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 南方熊楠について桑原武夫は南方の仕事について「個々の問題で手がたい仕事をつみかさねつつも、全体として目立った理論体系を示さずに終わったのは、日本全体の学問的年齢がなお若かったための不可避的制約があったと考えられる。」とのべています。(「南方熊楠の学風」平凡社1974年p32)
 つまり、南方は統合性のある理論を彼自身の中に持っていなかったという指摘のようですが、同じ様な指摘をしている本がありましたら誰か教えてください。

A 回答 (1件)

熊楠全集の「熊楠曼荼羅」という章で同じような事を述べてましたね。

南方は欧米で学問を修めましたが、正規のやり方でなく独学で学んだためか、興味の赴くまま研究を進め、論理体系に纏めようとはしなかった、ということです。学問的年齢が若いということよりも、彼の個性が学者というよりは思想家や芸術家のそれに近く、一つの学問に収めることが難しかったのでしょう。
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この回答へのお礼

 早速質問にお答えして頂きありがとうございました。
 熊楠の曼陀羅はむしろ熊楠なりの学問の筋道を統一的な理論上に体現したいという願望から生まれたもののようですね。何を意味しているのかまだ理解できないのが残念ですが、もう少しいろいろな文献を当たって調べてみようと思っています。

お礼日時:2001/12/09 15:01

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