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薬師寺僧形八幡神像についてですが、受験参考書には平安時代の本知垂迹説の例として記載されています。
しかし、本知垂迹説は [仏=本体 / 神=仏の仮の姿]と習いました。薬師寺僧形八幡神像は、僧侶(仏)の形をした神像ということですが、これでは理屈があわないように思います。だって、薬師寺僧形八幡神像の外観は仏で、中身は神像ってことですよね。本地垂迹説は、仏像は神の形をしているってことだから。。。。紛らわしいです。

それとも、薬師寺僧形八幡神像はただの神仏習合なんでしょうか。

A 回答 (3件)

僧形八幡は


>僧侶(仏)の形をした神像
ではなくて、八幡の神さんが仏教に帰依して剃髪し、坊さんの姿になったものです。ちょっとややこしいですが、「僧侶の形をした神像」じゃなく「僧侶の姿をした神さんの像」が正解です。八幡さんの本地仏は主に阿弥陀さん(違うのもあります)ですから、僧形八幡の本地仏も多分阿弥陀さんかなんかでしょう。

本地垂迹説は絵画では本地仏曼荼羅などで表されていますが、仏像では非常に表し難く、薬師寺僧形八幡神像=本地垂迹説の例とするのはマチガイではないけど・・・と思います。
ただ、個人的には本地垂迹説があったからこそ生まれてきた仏像だとは思います。
あと、いろんなサイトや適当な書物では 本地垂迹説=神仏習合 と勘違いしている様な記述が多く見受けられますね…
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 こんばんは。



 いま手元の成書(『仏像図典』佐和隆研編 吉川弘文館)を見ました。「本地垂迹説」に基づく作例で、、八幡神の本地とされているのは、「岩清水八幡曼荼羅」の中に示されている「阿弥陀如来」だけでした。
 また、本地垂迹の作例は、絵図が多く、神-仏の対象が、はっきり描いてあるものか、神形の作例がほとんどです。

 薬師寺像は、どうみても阿弥陀様じゃない。

 それと、薬師寺像は、平安時代初期のもので、僧形八幡の最古の作例であり、「純然たる神仏習合の所産」と説明されています。「神仏習合」的思想傾向から、「本地垂迹説」が現われるのが、平安時代、となってます。まあ、上記のこととも考え合わせると、ぎりぎりでかすってない、といえると思います。

 よって、薬師寺像は、本地垂迹説に基づいた作例とはいいがたいでしょう。ご説の通り、広く「神仏習合」の作例と考えた方がいいかと思われます。

 ご参考になれば。
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八幡神は、もともと農耕神であったものが奈良時代に東大寺の鎮守となり、さらに平安時代になると「神仏習合」の影響で菩薩と結びつきます。

その過程では、応神天皇との結びつきや、清和源氏の氏神として武人の守護神ともなります。俗に言う「南無八幡大菩薩」ですね。

ところで、菩薩とは「如来の境地に達しようとして悟りを求めて修行する者」ですので、厳密にいえば、仏(如来)とは異なります。したがって、「薬師寺僧形八幡神像はただの神仏習合なんでしょうか」が一番近い解釈ではないかと思います。

蛇足ながら、質問文の「本知垂迹」は「本地垂迹」の変換ミスかと思いますが。
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