでしょうか」、どちらの解釈をなさいますか?(質問1)
「花は咲いた」のだと思います。

補足日時:2006/01/12 08:38
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ご返事ありがとうございます。



安心していたら夕方から、あっというまのドか雪です。1時間ほどたっぷり汗をかきました。いや、本当にいい運動になります。
ハリケーンの規模が年々グレードアップ?していて、原因は地球温暖化だそうです。
文明の何たるかに気付くのが間に合うのでしょうか。
それとも、行くところまで行ってしまうのでしょうか。
個人的には、崖っぷちギリギリセーフで、徐に後戻りするという形を取りそうな気がしています。

>質問1:【無意識は、一体何をするのでしょうか?】 
どうも私は日本語の取り扱いが雑ではないかと思います。
無意識が「選択する」という言葉を使いたくないばかりに、「気にする」という言葉を使い、いやそれより「注目する」という方がしっくりするかなと思い置き換え(気にする・注目するを同義として使用しています。)ました。
しかし、注目すると言うと私が無意識に「能動性」を持たせて解釈するようになったのか、と誤解されるかもしれないと思い、<「注目する」というと能動的な選択のような印象もあるのですが、意図している内容は違います。>と申し上げたのです。

考えてみれば、「気にする」も「注目する」も能動性を伴った言葉ですから、これを能動性は無いと考えている無意識の作用を説明する言葉として適用すること自体が間違いだったようです。
うまい表現が見つからないので、つい使用してしまったのですが、適確に表現しようとすると前の「海底火山」のような比喩を使うことより思いつかなかったわけです。

>質問2:
・つまり、私は無意識が「思うこと」をせずに「注目する」と言っていることになります。
もう少し適切な言葉を捜したいと思います。
ただ、提示していただいた次のような作用はあり得るという解釈は変わりません。
(1)朝起きて、「出勤しなければ」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して涼しい顔で欠勤する。
(2)殺人を犯して「自首しよう」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して、何の罪の意識も持たず平気で暮らす。
(3)駅のホームから落ちそうなので「危ない」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して、平気で落ちて轢死する。

(1)は、心の底にわだかまりを抱えたままその日を過すことになるでしょうから、「涼しい顔」は無いと思います。
(2)は、常に猜疑心の塊となって息のつまるような圧迫感を意識しながら暮らすことになりますから、本心から「平気」ということはありえないでしょう。
(3)も同様に、危険が選択肢として浮上しているわけですから「平気で」ということはないと思います。
無論、kobareroさんがこのようにおっしゃるのは、前回私が【海(意識)はそのことに気付かないこともあるし】と述べたからだと思います。
お詫びしつつ、この部分は『気付かない振りをすることもある』と訂正させてください。

>質問3:無意識/意識モデル
・確かに今までの私の説明からは、このような解釈だと思われても止むをえないことは認めます。
しかし、猶予を頂いたと判断して、もう少し釈明させていただきたいと思います。

まず、「意識によるコントロール」をこのモデルから受ける印象ほど強く認めているわけではありません。
次に、また比喩を使うと怒られそうですが、意識と無意識の関係は主従ではなく川と海のような相互関係にあると考えています。
そして、心理作用が起こるのは常に河口付近であろう、というのが私の推測です。
意識として認識されるものは、まず海とも川ともつかない境目付近に浮上するのではないかということです。
(本能と反射神経的反応以外は)川が押し出したとも、海が引き寄せたとも言えるでしょう。
「意識していない」といっても、【実際は意識している】ことが案外多いのではないかという【疑念】があります。
たとえば、「ふと旅行へ行きたいと思った」などは、何らかの刺激によって無意識の表面に浮かんできた連想のひとつだと思いますが、他でもないこの連想を「選択」するという結果になった「意識の介在」が必ずあるのではないかと思うわけです。

また、都合の悪いことは忘れますが、それは無意識とは区別したほうがいいように思うわけです。
(強度偽装事件に関してのみ述べているわけではありません。)

ご存知かもしれませんが「言い間違え」という現象があります。
1、知り合いからお歳暮を貰った時。
「こんなつまらないものをいただいちゃって、どうもありがとうござ・・・。いや、これは失礼。つい差し上げる側の立場になっちゃって、とんだ言い間違いを・・・、失礼しました。」
などという例があるとします。
このようないい間違いは、その相手に対して「どうせつまらないものしか持ってこないだろう」という認識がなければ出てきません(これすら否定する人は多いでしょうが)。
さて、これは意識領域での認識か、あるいは無意識領域での認識でしょうか。
個人的には、「お歳暮(刺激)」を見て、「相手に対する知識(記憶)」が無意識の表面に浮上し、「つまらないものしか持ってこない人」が連想され、その内容が「明確な意識の選択」によって具現化したという解釈です。
このように述べる根拠としては、実際に言いながらそれを意識していることに気づくこともあるのではないか、と考えるからです(河口付近の作用と申し上げた箇所を思い出してください)。

2、大相撲を見ている食事時、画面では相当の歳の解説者が要領を得ない解説をしています。食卓の息子が年老いた父親に向かって、「年寄りは早く引退したほうがいいんじゃないかなあ。」と言います。
耄碌しかけている父親が不審げな目を息子に向けます。
「いや、親父に当てつけたと思ってるのかい。参ったなあ。この解説者のことを言ったんだってば。」と弁明する息子。
「年老いた解説者の要領を得ない解説」という刺激を受けて、「年老いた父親」の記憶が浮上し、「年老いた要領を得ない父親」が連想され、「こんな父親は早く引退すればいい」という意識が芽生えた。
しかし、これを意識したとは思いたくないので、連想の元になった刺激自体への感想という形で表現したわけです。
そして、本人もそう信じているはずです。
けれども口にしながら実は父親のことを言っているのだ、と意識することもあるのではないかと思います。

無意識に言っているようで、実は本心である。
ということなのですが、完全な無意識ではなく、よく注意して考えてみると、その時点で実際に意識化されていたことに気付くことあるのではないかと思うのです。

また、変な譬えを出してしまったかもしれませんね。
明確な言葉で表現できずに申し訳ありません。
まだ適確な表現であるか自信はありませんが、とりあえず「無意識が思わせ振りにする」というあたりでどうでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

1時間も雪かきとは楽じゃないですね。地球温暖化の抑制には、日本の技術が意外と貢献しているようなので、少し頼もしく思うのですが、肝心の米国と中国の動向が気になるところです。それと将来、インド、ブラジル、ロシアが控えていると思うと、やはり心配になります。新たに省エネ文明を立ち上げないとダメですね。日本のアニメや萌え文化も多少は貢献しているのではないでしょうか。


質問1:「海底火山」は原因と考えれば良いのではないですか?
「海底火山の結果、海藻が浮かび上がってきた現象」を「海底火山が、海藻を浮かび上がることを能動的に選択した」と表現したくないということであれば、「海底火山が原因で、海藻が浮かび上がった」と言えばよいと思うのですが、違うのでしょうか? すなわち、「無意識が原因で、意識に様々な思いが浮かび上がってくる」というのが、ごく自然に観察される心の現象だと思いますが。

質問2:「出勤しなければ」という思いがないのに、わだかまりを抱えるのは何故ですか?
朝起きて、「出勤しなければ」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否したということは、結果的に、意識は「出勤しなければ」という思いを持たなかったわけですから、なぜ、わだかまりを持つことが可能なのでしょうか?

質問3:話の内容は、無意識が用意するのではないですか?
無意識が(1)の文を用意し、実際に発話している最中に、「あっ、これはまずいことを言ってしまった」と無意識が気付き、訂正文(2)を無意識が作成し、それを発話するという流れだと思います。

(1)「こんなつまらないものをいただいちゃって、どうもありがとうござ・・・。」
(2)「いや、これは失礼。つい差し上げる側の立場になっちゃって、とんだ言い間違いを・・・、失礼しました。」

通常、我々が、話をするとき、その話を構成する文、文を構成する単語は、全て無意識が用意していると思います。そう考える根拠は、意識は何かを話すとき、話す内容を事前に単語レベルで意識することはないからです。話している最中に、勝手に単語が口から飛び出すというのが、通常の現象だと思います。そうでなければ、「言い間違い」という現象自体が起こらないと思います。

質問4:感情や思いの原因は無意識の中にあるのではないですか?
日頃、無意識は、(1)、(2)を感じているけれど、(3)が原因で、なかなか(2)の思いを意識の表面に出せない状態にある。たまたま、(4)があったので、無意識は、(5)の思い意識に上らせることができ、同時に、関連して(2)の思いがあることをそれとなく意識に伝える。ということだと思いますが、違いますか?

(1)父親は最近、年老いて要領を得なくなってきたと感じている。
(2)こんな父親は早く引退すればいいと思っている。
(3)そのことをストレートに言うのは父親を傷つけるので抵抗がある。
(4)大相撲と見ていると、相当の歳の解説者が要領を得ない解説をしている。
(5)年寄りは早く引退したほうがいいんじゃないかなあと思う。

補足日時:2006/01/11 10:12
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ご返事ありがとうございます。



最近は雪が少ないので気が楽です。雪かきをしないですむと思うと現金なもので、遠くに霞むように見える山の雪景色などにも目が行きます。

>質問1:意識が「気まぐれに」意識化を拒否することができると考える理由は ?
・厳密に言うと、【無意識が[思う]】ことは無いのではないかと思います。
あくまで「(何らかの刺激)の結果として」記憶の中の何かに注目する、ということのように思います。
また、「注目する」というと能動的な選択のような印象もあるのですが、意図している内容は違います。
うまく言えませんが、海底火山が噴火してしばらくすると海底に生えていたある種の海草が浮び上ってきたとします。
これを、「海底火山(無意識)がある種の海草に注目した。」と表現したいわけです。
しかし、海(意識)はそのことに気付かないこともあるし、特にフォーカスして意識化する場合もある、といったような感じでしょうか。

>質問2:「私である証」の「私」とは?
・「>様々な側面を持った複合体」という捉え方は同じではないかと思います。
【その気まぐれこそが「私である証」】という場合、そのような気まぐれを起こす要因こそが、「私の個性」と呼べるのではないか、というような意味です。
この場合の「私」を複合体と考えても矛盾は無いように思います。

>質問3: 本能、無意識、反射神経的反応の存在はどのようにして知ることができますか?
・【意識に働きかけて来ることで、その存在を知るのではないのでしょうか?】
おっしゃるように、それしか知る術は無いと思います。
ただ、ここは同意していただけると思いますが、本能と反射神経的反応の場合、意識はその結果を知るのみでしょう。
例えば本能的な衝動を抑えることは可能でも、衝動があることを意識することは避けられないからです。
それら以外の無意識の場合は意識に働きかけるのではなく、今まで述べてきたように、「ただ記憶されているだけで意識の選択の結果として具現化する」と思います。

>質問4: 本能、無意識、反射神経的反応を区別する基準
・概念としては区別したいのですが、普段特に意識しているわけではないので難しいご質問です。
誤解を恐れずに述べてみると、
「本能」ー生体維持に関する欲望。「おいしそうなものを見て食べたくなる。」etc.
「反射神経的反応」ー選択の余地の無い必然的な対応。「美しいものを見て美しいと感じる。」etc.
「無意識」ー上以外でのあらゆる記憶領域に格納されているもの。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

今日もしつこく月の出を観察しました。見え始めたのは、14:10で、だいぶ遅れてました。今日はっきりわかったのですが、晴天であるにもかかわらず、地平線から少し上空まで、空が灰色です。これは、雲ではなく、街の濁った空気が原因のように思われます。そのため、月がかなり上に上らないと見えて来ないようです。

hakobuluさんの用いる用語として、「気にする」「注目する」「思う」の違いが私にはわからず、全く混乱しています。どう違うのかもう少し説明していただけませんか? 私が具体的にどのように混乱しているかを知っていただくため、以下の質問をさせていただきました。

質問1:#96の、1では「無意識が気にする」と表現し、2では、これを「無意識が注目する」に置き換え、今回は、<「注目する」というと能動的な選択のような印象もあるのですが、意図している内容は違います。>とおっしゃっています。無意識は、「気にする」でもなく、「注目する」でもなく、「思う」のでもないとすれば、一体何をするのでしょうか? 

質問2:<【無意識が[思う]】ことは無いのではないかと思います。>と言うことですので、#97で、hakobuluさんが同意された「無意識が注目する」に置き換えました(これも、今回否定されてますが)。hakobuluさんの#97ので説明では、以下の(1)、(2)、(3)が起こりうることになりますが、同意されるのでしょうか? もし、同意されない場合は、「注目する」という表現をhakobuluさんの納得のいく言葉に置き換えて、以下の(1)、(2)、(3)の文章を正しく訂正していただけないでしょうか?

(1)朝起きて、「出勤しなければ」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して涼しい顔で欠勤する。
(2)殺人を犯して「自首しよう」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して、何の罪の意識も持たず平気で暮らす。
(3)駅のホームから落ちそうなので「危ない」ということに、無意識が注目しても、意識が拒否して、平気で落ちて轢死する。

質問3: hakobuluさんの無意識/意識モデルが私には、一向に見えてきません。それで、試みに極端なモデルを考えてみましたが、これまのhakobuluさんのお考えを聞く限り、hakobuluさんの考えに近いかも知れませんので、お考えをお聞かせください。

<無意識=記憶>モデル
このモデルでは、「無意識」の機能は「記憶」のみです。そして、あらゆる心理的能動機能は全て「意識」に属します。「意識」は、朝目を覚ましてから、夜眠るまで、全ての心理活動をコントロールします。そして、「無意識」の役割は、「意識」の命令に従って、必要な記憶情報を提供するだけです。ものを考える場合も思考の論理は、全て「意識」がコントロールし、「無意識」は「意識」が命じた情報を提供するだけです。

補足日時:2006/01/10 15:31
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Q妊娠して副乳が痛くなるのは妊娠後期または出産後だけですか?

副乳って妊娠初期に痛くなる事ってありますか?
初めて脇の下にしこりができてが痛くなったのでびっくりして自分で調べてみたんですが多分副乳なんだと思います。
生理前なのでそのせいかとも思うんですが、生理が少し遅れています。
生理前と生理中に痛くなる人がいるっていうのを知ってそのせいかとも思うんですが、
妊娠して初めて副乳に気付く人が多いとも書いてあったのですが、それは出産後の事でしょうか?
初めての事なので不安です。知っている方がいたら教えて下さい。

Aベストアンサー

私の場合、安定期に入った頃に両脇の薄茶色のしみのような副乳に気付きました。
その時は特に痛くはなかったです。
出産直後、胸が張り始めると同時に副乳も張って痛くなりました。保冷剤を挟み込んで我慢していたら3日ほどで痛みと張りは収まりました。

産後半年くらい経ってから両脇を見てみると、副乳はもうどこにあるのか分からなくなっていました。

片脇だけにあって洋服などが当たるだけでも痛く、熱を持ったりぐりぐりした塊のようなものが触れるようでしたら、粉瘤かもしれません。(巨大なにきびのようなものです)
この場合は皮膚科だと思います。

いずれにしても、あまり触ったりしないで医師の診断を仰ぐほうがいいと思います。

Q「世界革命」と「愛の飛躍」の違いは何ですか?

「世界革命」と「愛の飛躍」の違いは何ですか?
意味不明の場合はスルーしてください。

Aベストアンサー

参考程度に
ルソーが唱えた自由・平等の社会は存在しない。その社会を存在足らしめるものが同胞愛(愛の飛躍)であるといったのがベルクソンですね。 
つまり、自由こそが不平等をもたらす起源だとしたら、ルソーが言う真に平等な社会には自由はない。
真に平等な社会を目指したのがカール・マルクスの『共産党宣言』ですね。これが世界革命論ですね。

つまり、自由を追求しても、平等を追及しても結局閉じた社会にしかならない。その両方を共存させて進歩するには同胞愛(愛の飛躍)が必要になる。今風に言えば自由・機会の平等・福祉によって社会は進化し続けるということでしょうか。
結論から言えば、「世界革命」は閉じた社会愛、その愛に自由を取り込んで社会を形成するために必要な愛が同胞愛、言い換えれば差別愛つまり「愛の飛躍」ということでしょうか。

質問の趣旨にそってるかどうかわかりませんので参考程度に

Qこれって副乳?

今妊娠9週目です。
先日からわき(右脇)の下にしこりのような物があり、
触るとぐりぐりして少し痛いです。
妊娠前はありませんでした。
そういえば、2年半前第1子を妊娠中も同じように
しこりができ、「これって副乳かな?」と思っていました。
母乳をあげている間もしこっていましたが、断乳した後
嘘のようにしこりが無くなりました。
やはりこれは副乳でしょうか?
これからもっとしこりが大きくなってくると思うんですが
(前の妊娠時そうだった)取ることは可能ですか?
害がなければほっといても大丈夫なんでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は専門家ではないので回答にはなりませんが・・・

私もniko-satoさんと同じ様に妊娠中、授乳中両脇の下にしこりがありました。
なんだかイヤだなあ、って思ってたのですが、出産時に看護婦さんに「副乳がありますね。」っていわれました。
副乳って大昔おっぱいがたくさんあった頃の名残なんですってね。なんか私って原始人かい?!って感じですが・・
なので、全然害のあるものではないので、ほっといていいと思いますよ。
いや、全然説得力無いかもしれないけど・・

Qメルロ・ポンティの「見えるもの」「見えないもの」

メルロ・ポンティの言う「見えるもの」が「見えないもの」として「見えるもの」を見えさせる例とは、例えばどのようなことなのでしょうか?
いまいちよくこの考えが分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

>「見えるもの」が「見えないもの」として「見えるもの」を見えさせる

こんな例はどうでしょう。

わたしがAさんの顔を見るとします。
するとAさんはその視線に気がついて、顔をあからめたとします。
そのAさんの表情を見て、こんどはわたしがぎこちなくなる。

わたしにとってAさんの顔は「見えるもの」です。
けれどもわたしには、わたしがどんな表情でAさんを見ているかわからない。そうしてAさんがいったいどのようにわたしの視線を受けとめたかもわからない。
それでもAさんが顔を赤らめることによって、わたしがどのような目でAさんを見ていたか、そうしてAさんはそれをどう受けとめたかがわかる。

つまり、ポイントはここです。人間はすべてをくまなく俯瞰するような超越的な視点をとることは決してありません。つねに身体をもった存在として「見る」。
さらに、「見えるもの」は「見えないもの」でもありうることによって、はじめて生きられるものになる。

どこまで回答したらいいかわからなかったので、こんなところで参考になれば。

Q副乳?を取りたい

胸と脇の間と言えばいいのでしょうか…。
とにかくそのあたりに、副乳のようなものがあります。
ふっくらしていて真ん中辺に小さくポツンと点が
見えるのですが、これはやっぱり副乳ですか?
もう20才(女性)です。
前にプールで年上の女性から、コレを指されて
「あ~なつかしい!かわいいねえ」なんて
言われてしまったのですが、これって大人になると
消えるものですか?それとも単なる脂肪?
何となく気になるのでなくしたいのですが、
手術などしない限り無理ですか?
あ、別に深刻に悩んでいるわけではないです。
ない方がいいなあ、ぐらいなので手術まではしたくありません。

Aベストアンサー

将来妊娠、出産されるときに、おっぱいが発達するのと同時に副乳も発達します。
今より少しふっくらして、少ししこりのようになり母乳が出ることもあります。
私も妊娠した時にはじめて出てきて、産後母乳が少しでました。

でも授乳の時期をすぎると自然と消滅します。

全然気にするものではないですよー。昔は、副乳のある女性は(副乳もあわせて)
おっぱいの数だけ子供を生む、と言われていたそうです。お産の時助産婦さんが
教えてくれました。なんだかそれがうれしかったのを覚えています。

Q「見えるものと見えないもの」

世界が私の身体と同じ構造を有するとはどういうことでしょうか?

Aベストアンサー

「身体的所作」という観点から、メルロ=ポンティとウィトゲンシュタインの言語ゲームの共通点をとらえた野家啓一の『言語行為の現象学』はお読みですか?
これはなかなかおもしろい本で、メルロ=ポンティに関しては、おもに『知覚の現象学』までで、後期の〈肉〉については考察の対象になっていないのが残念なんですが。

とくに三章の「言語・身体・意味」というところでは、日常的に使われている言語を内面的人間の語る内面的言語へと還元しようとした(そうしてそこでは当然所作というものは、言語の夾雑物として排除される運命になります)フッサールを批判的に取り上げ、それにたいしてメルロ=ポンティの身体的所作は言語とおなじく、所作自身の中にその〈意味〉をあらわにしている、という主張が取り上げられます。

そうしてこんな箇所が引用される。
「私は怒りとか脅しとかを、所作の背後に隠れている一つの心的事実として知覚するのではなく、私は怒りを所作そのものの中に読み取るのだし、所作は私に怒りのことを考えさせるのではなくて、怒りそのものなのだ」(『知覚の現象学』)

つまり、「怒り」が心の中かどこかにあって、それが怒りの所作となってアウトプットされているわけではない、怒りの所作こそが怒りなのである、と。そうして言語もまた同じである。言葉それ自体がひとつの「所作」として、その〈意味〉をあらわにしている。これはウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の思想へと通底するものである。

さらに『哲学探究』から、こんな箇所が引用されています。

「子供が負傷して泣き叫ぶ。すると大人がその子供に話しかけ、間投詞を教え、後には文章を教え込む。彼等は子供に新たな痛みの振る舞いを教えるのである。

『それでは君は、〈痛み〉という語がもともと泣き声を意味するものだ、と言うのか』――逆である。痛みという言語表現は泣き声の代わりをしているのであって、それを記述しているのではない」(『哲学探究』)

つまり、「痛みの所作と痛みの言葉とは互いに置換可能な〈表現〉なのであって、それらは連続的であり、そこに断絶はない。先のメルロ=ポンティの言い方を借りれば、「言葉は一つの真の所作」にほかならないのである」(『言語行為の現象学』)

『探求』のこの部分を見て思い出すのは、以前、六歳の子供が「これから何もいいことが起こらないような気がする」としくしく泣き出したときのことです。ちょうど、クリスマスとお正月が終わった時期だったので、楽しいことが終わって寂しくなってそんなことを言ったのかと思ったのですが、その子はつぎの日急に高熱を出した。インフルエンザを発症したんです。

大人であれば風邪の引き初めの「何かだるいような感じ」「なんとなく普通ではない感じ」という言葉で表現されるようなその「感じ」を、六歳の子は「これから何もいいことが起こらない感じ」と表現した。つまり彼にとっての〈世界〉は、未だ心身二元論に完全には分節されていないから、風邪に罹った身体の不調が、未来への不安として知覚されたわけです。

もしかしたら「痛み」「不快」「不調」「不安」という分節を知る以前の赤ちゃんが泣くのはそんな「感じ」なのかもしれない(たとえば赤ちゃんはなぜ眠くなると泣くのでしょう?)。言語使用をある程度は知っている六歳の子だから、泣く代わりにその不安=不調を言葉でそう表現したわけです。
なんだかすごくおもしろいなと思ったので、いまでもよく覚えています。

ウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」を「子供が言葉を使い始めるに際しての言語の形態」と言っていますよね。「したがって、子供に言葉を教えるとは、言語の意味を説明してやることではなく、むしろ『振る舞い方』を訓練することに近しい」(『言語行為の現象学』)。
さらに野家はこの箇所をプラグマティックに受けとるべきではない、「言語ゲームが身体=主観としての〈語る主体〉によって営まれる行為であることの強調でなくてはならない。再びメルロ=ポンティを引けば、言葉を学び覚えることは、「身体の可能な使用法を〈身〉につけることにほかならないのである」と。

わたしたちは身体をもつ〈語る主体〉として、常にすでに「言語ゲーム」のただなかに生きている。
「言葉の意味とは、言語ゲームを生きる〈語る主体〉相互の「発語-理解」の行為の中で〈生成〉されるものであって、われわれはそれ以外の場所(心の中、脳細胞の中、辞書の中 etc.)に〈意味〉なるものを捜し出すことはできないのである。(中略)

「言語ゲーム」とは間主観的意味構成が行われる根源的な〈場〉にほかならない。メルロ=ポンティにならって、超越論的主観性を間主観性と読み換えることが許されるならば、言語ゲームは生活形式の一部としてわれわれの経験的〈生〉に連なる事実概念であるつつも、同時に意味生成の根拠として超越論的機能をも担っていると言うことができる」(引用同)

ご質問に返って

> 世界が私の身体と同じ構造を有するとはどういうことでしょうか?

ということに即してみるならば、こう答えることも可能かもしれません。
〈私の身体〉も〈世界〉も、言語ゲームによって基礎づけられている、と。

〈わたし〉があらかじめあるのではない。
世界に囲まれ、その中で他者や事物と遭遇し、言語ゲームを介して、身体を備える〈語る主体〉としての〈わたし〉が立ち現れてくる、と。

ただ、わたしのなかで〈肉〉をそのまま「間主観性」と言っちゃっていいのか、とも思うんです。言葉が思想の衣装ではないとしたら、〈肉〉と「間主観性」は異なるもののはずだ。この強烈な表現にせよ、レヴィナスの〈イリヤ〉にせよ、言葉=思想のはずですよね。

こんなふうに考えると、やっぱりカントの〈崇高なもの〉を思い出してしまう。崇高なものとは「構想力にとって法外なもの」であり、「いわば一個の深淵である」(『判断力批判』)

呈示されないものを呈示しようとして、ぎりぎりのところを手探りして出てきたのが〈肉〉や〈イリヤ〉や、あるいは〈現実界〉、〈言語ゲーム〉であるとしたら、それぞれの共通するもの、異なるものの分析を通じることによって、〈崇高なもの〉はその片鱗を顕すのかもしれません、っていうと、きれいにまとめすぎか。


ところで

> 科学者は「モデル」と、現実社会に内在する構造とを取り違えることは無いのである。

ですが。
質問者さんは「モデル」という言葉で表現されていますが、わたしはむしろ「換喩」と表現したいような気がします。

「構造」にせよ「世界」にせよ「システム」や「関係」、あるいは「身体」「心」「主観」にしても、わたしたちはこういう言葉を日常的にかならず換喩あるいは提喩として受け取っているのだなあ、と改めて思いました。

#4の方が

> まさか「身体にに手や足や目や耳がある」ように「世界にも手や足がある」というふうなことではないでしょう。

とおっしゃっておられるのを拝見しても、わたしたちは「構造」という語、あるいは世界という語を身体図式になぞらえて理解していることがよくわかります(ここで引用したことに他意はありません。どうか感情を害されることのありませんよう)。

一般に知覚と想像力は異なる能力である、ときに対立するものであるように考えられていますが、(たとえば「現実を見ろ」という叱責にあきらかなように)、知覚が成り立つためには、現実には想像力が大きな役割を果たしています。

想像力の働きによって原因と結果を結び、部分と全体をひとまとまりのものとし、記号で記号によって意味される事物を理解しているわけですが、こういうことはすべて換喩のやり方なんですね。

このように考えてみると、手や髪の毛や足の小指の爪の先をも「わたしの身体」という言葉に統合して理解することも、目の前の「あれ」も「これ」も、見ることのできない遠くの世界で起きた「あのこと」も「そのこと」もひっくるめてひとつの「世界」という認識の仕方をしていることも、まさに同じ「換喩」という構造によって成り立っている、と言えるのかもしれません。

「身体的所作」という観点から、メルロ=ポンティとウィトゲンシュタインの言語ゲームの共通点をとらえた野家啓一の『言語行為の現象学』はお読みですか?
これはなかなかおもしろい本で、メルロ=ポンティに関しては、おもに『知覚の現象学』までで、後期の〈肉〉については考察の対象になっていないのが残念なんですが。

とくに三章の「言語・身体・意味」というところでは、日常的に使われている言語を内面的人間の語る内面的言語へと還元しようとした(そうしてそこでは当然所作というものは、言語の夾雑...続きを読む

Q副乳

僕には左胸のすぐしたに副乳があって
とても目立つため、除去したいのですが
皮膚科に行けば手術で除去してもらえるのでしょうか?
又、費用はどれくらいかかるのでしょうか?

Aベストアンサー

mimumu様の回答とかぶりますが形成外科が担当になりますね。
腺などの状況によるので費用は(保険適用のこともあり)はっきりとは
言えませんが、試しに検索エンジンに掛けてみたらかなりヒットして
いわゆる美容整形をする病院で10~25万といったところでした。

Q「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? また、私の友人C氏より思慮深い人はこの世にいるのでしょうか??

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。

しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。

何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、
「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」
との事だからです。


・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、
大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。

・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。

・この世は全てが「虚無」である。
「いい男」も「格好良い男」も存在しない。
何度言ったら解るのか??!!
何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。
生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。
生きている人間に、所詮ユートピアは無い!!


努力しない男=駄目駄目男
努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。)
死んだ男=イイ男
では??

本当に格好良い男なんて、所詮は
「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう?

・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。
仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。

・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。

*なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。
やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。
孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。

・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。

・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、
負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。

・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか?
ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。

・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、
女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。
嗚呼。もう石になりたい…………。

果たして彼の言っている事は正しいでしょうか?
彼は、全てを悟っていますか?

彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね?


注意事項:
このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」
とか仰る人おられますが、
違います。

もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね?

彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。
でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。
彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。

では御願いします。

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世...続きを読む

Aベストアンサー

自分の考えを「彼」の考えとして発表したと 推察します。
なぜなら

>彼の心の中は解らないので

 と自分で解っているようですので。

 で、内容そのものはどうかと言うと... ノーコメントです。もうお分かりですよね。

 こういった思想を自分の考えとして発表すると、非難されたり誹謗中傷された時に恥ずかしいから「彼」の考えとして発表したのでしょうが、恥は恥です。

 自分で否定しておられるようですが、やはり 内面世界においてヒドイ事があったようですが...例えばマンガや小説の悲劇の主人公と同調してしまったとか。

 過去のことは忘れて新しい自分として生きるのも良いことです。

Qわきの下(副乳)がボコボコで痛いです。

 5日前に出産したばかりなのですが妊娠中からわきの下の副乳ができて、出産してからさらにボコボコに腫れてとても痛くてたまりません。両方に出来ています。
 母乳も5日目なのに一日600~700ccぐらい出てます。冷やしても脇が閉じれないくらい痛いのですがどうしたら楽になりますか?病院に行ったほうがいいですか?アドバイスお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。
出産おめでとうございます!
副乳って痛ですよね。
痛みを取るにはやっぱり母乳があんまり貯まらないようにするしかないそうで
私の場合、手で搾乳して哺乳ビンで母乳をあげた事がありました。
直接おっぱいで飲むと、赤ちゃんは吸う力がすごいので
とてつもなく飲みます。
そのため生産しようとどんどん母乳が貯まってしまう。
だから搾乳した母乳を哺乳ビンで与え、
あとは冷やすしかないです。
プロラクチン(母乳を作るホルモン)
というホルモン分泌を押さえるため、
ピルを飲んだりして治療するそうなんですが、
今は授乳中、しかもまだ5日目なので
出来れば冷やしたり搾乳するなどして
母乳量が減るのを待つしかなさそうです。
ピークは1ヶ月までだと思います。
あと産後5ヶ月ぐらいになったら、一度母乳量が減る時期ってくると思うんです。
その時、思いきってミルクを足すなどして
母乳を生産させないようにしてみるとか。
あまりにも痛いときは病院に行ってみてもらってもいいと思いますが
行っても冷やすしかないとしか言ってくれなかったです。
辛いですが、今が山です。

こんばんは。
出産おめでとうございます!
副乳って痛ですよね。
痛みを取るにはやっぱり母乳があんまり貯まらないようにするしかないそうで
私の場合、手で搾乳して哺乳ビンで母乳をあげた事がありました。
直接おっぱいで飲むと、赤ちゃんは吸う力がすごいので
とてつもなく飲みます。
そのため生産しようとどんどん母乳が貯まってしまう。
だから搾乳した母乳を哺乳ビンで与え、
あとは冷やすしかないです。
プロラクチン(母乳を作るホルモン)
というホルモン分泌を押さえるため、
ピルを飲んだ...続きを読む

Q「私」と「この私」

「私」と「この私」という表現に意味の違いがあるとすれば何でしょう。

Aベストアンサー

”少なくとも”この私にとっては、「私」とは一般的現象としての「私」のことです。一方、この私にとって、「この私」とは「この世界」が存在していることと同義であるところの「私」のことです。

従って、この私が死ねば、「この世界」は消滅しますが、一般的「私」にとってのこの世界は存続するものと信じています。しかし、人類の滅亡で最後の一人が消滅した段階では、一般的「私」が消滅するだけではなく、この世界そのものも消滅します。


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